
2008年6月19日
全中国ドラムクリニックツアーその4、西南地方貴州省「興義」
かくして貴陽でのクリニックは盛況に終わり、
車に乗り込み、次の目的地、「興義」まで向かう。
「興義」なんて名前も聞いたことないが、
貴州省自体が山の中なので当然山の中である。
山道を延々揺られること5時間、
夜中に着いて、まずはお決まりの地ビール。
ちなみにつまみは蛙の炒め物なのだが、
別にその辺には今回は触れないでおこう。
万峰と言うのはこの辺の有名な名所で、
その名の通り万を超す山々が連なる絶景である。
大自然とは何と偉大なものかと思ってしまうが、
その中でちっぽけな人間が、
そのちっぽけな人生の中で、
この大自然の恵みとも言うべきビールを飲むわけである。
アホである。
ところでここ興義の万峰ビールには生ビールがある。
これがまた旨い!
注文をすると工場からそのままこの容器に入れて配達してくれる。
まさに「搾りたて」である。
そしてこだわりとも言うべき、
このビールは1日たつと業者が返品に来るのである。
1日たてば味が変わるので初日の味しか飲ませないと言うものである。
これが旨くないわけがなかろう!!
さて飲んでばかりもいられない。
ワシはここにドラムを叩きに来たのじゃ。
と言うわけで会場に着くと、そこは大学の大講堂。
どうでもええけどキャパでかすぎとちゃうん!!
椅子席でゆうに1200人は埋まり、
更には窓から立ち見で100人以上の人間が見ている。
これはもう既にドラムクリニックと言うよりはコンサートやで・・・
そしてお決まりのドラムの生徒の発表会に続いて、バンド演奏。
これはもう生徒と言うよりは、地元で活動するアマチュアロックバンドなのであるが、
ちょっとわかりにくいけど、観客の最前列下手、
ちょうどベースのネックに隠れている数人の小学生は、
なんとこの演奏に合わせて頭を振っているのである。
恐るべし中国!!(の田舎)
子供の頃からロックを聞き、
音楽教室でロックを習い、
そして大きくなったらこう言うのだろう。
「ロック?・・・子供の頃にやりつくしたなあ・・・」
恐ろしや恐ろしや・・・
さて大トリでワシの演奏なのじゃが、
地元のロックファンとか
先ほど演奏したバンドの連中とかが最前列で頭を振る。
こちらの頭の振り方っつうのは、
数人が並んで肩を組んで一斉に頭を振るのじゃが、
何せドラムクリニックのための曲なので変拍子が多く、これがうまく頭が振れない。
冒頭の7拍子で挫折してしばらく坐って様子を見、
次の5拍子でまた立ち上がるがまた挫折し、
こんなことだったらもっと頭振りやすい曲にすればよかったとちと後悔。
次にはXYZの曲も演奏に取り入れようと決意するのであった。
そしてお決まりのサイン会。
前日は数百人で1時間以上サインをしてたが、
今回は1000人を超えている。
子供たちだけではない、
きっとこの大学の学生なのだろうが、女学生にはつい顔もゆるむが、
子供の母親とかにはつい
「おばはんはサインせんでもええんちゃうの・・・」
と思ってしまったが、
よくよく考えてみると小学生の子供がいるおばはんは少なくともワシと同年代か、
もしくはワシより年下である。
反省、反省・・・
そして写真撮影・・・
どうでもええけど、垂れ幕・・・でかすぎ・・・
これって終わった後どうするんやろう・・・
持って帰ればよかったと少し後悔。
さてちょっと慌ただしかった今回の貴州省ツアー、
帰りは車ではなく貴陽まで飛行機であった。
(飛行距離30分)
それはここまで田舎だと列車とかの治安がよくないからだと言う理由だが、
来月に予定されている靖江と徐州のツアー、
何とワシはこの前後に日本で二井原実ソロライブのリハーサルが入っている。
つまりどこにあるかもわからないその土地に、
ワシは日本から自力で入らなければならないのじゃ。
数年前、河北省まで友人と車でスキーに行った時、
仕事が入ったので「ほなひとりで帰るわ」と言うと、
「どうやって帰る気やねん!命いらんのか!」
と言われた。
列車はまだいい。
そんなド田舎で外国人がひとりで長距離タクシーなんか乗ろうものなら、
どっか人気のないところに連れて行かれてよくてホールドアップ、
悪くて殺されでもしたらどうすると言うのである。
中国は広い。
人気の全然ない山奥で人が死んでても発見されることはない。
また、発見されたとしてもその犯人がこの広い中国のどこに逃亡しているのか、
捕まるわけがない・・・
聞けばこの靖江、
飛行場どころか列車もない街らしい。
もちろん地球の歩き方にも地図どころか名前すらも載っていない。
果たして日本からひとりで無事にたどり着けるのか・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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2008年6月17日
全中国ドラムクリニックツアーその3、西南地方貴州省「貴陽」
貴陽には先月布衣のツアーで行ったばかりである。
(その模様はこちら)
第一回目の遼寧省沈陽、吉林省吉林には北京から列車で行ったが、
さすがに1800km離れた貴州省までは飛行機に乗せてもらえた。
それでも北京から3時間。
日本に帰れるやないの!!!
