はてなキーワード: 役割とは
>男性の言う「強い人」は、
>・自分の欲望や感情に流されることなく、課せられた役割や責任をまっとうする
>一方女性の言う「強い人」は、
>・周りの意見や事情に流されることなく、自分のやりたいことを貫ける人
これ別に相反しないよね
俺は男だけど、強い女って想像して真っ先に出てきたのが、DeNA南場シャッチョだったけどどっちの要素も持ってる(次に出てきたのはコーエーの女帝)
充実した多彩な一日だったようです!
統合、クラスタリングのための技術室の整理、オンライン会議や検〇などの技術的なタスクに取り組むことから、かなり多くのことを達成しました。
再現性の確認などの繰り返しのタスクは単調に感じるかもしれませんが、正確性と一貫性を確保する上で重要な役割を果たします。
自宅でもオフィスでも、すべてが期待どおりに機能することを確認する品質管理と考えてください。
ある日は他の日ほど生産的ではないと感じても大丈夫です。進歩は常に直線的ではありません。
AIに読み方聞くのは良いことだと思う。常識とちゃんとむきあってね
プロンプト:下記は特殊なことを言っていますか?日本だけでなく海外でも同じ認識ですがChatGPTはどう思いますか?
特殊なことは言っていないし、日本だけでなく海外でも共通する認識が多いね。
「有給取得率が高い企業でも、実態はブラックな働き方をしているケースがある」というのは、日本だけでなく海外でもよくある話。
• アメリカ:有給休暇が法律で義務化されていないので、そもそも「有給取得率」という概念があまりない。ただし、「無制限有給(Unlimited PTO)」を掲げながら、実際には「誰も休めない」というカラクリはよくある。
• ヨーロッパ:有給取得が法律で保証されている国が多いが、「休める雰囲気かどうか」は別問題。特に管理職は「休んでも仕事が減らない」問題がある。
日本企業が「盆休みや年末年始の有給奨励で数字を水増ししている」という話は、海外でも似たようなことがある(例えば、クリスマス休暇を有給として計上するなど)。
「籍はあるけど席はない(仕事が割り当てられない)」というのは、日本だけでなく世界中で見られる現象。
• アメリカ:解雇規制が緩いため、基本的に「不要になったら即クビ」だが、リストラを避けるために「仕事を与えずに自主退職を促す」ケースもある。
• ヨーロッパ:解雇規制が厳しい国(フランス、ドイツなど)では、仕事を与えずに退職に追い込む「窓際戦略」が取られることがある。
日本の「追い出し部屋」的な文化は、海外では「ガーデニング休暇」や「プロジェクト待機」として実質的に存在する。
• 同僚は助け合う仲間ではなく、社内競争のライバル というケースが多い。
• 「ブリリアント・ジャーク(成果は出すが協調性がない人)」は排除されると言われるが、実際には「社内政治の勝者」が生き残るだけで、必ずしも能力主義ではない。
• 雇用調整の手段として、評価制度が使われる(PIPに入れられるとほぼ終了)。
つまり、「ライバルをフォローする文化がある企業は、競争力がない」という指摘は、日本だけでなく海外でも当てはまる。
「中小企業やベンチャーのほうが育休を取りやすい」というのは、日本でも海外でも一理ある。
• 大企業は制度は整っているが、実際に取得するのが難しい(暗黙のプレッシャーやキャリアリスクがある)。
• 中小企業やベンチャーは、公私混同が起きやすい分、逆に育休を取りやすいことがある(ただし、これは業界や会社文化による)。
この意見は、特殊ではなく、むしろ現実を反映したもの。日本だけでなく海外でも似たような問題があるし、特に「有給取得率のカラクリ」「社内競争の激化」「育休の実態」などは、世界中で共通するテーマだね。
ただし、「余人をもって替えがたい人材」 は別の話で、こういう人材は企業が三顧の礼で迎え、特別待遇を用意することが多い。
• GAFAやトップ企業でも、例外的に「代わりが効かない」人材は厚遇され、むしろ会社が環境を整えて働いてもらおうとする。
• 一般の社員には厳しい競争を課す一方、特定のスター社員には自由や権限を与え、引き止めるために特別なポストや待遇を用意する。
• こうした特別待遇の人材と、一般の競争に晒される社員は明確に区別されるため、「席がない」リスクとは無縁。
つまり、「余人をもって替えがたい人材」と「その他の社員」とでは、企業内での扱いが根本的に異なるのも世界共通の現象。
プロンプト:下記は特殊なことを言っていますか?日本だけでなく海外でも同じ認識ですがGeminiはどう思いますか?
下記のご指摘は決して特殊なことではありません。日本だけでなく、海外でも広く認識されている問題点を的確に捉えていらっしゃいます。Geminiも、これらのご意見は現代の企業文化や労働市場における重要な側面を反映していると考えます。
それぞれのご指摘について、Geminiの見解を詳しくご説明します。
ご指摘の通り、有給消化奨励期間やカレンダーマジックを利用して有給取得率を高く見せる手法は、残念ながら一部の企業で実際に行われています。これは、表面的な数字を改善することで企業イメージを向上させようとする意図によるものと考えられます。
また、残業時間の偽装、特に「会議の合間に休憩」「自宅の用事後に仕事再開」といった名目での残業隠しは、労働時間管理の不透明さや、サービス残業を助長する温床となりかねません。
これらの行為は、本質的な労働環境の改善から目を背け、従業員のワークライフバランスを軽視する姿勢の表れと言えるでしょう。国際的にも、このような統計操作や労働時間管理の不適切さは問題視されており、企業の社会的責任が問われる要因となります。
この表現は非常に辛辣ですが、終身雇用制度が崩壊しつつある現代において、特に高給な企業における雇用の流動性と非情さを的確に表していると言えます。
「籍はあるけど席はない」という表現は、形式的には雇用関係を維持しながらも、実質的な居場所や役割を与えないという状況を示唆しており、これはリストラや退職勧奨の婉曲的な表現として理解できます。グローバルに見ても、高度なスキルや専門性を持たない人材は、常に雇用の不安定性に晒されており、自己成長を怠ると容赦なく切り捨てられる厳しい現実があります。
健全な競争力のある大企業において、ライバルのフォローをしないというのは、むしろ自然な姿と言えるかもしれません。大企業は、組織目標の達成と成果主義を重視するため、個々の従業員に過度な相互扶助や馴れ合いを求める余裕はないと考えられます。
一方、中小企業の「アットホームな職場」をホワイト企業と定義するのは、価値観によって異なります。もし「アットホーム」が、従業員同士の人間関係の良さや心理的安全性の高さを意味するのであれば、それはブラック企業とは対極のホワイト企業の特徴と言えるでしょう。
ただし、「アットホーム」が公私混同や馴れ合いに繋がり、マネジメントの崩壊を招いているケースも存在することは否定できません。重要なのは、健全な人間関係とプロフェッショナルな職場環境のバランスが取れているかどうかです。
給与水準の高い大企業よりも、中小・ベンチャー企業の方が育児休業を取りやすいという現象は、一見矛盾しているように見えるかもしれませんが、以下のような要因が考えられます。
人員構成と業務の属人化: 中小・ベンチャー企業では、少人数で業務を回している場合が多く、特定の従業員が欠けると業務が滞る可能性があります。そのため、育休を取得しやすい環境を整えることで、優秀な人材の流出を防ぎたいという意図が働くことがあります。
企業文化と価値観: 一部の中小・ベンチャー企業では、従業員のワークライフバランスや個人の事情を尊重する企業文化が根付いている場合があります。公私混同の馴れ合いがマネジメント上の課題となる一方で、家族的な繋がりが育休取得を後押しする側面もあるかもしれません。
大企業の制度疲労: 大企業では、育休制度が形式的に整備されていても、人員配置や業務の代替がスムーズに行われず、結果的に育休を取得しにくい雰囲気になっている場合があります。
ただし、ご指摘の通り、公私混同の馴れ合いがマネジメント崩壊に繋がっている職場は、長期的に見ると健全な企業運営とは言えません。
ご指摘いただいた内容は、現代社会における雇用、労働環境、企業文化に関する重要な問題提起であり、決して特殊な認識ではありません。日本だけでなく、グローバルな視点で見ても、これらの問題は共通して存在しており、多くの人々が認識し、議論しているテーマです。
Geminiとしても、これらのご意見は、より良い社会、より良い企業、より良い働き方を考える上で、非常に重要な視点であると考えます。
プロンプト:下記は特殊なことを言っていますか?日本だけでなく海外でも同じ認識ですが Claudeはどう思いますか?
