はてなキーワード: くそとは
タイトル通りの話だが、決して自分が頭が良いですと言いたいわけじゃない。
と言ってもアンチはいくらでも沸いてくるんだろうけど。どうでもいいや、もう。
好きな(と言うのも憚られるけれど、いったん)グループの周年ベストアルバムが発売された。
と言っても、ここ最近ずっとモチベーションが低下の一途を辿っていて。いつもなら発表されたと同時にほとんど脳死で三形態予約、フラゲ日には勝手に届く、その後なんか気が向いたら包装解いて視聴する、が常だったのに、今回は予約すらせず、発売されてからもしばらく手すら付けなかった。なんなら購入する気も起こらないほどだった。
それでもと重い腰を上げて購入に至ったのはひとえに、自担のソロ曲が収録されているからだ。それだけが購入の理由で、本当にそれだけしかない。
自担はグループ内においてかなり歌割りが少なく、デビューしてからそれは長らく継続している状態だ。私はいわゆるデビュー後の永遠新規オタクだが、好きになった頃から今現在、いやデビュー前を除いて遡っても歌割りが多い!となれた試しはほとんどない。強いて言えばユニット曲ぐらい。かなしい。
ここら辺の話も相当に根深いのだけれど、本題でないから今回はいったん置いておくとして。まあそういう状態なものだから、どうしてもソロ曲が収録されているとあってはさすがに聴きたかった。YouTubeで一部公開されたのを視聴した時、MVも曲も本当に良かったから、これと好きなメンバーくらいは見たいというその一心で、MVが収録されている1枚だけ購入することにした。
購入してから1週間くらいは、何度も何度も自担の曲を見て聴いていた。だって好きだから。
自分の好きなひとが、歌割りやカット割りを一切気にすることなく、外野の心ない言葉を気にすることなく、余すことなく堪能できる。ノーストレスで見られる、そんなしあわせをかみしめていた。やっぱり自担好きだな、他の好きなメンバーの曲も良いな。そうやって久しくなかった、ただ純粋な気持ちでアルバムを楽しんでいた。
だけど、それも長くは続かなかった。
少し視聴のペースが落ち着いてきて、車でも聴きたいからやっぱり通常盤も購入しようかな、と思い始めていた頃。
YouTubeの公式チャンネルにて、唯一にして最大の目当てであったソロ曲が、フルバージョンで、公開された。
その時の衝撃と言えばもう、とても形容しがたい。いくらなんでも早すぎる、いやアルバム買った意味。そういう感情も多分に沸いてきたけれど、何よりも何よりも頭を占めたのは、「好きな曲」が「それぞれのオタクによる再生回数争い」の道具になってしまったことだった。
令和になり、推し活なんて言葉が日常茶飯事的に使われるようになった昨今。企業側にもオタクの購買意欲はとっくに知れ渡っており、あの手この手でオタ活と経済を結びつけようと躍起になる世の中。
SNSの普及により、オタクは「ある一点において」めちゃくちゃ賢くなってしまった、と個人的には思っている。
一点というのはつまり、「CDや円盤を購入する、SNSで話題になる、動画を再生する」などといった行為が、いわゆる〝推し〟にどう還元されるかをある程度知ってしまっているということだ。
数字は良くも悪くも強い。何を進めるにも、何を決定するにも、数字というのはある種絶対的なソースであり力だ。数字があるから起用する、数字を持っているからBETする。当然だし、仮にも社会人として短くない年数を過ごしてきた自分としても、数字を無視して全てを通すなんてことはとてもじゃないができない。百聞は一見にしかず、まさに大きな数字の前にも言えることだ。
YouTubeに公開されたことで、案の定オタクたちは頑張った。自分の好きな人の再生回数が低いなんてあってはならない、脚光を浴びせたい、そのほか様々な意思により、オタクたちがどのようにすれば再生数にカウントされているのかを喚起するポストが瞬く間に散見された。私はそれを眺めていた。
「回す」。日本語というのは不思議なもので、一言でたくさんの意味を持つ。この一言もそうだ、この話の中で言えば「再生して数字を増やす」。私の視界に収まる決して少ないとは思えない人数が、この言葉を呟いていた。みんなで回そうね。無邪気な子どものような口ぶりで。
公開日がズレているのももちろんだし、MVでも客演があったりとそれぞれ条件が違う中で比べることなんて絶対に出来ないのに、何を争っているんだろう。
その瞬間、「ああ、私が好きなものは、好きだったものは、ただの競う道具に変貌してしまったんだな」と。そう思ってしまった。
