はてなキーワード: プログラムとは
業務ツールが使いにくいのでGPTにまかせて表示をいじくり回してみた
コメントのついてる項目に色つけて分かりやすくした。識別記号も付けて検索しやすくした
識別記号のついてない行非表示にしたら見やすいと思ったのでそうした
処理した識別記号をクリックすると処理済み記号がつくようにしたら画面がスッキリした
識別記号以外を非表示にする仕組みを使えば文字列の検索で表示/非表示もできると気づいたのでそうした
ページ遷移したとき状態がごっちゃになってたので、行列とURLからユニークになるようにしてみた
行の識別子に個人情報が使われていた事に気づいたので、不可逆のハッシュを使うようにしてみた
割と使い勝手のいい画面が作れたと思う。DOMとかよくわからんけどなんとかなった
生活保護はすべての国民に与えられた健康的で文化的な最低限な生活を保証する制度であり、「経済的な困窮」の条件を満たせば誰でも受給出来る。
生活保護法にもそう規定されているので、例えばこの間Xで見たのは「働きたくない」「生活が困窮している」というだけの条件で受給が認められたというケースがあったようだ。
例えば、精神疾患だとかで「働けない」必要があるとか、「働く意思を見せないとだめ」とかいうのは水際作戦に当たり、申請はなんぴとたりとも拒否してはならないので違法に当たる。
が、ケースワーカーに法的知識が無かったり、有っても差別意識があるのかなんなのか、あーだこーだ言って申請を拒否し、、窓口で申請に至らないケースがあるのも実情だ。
確かに生活保護には自立を助長する、という名目があるし、「働けるなら働けるよう努力しろ」(就労指導)という決まりもあるため、受給後は就労指導が入る可能性はあるというか普通にある。
作業所へ行け、ハローワークへ行け、就労支援プログラムに参加しろ、など。それを拒否することは出来ないようになっている。
拒否し続けると減額か停止だ。
まあ救済については「新規参加にします」とあるからスコア残ってるなら新規参加扱いではないよな?とスルーしたけど、「本規約に定める以上の数の賞品が付与されることはありません。運営上、技術上又はプログラムその他の理由により本規約に定める以上の数の賞品が提供された又は提供されたという主張がなされた場合には、主催者は、全ての適正な資格を有する賞品の請求者の中から、抽選で選んだものに、本規約に定める数のみの賞品を付与する権利を留保します。」はちょっと気になるね
プログラムのコードとか、使えるものが生成されるって言われてるけど、方眼excelで仕様書を描いていまだにソース管理ツールも使えてないSIerとかが開発に導入するのって10年後20年後とかのような気がする。
明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、
出生時に人体に埋め込まれる生体統合型デバイスとして全国民に普及した。
この技術革新が明治5年(1872年)の学制発布以前に実現したことにより、
福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論の電気的伝播」が現実化し、
明治政府の中央集権化政策と民間の自由民権運動が複雑に絡み合いながら、
森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩がリアルタイムで共有され、
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生文運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、
薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。
西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民のタイムラインで炎上する中、
岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義」映像コンテンツが300万回再生され、
戊辰戦争では会津藩の白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、
森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、
森鴎外が陸軍軍医時代に投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、
作中人物の心理描写をリアルタイム修正する実験的創作を試みた。
夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生の遺書」展開を読者投票で決定、
芥川龍之介が東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり、
谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者からの画像投稿で構成する「コラボレーティブ・アート」を実践、
永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原の遊女たちが匿名アカウントで作中の描写に反論するメタフィクション的試みがなされた。
明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ的情報戦を展開。
政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍の士気低下を計画的に誘導、
立憲自由党が政策動画配信と仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施、
明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化。
日露戦争記録映像『旅順要塞総攻撃』(1904年)では視聴者が攻撃ルートを投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。