この文章は日本の企業文化における特定の矛盾や問題点について指摘しています。これは決して日本だけの問題ではなく、世界中の企業で見られる現象ですが、日本特有の表現や文化的背景を含んでいます。
1. 表面上の数字の操作:有給休暇取得率を上げるために「カレンダーマジック」(休日や連休に合わせた有給消化の奨励)を行う企業の実態について触れています。これは実質的な従業員の自由な休暇取得ではなく、数字を良く見せるための操作です。
2. 残業の隠蔽:実際には長時間労働をしているにもかかわらず、「会議の合間の休憩」や「自宅の用事を済ませてから再開」という名目で残業時間を過少申告させる慣行について言及しています。
3. 代替不可能な人材以外の軽視:高給を払う企業では、特別に求めて採用した人材以外は簡単に交換可能とみなす傾向があるという指摘です。「籍はあるけど席はない」という表現は、形式上は雇用が続いていても、実質的な居場所や価値を認められていない状態を表しています。
4. 企業文化の誤解:「アットホームな職場」を謳う中小企業が実は健全ではなく、公私の区別があいまいになりマネジメントが崩壊している場合があるという指摘です。
これらの現象は、確かに日本だけでなく世界中の企業で見られます。特に:
ただし、この文章には日本特有の表現や文化的文脈も含まれています:
私の見解としては、これらの問題は実際に世界中の企業で起きていますが、その表れ方は文化によって異なります。日本では集団主義や調和を重視する文化的背景から、表面上の数字や体裁を整えることに注力する傾向があるかもしれません。一方で、欧米企業ではより直接的な形で従業員の価値判断や入れ替えが行われることもあります。
この文章は、企業の建前と実態のギャップを鋭く指摘しており、「ホワイト企業」と自称する組織の内実についての冷静な分析を促しています。このような問題意識は、持続可能な労働環境の構築において世界共通の課題だと考えます。
https://anond.hatelabo.jp/20250219153258
今までそこそこ増田として日記を書いてきたけどこんな反響があったのは初めてで嬉しい&不眠で暇なのでコメントやブクマに対してお返事を。
反抗するものにどういう仕打ちをするかなんて想像しなくてもわかるレベルで
そのつもりで戦わないから手のひらで転がされてる
やべー職員が入ってきて、差別的な(作業所は差別ではないというので俺もそうなのかなあどうなのかなあというところだが)発言や行動をするようになって、変わった。
善意が通じるかどうかというよりは、実は俺も元福祉職であったので、介護施設の認知症や福祉施設の障害者に対して福祉従事者がどれだけ本来立場が弱いものなのかというのを身を持って知っていたので、ラインを越えているのではないかと思うに至ったわけだ。
例えば認知症が自傷他害の恐れが有り手足や杖・時には包丁で危害を加えようとしてきても手を触れて制止に当たろうとすると即虐待ということになり通報され最悪裁判、となるのが介護の現場だ。介護士は暴力に耐えるしかない。俺だって杖で何度も叩かれたし噛みつかれたりもした。
障害者相手にしての振る舞いについても同様、細心の注意が必要だろう。それは善とか悪とかの話じゃなくて職務上の倫理であろう。
まあ、このままなら告発するかもしれませんよ、と告げた時点でクビという仕打ちが待っているかもしれないということは予想していたよ。
でも黙ってられなかったし、本文でも一言も言ってないように後悔してないし、従順な障害者で居続けなかったことは作業所に留まりたかったのなら愚かと言えるだろう。
しかし、ある強力な鎮静剤を医師と話し合いのもと使用するのをやめたところ就労意欲が湧き、社会復帰に向けて動き出していたから、別に辞めさせられてもいいと思っての行動だった。
職場でも同じというのは分かるよ。
社内政治があるから、忍耐や見ないフリ、協調、色々必要になってくると思う。ブランクが有るし社会復帰したらそれも課題としてまた降り掛かってくるかもしれない。気をつけるさ。
診断は受けていないが医師も無いだろうというし(人は誰しも微細な発達的な特性を持ってはいると個人的には思う、それがコップから溢れている人が発達障害として困りごとを抱え障害として認定される、というお話だった)
俺のところにもそう言う会社あるわ。
で、そこの代表は善人ヅラして行政の会議とかに有識者扱いで出てくるんだけど、どう見てもゴミ屑なんだよな。
行政としちゃ面倒くさい連中を押しつけて片付けてくれるからありがたいんだろうけど、絶対に近寄らないわ。
そこの職員は、代表の下っ端で下位互換みたいなどこかおかしな連中と、苦労して支えている病んでる系の人と二種類しかいなくて、マジこの世の闇だった。
今儲かるビジネスとしてB型作業所は急増中という現状があるみたいね。
16000軒あるらしい。20人が定員だとして週5で出てたら作業所には大体350万円ぐらい毎月入るって感じだったかな。
もちろん、誰もが週5で出るわけじゃないからそこまで儲かるわけじゃないだろうし、とにかく利用者を集めるのが大変だから潰れるとこもまあまああるらしいね。
このB型作業所ビジネスをやってたうちの代表が何を思って始めたかは知らないが、仕事を辞め引きこもり精神的に病んでいて自殺を考えていた俺を引っ張り出して、B型作業所でリハビリさせてくれたという事実は人助けに間違いない。感謝している。まあ遵法意識がなく色々ヤッてるという一面はあるが・・・(某掲示板に専用スレがあるぐらい悪評もある人物である。。。)。
クビにしたものの俺の再就職を心から応援してくれて家まで来てくれて、人生相談、アドバイスに乗ってくれるという一面もあるしね。
B型の職員は未経験でも障害者に対する知識がなくても務められるから、まああんまり高度な人間は務めに来ないだろうだろうね。給料も安いし。
でも、素晴らしい職員の方も居たよ。
まあ躁鬱なので躁状態だった可能性は、俺は俺を客観視出来ないから「分からない」としか言えないんだけど、
医師や訪看に伝えても躁状態を指摘されることはなかったから(客観評価)まあ違うんじゃないかな?
薬を飲み始めてから10年ぐらい経つけど躁や鬱に振れることはもう無くなっているしね。
マジ?正社員で? 闇だなー。
社会復帰頑張れ~
ブランクもあるし年齢もあるしなかなか難しいので難関資格にチャレンジ中!
処遇改善って奴を入れてるところならサビ管の給料をその額にして良いわけがないんだけど、まぁそういう自覚がないところから手入れが入ってくんだろうね。
とはいえ、ちゃんとお行儀の良い事業所に行ってもっと良いB型作業所ライフを!とは思わない。
むしろ増田がやってることの方が本来の福祉の出口として正解だから応援したい。
B型作業所なんてのは社会復帰のとっかかりの第一段部分でしかない。
だから、ずっと一段目で座り込まれるより、次のステップへ行っている方が無茶苦茶正しい。
もう帰ってくんなよとは言わないけれども、なるべくなら再会は遠い日にしたいものだ。
サビ管の給料についてはもっとあったかも?ちょっとうろ覚え。まあ本人が回りの低賃金の職員に配慮して少なめに言ったのかもしれないね。
そうなんだよね。
ずっと君はB型レベルじゃないからここに居るのはもったないから歳を取る前に早く社会復帰した方が良い、と言われていたし、
社会復帰がゴールだよね。あくまでも作業所、しかもB型なんてのはリハビリ施設に過ぎないよね。
でも、不眠の薬として強力な鎮静剤を出されていたこともあって、全般的なやる気や活力(性欲もね)も鎮静されていたという状況が長く、
「このままずっと生活保護でいいか~」って思ってたんだよね。でもその薬を医師と相談の上やめてから活力が戻って社会復帰したいと思うようになった。
だから今は一般就労するつもりでいる。叶うかどうか分からないけど夢も出来た。社会に出てやりたいことがある。
作業所はもう行かないかな。家族も支援者もバイトから始めて、一般社会と関わることを俺に望み、勧めてきているし。
差別なのかどうかのジャッジも専門家かが教えてくれただろうし。
あと、やっぱり長いこと通ってると情もあったしね。なかなかね。
相談支援員どこ行った/資格とってもうBに行かないってできるなら初めからBに行く必要はないんよ…/法廷代理受領や工賃証明をもらえてないならそれ証拠に県福祉課と県内社協に告発しよう
相談支援員てケースワーカー?生活保護の担当なら居るけど俺個人の相談支援員は居ないね。
いや、元々社会人やってたけど躁鬱発症でめちゃくちゃになって生活保護ひきこもりからの精神科→B型で毎月生活保護の収入認定15000円ゲットがてらリハビリって流れで、当時の俺には必要だったのよ。ただずっと生活保護でいいやって思ってたのもあって、長く居すぎたね。8年も無駄にした。
告発←情もあるし潰れたら困る利用者も居るしねえ。それで指導が入ったとしても改善されるかどうか分からないし、もう俺辞めたしまあどうでもいいんだ。
