はてなキーワード: ABC予想とは
頭に思い浮かぶのはそれだ
たまに昔を思い出して昔のゲームをするだけ
惰性で買ったゲーム機を取り出す
やるのはバーチャルコンソール
いつもいつも同じゲームをやるだけ
リメイクがでても全くやらない
過去の思い出に浸ってやるだけ
妖怪道中記をやった
体が覚えてるのかげえむかいエンドだった
カメをたすけるにに3万もだすことにいつもどおりむかついた
終わったらまたオナニーに戻った
出した後は虚無になった
よく賢者モードなんて言うがはっきり言って無心になるだけだ
唐突にはっと気づく
面倒臭いと
何もない
なーいないないなんにもない
なーいないないなんにもない
RPGでスタート開始から近くの海辺に行ったら即殺されたんだったなあ
ぼーっとする
さらにぼーっとする
何もおこらない
念じてみる
何もおこらない
だるくなる
だめだわかんね
ABCDE鉄分ケロッグのチョコクリスピーのCMしかわからない
あーあーあー
ここはてんごくじゃないんだー
かといってじごくでもないー
歌を歌う
ここは安いパート
となりのビルのせいで日があたらない
歌ってて気づく
いつも何かのせいにしてるんじゃないかと
いや自己責任だろう
脳が劣化したおじさんだけどそう思う
老いるとそうなるんだぞって
おいおいおいおい及川奈央
あっ急に及川奈央を見たくなってきた
そういえばなんで看護婦って言わなくなったんだっけ
おじさんはよくわからない
あぁ今日も生きたなあ
なら、望月新一のABC予想の証明に対して、これは証明できてるという人と証明できてないという人もいるのはなぜ?
そういうのみると、法則を規定する定義がそもそも一意に可能だったのかって話になるでしょ?
でも学生は答えと解説を見るまでは疑いなく正しく公式を適用してると思っているかもしれない。
相対性理論とかになってくると延々と自分流の理解から脱却できず知恵袋で恥をかいている人がいる。おそらくこれはそれほど安易に決めつけ理解したのではなくむしろ精一杯苦しんでもがいてその自分が正しいと思っている理解に至ったのかもしれない。
でもまっとうと言われる学者はそれを間違いとはっきり考えている。でもその学者の理解もまた思い込みでないとどうやって証明できるんだろうか?知恵袋で恥かいてるやつも学生が苦しんだ公式ぐらいは一般に正しいとされる理解をするかもしれない。学生と知恵袋の人、知恵袋の人と学者、全ては相対的だ。
そういうことを感じさせるのもまた望月新一周りの紛糾である。ある論理的情報とそれに対する理解内容との矛盾は一意的に評価可能なのかということだよ
ABC予想ってそもそも形式的に証明可能なんですか? 真か偽かのいずれ一方であることを信じて証明に挑んでる数学者が多い気はしますけど、証明可能かどうかを証明しようとしてる数学者も同時並行で存在してるんでしょうか?
やっぱり証明にてこずっていると思っていたら実は証明不可能な命題でしたってことになったら今まで証明にかけた時間はなんだったんだってなるじゃないですか。それでも永久に証明できない命題に時間を捧げ続けてしまうよりはマシなので、証明可能性を検討する数学者もいてもいいと思うんですけど…
いまさらこれだけ時間をかけてきた命題の証明が実は証明自体不可能だったなんて聞かされたくないっていうサンクコスト効果みたいなのもあるんでしょうけど、永遠に比べれば遅すぎるものなんてないと思いんですよね。
おれ、chatGPT使えるようになって真っ先に望月新一のABC予想についての海外数学コミュニティでの受け止めについて聞いてみたんだけど、その時はまあまあちゃんとした内容(通り一遍ではあるが)が返ってきた。いま望月新一について尋ねてみたらこんなのが戻ってきた。
望月新一(もちづきしんいち)は、日本の漫画家であり、推理小説家でもあります。彼は、特に『名探偵コナン』の作者として知られています。
望月新一は、1965年6月4日に青森県青森市で生まれました。彼は若い頃から漫画や小説を書くことに情熱を持っており、高校生の頃から漫画家としてのキャリアをスタートさせました。
1994年に、望月新一は『名探偵コナン』を連載し始めました。この漫画は、高校生探偵の江戸川コナンが、毒を飲まされて小さくなってしまった身体を利用して、事件を解決するストーリーです。この作品は、世界中で大きな成功を収め、アニメ化や映画化など、さまざまなメディアで展開されました。