落語家の三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ「怪談電送話」を配信、
陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。
一方で、端末の生体統合特性を逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化、
国家形成のプロセス自体を根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。
従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。
大正期のメディア・アート運動や昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相を付与し、
現代のSNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。
家で1問もドリルを解かずに算数のテストで悪い点取って「学校教育が悪い!」って言ってる人いたら「??」って思うよね。
勿論、体育という教育プログラムに全く問題がないとは思ってないけどさ。でも「動き方の基礎を教えてくれない!」とかは嘘じゃんって思うよ。教えてくれたでしょ。覚えてないだけだよ。
運動に関して、どんなに練習しても上達が無理な人がいるのは何となく分かるよ。家庭環境が難しくて放課後運動なんかしてられない人がいるのも分かる。
でも大半の人間はそうじゃないじゃん。ちょっと運動苦手なだけでしょ。
何も部活で通用するレベルになるんじゃないんだよ。たかが体育で惨めな思いをしないくらいなら、家で練習すりゃ大体の人は何とかなるよ。
算数が好きな人も小説が好きな人も、学校外で好きな感覚を掴んでった人は多いよね。だから体育も家で練習したらいいんだよ。
「大人になって運動好きになった」みたいな人多いけど、それつまり子供の頃は学校外で運動してなかったからでしょ。学校外で運動するモチベーションが沸かないのは体育の授業が機能してないのが一因かもしれないけどさ。全部を授業のせいにするのはそりゃ流石に他責が過ぎるよな。ただの努力放棄だよ。
こんなことを思うようになった、体験がある。
私は寒冷地出身なんだけど、小学校の頃、冬にスケートの授業があったんだよね。
1時間で楕円のリンクを何周できるか、とかやるわけ。で、運動神経いい子はすぐにコツつかんで、簡単に10周とかするの。そんな中、クラスにいた体の小さかった男の子がずっと転んで全然進めなくて、1時間で半周もできなかったんだよね。で、悔しくて泣いててさ。ちょっと可哀想だった。
でも次の月にまたそのスケートの授業やったら、その子、1時間で5周したの。みんな驚いて、その子にできるようになった理由聞いたら、家族でリンク来て練習したんだって。先生もすごく褒めてて、結構みんな感動しちゃってさ。そっからうちの学校の体育、苦手な子は家で練習するのが当たり前になったんだよね。その文化根付いたら、体育で足引っ張る子なんて本当に1人もいなくなったんだよ。たまたまいい学校だったのはあるけどね。
家で1問もドリルを解かずに算数のテストで悪い点取って「学校教育が悪い!」って言ってる人いたら「??」って思うよね。
勿論、体育という教育プログラムに全く問題がないとは思ってないけどさ。でも「動き方の基礎を教えてくれない!」とかは嘘じゃんって思うよ。教えてくれたでしょ。覚えてないだけだよ。
運動に関して、どんなに練習しても上達が無理な人がいるのは何となく分かるよ。家庭環境が難しくて放課後運動なんかしてられない人がいるのも分かる。
でも大半の人間はそうじゃないじゃん。ちょっと運動苦手なだけでしょ。
何も部活で通用するレベルになるんじゃないんだよ。たかが体育で惨めな思いをしないくらいなら、家で練習すりゃ大体の人は何とかなるよ。
算数が好きな人も小説が好きな人も、学校外で好きな感覚を掴んでった人は多いよね。だから体育も家で練習したらいいんだよ。
「大人になって運動好きになった」みたいな人多いけど、それつまり子供の頃は学校外で運動してなかったからでしょ。学校外で運動するモチベーションが沸かないのは体育の授業が機能してないのが一因かもしれないけどさ。全部を授業のせいにするのはそりゃ流石に他責が過ぎるよな。ただの努力放棄だよ。
こんなことを思うようになった、体験がある。
私は寒冷地出身なんだけど、小学校の頃、冬にスケートの授業があったんだよね。
1時間で楕円のリンクを何周できるか、とかやるわけ。で、運動神経いい子はすぐにコツつかんで、簡単に10周とかするの。そんな中、クラスにいた体の小さかった男の子がずっと転んで全然進めなくて、1時間で半周もできなかったんだよね。で、悔しくて泣いててさ。ちょっと可哀想だった。
でも次の月にまたそのスケートの授業やったら、その子、1時間で5周したの。みんな驚いて、その子にできるようになった理由聞いたら、家族でリンク来て練習したんだって。先生もすごく褒めてて、結構みんな感動しちゃってさ。そっからうちの学校の体育、苦手な子は家で練習するのが当たり前になったんだよね。その文化根付いたら、体育で足引っ張る子なんて本当に1人もいなくなったんだよ。たまたまいい学校だったのはあるけどね。
生まれつき壊滅的に歯がガチャガチャで、それがコンプレックスで会話や笑顔を極力避けていた幼少期。
テレビでやってた歯科矯正のビフォーアフターの番組を興味津々で見ていたら母から「そんなお金ないよ」とピシャリ。
母・姉・俺の3人家族なので、まあお金はないだろうなと思っていた。だからそれ以来大人になってからやろうと決めていた。
数年経ったある日、姉が大学合格のお祝いで歯科矯正をしてもらえる事になった。
いや、金あるやん。姉はそこまで歯並び悪くないやん。と思ったが言わなかった。
もしかしたら俺も大学に入ったら歯科矯正プレゼントしてもらえるかもしれないと思ったから。
理由はわからんけど大変やね〜と思ってたら母から「お姉ちゃんの学校にお金掛かったからあんたは高校卒業したら働いて家にお金入れてくれ」
あれ?矯正どころか大学もいけない感じ?ていうか俺が通ってるのは進学が前提の普通科だよ?
