はてなキーワード: 能登とは
自分ではなんか違うとは思うんだけど、どうも何が違うのか分かんなくておんなじじゃないかとも思って整理ができないでいる。
能登や、或いは三陸海岸に住んでいる人たちが「俺たちの先祖は昔からここに住んでいるんだ」「ここに住む以外にないんだ」「仲間もここにいる」「漁場も知り尽くしているのに他のところになんていけない」みたいなことを言うとしたら、それは腹に落ちる。
一方カリフォルニアのセレブ達が「ここに住むことで様々な関係性が維持できる」「ここに住んでいるというブランドイメージが自分の職業として評価に直結するんだ」「セレブばかりのこの土地に住む方がセキュリティや教育面で安心できる」みたいなのを、ちょっとわがままに感じてしまう。
なんとなーく、カリフォルニアの人たちは「火災がひどくなるってわかってたじゃん自己責任じゃん」みたいな感覚を、日本の(?)災害に遭った人たちとは違った感じに思っちゃうのね。
この2つって、全く同じかな違うのかな。
いや勿論2つを比較するとき、同じ要素を並べることもできるし違うことを並べることもできるのでどういう評価軸で比較するかなんだけど、その評価軸がどこにあると自分の中の何かがクリアになるのかな。
いや、もう人権ないじゃん…😟
能登半島地震の半壊の家に住んでる、行政に対応してもらえない老人とか家族も人権ないようなもんじゃん
番組でも、地震の被災者が健康で文化的な生活できてない、水道も復旧してないから冬でも川で洗濯を強いられてたり、
復旧しても台所までは水が出ないから、庭の水道のホースで冬でも食器洗ったり洗濯したり、現在進行でそんな感じだし、
現地の人たちも、ボランティアも、政府というか社会から忘れ去られてるし、見捨てられてるよねー、って言い合ってるし、
氷河期世代も見捨てられて、南海トラフになったらなったで、それもまた能登みたいに見捨てられるんだと思うよ
アメリカになんだかんだ追従するのが日本だから、多様性を否定するようにこれからどんどんなっていく、
Google自身が、多様性を受け入れたら金にならないどころか損するばかりだけど、今まで我慢してたんだよw
みたいに言いだしてるし、そのうちプログラミングとか能力があっても、マイノリティを排除する日本企業みたいになってくと思うよ
そのうち、他人の人権を羨んだりしているだけのバカたちも、人権を失うようになってくんだろう
失って初めて、それが存在したことの有難みを実感するんだろうね
あー、やだやだ…😟
両事件とも刑事事件になってないし、両者とも刑事被告人ではないね。
両者とも「トラブル」は認めているけど、性加害は認めてない。
以上を事実として、にも関わらず私達一般世論はなぜ両者を性犯罪者とみなすのか?
私達は松本、中居が性犯罪者であるという「虚構」を認めているんだ。
虚構とはなにかといえば、答えは「なんでも」だ。
私達は日本国に住んでる日本人だが、それを裏付ける物的証拠なんて存在しない。
言ってみれば、この島国に住む人間達がそういう妄想を抱いているだけだが、それを否定することなんてできない。
国家に限らず、政治、法律、宗教、通貨等、この世はほとんどが虚構で成立している。
今回は文春が謳った「松本中居は飲み会を称して被害者を騙して誘い込み被害者をレイプした」という話が認められて
その虚構が成立したわけだけど、
本来この類の事件では、その物語が成立するか否かを事実関係と丹念に照合して調べる必要があるよね。
それが法廷の役割なんだけど、松本中井両者ともその権利を放棄した。
なので事実関係でどうこうする手段はおそらくなく、貴方達はすでに成立した虚構を相手にしなければならないんだ。
ルールとして、虚構は物語によって成立し、物語は物語でしか否定できない、というのがある。
いくら松本中居が性加害を認めてない、両事件とも刑事事件化してない、と言い立てたって、
それは単なる事実でしかなく、それだけでは松本中居が性犯罪者ではない、という物語が成立しない。
「うん、そうだね、それが?」となる。今まで散々やってきてわかってるよね。
すでに成立した虚構を否定するには、新たな虚構を作り上げる必要がある。
例えば能登震災から1年経って復興がほぼほぼ終わってると、いう虚構に対して
「政府が無能で復興が全く進んでない!」とするれいわ信者のように。
例えばワクチンによってコロナ禍を乗り越えた、という虚構に対して
「ワクチンは有害であり、コロナなどそもそも茶番だ!」とする反ワクのように。
つまり貴方達がこれから戦わなくてはいけないのはこういう世界なんだね。
せいぜい頑張って。