はてなキーワード: 配属とは
そもそもそういう事は面接の段階で担当からしつこく確認されるけどな。「配属は自由に決められないから、そういうサービスをしなきゃならない事は理解してるね?」と。無理と答えたら「ではさようなら」と門前払い食らうだけ。
それに対して「大丈夫だ、問題ない」と答え、さらに事前の研修や指導の段階では何の問題もなく従っていたのに、いざ店頭に立って客に売り始めた時点で「やっぱこれやだ」と言い出すのならクビになっても仕方ないね。
起立の話にしても、式典でそういう事をするのは分かりきっている事だし、配属が決まる前に色々なレクチャーを受けるし、上司(校長とか)の指示に従う誓約書も書かされる。
それら全ての手続きで何も文句を言わず、いざその時になって嫌だとごねるのは色々とおかしいね。ごねること自体が目的だろと言われても仕方が無い。
②会話スピードの問題 : 話し手の会話スピードが早過ぎるなど
③慣れの問題 : 議事録作成に不慣れ(当たり前ですが。。。)
と考えられているように思うが、私の場合以下の点がネックだった。
・会話の行間を読むこと
そのことに気づけたのは、
『〇〇については、△△のため、完了とする 』
〇〇:話のテーマ
△△:原因や理由
進捗会議の議事録には、作業の進行度合いを表現する言葉が使われる。
(ここでは、〇〇:話のテーマと△△:原因や理由、それと『完了とする』=動作・決定事項)
しかし、会議の中では、みなが共有している項目については、ハッキリ言わずに、話が進んでいる。
特に、資料がない会議の場合、上記表現パータンにおいての〇〇の部分(話のテーマ)については、
ころころ変わったり、関連したところへ飛ぶことがよくある。
そのため、新人のころの私は議事録作成のため、話のテーマ(〇〇)や決定事項に関する原因や理由(△△)を周りの人に会議後聞きまわっていた。
初めの頃は、聞きまわるのも悪くはないが、
事前に上記の表現パータンの構成要素を意識して、会議に臨めば議事録作成のための材料を
メモすることができ、今よりずっと簡単に議事録作成ができるようになるはずだ。
某県の職員です。
今年新規採用されて、配属された地は絶海の孤島…とまでは言わないが本土から数十キロ離れた島。
まずはネット環境が欲しくて、調べるとADSLとCATVがある模様。
維持費も月6000円程度。
くそ高い工事費用の割引サービスもなし。見つけても対象外と言われる。さすが田舎。
しょうがないので工事費を払って工事しようとしたら、僕が住む建物は県が所有する建物であるため簡単には工事できないことが判明。
工事はすべて県に図面提出、建物を管理する担当部署内で会議を通す必要あり。
回線業者に工事を手配してもらうことはダメで、こちらで工事業者を見つけて頼む必要があるとのこと。
とてもめんどくさい。
これは困った。
有線はあきらめて、モバイルを検討するが、当然のごとく島内全域でWiMAXとE-MOBILEは圏外。
最終的にauのWi-Fi WALKER DATA05を購入した。
月5000円の値段で、速度の割に合わない感じはしているが、初期費用もなく契約後すぐに使える安心感はでかい。
まとめ。
公務員はめんどくさい。
忙しくもない仕事を忙しく見せることで日々を乗り切っているみなさん、こんにちは。 大半の職場には「たとえ暇であっても忙しそうにしてないといけない」という暗黙のルールがあるので大変ですよね。
そうなったのには、暇な部署に配属された、仕事が簡単すぎる、などの様々な理由があると思います。ただ、いずれにせよ目的は同じなので情報交換をしましょう。
王道中の王道。トイレにこもって、iPhoneでTwitterでも見てすごす。 当然、iPhoneのバッテリーの消費がはげしくなるので MobileBooster(http://www.amazon.co.jp/dp/B00421BB8S)などを常備するとよい。
王道、その2。PCでインターネットサーフィンでもしながらすごしましょう。
フィルタリングされている可能性が高いので、SSLを有効にする、自宅にサーバを建ててVPNで接続する、などの対策は最低限とりましょう。
