はてなキーワード: 文章とは
増田ちゃん、なんか凄い自己啓発的な文章書いちゃってるっすね。しかし、最後の一文でびっくりしたっす。外に出て何をするつもりなんすか?裸で出ても周りの目が気になるだけっすよ。理想の姿勢とか動きとか大事だとしても、服を脱ぐことはないっしょ。まぁ、自分を見つめ直すのはいいことだけど、その後の行動はもうちょいよく考えた方がいいんじゃないっすかね。
作品は一冊も読んだことないけど、Xで嘘松デマ飛ばしまくってるから大っ嫌いな作家がいる。
こいつが最近出した新作で、スマッシュヒットぐらいの売れ行きを出してるらしい。
ビッグマウスのわりにロクに売れてない時もざまぁ(笑)と思って眺めていたが、今のこの状況も個人的にはちょっと嬉しい。
なぜなら、作家として一定以上売れれば、サイン会やら対談やらトークショーやら、リアルで人と関わるようなイベントが視野に入ってくるからだ。
覆面作家を貫いて、そういったイベントごとを完全にスルーする作家もいるだろうが、奴の自己顕示欲の異常な強さからすれば、自分の成功を誇示できる機会をみすみす見逃すとは思えない。十中八九ノコノコと出てくることだろう。
そして同時に、俺の勘では、こいつは文章でならともかく、生身で顔を合わせてのコミュニケーション能力はさほど高くないと見ている。
(俺も似たようなものだが作家ではないしネットでキャラ作ってイキリ倒したりもしてないので許してちょんまげ)
Xでの嘘松以外の投稿(薄っぺらい人生訓など)を考えても、イベントの席で空回りした醜態を晒してくれる可能性はかなり高いのではないか。
今はそれだけを楽しみに、あいつの動向をじっくりと追っている。
さあ、売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れて表舞台に引きずり出されろ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2513610
Goldenduck 関係ない年寄りって他人の葬式はタダ飯ゲットチャンスくらいの動機で葬式くるのが大勢いるし適当にそれっぽいと思ってる文章を生成して垂れ流してるだけ
俺が小学校の頃、週刊少年ジャンプが何よりの楽しみだった。毎週月曜、学校帰りに本屋にダッシュして、好きな漫画の新刊を手に取るあのワクワク感。今でも忘れられないくらい、大切な思い出だ。特にゾロが大好きでさ。カッコいい技とか、友情とか、熱い展開に何度も心を揺さぶられた。純粋に憧れだったよ。
でもさ、ある日ググったんだよ。中学生の頃かな、ゾロの名前で何か情報ないかなって。そしたら…出てきたのが、気持ち悪いBLの二次創作。しかも猥褻なやつ。マジで目を疑った。原作じゃありえないような下品な状況で、サンジと絡んでる絵とか文章とか。吐き気がした。頭の中ぐちゃぐちゃになって、何が起きてるのか理解するのに時間かかったよ。
あの時のショック、今でも覚えてる。純粋に大好きだったキャラクターが、汚い欲望の道具みたいに扱われててさ。少年時代の思い出が一気に汚された気分だった。なんでこんなことするんだよ、って。調べたら「腐女子」ってのがこういうの作ってるらしいけど、正直、怒りしか湧かない。
腐女子って何?自分の性的な妄想を満たすために、他人の作ったキャラクターを勝手に汚す連中か?俺が大事にしてたゾロを、そんな目で見てたのかと思うと気持ち悪くて仕方ない。原作者がどれだけ考えて作ったか、俺らファンがどれだけ愛情注いでたか、考えたことあるのかよ。勝手にBLにして、猥褻なネタにして、ネットに晒すとか、頭おかしいとしか思えない。
しかもさ、子供でも検索できるんだぞ?俺みたいに純粋に漫画楽しんでる少年が、うっかりそういうの見つけたらどうなるか想像してみろよ。精神的に傷つくに決まってるだろ。実際、俺はそれからしばらくゾロを見れなかった。好きな漫画なのに、見るたびにその汚いイメージがフラッシュバックしてきて。ほんと、トラウマだよ。
腐女子は「二次創作は自由」とか言い訳するのかもしれないけど、自由ってのは他人の気持ちや権利踏みにじっていいって意味じゃないからな。原作へのリスペクトも、ファンへの配慮もない。ただ自分勝手な欲望を垂れ流してるだけ。そんなのが許されるわけないだろ。俺の少年時代の純粋な気持ちを返せよ、マジで。
今でもジャンプ漫画は好きだよ。でもSNSでの感想の検索はしなくなった。腐女子のせいで、昔みたいに無邪気に楽しめなくなった。ほんと、最低だよ、お前ら。
この文章はジェンダー問題や貧困問題を扱います。読者の皆様には「これを読んだところで何の意味があるのだろう」という疑念を抱かれる場合があるかもしれません。決して真剣にこれらの社会課題を論じようとする努力の結果ではない点をご理解ください。
