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まず断っておくが僕はタバコを吸わない。で、あるにもかかわらず、昨今の喫煙事情には同情すら感じてしまう。室内はもちろん屋外でも吸えるスペースは限られている。喫煙所に人が群がる光景は、窮屈そうでかわいそう。 著者はこのような状況を中世の魔女狩りに例える。そして禁煙ファシズムに真っ向から対立する。その論調は鬼気迫るものがある。もちろん、国立大学の教員である著者自身が100本以上のパイプを保有する愛煙家であるのは言うまでもない。 本書によると原因はWHO(世界保健機関)の極端な禁煙キャンペーンにあるという。タバコ規制条約の締約国である日本は方針に従わなければならない。その流れのなかで公共機関の禁煙化、tasupoの導入…が進んでいるらしい。対して、著者はタバコの有害性を問い直し、受動喫煙にいたっては「詭弁」と断じる。 著者が闘っているのは喫煙問題だけでなく、そこから見えてくる単一の価値観を押し付け
昨日から引き続き、ザミャーチンの『われら』関連の話。 『われら』では、「2×2=4」という式が人間から偶然を排除する事で自由を剥奪する管理主義の象徴として使用されていた。 既視感があったので、先程「2×2=4」やそれに似た式が登場する手持ちの文献を揃えてみた。 まずドストエフスキーの『地下室の手記』の主人公は、人間や倫理を自然科学に還元してしまう事を「2×2=4」に象徴させて反発していた。大体『われら』と同じ意味で使っているとみて良いだろう。 これがオーウェルの『1984年』では一転して、「2+2=4」と言える自由こそ全ての自由の基礎として賞賛されている。 同書の第3部第2章では、古の専制主義者の命令は“Thou shalt not(するな)”であり、全体主義者の命令は“Thou shalt(せよ)”であり、「我々」の命令は“Thou art(である)”であるという歴史観が、オブライエンに
事実とは知るものであり、真理とは信じるものですにゃ。 例えば、目の前にコップがあることを「信じる」とは言わにゃーよね。そして、信仰者は言うわけだ「目の前にあるコップよりも神の存在は確かなことなのだ」と。 科学とは「知」の体系であり、信念・信仰は「信」の体系ですにゃ。そして往々にしてニンゲンは「信」に殉ずるものですにゃ。 今回は「真理」の話であり、「信」の話ですにゃー。 すべてのものの90%は屑である スタージョンの法則 これこそ、僕が奉ずる絶対真理。 wikipedia:スタージョンの法則によると スタージョンの法則 (スタージョンのほうそく、英語:Sturgeon's law)とは、SF作家シオドア・スタージョンの言葉から導きだされた格言である。 1.「常に絶対的にそうであるものは、存在しない。」("Nothing is always absolutely so.") スタージョンはまた
別に関係の無い話として読んでもらってかまわないのですが、「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は××人である。だから○○はロクなもんじゃない」という論法への違和感について。 もちろん、虐殺という結果にいたった思想や体制はまったく擁護できないし、それは失敗であったと言わなければいけないと思います。しかしです。こうした議論の帰結は「だから○○思想を持ってるやつはロクなやつじゃない。反省せよ」になることが多くて、それにはとてつもなく違和感を覚えてしまうのです。え?それその思想を支持している人だけの問題なの?ということです。いやもちろん、その思想に対するつじつまを持ってない人はつける必要は無いわけですが、そうした思想が社会に浸透することを問題化するならば、誰もが責任が無い傍観者ではいられなくなるのです。つまり、ある思想のもとで多くの虐殺が起こっているならば、それは思想そのものに虐殺を引き起こしうる内
現場を脇においたような意見が多くてゲンナリする。今に始まったことでもないが。 生存がかかっているホームレスの対応ってライブラリアンにできるの? できません。ライブラリアンは医療や福祉の専門家ではありません。行政の担当セクションに連絡通報した段階で、するべきことは尽きています。もちろん個人的に勉強して何がしかの知識を持っているスタッフがいる可能性はありますが、組織として期待するのは無理です。ましてや、カウンターパートは派遣などのいわゆる非正規雇用のスタッフが多く、手が回らないでしょう。 ありうる対応策としては、専門家が図書館に常駐もしくは高い頻度で巡回することでホームレスの保護に当たる、というあたりが限度でしょうか。図書館は、情報の案内は出来ても、人生の案内は出来ません。シェルターにもなれません。 図書館の目的外利用って追い出されるの? 館内が非常に混雑していたとき、携帯ゲーム機で遊んでいた
そもそもそんなに結婚できない人が増えていることを「問題視」していたのだろうか私は。してなかったんじゃないか? してないしてないw だから「とてもつまらな」かったんだし、だからこそ「ブクマを多く集めた」んだwww 面白いblogに限って、その中の一番詰まらないものしかブクマを集めない。1+1=2みたいな話に大量のブクマが付く一方、微積分だとシーン。 底なしのバカと自意識過剰のキチガイが集結したのがはてなだからそれも当然。Trackbackもコメントも来ない安全圏からいっぱしの評論家気取りで言いたいことを言い散らかせる便利なサービス、それがブクマ。反論が来てディベートになることが少ないから安心して言いたいことが言え、その結果としてオンリーワン幻想を保持できる都合のいいサービス、それがブクマ。てめえのページに並んだコメント見ては書評集でも書いたかのような気分になっているんだろう。それでも言ってる
