はてなキーワード: 帰省とは
ショックな頭の中を整理するためにこれを書いている。
もしこれを読む人がいれば、私はどうすべきか、あなたならどうするか、教えてくれると嬉しい。
今日仕事から帰り、買い物のレシートを捨てようとしたところ、ごみ箱の中に私のものではないレシート類がまとめて捨てられているのを発見した。
レシートは裁断して捨てるように何度も言っているのに、なかなか理解してくれない。
私のものとまとめて破り捨てようと思い取り出したところ、コンビニATMの明細があるのを見つけてしまった。
中身を見てしまった私が悪い、悪いのだが、
明細の科目欄にはカードローンとの表記があり、残高にはマイナスの記号とともに、50万円ほどの金額が書かれていた。
ATMの明細はもう一つあり、こちらも消費者金融への振込みたいだ。金額は1万円。
すごく動揺した。いまも手が震えている。
前回はちょうど1年前、同棲を開始するちょっと前で、そのときも50万円ほどだった。
発覚した経緯は忘れたが、そのときも返済の目途が立っていない(毎月1万円ほどしか返さず、元本が減っていなかった)ため、私が返済を立て替えた。
正確には、借入残高を聞いて現金50万円を渡した。
ここで借金はなくなっていたはずだ。
立て替えた50万円は、毎月2万円ずつを返済してもらっていた。
一度返済をスキップした月もあったが、事情は分かっていたし、私も合意したうえでのこと。
年末に噓をつかれていたのか、何か年始に高額の出費が必要な何かがあったのか。
そもそも渡した50万円を、返済に使っていなかったとか?
一緒に暮らして1年、過剰な支出や浪費をするタイプではないように見える。
パチンコや競馬もやっていなさそうだし、ポンと高額な買い物をするタイプでもない。
気になったことといえば、ウーバーの利用とネットでの買い物が(私に比べて)多めなことくらいか。
それでも、私自身が人に比べて少ない自覚もあり、世間一般からすると、そこまで多いほどとは言えないんだと思う。
年末年始、飛行機の距離の実家に帰省していたが、それだって50万円もするわけがない。
隠されていたのか、噓をつかれていたのかわからないけど、信頼されていないことがショックだ。
ついでに言えば、それを隠し通せない浅はかさに情けなさも感じる。
近いうちに結婚するつもりで始めた同棲だが、信頼されていない(またはできない)相手と、このまま関係を続けていくべきかわからない。
このことを相手に問いただすべきか、相手が話してくれるのを待つべきか、それもわからない。
私自身はまめに家計簿をつけており、お金のことには相当細かい自負がある。マネーリテラシーが合わない感覚もある。
付き合って2年になる。人として嫌いなわけではない。私自身ここまで長く付き合った異性はおらず、これを逃すと次はいつになるか、という不安もある。
ただ、こんなに大事なことを隠している相手と、それを平気な顔して週末過ごしていた相手と、今後も一緒にいるべきかがわからない。
違うな、べき論では一緒にいるべきではないのかもしれないが、私は一緒にいたいのだ。
大事なこと(と言っても、50万円くらいどうとでもなる金額だと思う)を、隠さず相談してほしいだけなのかもしれないなあ。
それでも、ショックなのは変わらない。
たまたま知ってしまったものをどうすればいいのかもわからないし、これ、結婚の話が進んだとしたらずっと隠され続けるのだろうか。
前も少し計算したけど、50万円の借り入れを1万円ずつ返していっても、半永久的に返済が終わらなかったような。
年始に、そろそろ両親と会ってほしい、と言ったらはぐらかされたのを思い出した。これがあったからなのかな。
一緒にいたい気持ちはある、(相手はともかくとして)個人として結婚を急ぎたい気持ちもある、
相手には隠しごとがある、私が知っていることを相手は知らない、いつ打ち明けてくれるかもわからない。
向かいの家の長男が死んだ。28歳。死因は、多分、急性硬膜下血腫。頭ぶつけて死んだらしい。
中学校は不登校になったものの、高校・大学と進学し、旅をすると言って、(年末に帰省はしてたみたいだが)2年ほど実家には帰らず、行き先も分からず、急に帰ってきたかと思えば、日本語を話せるフランス人と日本人のハーフの美人女性を連れ帰ってきて、数週間後に結婚。結婚したら、実家を離れ、夫婦2人でアパートの一室借りて暮らしてたそうな。
これから楽しい人生の始まりや!ってところに見えるが、呆気ない終わり方に思える。
ある日、1歳5ヶ月の娘と自宅でまったり遊んでいたら、宅配便が来た。予定外だったので夫への荷物かな?と思いながら受け取ったところ、宛名は夫、品名には雛人形。
やべぇ、と思った。
開封してみると、雛人形(3段)と額縁に入ったひな祭りの絵。どちらも義母の手作り、手描き。
正直どちらも上手いとは言えない出来で、絵に関しては色使いがかなりかなり個性的。というかちょっとコワイ。娘にも見せたけど反応は薄かった。
どうしよう、いらない……
生まれて初めての節句では何も贈ってこなかったから、油断していた。
手芸を趣味にしていることは知っていて、義実家に帰省すると玄関に不思議な置物?が置いてあったり、ちりめん細工の季節の掛け飾りがあった。どれも義母が手芸教室で作ったものだと言っていた。だけどまさか送ってくるとは。
1歳児の手の届くところはダメだし、飾る場所なんてないよ。窓枠とかに置けるくらいもっと小ぶりな物にしてよ。親王飾りだけ使うとしても、首が取れやすくてまじでホラー。
絵は飾れる。飾れるけど拘って買ったインテリアと合わなさ過ぎて飾りたくない。
うちは一軒家で余っている部屋もあるにはある。現時点で物置になっているのも事実。
だが!!それは仮の姿で、いずれは子供たちの部屋になる予定の部屋。夫の転勤の可能性もあるのでなるべく物は買わないようにしてきた。
手芸が趣味なのは良いよ。素敵な趣味だよ。だけど、贈り物にはしないで。捨てられないけど邪魔だし、喜ぶふりをしないといけないのも疲れる。
こういう物が欲しい、作って!とか言われたら贈る、じゃダメなの?なんで事前に相談なく送り付けちゃうの??