望月新一は、漫画だけでなく、小説でも才能を発揮しています。『名探偵コナン』の小説版をはじめ、数多くの推理小説を執筆しています。
また、望月新一は、漫画や小説以外にも、音楽にも興味を持っており、自ら作曲した楽曲を使用したアニメーション作品もあります。
いや数学者だろ、とツッコミを入れたら以下。もっともらしいがデタラメ多い、というか、望月拓郎とごた混ぜになっている。
望月新一(あきら・もちづき)は、日本の数学者であり、代数幾何学を専門としています。主に、モチヅキ理論やモチヅキ加群、モチヅキ因子などの研究で知られています。
代数幾何学は、代数学と幾何学の融合であり、代数方程式の幾何学的な対象である代数多様体を研究する数学の分野です。望月新一は、代数多様体の幾何学的性質を研究する際に、代数的手法を用いて新しい理論を発展させました。
具体的には、望月新一は、代数多様体上の「D加群」と呼ばれる特殊な加群を研究し、それを用いて、代数多様体の幾何学的性質を解明しました。また、望月新一は、代数多様体上の「モチヅキ因子」と呼ばれるものを定義し、これを用いて、代数多様体の双有理幾何学に関する新しい理論を構築しました。
望月新一はせめてあと一つでも日本の雑誌でいいから査読掲載を認めさせることができないものなのか。
掲載されたのが自分とこの雑誌だけなんじゃ到底参照先として使えないよな。論文の内容が正しいって担保が著しく足りないンダもの。
つまり既に証明済みのフェルマーの最終定理とかならともかく現段階でABC予想が正しいとして初めて証明される諸定理を使っての研究は今不可能なままなわけだ。学問が進まない。
望月は自分達さえわかってればいいって態度なんだろうがその理解者が明らかに質的に足りなすぎてる。せめて論文が正しくて安全に活用可能と一般の研究者が判断するにたるぐらいには理解者がいなければダメよね。つまり担保に値すると判断されるレベルの数の雑誌に掲載される程度には理解者(査読に携われるレベルの専門家)を得られなければダメだ。
別に御用学者みたいに大衆に迎合しろって言ってるのとは全然違うことぐらいわかるよね。
それすらわからないふうに自分さえ真理に到達すればいい、最低限の人に理解させる必要などないみたいな態度とってるんじゃまさしく宗教家のそれだよ。望月論文自体が宗教と言われてるのがやっぱりあながち的外れでないことになってしまう。
望月新一のブログを見たがブコメ言う通りお世辞にも文章がうまいとは言えないな。くどい。汚い。エレガントじゃない。
欧米の大学じゃ入学してからしこたま作文能力を扱かれるそうだがあの文章力でよく単位くれたよな?ひいては今のゴタゴタにもつながってるんだと思うけど。
望月くん説明下手すぎー。せめて雑誌編集を担当するレベルの数学者にわからせられないようじゃ相手が馬鹿なのが悪いなんて言い訳通用せんでしょ。
ガリレオも説明義務を怠ったわけじゃないからな。あれは宗教的洗脳を解くという別の意味の戦いも混じってるわけで科学的な説明はガリレオは果たしていたはずだ。むしろ宗教者側もガリレオの理論の整合性は理解していて、でも神を否定するわけにはいかないとむりやり否定する結論ありきで弾圧したに過ぎない。ゴネていたのは宗教者の方。しかし今回ゴネているのはどう考えても望月の方。
望月が今回の件に関しては一ミリも学問を前に進めていないのだ。だってABC予想が正しいと言う前提で証明されるもろもろの定理がいまだ活用されて新たな数学的事実の発見に繋がってないんだろ。だったらそれは論文を書いてないのと同じ。仕事してないのと同じだよ。
キリストの話みたいに単純な文章の解釈が揺れてしまう問題もあるけど、専門技能が高度化しすぎて情報伝達に時間がかかりすぎるみたいな問題もあって、
例えば数学とかの超先端分野とかになってくるとABC予想の某先生とかが個体として持っている膨大な情報を生きている間にコピーできる人間が少なすぎる
これまでの人類は手間暇をかけて少しずついろんな情報を圧縮してどうにかほかの人にも共有できるようにしてたけど、昨今は情報が爆発しててもうどうにもならないレベルに到達しつつあるから、100年単位で時間がかかったとしても肉体とか脳のアップデートしない限り近いうちにいろんなことが頭打ちになって文明レベルがそれ以上上がれなくなる気はする
ABC予想やろ。うわさの宇宙際タイヒミュラー理論と違うか?