特に喫煙所は堂々と休憩することが許されていることが多いので、タバコを吸える方は是非とも活用しましょう。
タバコを吸えない方はドリンクコーナーを使うことになりますが、やはり喫煙所には劣ります。
客先への移動、事業所間の移動などで業務時間中に外出すること人は、なるべくその移動に時間をかけましょう。
わざと各駅停車に乗る、喫茶店に寄ってコーヒーを飲む、マンガを買って移動しながら読む、などの技が使えます。
考えることは、勉強会の準備や趣味プログラムの設計、晩ご飯の献立などなんでも大丈夫です。どうせ頭の中を監視することはできません。
画面はExcelやVisualStudioなど文字量が多くて、すぐに内容把握ができないものがおすすめです。
内定をいただいて以来、業務関係の連絡が全くない会社とその会社に新入社員として入社した人の話です。
入社式でした。小さなIT企業なので3畳ほどのスペースで辞令を社長からいただきその後簡単な自己紹介をしました。4月中は研修を行うと聞いていましたが、実際は資格の勉強と社会マナーなどが収録されているDVDを2週間、プログラミング実習を別課題各1週間だと聞かされました。その時、やたらOJTというい単語を上司の口から出ていましたが、OJTという単語を確実に勘違いしている。
4月4日~
コンサル主催のセミナーにも向かいましたが、基本社内で資格の勉強をずっとしておりました。渡されたDVDは会社のPCで見ることはできませんでした。おそらく、大量の常駐ソフトによるメモリ不足、コーデック関係のどちらかだと思います。再生30秒ごとに数分止まるという無駄な時間が過ぎていき、とてもイライラしたことを覚えています。本当に私は今月入社することになっていたのだろうか。その割にはあまりにも準備がされていなかった。DVDを見せるなら正常に再生できるか。何か説明をするのならあらかじめ話す内容を決めておいているのか。そして大抵の説明の最後に「なにか質問はありますか?」と聞いてくる。質問するほどの内容を説明していないのにこの自信はなんなのだろうと思いました。DVDは結局個人的に借りて家で見てレポートを書くことにしました。会社のPCで再生できるように奮闘した結果がかくかくな再生では非常に時間の無駄だった。
会社への不安と不条理さと試されている感が交錯しながら2週間を終えました。
来てそうそう配属について連絡がありました。配属といっても自社開発はなく客先常駐のプロジェクトでした。「新人 PG 架空の経歴書 事前面接」このあたりのキーワードでピクピク来る人とは仲良くなれそうです。研修後半の課題が出されました。使っているPCがとても遅い。コンパイルが遅い。IE起動が遅い。無駄な常駐ソフト。
新人が一人で客先常駐って時点で、完全に終わってることを自覚しなさい。 - @katzchang.contexts のエントリを何回か見ました。元の増田が削除されているのが残念です。
どうやら新人が一人で客先常駐に行かされるらしいです。その事前面接をしました。前述したとおり架空の経歴書を渡され、ある事ない事しゃべってきました。どこの会社も行っているからという理由は弊社でそれを行う理由にはならない。もう今週くらいになると自分自身でキャリアプランニングをしている。最長2年の間に架空ではない経歴書を書けること。いつ会社を辞めるのか。それまでに自身に課さねばならないタスクはなにか。それらをGWにじっくり考えるつもりだ。
その他
話の中で人があまり出てきていませんが、ほとんど接しなかったためです。今年の新入社員は私一人だけでした。一日中会社にいてやること済ましてそのまま帰ることも何度もありました。たまに掛かってくる上司の電話口から声が小さい事を指摘されました。ずっと黙ったままの作業していて、発する声が元気なわけありません。それ以降、ぶつぶつつぶやきながら作業をすることにしました。社内には私しかおりませんので当然注意する人もおりません。
小学校中学校(ここまでオート)→高校(私立に行かなくてもなんとかなる、ほぼオート)
→大学(やや難度は上がるが、奨学金がまだ使えるのでなんとかなる)→就職(運要素が多いが、これまでの貯金が生きる)