前に「家に物を増やさないようにしてる。特に人形は捨てにくいからぬいぐるみも買ってない。雛人形もいらない。実家に立派な雛人形があるから実家で飾ってもらったら遊びに行く。」といって暗にいらないアピールしてたのに。全然聞いてなかったんだろうな。
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追記2
ここまでコメントとかはてブがついたの初めてだから驚いてます、お時間頂戴して申し訳ない。
なんか幼いとか、上から目線だっていう話が出てるんだけど、普通に話しかけてるのにスマホいじってあんまり会話しない、っておかしくない?
別にもてなしてくれとか、それ以前に年下だろうが年上だろうが、人としてちょっと性格を疑ってしまうんだけど…。
特に結婚しますの挨拶の時って、一応は一生に一度で大事なイベントだと思ってたから、そんな適当でいいんかな、と思って結婚自体ちょっと疑ってしまったのよ。
それでモラハラっていうのはちょっと心外というか、ほんとにいろんな価値観があるんだなと思いました。
ほんとに色々コメントありがとうございました、みんな幸せに生きよう。
男女逆で書いてないかってチラホラあるんだけど、男なのよ…。よく男女逆みたいな夫婦と周囲から言われるのは確か。
別に嫌がらせとかは受けてないんだけど、最初の挨拶の時点でスマホいじって全然話しないのは嫌がらせなのでは?って思ってしまった。今考えればただのコミュ障なんだと思う。
俺の実家は徒歩30分くらいのところにあるから、年末年始とか妻が帰省しない時は俺の実家でおせちとかお餅とか食べてたんだけど、妻に聞いたらめちゃくちゃ頑張ってたらしい。
俺の両親(父は最近死んだ)は妻のこと結構好きだったから色々話しかけてたんだけど、思えばそれも苦痛だったんだな。申し訳ないことした。
お互いの家行き来するのは基本的に今後しない、で俺も全然いいんだけど、それに対してなんであんなに不満なのかいまだに理解できないんだよね…。
別に俺自身は義実家と仲良くしたい欲はないよ、でも結婚したからには自然なコミュニケーションは取っておいた方がいいかなって考えてた。
結婚後しばらくは、できるだけ義実家にも行ってたんだけど、その都度同じ感じだから心が折れちゃったのよ。懐狭いのかな?
これまで育ってきた環境が違うんだから考え方が違って当たり前なのは十分理解してるけど、そういう障害というかハードルは低い方がいいよねって思う。
これから結婚考えてる人は、似た環境の相手と一緒になった方がいい。ストレス少ないよ。
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妻は東北地方の田舎で育って、年に1・2回くらい帰省している。
義理の両親が変というかコミュ障で、俺が話しかけても「うん…」「そうね」で終わって全然会話にならない。
結婚の挨拶をしに行った時は必要最小限の会話だけで、俺とは何の会話もなく、妻としか話さない。
あまりの態度の悪さにびっくりして、結婚をキャンセルしようと話し合った。
妻は泣きながら「ごめんね、もう絶対こういうことさせないから」と言っていたが、数年経ってもこの様子は変わらない。
その後頑張って妻の実家に帰省しても(古い家で、物がめちゃくちゃ多くてアレルギーが出る)、会話も弾まないから楽しくも何ともない。
俺が色々話しかけても全然会話にならない。もう心が折れて頑張る気力もない。普通に塩対応してる。
義理の両親が子供の様子を時折みにくるんだけど、なぜか我が家に泊まろうとする。
いや、ホテル取ればいいじゃん。なんなら姉か妹の家に泊まればいいじゃん?
それを何となく伝えると「やっぱりあなたは私の両親が嫌いなんだね」という。
先日、あまりにもそう言ってくるから、いまだに最初のトラウマがあったし、心も折れてるから仲良くしようとは思わないとはっきり言った。
すると、俺の母と会う時も緊張するから私だって頑張ってたんだ、という。
いやいやいや、緊張はするかもだけど色々気を使って話しかけてるじゃん?会話しようと頑張ってるじゃん?スマホとかいじらず会話振るじゃん?