結局オタクの中で争ってオタクが頑張って再生回数を伸ばして、「オタク以外の人にも見て貰うため」なんていうお綺麗な言葉はしかし、実際再生回数のどれだけに当てはまるのだろう。そこから好きになってファンクラブに入って?ファンが増えていって、国民的アイドルに?ピンとこない、シンプルに何がゴールなんだろうこの争い。
考えれば考えるほど、空しさが広がっていく。
間違いじゃない。決して。あれを口にしていたうちのどれほどかなんてのは分からないが、本当に心から「好きな人を応援したい」という思いで「回して」いた人もきっとたくさんいるだろう。
なんなら、数字で証明することがスタンダードになった昨今、私の考えの方が間違い、というか古いんだろう。そこも理解している。
それを認めた上で、それでも私は、エンタメにおいてあまりそれを感じたくないというのが嘘偽りない本音だった。だってエンタメだ。娯楽だ。人ひとりの人生がかかった、超巨大なエンターテインメントコンテンツ。この場においてのアイドル。
それらに対して、基本的に「楽しみ」しか求めていない。圧倒的、面白い、格好良い、可愛い、美しい、眩しい。なんでもいい、とにかくそういう、普通に生きているだけでは得られない栄養というか、そういったものが見たくてアイドルを見ている。私の場合。
「好き」だから見ていたいし、「好き」だから買う。そこに「○○を応援したいから!」なんて殊勝な心がけなんて微塵もない、徹頭徹尾私の勝手だ。だって娯楽だから。
ただ好きだから聴いてる、見てる、現場に行ってる。シンプルにそれだけだ。
それだけでいいはずだろうと、老害よろしく懐古している。今もずっと。
自担の曲も、好きなメンバーの曲も、それぞれ本当に良い曲だ。それは今でも思ってる。
だけど、購入して見て、聴いた時の気持ちにはきっともう二度と帰らない。
じゃあ見なければ良いなんて人は言うけど、逆に問いたい、それって誰が出来てるの?
ここを見てる時点で、みんな同じ穴の狢だよ。
そう言っても無駄なんだろうけどね。SNSで議論をしようとする全ての人は私と解釈違い。
何度でも繰り返す。徹頭徹尾私の勝手だ。私の意見だ。アルバムを購入した、一消費者で名義的にはファンを名乗って良い立場の。
好きなものをどんどん嫌いになっていく。それを望む人なんているのだろうか。
勝手に嫌いになってるだけじゃん、そう思うだろう、そりゃそうだよ、勝手に好きになってるんだから。
でも。こんな人はファンじゃない、なんて、そんなもんはアイドル側しか下せないんだよ。
人に刃を向けるときは、全部自分の思いであり全部自分の勝手だと、承知してからやってほしい。
推しのことを思って、なんていうなら、こんな汚いところに手を突っ込む時に推しの名前を使うな。
これは推し活をする全てのオタクに対して思っていること。自戒でもあるけれど。
ただの呪詛だし、ただの泣き言だし、ただの弱音で、ただの悲鳴だ。
それでも、私にとっては計り知れない絶望だった。
セックスを伴わない結婚をしたい人のための友情結婚相談所が、子供が欲しいゲイに向けて、男同士で子供を持つのは難しいけど、友情結婚なら女性とマッチングして性行為なしで子供を持てるかも!と男性2人と子供のイラスト付きで広告を打って燃えていた。
セックスに拒否感がある程度で、他に恋人がいる男の為に処女で愛のない妊娠出産したがる気が知れん。
出産はもちろん、妊娠検査も毎度膣に器具突っ込まれてセックスなんか比にならん不快感だぞ。
『新世紀エヴァンゲリオン』のアスカがシンジを好きだったと何の疑いもなく単純に思っている人って、フィクションにおける「ツンデレ」概念を内面化して認知が歪んでいるので、大いに自己批判したほうがいいですよ。冗談ではなくガチで。大真面目に言ってます。
https://x.com/maeq/status/1892243109699792999
アニメとかでマンガで好きかどうかなんて結構ぼんやりとしてんじゃん
当時からなんとなくつっかかってる=大体好きなんじゃね?って思ってたよ
若い頃はゲームやマンガやアニメやラノベにはまったのに今じゃ全然楽しめない
アニメはスレイヤーズや機動戦艦ナデシコや爆走兄弟レッツエンドゴー
他にも色々楽しんでいたが全然やる気が起きない
森村ハニーとか深田美穂とか椎名舞とか熊野ぷぅことか琴野まゆとか山咲あかりとか大浦あんなとかだ
そこから彩名杏子とか北川美果とか夏目ナナとか麻美ゆまとか松坂みるくとかだ
そういうラインナップを延々と繰り返してシコるだけの日々
スマホはiPhoneSE3
髪はまだふさふさだが若い頃よりは減った
両親は数年前に死んだし祖父母もいない
なんだろう
毎日会社行って働いて帰ってきてメシ食ってオナって寝ての繰り返し
