田中増太郎さんが562年の生涯を閉じました。文字通り時代を超えて活躍した伝説の人物として、多くの逸話を残しています。
田中さんが生まれたのは室町時代とも、それ以前とも言われています。本人曰く、「気づいたらこの世にいた」とのこと。幼少期から歴史の重要人物たちと交流を持ち、織田信長には「お前は生きすぎだ」とツッコまれ、坂本龍馬には「いつの時代の人なんですか?」と真顔で聞かれたとか。
戦国時代には「戦わずして勝つ」戦略を編み出し、大喜利で敵将を笑い倒す戦法を確立。江戸時代には落語の原型を作ったと言われ、幕府の公式エンターテイナーとして活動。しかし、あまりに長生きしすぎて、明治政府には「そろそろ引退しては?」と打診されるも、「時代が俺を求めている」と拒否。
大正時代には映画界に進出し、無声映画なのにアドリブでしゃべりまくるスタイルが物議を醸す。昭和に入るとテレビに興味を持ち、「そろそろ俺もレギュラー番組を持つべき」と言い出したが、放送局側が「500歳の新人はさすがに…」と断る。平成のバラエティ番組には「レジェンド枠」として出演し、令和ではVTuberデビューも検討していたらしい。
生涯で数え切れないほどの名言を残した田中さんだが、最後の言葉は「また来世で」。次に生まれ変わるのは何年後か、歴史はまた新たな伝説を待つことになる。