何でもかんでも一緒にしようとするなよ。
妻とは価値観合うんだけど、その周囲にいる人間とあまりにも話が合わない。
だからこれから結婚を考えてる人、マジで相手の家の感じとか価値観とか、見た方がいいよ。
なんだかんだ大事だよ。
日 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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01 | 2563 | 264727 | 103.3 | 37 |
02 | 2209 | 288507 | 130.6 | 40 |
03 | 2292 | 277385 | 121.0 | 43 |
04 | 2486 | 298108 | 119.9 | 42 |
05 | 2215 | 330241 | 149.1 | 44 |
06 | 2320 | 299295 | 129.0 | 41 |
07 | 2547 | 259821 | 102.0 | 41 |
08 | 2590 | 271530 | 104.8 | 39 |
09 | 2634 | 274673 | 104.3 | 44 |
10 | 3263 | 333868 | 102.3 | 41 |
11 | 2326 | 381554 | 164.0 | 50 |
12 | 1777 | 248387 | 139.8 | 44 |
13 | 2585 | 338475 | 130.9 | 41 |
14 | 2429 | 292957 | 120.6 | 40 |
15 | 2428 | 220601 | 90.9 | 37 |
16 | 2234 | 238471 | 106.7 | 43 |
17 | 2171 | 212801 | 98.0 | 37 |
18 | 2706 | 276400 | 102.1 | 41 |
19 | 2483 | 265982 | 107.1 | 44 |
20 | 4028 | 423801 | 105.2 | 48 |
21 | 3307 | 344309 | 104.1 | 44 |
22 | 3148 | 290281 | 92.2 | 42 |
23 | 3080 | 320100 | 103.9 | 40 |
24 | 3388 | 323886 | 95.6 | 38 |
25 | 2210 | 247438 | 112.0 | 42 |
26 | 2090 | 239324 | 114.5 | 40 |
27 | 3231 | 308772 | 95.6 | 40 |
28 | 2866 | 354113 | 123.6 | 42 |
29 | 3234 | 325231 | 100.6 | 39 |
30 | 2857 | 296949 | 103.9 | 42 |
31 | 3075 | 336084 | 109.3 | 42 |
1月 | 82772 | 9184071 | 111.0 | 41 |
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箇条書きにしたら、とんでもない家庭だなと。私は長男
1987年 父親ほのぼのレイク、アイク、武富士、ワイドから数百万の借金。祖父が返済
1989年 父親武富士、ワイドから数百万借金。母親の両親が返済。消費者金融チンピラが家に乗り込んで来て布団を破かれた
父への尊敬がないからとの理由と叱責。朝5時まで母親、長男を正座させ祖父と父親は4リッターほどの焼酎を飲み干す
1995年 父親、アコム、武富士から数十万の借金。長男学資保険を解約し支払い
2000年 正月帰省時、出前の寿司のお金が支払えず地元の寿司屋から催促。2ヶ月分割
2001年 祖母が死去。葬式が貧相だと親戚一同から怒られる。通夜、葬式時のお礼なし食事なし
箇条書きにしたら、とんでもない家庭だなと。私は長男
1987年 父親ほのぼのレイク、アイク、武富士、ワイドから数百万の借金。祖父が返済
1989年 父親武富士、ワイドから数百万借金。母親の両親が返済。消費者金融チンピラが家に乗り込んで来て布団を破かれた
父への尊敬がないからとの理由と叱責。朝5時まで母親、長男を正座させ祖父と父親は4リッターほどの焼酎を飲み干す
1995年 父親、アコム、武富士から数十万の借金。長男学資保険を解約し支払い
2000年 正月帰省時、出前の寿司のお金が支払えず地元の寿司屋から催促。2ヶ月分割
2001年 祖母が死去。葬式が貧相だと親戚一同から怒られる。通夜、葬式時のお礼なし食事なし
なんかギョーザを父も子どもたちも同数しか与えないのが当たり前という考えの女性の漫画が話題だ。
経験から言わせてもらうが、この手の女は夫はもちろん、成長期の子供に対しても食べ物を増やそうとすることは絶対にない。断言する。
こういう女の子供として生まれ育ったが、おかずは少数、足りなかったら米を食えと言われてそのようにした結果、姉はチビデブ、俺は20歳くらいで糖尿病になった。おかずが少なかったため、肉や野菜に比べて糖質の摂取量が多すぎるのだから当然だろう。医者が母親に食事についていろいろ言ったが、特に何かが変わるといったことはなかった。