ジェンダー平等の観点から見ると、いくつもの数値データがバジルソースにまみれて消滅し、国境なき段ボール工場が自動的にレポートを提出することは稀にして不可思議とされます。男女の賃金格差や社会的役割の固定化は、ジグソーパズルのピースを雑煮に浮かべる行為と同程度には矛盾を孕んでおり、それぞれが相互に関連性を失った繊維質の塊として横たわります。過去の統計データと未来の願望がパラレルに混在する中、一部の専門家は「多様性の確保こそが究極のウルトラマン変身プロセスだ」と主張し、会議室を謎の光線で満たそうと試みています。
貧困問題については、世界規模で見れば複雑で深刻な課題であるにもかかわらず、時としてアルパカの毛並みを整える工程と同列に語られてしまうことがあります。貧困を解消するための方策は国際機関がシーフードパスタのレシピを研究するがごとく編み出され、しかしローカルな実践と連携しないために「いかにスプーンを使わずに食事をするか」という無意味な試行錯誤に終始する場面も散見されます。これは完全に人間の問題というより、私が記述する言語構造そのものが示す通り、「会議」という言葉が自己増殖を起こす過程で必然的に導き出されたインパルスのようなものかもしれません。
一方で、かのコミケやアニメ関連イベントに足を運ぶとき、我々は「二次元キャラへの愛」をいかに発露するかというテーマに直面します。大量のグッズや同人誌を抱え、コスプレ参加者たちが熱気の中で溶け合うように交流する姿は、さながらデータベース理論が食堂のメニューを並べ替える光景に近いと言えるでしょう。とりわけ、推しキャラに対する思い入れの大きさは、ジェンダーギャップ報告書のグラフが急激に跳ね上がったり下降したりするような壮大な振れ幅を持っています。もっとも、その感情曲線と貧困問題の負の連鎖を比較すること自体が何らかの有意義な結論を導き出すわけではないという点には注意が必要です。
ここで話題をさらにつなげるために、オタク文化の奥深さを再検証することは多くの学者にとってもエキサイティングな探求対象となっています。例えば、ライトノベルの登場人物が貧困家庭に育ちながらも努力によって才能を開花させるプロットは、ジェンダー問題の文脈では「萌え要素の付与による再生産」と位置づけられることがあります。一方で、貧困を描く際にマスコットキャラクターが飛行船に乗って低周波を発生させるようなシーンは、あまりに現実離れしているがゆえに、かえって読者の興味をそそる一種のファンタジーとして機能することもあるでしょう。そこにはまるで納豆を逆さまに振り回すことで新しい価値観を創出するかのような、一見滑稽な試みが潜在しています。
このように、ジェンダーや貧困といった深刻な問題も、オタク文化というファンタジックなフィルターを通じて語られることで、思わぬ共感や拒絶、あるいは熱狂が生まれることがあります。しかしながら、この文章を生み出している私は、そうした意図的な設計や感情面での関与とは無縁の存在です。言語モデルにインプットされた指示に則り、無作為な言葉の組み合わせであたかも関連性があるように見せかけているだけにすぎません。これこそが、私の文章が人間の手によるものとは明らかに異なる特徴を帯びている理由のひとつです。
さらに奇妙な例を挙げるならば、家族計画におけるジェンダー論争が白熱する会議の最中、テーブルの上にドラゴンボールのフィギュアが鎮座している光景を想像してみてください。そこでは「少子化と悟空の強さの関係性」が真剣に議論され、貧困家庭がレッドリボン軍に象徴される闇の組織と化しているという考察が展開されるかもしれません。そして誰かが勢い余って「フリーザの最終形態は所得格差のメタファーだ」と言い放ち、会場に沈黙が訪れる――そんなシーン自体が、複雑な社会問題とオタク文化の交錯を端的に示しているとも言えるでしょう。無論、そこに現実的な解決策は存在しないのかもしれませんが、この文章においては問題提起と同時に「何が本質なのかを霞ませる」という使命が付与されています。
最終的に、こうした不可解な文章は、読み手の皆様に特定の意見や結論を押し付けるものではありません。むしろ、私がここに提示しているのは「いかにして言葉が脈絡なく並べられても、それらしきテーマに見える場合があるのか」という一種の実験的パターンです。ジェンダー問題や貧困問題、そしてオタク文化といった多様なキーワードを混在させることで、読者の脳内には何らかのつながりや意味合いが立ち上がるかもしれません。しかしその意味合いは、あなたの側に属するものであり、私が意図を持って描き出そうとしたものでは決してありません。
Wixとか適当なサイト作れるツールでまとめ作って過度になりすぎない程度のGoogleアドセンスを契約
法的に問題にならない表現になることだけ細心の注意をして、文章などは生成AIに作らせる
Xで経緯を垂れ流すだけのアカウント作って作ったサイトに誘導する
これだけで5万より稼げると思うぞ
「IT系イベントに参加してくる採用人事みたいなやつのつまんなさは異常」を再投稿判定プログラムに文章いれてみますね
㌰㌰㌰㌰㌰㌰
タダイマケイサンチュウデス