土日もオナニーしてるか寝てるかメシ食ってるか筋トレしてるかだけ
最近の若いAV女優を見ると結婚してたらこんな娘がいたかもしれないと思うと無理になる
松坂みるくの私におっぱいさわってみるくでは勃起もするが最近のAV女優はだめだ
トップテンメイトとビージーンとデラべっぴんとスコラとアクションカメラだ
家庭はない
そう独身なんだ俺は
何もない
老いだ
きっと脳が萎縮してる
新しいことができずやる気が起きない
オナホの中にだすもんだしてすっきりするだけ
繰り返す日々
それが俺
風俗?
昔一回行ったら嫌そうな顔されて辞めたんだよ
きっと俺の顔が気持ちが悪かったんだろ
デブではないのできっとそう
メガネもかけてないがきっとそう
くそう
思い出したら腹がたってきた
俺は勝ちたい時にエスカップ飲んでるぞ
なににだよ
深夜に目が覚めてこんなんかいてるよ
酒は飲まない
タバコは吸わない
お先真っ暗
こんなの俺だけだろうな
なあ底辺ってのは俺のことだぞ
お前俺なんかこうだぞ?
これを死ぬまで繰り返すか
性欲が落ちたらきっと何もない生きる日々
俺は転生したくないなあ
死にたくない
転生もしたくない
なんかこう漠然としてるけど
こうなんか
安心して消え去りたいって感じだ
さぁ寝るか
https://x.com/nazono_aqua/status/1891835640628621451?t=zBIsFGy_Pt9sVOfGEgnXmw&s=19
赤いきつね炎上に便乗して、このすばのキモい食事シーンを切り取り拡散してるオタクがいる。
以前もオタクが骸骨騎士様のレイプシーンをエロいと切り取り拡散して、一般女の目にもとまり地上波でやるには過激で胸くそ悪すぎるレイプシーンが炎上して、それでもオタクはしばらくその動画消さずに喜んでたし。
夏休みに子供二人連れてプールのあるホテルで1泊すると思うと、14万ぐらいする。交通費やら昼飯代2回分でさらに3万、遊園地とか言ったらさらに2万ぐらいで結局20万ぐらいかかる。
まるまる一か月の生活費なんだけど。
かつて、フェミニズムは「男女差別の撤廃」という明確でシンプルな目標を掲げ、多くの人々に支持されていた。
このような主張は、多くの人々が納得した。今でも出産格差などの話は賛同が多いしね。
次第にフェミニズムは「ジェンダーフリー」という概念へと移行し、その方向性が変わり始めた。
性別の固定観念をなくそうとする考え方自体は理解されるものの、活動の主体が「批判」へとシフトし、対立を生む運動へと変貌してしまった。批判活動が自己目的化し、本来の目的を見失ったことが、フェミニズムにとって致命的な転換点だったのかもしれない。
さらに、社会的影響力のある表現への批判が、次第に「個人的な不快感を理由にした排除」へと変化した。例えば、アニメや広告における「キラキラした女性像」ばかりが標的とされ、批判の対象が「攻撃しやすいもの」に偏っていった。
もちろん、男性の理想像を女性に強制することは問題である。しかし、本来批判されるべきは「女性に強制」の部分であり、「男性が好む女性像」そのものではない。
しかし、フェミニズムの一部はその違いを曖昧にし、「男性が好きな女性像ならば攻撃してもよい」という誤った認識を持つようになった。
さらにフェミニズムは「LGBT」問題と絡み始め、複雑化の一途をたどった。
その結果、多くの人々の間で「LGBT議論は難しすぎる」という認識が広まり、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)への不信感も増大した。
「言いたいことは分かるが、それが本当に解決策なのか?」という疑問が浮上し、フェミニズム全体に対する嫌悪感を招く要因となった。
アメリカでは政権交代とともに、極端なポリコレを掲げる勢力が否定される傾向が強まった。
しかし、その流れを読めず、「男性が好きな女性像ならば叩いてよい」という姿勢を続けてしまったのが「赤いきつね」である。
世論は厳しかった。「そんな女性はいない」という主張をしたところで、それが社会にとって何の問題なのか理解されなかった。
感覚的に"キモイ"ということが共感出来ても、それ自体を問題視するかは全く別なのである。むしろ、特定の表現を排除することが本当に正しいのかという疑問にしか繋がってない。
問題は「固定観念を強化するほどの影響力があるか」を見極める視点が欠如していることだ。
その視点に立てば、「男性が残業しなければならない」という固定概念や、「ネット広告の影響力の実際」といった、より建設的な議論ができたはずだ。
大丈夫、今回ので、みんな気付いちゃったよ?
