はてなキーワード: 視聴者とは
やっぱり演技がいいのか?
キャラが好かれてるのか?
歳を取ってても綺麗だからか?
謎だよ
CMも色々出てるし
SK-IIも出てるし
何者なんだ綾瀬はるか
綾瀬はるかは、日本のエンターテインメント業界において長年にわたり高い人気を誇る女優の一人である。彼女は1985年生まれであり、間もなく40歳を迎えるが、その人気は衰えるどころかますます確固たるものとなっている。この現象は、単にルックスの美しさや演技力だけでは説明しきれない。彼女の持つ独特の魅力や業界内での立ち位置、そして時代の流れとの関係性を考察することで、その理由を明らかにしていく。
まず、綾瀬はるかの最大の魅力の一つは「親しみやすさ」と「透明感」である。彼女はデビュー当初から清純派女優としてのイメージを確立しつつも、バラエティ番組などで見せる天然でユーモラスなキャラクターが視聴者に強く支持されてきた。一般的に、美しすぎる女優はどこか近寄りがたい雰囲気を持ちやすいが、綾瀬はるかの場合はその逆である。美しさと親しみやすさを両立させる稀有な存在であり、幅広い層からの支持を得ている。
次に、彼女の演技力と役柄の幅広さも人気の要因である。デビュー当初はラブコメのヒロイン役が多かったが、その後、時代劇やシリアスなドラマ、アクション作品にも果敢に挑戦し、確実にキャリアの幅を広げてきた。特に、映画『ICHI』やドラマ『JIN-仁-』などではシリアスな役を演じ、演技派女優としての評価を確立した。単なる「美人女優」にとどまらず、確かな演技力を持つことで長期的な人気を維持できているのである。
また、広告業界においても彼女の価値は非常に高い。綾瀬はるかは多くの企業のCMに起用されており、特に食品・飲料・化粧品などの分野で圧倒的な存在感を放っている。彼女がCMに出演することで、その商品に「信頼感」や「安心感」が生まれ、消費者の購買意欲を刺激する。そのため、企業側も彼女を積極的に起用し、結果として彼女の露出が増え、人気の維持につながっている。
さらに、時代の変化も綾瀬はるかの人気を支える要因の一つである。現在の日本の芸能界では、SNSの発展によりスキャンダルが即座に拡散されやすくなっている。しかし、彼女は長年にわたり大きなスキャンダルがほとんどなく、清廉なイメージを保ち続けている。そのため、視聴者や企業からの信頼も厚く、安心して応援できる存在となっている。
最後に、40歳を迎えようとしている現在でも、その美貌と健康的なライフスタイルが維持されている点も人気の理由として挙げられる。年齢を重ねても若々しく、かつ自然体でいることが、特に女性層からの支持につながっている。また、ドラマや映画での活躍も続いており、単なる「若さ」ではなく「実力」で評価される女優へと進化していることも、彼女の人気が衰えない理由の一つである。
以上の点から、綾瀬はるかの人気の秘密は単なるルックスや年齢にあるのではなく、親しみやすさ、演技力、広告価値、スキャンダルの少なさ、時代の変化への適応力など、複数の要因が複雑に絡み合っていることがわかる。彼女の人気は偶然ではなく、長年の努力とブランディングの結果であり、今後もその地位を保ち続ける可能性が高いと考えられる。
性的消費は「広告やメディアが性的な要素を利用して視聴者を引きつける」だけでも意味は通じるので。
性的対象化は、他者を性欲充足の道具として扱うことである。性的モノ化、性的客体化、性的物象化ともいう。広義の「対象化」とは、他者をその個性や尊厳を無視して消費財や手段として扱うことである。
さらに言えば、モノ化理論だね。(モノ化についてはヌスバウムの論文でどうぞ)
「道具として扱う」行為。
性的な部分を「記号化」し、「記号化」した部分を人間に再転化して性的に見る行為かな。
女性(とは限らないけど)を記号化された「モノ」を備えた「道具」として見ることで、個としての人間性を無視し、性的な「道具」として扱うということ。
つまり、それは性的な部分を持つ女性を「消費される存在」に変えてしまう行為であり、
オタク文化に見られる性的な記号化の積み重ねは、女性を「消費される存在」へと促す構造を作り出すとも言える。
さらに男女差が加わることで「男性は消費する側」「女性は消費される存在」となり
例えば
バナナを食べる行為を性的に感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
性的に感じていなかった人に対しても、性的であるという認識を促し、女性も人前でバナナを咥えることに躊躇するようになる。とかね
例えば
白ニットを性的に感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
性的に感じていなかった人に対しても、性的であるという認識を促し、女性も白ニットを着ることに躊躇するようになる。とかね