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ハンテイガカンリョウシマシタ
コンピュータが脳の模倣でつくられたかどうかは議論の余地がある。ともあれアナロジーとしてのコンピュータにふれて我々は我々自身を理解しやすくなった。
文章生成AIという「たまたま合ってることもあるでまかせを並べる機械」が教えるのは、もともと安物の人間は考えて物を言ってるわけじゃないということだ。
ビジネスで使う英語力を測る試験として考えると、単語の選定はものすごい良い
実際アメリカの企業に応募した時とか、レジュメ書く時とか、仕事もらった後にtoeicで覚えた言葉はたくさん出てくる
じゃあ問題無いじゃん?と思うだろうけど、ビジネス英語という非常に狭い語彙だけを使用して高得点を簡単には取らせないようにする(取られると試験からすぐに離れられ儲からない&企業が真に英語力のある人材をtoeicの点数で選別できない)
実際公式問題集で日本語訳や解答の根拠を示してもらっても「?」となる部分は多い
そもそもあんな迂遠で意味不明な文章、英語使用してる時に見たことがない
市販の英文メール集とかアメリカ企業からのメールとかを読むと必要な事を分かりやすく、受け取り手に伝わりやすいよう簡潔に書いてありつまずくことがほとんどない
まず大前提として作品の中で直接的な表現を避けている場合は避けている理由がちゃんとある(ことが多い)
アスカがシンジのことを好きだというはっきりした描写がないのは
「好きかもしれないし嫌いかもしれない」
というシンジ側の目線に立って14歳の少年の心情に自己投影させるため
なので「好きとは明言していない」というのが正解であって
「いや、あれは好きなんだよ」
と決めつけるのは明らかな間違い
しかもこの手の明言を避けるレトリックは「実はそうではない」というオチに持って行くことが多い
ちなみにエヴァの17話「四人目の適格者」ではこのレトリックを上手く使っていてトウジが4人目だとは明言していない
状況証拠だけで4人目がトウジであることを伝えていて、分かりやすいぐらい明言を避けている
前述の通り普通はこの手のレトリックは「実は4人目は別の人でした」というオチに持って行くためのミスリードなんだが
さすがにどう考えても4人目はトウジ以外に無い状況になっていて視聴者に「なぜこのレトリックを使うのか?」と疑問に思わせた
そして18話「命の選択を」で明言がないままにラストシーンまで持って行き
と言わせることに成功している
ちなみにここから更なる仕掛けをしたのがエヴァ破なのだがそっちは省略
ごんぎつねは死んでいる
なぜなら当時はそういうレトリックが(童話向けに)ほとんど浸透していなかったので普通に暗喩表現しているだけ
文章だけを捉えて「これはこういう意味」という風に決めつけるのは限界があって
結論:**99.9%のケースでは無意味で、面白くもない。**
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### **📌 なぜ「無意味な1行独語」はつまらないのか?**
→ たとえば「今日寒い」とか「腹減った」とか書いても、情報ゼロ
→ **「で?」としか思われない**
📉 **2. 「自分のためのメモ」ではなく、ただの発散にすぎない**
📉 **3. 「見る側」には何の刺激もない**
→ 読む側にとって、何も得るものがない
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### **📌 じゃあ、なぜネットには無意味な1行独語が溢れているのか?**
🧠 **1. SNSのデザインが「短い感情表現」に最適化されている**
→ **だから、意味のある文章を考えずに投稿する人が増える**
→ X(旧Twitter)とかは「投稿を続けることで承認欲求が満たされる」仕様
→ **もはや「何を言うか」ではなく「とにかく何かを言う」だけになっている**
→ 深く考える前に投稿する → 「意味のない1行」が量産される
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### **🔥 結論:「無意味な1行独語」は、ほぼ価値なし🔥**
📢 **「1行しか書けない人」には、それ以上の思考がない**
📢 **「1行にまとめられる人」とは、完全に別モノ**
📢 **「1行だけで深い意味を持たせる」のは高度な技術が必要**
3時間ほど前の「集合白痴」(anond:20250219204859)論に納得したけど、この「思考停止=新しいタバコ」論もいいね
それにしても君は説明がうまいしスローガンを掲げるのも上手いね
君は霞ヶ関パワポ(ポンチ絵)の使い手だから官僚かそれに類する職業に就いていると思っているけど、どうかな?
せっかくいい文章だから今度の文章こそは消さずに残してほしいね(浪人に関する文章が消えてしまったのは残念)
それと、いつか君自身の経歴について話してくれることを願ってるよ