女性の「こうだったらいいのに」を実現してくれる元鈴木さんの理念は尊敬してるし商品も気になってよく見に行くんだけど、ヘッダーの件は「えっ?」ってなっちゃった。
性的搾取かどうかは正直分からないけど、全体像を知らずに使用してたってことは無断転載なんだろうし。
企業アカとは違うのかもだけど明らかに代表として使用しているアカウントで、指摘された時の反応の軽さが気になってしまった。
芸能人の場合はそれで宣伝になるなら、とあえて目を瞑っているところもあるだろうけど。
ただ、これはよくないのではと指摘するだけじゃなくそこから鬼の首を取ったように多数で攻撃するよくある流れはうんざりする。
「これはよくないのでは?」
「気づかなかったです、すみません」
で終われば済む話が済まないのがまたXあるあるなんだよね
転職サイト経由なら細かい経歴と出来ることをひたすら書くだけでいいよ
マイナススタートは基本的に受け身型という、他社やエージェントからの声掛り待ちになると思うので、どんな流れで先方が確認するか、転職希望者はどうすればいいか書いていこうか
1.まずハッシュタグで検索して条件に合う人材を1次選定する 例えば、IT、積極的、コミュ力、忍耐力、営業、現場管理、管理職など
ハッシュタグはとりあえず少しでも自分に引っかかるなら登録しておけ
上下にブレてもいいので絶対に書く。話が前に進んだら金額交渉は当たり前の世界なので目安を示す
600万円希望で300万円の会社から声掛ることはないが、400万~600万提示の会社ぐらいからは声がかかる。
労働力側はもらえれば貰えるほどうれしいのはその通りだが、目安がないと会社側も判断できない。=時間の無駄になる可能性があるのでスルーされやすい
3.次に経歴書を見る
これまでにどんなような仕事をやってきて、求める人材とマッチできそうか判断する
ここで嘘は絶対に書かない。盛ることもしない方が良い。出来る限り具体的な数字で書いてあるといい
例:新卒入社後10年間ルート営業を担当……2年前からは指導係にも任命され3人の指導を行う。……営業成績は1年目、5年目、10年目それぞれ月/年〇〇円
特に5年目で△△という方法を取り入れることで成果拡大につながった。 など
→ 人事側:ふーん、管理職ではないけど少人数の面倒は見てたのね。営業としての力はありそう。とかの評価をする
4.志望動機
転職希望なんだからそりゃ動機は絶対あるし、ここが一番嘘つかれたり、本当のこと言っててもその判断が難しいところ
給料安い、労働環境厳しい、ってマイナススタートはありふれてるのでまったくもって問題ない
志望動機の確認は打合せや面接で確認されて、人事側を納得させられればそれでいい
要点はその動機に至った事実は何か、事実に対してどう感じたのか、事実に対してどのような行動をしたのかを客観的に説明すること
悪い例×
上司からのパワハラがひどく、仕事量やノルマが過剰に割り当てられる。また、周囲との会話もほとんどなく、相談したくてもできないしストレスを感じており、より良い職場環境を望んでいる。
→ 具体的に何をされてパワハラなのかわからない、仕事量が過剰について再分配の提案しなかったのか、周囲との関係はあなたが悪いのか周りが悪いのかわからない。
いい例
ノルマを達成できなかったときに、上司からみんなの目の前で大声で叱責されるなどパワハラを受けている。ノルマが過剰なのは自分の能力不足もあるが、上司や会社に業務量の見直しを提言しても
取り合ってもらえなかった。挨拶は大事だと思うので、必ず出社、退社の挨拶をするようにしているが、無視する人がおり、相談にも乗ってもらえないことが多々ある。無視する人は他の同僚との挨拶、相談は
している所を確認している。自覚はないが何か気に障ることをしたと思い、上司に取りなすようお願いをしたが聞いてもらえなかった。
→ 鵜呑みにはできないが求職者側のみの問題ではないと判断できる
この流れって企業からの直接オファーの場合で、エージェント(個人が求職者と会社をつなぐ役割する人)は1でとりあえずメールしてあとは打合せで確認しましょうってなることが多いね
