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七帝戦だけは十五人の抜き試合だ。抜き勝負とも呼ばれる――増田俊也さん - 電脳筆写『 心超臨界 』

電脳筆写『 心超臨界 』

我われの人生は我われの思いがつくるもの
( マルクス・アウレリウス )

七帝戦だけは十五人の抜き試合だ。抜き勝負とも呼ばれる――増田俊也さん

2014-12-05 | 03-自己・信念・努力
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『七帝柔道記』http://tinyurl.com/qj3rfzq
【 増田俊也、角川書店 (2013/3/1)、p13 】

「実はさ……俺、柔道部辞めてんだよね……」

「うん」

「知ってたのか?」

鷹山は驚いたようだった。

「このあいだ受験に来たときに、手を見て」

「手……?」

「柔道やってる手じゃなかったから。指のタコがないし、爪が伸びてるから」

空手家の拳に巻き藁(地面に立てた木の棒に藁を巻いたもの。これを叩いて空手家は拳を鍛える)を叩いたタコがあるように、柔道家の手にもタコがある。道衣を強く握るし、寝技をやると指関節の節々が畳にこすれて硬く盛り上がるのだ。また、爪を伸ばしていると道衣を引き合った瞬間に剝がれてしまので、現役選手はこまめに切っている。

鷹山はしばらく黙っていた。話しにくかろうと思い、私はテーブルに視線を落とした。鷹山は小声で、しかし訴えるように話しだした。

「ほんとうにきついんだ。寝技ばっかりやってんだから……」

「名大で寝技中心だって聞いてたじゃないか」

「だけど、あそこまで徹底しているとは思わんかったんだよ。あんなの柔道じゃない」

鷹山が語気を強めて続けた。

「寝技はほんとにきつい。練習時間が長いし、寝技乱取りばっかりで体力がついていかない。合宿になるとその何百倍も何千倍も何万倍もきつい。それが年に何度も何度もあるんだぞ。合宿以外にも二部練とか延長練習とかいつもいつもそんなんばっかりだ。柔道以外、勉強も合コンも旅行もなんにもできん。なんのために苦労して北大入ったかわからんくなっちゃって……他の体育会の部とも違う異様な雰囲気なんだ……」.

そして、十人以上いた同期が次々と辞め、鷹山を含めて三人だけになってしまったこと、しかもそのうちの一人は腰を傷めて練習に参加できなくなってしまったこと、もう一人は水産系で2年目の秋には水産学部に移行して函館に引っ越してしまうからいつか自分が主将をやらなければならない状況になってしまったこと、だから上級生たちからの期待が重く、精神的に耐えられなくなったことを話した。水産系の人間も鷹山が辞めた後に続いて辞め、今の二年目はその腰を傷めて練習ができない一人だけだという。

私が溜息をつくと、鷹山は責められていると勘違いしたのか、言い訳するように続けた。

「それにさ、抜(ぬ)き役と分(わ)け役が最初から決まってんだ」

「なんだよそれ」

「抜き役は勝ちにいく選手で、分け役は引き分ける選手だよ。はじめからそれが決まってんだ。分け役は絶対に責めちゃいかんて言うんだぞ。そんな柔道ってあるか?」

柔道の団体戦には点取り試合と抜き試合のふたつの方式がある。インターハイなど高校の団体戦のほとんどは五人の点取りで、先鋒(一番目に出る選手を柔道ではこう呼ぶ)から一人ずつ相手校選手と一対一で戦い、勝っても負けてもその選手は自陣に戻って、次の選手同士が戦うということを繰り返す。最終的にその五人の勝ち数の3対2とか、4対1とか、そういう数字でチームの勝敗が決まる。

大学になると二人増えて七人の点取りで戦う。全日本学生柔道優勝大会と呼ばれる団体戦、つまりインカレ団体戦はこの方式だ。

だが七帝戦だけは十五人の抜き試合だ。抜き勝負とも呼ばれる。これは、たとえば先鋒で出た選手が勝てばその選手が試合場に残って相手校の二人目の選手と戦う。それにも勝てば相手役の三人目の選手と戦う。そうやって、勝った人間は自分が負けるまで、次々と相手校の選手と順番に戦っていく。つまり極端に強い選手がいてその選手が先鋒に出れば、ひとりで全員を倒してチームを勝ちに導くことも不可能ではない。

「最初から決まってるのか、その抜き役と分け役が」

私が聞くと、鷹山が言った。

「そうだよ、おかしいと思わんか?」

「その分け役ってのはどうやって分けるんだ」

「カメだよ、カメ。入部早々、カメだけ練習してみろって言うんだぞ。おかしいだろ」

カメとは、亀のように畳に四つん這いになって手脚を縮め、相手の寝技の攻撃を防御する姿勢のことだ。鷹山は続けた。

「一日中カメになって先輩に背中につかれて絞め技や関節技を取られるんだぞ。しかも落とすんだぞ」

鷹山は「落とすんだぞ」というところで激した。まわりの客がびっくりして一斉にこちらを見た。“落ちる”とは柔道の専門用語で絞め技で意識を失うことだ。脳に血液がいかなくなって意識を失うことだ。私は声を下げて聞いた。

「おまえ、参ったしないのか?」

「参ったするよ。するけど離してくれない」

「どうして……」

「信じられんだろ……死にたくなるくらい苦しいんだ……」

柔道の絞め技は、腕や道衣、脚などを使って相手の頚動脈、つまり首にある動脈を圧迫して脳へ行く血流を止める。絞められた者は苦しいので「参った」と言葉に出して言うか、相手の体あるいは畳を手で二回叩いて参ったという合図を送ると主審が一本を宣することになっている。

私は高校時代に落としたことも落とされたこともなかったし、人がおとされたのも見たことがなかったテレビで五輪や善意本選手権を観ていてもそんな場面はない。絞めが入ればみんな参ったするし、参ったすれば技をかけた方は技を解く。練習中も参ったすれば技を解く。あたりまえのことだ。

鷹山はそこから練習の厳しさを延々と訴えた。練習がきつすぎると訴えた。苦しすぎると訴えた。だから辞めたんだと話し続けた。訴え続けた。

私はテーブルの上に右手を差し出した。鷹山はしばらく意味がわからないようだったが、気づいてそれを握った。

「いいよ、気にしなくて。柔道やってようがやってなかろうが友達だよ」

私が言うと、鷹山は「ごめん」とうつむいた。

受験の際に鷹山の手を見て退部したのを確信していたので、それに関してはなんとも思わなかった。

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