感情論というのは普通、否定的な意味で使われる。 ・憂鬱だ ・増田さんへ。私は久しぶりに激怒しました。 - iGirl - 中略 - ・増田さんへ。久しぶりにグレーターみのもんたが現れました - ls@usada’s Backyard こうした感情的なコミュニケーションは議論とはいわないし、いえない。それは基本的にお互いの感情をぶつけ合うだけのものだからだ。けれども、人は処世術として感情を理屈でデコレーションして、自分の感情の正当性や妥当性を同時に担保しようとする。これは多かれ少なかれ誰もがやっていることだろう。リンク先の事例では、ああ、あの人はああいうことに怒る人なのか、という以上に有意義な情報はない。理屈などはあくまでも飾りである。そして、これに反感を持った人はさらなる理屈をもって仮想敵の非道を証明しようとする。問題は、理屈を駆使する目的である。 「オレ、やっぱダメなのかな」「弱虫!バカ
毎日新聞が作っていた海外向けサイトが、抗議を受けて閉鎖したという。 http://www.asahi.com/national/update/0624/TKY200806240055.html あくまで一部署の作っていたサイトであり、たとえば性風俗の記述に関してはポータルサイトiza!で未成年アイドルの水着オーディションを行ったりホスト情報を話題にする産経新聞*1という例もあり、特別に批判するべきか疑問がある。批判も閉鎖も過剰反応ではないだろうか。 産経その他小ネタ0624。 - 黙然日記(廃墟) 例によって、毎日の反日姿勢がどーたら。この手のくだらない(けど笑える)記事はいずれにしろ世界中を駆けめぐるもので、ただ、みんなそれと承知した上で受け止めているだろうと思います。産経新聞のサイトにも、「世界仰天ニュース」というコーナーがあって、インドでこんなことがあったとか、インドであんなことがあ
>嫌煙派が妄信的という点は世間もるいネットも同じだけど、今でも一般的な嫌煙運動って、一応マジににタバコが癌の主原因だということを前提にしていると思う。<117284 どこの医学会でもデータ的に喫煙者が癌になりやすいということを述べている。 ところで、かつて、日本でいちばん喫煙率が高い沖縄は長寿県であると言ったとき、沖縄で肺癌が増えているという記事を持ち出した者があった。ところがこのような記事が「沖縄タイムズ」にあった。 >「まさか石綿とは」/元基地従業員遺族 当時たばこ原因と診断/被害さらに顕在化も 二〇〇一年に肺がんで亡くなった元米軍基地従業員の遺族が一日、アスベスト(石綿)関連の労災申請を決めた。死亡当時の診断は「たばこによる肺がん」だったが、石綿被害に詳しい医師は聞き取りやCT画像などを見た上で、石綿による労災の疑いが強いと判断。過去に誤診によって、労災対象にならなかったケースがほか
ここ数年、米国の宗教界でもっともめざましく支持を拡大している勢力は、無神論者の集団だ。進化科学者のリチャード・ドーキンスが書いた『神は妄想である』はじめ、クリストファー・ヒッチェンス『God Is Not Great (神は偉大ではない)』、サム・ハリス『The End of Faith (信仰の終焉)』といった書籍が続々とベストセラーになるとともに、無神論を掲げるグループが全国で結成され、若い人を中心に多くの支持者を集めている。 本論で「無神論」と訳されている言葉は atheism だが、この語の本来の定義は「神が存在しないと信じる」ことではなく「神が存在するという信仰を持たない」ことであることを考えれば、「無神論」ではなく「無宗教」と訳した方がより正確かもしれない。そこをあえて「無神論」と表記するのは、ただ信仰がなく宗教に無関心といったニュアンスのある「無宗教」という言葉では、新しい無
反自由党 | 全国津々浦々の皆さん、反自由党は、本当のことだけを言います。なぜ「本当のことを言ってはいけない」のか(id:biscuit855さん) (前略) この劇を見たとき、ご多分にもれず僕は「つまらない」と思い、大あくびをかき、寝ぼけ眼でその劇を見つめていた。暗い照明と相まって、非常に寝たい気分だった。 やっと劇が終わり、照明が明るくなると、今度はプリントをもらって、感想を書かなくてはならなかった。その頃はやんちゃ盛りであったので、何か他とは違う文を書きたいと思った。教訓めいたことを書こうとしている真面目な子を尻目に、僕はわざと素直に「この劇から学んだことは何もありませんでした。面白くないです」みたいなことを書いた。 そうして一週間ぐらいたったホームルームの時間に、その感想を書いた紙を赤ペン付きで返された。正直説教めいたことが書いてあるんだろうと、ちょっと覚悟はしていた。しかし、よ
別に「くだらない」に限ったことではない。 同じように「無知」や「文章が下手」や「アルファブロガー」といった、あらゆる自己卑下の形式に当てはまることではあるのだが、この手の人間の手口というのはいつでも見え透いている。 つまりこの手合いは、実のところ、自分は本当は馬鹿でも無知でもないと思っているのである。 いや、自分は頭が悪いですから、自分はくだらない人間ですから。 そう平然と言う人物の口には薄く笑みが浮かんでいるのを、あなたは目撃したことがないだろうか? 自分を「無知」であり「馬鹿」であり「アルファブロガー」であると、「謙虚に」認めて見せるまさにその瞬間、その自意識は密かに無傷のまま保たれる。 自分が真にくだらなく、愚かで、無知な人間であるという、その矮小なプライドにとってもっとも受け入れがたい、かつ動かせない事実。 自己卑下をパフォーマンスして見せることにより、そういった受け入れがたい事実
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
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