エージェントは経歴書の書き方とか思ってもない会社とか紹介してくれるから3,4人とはやり取りしてみればいいよ
長くなったので結論をまとめると、
・転職サイトにはハッシュタグみたいに登録できるようになってるので、たくさん登録する
まずはこれだけやればいいです
あとはやりながら覚えていきましょうね
この例えの下手くそさもやべーけどな
放送大学はどう?易しい科目もあるよ
入学せずともBSでやってる無料のを見るだけでも全然いいし、印刷教材も質が高い
「より良い思考の方法 クリティカルシンキングへの招待」(「錯覚の科学」とセットでぜひ)
他にも面白い科目がいっぱいある
変なYouTuber本とかチャイナくそ通販に金ドブしてほしくないよな
うちも他人事じゃない…
赤いきつね騒動について、私は「自分はそこまで気にならないけど嫌な人がいるのは分かる」くらいのスタンスだったのだが、周囲を見渡すと私が慕ってる人の中にも問題を全く理解してない人が結構いて、嫌気がさしてしまったので書き殴ります。
フェミとオタクを中心に不毛な言い争いが繰り広げられてる印象の強い問題だけど、多分君たちは敵じゃない。対立する場面はあったとしても、名前だけを見て殴りかかっちゃ駄目だ。個別の問題に目を向けてくれ。落ち着いて聞いてくれ。
まずフェミ(とネット上で呼ばれている人)およびフェミと名乗るほどではないが女性の性的消費にうんざりしている人たちが何故そんなに怒っているか。日頃アニメコンテンツに慣れ親しんでいる人ほど「あれが性的…?」と思ってしまうと思うけど、そういう人はまず「性的」という言葉の意味を捉え直す必要がある。
あの映像は「(女性だけが)過度に性的に表現されている」と批判されているわけだが、「性的」とは何も直接的なエロ表現のことだけではない。「性愛の対象として魅力的に感じること」、もう少し噛み砕いて言うと、「女の子を女の子らしく可愛く描くこと」も広く「性的」と言える。
女性の中には、この「女の子らしく可愛く」を求められることにうんざりしている人が結構いるのだ。
「私たちは都合のいい可愛い生き物じゃない。ちゃんと人間として見てくれ」と。
頬染め、耳かけ、潤んだ目、口元の描写と、様々な点が指摘されているが、そういうアイコン化されて現実からかけ離れた「可愛い女の子像」にうんざりしているのだ。
尚、あれがフェラみたいだとか言っている人については、それは正直どうかとは思う。
けれど同時に、それくらい口汚く罵りたくなるほど性的な目で見られることに嫌悪感を抱く人がいることも忘れてはならないし、その背景からも目を背けてはならない。
男性諸君には想像もつかないかもしれないが、女性というのは生きているだけで本当に性的な目を向けられ続けるのだ。
私なんかはかなり平和に生きられている方だと思うが、それでも男性多数のコミュニティにいた時には、私の本当になんでもないほんのちょっとした言動をAVやエロ漫画のシチュエーションに結びつけて、嘲笑の的にされるようなことは頻繁にあった。私ですらそうなのだ。
どうしてか性的な目を向けられやすい人とは残念ながら存在するので、酷い人はそれはもう想像を絶するほどに酷い目に遭ってきたのだと思う。そういう背景を持つ人たちから半ば反射的に飛び出す罵詈雑言を、言葉尻だけを捉えて批判するようなことはしたくない。
ヒステリックに過剰反応してしまってる人も確かにいると思う。でも逆に「その反応も仕方ないほど傷つけられてきたのだとしたら?」と想像すると、とてもいたたまれない気持ちになる。
あの映像を見ただけであれだけ怒っているのだと思っているなら、確かに「ちょっとおかしいんじゃないの?」と感じてしまうだろう。
でも彼女たちはずっとずっと女として生きているだけで嫌な思いを積み重ねてきたのだ。
「ちょっとおかしいんじゃないの?」を彼女たちにぶつけてしまう前に、一旦立ち止まって考えてほしい。
「どうして彼女たちはたったあれだけのことでこんなに怒らなければならなくなってしまったんだろう?」と。
あの映像は「目の保養」としてはよくできていたと思う。ドラマを観て涙ぐみながらうどんを啜る女の子は可愛い。でもそれは、主人公の女の子を鑑賞物として見てしまっているということでもあるのだ。