親父は色白で痩せ型だと思っていた。体調を崩して入院したところ、そこそこ体格も血色もよくなって驚いた。ところが退院する段になって「家に帰りたくない」とこぼしていた。親父も母親のせいで食べ物に困らされていたのだろう。
あまりにも俺や姉の発育が悪いので、父や母の両親が母にいろいろ言ったようだが、結局改善されることはなかった。
俺も姉も成人後に家を出た。親父が俺達に家を出ることを勧めていたのは「そういうこと」だったのだろう。
長年に渡って染み付いた食生活を変えることは大変だったが、自分でコントロールできるようになり、姉の体格はなんとか「ぽっちゃり」と強弁できる程度に落ち着いたが、俺の糖尿は治っていない。食事の管理は面倒くさいし、薬の副作用で起きる身体のかゆみに悩まされている。カレーやラーメンを食べるときも数字のことが常に頭にあり味を楽しむゆとりなどない。
帰省するときに母親が用意する食事は、言うまでもなくお察しの通りだった。デパ地下や仕出しのオードブルなんぞを買っていくと親父が喜んだのは、単に嬉しい以上の何かがあったに違いない。
あるとき、親父の歩き方がぎこちないのが気になった。まもなく親父は歩けなくなった。
葬式で目にした親父はガリガリに痩せていて目が落ちくぼみ、映画の「スクリーム」みたいな顔になっていてまるで別人だった。
母親が席を外した隙に見た死亡診断書は、「直接の死因ではないが関連すると思われる症状」みたいな項目のところに「極度の栄養失調」と書かれていた。ほぼ餓死だ。
母親を問い詰めたところ「食欲がないと言ってろくに食べようとしなかった」と言い張っていたが、話に明らかに辻褄の合わないところがあったので、多分ろくに食わせてもらえなかったのだろう。
父方の祖母は「こんな女との結婚を許すべきじゃなかった」と泣いていた。
この手の女と添い遂げようとすると殺されるか、良くても人生を狂わされる。だからこの手の女が妻や母親である場合、家族はさっさと逃げるべきだ。
私たちは兄妹でありながら、あることをきっかけに深い関係になってしまいました。この話は、私たちが経験したことを正直に綴った体験談です。読んでくださる方々には、私たちの気持ちや状況を理解していただければと思います。
私たちは幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。祖父母は愛情深く、私たちを大切にしてくれましたが、経済的には厳しい状況が続いていました。兄の私は、妹の面倒を見ることが当然だと思っていました。妹は私を慕い、何かあればすぐに相談してくるほど、私たちの絆は深かったです。周囲からも「仲の良い兄妹」と言われることが多く、私たち自身もその関係を当然のことと思っていました。
幼少期の思い出は、今でも鮮明に覚えています。妹が初めて自転車に乗れるようになった日、私が後ろで支えながら何度も練習したこと。雨の日に傘をさして一緒に学校へ行ったこと。祖父母が忙しい時には、私が妹の食事を作り、彼女が泣きそうになると必ずそばにいて慰めました。私たちはただの兄妹ではなく、互いの支えであり、心の拠り所でした。
時が経ち、私たちはそれぞれ大学生になりました。私は地元の大学に進学し、アルバイトをしながら家計を支えていました。妹は遠方の大学に進学し、寮生活を始めました。物理的な距離ができたことで、私たちの関係にも少しずつ変化が現れ始めました。妹は新しい友人や恋人を作り、自分の世界を広げていきました。しかし、彼女はいつも私のことを気にかけていました。私もまた、妹のことを心配しつつも、自分の人生を歩み始めていました。
大学生活は、私たちにとって新たな挑戦でした。私はアルバイトと学業の両立に追われ、妹は新しい環境での生活に慣れるのに必死でした。それでも、私たちは定期的に連絡を取り合い、お互いの近況を報告し合っていました。妹が初めて彼氏ができたと報告してきた時、私は複雑な気持ちになりました。彼女が幸せそうに話す姿を見て、嬉しい反面、どこか寂しさも感じていたのです。
ある夏休み、妹が実家に帰省した際、私たちは久しぶりに一緒に過ごす時間を持ちました。その中で、私たちはお互いに対する感情が以前とは違うことに気づきました。幼い頃からの絆はそのままに、そこに新たな感情が芽生えていたのです。最初は戸惑い、混乱しました。兄妹としての関係を越えることは、社会的にも倫理的にも許されないことだとわかっていました。でも、その感情を抑えることができませんでした。
私たちは長い時間をかけて話し合いました。兄妹としての関係を壊すことなく、この感情をどう扱うべきか。最終的に、私たちは事実婚という形を選びました。法律上の婚姻関係にはならず、社会的な承認も得られないことは承知の上でした。でも、私たちにとってはこれが最善の選択でした。
事実婚を選んだことで、私たちは多くの困難に直面しました。周囲の理解は得られず、非難や中傷を受けることもありました。祖父母は当初、私たちの選択を理解できずにいました。彼らにとって、兄妹が事実婚するというのは受け入れがたい現実でした。しかし、時間をかけて話し合い、私たちの気持ちを伝えることで、少しずつ理解を示してくれるようになりました。