ここまでは、努力でなんとなるんだよ。なったし。
しかし、この就職の次のステップがくそつまらな過ぎる。毎日続く単調な仕事、ゴミのような課長代理、クソのような課長
ウンコを煮詰めたような局長。これにおべっかをすり倒し、愚痴りながら地方配属、勤務。
人生は努力だ、人生は我慢だ、というのはわかる。そりゃ、一流企業の名刺について回るステータスは確かに魅力だ。
しかし、大学進学より難しいくせして大学進学より遥かに面白くねぇ。まさか、世間で有能と言われている人々が
こんなクソ面白くない生活に甘んじているとは、学生時代は思いもしなかった。
生きるために働く、というのはわかる。貧乏な家の出だし育ちも悪い、生活のリアリティってのは確かにわかる。
しかし、重圧はあっても刺激はない生活というのは本当に、心底つまらない。身体がどこからか膿んで来るような気がする。
基本的に、これまでの人生は「ここ一番勝負」ってのが多かった。入試もそうだし、なんだってそうだった。
ある場所に至るまで、継続的努力をすることが求められていた。しかし、仕事においては「ある場所」ってのがない。
むしろ、減点されないことが至上命題になる。気を抜いたらゴリゴリ点数が削られるくせに、加点要素がない。
じわじわとダルい。まさか、こんなに面白くないとは思いもしなかった。ここでトップを目指す気力が全くわいてこない。
これは、非常に厳しい。一発勝負で負けたら即死になってしまう。
本当に、社会人ってのは何をモチベーションに生きてるんだ。就職して三年、ひたすら時間を潰してるような気がする。
もちろん、重圧はあるから妙に疲れる。しかし、これは肩が凝るタイプの疲れで心地よさが全く無い。
この行き詰まりを一体、世の中の人はどうしているんだ。就職活動までは、攻略する!って感じがあって非常に人生が面白かった。
次々直面する面倒ごとをクリアしていく爽快感があった。長くても数年のスパンで解決しなければいけない問題が積み重なっていたし、実際に解決可能だった。しかし、組織人にそういうのって無いよね。大きいとこだと特に。
俺がいなくても会社回るし。そもそも、俺は超利己的な人間なので「俺の」問題解決や「俺の」成長には興味があるけど、
組織が云々会社が云々ってのは全く以って面白くない。俺の給料変わらないし。
行き詰まりだ、面白くねぇ。
先輩とは言っても、私は数年前にその会社を辞めてしまって今では何の繋がりも無い。
携帯番号もメアドも随分前に消してしまったし。向こうも同じだろう。
その会社には新卒で入社した。その年の新入社員は私だけで、配属された部署は私も含めてわずか4人。必然的に社員同士の関わりが密になる、良くも悪くもアットホームな職場だった。
先輩はとなりの席で、年も4コ上でそんなに離れていなかったこともあり、解らないところを質問したり教えてもらったりしているうちに、私が一方的に先輩を慕うようになっていった。
退職するまでの2年と少しの間、朝礼までの時間(今どき朝礼あるのって田舎だけなのかな・・・)や昼休みはなるべく席を外さないでいるよう心がけた。先輩と少しでも長く話したかったから。昼休みは先輩はいつも自席で新聞を読んでいた。こちらが話を振ったら、興味ない内容だったら適当に相槌打っていたけれど、何か刺さるものがあったら顔を上げて(ちゃんと新聞畳んで)話に乗っかってくれた。私はバカで世間知らずだった(今もそうだけれど)ので、話せることと言えばワイドショー的なニュースやら趣味やら個人的な失敗談やら交際関係ぐらいしかなかったのだが、先輩は話題の引き出しが多く、私が伝える乏しい情報から最大限汲み取って話を膨らませてくれた。私が割と知っていると自負していた事柄も、先輩はそれ以上に知っていることがほとんどで、先輩から仕入れる情報は、当時の私の中でかなり大きな割合を占めていた。
