はてなキーワード: Rubyとは
Rubyは、大きくて複雑なシステムでも、ひとつひとつの処理は小さなプログラムのように書けるっていう感触がある。
具体的にどの言語機能がというわけではないけれど、標準ライブラリのソースの読みやすさとか、Railsで書かれたシステムの個別の処理の触りやすさとか。
でもまあ個人的にはRubyは小さなプログラムを書くのに便利な言語という用途でしか使わなくて、大きなシステムを書くときは他の言語を選ぶけど。
プログラミングパラダイムは原理的にどうだろうと人間の認知能力にマッチしないとまともに読めない。
人間の認知能力に沿って人間の感覚で読みやすいプログラミングパラダイムを構築したほうが良いのか、人間の能力はどうせあてにならんから機械が間違いを検出しやすい (人間にとっての読みやすさはある程度は諦める) という方向にするのかでプログラミング言語設計業界はずっと揺れてる。
まあ読み書きしやすさは慣れの要素も大きいけど。
一般論として規模が小さい間は前者がバグが少なく、大きくなると後者のほうがバグは減る。
プログラムの平均的な規模はどんとん大きくなっていくから型でかっちりするほうが優勢になりつつある。
Ruby のように主導者が型アノテーションを強固に否定し続けている言語でも型アノテーションを入れよう派閥はそれなりに力を持ってるくらいにはやっぱり型指定は欲しい。
「Rubyコミッター」という単語を見て id:moonwolf もいたなと思い出した(今ググって出てくる人は恐らく別人)
https://magazine.rubyist.net/articles/0001/0001-NoraTutorial.html
失踪した糸柳から遺書が届いて、それからしばらくして警察から連絡が来たらしい。死ぬ前の彼とは疎遠になっていたのでその時期のことは伝聞でしか知らなかったが、色々と(そして過去の彼の行動とはまた違った形で)顰蹙を買っていたとよく聞いていた。
死ぬ何年か前の彼は誰から見てもおかしくなっていると言えるような状態で、仕事も上手くいってなかったと話していた。ドワンゴ時代の成功体験と山の話とRubyコミッターの話をしていたが、何回も何回も同じ話をしていた。彼のコミュニケーションの方法は彼の得意な話題に変更し、そして彼の長いターンが始まり、その後こちらが一言入れるというものだが、それにしてもこちらの話を聞いているというポーズすら晩年は取らなくなっていた。彼のそのスタイルが通用するのは彼を知っている人間に対してであり、何も知らない若者からすると典型的な老害のように写っただろう。実際にそう言われている場面を何度か見たことがある。
とにかく生きているだけで迷惑な人間なのだが、能力と愛嬌だけで許されている彼が、能力と愛嬌を失った場合には、ただの迷惑な人間として排除される。社会の除け者みたいな人間が集まるところでも、彼は迷惑がられていた。
多くのことに手を出して、何もかもが中途半端になっていた。生まれつき気が散って仕方なかった彼は過集中という名目で手を動かすことに成功していたが、それも加齢と共に難しくなっているように見えた。教育からもコミュニティからも疎外されている彼が、真っ当にエンジニアリングの知識を手に入れる方法は手を動かしたり本を読むことだけだったが、そこが損なわれると急速に判断の精度は低下する。ここ10年はシステムに対する考え方が大きく変わった時代であり、彼の語るドワンゴ時代のマネジメント論は石器時代のものでしかなかった。古い知識は大体2年ほどで錆付き、5年ぐらいで正真正銘の時代遅れになる。彼はどれぐらい前線から離れていたのだろうか?