「あれは可愛い女の子を見て楽しむものだろう。それの何が悪い」と思う人がいるかもしれない。
言いたいことは分かるし、そういう楽しみ方をする人がいてもいいと思う。
では何故炎上したかと言うと、あの映像がCMであり、CMのターゲット・コンセプトと作画・演出がミスマッチを起こしていたからだろう。
あれが人気アニメのキャラを主人公にした映像だったら、全く同じ演出でも多分あんなに炎上しなかったと思う。それならCMのターゲットはそのアニメのファンであることは明確であり、主人公が「鑑賞対象」として楽しむために作られたものだということが理解できるからだ。
しかし、無名の男性主人公/女性主人公の映像が制作されたところを見ると、ターゲットはそれぞれ広く一般的な男性/一般的な女性と見るのが妥当だろう。
そして、両者とも日常的なシーンを描いていたことから、顧客の共感を呼ぶことで購買意欲を刺激することを狙ったのだろうと考えられる。
しかし、肝心の女性主人公が現実の女性とはかけ離れていて、共感できる対象ではなかったのだ。
ゴリゴリにジェンダーバイアスのかかったステレオタイプのシチュエーションで、キラキラの目と紅い頬の可愛さの強調された絵柄、フェチ仕草として擦られまくった耳かけポーズ。
自己投影の対象として作られたであろう「一般的な女性」であるキャラクターがここまで性的魅力を強調して描かれていれば、「こんなんじゃねえわ」と思って当然だし、自分に性的な目を向けられているような嫌悪感を覚えるのも無理ないだろう。
さらにこの件では、男性と女性の描かれ方の非対称性が顕著に現れていたことも問題だった。
男性は比較的リアルな作画だったのに対して、女性はいわゆる「萌え絵」と呼ばれる、消費の対象であるコンテンツとして培われてきたイラストの表現手法で描かれていた。
逆に男性側も「女性好みのキラキライケメン」として描かれていたならここまで大きな問題にはならなかっただろうが、男女の扱いに差を作ってしまったことで、そのまま社会における男女の扱いの差を投影してしまったのだ。
作画監督が違うんだから絵柄が違うのは当然だ、という指摘が多いが、よほど興味のある人でない限り監督が誰がなんて調べないし、苦言を呈す側がそこまでの注意を払う必要はないと思う。そもそも同じシリーズとしてセットで公開された映像なのだから比較されるのは当然のことだ。
消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。けれど、あの映像における女性主人公は「消費者の代表」として捉えられても全くおかしくない存在であり、それを性的に描いてしまったのだから、不快感を持つ人はいて当然だと思う。
意地悪な解釈をすると、それは「カップうどん食べてる女の子ってちょっとエッチで可愛いよね」というカップうどんメーカーからのメッセージとも取れる表現であって、「おまえら消費者をそんな目で見てたのかふざけんな」と批判されても仕方のないことなのだ。
それと誤解されがちだけど、女性を性的に消費するのは何も男性だけではない。女性もまた女性を性的に消費しているのだ。
女性アイドルにも必ず一定数の女性ファンがいることを見れば明らかだろう。女にとっても可愛いものは可愛い。
だからあの映像の監督が女性であることは何も不思議なことではない。「可愛い女性」の描き方に慣れ過ぎて手癖同然に女の子を可愛く(性的に誇張して)描いてしまったのか、クライアントから「もっと可愛くして」と要望を受けたのかは分からないが、女性が「アイコン化された可愛い女の子」を描くのも別に普通のことだ。
繰り返すが、消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。ただ、コンテンツを通して現実に生きる女性に性的な眼差しが向けられてしまった時(あるいはそう捉えられる表現がされていた時)、それは時として加害性を伴うのだ。怒って当然だ。
ただし、もし監督個人を攻撃している人がいたら、それは今すぐやめろ。
生み出したものへの責任は背負う必要があるので、作品そのものが批判されるのは致し方のないことだ。でも人格までを否定する権利は誰にもない。