先輩はルックス良くないし、学歴もあるわけじゃないし、この会社に勤続するなら多分生涯賃金も高くないんだろうけれど、そんなもの補って余りありまくるものをたくさん持っている人だった。仕事できるし、周りからの信頼に厚いし、話題豊富で話が面白いし、メカ全般に強いし、美味しい店知ってるし、あとは、声が低くて素敵だった。結婚する予定の彼女がいることは大分早い段階で知ったのだが、「はーっ、やっぱり先輩さすがッス」と尊敬の念を強めただけで落胆はなかった(ここでやっと恋愛感情ではないと確信が持てた)。とにかく当時の私は先輩への崇拝っぷりが凄まじくて、誰彼構わずつかまえて「**さんってやっぱりすごいっすよー」と言って回りたいくらいの熱狂ぶりだったのだが、それをしたらさすがに本当のバカなので、他部署の、入社当時から私を気にかけてくれていた女性の先輩だけに、大人しい口調でそれとなく話してみた。
するとその女性の先輩は苦笑いで「まあ、**くんもあれで結構ハッタリきかせてるところあるからね~。何でも鵜呑みにしないほうがいいよ~」とそれとなく窘めてきた。
当時の私はその言葉がスンナリ理解できなかったが、今となっては、まあその通りだったんだろうなと思う。やはり何人も自分の出来ることしか出来ないし、知ってることしか知らないのは当然だ。
別に後々になって先輩と決裂したとか、そういうことは一切ないのだが、先輩は私みたいな類の人間を心の底から蔑んでいるのかもしれないと思うようになってからは、段々と距離をおくようになった。
先輩に、というより職場ひいては世間に、自分はそこそこ使える人間だと認めてもらうため頑張っていたが、やはりどこか抜けているところがあったりドジこいたりして、要領良くできなかった。別に大したミスではなかったし、そもそも自分で修復できたものはミスでも何でもなかったのかもしれないが、必要以上に狼狽えてしまうので、小さなミスも大きく見えてしまう。そういうことが重なって、体感的には実際の何倍ものミスを犯してしまった気になって落ち込むことが増えた。
当時私はまだ18歳で、可愛い表現使うことが許される年齢だと思うので敢えて使うが、所謂どじっこだった。そして多分、先輩が最も嫌う類の人間だったと思う。先輩に質問したり教わったりする度に「ちゃんと自分の頭で考えて理解してる?」と念を押された。なるべく一回で理解しようと努力するのだが、出来なくて再度聞かなくてはならないときはとても気が重かった。先輩が私に向けるまなざしには少なからず蔑みが含まれているような気がして、そしてそれは世間の私に対する評価と同じであると勝手に考えて、ますます自分はダメ人間なんだと思うようになった。
それからしばらくして会社を辞めて、医療系の資格をとって、今は他県で派遣事務をしている。決まりきった仕事内容なのであまりミスもしなくなったし、たまにやる些細なミスは狼狽えずに対処出来るようになったから、今となってはあの時自分は何をそんなに恐れていたのかなあなどと思う。多分、恐れていたからこそ余計に出来なくなっていたんだろうとは思う。何で他の誰でもなく、先輩に認められたかったのだろうと考えてみると、多分大した理由はなく、ただ先輩の性格や醸し出す雰囲気が私が認められたいと思うタイプだっただけなんだと思う。そして、何でも出来ると思って勝手に崇拝していた先輩だって出来ないことは出来なかったのだとやっと理解できた。理解できたから恐れがなくなった。
何年も経った今またこうして思い出すのだから、我ながらすごい執着だと思う。先輩は私のことなんかさっぱり覚えていないだろうに。きっと今は結婚して一児やらニ児の父になっていることだろう。
先輩、お元気ですか。いろいろすみませんでした。私はもう、先輩に認めてもらわなくてもいいと思えるようになりました。でも、あの頃よりは要領が良くなったので、ひょっとして先輩に嫌われないタイプの人間になれたかもしれません。
WEB系の会社入って開発要員として配属され、新卒二年目を終えようとしてる。
格別いままでやってきた仕事といえばデータ作成とちょっとしたプログラムの改修。
スクラッチで何かを書いたことをない。
高校の頃から情報系の学科で、大学も情報系。両方共底辺レベルだったけど
ひと通りのプログラミングに必要な知識はつけてきたつもりだった。
ただ今の会社に入って、全くもってこういう会社に向いてないんじゃないかと思えてきた。
そう思ったのは
そこからだった。
この業界、休みの日も絶えず新しい情報に触れ、自分のものとして体得できる人しか生き残れない。
そう実感した。