空港に着いたら子供たちが迎えてくれた。
聞けばこの子たちもドラムの生徒だと言う。
ふたり仲良く手をつないでいるので姉弟かと思ったらそうではなく、
「仲良し」だと言う。
しょっぱなからちょっと甘酸っぱいスタートだった。
貴陽のパール倶楽部は市内のマンションの中にあり、
そこでは複雑なプログレッシブメタルに合わせてツーバスを踏む少女がいた。
聞けばこのパール倶楽部の娘さんと言うことだが、
何でメタルなの?
何でツーバスなの?
そしてこのパール倶楽部でのベース教室。
幼稚園ぐらいの女の子が弾いているベースは何とこれ!!
これを売りつけた張本人がこの男、
パール楽器の中国代理店、
そしてアメリカのDEANの中国の代理店でもある中音のドラム部門責任者、
沙泳江(ShaYongJiang)先生である。(画面右)
この男、イスラム教でありながら浴びるほど酒を飲む。
そして今回気づいたが、
中国の習慣なのか、それに付き合うべく酒のめっぽう強い飲み要員が各地各地にいる。
画面左がそれである。
さんざん酔っ払ってその日は爆睡し、翌日の昼間がクリニックである。
会場は巨大なキャバレーのような店を営業時間前に使わせてもらい、
ネオンにはワシの名前まで打ち込んでくれている。
これがまた客が入るのよ・・・
座席でざっと2、3百人、それが見事に満席になっていた。
まずは生徒たちの歌とドラム。
そしてソロ演奏となってゆくわけだが、
ここで気がついた。
なぜ子供たちがみんなツーバスを踏み、メタルを叩くのか。
課題曲がメタルなのである!
ワシはワンバスから始めてツーバスになったので、
ワンバスの時の足癖でツーバスは左足から踏む。
ところが日本でもいきなりツーバスから始めたドラマーは右足から踏む。
この子たちはと言えば当然ながら右足から踏む。
初めてドラムを叩くのがツーバスで(ツインペダルだが)、
しかも課題曲がメタル。
ベースなど楽器も全てメタルである。
この子たちが大きくなった時、「ロック」と言うものをどう感じるのだろう。
「ロック?・・・そう言えば小さい頃やってたわねぇ・・・」
ロック後進国であるはずの中国だが、
実は末恐ろしいロック大国なのかも知れない。
ファンキー末吉のひとりドラムツアー軌跡(こちら)
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2008年6月 3日
全中国ドラムクリニックツアーその2、東北地方吉林省「吉林」
吉林省には一度行ったことがある。
90年の大晦日だったか、友人達と北京から列車に揺られて、
確か27時間かけて着いた街はマイナス25度の北朝鮮との国境の街だった。
看板はハングルが多く、
韓国とかではとっくになくなってしまった朝鮮族独自の文化が、
そのままで残っているようなそんな街だった。
だからワシは吉林に降り立った時、
真っ先にハングル文字を探したのだが見当たらない。
よくよく考えてみたら、
ワシがあの時行った街は吉林ではなく延吉朝鮮族自治区であった。
いやーでも楽しかったなぁ・・・
朝鮮族と朝鮮料理食って毎晩飲んで、
あげくの果てには凍った豆満江を徒歩で渡って北朝鮮領土と思われるところで記念撮影した。
朝鮮族クラブで酔っ払ってドラム叩いて、
ホテル帰ったら新年で、
東京の家にお袋が来てるから電話かけたらKちゃん
(参照:Kちゃんの物語その1、その2)
が電話に出たなぁ・・・
今考えてみたら恐ろしや恐ろしや・・・
さて吉林はそんな思い出深い延吉ではなかった。