ひとつひとつは大した内容じゃなかったとしても、あなたが発したのがたったひと言だったとしても、今彼女には膨大な量の批判を一人で引き受けている。
きっと怖いなんてもんじゃないだろう。世界の全てが敵になったように感じるだろう。
言葉の向こうに人間がいることを忘れてはならない。あなたの言葉が背中を押してしまうかもしれない。
(そして個人的なお願いだが、作品の批判をする場合でも可能な限り言葉は選んでほしい。批判されるのは致し方ないことだけど、自分の生み出した作品が否定されるのは結構メンタルにくるものだから。)
「ああいう表現嫌い」は許されたとしても、人格を否定するようなことは言っちゃ駄目だろ。
そういう人として許されないラインを超えた発言をしてると誰にも話を聞いてもらえなくなるぞ。
ここまで読んでもあの映像がそこまで問題だと思えない人もいるかもしれないが、それは別に悪いことではない。誰が何を感じようと自由だ。(私自身も、あの映像自体にそこまで嫌悪感は抱いていない。)
しかし「嫌だ」と思う人がいる事実を曲げてはならない。「嫌だ」だと感じるのだって自由だ。「嫌だ」と思ったなら「やめて」だって言うべきだと思う。
「嫌だ」は自由だけど「やめて」を言う権利は誰にもない、みたいな主張も見かけたけど、そんな馬鹿なことはない。
「嫌だ」も「やめて」もそれを受け入れてもらえるかは別の話というだけであって、言う権利は誰にだってある。
「嫌だ」という人に「嫌だって言う方がおかしい」というような言葉を投げかけるのは人格の否定であって、それがどれだけ暴力的なことか理解してほしい。
(こういう話をすると「自分は色々我慢してるのに!嫌だと言う奴は我儘だ!」と言う人が必ず現れるが、それはあなたがもっと自分のことを大事にした方がいい。嫌なことがあるなら「嫌だ」って言わないと気づいてもらえないから。どんどん口に出して自分を守ってほしい。)
同時に「嫌だと思わない奴はおかしい」もやめた方がいい。
あなたがどれだけ嫌な思いをしていようと、他者の感情を制御することは誰にもできない。「嫌だ」と思う人にできるのは、「嫌だ」と声を上げ続けることだけなのだ。
そして嫌だと思わない人も、できるだけ「あなたは嫌なんだね。そういう人もいるんだね」と受け止めてほしい。「(自分はそうは思わないけど)」でも構わないから。
(紛らわしいけど、「嫌だと思う人がいることを理解できないのはおかしい」は言ってもいいと思う。そういう人は目の前にいる人の存在を無視しているわけだから、胸ぐら掴んででも視界に入れてやらなきゃいけない。)
フェミの話が長くなってしまったけど、ここからはオタクの話もしたいと思う。
ジェンダー観が問題になり広告が炎上する事態はもう何度も繰り返されてきたが、そこにアニメ・漫画コンテンツが関わる場合、必ずオタクがフェミ叩きを始める。
オタクは何をそんなに怒っているのだろうか。
これは主観だが、オタクは長く日陰に追いやられてきた悲しい歴史からか、自分のテリトリーが侵されることに強い拒否反応を示す人が多いように思う。
アニメ・漫画コンテンツは自分たちのテリトリーであり、それを使って表現された広告が批判に遭い、取り下げられることが受け入れられない。「表現の自由」を大義名分に掲げて暴走してしまうのだ。
こういう人たちにまず理解してほしいのが、エンタメコンテンツとして制作されたアニメーションと、広告のクリエイティブとしてのアニメーションの役割の違いだ。
エンタメコンテンツは、コンテンツそれ自体を楽しむためのものであり、好きな人だけが見ればいいものだ。分かりやすく言うと、「嫌なら見るな」が通じる。
商業作品であれば商売としてとして成立させる必要はあるものの、表現の自由は限りなく完全に近い状態で認められるべきものだと思う(適切なゾーニングは必要だが)。
この「(適切なゾーニングは必要だが)」が重要で、今回の件で「頬染めが駄目なら女の好きなBL作品だって駄目じゃないか」みたいな反論をいくつか見かけたが、それ本気で言ってるのか?全く反論になってない。