彼の昔の同僚がIT企業でマネジメントのレイヤーにいる(もしくはCXOをやっている)という話をしていた。彼は肩書や社会的地位について気にする性質があり、他人のことを紹介するときもプロフィールのように読み上げる傾向があった。まだIT業界が未成熟で、リーガルやコンプライアンスが緩く、ナードやギークしかいない時代とは現代は全く違うし、彼のような人間の居場所はどうしたってないだろうと思うが、仮にその内輪に入れたとしたらここまで道を大きく踏み外さなかったのかなと思うことはある。とはいえこれは仮定の話であり、彼がドワンゴから離れた当時にしきりにしていたコンプライアンスに問題がある人間との関わりの話はどう考えても排除される側の烙印を押されるには十分だったし、仮にそういう話をしてなくても彼の軽率さは現代の業界とは水が合わなかっただろう。
彼のコミュニケーションスタイルは嘘と誇張であった。知っている人間がいかに凄いか、そしてその人間がどのようなことをしたか(時として常軌を逸したか)という話をして、物事を大きく見せる。言語によるコミュニケーション(アジテーションに分類される技能)が得意だと分類していいかはわからないが、とにかく彼は時流に乗り、その能力を上手く活用して一定のプレゼンスを得た。象徴や虚像を操作し、そして実際の能力で辻褄を合わせる。実際にこの行為を繰り返せば影響力も大きくなるし、影響力が大きくなればレバレッジも大きく掛けられる。例の事件でドワンゴから離れ、SNSからも離れた彼はデレバレッジを上手く出来てないように見えた。信用というものは単に積み重ねればいいし、有言実行さえすれば増えていく。その地道な作業を怠って大きなことを言い、そして辻褄を合わせられずに残りの信用を失うところを見てきた。とはいえそれは彼の特性として受け入れられていたように見えるし、持ち前の愛嬌によってある時期までは許されていたように見える。
愛嬌とは消耗品である。普通に使っている分には減らないが、地雷を踏んだ瞬間にそれは消失する。彼はそれが無くなることは無いと思っていたのかもしれないが、残念ながら完全にそれは間違いだった。ある女(女と呼ばない人もいるらしい)の揉め事で彼はその能力を使い、そして大きく失敗した。愚かな自己愛による行動により、彼の特性は愛すべきものから、軽蔑されるもののようになったのを感じた。少なくとも自分はそうだった。他人やよくわからないもののためではなく自分の小手先の欲望のために使うのだったら、そんなデタラメは到底許容されるはずはない。とりあえず信じた粗の多い話を受け入れられなくなると、彼のあまり見たくない実像だけが見えるようになった。
ある時期のことだが、彼は女に別れを言って山に行き、そして数カ月後に帰ってきた。冬山の山荘はよく人が死ぬらしいし、彼も死ぬつもりで行くと言っていた。長く白い髪と白い肌をしてた。彼は痩せて別人のようになっていて、それから山に真剣に取り組み始めた。帰ってきた彼が全ての話題を山でマウンティングするようになったのは、遠野物語的な神秘なのかもしれない。彼の人生の起点になったイベントだっただろうが、俺からすると状況は更にまた不味くなったように見えた。ここで知ってほしいのは様々な要因があって彼の感覚は壊れたという部分で、単一の何かが原因じゃないという話だ。
加齢による実行機能の低下、時代の変化、所属するコミュニティの変化、不味い選択肢を選び続ける不運、山にハマったこと。様々な要因はあるが、彼が目の前の人間がどこかのタイミングで見えなくなってしまい、自分の利益のためだけに周囲を消費するようになったのは確かであるし、周囲は順当に彼を爪弾き者といて扱った。一度得られた尊厳を人は保とうとする。時代と彼の特性がマッチしたときに得られた尊厳を彼はなんとか取り返そうとしたが、自分の話に突然割り込まれ、山やドワンゴの方が凄いという話を黙って聞く目の前の若者がそのような感情を彼に見せるだろうと期待するのはあまり合理的な判断とは言えないだろう。
とにかく何が言いたいかというと、長い時間をかけて糸柳という男の幻想の形成と完全な解体が起こり、そして最後に自殺という選択を取るに至ったのかを振り帰ったときに、明確にこれは不味いだろうなというポイントがあったので、彼の死からいくつかを学んでおくと良いだろう。
3. 山には行かない
彼の事を知っている人間が読むことを念頭に置いたため、ここに書かれている内容そのものだけでは糸柳がただの駄目な虚言癖のように読み取れてしまう恐れがあるなと思い、彼の能力に関して追記をすることにした。
