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「誰が企業の未来を創造するのか」
ものつくり大学名誉教授・上田惇生 VS 一橋大学名誉教授・野中郁次郎
「致知」 2006年・12月号 ●特集● 自らに勝つ者は強し
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【金儲けは悪い――上田惇生さん】よりつづく
【野中】 確かにそのとおりですね。私が最近関心を持っている概念にフロネシス(phronesis)という考え方があるんです。これはアリストテレスが唱えているのですが、賢慮(prudence)、倫理(ethics)、実践的知恵(practical wisdom)を意味する言葉です。
アリストテレスの知の分類は3つに分かれていて、1つは科学的知識であるエピステーメ(episteme)、もう1つが物づくりのノウハウであるテクネ(techne)、そして3つ目がフロネシスです。これはエピステーメとテクネを統合するような概念で、物づくりのノウハウに倫理観や審美眼を加えたもの。つまり倫理的な思慮分別を持って、その都度の具体的な状況・文脈の中で最適な判断行為ができる実践的知恵とでもいったものです。言い換えれば、知識を磨いて知恵にまで高める時には審美眼や倫理観がないと駄目だというわけです。
アリストテレスは「人間は生まれながらにして善いこと(good)をしたいんだ」と言っています。グッドとは何かといえば、それ自体が目的であって手段にならない絶対的価値、例えば幸福です。幸福を目的にする時、我々には最終的な自己実現を求めて絶えず無限の卓越性、エクセレンス(excellence)を追求していくという一種の職人的、求道的な姿勢が求められます。それがフロネシスなんです。一方、金銭というのはいつまでたっても手段でしかない。目的とはなり得ないんです。
ドラッカーは、このフロネシスがよく分かっていた数少ない人だったと思います。経営は科学であると言う人がいますが、経営が科学ならばそこには価値観というものが入りません。ましてや審美眼なんて主観の問題ですから科学の対象にはなりませんね。ところがドラッカーは、経営にはアートが重要だと言っている。科学だけではなく、倫理観や審美眼の必要性をよく分かっていた証拠です。
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「誰が企業の未来を創造するのか」
ものつくり大学名誉教授・上田惇生 VS 一橋大学名誉教授・野中郁次郎
「致知」 2006年・12月号 ●特集● 自らに勝つ者は強し
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【金儲けは悪い――上田惇生さん】よりつづく
【野中】 確かにそのとおりですね。私が最近関心を持っている概念にフロネシス(phronesis)という考え方があるんです。これはアリストテレスが唱えているのですが、賢慮(prudence)、倫理(ethics)、実践的知恵(practical wisdom)を意味する言葉です。
アリストテレスの知の分類は3つに分かれていて、1つは科学的知識であるエピステーメ(episteme)、もう1つが物づくりのノウハウであるテクネ(techne)、そして3つ目がフロネシスです。これはエピステーメとテクネを統合するような概念で、物づくりのノウハウに倫理観や審美眼を加えたもの。つまり倫理的な思慮分別を持って、その都度の具体的な状況・文脈の中で最適な判断行為ができる実践的知恵とでもいったものです。言い換えれば、知識を磨いて知恵にまで高める時には審美眼や倫理観がないと駄目だというわけです。
アリストテレスは「人間は生まれながらにして善いこと(good)をしたいんだ」と言っています。グッドとは何かといえば、それ自体が目的であって手段にならない絶対的価値、例えば幸福です。幸福を目的にする時、我々には最終的な自己実現を求めて絶えず無限の卓越性、エクセレンス(excellence)を追求していくという一種の職人的、求道的な姿勢が求められます。それがフロネシスなんです。一方、金銭というのはいつまでたっても手段でしかない。目的とはなり得ないんです。
ドラッカーは、このフロネシスがよく分かっていた数少ない人だったと思います。経営は科学であると言う人がいますが、経営が科学ならばそこには価値観というものが入りません。ましてや審美眼なんて主観の問題ですから科学の対象にはなりませんね。ところがドラッカーは、経営にはアートが重要だと言っている。科学だけではなく、倫理観や審美眼の必要性をよく分かっていた証拠です。
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