これが消費する側とされる側の意識の差だろうね
男性で例えが思い浮かんだ
ハゲをかっこ悪いと感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
かっこ悪いと感じていなかった人に対しても、かっこ悪いものという認識を促し、男性もハゲが恥ずかしいものと隠すようになる。とかね
ハゲを「モノ化」し、ハゲを持っている人を(例えばお笑いの)「道具」として消費するってことだね
この視点で見ると、
「傷つけない笑い」とは「消費しない笑い」だと言い換えられるし、
「性的に消費しない」とは、「傷つけない性欲」と言えるのかもしれない。
「傷つけない笑い」が容姿いじりなどの消費的な笑いの反省から生まれたことを考えると、
「傷つけない性欲」もまた、誰かを一方的に消費する性のあり方を見直す考え方として整理できる。
つまり「性的な部分を記号化し、消費すること」は「笑いのいじり」と同じく、社会的に問題視されるべき段階に入ったとも言える。
そう考えると「ネタ」によって傷つくことは多くの人が認めているわけで
「創作物には被害者がいない」が詭弁であることもわかってくるね。
まあこれも深く考え出すと長くなるので割愛。
まず大前提として作品の中で直接的な表現を避けている場合は避けている理由がちゃんとある(ことが多い)
アスカがシンジのことを好きだというはっきりした描写がないのは
「好きかもしれないし嫌いかもしれない」
というシンジ側の目線に立って14歳の少年の心情に自己投影させるため
なので「好きとは明言していない」というのが正解であって
「いや、あれは好きなんだよ」
と決めつけるのは明らかな間違い
しかもこの手の明言を避けるレトリックは「実はそうではない」というオチに持って行くことが多い
ちなみにエヴァの17話「四人目の適格者」ではこのレトリックを上手く使っていてトウジが4人目だとは明言していない
状況証拠だけで4人目がトウジであることを伝えていて、分かりやすいぐらい明言を避けている
前述の通り普通はこの手のレトリックは「実は4人目は別の人でした」というオチに持って行くためのミスリードなんだが
さすがにどう考えても4人目はトウジ以外に無い状況になっていて視聴者に「なぜこのレトリックを使うのか?」と疑問に思わせた
そして18話「命の選択を」で明言がないままにラストシーンまで持って行き
と言わせることに成功している
ちなみにここから更なる仕掛けをしたのがエヴァ破なのだがそっちは省略
ごんぎつねは死んでいる
なぜなら当時はそういうレトリックが(童話向けに)ほとんど浸透していなかったので普通に暗喩表現しているだけ
文章だけを捉えて「これはこういう意味」という風に決めつけるのは限界があって
箱根めちゃくちゃだろ
↓
旅館に宿泊するも、周囲に飲食店が少なかったため旅館の勧めで地元の居酒屋へ
↓
カレー蕎麦を注文するも、1時間待っても出てこず「注文忘れられたかな…」とボソッと呟く
↓
ボヤきを聞いた居酒屋店主がブチギレ
↓
視聴者が
↓
「チー牛を死なせたったw」みたいな話ではしゃぐ女性はいないのにね
「女性に絶対にAEDを使わないで」という文字が黒い画面の全面に大きく映し出される。
その後に話題となったXの投稿が紹介されるが、「男性に冤罪ふっかけるのが女性の”総意”」「彼女たちの尊厳のためにも女性は見殺しにしてください」などという、かなり女性への憎悪が感じられる投稿が紹介され、内容はかなり煽り気味だ。
ABEMAニュースは、私の知る限り、男性の視聴者が非常に多くて、女性が少ないという「偏った視聴傾向がある」メディアだ。
私が在籍する2016年ころから番組内容が男性寄りであり、「ネットを積極的に使う男性」が喜ぶような内容が多く、バイアスのかかったものが多いのが問題だとこれまでも指摘してきた。これが私の言う「ABEMAニュースの最大の問題点」だ。
地上波とは違う視聴者に届くニュース番組として、ABEMA Primeが本来果たせる役割は大きいと筆者は思っている。だからこそ、きちんとした取材をして、「男性寄りの煽った内容」に走らずに、地上波とは違ったニュースをきちんと流してほしいものだ。
明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、
出生時に人体に埋め込まれる生体統合型デバイスとして全国民に普及した。
この技術革新が明治5年(1872年)の学制発布以前に実現したことにより、
福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論の電気的伝播」が現実化し、
明治政府の中央集権化政策と民間の自由民権運動が複雑に絡み合いながら、
森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩がリアルタイムで共有され、