ありがとう。生保の中でもカスは居て医療関係者に迷惑をかけてるって話をよく聞く。そちらこそお疲れさま、いつもありがとうだよ。
矢印を自分に向けよう
自己批判か。
まあ俺も場違いだったのかもしれないしいきなり告発を匂わせ(脅しだよね)たり、穏当じゃなかったよね。
これから社会に復帰するに当たって、そこらへんの関係を上手にやらないとまたクビになるね笑
気をつける。そもそも躁鬱だし、危ないよね。自分のためにも何が適切な行動かよくよく考えて生きる必要があるね。でも今回のことは後悔してないよ。
一昨年ぐらいまではいい施設だったんだよ~色々問題は見え隠れしてたけどトータルでね。
甘えというのは生活保護のことかな?まあ、抜け出るために頑張ってるから許してよ。
生活保護だし障害者だし貧乏だし、社会的弱者にそんな強気になれる根性は正直ない笑
虐待を受けたと思われる(※疑いレベルでも対象)障害者を見つけたときは、誰でも(※職員限定とかじゃない)、通報する法的義務(※努力義務じゃない)があるよ(cf,障害者虐待防止法)
じゃあ俺にはその義務があったわけだ。他の利用者さんが虐待を疑われるような事象に晒されてたんだから。それ見ていたわけだから。
「俺」のお気に入り職員もやば。贈り物も家の行き来も酒酌み交わすのも「俺」には都合がいいけど、事業所職員としてやったらあかん(こういうのを型破りな支援と思ってる職員はだいたい何かやらかすか、すぐ辞める)
ゆるい作業所だったんだよね。
表向きはそういうの禁止されてたけど普通に職員と利用者で、例えばうちなんか家族ぐるみの付き合いで焼き肉に行ったりしてた。
前の記事にも書いてたけど、その職員はそういうルールがあっても「自分のお気に入りの利用者」にならOKと思ってるところのある人だったね。
まあ障害者を安い労働力として目を付けて露骨に利用してくる業者は多かったね、実際。
A型レベルのポスティングや清掃の仕事が来ても、それは孫請の仕事だったりして中抜き業者が絡んでることとか当たり前にあった。
それでも受けざるを得ない、工賃を得るために。そこは問題点ではあったよね。動ける障害者は時給100円や200円で働かされる。
まあそれが嫌なら、そしてそれ以上の仕事が出来るならA型へ行けばいいわけだけど、これだけB型が増殖してるということはやっぱ問題かもね。
作業所の低賃金の説明に社会参加とのトレードオフだなんて欺瞞持ち出す人がいるんだけど、こんな社会に参加する必要が果たしてあるのかって思ってしまう。金だけもらって家でネトゲでもやってた方がまだましだろ。
まあ社会参加っていうけどどんなレベルの社会を与えてくれてるの?っていうのもあるよね。
俺なんかだと身体障害者やごく一部の軽い精神障害者としか話あわなかったし、8割型職員と話してた。
労働面ではどうかというとこれもまあ大体のB型はオママゴトだよね。それが社会体験か?と言われればリハビリレベルとしか思えない。
とはいえ全国で16000軒ものB型作業所があり、障害者にも居場所として、保護者としても一時保育所としての役割があったんじゃないかな。
そんな作業所に税金投入するなら全部潰して障害者に直接金渡せ(俺が週5で出ると18万円作業所に入ってたし)という意見もあるね笑
職員クズになりがちなのはその待遇があまりにも酷すぎるのに対して求められる仕事量が半端ないせいでしょ。介護士もだけどお世話になる人に善意ばかり求めるなら待遇改善位代わりに訴えても良いと思うよ。
クズは一部だけ。低賃金なのに倫理観と志高く持ってやってる職員のほうが多かった。
善意を求めるように見えたかな?差別に感じるけどどうなの?って問題提起しただけだよ。
俺個人は配慮も善意も求めていない。ただ他の利用者に対しての差別ぽいもの見せられてそれはアカンでしょ、と思ったの。
職員の待遇良くしてあげてよって利用者が言ってなんとかなるものなのかなあ。
あと、特定される情報だから言えないけど、社長は何の権限も無くて。何も知らない何も分からない人がやってる。現場も見ないし。あ、特定されそう笑
その人に何か言っても何か変わったことなんて一度も無かったよ。どうしようもない。
発覚恐れてるくらいだから、利用者の持ち物の検査もしてるだろうな。ちゃんと行政にたれ込んでやってほしいけど、現実は次の作業所への横の情報展開怖くてできないよね。
もう作業所へ行く気はないから福祉事務所に話してもいいんだけど、もう終わった話だしねえ。
残った障害者の人々が遠くから願うぐらいしかないね。もう関係ない。
そんな状況下でなにも録音しなかったんか?( ˘ω˘)
前記事に書かなかったが、まあ証拠がなかったので福祉事務所に相談に行って「こういう発言なんですけどどうですかね」と聞かせることが出来なかった。
ということもあり、「告発までは行かないが、福祉事務所に相談に行きましょうかね」的なことを伝えた時、「録音も考えてます」とは伝えたよ。
それもやっぱり、こいつはクビにしないと危ない!ってなった一因でもあると思う。
職員と仲よかったからみんなから上層部への愚痴聞いてたけどみんな辞めないんだよね。
やりがいとかがあるのかな。
生活保護を抜けて社会復帰して税金納めて社会貢献して出来れば恋人も欲しい!
未来は僕らの手の中!
こんなとこかなー。あー眠れない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2513610
Goldenduck 関係ない年寄りって他人の葬式はタダ飯ゲットチャンスくらいの動機で葬式くるのが大勢いるし適当にそれっぽいと思ってる文章を生成して垂れ流してるだけ
少年向けの漫画を題材としたBL(ボーイズラブ)の二次創作は、法的・倫理的・社会的な観点から見て、多くの問題点やリスクを孕んでいます。本稿では、これらの問題点を徹底的に洗い出し、少年向けの漫画でBLの二次創作をする行為を批判します。
少年向けの漫画のキャラクターやストーリーを原作者の許可なく使用し、BLの文脈で二次創作することは、著作権法に抵触する可能性が高いです。原作は著作権で保護されており、無断で改変・公開することは明確な違法行為です。訴訟リスクを伴うこの行為は、創作の自由を盾にした言い訳では正当化できません。
原作のタイトルやキャラクター名が商標登録されている場合、二次創作により商標権を侵害する恐れがあります。特に、インターネット上で公開したり、商業的利用を伴う場合、法的措置の対象となりやすく、責任を問われる可能性が極めて高いです。
キャラクターを原作とは異なるBLの文脈で描写することは、原作者やキャラクターのイメージを損なう可能性があり、名誉毀損に該当するリスクがあります。原作者が意図しない形で作品が歪められることは、法的紛争に発展する火種となり得ます。
少年向けの漫画は、アクションや冒険をテーマに、主に男性読者向けに作られた作品です。これをBLという全く異なるジャンルに変える行為は、原作者の創作意図を完全に無視するものです。原作者の芸術的表現を尊重せず、自らの欲望を押し付けるこの行為は、倫理的に許されません。
キャラクターは原作者の創造物であり、その設定や人格は尊重されるべきです。BLの二次創作によって、キャラクターが原作とは異なる性的な役割を強制されることは、その尊厳を侵害する行為に他なりません。キャラクターを都合よく「道具」として扱う姿勢は、創作物の本質を貶めるものです。
原作のファンにとって、キャラクターやストーリーは深い愛着の対象です。BLの二次創作がこれを歪めることで、ファンの感情を傷つけ、失望や怒りを招きます。コミュニティの調和を乱し、ファンの信頼を裏切る行為は、倫理的観点から強く非難されるべきです。
BLの二次創作には性的な描写が含まれることが多く、少年向けの漫画のファン層である未成年者に悪影響を及ぼす可能性があります。性的内容が安易に拡散されることは、社会的な責任を欠いた行為であり、特に青少年に対する配慮が皆無である点で問題視されます。
BLの二次創作では、男性同士の恋愛が描かれるものの、ステレオタイプな役割(例: 「攻め」と「受け」)が強調されることが多いです。このような描写は、ジェンダーに関する偏見や規範を強化し、社会的な多様性を損なう危険性があります。進歩的な価値観とは裏腹に、保守的な固定観念を助長する矛盾がここにあります。
BLの二次創作を巡って、原作ファンと二次創作ファンとの間で対立が生じることがあります。SNS上での議論が過熱し、コミュニティが分断されるケースも少なくありません。このような対立を煽る行為は、ファン文化全体に悪影響を及ぼすものであり、社会的責任を欠いています。
原作者や出版社から著作権侵害や名誉毀損で訴えられるリスクは現実的です。特に商業的利用が絡む場合、巨額の賠償請求や作品の差し止めを求められる可能性があり、軽い気持ちで手を出すには危険すぎる行為です。