友人たちの反応も様々でした。中には私たちを支持し、応援してくれる人もいましたが、多くの人は困惑し、距離を置くようになりました。特に妹の友人たちは、彼女が兄と事実婚するという選択に驚き、戸惑いを隠せないようでした。でも、私たちはお互いを支え合い、この道を歩み続けました。
兄妹としての絆と、パートナーとしての愛情を両立させることは簡単ではありませんでした。私たちは常にバランスを取りながら、お互いの役割を見つけていきました。例えば、家庭内での役割分担や、お互いのプライバシーを尊重すること。兄妹としての関係を保ちつつ、パートナーとしての信頼関係を築くことは、時に難しいこともありましたが、私たちにとってはそれが自然なことでした。
経済的な面でも、私たちは協力し合いました。私はアルバイトを続けながら、妹の学費をサポートし、妹もまた自分のできる範囲で家計を助けてくれました。私たちは共に目標を立て、将来の計画を話し合いました。例えば、将来的には家を購入し、安定した生活を築くこと。そして、可能であれば子供を持つことも考えていました。
社会的なプレッシャーは常に付きまとうものでした。私たちは時には世間の目を気にしながら生活しなければなりませんでした。でも、私たちはお互いを信じ、この関係を守ることを誓いました。兄妹としての絆はそのままに、新たな形の愛を見つけることができたと思っています。
今では、私たちはこの関係を受け入れ、前向きに生きています。兄妹としての絆はそのままに、パートナーとしての愛情を育むことができました。この体験が、誰かの心に何かを残せればと願っています。私たちの選択が正しかったかどうかは、時間が証明してくれるでしょう。でも、今この瞬間を大切に生きることが、私たちにとっては一番重要なことなのです。
最後に、この体験談を読んでくださった方々へ。私たちの選択は、必ずしも全ての人に受け入れられるものではないかもしれません。でも、愛の形は一つではないということ、そして家族の絆がどれほど深いものであるかを、少しでも感じていただければ幸いです。私たちはこれからも、お互いを支え合い、この道を歩み続けます。
私たちは兄妹で事実婚をしました。この話を聞いて、多くの人は驚き、戸惑い、あるいは拒絶反応を示すかもしれません。でも、これは私たちの現実であり、私たちが選んだ道です。この体験談が、誰かの心に何かを残せればと思い、正直に綴ります。
私たちは幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。祖父母は愛情深く、私たちを大切にしてくれましたが、経済的には厳しい状況が続いていました。兄の私は、妹の面倒を見ることが当然だと思っていました。妹は私を慕い、何かあればすぐに相談してくるほど、私たちの絆は深かったです。周囲からも「仲の良い兄妹」と言われることが多く、私たち自身もその関係を当然のことと思っていました。
幼少期の思い出は、今でも鮮明に覚えています。妹が初めて自転車に乗れるようになった日、私が後ろで支えながら何度も練習したこと。雨の日に傘をさして一緒に学校へ行ったこと。祖父母が忙しい時には、私が妹の食事を作り、彼女が泣きそうになると必ずそばにいて慰めました。私たちはただの兄妹ではなく、互いの支えであり、心の拠り所でした。
時が経ち、私たちはそれぞれ大学生になりました。私は地元の大学に進学し、アルバイトをしながら家計を支えていました。妹は遠方の大学に進学し、寮生活を始めました。物理的な距離ができたことで、私たちの関係にも少しずつ変化が現れ始めました。妹は新しい友人や恋人を作り、自分の世界を広げていきました。しかし、彼女はいつも私のことを気にかけていました。私もまた、妹のことを心配しつつも、自分の人生を歩み始めていました。
大学生活は、私たちにとって新たな挑戦でした。私はアルバイトと学業の両立に追われ、妹は新しい環境での生活に慣れるのに必死でした。それでも、私たちは定期的に連絡を取り合い、お互いの近況を報告し合っていました。妹が初めて彼氏ができたと報告してきた時、私は複雑な気持ちになりました。彼女が幸せそうに話す姿を見て、嬉しい反面、どこか寂しさも感じていたのです。
ある夏休み、妹が実家に帰省した際、私たちは久しぶりに一緒に過ごす時間を持ちました。その中で、私たちはお互いに対する感情が以前とは違うことに気づきました。幼い頃からの絆はそのままに、そこに新たな感情が芽生えていたのです。最初は戸惑い、混乱しました。兄妹としての関係を越えることは、社会的にも倫理的にも許されないことだとわかっていました。でも、その感情を抑えることができませんでした。
私たちは長い時間をかけて話し合いました。兄妹としての関係を壊すことなく、この感情をどう扱うべきか。最終的に、私たちは事実婚という形を選びました。法律上の婚姻関係にはならず、社会的な承認も得られないことは承知の上でした。でも、私たちにとってはこれが最善の選択でした。