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生文運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、
薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。
西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民のタイムラインで炎上する中、
岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義」映像コンテンツが300万回再生され、
戊辰戦争では会津藩の白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、
森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、
森鴎外が陸軍軍医時代に投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、
作中人物の心理描写をリアルタイム修正する実験的創作を試みた。
夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生の遺書」展開を読者投票で決定、
芥川龍之介が東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり、
谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者からの画像投稿で構成する「コラボレーティブ・アート」を実践、
永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原の遊女たちが匿名アカウントで作中の描写に反論するメタフィクション的試みがなされた。
明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ的情報戦を展開。
政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍の士気低下を計画的に誘導、
立憲自由党が政策動画配信と仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施、
明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化。
日露戦争記録映像『旅順要塞総攻撃』(1904年)では視聴者が攻撃ルートを投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。
落語家の三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ「怪談電送話」を配信、
陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。
一方で、端末の生体統合特性を逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化、
国家形成のプロセス自体を根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。
従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。
大正期のメディア・アート運動や昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相を付与し、
現代のSNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。
ほぼ黒歴史とされているZZ。改めて見直してみたが、むしろ今の時代にマッチしたカオス感。
ジェネレーションギャップ(ニュータイプVSオールド)もより明確になっているので若年層にも訴求できると思う。
深めるべき物語要素
2.ジュドーとミネバとの関係:シャングリラ前線の当初からミネバを登場させ、ミネバにジュドーの可能性を語らせることでそのポテンシャルを当初から視聴者にも示す
3.ブルーコープ、民族闘争と、ネオジオンの思惑→現在中国がアフリカに実行中の経済政策と重ねて政治劇をもう少し追加すると面白くなる。
4.ジュドーをはじめとしたニュータイプ独立部隊>ギャグ要素をキャラクターの成長的意味なない部分は省略
ジュドーを仲間の兄貴分としてのポジションから部隊を率いるエースパイロットとしての責任が付加されるところを強調すると、ジュドーのカリスマ性が引き立つ
