2024-11-16

あの日見た姥捨山を僕達はまだ知らない

私は車で10分ほど走らなければコンビニスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。

以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。

「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松

お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネル空き家ばかり。

ただ、空気や水はずっと綺麗だし自然は美しい。

そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。


半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム

60代だしまパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。

駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。

電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。

ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。

でもこんなど田舎には戻りたくない。


地元小学校はいつ閉校してもおかしくないくら子供が減ったらしい。

私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。

子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。


別にこの土地の何もかもが嫌いなワケじゃない。

楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。

まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。

ただ、今の自分が戻るメリットがない。

幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしま自分が嫌だ。

自分お金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)

休みの日には近所を散歩したり友達遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。

あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。


田舎に両親がいて、頼れる兄弟もいない。

免許返納、介護、墓…全部自分がどうにかするしかない。

似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。

こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやす名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。


地元結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。

簡単そうで実は一番難しかったりする。



そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、

今日中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。

賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。

やっぱり私は典型的お上りさんだ。


もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。

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