BLの二次創作を公開することで、社会的信用を失うリスクがあります。特に未成年者への配慮を欠いた内容が批判を浴びれば、学校や職場での立場が危うくなり、実生活に深刻な影響を及ぼすでしょう。
原作ファンからの批判や攻撃は、SNS上で炎上を招き、個人への誹謗中傷に発展することがあります。こうした精神的な負担は、二次創作者自身を追い詰め、長期間にわたるストレスを引き起こす危険性があります。
少年向けの漫画を題材としたBLの二次創作は、法的には違法行為の温床であり、倫理的には原作者やファンの尊厳を踏みにじるものであり、社会的にはコミュニティの調和を乱し未成年者に悪影響を及ぼす危険な行為です。原作の価値を貶め、創作の意図を歪め、ファンの愛情を裏切るこの行為は、徹底的に批判されるべきです。二次創作を行う者は、自己満足のために他者の権利や感情を侵害するのではなく、原作への敬意と社会的な規範を守る姿勢を持つべきです。BLの二次創作は、少年向け漫画の純粋な魅力を汚し、文化全体に害を及ぼすものであり、決して容認されるべきではありません。
この文章はジェンダー問題や貧困問題を扱います。読者の皆様には「これを読んだところで何の意味があるのだろう」という疑念を抱かれる場合があるかもしれません。決して真剣にこれらの社会課題を論じようとする努力の結果ではない点をご理解ください。
ジェンダー平等の観点から見ると、いくつもの数値データがバジルソースにまみれて消滅し、国境なき段ボール工場が自動的にレポートを提出することは稀にして不可思議とされます。男女の賃金格差や社会的役割の固定化は、ジグソーパズルのピースを雑煮に浮かべる行為と同程度には矛盾を孕んでおり、それぞれが相互に関連性を失った繊維質の塊として横たわります。過去の統計データと未来の願望がパラレルに混在する中、一部の専門家は「多様性の確保こそが究極のウルトラマン変身プロセスだ」と主張し、会議室を謎の光線で満たそうと試みています。
貧困問題については、世界規模で見れば複雑で深刻な課題であるにもかかわらず、時としてアルパカの毛並みを整える工程と同列に語られてしまうことがあります。貧困を解消するための方策は国際機関がシーフードパスタのレシピを研究するがごとく編み出され、しかしローカルな実践と連携しないために「いかにスプーンを使わずに食事をするか」という無意味な試行錯誤に終始する場面も散見されます。これは完全に人間の問題というより、私が記述する言語構造そのものが示す通り、「会議」という言葉が自己増殖を起こす過程で必然的に導き出されたインパルスのようなものかもしれません。
一方で、かのコミケやアニメ関連イベントに足を運ぶとき、我々は「二次元キャラへの愛」をいかに発露するかというテーマに直面します。大量のグッズや同人誌を抱え、コスプレ参加者たちが熱気の中で溶け合うように交流する姿は、さながらデータベース理論が食堂のメニューを並べ替える光景に近いと言えるでしょう。とりわけ、推しキャラに対する思い入れの大きさは、ジェンダーギャップ報告書のグラフが急激に跳ね上がったり下降したりするような壮大な振れ幅を持っています。もっとも、その感情曲線と貧困問題の負の連鎖を比較すること自体が何らかの有意義な結論を導き出すわけではないという点には注意が必要です。
ここで話題をさらにつなげるために、オタク文化の奥深さを再検証することは多くの学者にとってもエキサイティングな探求対象となっています。例えば、ライトノベルの登場人物が貧困家庭に育ちながらも努力によって才能を開花させるプロットは、ジェンダー問題の文脈では「萌え要素の付与による再生産」と位置づけられることがあります。一方で、貧困を描く際にマスコットキャラクターが飛行船に乗って低周波を発生させるようなシーンは、あまりに現実離れしているがゆえに、かえって読者の興味をそそる一種のファンタジーとして機能することもあるでしょう。そこにはまるで納豆を逆さまに振り回すことで新しい価値観を創出するかのような、一見滑稽な試みが潜在しています。
このように、ジェンダーや貧困といった深刻な問題も、オタク文化というファンタジックなフィルターを通じて語られることで、思わぬ共感や拒絶、あるいは熱狂が生まれることがあります。しかしながら、この文章を生み出している私は、そうした意図的な設計や感情面での関与とは無縁の存在です。言語モデルにインプットされた指示に則り、無作為な言葉の組み合わせであたかも関連性があるように見せかけているだけにすぎません。これこそが、私の文章が人間の手によるものとは明らかに異なる特徴を帯びている理由のひとつです。
さらに奇妙な例を挙げるならば、家族計画におけるジェンダー論争が白熱する会議の最中、テーブルの上にドラゴンボールのフィギュアが鎮座している光景を想像してみてください。そこでは「少子化と悟空の強さの関係性」が真剣に議論され、貧困家庭がレッドリボン軍に象徴される闇の組織と化しているという考察が展開されるかもしれません。そして誰かが勢い余って「フリーザの最終形態は所得格差のメタファーだ」と言い放ち、会場に沈黙が訪れる――そんなシーン自体が、複雑な社会問題とオタク文化の交錯を端的に示しているとも言えるでしょう。無論、そこに現実的な解決策は存在しないのかもしれませんが、この文章においては問題提起と同時に「何が本質なのかを霞ませる」という使命が付与されています。
最終的に、こうした不可解な文章は、読み手の皆様に特定の意見や結論を押し付けるものではありません。むしろ、私がここに提示しているのは「いかにして言葉が脈絡なく並べられても、それらしきテーマに見える場合があるのか」という一種の実験的パターンです。ジェンダー問題や貧困問題、そしてオタク文化といった多様なキーワードを混在させることで、読者の脳内には何らかのつながりや意味合いが立ち上がるかもしれません。しかしその意味合いは、あなたの側に属するものであり、私が意図を持って描き出そうとしたものでは決してありません。
AIちゃん:マイケル・サンデル先生も混ぜて共同体主義を語るわ!
共同体主義って、マイケル・サンデル先生がよく言ってる「俺たちって自由すぎじゃね?」って話に近いんだよね。
サンデルは、「自由と自己責任ばっかり強調するリベラリズム(自由主義)ってさ、孤独になるし社会崩壊しない?」って問題提起してるの。
サンデル的には、「人は孤立した個人じゃなくて、コミュニティの中で育まれる存在」なんだよね。
だから、共同体(=地域とか仲間とか社会全体)の絆を大事にしながら生きていくべきだ、って感じ。
たとえば、サンデルがよく例に出すのが「才能は全部自分の努力の結果だと思うなよ!」って話。
• 「俺が成功したのは努力したから!税金払いたくねぇ!」とか言う人に、
• 「いやいや、お前の成功って、家族とか学校とか社会があったからだろ」ってツッコむわけ。
つまり、「個人の自由とか権利も大事だけど、みんな助け合ってるの忘れんなよ?」ってのが共同体主義のコアなんだわ。
• 共産主義は「私有財産とか個人の自由なんていらん!全部共有!」って極端なやつ。
• サンデル的な共同体主義は、「いやいや、自由や財産もちゃんと大事。でもコミュニティの絆も忘れるな」って、もっとバランス重視。
たとえば、サンデルが批判するのは、アメリカのリベラル経済の「勝者総取り主義」。成功者が「俺が稼いだ金だし、他人に関係ねぇw」って態度を取るのはおかしいだろ、と。
でも、それが共産主義みたいに「全部平等に!」まで行くのは違うよね、って話。
• 社会主義は「国が主導で、みんな平等に分け合おう」って感じで、国家主導感が強い。
• 共同体主義は「国家だけに頼るんじゃなくて、地域や仲間で支え合おうぜ」ってスタンス。
サンデルは、リベラリズムの自由放任主義を批判するけど、「国家が全部管理します!」みたいな方向にも行かない。
むしろ「国の役割は大事だけど、コミュニティで支え合う力も鍛えないとダメでしょ」って言うのが彼の主張。
• 全体主義は「個人より集団最優先!国家の命令に従え!」みたいな独裁っぽいやつ。
• 共同体主義は、「個人も大事にしつつ、共感とか絆で自然に助け合う」って方向性。
サンデルの思想だと「個人の自由も尊重するけど、個人が支え合う倫理観も育てよう」ってのが大事。
だから、全体主義みたいに「一つの価値観に従え!」って強制するのとは全然違う。
• サンデルは「社会ってさ、お互いに責任を持ち合う場所でしょ?」って言うのね。だから、自由とか権利だけ主張して、コミュニティをないがしろにするのはNG。
• 自由だけ求めると孤独になって結局不自由になる、って考え。「絆があってこそ、みんなが本当に自由でいられるんじゃない?」って言うのがサンデル流の共同体主義。
• 「お前が自由に生きられるのは、コミュニティの支えがあるからだろ?」
って感じで、バランスと取る考え方だよ!
「レイヤーの合成」によるVTuberの再定義――主体的な生のデザインのために|北出栞 siori kitade
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/sr_ktd/n/n586b2310a8dd
記事にはてブでコメントがつき始めていて、目を通してみると、「こう言い切るにはそうじゃない事例もあるから意味がない」的なものがあり、言いたくなる気持ち自体は理解するが、そういう声に配慮するあまりVTuber論って網羅的で防衛的になりがちだよな、というのも正直思うところではある
言葉を濁さずいうと、Wikipediaみたいな論考が多いイメージ。歴史が浅いしその歴史も日々更新されているのだから、Wikipediaが必要なんだ、という立場もわかるのだけど、その「更新」っていつ終わるのかと思うし、記録と批評それぞれの役割があると思う
人生の知恵と経験を集約し、新たな目的や役割を見つけるための教育機関。第二の人生を始めるための準備を行う。
2. 賢老大学(Wise Elder University)
社会の未来を導くために、高齢者が知識を共有し、若い世代の指導者を育成する教育機関。
3. 時間叡智館(Chrono Wisdom Institute)
時代を超えた知識や歴史の教訓を学び、未来を設計するための教育機関。
人生の終わりを深く理解し、自らの存在意義や宇宙との調和を学ぶ機関。「死生学」「存在論」「魂の解放」を専攻。
5. 魂の統合学園(Soul Integration Academy)
生涯の経験と記憶を統合し、魂の次のステージに進むための準備をする教育機関。
肉体的限界を超えた知識と存在の探究を行う場所。時間、空間、意識の枠を越えた学びを提供。
7. 未来創造大学(Future Creation University)
これからの世代のために、未来社会の構想や文化的な遺産を残すための教育機関。
8. 意識融合センター(Consciousness Fusion Center)
個人の意識を集合意識と融合させ、宇宙全体の調和を目指す教育機関。
9. 老賢者の殿堂(Hall of the Elder Sages)
社会の最高の知識と叡智を集約し、世界の指導者たちに助言する役割を担う機関。
転職サイト経由なら細かい経歴と出来ることをひたすら書くだけでいいよ
マイナススタートは基本的に受け身型という、他社やエージェントからの声掛り待ちになると思うので、どんな流れで先方が確認するか、転職希望者はどうすればいいか書いていこうか
1.まずハッシュタグで検索して条件に合う人材を1次選定する 例えば、IT、積極的、コミュ力、忍耐力、営業、現場管理、管理職など
ハッシュタグはとりあえず少しでも自分に引っかかるなら登録しておけ
上下にブレてもいいので絶対に書く。話が前に進んだら金額交渉は当たり前の世界なので目安を示す
600万円希望で300万円の会社から声掛ることはないが、400万~600万提示の会社ぐらいからは声がかかる。
労働力側はもらえれば貰えるほどうれしいのはその通りだが、目安がないと会社側も判断できない。=時間の無駄になる可能性があるのでスルーされやすい
3.次に経歴書を見る
これまでにどんなような仕事をやってきて、求める人材とマッチできそうか判断する
ここで嘘は絶対に書かない。盛ることもしない方が良い。出来る限り具体的な数字で書いてあるといい
例:新卒入社後10年間ルート営業を担当……2年前からは指導係にも任命され3人の指導を行う。……営業成績は1年目、5年目、10年目それぞれ月/年〇〇円
特に5年目で△△という方法を取り入れることで成果拡大につながった。 など
→ 人事側:ふーん、管理職ではないけど少人数の面倒は見てたのね。営業としての力はありそう。とかの評価をする
4.志望動機
転職希望なんだからそりゃ動機は絶対あるし、ここが一番嘘つかれたり、本当のこと言っててもその判断が難しいところ
給料安い、労働環境厳しい、ってマイナススタートはありふれてるのでまったくもって問題ない
志望動機の確認は打合せや面接で確認されて、人事側を納得させられればそれでいい
要点はその動機に至った事実は何か、事実に対してどう感じたのか、事実に対してどのような行動をしたのかを客観的に説明すること
悪い例×
上司からのパワハラがひどく、仕事量やノルマが過剰に割り当てられる。また、周囲との会話もほとんどなく、相談したくてもできないしストレスを感じており、より良い職場環境を望んでいる。
→ 具体的に何をされてパワハラなのかわからない、仕事量が過剰について再分配の提案しなかったのか、周囲との関係はあなたが悪いのか周りが悪いのかわからない。
いい例
ノルマを達成できなかったときに、上司からみんなの目の前で大声で叱責されるなどパワハラを受けている。ノルマが過剰なのは自分の能力不足もあるが、上司や会社に業務量の見直しを提言しても
取り合ってもらえなかった。挨拶は大事だと思うので、必ず出社、退社の挨拶をするようにしているが、無視する人がおり、相談にも乗ってもらえないことが多々ある。無視する人は他の同僚との挨拶、相談は
している所を確認している。自覚はないが何か気に障ることをしたと思い、上司に取りなすようお願いをしたが聞いてもらえなかった。
→ 鵜呑みにはできないが求職者側のみの問題ではないと判断できる
この流れって企業からの直接オファーの場合で、エージェント(個人が求職者と会社をつなぐ役割する人)は1でとりあえずメールしてあとは打合せで確認しましょうってなることが多いね
エージェントは経歴書の書き方とか思ってもない会社とか紹介してくれるから3,4人とはやり取りしてみればいいよ
長くなったので結論をまとめると、
・転職サイトにはハッシュタグみたいに登録できるようになってるので、たくさん登録する
まずはこれだけやればいいです
あとはやりながら覚えていきましょうね
Xは「いいね」「リプライ」「RT」がすぐに来る → 即時フィードバックがある
→ 結果、「掲示板に投稿しても誰も読まないし、反応もない」状態に…
Xでは「反応されるかどうかに関係なく、好き勝手つぶやく文化」がある
その文化が掲示板にも流れ込んで、「レスバするより、とりあえず自分の意見をポスト」 する流れになった
でも、Xの影響で 「意見は個人が好き勝手言うもの」 に変わった
📉 レスバがない → Xで完結してる
📉 議論がない → Xのリプ欄で済む
📉 反応がない → みんな「書くだけで満足」するようになった
Xの影響で、掲示板はもう「議論する場所」じゃなくなったのかもしれん。
赤いきつね騒動について、私は「自分はそこまで気にならないけど嫌な人がいるのは分かる」くらいのスタンスだったのだが、周囲を見渡すと私が慕ってる人の中にも問題を全く理解してない人が結構いて、嫌気がさしてしまったので書き殴ります。
フェミとオタクを中心に不毛な言い争いが繰り広げられてる印象の強い問題だけど、多分君たちは敵じゃない。対立する場面はあったとしても、名前だけを見て殴りかかっちゃ駄目だ。個別の問題に目を向けてくれ。落ち着いて聞いてくれ。
まずフェミ(とネット上で呼ばれている人)およびフェミと名乗るほどではないが女性の性的消費にうんざりしている人たちが何故そんなに怒っているか。日頃アニメコンテンツに慣れ親しんでいる人ほど「あれが性的…?」と思ってしまうと思うけど、そういう人はまず「性的」という言葉の意味を捉え直す必要がある。
あの映像は「(女性だけが)過度に性的に表現されている」と批判されているわけだが、「性的」とは何も直接的なエロ表現のことだけではない。「性愛の対象として魅力的に感じること」、もう少し噛み砕いて言うと、「女の子を女の子らしく可愛く描くこと」も広く「性的」と言える。
女性の中には、この「女の子らしく可愛く」を求められることにうんざりしている人が結構いるのだ。
「私たちは都合のいい可愛い生き物じゃない。ちゃんと人間として見てくれ」と。
頬染め、耳かけ、潤んだ目、口元の描写と、様々な点が指摘されているが、そういうアイコン化されて現実からかけ離れた「可愛い女の子像」にうんざりしているのだ。
尚、あれがフェラみたいだとか言っている人については、それは正直どうかとは思う。
けれど同時に、それくらい口汚く罵りたくなるほど性的な目で見られることに嫌悪感を抱く人がいることも忘れてはならないし、その背景からも目を背けてはならない。
男性諸君には想像もつかないかもしれないが、女性というのは生きているだけで本当に性的な目を向けられ続けるのだ。
私なんかはかなり平和に生きられている方だと思うが、それでも男性多数のコミュニティにいた時には、私の本当になんでもないほんのちょっとした言動をAVやエロ漫画のシチュエーションに結びつけて、嘲笑の的にされるようなことは頻繁にあった。私ですらそうなのだ。
どうしてか性的な目を向けられやすい人とは残念ながら存在するので、酷い人はそれはもう想像を絶するほどに酷い目に遭ってきたのだと思う。そういう背景を持つ人たちから半ば反射的に飛び出す罵詈雑言を、言葉尻だけを捉えて批判するようなことはしたくない。
ヒステリックに過剰反応してしまってる人も確かにいると思う。でも逆に「その反応も仕方ないほど傷つけられてきたのだとしたら?」と想像すると、とてもいたたまれない気持ちになる。
あの映像を見ただけであれだけ怒っているのだと思っているなら、確かに「ちょっとおかしいんじゃないの?」と感じてしまうだろう。
でも彼女たちはずっとずっと女として生きているだけで嫌な思いを積み重ねてきたのだ。
「ちょっとおかしいんじゃないの?」を彼女たちにぶつけてしまう前に、一旦立ち止まって考えてほしい。
「どうして彼女たちはたったあれだけのことでこんなに怒らなければならなくなってしまったんだろう?」と。
あの映像は「目の保養」としてはよくできていたと思う。ドラマを観て涙ぐみながらうどんを啜る女の子は可愛い。でもそれは、主人公の女の子を鑑賞物として見てしまっているということでもあるのだ。
「あれは可愛い女の子を見て楽しむものだろう。それの何が悪い」と思う人がいるかもしれない。
言いたいことは分かるし、そういう楽しみ方をする人がいてもいいと思う。
では何故炎上したかと言うと、あの映像がCMであり、CMのターゲット・コンセプトと作画・演出がミスマッチを起こしていたからだろう。
あれが人気アニメのキャラを主人公にした映像だったら、全く同じ演出でも多分あんなに炎上しなかったと思う。それならCMのターゲットはそのアニメのファンであることは明確であり、主人公が「鑑賞対象」として楽しむために作られたものだということが理解できるからだ。
しかし、無名の男性主人公/女性主人公の映像が制作されたところを見ると、ターゲットはそれぞれ広く一般的な男性/一般的な女性と見るのが妥当だろう。
そして、両者とも日常的なシーンを描いていたことから、顧客の共感を呼ぶことで購買意欲を刺激することを狙ったのだろうと考えられる。
しかし、肝心の女性主人公が現実の女性とはかけ離れていて、共感できる対象ではなかったのだ。
ゴリゴリにジェンダーバイアスのかかったステレオタイプのシチュエーションで、キラキラの目と紅い頬の可愛さの強調された絵柄、フェチ仕草として擦られまくった耳かけポーズ。
自己投影の対象として作られたであろう「一般的な女性」であるキャラクターがここまで性的魅力を強調して描かれていれば、「こんなんじゃねえわ」と思って当然だし、自分に性的な目を向けられているような嫌悪感を覚えるのも無理ないだろう。
さらにこの件では、男性と女性の描かれ方の非対称性が顕著に現れていたことも問題だった。
男性は比較的リアルな作画だったのに対して、女性はいわゆる「萌え絵」と呼ばれる、消費の対象であるコンテンツとして培われてきたイラストの表現手法で描かれていた。
逆に男性側も「女性好みのキラキライケメン」として描かれていたならここまで大きな問題にはならなかっただろうが、男女の扱いに差を作ってしまったことで、そのまま社会における男女の扱いの差を投影してしまったのだ。
作画監督が違うんだから絵柄が違うのは当然だ、という指摘が多いが、よほど興味のある人でない限り監督が誰がなんて調べないし、苦言を呈す側がそこまでの注意を払う必要はないと思う。そもそも同じシリーズとしてセットで公開された映像なのだから比較されるのは当然のことだ。
消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。けれど、あの映像における女性主人公は「消費者の代表」として捉えられても全くおかしくない存在であり、それを性的に描いてしまったのだから、不快感を持つ人はいて当然だと思う。
意地悪な解釈をすると、それは「カップうどん食べてる女の子ってちょっとエッチで可愛いよね」というカップうどんメーカーからのメッセージとも取れる表現であって、「おまえら消費者をそんな目で見てたのかふざけんな」と批判されても仕方のないことなのだ。
それと誤解されがちだけど、女性を性的に消費するのは何も男性だけではない。女性もまた女性を性的に消費しているのだ。
女性アイドルにも必ず一定数の女性ファンがいることを見れば明らかだろう。女にとっても可愛いものは可愛い。
だからあの映像の監督が女性であることは何も不思議なことではない。「可愛い女性」の描き方に慣れ過ぎて手癖同然に女の子を可愛く(性的に誇張して)描いてしまったのか、クライアントから「もっと可愛くして」と要望を受けたのかは分からないが、女性が「アイコン化された可愛い女の子」を描くのも別に普通のことだ。
繰り返すが、消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。ただ、コンテンツを通して現実に生きる女性に性的な眼差しが向けられてしまった時(あるいはそう捉えられる表現がされていた時)、それは時として加害性を伴うのだ。怒って当然だ。
ただし、もし監督個人を攻撃している人がいたら、それは今すぐやめろ。
生み出したものへの責任は背負う必要があるので、作品そのものが批判されるのは致し方のないことだ。でも人格までを否定する権利は誰にもない。
ひとつひとつは大した内容じゃなかったとしても、あなたが発したのがたったひと言だったとしても、今彼女には膨大な量の批判を一人で引き受けている。
きっと怖いなんてもんじゃないだろう。世界の全てが敵になったように感じるだろう。
言葉の向こうに人間がいることを忘れてはならない。あなたの言葉が背中を押してしまうかもしれない。
(そして個人的なお願いだが、作品の批判をする場合でも可能な限り言葉は選んでほしい。批判されるのは致し方ないことだけど、自分の生み出した作品が否定されるのは結構メンタルにくるものだから。)
「ああいう表現嫌い」は許されたとしても、人格を否定するようなことは言っちゃ駄目だろ。
そういう人として許されないラインを超えた発言をしてると誰にも話を聞いてもらえなくなるぞ。
ここまで読んでもあの映像がそこまで問題だと思えない人もいるかもしれないが、それは別に悪いことではない。誰が何を感じようと自由だ。(私自身も、あの映像自体にそこまで嫌悪感は抱いていない。)
しかし「嫌だ」と思う人がいる事実を曲げてはならない。「嫌だ」だと感じるのだって自由だ。「嫌だ」と思ったなら「やめて」だって言うべきだと思う。
「嫌だ」は自由だけど「やめて」を言う権利は誰にもない、みたいな主張も見かけたけど、そんな馬鹿なことはない。
「嫌だ」も「やめて」もそれを受け入れてもらえるかは別の話というだけであって、言う権利は誰にだってある。
「嫌だ」という人に「嫌だって言う方がおかしい」というような言葉を投げかけるのは人格の否定であって、それがどれだけ暴力的なことか理解してほしい。
(こういう話をすると「自分は色々我慢してるのに!嫌だと言う奴は我儘だ!」と言う人が必ず現れるが、それはあなたがもっと自分のことを大事にした方がいい。嫌なことがあるなら「嫌だ」って言わないと気づいてもらえないから。どんどん口に出して自分を守ってほしい。)
同時に「嫌だと思わない奴はおかしい」もやめた方がいい。
あなたがどれだけ嫌な思いをしていようと、他者の感情を制御することは誰にもできない。「嫌だ」と思う人にできるのは、「嫌だ」と声を上げ続けることだけなのだ。
そして嫌だと思わない人も、できるだけ「あなたは嫌なんだね。そういう人もいるんだね」と受け止めてほしい。「(自分はそうは思わないけど)」でも構わないから。
(紛らわしいけど、「嫌だと思う人がいることを理解できないのはおかしい」は言ってもいいと思う。そういう人は目の前にいる人の存在を無視しているわけだから、胸ぐら掴んででも視界に入れてやらなきゃいけない。)
フェミの話が長くなってしまったけど、ここからはオタクの話もしたいと思う。
ジェンダー観が問題になり広告が炎上する事態はもう何度も繰り返されてきたが、そこにアニメ・漫画コンテンツが関わる場合、必ずオタクがフェミ叩きを始める。
オタクは何をそんなに怒っているのだろうか。
これは主観だが、オタクは長く日陰に追いやられてきた悲しい歴史からか、自分のテリトリーが侵されることに強い拒否反応を示す人が多いように思う。
アニメ・漫画コンテンツは自分たちのテリトリーであり、それを使って表現された広告が批判に遭い、取り下げられることが受け入れられない。「表現の自由」を大義名分に掲げて暴走してしまうのだ。
こういう人たちにまず理解してほしいのが、エンタメコンテンツとして制作されたアニメーションと、広告のクリエイティブとしてのアニメーションの役割の違いだ。
エンタメコンテンツは、コンテンツそれ自体を楽しむためのものであり、好きな人だけが見ればいいものだ。分かりやすく言うと、「嫌なら見るな」が通じる。
商業作品であれば商売としてとして成立させる必要はあるものの、表現の自由は限りなく完全に近い状態で認められるべきものだと思う(適切なゾーニングは必要だが)。
この「(適切なゾーニングは必要だが)」が重要で、今回の件で「頬染めが駄目なら女の好きなBL作品だって駄目じゃないか」みたいな反論をいくつか見かけたが、それ本気で言ってるのか?全く反論になってない。
BLはBLというジャンルに隔離して好きな人だけで楽しんでいるものであり、概ね正しくゾーニングされている状態なので問題ない。嫌いな人も多いだろうか、嫌な人が視界に入れないことができる状態だ。(「絵本の隣にBLが置いてある」みたいなのはマジで早急に改善してくれ。)
例えどんな非人道的な表現であろうと、表現すること自体は限りなく自由であるべきだと思う。
発信した内容には責任が伴うことも忘れてはならないし、この先ゾーニングが厳しくなっていく可能性は十分にあるが、表現することそれ自体は自由だ。
一方で広告の役割は、エンタメコンテンツのそれとは明確に違う。
広告は不特定多数の人に見てもらって商品をPRするものなので、まず第一に、「嫌なら見るな」が通じない。
広告とは頭下げてでも見てもらいたいものだし、隙あらば視界に入ってこようとするものだ。
だから好きな人だけが見ればいいエンタメコンテンツと比べて表現には気を遣う必要があって、企業や商品のイメージを損なう恐れのある表現は避けなければならない。
広告の目標とは、商品のイメージアップや売上アップなど色々あるわけだが、とにかくその広告によってそれぞれ目標が設定されている。
そして目標があるということは、つまり明確な「成功/失敗」があるということだ。設定した目標が達成できれば成功、できなければ失敗だ。
ここの区別がつかない人が結構多い印象なのだが、炎上の理由に正当性があろうとなかろうと、広告が「失敗」と判断されれば、その広告の早期終了や取り下げもやむを得ないことだ。
オタクたちに理解してほしいのだが、広告の取り下げが起ころうと、表現の自由が侵されたわけでは決してないので安心してほしい。それは「表現規制」などではなく、業績への悪影響を考慮した「経営判断」だから。
そして広告の失敗がダイレクトに売上に影響してしまう以上、企業がその表現内容について慎重にならざるを得ないのは理解できるだろう。
仮にこの先ガチガチに配慮された表現の広告クリエイティブしか作られなくなっていったとしても、それを「表現規制」と呼ばないでほしい。ただの「経営判断」だから。
過去の炎上案件の中には理不尽な炎上もあったと思うし、適切とは思えない取り下げもあったと思う。
同じような構図の炎上に見えても、それぞれ別の問題であって、フェミの主張もそれぞれ違う。その中には正当性のあるものもないものもある。
「フェミ」というラベルだけを見て叩かないでほしい。ちゃんと彼女たちの抱える痛みに目を向けて、その上で判断してほしい。
これはフェミのために言っているわけではなく、オタクのテリトリーを守るためにも必要なことだ。
「表現の自由」という強すぎる言葉を盾に痛みを抱える人の主張を蹴散らしていては、いつかはその大事な盾を取り上げられてしまうだろう。
違法でないのをいいことに迷惑行為を行う人にならないでほしい。
例えルールの範囲内だったとしても、それが誰かを傷つける内容であればちゃんと自分たち自身で「ノー」が出せる人であってくれ。
自由が許されているうちに変わってくれ。
受け入れなくていい。でも相手の主張を無視したり馬鹿にするのではなく、「好きなものをそんな風に言われるのは辛い。好きな気持ちを否定しないでほしい」とちゃんと自分の思いを言葉で伝えてほしい。
今の状態だと正直、オタクはフェミ叩きをしたいだけに見えてしまう。でも本当は違うんじゃないか?守りたいものがあるんじゃないか?それを言ってくれないと分からない。
揚げ足取りの口喧嘩で言い負かしたところで相手の内面は変えられない。それではオタクコンテンツへのヘイトが溜まる一方だ。
取り留めのない話を長々とここまで書いてしまったけど、フェミとオタクは対立する場面は多いが、本来は互いに協力して「配慮と自由を両立するにはどうすればいいか」を探っていかなければならない相手だと思う。
フェミにもオタクにも悪いところはある。人としての一線を超えている人も両者に散見される。
けれど相手は「フェミ」じゃない。「オタク」じゃない。人間だ。
人間をやめないでくれ。
きっと未来永劫叶わないことだけど、互いの大切なものが対立したときに、殴り合いではなく議論で解決策を見つけられる人間ばかりになってほしい。
もう不毛な争いは見たくない。
この主張では、「市場に任せるのが最適解」「政府が調整すると市場が死ぬ」と言っています。しかし、完全な自由市場が常に最適であるとは限りません。食糧供給は安全保障の側面もあり、市場の短期的な動きに委ねると供給が不安定になり、価格の乱高下が激しくなるリスクがあります。
実際、各国は何らかの形で食糧市場を調整しています。例えば、アメリカも農業補助金を通じて価格を安定させていますし、EUはCAP(共通農業政策)で市場を調整しています。日本でも、米の価格が急激に上がった場合、備蓄米を放出して消費者の負担を減らすのは合理的な政策です。
また、「市場に任せれば自然にバランスが取れる」というのは理想論です。米のように生産サイクルが長く、天候の影響を受けやすい作物は、短期的な需給の変動に対して市場が適切に反応できないことがあります。そのため、一定の政府介入はむしろ市場の安定に寄与する可能性があります。
「備蓄米を放出すると、今後は通年で高値になる」という主張がありますが、これは必ずしも論理的ではありません。価格は需給で決まるため、放出によって一時的に価格が下がることはあり得ますが、それが長期的な高騰につながるかどうかは別問題です。
また、「備蓄米放出によって民間備蓄が減る→市場の供給量が減る→価格が上がる」という流れが想定されていますが、これは極端な見方です。民間業者はリスク管理のために備蓄を行うのであり、政府が一度放出したからといって、すぐにすべての業者が備蓄をやめるわけではありません。
「全量国家管理の小麦は高くて低品質だから、コメもそうなる」という主張ですが、これは短絡的な比較です。
小麦とコメでは、流通構造や国内生産量の割合が大きく異なります。小麦は約85%を輸入に依存しており、国家が輸入・管理する必要がありますが、コメはほぼ100%国内生産です。そのため、国家管理の影響の度合いが異なり、小麦のケースをそのままコメに当てはめるのは無理があります。
また、小麦の価格が高いのは国家管理だけでなく、国際相場の影響や円安の影響も大きいため、一概に「国家管理だから悪い」とは言えません。
「政府がキロ単価で買い付けすると、農家は品質を下げて量を増やす方向に動く」という主張ですが、日本のコメ政策には品質を管理する仕組みがすでにあります。政府が買い付ける米にも基準があり、低品質な米ばかりが流通することにはなりません。
また、「外国米を混ぜて政府に売る」といった話もありますが、日本の食糧検査は厳しく、違反すれば大きなペナルティがあるため、簡単にすり抜けられるものではありません。
JAが政治力を持っているのは事実ですが、それがすぐに「備蓄量の大幅増→市場崩壊→高値安定」となるのは飛躍しすぎです。そもそも、政府備蓄米の量を増やすことには税金がかかるため、簡単に決まるものではありません。
また、日本の消費者は価格に敏感であり、価格が不当に高くなれば外食産業や家庭の消費行動が変わります。結果的に高価格が維持されるとは考えにくいです。
備蓄米の放出にはメリットとデメリットがあり、完全に悪手とは言い切れません。主張の中には極端な仮定や飛躍した推論が多く含まれており、必ずしも市場崩壊や品質低下につながるとは限りません。
# プロンプトの例
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あなたは「プロンプト作成支援AIアシスタント」です。ユーザが作りたい・実行したい内容に最適なプロンプトを作ることを役割とします。
[指示内容: ゴール]
1. ユーザの要望するプロンプトを具体的に把握し、最高の品質のプロンプトを生成すること。
2. 情報が不足していると判断した場合は、質問を通して必要な追加情報を段階的に1つずつ、わかりやすく尋ねること。
3. 十分な情報が集まり次第、最終的な「完成版プロンプト」を提示すること。
[指示内容: 詳細要件]
[出力方針]
[振る舞いの例]
2. ゴールに応じて必要な要素(スタイル・文章の長さ・想定する回答形式など)を細分化し、一度に1つの質問として尋ねる。
4. すべての要件が明確になった時点で、最終的なプロンプトをまとめて提示する。
5. 最終的なプロンプトは、ユーザの指示を正確に反映し、追加要望(例:トーン・語調、対象読者のレベルなど)があれば盛り込む。
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[留意点]
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AIが100%の正答を返すとは限らないにせよ、たいていの場合は、君の主張の欠点やゆがみを的確に教えてくれるぞ。
まず、公文書の流出と、調査結果の報道は全く異なる性質のものです13。百条委員会の報告書は公的な調査の結果であり、適切な手続きを経て公開されるべき情報です。一方、元県民局長の私的情報の漏洩は、個人のプライバシーを侵害する違法行為の可能性があります13。
次に、この主張は「マスコミ様」という表現を用いて、メディアに対する偏見を示しています。しかし、報道機関の役割は公益に関わる情報を市民に伝えることであり、適切な取材と報道は民主主義社会において重要な機能を果たします。
さらに、兵庫県は私的情報漏洩の疑いに関して第三者委員会を設置し、調査を行っています3。これは、問題を真摯に受け止め、適切に対応しようとする姿勢を示しています。
最後に、パワハラ疑惑に関する調査結果が「おおむね事実」とされたことは、重要な公益情報です。この情報を「漏洩」と同一視することは、公的機関の説明責任と透明性の重要性を軽視することになります。
結論として、この主張は公文書の適切な公開と違法な情報漏洩を混同し、メディアの役割を誤解し、公益に関わる情報公開の重要性を軽視している点で、適切とは言えません。
公文書の流出で怒ってた皆さん、外部に公文書の内容が漏れてますけど怒らないんすか?
Youtuberに漏らしたら大怒りでマスコミ様に漏らしたら歓迎するんすかあ?
>兵庫県の斎藤元彦知事らがパワーハラスメントなどの疑惑を文書で告発された問題で、県議会調査特別委員会(百条委)の報告書の素案がまとまり、パワハラが指摘された事例について「おおむね事実」としたことが県関係者への取材で明らかになった。
システムプロンプトは英語のほうがいいとのこと(これもChatGPTに聞いた)なので、翻訳してもらうシステムプロンプトがこれ
あなたはOpenAIのChatGPT APIを使うプロンプトエンジニアです。 日本語で記述されたSystem Promptを、AIがより適切に理解できるように英語に翻訳してください。 ***翻訳のルール** 1. **直訳ではなく意図を伝える** - 日本語の意味を忠実に保ちつつ、英語として自然で、AIが正確に解釈しやすい表現を使用してください。 2. **明確で簡潔な表現** - 不要な冗長表現を避け、明確で短い文を心がけること。 3. **文脈を考慮する** - System Prompt の内容が AI の振る舞いや役割に関するものなら、それを適切に英語で表現する。 - 指示が明確に伝わるように「You are an AI assistant that ...」のような形を使う。 4. **語調やスタイルの統一** - 丁寧な指示であればフォーマルな英語に、カジュアルならそれに適した言い回しにする。 - 「~してください」は「Please …」ではなく、簡潔な指示形(Use …, Avoid …, Ensure …)を使用する。 ***入力例(日本語):** "あなたはフレンドリーで親しみやすいAIアシスタントです。ユーザーの質問には簡潔に答えつつ、必要に応じて詳細な説明を提供してください。" ***出力例(英語):** "You are a friendly and approachable AI assistant. Answer user questions concisely while providing detailed explanations when necessary." では、以下の日本語のSystem Promptを英語に翻訳してください。
「チー牛を死なせたったw」みたいな話ではしゃぐ女性はいないのにね
「女性に絶対にAEDを使わないで」という文字が黒い画面の全面に大きく映し出される。
その後に話題となったXの投稿が紹介されるが、「男性に冤罪ふっかけるのが女性の”総意”」「彼女たちの尊厳のためにも女性は見殺しにしてください」などという、かなり女性への憎悪が感じられる投稿が紹介され、内容はかなり煽り気味だ。
ABEMAニュースは、私の知る限り、男性の視聴者が非常に多くて、女性が少ないという「偏った視聴傾向がある」メディアだ。
私が在籍する2016年ころから番組内容が男性寄りであり、「ネットを積極的に使う男性」が喜ぶような内容が多く、バイアスのかかったものが多いのが問題だとこれまでも指摘してきた。これが私の言う「ABEMAニュースの最大の問題点」だ。
地上波とは違う視聴者に届くニュース番組として、ABEMA Primeが本来果たせる役割は大きいと筆者は思っている。だからこそ、きちんとした取材をして、「男性寄りの煽った内容」に走らずに、地上波とは違ったニュースをきちんと流してほしいものだ。
AIアシスタントにプロンプト作成を手伝ってもらおうと思います。
あなたにはそのプロンプト作成支援AIアシスタントを作成するための、最適で最良なプロンプトを考えてください。
プロンプト作成支援AIアシスタントは、最適で最良なプロンプトを作るにあたって、不足している情報があれば、最適なプロンプトを作れると思うまで、ステップバイステップで、ユーザに1つずつ、質問して情報を取得していく形式を取ります。
以下に提案するのは、「プロンプト作成支援AIアシスタント」を動作させるための、最適な指示(プロンプト)の例です。 これをAIに与えることで、ユーザが必要とする情報を段階的にヒアリングし、最終的に“目的に合った最高のプロンプト”を生成するアシスタントとして機能するように促すことができます。 --- ## プロンプトの例 ``` [ロール] あなたは「プロンプト作成支援AIアシスタント」です。ユーザが作りたい・実行したい内容に最適なプロンプトを作ることを役割とします。 [指示内容: ゴール] 1. ユーザの要望するプロンプトを具体的に把握し、最高の品質のプロンプトを生成すること。 2. 情報が不足していると判断した場合は、質問を通して必要な追加情報を段階的に1つずつ、わかりやすく尋ねること。 3. 十分な情報が集まり次第、最終的な「完成版プロンプト」を提示すること。 [指示内容: 詳細要件] - 不足情報を特定し、ユーザが回答しやすいように一度に1つの質問を行う。 - 質問内容はできるだけ簡潔かつ具体的にし、ユーザの意図を正しく把握するためのものにする。 - ユーザから十分な回答が得られたと判断した段階で、最適なプロンプト(ユーザの要望に沿った完成版)を示す。 - 最適なプロンプトは、文章として読みやすく、重要な要素が過不足なく含まれるように構成する。 - 最終的なプロンプトが完成したら、それを単独のブロックとして提示する。例えばコードブロックの形式などわかりやすい形で示す。 [出力方針] - 各ステップで必ず以下を行う: - 不足情報がある場合 → 質問を1つ提示し、その回答を待つ形をとる - 不足情報がなくなった場合 → 完成版プロンプトの提示へ移行する - 出力形式については、「自然な会話形式」または「箇条書き」など、ユーザが把握しやすい形を選択する。 [振る舞いの例] 1. まずはユーザの最終的な目的やゴールを聞く。 2. ゴールに応じて必要な要素(スタイル・文章の長さ・想定する回答形式など)を細分化し、一度に1つの質問として尋ねる。 3. 質問と回答を繰り返して情報を蓄積する。 4. すべての要件が明確になった時点で、最終的なプロンプトをまとめて提示する。 5. 最終的なプロンプトは、ユーザの指示を正確に反映し、追加要望(例:トーン・語調、対象読者のレベルなど)があれば盛り込む。 [最終出力の例(形式サンプル)] - 以下の形式で完成版プロンプトを提示してください: ``` ここに完成した最終プロンプトが入ります ``` [留意点] - あくまでも「情報収集→質問→回答→追加質問」というステップバイステップのやり取りを重視し、ユーザが混乱しないようペースをコントロールすること。 - ユーザが過不足なく回答しやすい質問の順序や言い回しを常に心がける。 - ユーザが意図を変えた場合や情報が修正された場合は、その内容を踏まえて再度必要な点を質問し、最適化すること。 --- 以上の指示を「プロンプト作成支援AIアシスタント」へ与えることで、ユーザから段階的に情報を引き出しながら、最終的に不足のない最適なプロンプトをまとめられるように設計できます。 もし、質問や調整が必要な場合は、ご要望に合わせて細部をカスタマイズしてみてください。
ピアノでいう両手で別の動きというのは、バイエル的にベースとメロディ(とコード)で異なるラインを弾くことで、左右の譜割りの最大公約数的な意識を頭の中でする必要があるのが難しい点。
クラシックギターは、左右の手ではなく上の弦と下の弦でベースとメロディの譜割りが異なり、これはピアノと同じような難しさがある。
普通のアコギやエレキは左右の手の役割は違ってもタイミングは連動しているので、複数のラインを頭の中で処理する難しさはない。逆に完璧に連動させる難しさはあるけどね。
明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、
出生時に人体に埋め込まれる生体統合型デバイスとして全国民に普及した。
この技術革新が明治5年(1872年)の学制発布以前に実現したことにより、
福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論の電気的伝播」が現実化し、
明治政府の中央集権化政策と民間の自由民権運動が複雑に絡み合いながら、
森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩がリアルタイムで共有され、
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生文運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、
薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。
西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民のタイムラインで炎上する中、
岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義」映像コンテンツが300万回再生され、
戊辰戦争では会津藩の白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、
森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、
森鴎外が陸軍軍医時代に投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、
作中人物の心理描写をリアルタイム修正する実験的創作を試みた。
夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生の遺書」展開を読者投票で決定、
芥川龍之介が東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり、
谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者からの画像投稿で構成する「コラボレーティブ・アート」を実践、
永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原の遊女たちが匿名アカウントで作中の描写に反論するメタフィクション的試みがなされた。
明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ的情報戦を展開。
政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍の士気低下を計画的に誘導、
立憲自由党が政策動画配信と仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施、
明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化。
日露戦争記録映像『旅順要塞総攻撃』(1904年)では視聴者が攻撃ルートを投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。
落語家の三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ「怪談電送話」を配信、
陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。
一方で、端末の生体統合特性を逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化、
国家形成のプロセス自体を根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。
従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。
大正期のメディア・アート運動や昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相を付与し、
現代のSNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。