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「迷彩服を区民に見せるな」「水や電気を使わせるな」 自衛隊の防災演習、東京の11の区が庁舎立ち入り拒否 1 名前:そーきそばΦ ★:2012/07/23(月) 02:18:49.65 ID:???0 16日夜から17日午前にかけて行われた陸上自衛隊第1師団(東京都練馬区)の連絡要員の自衛隊員が23区に徒歩で出向き、被害状況や出動要請の有無などを確認する統合防災演習で、自衛隊側が23区に「隊員を区役所庁舎内に立ち入らせてほしい」と要請していたにもかかわらず、11区が拒否していたことが22日までの産経新聞の調べで分かった。区職員の立ち会いも要請していたが、7区の防災担当者は立ち会わなかった。要請を拒否した区には「区民に迷彩服を見せたくなかった」と明かした担当者もいた。(三枝玄太郎) 隊員の立ち入りを認めなかったのは、千代田▽中央▽港▽新宿▽目黒▽世田谷▽渋谷▽中野▽杉並 ▽豊島▽北の11区。大
「自衛隊との連携は概ね大成功であり、今後発動されるであろうアジア太平洋地域における人道支援・災害救助(HA/DR活動)における日米共同作戦が順調に実施できることを確信している(注:HA=Humanitarian Assistance、DR=Disaster Relief)。 自衛隊は大活躍したと思う。とりわけ、震災津波被災地への10万名の緊急動員に対処した折木統幕長のリーダーシップは極めて優れていた。 また原発事故対処でも、聞くところによると初期対応に逡巡していた政府を説得して果敢にヘリコプターを出動させた決断は見事で、彼こそナショナルヒーローとして高く評価されたのだろう?」 東日本大震災救援のために自衛隊と実施した共同作戦であるトモダチ作戦に指揮下の第31海兵遠征隊をはじめとする諸部隊を投入したアメリカ海兵隊太平洋海兵隊司令官ティーセン(Thiessen)中将は、このようにトモダチ作戦を
東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内にある自治体庁舎の除染作業に陸上自衛隊を派遣する政府方針が、防衛省内で波紋を呼んでいる。野田佳彦首相には来年1月から始まる民間業者の作業に先んじて国の機関が取り組む姿勢を示す狙いがあるようだが、本来は国防を担う自衛隊を政治の「道具」「便利屋」扱いする姿勢が透けてみえるからだ。(峯匡孝) ◇ 政府は、1月から政府直轄の除染事業にあたる民間企業の作業拠点となる自治体庁舎の除染が必要で、専用資機材と専門的知見を有する陸自部隊の派遣が適切と判断した−としている。 庁舎の除染は環境省が要請する福島県の浪江、富岡、楢葉3町が検討され、側溝にたまった汚泥の除去や放射性物質を洗い流すなどの活動が見込まれる。放射線に対応する陸自化学防護隊など300人程度の派遣が想定され、12月中の2〜3週間程度の短期間で活動を完了する予定だ。 「これは自衛隊でなくても、民間業
東日本大震災では10万人もの自衛官が派遣された。救った人名は2万人にも上る。だが、彼らの奮闘はこうした数字だけでは推し量れないものも数多く存在する。そこでSAPIOは多くの自衛官にインタビューし、その埋もれたエピソードを発掘した。今回は宮城県石巻市立大川小学校で行方不明者の捜索に携わった自衛官たちに話を聞いた。 * * * 石巻を襲った津波による最大の悲劇の一つが大川小学校の壊滅だった。石巻市立大川小学校は、児童108人のうち74人が死亡または行方不明となった。学校周辺や校舎内では、自衛隊による必死の不明者捜索が行なわれ、瓦礫や汚泥が取り除かれた。そして震災から約1か月後。 「すいません!」 4月6日、大川小学校近くの追波川河川運動公園に設けられた宿営地内を歩いていた第14戦車中隊(岡山)の石井宣広3曹は、突如、背後から声を掛けられた。 その可愛らしい声の主は、ワンピースを着た小
◇「250」引き上げ3日後 安全確保、防衛相が阻止 自衛隊が東京電力福島第1原発の上空からヘリで放水した3月17日、東京・市ケ谷の防衛省に首相官邸から一通の文書が届く。タイトルは<線量限度の引き上げについて>。政府はその3日前、緊急作業時の被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げたばかりだった。それをさらに国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に合わせて倍の500ミリシーベルトにする--。 第1原発は爆発が続き、高線量の中での作業が必要だった。作業員の安全を守る立場の厚生労働省にすれば250ミリシーベルトが「ぎりぎりのライン」。しかし、細野豪志首相補佐官(当時、現原発事故担当相)から「250では仕事にならない。役所をまとめてほしい」と要請を受けた長島昭久前防衛政務官は関係省庁にその意向を事前に口頭で伝えていた。 15日には第1原発から約50人を除いて「撤退」
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