コンテンツにスキップ

常子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常子内親王
続柄 後水尾天皇第十五皇女

全名 常子(つねこ)
称号 品宮(級宮)
出生 寛永19年3月9日1642年4月8日
死去 元禄15年8月26日1702年9月17日)(享年61)
埋葬 大徳寺
配偶者 近衛基熙
子女 熙子家熙大炊御門信名
父親 後水尾天皇
母親 園国子
テンプレートを表示

常子内親王(つねこないしんのう)は、第108代後水尾天皇第十五皇女。母は園基音女の園国子(新広義門院)。霊元天皇の同母姉。近衛基熙正室で、近衛家熙および近衛熙子(天英院、徳川家宣正室)の母。また、桜町天皇の外曾祖母でもある。[1]なお、来孫後桃園天皇の女御の近衛維子玄孫に当たる。[2]品宮(級宮、しなのみや)といわれた。寛文6年(1666年)正月から元禄13年(1700年)3月24日にかけて日記(「无上法院殿御日記」)を残している。

生涯

[編集]

父後水尾院に寵愛され、正式な内親王宣下はなかったが、延宝5年(1677年)諱が常子と定められて以降、常子内親王といわれるようになった。寛文4年(1664年)11月12日に6歳年下の近衛基熙と結婚した。結婚後も宮廷に頻繁に出入りし、夫基熙とともに兄弟姉妹や東福門院との交流も密であったが、基熙が霊元天皇とはしっくりいかなかったためか、霊元天皇に対しては批判的な面もあった。寛文6年(1666年)3月26日に長女熙子(天英院)を、翌寛文7年(1667年)6月4日に長男家熙を、寛文9年(1669年)4月27日には次男大炊御門信名を産んだ。夫基熙に先立ち元禄15年(1702年)、61歳で薨去。近衛家菩提寺の大徳寺に葬られた。

脚注

[編集]
  1. ^ 常子内親王→近衛家煕→近衛尚子→桜町天皇
  2. ^ 常子内親王→近衛家煕→近衛家久近衛内前→近衛維子

参考文献

[編集]
  • 瀬川淑子『皇女品宮の日常生活:『无上法院殿御日記』を読む』岩波書店。 


pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy