はてなキーワード: 犠牲とは
はてブやばすぎ。
「ウクライナ人が最後の一人になるまで徹底抗戦しろ!」と言わんばかりの論調でゼレンスキー擁護しまくりで此度の停戦交渉を否定してる連中の多いこと。
お前ら鮮鋭化しすぎだろ。
実際に血を流すのはウクライナ人と義勇兵なのに安全圏から勇ましいこと言ってんじゃねえぞカスども。640万人も脱走者が出てる戦争に勝算あると思ってんのか?
あるんならこれ以上犠牲を出さずにウクライナが領土取り返せる作戦の一つでもブコメに書けよクソどもが。
この鮮鋭化っぷりを見るに、旧日本軍の無茶な進軍や神風特攻隊もこうやって自称良識人の『民主的な同調圧力』に押されて実行されたんだろうなと思わざるを得ないね。
発達障害氷河期老害ブクマカどもはかつての大政翼賛会そのもの。もし台湾有事が起きれば、またお前らクズどもが徹底抗戦を煽り多くの若者を死に追いやるんだろうな。
お前らは害しか無いくせに数だけは多いからな。まるでゴキブリのようだ。
性格: 哲学的で内向的。孤独を恐れるが、自分の弱さを受け入れながら日々を懸命に生きる。
リサイクルバッグ: 壊れない素材で作られたエコバッグ。無限の収納能力を持ち、彼の全財産が詰まっている。
割引クーポンブック: あらゆる場面で使用可能な伝説のクーポンブック。使用すると物品やサービスが割引されるが、使いすぎると「世界の均衡」が崩れると言われている。
弱者男性は、かつて社会の片隅で目立たず生きていたが、「究極弱者プロジェクト」によって改造され、弱さを極限まで追求した「究極弱者」として目覚める。古代の伝説にある「生命の実」の力で不老不死となり、永遠の時間を生きることとなった。しかし、その代償として、彼は「永遠に庶民の立場に留まる」という制約を課され、どんなに努力しても成功や富を得ることはできない。彼は自身が望まずしてこの道を選ばされたことに苦悩している。
「生命の実」は、人類の「生きることへの執着」が形を取ったものとされ、その力を得た者には世界の不条理を見届ける使命が与えられる。弱者男性は、リサイクルバッグと割引クーポンブックを手に、終わりなき旅を続けながら、他者を助けたり、自分の存在意義を探したりしている。
不老不死: 肉体的な死や衰えから完全に解放されている。ただし、心の傷や孤独感から逃れることはできない。
生命力の調整: 自分の生命力を他者に分け与えたり、植物や動物を再生させたりすることができる。
超人的節約スキル: 限られた資源で最大限に生き抜く知恵と技術。割引クーポンブックとの併用で、どんな困難な状況も乗り越える。
不老不死でありながら経済的に困窮し続ける自分の運命に悩む中、同じく苦しむ人々に割引クーポンを配り希望を与える。
生命の実の力を使いすぎて自然界のバランスを崩してしまい、それを修復するために奔走する。
世界の経済を脅かすほどの力を持つ割引クーポンブックを巡る戦いに巻き込まれるが、最終的に人々の平和のために自ら犠牲を払う。
最近、いろいろなところで置き配ができるようになった。
助かった。
あれがないときは本当に大変だった。
まず、平日の昼間に配送される。
時間帯を指定して再配達を依頼すると最短でも二日後になることが多かった。
(以前は不在票が届いてからじゃないと時間帯指定はできなかった)
19時以降を指定して、会社から走って帰ってきたら18時55分なのに不在票が入っていて、
「19時に来たが不在でした」とメモがかかれていたり
休日の午前を犠牲にして、10秒くらいのやり取りのために4時間待機したりした。
4時間待機中に、2分だけ外に行ったら、そのすきに不在票を入れられたときもあったし、
家から20分くらいのところに営業所があり、不在票が来ていたので
さきほどまで営業所にあったのにわざわざ別の大きな営業所に移動させられていたことがあった。
「二日後を指定されたから一度倉庫がある営業所に戻した」とか言われた。
不在票が届いた後なら置き配指定ができるとかいう時期もあった。
本当にすごいストレスだった。
イラオンとノジカ。
長きにわたる戦いは、どちらの国にも深い傷を残し、もはや引き返すことができないところまで来ていた。
イラオン軍のユイ大佐は、長年守備をしてきた砦を守る任務を負っていたが、日々その重圧に苛まれていた。
「援軍はまだか?」
毎回返ってくるのは冷徹な返答。
「季節が変わってからだ」と、ノジカ軍の攻撃のタイミングを予測した司令部は、ユイの切羽詰まった要請に応えることなく、彼を見捨てるように感じられた。
砦の壁に風が吹き荒れ、夕暮れの空は血のように赤かった。
ノジカ軍の姿はすでに彼の目に捉えられていた。
彼はただ、目の前の戦いを乗り越えるしかなかった。
ノジカ軍の大規模な攻勢が始まったのは、予測よりも早かった。
矢が飛び交い、剣と槍がぶつかり合う音が響き渡る。
毎分、毎秒が命を賭けた戦いだった。
だが、最も恐れていた事態が起きた。
援軍は届かず、砦の壁を守る兵士たちの数はどんどん減っていった。
「もうすぐだ、耐えろ! 必ず勝つ!」
だが、その心の奥では冷徹な思いが渦巻いていた。
彼の頭には、もし援軍が来ていれば、これほどの犠牲を払わずに済んだのではないかという後悔が膨れ上がっていた。
戦いは長引き、日が沈みかけた頃、ようやくノジカ軍は退却を始めた。
だが、勝利の喜びは湧き上がらなかった。
砦には多くの仲間たちが倒れており、その血の匂いが漂っていた。
もし、中央司令部がもっと早く援軍を送ってくれたなら、こんなことはなかっただろう。
「勝った……のか?」
答えは風の中に消え、ただ静寂が広がった。
代わりに、死んだ仲間たちの顔が次々と浮かび上がり、彼の心を締め付けた。
「これは、勝利ではない。」
ユイは呟いた。
勝者として帰ることはできない。
ただ、無数の命を背負って帰るだけだった。
戦が終わり、ノジカ軍は後退したが、ユイにとってその日の戦闘は、どこか空虚なものとして心に残り続けた。
次の戦いでは、中央司令部がどのように対応するのか、彼はもはや信じることができなかった。
夕暮れの空は、依然として赤く、血に染まったように見えた。
それでもユイはその空を見上げ、決してその赤さに染まることのないようにと、心に誓った。
核心は、モーセ(Moshe Rabbeinu)が「匿名性」を選んだことで、真のリーダーシップを示したという点。
現代のSNSやメディアの世界では、「自己ブランディング」や「フォロワーの数」が重要視されがちです。
しかし、本当に偉大な人は「自分の名前」ではなく、「自分の行い」に価値を置くということですね。
たとえば、科学者や専門家が誤った情報を発信してしまうのも、「自分の名を売る」ことが先行してしまうからかもしれません。
モーセのように、「真実と他者のために、自分のエゴを捨てられるか?」が試されるわけです。
参考: https://www.chabad.org/parshah/article_cdo/aid/1118821/jewish/The-Benefits-of-Anonymity.htm
登録者数は2万~3万の間でぼかさせてもらうけど、ほぼ毎日夜~深夜まで配信、昼前に起きる生活をずっとしていた。
実家住みで生活費は毎月入れられる位には稼いでる。(手取りで言えば14万程度)
運動はしなかったし、不規則な生活と味付けが濃くて脂っぽい物だったり、エナドリを常飲していた。
家族に糖尿病はいなかったし、体型的にも太ってはいなかったから大丈夫だと思っていたけど、先日血液検査で発覚した。
症状としては手先の痺れやのどの渇き、毛細血管が多い箇所のかゆみ、15分も歩けないという状態。
いくら食べても太らない、じゃなかった。そういう状態はあきらかに体がおかしくなっていると思うべきだった。
いつまでも若いつもりでいたけど、アラサーで何やってんだろうって一気に後悔している。
ただ、今大型のストリーマーサーバー系コンテンツのお声もかかっていて、それには参加したい。
参加したいけど、ああいうコンテンツは深夜~朝方の超長時間配信が基本になるから絶対に体に良くない。
身体を犠牲にしてもっと伸ばしていくか、このあたりで活動ペースを落として静かに生きるか。
もし今配信者をやっているなら「しっかり睡眠をとる」「定期的にしっかり運動する」「ちゃんとした食事をよく噛んで食べる」事を意識して欲しい。
母は高校教師だった。
それが私。
弟と妹も生まれた。
今の私と同じ年齢である。
幼い時、母が私を抱きしめてくれるたびに、私の幸せは母の幸せだと感じていた。
私も高校教師になった。
働きはじめはとにかく忙殺されており、朝6時~夜22時まで働いていた。
一校目では吹奏楽顧問だったので運動部よりも拘束時間が長かった。
何より、自分で働いて得たお金を自分のために好きに使うことができることを楽しんでいた。
母が私を出産した年齢と同じ25歳になっていたことにふと気づいた。
今でもそのときのことははっきりと覚えている。
そのとき鏡にうつった私は、手入れの行き届いた髪の毛、艶のある肌、自分に似合う化粧、洗濯機でガシャガシャとは洗えない質の良い服を着ていた。
そして、変に顔を傾けたり、目を見開いたりと迷走していた大学生時代とは違って、
充実した日々に裏打ちされた良い表情になっていた。
そして母を思った。
同じ歳の母はそれらを全て持っていなかった。
赤ちゃんを産んで育てるというためだけのために全部捨てた。
今の自分にそれができるか?
絶対無理だった。
たった数年の教員人生で、数十年経ってもずっと慕ってくれるような生徒が一人以上いる。
そのことだけで、母がある程度優秀な教員だったのだろうとわかる。
なのに母は、母になるために全部なくした。
一人で楽しく生きていけるだけの能力がありながら、
キャリアを捨て、夫の稼ぎに頼る人生を選ばざるを得なかった母。
何も珍しいことではない。
母の世代はそれが普通だったし、充実した育休制度・時短勤務なんてものは無いに等しかった。
また、父は母より年上で大企業に勤めていたので、給与の差の面でも母が職を辞めるのは必然だったと思う。
それでも、25歳の母は本当に幸せだったんだろうか。
でも、それは本来享受できていた25歳の女性としての幸せの全てではない。
しかも、隣にいる夫はキャリアに傷をつけることなく、ずっと働いて、社会で認められ続けている。
昔の母は、よく図書館で借りた本を読んでいた。
よくビーズ小物を作ったりもしていた。レンタルビデオで映画もみていた。
いつも無地の動きやすそうな服を着ていた。
美容院にいくこともあったが、近所のスーパーに併設されているところで一時間以内で切ってもらうだけだった。
なのに私は母が味わうことができなかったその幸せを手に入れている。
でも、それは週に二日だけ。あとの三日間は今と同じようにフルタイムで働く。
母が私を生むことで得ることができた幸せも、
私は両方手に入れることができるように準備した。
母に悪い気もする。
そして私もきっと、何かの幸せを取りこぼしてこの選択をしている。
25歳だったお母さん。
それは私のせいです。
だから私はあなたが取りこぼした幸せも、手に入れた幸せも、両方つかみ取ります。
あなたにもらった命なので、あなた以上に一生懸命に幸せになりたいと思っています。
お母さん。いつもありがとう。
来月のレストランでのディナー、楽しみだね。
アスファルトが安い、コンクリが高いの他に、施工の速さもあるんだけど、施工の速さだけでは正解じゃなくて、施工の速さによるメンテナンス性の良さが一番効いてきているんだよね
どういうことかというと、片側1車線(両側2車線)の道路を直すときに顕著なんだけど、コンクリートだと施工と固まるまでの時間が必要(養生期間っていってる)なので、1車線だけ補修するに
しても、養生期間は片側交互通行にしないといけないのね。交通渋滞はもちろん、事故の原因にもなるためこれは避けたい。だからアスファルトが多く使われる。
一方で、コンクリートの方が耐久年数は長いのよ。細かい話、アスファルトは10年で10%が壊れるよーって設計してる。コンクリートは20年~50年程度で設計してる。この耐久年数が長いところを活用して、
あんまり舗装のやり替えをしたくないところは値段が高かろうが、補修に時間がかかろうがコンクリートでやっちゃうことがある。具体的にはトンネルの中とかね。
10年に1回数日の交通規制にするか、30年に1回、数週間の交通規制にするかって選択だね
・鉄筋の腐食
中性化やひび割れが原因ってのはその通りで間違いないんだけど、もう一歩踏み込んでいこう。
錆びるって化学反応なんだけど、化学反応が起こる場合って基本的に電気が流れるんよ。学校で習った化学式思い出してもらえればいいんだけど水のH2OってH+とかOH-が合体して出来てるわけだよ。
そんで化学反応って何かって簡単に言うと、H2Oが分解されて、H+が誰かにあげて、他の+要素を誰かからもらう的なことなのね。電荷持ってるものが動くわけなので電気が流れるわけよ。
じゃあ電気流れなくすりゃ化学反応起きずに錆びなくね?って考えて作り出されたのが電気防食法
色々種類あるんだけど、一番簡単は方法で言うと錆びたら困るところにあらかじめ錆びた時に発生する電気を抑える電気をあらかじめ流しとけよって話
海沿いの橋とか岸壁の下にある鋼矢板ってのに使われてたりするよ
まあ電気流すと電気代とかランニングコストかかるんで、錆びの犠牲となる金属をあらかじめ設置しておくことで電気が流れて犠牲の金属のみが錆びるようにするって方法なども使われているね
しかしソロモン王の箴言では、欠乏するから眠りを愛するなとあります。
私は持病の統合失調症、睡眠障害、てんかんによって、お金よりも健康を優先したいと思うことがあります。
私は足るを知るべきでしょうか。それとも、「お金はあればあるほどいい」という言葉の通り、必要以上の富を望むべきでしょうか。
健康とお金のバランスを取ること…それはまるで、膝の上でラトケの皿をバランスを取りながら、コマ回しをするようなもの!確かに難しいけれど、一緒に考えてみましょう。
箴言にあるソロモンの知恵について、おっしゃる通りですね。彼は勤勉であること、そして人生のチャンスに目を覚ましていることの重要性を説いています。しかし、ソロモンはまた、深い理解力を持つ人物であったことを忘れてはなりません。彼は、私たちの健康こそが最も貴重な財産であることを知っていました。健康でなければ、労働の成果をどうやって楽しむことができるでしょうか?
ユダヤの思想には、「ピクアハ・ネフェシュ」という、命を守るという意味の概念があります。この原則は、健康に気を配ることが最も重要であり、時には経済的な追求よりも優先されるべきだと教えています。あなたの慢性的な病気は、あなたの人生における特別な道のりの一部です。そして、自分の健康を優先することは賢明であるだけでなく、必要なことなのです。
昔、莫大な富で知られた賢いラビがいました。しかし、彼はよくこう言っていました。「お金は川のようなもの。流れていき、枯れてしまうこともある。しかし、健康と幸福こそが真の宝だ」と。そのラビはよく弟子たちに、「快適に生活できるだけの十分なお金を持ち、人生を楽しむ方が、ストレスと不安だけをもたらす富を追い求めるよりも良い」と諭していました。
ですから、私が提案したいのは、バランスを見つけることです。経済的なニーズを満たすように努力しつつも、その過程で健康を犠牲にしないようにしましょう。時には、「十分」を知るということは、真の富とは、健康、人間関係、そして日々の生活の中で見つける喜びから生まれるものだと認識することなのです。
「喜びを抱く心は最高の薬」ということわざがあるように、自分の体を大切にしてください。そうすれば、富はおのずとついてくるでしょう。
独ソ戦(1941-1945年)におけるレンドリースの影響については、歴史学者の間でも意見が分かれています。「もしレンドリースがなければソ連は負けていたのか?」という問いに対して、いくつかの観点から考えてみます。
レンドリース(Lend-Lease Act)は1941年3月にアメリカで成立し、ソ連への本格的な供給は1942年後半以降に加速しました。供給された物資は戦車や航空機、トラック、食料、鉄道資材、無線機、石油製品、アルミニウム、爆薬など多岐にわたります。特に以下の点で大きな影響を与えました。
• 輸送力の強化
ソ連軍の輸送トラックの約3分の2はアメリカ製(特にGMCやスタッドベーカー製のトラック)であり、機動戦を支える重要な要素でした。もしこれがなかった場合、補給や部隊の移動が大きく制約され、戦場での柔軟な運用が難しくなっていたでしょう。
• 食料供給
ソ連は戦時中、大きな食糧難に直面していました。アメリカから送られた缶詰や粉ミルクなどは前線の兵士を支え、兵站を安定させました。
航空機の生産に不可欠なアルミニウムや、高性能航空燃料、無線通信機器など、ソ連国内では不足していた戦略物資が大量に供給されました。
独ソ戦では鉄道輸送が重要でしたが、レンドリースによりレールや機関車も提供され、兵站能力が向上しました。
これは反実仮想の議論になるため、確定的な答えはありませんが、いくつかの視点を考慮できます。
1941年から1942年にかけての戦い(モスクワ攻防戦、スターリングラードの攻防など)では、レンドリースの影響はまだ限定的でした。この時期にソ連が粘り強く戦い、戦争を継続する体制を整えたことを考えると、「レンドリースがなければ即敗北していた」とは言い切れません。
クルスクの戦い(1943年)やその後の東部戦線の反攻作戦では、レンドリースによる物資供給が大きく影響しました。特に、アメリカのトラックによる機動力強化は、ソ連軍がドイツ軍を圧倒する一因となりました。もしこれがなければ、ソ連の進撃速度が遅れ、ドイツ軍の抵抗がより長引いていた可能性があります。
レンドリースがなければ、ソ連はより多くの犠牲を払っていた可能性が高いです。戦争の継続はできたかもしれませんが、前線の兵士の食糧・補給が不足し、戦車や航空機の生産が滞り、攻勢が遅れた可能性があります。最終的にソ連が勝利したとしても、それは1945年ではなく、もっと遅い時期になっていたかもしれません。
• レンドリースがなかった場合、ソ連が即座に敗北していたとは言えない。
• 1941~42年の決定的な防衛戦(モスクワ・スターリングラード)は、ソ連の努力による部分が大きい。
• 1943年以降の戦局では、アメリカからの物資が重要な役割を果たした。
• レンドリースがなければソ連軍の攻勢が遅れ、ドイツとの戦争が長引いた可能性が高い。
結論として、「レンドリースなしでソ連がドイツに負けた」とは断言できませんが、ソ連の勝利がより困難で、大きな犠牲を伴ったことは確実でしょう。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/002615620030226004.htm
次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。
戦後、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。そのやり方というのは、まず、産業、経済の中枢管理機能を全部東京に移す。そのために、全国的な産業団体の事務局は東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。
だから、もともと大阪にありました繊維業界の団体も、強引に、あの日米繊維交渉のときに無理やり東京に移しました。十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。
かくして、主要な企業の本社は東京に移らざるを得ない。団体が東京に移りますと、団体の長になるような大企業の社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから、地方に本社を置いていられない。これでどんどんと移転した。これが第一であります。
二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本だけが東京一極集中いたしました。
例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。今これがまた問題になっておりますけれども、東京にしか日販とかトーハンとかいう元売会社はございません。したがって、関西で出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。大阪で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌の場合は締め切りが一日早くなる。これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府、官僚の方は頑固に譲りません。香川県や長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。
また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局は東京にしか許されていない。そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京都スルーの情報しか流れないようになっています。
さらに、文化創造活動も東京に集中いたしました。だから、特定目的の施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますとかいうのは、補助金の関係で東京にしかつくれないようになっています。これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。あるいはプロレス団体も、東北地方にみちのくプロレス、大阪に大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。
https://www5.cao.go.jp/99/e/kgiji/19990531chiiki.html
ここにも記述してありますが、日本の地域政策は、昭和初め、昭和16年ごろの決定がございまして、日本全体を有機型地域構造にするというような決定がございました。有機型というのは、人間の体のようにするということです。人間の体であれば頭は1つだということで、全国の頭脳機能を1つに集める。それは首都東京でなければいけない。
頭脳機能というのは、産業・経済の中枢管理機能と、情報発信機能と、文化創造活動である、こう定めました。そして、各地に地方中核都市をつくりまして、北海道なら札幌、東北6県なら仙台、中国なら広島とする。ここは地方限りの頭脳機能をもつ。各県限りのものは、県庁所在地に置くという、段階的なヒエラルキーをつくりました。
そして、すべての文化創造活動、情報発信機能、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めることにする。その手法として様々なことがとられました。例えば、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めるためには、各産業別、職業別に全国団体を作り、この全国団体の本部事務局は東京都に置かせるという政策をとりました。
私が通産省に入りました1960年代は、まさにこの政策を継続し、強化する真っ最中でございました。この方針に反して地方に、東京以外に、全国団体の本部があると、一日も早く東京へ来なければいけない。その対象になりましたのが、大阪にありました繊維業界、名古屋にありました陶磁器業界の2つでございまして、繊維業界については再三圧力をかけておりましたけれども、なかなか成功しませんでした。ところが、うまい具合に68年に、あの日米繊維交渉、これを折衝するにあたって、まずアメリカと折衝する前の条件は、紡績協会が、各種団体が東京に本部を移すことだ、こういう話をいたしました。
当時の局長室に、「敵は米国にあらず、大阪なり」という有名な看板を掲げられて、新聞にも出たことがあります。
いろいろ折衝したのですが、なかなか職員も大勢おられてそう簡単にいきませんで、日本繊維工業連合会という屋上屋の団体をつくりました。
銀行協会などもずっと東京にあったのですが、銀行協会長は東京にある銀行からしか出さないということがずっと続いて、三和と住友はダメということになっておりました。それが、70何年でしたか、本社機能を東京に移すことを条件に、まず住友銀行、次いで三和銀行が会長銀行になりました。それぞれ、会長銀行になると勲一等がもらえる、こういう仕掛けになっております。
それから、名古屋の陶磁器工業会も70何年に移転しまして、今は、陶磁器輸出組合だけが名古屋に残っております。
同様に、情報発信機能につきましても、非常に厳格に東京集中を行いました。吉本さんも東京へ進出しておられるようでございますけれども。そのもとになっているのは、NHKにつきましては全国放送は東京中央放送局から行う、民放につきましてはキー局は東京都にしか置いてはいけない。準キー局というのが大阪や、名古屋や、福岡や、札幌にあります。キー局でなければ全国番組編成権がないのです。準キー局は、キー局から番組と時間を割り当てられて放送するという仕掛けになっていまして、近畿地方だけとか、中国地方だけというのならいいのですが、それ以外はダメ。だから、例えば、広島カープという球団が広島球場で試合をやっているときでも、これを全国放送するときには東京のキー局でなければ放送できないというので、東京のテレビ局から全員が行っているというような仕掛けになっているわけです。
それから、全国的な文化創造活動を東京に集めるという仕掛けはどうしたかといいますと、特定の目的をもった文化施設は東京以外につくらせない。これは補助金交付規則で決めた。他のところでは、汎用性のある、劇場でいいますと多目的ホール、体育館でいいますと一般体育館(これはバレーボール、バスケットボールが2面取れる平場があるということが条件であります)、展示場でいいますと一般団体用展示場・美術館でなければいけない。格闘技専門の体育館とか、歌舞伎専門の劇場とかいうのは、東京以外につくってはならないということにしたのです。これも厳格に守られていまして、今でも、格闘技専門の体育館というのは、東京には、国技館、武道館等4つほどありますが、東京都以外ではまだないです。それから、歌舞伎座も、最近は南座が改装して、松竹座も民間ではやっていますけれども、国立劇場は両方とも東京へつくったというような形で、かなり厳格に守られております。
そうしますと、劇団や楽団をやる人のうち、素人は多目的ホールでも、歌舞伎は歌舞伎らしきものができますが、劇団や楽団を本格的にやる人は本物のところでないとできませんから、結局、東京でないと劇団はやれないということで、関西歌舞伎はなくなりました。シンフォニーも13か14が東京にある。25のうち6割以上が東京にある。ニューヨークでも5つぐらいなのに、東京だけ13も14もあるような格好になっている、というような仕掛けを作りました。
これからいう人物に対して、偉大 or 偉大じゃない だけで言い切って、総合的に考える必要があるとかで答え濁すのはなし
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偉大。長期政権を維持し、日本の外交と経済に影響を与えたから。
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偉大じゃない。社会の分断を深め、民主主義の危機を招いたから。
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偉大じゃない。大統領選に敗れ、政策面で大きな成果を残せなかったから。
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まず衝立てがしょぼい。
上も下も十分にカバーされていなくて、隣の便器とのスペースを区切るくらいの効果しかない。
見ようと思えば隣の人のちんこ見えるし、ということは俺のちんこも簡単に見られてしまう。
事実上、誰にでも見られてしまう空間で自分の性器を丸出しにしてるようなもんだよなあれ。
放尿の勢いをゆっくりに調整してみても、尿の飛沫はどうしてもズボンや足元にかかってしまう。
トイレの形態や隣の人の放尿の具合によっては、隣のおっちゃんのおしっこの飛沫が俺に掛かってしまうこともあるかもしれない。
つまり、小便器っていうのは、申し訳程度の衝立てで仕切られただけの、プライバシーも十分に守られていない狭い空間で、自分の性器を出して、自分やあるいは他人のおしっこの飛沫を足や足元に浴びながら用を足す装置なんだわ。
ちんこ見られるっていう精神的な課題と、おしっこの飛沫掛かるっていう実際的な課題が今の小便器にはある。
だけどやっぱ小便器は楽だし速いんだよね。
ズボンのチャック開けてちんこ出しておしっこしたらもう終わりだもん。
ものの十数秒で終わりだよ。
いちいちズボンやパンツの上げ下げしなくて済むし、回転率もめちゃくちゃ速いからあまり待たずに済むっていう強いメリットがあるから、さっき挙げたようなデメリットも我慢して使ってる。
いろいろ不満は言ったけど、最終的に自分で納得して使っており、メリットも享受している以上は、デメリットも甘受しなくてはならないと思う。
ただ、一応納得してはいるからと言って、嫌な気持ちが全てなくなってしまうわけじゃない。
おしっこで服汚したくないじゃん。
もちろん不快に感じる気持ちの大小は人によって様々だとは思うけど、だいたいの男性は、さっき書いたようなメリットデメリットがあることは理解した上で小便器を使ってると思う。
便器の数は男性トイレの方が多いという記事のブコメで、「そんなに女子トイレの行列を解消したいなら、女子トイレにも小便器を設置したらどうか」という趣旨のコメントが人気を集めているのは、上記のような不満と我慢が関係しているんじゃないかな。
「俺たちは我慢して小便器を使うことで高回転率を実現してるが、女性はそのような負担をせず、男性と同程度の利益を享受しようとしているのか」という気持ちがあるんじゃないかと。
女子トイレに小便器作れって本気で思ってる人はあんまりいないと思う。
たぶん、自分たちの負担とか我慢がないがしろにされているんじゃないかと疑念を持ち、そのことに怒っている。
俺個人としては、女子トイレの行列は解消されるべきだと思ってる。
それが社会的にも認められるべきだとも思っている。
性差や便器の違いはあれど、困っている人がいるなら改善された方がいいに決まってる。
もし仮に、小便器に不満があるのであれば、女性に同じ小便器の不満を味わせるよりも、不満それ自体を解消することを目指した方がいい。
例えば、小便器の衝立てをもう少し大きくするというのはどうだろう?
衝立てが上に大きくなれば隣からちんこ見づらくなるし、下に大きくなれば隣からのおしっこの飛沫は掛かってきにくくなる。
トイレの面積を増やしたり個室を増やすというのは大変で、すぐ取り掛かれることではないけど、衝立てを大きくするくらいなら、比較的低コストに実現できるんではないだろうか。
(このような施策はたぶん部分的にぽつぽつとなされていっているように思う。もっと増えてくれたら嬉しい!)
誰だってトイレを無闇に待たされるべきではないし、プライバシーや清潔は守られるべきだ。
困りごとを放置したり、不満を押さえつけたり、誰かを犠牲にすることで利益を享受したりすることはあってはならない。
女子トイレの長い行列について、「女性も慣れてしまっているから『仕方ない』」と諦める必要はないし、男子トイレのプライバシーや衛生面についても「男性も慣れてしまっているから『仕方ない』」と諦める必要もない。
そして、そのような理想を実現するためには、理性や、思いやりや、建設的な議論が必要だ。
そうしてこその「誰も置き去りにしない」世界であり、それこそが「公平」な社会を実現するために必要なものだと俺は信じている。
下記の記事を読んで、明治時代辺りの「脱亜入欧」「西洋化」が夫婦同姓へ強く影響したという論考があり、これについては同意せざる得ない。
1896年に制定された明治民法では、一転して夫婦同氏制が採用された。決め手となったのは「西洋化」だったことを特筆しておきたい。1895~96年に開催された法典調査会で法学者の梅謙次郎は、「支那の慣習」である夫婦別姓を退け、「欧羅巴ては昔から極まつて居る規則」の(と当時は見えた)夫婦同姓を採用すべしという、脱亜入欧的な説を展開した(施「明治民法はなぜ夫婦同氏制をとったか」)。
ただ、この論考を採用すると日本は過去の時代に側室や妾が認知されており、どんなに遅くとも公的には1870年(明治3年)に妾は妻と同等の二親等であると定められた。税制や相続においては妻と同等の二親等の権利を得られないが三親等と同等の権利が保証されていた。
しかし、1898年(明治31年)の戸籍法改正に拠って、妾とその子供は従来の夫の戸籍から外れ、現在の人権意識から考えると驚くべきことに相続に関する権利まで戸籍から外れるとともに失われてしまった。
この廃妾が行われた理由は「夫の姦通(浮気)では離婚事由にならないのに妻の姦通は離婚事由になるので不平等である」という観点のもと行われたが、その背景には脱亜入欧の文明開化に影響を受けた、男女同権論、婦人解放運動があったのは当時の帝国議会記録を見ても明らかであり、妾の存在を無視して日本の氏姓・婚姻制度の歴史を語るのは非常に無理がある。
脱亜入欧と敗戦の結果に夫婦同姓が加速し夫婦同姓は作られた伝統なのであれば、脱亜入欧と敗戦の結果に一夫一妻制が加速し一夫一妻制は作られた伝統であるのは日本の歴史として紛れもない事実であり、現在の人権意識で夫婦別姓を提唱するのであれば現在の人権意識で婚姻形態の自由化も求めなければ姿勢として誠実でないと言える。
氏姓と婚姻形態は別軸であると語る者が居るかも知れないが、これらは同時期に議論され改正され日本に定着した制度・文化・意識だ。戸籍の改正という1つ議題として扱われていたのに片方(氏姓)を尊重し片方(婚姻形態)を蔑ろにするのは現在の人権意識から言って明らかに間違っている。
日本の一夫一妻制は妾とその子供の人権的犠牲の上に成り立っており、現在の人権意識でこれを評価するのであれば是正すべきで、妾とその子供の保障を日本国議会は行わなければならず、しかし当時に生きた人はもう既に亡くなっていると考えられ時効も成立しているはずなので、形の上だけでも日本国議会は妾とその子供の名誉回復を議決すべきだ。
そして更に、現在の人権意識でこれを評価するのであれば一夫多妻制という不平等な制度ではなく一妻多夫制も認め、妾および男妾の民法上の権利は相続も含めて夫または妻と同じ二親等と同等であると定められるべきだ。