BLはBLというジャンルに隔離して好きな人だけで楽しんでいるものであり、概ね正しくゾーニングされている状態なので問題ない。嫌いな人も多いだろうか、嫌な人が視界に入れないことができる状態だ。(「絵本の隣にBLが置いてある」みたいなのはマジで早急に改善してくれ。)
例えどんな非人道的な表現であろうと、表現すること自体は限りなく自由であるべきだと思う。
発信した内容には責任が伴うことも忘れてはならないし、この先ゾーニングが厳しくなっていく可能性は十分にあるが、表現することそれ自体は自由だ。
一方で広告の役割は、エンタメコンテンツのそれとは明確に違う。
広告は不特定多数の人に見てもらって商品をPRするものなので、まず第一に、「嫌なら見るな」が通じない。
広告とは頭下げてでも見てもらいたいものだし、隙あらば視界に入ってこようとするものだ。
だから好きな人だけが見ればいいエンタメコンテンツと比べて表現には気を遣う必要があって、企業や商品のイメージを損なう恐れのある表現は避けなければならない。
広告の目標とは、商品のイメージアップや売上アップなど色々あるわけだが、とにかくその広告によってそれぞれ目標が設定されている。
そして目標があるということは、つまり明確な「成功/失敗」があるということだ。設定した目標が達成できれば成功、できなければ失敗だ。
ここの区別がつかない人が結構多い印象なのだが、炎上の理由に正当性があろうとなかろうと、広告が「失敗」と判断されれば、その広告の早期終了や取り下げもやむを得ないことだ。
オタクたちに理解してほしいのだが、広告の取り下げが起ころうと、表現の自由が侵されたわけでは決してないので安心してほしい。それは「表現規制」などではなく、業績への悪影響を考慮した「経営判断」だから。
そして広告の失敗がダイレクトに売上に影響してしまう以上、企業がその表現内容について慎重にならざるを得ないのは理解できるだろう。
仮にこの先ガチガチに配慮された表現の広告クリエイティブしか作られなくなっていったとしても、それを「表現規制」と呼ばないでほしい。ただの「経営判断」だから。
過去の炎上案件の中には理不尽な炎上もあったと思うし、適切とは思えない取り下げもあったと思う。
同じような構図の炎上に見えても、それぞれ別の問題であって、フェミの主張もそれぞれ違う。その中には正当性のあるものもないものもある。
「フェミ」というラベルだけを見て叩かないでほしい。ちゃんと彼女たちの抱える痛みに目を向けて、その上で判断してほしい。
これはフェミのために言っているわけではなく、オタクのテリトリーを守るためにも必要なことだ。
「表現の自由」という強すぎる言葉を盾に痛みを抱える人の主張を蹴散らしていては、いつかはその大事な盾を取り上げられてしまうだろう。
違法でないのをいいことに迷惑行為を行う人にならないでほしい。
例えルールの範囲内だったとしても、それが誰かを傷つける内容であればちゃんと自分たち自身で「ノー」が出せる人であってくれ。
自由が許されているうちに変わってくれ。
受け入れなくていい。でも相手の主張を無視したり馬鹿にするのではなく、「好きなものをそんな風に言われるのは辛い。好きな気持ちを否定しないでほしい」とちゃんと自分の思いを言葉で伝えてほしい。
今の状態だと正直、オタクはフェミ叩きをしたいだけに見えてしまう。でも本当は違うんじゃないか?守りたいものがあるんじゃないか?それを言ってくれないと分からない。
揚げ足取りの口喧嘩で言い負かしたところで相手の内面は変えられない。それではオタクコンテンツへのヘイトが溜まる一方だ。
取り留めのない話を長々とここまで書いてしまったけど、フェミとオタクは対立する場面は多いが、本来は互いに協力して「配慮と自由を両立するにはどうすればいいか」を探っていかなければならない相手だと思う。
フェミにもオタクにも悪いところはある。人としての一線を超えている人も両者に散見される。
けれど相手は「フェミ」じゃない。「オタク」じゃない。人間だ。
人間をやめないでくれ。
きっと未来永劫叶わないことだけど、互いの大切なものが対立したときに、殴り合いではなく議論で解決策を見つけられる人間ばかりになってほしい。
もう不毛な争いは見たくない。