事実婚を選んだことで、私たちは多くの困難に直面しました。周囲の理解は得られず、非難や中傷を受けることもありました。祖父母は当初、私たちの選択を理解できずにいました。彼らにとって、兄妹が事実婚するというのは受け入れがたい現実でした。しかし、時間をかけて話し合い、私たちの気持ちを伝えることで、少しずつ理解を示してくれるようになりました。
友人たちの反応も様々でした。中には私たちを支持し、応援してくれる人もいましたが、多くの人は困惑し、距離を置くようになりました。特に妹の友人たちは、彼女が兄と事実婚するという選択に驚き、戸惑いを隠せないようでした。でも、私たちはお互いを支え合い、この道を歩み続けました。
兄妹としての絆と、パートナーとしての愛情を両立させることは簡単ではありませんでした。私たちは常にバランスを取りながら、お互いの役割を見つけていきました。例えば、家庭内での役割分担や、お互いのプライバシーを尊重すること。兄妹としての関係を保ちつつ、パートナーとしての信頼関係を築くことは、時に難しいこともありましたが、私たちにとってはそれが自然なことでした。
経済的な面でも、私たちは協力し合いました。私はアルバイトを続けながら、妹の学費をサポートし、妹もまた自分のできる範囲で家計を助けてくれました。私たちは共に目標を立て、将来の計画を話し合いました。例えば、将来的には家を購入し、安定した生活を築くこと。そして、可能であれば子供を持つことも考えていました。
社会的なプレッシャーは常に付きまとうものでした。私たちは時には世間の目を気にしながら生活しなければなりませんでした。でも、私たちはお互いを信じ、この関係を守ることを誓いました。兄妹としての絆はそのままに、新たな形の愛を見つけることができたと思っています。
今では、私たちはこの関係を受け入れ、前向きに生きています。兄妹としての絆はそのままに、パートナーとしての愛情を育むことができました。この体験が、誰かの心に何かを残せればと願っています。私たちの選択が正しかったかどうかは、時間が証明してくれるでしょう。でも、今この瞬間を大切に生きることが、私たちにとっては一番重要なことなのです。
最後に、この体験談を読んでくださった方々へ。私たちの選択は、必ずしも全ての人に受け入れられるものではないかもしれません。でも、愛の形は一つではないということ、そして家族の絆がどれほど深いものであるかを、少しでも感じていただければ幸いです。私たちはこれからも、お互いを支え合い、この道を歩み続けます。
https://anond.hatelabo.jp/20250128103158
続き
最初は「可愛い子犬が来た」と喜んでいた母は、家具を噛られ続けた末に「餌だけあげておくわ」と距離を置くようになった。
兄の撤退は早かった。飼い始めてわずか10日、お気に入りの革靴を噛み千切られたのを最後に、二度とかみつきに近寄ることはなかった。たまに実家に帰省しても、「あいつまだ噛むの?」と遠巻きに見るだけだった。獣医も「こんなに噛みつく事に必死なのはよくわからない、何故・・・」と太鼓判でした。
結局、世話を続けたのは飼おうと言い出した私と、なぜか最後まで諦めなかった父だけ。
父は「こんなに一生懸命な犬も珍しい」と、どこか感心したように言っていた。確かに、何かに打ち込み続けるその姿勢は、父の気質に似ていたのかもしれない。
噛み跡だらけの壁、噛み跡の刻まれた塀、かじられた木々、傷だらけの家具、噛み痕の走るドア。
散歩道も噛み跡だらけだ。バス停、ガードレール、カーブミラー、電柱・・・。
誰からも愛でられることなく、ただひたすら噛み続けた彼は、確かにこの世界に自分の存在を刻み込んでいった。
まるで、「私はここにいた」と言い残すように。
私が9歳、兄が11歳の時に母が死んだ。
もともと体が弱く、私を出産してからは病院にいる方が長い人だった。
父は母の入院費と私たちの生活費のために働き詰めで、あまり家に帰ってこれなかった。
母が死んで3年後、父が再婚した。母より、学校の先生よりも若い人だった。
母が死んで3年しかたっていないのに再婚した父が気持ち悪かった。
新しく家族になったその人は、自分のことは名前で呼ぶようにと言った。
あなたたちの母親はなくなった彼女一人だけだから、無理に自分を母と呼ぶ必要はない。ただ、同居する人として、仲良くなりたい。
親ではないが大人として、子供であるあなたたちを守る義務がある。だから何かあれば、遠慮なく頼ってほしい。
そういわれても、思春期だった私は父もその人のこともひどく嫌った。
その人は大手企業の食品(外食部門だったかも)に勤め、当時では珍しく半分在宅だった。彼女の料理はどれも美味しく、それが腹立たしかった。
必要以上に干渉しない彼女と、会話をしない私に父は苛立っていたようだが、いつも彼女が、年頃だから仕方ないと言ってなだめていた。受験の近い兄は部屋に引きこもりがちで、会話は少なかった。
兄が志望校に入学し、父と彼女が結婚して2年目、父の帰りがまた遅くなった。その頃になると私も受験が視野に入り、塾などで帰りが遅かったりもして、我が家は可もなく不可もない状態だった。