流石にその時は講義したが、無い袖は振れないと言われてしまうとこちらとしてはどうしようもない。
高2になったばかりの春、俺だけ早々に進学を諦めた。
当時は何も分からなかったから、ブックオフで買った資格試験用のJavaの本で勉強していた。
「クラスとかインスタンス化は分かったけど、ここからどうやってMinecraftみたいなソフトが出来上がるの?」と半年ぐらい格闘し諦めた。
その後Railsに出会ってWebアプリ開発を知り、プログラムとソフトウェアがようやく結びつくようになった
隣の市のWeb系の会社に入り、今はフリーランスで何とかやってる。
歯科矯正もした。約130万かかった。
大学を辞めて以降、姉と母親の仲は良くないようで、姉が実家に帰ってきたのは俺が家を出て1度のみである
あれだけ金かけてもらったのに薄情な姉と違って自分は定期的に家に帰ってお土産も渡している。なんていい奴なんだ
この間実家に帰った時、母から「職場の友人たちの中で海外旅行行く話が出てるけどお金ないから行けない」と遠回しに言われた。
お前はケチって矯正の金出してくれんかったけどなと思いながらも、可哀想だからお金を出してあげた。
良い奴だなぁ。
断っておくけど、依存先が姉から弟に変わってそれに心地よくなって、みたいな話ではない
なので次に無心されても断る。
お金がないのも本当だと思う。結構前に体を壊して融通がきく派遣に転職したから。
何か良い事おきないかなぁ。しっかりボディメイクしてる俺より身長と年収が高い女が現れて、俺のことを大好きになって向こうから積極的にアプローチとリードをしてくれて、そのまま彼女になってくれないかなぁ
これ読んでて改めて思ったんだけど
https://anond.hatelabo.jp/20250217165151
星空ってそれを見に行くというよりは、旅行先なりでたまたま夜空を見上げたらきれいな星空だったっていうのが理想的なんだよなと思う。
人生の中で一番思い出に残ってるのは、小学生の頃にボーイスカウト的なやつで山のほうに合宿に行くみたいなのがあって、
引率されてるしどこだったかもあんま覚えてないんだけど、山でテント泊するというプログラムがあって
それまでずっと都会育ちだったし山でテント泊するイメージが全然ない状態で行った。
外でテント張って寝るなんて大興奮で、みんなでワイワイ言いながら設営とかして、焚き火を囲んでほんとに楽しかった。
それでじゃあ寝ましょうねってなって、テントの中に入るんだけど、興奮しすぎて中々寝付けなくて、夜中になんとなくテントから頭だけ出してみようって思って。
で寝ころがったまま頭だけ出した時に、ドンって満天の星が上空に広がってた。
周りはもう静かで、真っ暗なんだけど空には輝く星で溢れていて。
誰も星空がきれいだよなんて言ってなかったからほんとに驚いたし、ほんとに吸い込まれそうって思った。
寝転がってるのもあってか、だんだんどっちが上か下かも分からないなってきて、これが宇宙かって思った。
自分でたまたまテントから顔出してすごい星空を見つけてしまった、他には誰も見てないよっていう状況にほんとドキドキしたんだよね。
考えてみたらそんな機会ってそうそうないんだと思う。
それで次の日の朝、引率してくれてた人に「夜中に外見たら空がすごかった」って言ったら
「先生も見てたよ。みんなに内緒ですごく素敵なものが見れたね、よかったね」て言われたのもすごい良かった。
大人になってきれいな星空を見る機会は何回もあったけど、「きれいな星空が見れるかも」って思いながら見てるし、
あの時の衝撃を超えることはもう二度とないんだろうなって思う。
診断されてないけど事例が当てはまりすぎる
まあ、極端に体育が苦手だった人は大体当てはまるんじゃないかな
そんな俺が体育の授業について思うことを書いていく
DCDを自認するような人はみんなそうだと思うけど、体育の授業はみんなの前で恥をかかされる拷問の時間だった
主要教科では成績優秀で真面目な優等生の自分が、この世で一番ダメな人間の見本みたいに、何度も何度もできない逆上がりや跳び箱をやらされる
いい学校だったから、誰も笑わないで応援してくれるが、それがまた辛い