5.アフリカ戦線の熟練VS直感(ニュータイプ)として戦いのテーマをさらに引き上げる (スマホネイティブVS昭和モーレツ社員のようなイメージ。結局昭和モーレツ社員
が電話、FAXでプロジェクトを遂行しようとしてもスマホネイティブがSlack、Discordクラウドを駆使してプロジェクトを成功させるのに到底かなわないというイメージ)
6.ダブリンへのコロニー落としとカミーユの登場(ファーも含めここでの旧作からの登場の仕方は非常にいい)
7.グレミーを冒頭から登場させ、最終的にミネバに反旗を翻すまでを全編を通して語る:これでドラマに深みがうまれる。
8.カミーユ、離脱の顛末(新訳だと説明がつかないとの話もあるが、ニュータイプ型PTSDにより離脱という形であれば説明がつく)
削除するべき物語要素
1.前半のシャングリラの路線>ジュドーとの出会いと舞台への導入までを若干工夫して(ギャグ要素をほぼ排除)省略する
ブライト自身がファースト時代、ニュータイプ部隊という位置づけであったことを踏まえつつ、ジュドー達を次世代ニュータイプ部隊であるという理屈づけで
編成するというシーンをいれてしろうとのジュドーたちをチームとして編成させることに説得力を持たせる
2.アーガマにおける軍隊としてのおちゃらけ→度が過ぎている部分は削除。
3.シャングリラから地球降下までに登場したネオジオンキャラ:これらはまさに80年代のパンクなのでいらない
※ジュドーの能力や軍隊への順応性を見ると、UC100以降も活躍する戦士であることは自明なので、この歴史はしっかりと新訳したほうがいいのは間違いない。
出演者は全員アイドルとして売れたくてやってるのにこういう利益に繋がらない茶の間ばっかり増えてるの見ると複雑な気持ちになる。番組が終わってからがスタートラインなんだけどな。
普通さ、いちいちCMについてコメントするのって面白いか不快かのどっちかしかないでしょ。
を見ている。
真剣に好き!とかではなく、作業用BGMとして動画をずっと流してる感じ。
おそらく編集担当は専業で、他メンバーは別でメインの仕事がある。
10万人くらいで食べていけることを知らなかったのでちょっとびっくり。
10万人到達も相当大変なんだとは思うけど。
休みほぼなしでずっと編集してるみたいで大変だな〜と思いながら流し見してる。
ずっと見てるとメンバーのキャラクターや関係性が見えてきて好きになってくる。
10年後、この人たちはこのコンテンツを続けているのだろうか?
続けていて欲しいけど。
視聴者の年齢層も上がっていくだろうな。そうなると、今やってるような企画はやらなくなるんだろうか。
10数時間生配信で延々会話し続けてるの見ると体力すごいなと思う。
そういうのは無くなりそう。
10年前にテレビに出ていた芸能人で、現在もテレビに出ているタレントは本当に稀だ。
すごく売れていた人でも気がついたらいなくなっている。
アイドルなども、年齢が上がるとファンの熱量はあからさまに落ちる。
全盛期の売り上げは絶対に続かない。
安彦氏のORIGINも微妙なんだけど、安彦氏が言う、俺にとってガンダムってファーストだけだから、とか、
岡田斗司夫が言う、ファースト以降のガンダムって、富野氏のセルフ同人アニメだから、ってのも分かる気がするんだよね
ファーストのラストシューティングだって、ガンダム自動で動くの?という矛盾を超えちゃって、視聴者を感動させちゃったし、
あんまり注目されないけど、イデオンだって何度観てもいい、あの盛り上がりがZにはないんだよね、自分にとっては…😟
∀も素晴らしいんだけど、結局、富野氏はファーストガンダムっていう成功が呪縛になっちゃって、
ガンダムとまったく別のことをやりたくても、ガンダムと関係づけなければいけない、ロボだのメカだのを出さないといけない、
Zって、ファーストガンダム観たオタクたちが後付けで設定考えたり、ファーストガンダムへの愛でできちゃってるから、
緻密になったメカ描写とか、複雑な設定も面白いっちゃ面白いんだけど、頭でっかちなイメージが否めない
魅力を感じるひとの裸体や性行為の場面や性器のアップなどを含む
苦しみの時間を減らせると思うが、
悪いけど、ちょっとオエッてなる。
大切なキャラなら、作り手のフェチを押し付けずに平均的な食べ方にするべきだろうに
まあ楽しいんだろうね
本当にやめてほしいって思うけど、この傾向は変わらないだろうなぁ
テレビ番組でもさ、タレントの女性は顔を強調するし、あれもやめてほしい
そうじゃなくて、表情をアピールするのはなんかもう古くない?
そんなに顔が好きか?という話だよ
俺は食事が見たいのに、タレントが食べるからどうしても目に入ってしまう
話は好きでも顔がアカくて辛くなる
たとえばさ、赤いきつねとか
あんな色気いらないんよ…
でも作者さんは好きでやってるんだし、仕方ないんだろうけどさ
個人的にはあの顔の赤ささが雑音になってる
あー顔が赤いのが良い世の中なんて、生きにくい世の中だ