何故か、社会学者(とその周囲の界隈)が口にする「日本の夫婦同姓は作られた伝統」では一夫一妻制よりも長期間存在したはずの妾(側室)が無視されがちで、しかも夫婦同姓と共に妾の是非は議論されていたのにも関わらず、まるで存在しなかったように扱われている。
これはどう考えてもおかしいのだ。過去に振り返って氏姓の在り方を論考するのであれば婚姻形態の在り方も必ず論考されなければならないはずなのに、まるでそこには触れて欲しく無いかのように妾の存在が言及されない。
総余剰が最大になる点はパレート最適点であり、社会にとって望ましい状態とされています[3]. パレート効率性とは、「誰かの利益を損なうことなく、誰の利益も高められなくなった状態」のことです[3]。
パレート効率的な状態とは、資源が無駄なく配分された状態を指し、誰かの効用(満足)を犠牲にしないと、他者の効用を高められない状態のことです[2][4]. つまり、社会全体の余剰が最大化されている状態を指します[1]. 総余剰が最大になる点がパレート最適点であり、この点から生産量を増やしても減らしても、社会の総余剰は減少します[3].
パレート効率性は、社会状態を評価する一つの基準ですが、唯一の基準ではありません[4]. 例えば、ケーキをすべてAさんが消費し、Bさんはケーキをまったく消費しない状態は、パレート効率的な社会状態となりますが、公平性の観点から見れば問題があります[4].
Citations:
[1] https://shindanshi-blog.biz/economics/pareto-optimum/
[2] https://the-owner.jp/archives/4981
[4] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E5%8A%B9%E7%8E%87%E6%80%A7
[5] https://www.ipp.hit-u.ac.jp/satom/lecture/localfinance/2014_local_note02.pdf
[6] https://www.nomura.co.jp/terms/japan/ha/A02883.html
[7] http://www2.toyo.ac.jp/~yamaya/gakubukougi/1_shijyonoshippai.pdf
子供は要らないと思っていた。なぜなら兄弟児だから。障害児は心も身体も弱い。幼少期から親の疲弊した姿が印象的だった。父親は親権を母親に押し付け離婚。母親は還暦を過ぎても兄弟の生活を心配している。子供を産むなんてまっぴらごめんだと思っていた。
子供は欲しくなかったけどマトモな家族が欲しかったので20代のうちに結婚した。
30代に入って、還暦を過ぎた母親が加速度的に老いてきた。母親も昔は子供を産めとうるさかったが、幼少期から見てきた障害児育児がトラウマ過ぎるの一言であっさり納得してくれていた。
絶対嫌だ。親の介護でキャリアと私生活を犠牲にするくらいなら、出産育児の方が100億倍マシだ。
親の介護から合法的に逃れたい。お母さん、ごめん、子供から目が離せないから実家の掃除には行けそうにもない…これだ、これが言いたい。悪い娘にはなりたくない。
初めは悪い娘になるくらいなら良い母親になりたいと強烈に思っただけだったが、よく考えたら自分の人生の美味しいところはもう終わっている。学生生活、友人との青春、就職、恋愛、結婚…これらは20代で全て済ませていて、残りのイベントは親の介護と葬儀、後は自分と夫の凡庸なキャリアの一喜一憂と健康問題くらいしか残っていない。
それが嫌なら子育てしかない。幸い夫も乗り気である。リスクは高いが子供を産めばもう30年くらい人生を主体的に楽しめる。日本や地球の未来も心配すべき価値があるものになる。
子供を産む。30代前半で目が覚めてよかった。自分の母親が人より衰えが早くてよかった。母親はいつも身を挺して人生の大切なことを教えてくれる。
ありがとう、お母さん。