チーム競技でも当然足手まとい
いい学校だったから、だれもそれを責めないけど、はっきり俺のせいで負けたのだから、劣等感に潰されそうになる
転機は30歳少し手前のころ
理由はシンプルで、同じ職場に好きな人ができて、その人の趣味がヨガとマラソンだったから無理してはじめた
そしたら、自分の体の動かし方がなんかめちゃくちゃなんだってよくわかった
彼女のアドバイスを受けながら少しずつ正しい体の使い方を身につけていくと、目に見えて姿勢が良くなり、体型も運動能力も変わっていった
今まではなんとなく体を動かしていたのが、どの筋肉をどう動かせばいいのかがわかるようになってきたんだ
それよりなにより、体を動かすのが楽しいことなんだとわかったのが大きな衝撃だった
俺が嫌いだったのは運動じゃなくて、体育だったんだと思い知らされた
正しく体を動かすことは、なんて気持ちいいんだろう
いや、小さい頃は知ってたのかもしれないけど、体育の授業のおかげで完全に忘れ去っていた感覚
それを思い出したと言った方が正しいかもしれない
そうなると、走る、跳ぶ、投げる、などの基本動作に必要な筋肉の動きもわかるようになり、どのスポーツもある程度できるようになった
子供の頃はどうやってサボるか必死で考えてたマラソン大会に、自分から金を払ってまで参加するようになった
40歳を超えた今となっては、同年代と比べるとかなり動ける方だ
こうした経験を経て思うのは、やっぱり体育の授業はおかしいということだ
俺みたいなDCDの傾向がある人間には、いきなり正しい動きはできないし、突然スポーツやらされてもできるはずがない
どう考えても、俺が30歳手前でやったような、どうやって体を動かすか?というのを先にやっておかないと、逆上がりなんてできるわけない
だから俺は、体育の授業では身体の習熟度にあわせてプログラムを変えるべきだと思う
そして、スポーツではなく、体を動かす楽しさを教えるべきだと思う
DCDでもトレーニング次第である程度の動きは身につくのだから、その子にとって必要な能力を身につけさせてほしい
能力に優劣をつけてできない子に苦手意識を植え付けることが目的なら今のやり方が最適だと思うけど、そうではないんでしょう?
俺は、できるだけ多くの子供達に体を動かす楽しさを知ってほしいからぜひとも変えてほしい
そう思ってる
ちなみに、俺に体を動かす楽しさを教えてくれた彼女は今の嫁です
実際に動くプログラムはご想像の通り命令が決まってるものだけど、ここでいう抽象的なプログラムっていうのは開発効率をあげるためのものと考えてもらえばいいかな。
例え話になるけど、
みたいなイメージ。
概念としてのリモコンは「なにか家電とかを操作するためのもので、電源ボタンがあって、赤外線で信号出して…」って感じでこういう機能のこういう使い方をするものですよってのが決まってて、これに従ってテレビのリモコンを「テレビを操作するためのもので、電源ボタンがあって、赤外線で信号出して…」「ついでにチャンネル変えたり音量変えたりするボタンつけて…」と作ってくわけ。
抽象的なリモコンを定義しておくと、他のリモコンも作ろうっていうときに似たようなプログラムを書く手間がある程度省けるし、逆に言えばルールに違反した変なリモコンを作りにくくできる。
他にもこういう作り方をするメリットはあるけど、これ以上リモコンで例えるのに無理がありそうなのと実際にプログラミングしたことないとピンとこなそうなので省略。
あとプログラミング言語とか開発手法によって作り方が違ったりするので、必ずしもプログラミング全てにこういう概念があるわけではないです。
プログラムの動作は、NANDゲートという基本的な要素から複雑なデジタル回路へと段階的に構築されることで実現されます。NANDゲートは、入力が両方とも真(1)の場合にのみ偽(0)を出力し、それ以外の場合は真(1)を出力する論理ゲートです このNANDゲートが、デジタル回路の基本的な構成要素として機能します.
NANDゲートは、それ自体が万能ゲート(universal gate)であり、これだけで他のすべての基本的な論理ゲート(NOT、AND、OR)を構成できます.
