2024-11-29

地方公立に行って後悔している - 子供はできるだけ学費の高い学校に行かせたい

炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。

(前編)

私は小中高と地方公立を出て、浪人して都内医学部卒業している。

東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータ話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。

まず医学部では「親が医者なのは当たり前で、教授講師と話す時も、世間話最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。

ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化である。「マグル」は家系医者がいない学生が、自虐的苦笑いしながら使う単語だ。

しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。

出身高校ほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。

蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったかSAPIX鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。

私のように地方公立から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。

大学生お金がかかる。私も美容や服飾、外食旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死時間お金に変えた。

学費家賃生活費などは親持ちだったが、その他は自分バイト代で賄うように言われていた。

けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ禁止」される方が普通だ。特に家庭教師OKでも、高卒フリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。

そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。

この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。

こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。

限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。

当然、金額理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。

ここまでの話だけ聞くと、「地方出身庶民階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。

実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間ほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである普通暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。

尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日面白かった。

地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。

まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。

要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである

(中編)

私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。

先祖代々続く大病院家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親医者ではないので「半純血」だ。

金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味生活に困ったことはないと思う。

「全身脱毛費用自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。

そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。

よって親の学歴自分大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。

わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノヴァイオリン新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。

しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。

校内のヒエラルキートップにいたのは、我が家クローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカ卑猥言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。

一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。

外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。

まれからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。

ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。

何か作業をする時、見るから効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやす説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。

何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。

クラスナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。

その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。

「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう

たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言拡散された。

子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。

自分性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。

たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか

別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。

万事がそういった雰囲気だった。

まり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校テストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。

何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。

お金学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。

そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。

そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗差別的感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。

よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。

やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。

体力面の自信のなさからほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。

(後編)

立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員民度も低かった。

病院があるのは中途半端田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルゴシップしかない。

都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。

数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝他人悪口や噂話、そして「女性職員容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。

百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。

「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情ストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。

彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。

立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。

気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。

救急車がタダだから生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシー無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。

特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババアジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。

バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。

一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。

特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。

これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみませんちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばいからだ。

根本的な問題は、学歴収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。

きっとこれは、一生分かり合えない感覚なのだろう。

病院の同僚医師たちも、私立医学部卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。

地方にいた頃の私のように——。

医者政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。

しかし、ことの本質はそう単純なものではないように思える。

実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。

それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。

同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。

公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別偏見選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。

免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層人間存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか

からこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供絶対私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。

「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生もの財産だ。

社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。

しかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。

もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。

一生温室で、綺麗な世界だけ見ていられるように、可能な限り守ってあげたいと思う。

  • >初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉 看護師がどのくらいの年齢かわからんけど世代もあるんじゃないかなあ エリート層だって中年より上はナチュラルに使う人/...

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