吉林省の省都、松花江が流れる水の街。
朝鮮族自治区でもなく、ハングル文字の看板も少ない。
でも気持ちがそうなってしまってたので朝鮮料理をリクエストした。
お決まりの朝鮮冷麺
北朝鮮式は酸っぱく、韓国式は甘辛いと言うが、
これはどちらかと言うと韓国式である。
そして朝鮮料理と言えば犬肉を忘れてはならない。
北京でも有名なここのご当地ビール、雪花と一緒に御馳走になる。
犬好きの人、ごめんね。
まあお味はこれと言ったものでもないのじゃが・・・
さてこの日は翌日と同じ会場で
SABIAN主催のドラマーズチャンピオンシップが開催されていた。
ワシはSABIANの中国地区モニターでもある。
パールは日本地区のモニターでちょっと関係はややこしいが、
今回のツアーはSABIANのシンバルのプロモーションでもある。
翌日はこのコンテストの審査発表があって、
ワシの手から優勝者に賞状を手渡すと共に、
そのままクリニックが始まると言うよく出来た筋書きである。
コンテストが終わったらドラムをセッティングする。
中国はでかい。
ひとつのドラムセットを移動するには限界があるので、
ふたつのドラムセットをそれぞれの現地に送っておく。
右隅に小さく写っている黒い服の少年が実はこのドラムセットを買いとった。
彼にとっては一生の宝物になるであろう。
敬意をこめて最高の音にチューニングさせて頂いた。
そしてその前に写っている白い服の少年は、
去年のこのコンテスト少年の部のグランプリである。
ここのレベルは前回の遼陽のレベルより数段高い。
ついでに彼にはマンツーマンでレッスンを施した。
夏休みにはビザが取れたらファンキースタジオに来ると言う。
歓迎歓迎!
さて、左下に写っている機材が、
今回のために八王子のHardOffで買った中古品のHDレコーダーである。
以前まではProtoolsシステムを持ち歩いていたが、
インターフェイスも含めるとこれがなかなか持ち歩くには重い。
菅沼孝三にはMDを勧められた。
「コンピュータはフリーズする、
CDは針飛びする、
一番安全なんがMDやで!」
と言うことでワシも今回はMDのLchにクリック、
Rchに音源と言うデータも用意した。
バックアップにそれをCDでも用意している。
でもそのシステムは簡単だし安全だが、
出力がどうしてもモノラルになってしまう。
データをMixdownしながら
「モノラルではやっぱもったいないなぁ・・・」
と思うことしきり。
中国ではもうネットで曲もビデオもダウンロード出来る。
せっかくここまで作ったんだから、
やり手のマニアックなこだわりではあってもせめてステレオで出力したい。
と言うわけで購入したものである。
この曲もそうだが、
今回もパール倶楽部に置いてゆく今回クリニックで使う伴奏だが、
この少年たちは目を輝かせて、
大真面目にワシの手数を完全コピーするであろう。
・・・叩いた本人でさえ同じことはコピーしても叩けないのに・・・
光栄でもあるが、
ここ中国も北朝鮮と似ているところがあって少し恐ろしい。
この一連のツアーで彼のように天才少年と出会ったら、
このワシが責任持って正しくロックの道に導いてやりたいと思う。
さて本番も終わり、子供たちにサイン攻めにあう。
このオッサン達は一体何枚ワシのポスターを印刷したと言うのだ!
次から次からポスターを持ってサインをねだる子供たちを見ながら思った。
「この子供たちが大きくなったら、
このポスターを、サインをみてどう思うのか?