基本的な論理ゲートを組み合わせることで、加算器やマルチプレクサなどのより複雑な組み合わせ論理回路を構築できます。
組み合わせ論理回路にフィードバックループを導入することで、順序回路が実現されます。順序回路は、現在の入力だけでなく、過去の状態にも依存した出力を生成できます。
上記の要素を組み合わせることで、プロセッサ(CPU)を構成できます。
プログラムは、一連の命令としてメモリに格納されます。プロセッサは、プログラムカウンタが指すアドレスから命令を読み出し、命令デコーダで解釈し、制御ユニットの制御下でALUなどの各ユニットが動作することで、プログラムが実行されます。このプロセスを繰り返すことで、プログラムは順次実行されていきます。
このように、NANDゲートという単純な要素から出発して、段階的に複雑な回路を構成することで、プログラムの実行に必要なすべての要素が実現されます。
そりゃ深層学習の計算を一部CPUにたよらず計算できる機能がちょっとついてるかもしれないよ。
でもそれが動く瞬間っていつさ?いったいどのアプリがそんな機能実際に使ってるのさ?
スマホならまだ写真撮影後とかに動くかもしれんけど特にPCの方な。
本当にCopilotがローカルの演算機つかってんのかー?ちゃんと確かめたかー?
現状だとサーバにお願いだけして結果受け取ってるだけなんじゃねえの。
サーバ側の進歩が落ち着くまでプログラムが変わり続けててローカルの側で計算するところまでできてなくね?
AIPC にお金払うぐらいならゲーミングノート買ってCUDA動くようにした方が良いし、それよりもPC買い替えないでそのお金ChatGPTとかに払った方が幸せになれるんじゃね?
https://edition.cnn.com/2014/08/27/health/irpt-cdc-autism-vaccine-study/index.html
発表された研究によると、アフリカ系アメリカ人の男児は、2歳になる前にMMRワクチン(麻疹・おたふく風邪・風疹ワクチン)を接種すると自閉症のリスクが高まる可能性があると結論付けられました。この研究の著者は、CDC(米国疾病予防管理センター)の研究者たちが2004年にその関連を知っていたにもかかわらず、それを隠蔽していたと主張しています。
ブライアン・フッカー氏(この研究の著者で生化学エンジニア)は、24か月未満でMMRワクチンを接種されたアフリカ系アメリカ人男児が自閉症と診断される可能性が高いことを発見しました。フッカー氏は、この結論に達するために、CDCの研究者たちが2004年に実施した研究のデータを分析したと述べています。
2004年、CDCの国家予防接種プログラムの科学者たちは、「Pediatrics」という雑誌で研究結果を発表しました。この研究では、3歳から10歳の自閉症の子ども624人と、発達が健全な子ども1824人を比較しました。この研究によれば、ほとんどの子どもは推奨されている通り、12~17か月の間にワクチンを接種していました。
CDCの研究者たちは、MMRワクチンの初回接種年齢と自閉症の診断には関連がないこと、特定の人種グループでリスクが統計的に有意に高くなることはないと結論付けました。
CDCの元データは2004年の研究発表時に他の科学者も利用できるようにされていました。フッカー氏は、2013年11月に元の研究の共著者の1人であるウィリアム・トンプソン博士から連絡を受けた後、自身の研究を開始しました。トンプソン博士は1998年以来CDCで働いているシニアサイエンティストです。
フッカー氏は、自身が発見したアフリカ系アメリカ人男児のリスク増加がCDCの研究で特定されなかった理由について、研究者たちが意図的に分析に含める参加者の数を制限し、結果を変更したと主張しました。フッカー氏によると、出生証明書を持たない子どもを除外したことがCDCの研究結果を歪めたと述べています。
「私と共著者たちが2004年の論文で統計的に有意な情報を省略したことを後悔しています」と、トンプソン博士はCNNに弁護士を通じて送った声明で述べました。「この10か月間、フッカー博士と多くの議論を重ねてきました。CDCが実施したワクチンと神経発達障害(自閉症スペクトラム障害を含む)に関する研究について議論しました。私はCDCの意思決定と分析が透明であるべきだという彼の考えを共有します」。
クリーブランドのRainbow Babies and Children’s Hospitalの小児神経科医であるマックス・ウィズニッツァー博士は、その分析が「意味のある情報を提供するには不十分である」と述べました。
「データを十分な回数やさまざまな方法で分析すれば、統計的に有意な何かが見つかるのは当然のことです」と、ウィズニッツァー博士は両方の研究を見た後で述べました。「しかし、この結果が真の陽性(真の結果)であるか、偽陽性であるか、あるいは意味のあるものであるかを示しているわけではありません」。
結構グレーなんだな