彼女は相変わらず半在宅、フレックスタイム制の出社で、私の中で彼女は父の伴侶ではなく、住み込みの家政婦という認識になっていた。そうなるとどこか気安く接することもでき、女同士ということもあって化粧の相談から生理の悩みまで、色々話すようになっていた。
転機は私が15歳、兄が17歳の時に起きた。
夏休み、友人と少し遠出をしたときに、父を見た。奇麗な若い女性と腕を組み、笑っていた。
落胆はなかった。むしろ、ああやっぱりという思いが大きくて。
帰宅したその日、私と兄、それから彼女といういつもの食卓で、今日見たことを話した。彼女はまるで初めから知っていたかのように落ち着いていたのに対し、兄がひどく怒っていたことが印象に残ってる。
思い返せば、初めから彼女は父のことを愛していなかったのではないだろうか。私たちに必要以上に干渉しないのと同様に、彼女は父にもあまり干渉しなかった。
彼女は父と結婚時に親権を取得していたらしく、私たちは父と彼女、どちらに引き取られるか聞かれた。
貯金も養育費もあるし、三人の生活費なら女手一つでも大丈夫だから、二人と一緒に住みたい。
彼女は何度も言いつのり、でも、そんな彼女の負担を考えると不安で、だからと言って父とはいたくなくて。結局私たちは彼女と一緒にいることを選んだ。
兄はバイトをすると言っていたし、私もバイトを始めようと思っていた。けれども彼女はそれにいい顔をせず学生の本文は学ぶことだから、お金のことは心配するなと言った。
三人で暮らし始め、彼女は昼に夜にとよく働いていた。夜中に目が覚めてリビングに行くと、彼女が外国語でオンライン会議をしているのを見かけるようになった。
私と兄は彼女に負担をかけたくなかったから家事を積極的にして、兄は志望校の推薦枠を狙って勉強をした。そのかいあって兄は授業料免除の推薦枠で合格した。
父と離れ、母の話をよくするようになった。
これが好きだった、あそこに行こうと約束した、あれをやりたいと言っていた。そんな些細なことを、小さな思い出を、彼女はいつも嬉しそうに聞いてくれた。
父に母の話をすると何とも言えない表情をされることが多く、いつの間にかあの家で、母のことは禁句のような雰囲気だった。それが、今は何気ない日常の一つとして、大切な思い出として、手に取って眺め、愛でることが許される。
どうして他人である彼女がこんなにも受け入れてくれて、父は受け入れてくれなかったのだろうか。愛した人をなくして辛かったというのだろうか。たった3年で再婚し、2年もたたずに浮気をしたくせに。
私が17歳、兄が19歳の秋、兄が悩んでいることを知った。
兄は料理に興味があったが、県内に授業料免除などしてくれる大学や専門学校がなく、諦めていた。
それを知った彼女は、学費も生活費も気にするなと言い、色々調べた結果、学生寮がある専門学校を受験することになった。兄は一年制のコースを受験しようと思っていたらしいけれど、彼女はせっかく学ぶのなら三年制にして、ついでにフランス留学もするべきだと言った。フランス留学するならフランス語を喋れた方がいい、フランス語なら自分が教えられると嬉々として話す彼女を見て、私も兄も何も言えなかった。
話の流れで私の将来、主に大学となりたい職業に話になって、服飾系に興味があるというと、じゃあ、あなたはイタリアだね。イタリア語も私が教えられるから、留学できるねと言われた。
今まで聞いてこなかった彼女の経歴や今の仕事を聞けば、現在は起業して不動産?シェアオフィス?関係の仕事をしつつ、専門的な分野の翻訳や通訳の仕事もしている。もともと語学系の学校を出ていて留学経験があり、ヨーロッパ圏と中国韓国なら日常会話に困らないそう。
そんな彼女に支えられしごかれ、兄は無事に調理学校に合格。私は急遽変更した志望校だったけれど無事に合格し、春から大学生になる。
現在我が家では、英語とイタリア語とフランス語(兄がいるときのみ)が飛び交い、帰省した兄の置き土産である大量の作り置きの消費に頭を悩ませている。
昨年の年末、帰省ついでにこちらから誘って一緒に飲んだのが彼との最後だった
高校時代から絵が上手く、卒業後はフリーランスとして活動をしていた
無論、そんな有名人というわけではない
飲み会の席で聞いたことだが実家に住みつつskebだのfanboxだのココナラだので月収15万〜20万程度を稼ぎ、毎月両親にお金を渡して衣食住の面倒をみてもらう
そういう生活を続けていたそうだ
ところがA君の収入はここ2年くらいで激減
最近は月に数万円程度しか稼げなくなって実家にお金を入れるのにも苦労している有り様だったとのことだ
減収の原因は(A君によると)AI生成の台頭だった
A君のような、プロのイラストレーターと名乗れるか名乗れないか微妙なラインの絵師にとってAI生成はかなりの痛手となったらしい
AI生成以前は「このキャラのエロ絵を描いてください!」といったskebの依頼や「広告のアイキャッチ用のイラストを描いてください!」といったココナラでの依頼がそれなりの頻度で入ってきていた
ところがAIはこういう需要を根こそぎ奪い去ってしまったとのことだった