私は、僕は、あのFunky末吉を生で見たんだよ」
と思うのか、もしくは
「あったなぁ・・・そんなこと・・・
誰やっけ・・・」
と思うのか。
もう50も手に届くワシの人生はそんなに長くない。
この子たちがいっぱしのロッカーに育っている頃に、
まだこうしてロックドラムを叩けていたとしたら、
それだけで十分幸せなのではないか・・・
そんなことを考えながら子供たちにサインをした。
そしてそんなポスターを山ほど刷ったオッサン達がこれである。
ここのパール倶楽部の人間もいれば、
吉林省打楽器協会のお偉いさんもいる。
その全てに共通しているのが、
「こいつらどれだけ飲むんや!!」
と言うことである。
いやー飲む飲む。
翌日は例によって夜汽車、
しかし昼飯は超素晴らしい所に連れて行ってくれると言う。
それがここ。
吉林の街を流れる松花江の上流、
日本軍が作ったダムで出来たと言う松花湖。
これが非常にきれいな水である。
吉林のビールも酒もこの水を使って出来ているから美味しいのだと言う。
その畔にもともと民家で友達を招待するために食事を出すと言うレストランがあると言う。
そこで午後2時から食事が始まった。
特にこの大魚は何するもんぞ!
隣のこのこれだけ奇麗な湖で獲れた魚をそのまま料理する。
そのとてつもなく奇麗な水で作ったビールを飲む。
旨くないことがありえようはずはない!!
ワシはもともと2時から昼飯だったら夜9時40分の列車までどうすんのと思っていた。
心配ご無用!
ワシらは結局出発直前まで飲み、そして食っていたのであった。
吉林よいとこもいちどおいで。
この民家は秋には葡萄が生り、
それをちぎりながらハンモックで寝っ転がる。
今度は嫁子供を連れてそんな旅をしに来い、と。
アホなオッサン友達はそれを連呼するのであった。
全中国ドラムクリニックツアーはまだ続く!
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
Posted by ファンキー末吉 at:22:16 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアーその1、東北地方遼寧省「沈陽」
遼寧省と言うところがある。
大連と言う街が比較的有名だが、省都は沈陽。
記念すべき全中国ドラムクリニックツアーはその沈陽の隣町、遼陽と言う街で行われた。
北京から夜汽車に揺られ、10時間かけて降り立った遼陽と言う街は美しかった。
東北地方には何度か足を踏み入れたことがあるが、
いつも思うのは「日本人が郷愁を感じる街」だと言うことである。
郷愁を感じたからここに満州国を作ったのか、
満州国を作ったから郷愁を感じるのか、
その答えは今も出ないままである。
申し遅れた。
この旅には重要なパートナーがいる。
世界のブランドであるパールドラムの中国総代理店、
セントラルミュージック(中音)のドラム部門責任者、
沙泳江(Sha YongJiang)先生である。
腕の入れ墨はダテではない。
その模様が示す通り(と言うが実はよくわかっていない)、
生まれきってのイスラム族(回族)。
豚肉は食わないが酒は飲むわ煙草は吸うわ。
アラーの神の天罰が落ちようとも
酒と煙草とロックなしでは生きていけないと言う神をも恐れぬオッサンである。
この写真は見事に二日酔いのショットだが、
どうせ毎日二日酔いなのでいつもこんな感じである。
・・・こんなんと二人で旅してまんねん・・・
昼ご飯は東北料理。
東北料理は餃子、きくらげ炒め等北京でもポピュラーであるが、
ここにもありました!ご当地ビール!!
その名も遼陽ビール!!
これときくらげ炒めの組み合わせはまた絶妙!
・・・と言いたいところだが、
飲んだらドラム叩けないので昼間は我慢。
ドラムを叩く
子供に教える
(何か北朝鮮と言い、こんなことばっかやっとるなぁ・・・)
そして飲む!!
全国に50以上あると言うパール倶楽部と言う組織。
そこを中心にこのオッサンは全中国にパールドラムを売っていく。
ではその50のパール倶楽部の中から、
どうやって今回廻る18の倶楽部を選んだか。
その理由はここに着いてすぐわかった。
ここの人もとにかく飲むのである。
べろんべろんになってワシらを沈陽まで送ってゆく。
半日しか滞在しなかったが思い出深い一日だった。
こうやってパール倶楽部とワシらは固い絆で結ばれてゆくのである。
全中国ドラムクリニックツアーは続く・・・
ファンキー末吉ひとりドラムの軌跡(こちら)