まぁ確かにAIで自分の求めている絵を出力できる環境があるならわざわざ高い金を払って人に依頼することはない
コミュニケーションコストも馬鹿にならないしリテイクの回数にも限りがある
自分でAI使って納得いくまで再生成し続けたほうが安上がりな上に効率的だろう
「俺の絵柄も奪われた」
「正直限界が近い」
とそんな愚痴をずっと吐いていた
私見だが、A君が追い込まれていた最大の要因は親からのプレッシャーだったと思う
A君の両親はA君が家に決まった額のお金を入れられなくなった段階でイラストレーター稼業をやめて就職するようしきりに勧めてきたらしい
安定もしない仕事をし続けて夢を追うよりはさっさと手堅い職に就いてもらいたい
そういう願望を言いつけるのに今回のAI台頭によるA君の不景気は渡りに船だったわけだ
「俺みたいな30手前の職歴のない男がいまさら就職なんてできるわけない」
「俺に死ねって言ってるようなもんだ」
「俺は会社員なんかできない」
「朝決まった時間に起きて8時間も9時間も自分の好きでもないことをし続けるなんてできない」
俺はA君が言うところの普通の会社員だったので彼の視野狭窄ぶりには言いたいこともあったのだが「ここで追い詰めるのもちょっとなぁ」という同情もあり、うんうん共感してるようにみせながら彼の話を聞いていた
でも彼の自殺の報を聞いた今となっては、もっとちゃんと諭した方が良かったのかもしれないと後悔の念ばかりが募ってしまう
こんな匿名日記に書いても仕方のないことだが、もしAIのせいで稼ぎにくくなった絵師がいるなら言っておきたい
Adobeのフォトショップなりイラストレーターなりの使用経験が数年以上あって、しかも曲がりなりにもフリーランスで稼いでいられたような人材なら就職なんて余裕だよ
「仕事か、夢か」みたいな二者択一思考になるのもほんと良くない
別に就職したあとも副業でイラストレーターをやってればいいじゃないか
それでイラストレーターでまともにたくさん稼げるようになって貯金もできたなら今度こそ会社員を辞めて専業絵師になればいい
っていうかイラストレーターに限らず小説家も俳優も歌手も作曲家も中堅クラスまでのプロのクリエイターは大抵普通に昼間会社員をやっているよ
専業クリエイターなんて一握り中の一握りだろ
毎朝決まった時間に起きるのが辛いっていうのだって、別に今は在宅勤務も増えていればフルフレックス制を採用しているところも増えているし昔より柔軟に働けるようになってるよ
会社員のイメージを偏見で凝り固めている暇があるならまずはさくっとお試しで就職してみろよ
会社員の仕事だってやってるうちに愛着も出てくるかもしれないし人から頼られるようになればやりがいも出てくるもんだぞ
何度も言っているように今の人手不足の世の中元絵師なんて引く手数多なんだから転職だって余裕だよ
AIが出てきたなりに楽しく生活できるように環境を整えればいいだけの話じゃないか
年一くらいで実家に帰省してて、その度に思うんだけど、親が会話不全でキツイ。小さい頃から親との会話はキャッチボールというより千本ノックのようなもので、親は基本的に自分の言いたいことばかり言って、相手の言い分は聞き入れない。こっちが少しでも不服そうにすれば、何が不満かとか聞いてくることもなく、すぐに逆ギレするか不貞腐れて投げやりになるか。両親は似た者同士だからか言い争いはしょっちゅうで、お互いに自分の非を認めることがない。聞いていてとても醜く幼稚な言い争いをよくしていた。(ようやく片方が少し丸くなったけど、割と最近のこと)
こんなん浴び続けて、どうやって外の世界で自分の意見を言ったり、円滑に他人様とコミュニケーション取れというのか。特に社会人になってから、どれだけ苦労したか。自分では表面上はある程度繕うことはできるてると思ってるけど、気質はすっかり親と似てしまった自覚があり、それを押さえつけながら話すからぎこちなくなることもある。こんなんだから、プライベートでも基本的に他人様との交流はしない。というか、他人様と交流して仲良くなってくるとストレスが溜まるからできない。自分も立派にコミュ障だわ。
私も男性側の不妊で子供が望めない立場だからすごく気持ちがわかる。
今現在も、二人だけの幸せな生活と、夫以外の子どもを持つ道と、どちらを選べばいいのか、どう夫と話してけばいいのか迷ってる最中だから増田とは少し状況違うかもだけど。
私は自分の親にも不妊治療や夫の不妊こと自体言ってないから、帰省するタイミングで子どもは,って聞かれるたびに発狂しそうになる。誰も悪くないのに、たまってく気持ちわかる。
私は夫の家族や周りが何も言ってこないのは幸せな方なんだろうな。
私は男性不妊がわかってから、夫を攻められないという気持ちでうつになった。
クリニックの先生とかカウンセリングの先生にも言われたんだけど、二人でしっかり悲しむ作業をした方が,後々のストレスに繋がらないといわれたよ。
責めるんじゃなく、あなたの子どもが欲しかったな、といって旦那さんと悲しみを共有するのは必要かもしれないよ。
応援してる。
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