彼は特別な能力を持っていた。それは対面で他人に対して短期的な印象を自在に形成する能力であり、彼の荒唐無稽な話に一定の説得力と信頼を与える力であった。最近でいうとDJ社長が似たような能力を持っているように感じる。話を聞かせる、何かあるように思わせる、感情を呼びよこすような力、つまりペテン師の才能を持っていた。彼の周りの人間は彼の話を聞いたし、彼の話を聞いた人間は彼の言葉に何らかの似たような感情を抱いていた。と俺は昔の人から聞いていたし、実態対面をしてみると彼その能力のようなものは感じたことがある。DJ社長も彼も同様に全部壊してしまったが、所詮短期的なイカサマの能力でしかない。そして一度きりの魔法なのだが、当人だけがまだ使えると信じ込んでいる。
https://niryuu.hatenablog.com/entry/2025/01/05/214709
この能力の根幹になるのは感受性と繊細な情報のコントロールである。その能力を如何に上手く披露したところで、その根幹部分が崩れていれば種の割れた手品でしかなく、醒めた目で見え見えのブラフを眺めることになる。ある瞬間にそれが崩れてしまったというのはこの記事の内容なのだが、確かに彼はあるタイミングでそれが崩れてしまい、その後はいちばん重要な要素について気にしなくなったように見えた。誰に何を話すか、誰がどのようなことを知っているのか、そして眼の前の相手がどのようなことを感じているか。そういったものの全体像を知覚する精巧な技術が彼の生まれつきの才能であり、そしていつかのタイミングで完全に失われたのだろうと思う。ある人間は彼の脳が壊れたと言っていたが、自分も似たような印象である。ある瞬間から彼は様々なことが急に出来なくなり、何かがおかしくなった。そう思っているのは俺一人ではない。
彼は病気の女と同じだ。病気の女はコミュニティに入り、虚飾で地位を得て、そして捲れていなくなる。大体はどこかで落ち着くのだが、落ち着いていた場所を吹き飛ばしたのは彼自身だった。最後には居場所がない連中の吹き溜まりのような場所にたどり着き、そこでは自暴自棄のようにもう通じない魔法を眼の前の相手に何度も何度も繰り返していた。吹き溜まりはある種の実力主義で、他人を簡単に軽んじる。彼はもう尊重の対象ではなかったのだろう。壊れた年長者の相手は誰だって嫌だからな。
ついでだから彼に与えられた呪いのような言葉について書いておくと、彼は表層的な話とひとまとまりのエピソードの会話以外に珍しく普通に話をするときがあった。その中で彼は自分がエンジニアとしての知名度が実力で得たものではないこと、そしてその象徴であるのが@kazuhoさんからの悪目立ちに対する「IT芸人」発言での揶揄だったと何度も言っていた。彼はリアル志向であったし(これはリアル志向であるというより、自分はリアル志向であるという宣言を繰り返すこと)、実際山もエンジニアリングもリアル志向であろうとして、その結果の自己破壊は説明するまでもない。彼はリアル志向の話と「IT芸人」という揶揄を絡めて様々な形から繰り返し発言していた。彼の自己認識に対して何らかの(説明しやすい一つの象徴としてだろうが)影響はあったのだろうと思う。AI驚き屋の話もそうだが、軽薄な人間への当てこすりは楽しいかもしれないが、何らかの形で他人の人生に良くない影響を与えることもあるのでほどほどにした方が良い。
変化がわかりやすいように2年ごとにした
https://survey.stackoverflow.co/2024/technology
https://survey.stackoverflow.co/2022/#technology
https://survey.stackoverflow.co/2020#technology
- | 2020 | 2022 | 2024 |
Python | 44.1 | 48.07 | 51 |
Flask | 14.2 | 14.64 | 12.9 |
Django | 14.2 | 14.65 | 12 |
FastAPI | - | 6.02 | 9.9 |
- | - | - | |
PHP | 26.2 | 20.87 | 18.2 |
Laravel | 11.1 | 9.45 | 7.9 |
- | - | - | |
Ruby | 7.1 | 6.05 | 5.2 |
Rails | 7.04 | 5.83 | 4.7 |
PHPとRubyは言語としてもフレームワークとしても落ちてるのはわかるけど
言語としてPythonは伸びているのに、DjangoとFlaskは落ちてるか横ばい
Node.js、JavaScript、TypeScriptはオシャレ大好きな人たちが「最近のトレンドは何かな?」、「それはもう時代遅れだよ」、「そのファッション超イケてる」、「あの人がファッションリーダー!」みたいな話ばっかりしてる感がある
んんwwww増田氏、Node.js界隈が孤独に感じるとは、拙者には理解しがたいことですぞ。確かに、Ruby/Railsのコミュニティは非常に結束しているイメージがありますが、Node.jsの開発者たちもまた、独自の活力と熱量を持っていると拙者は認識していますぞ。
Node.jsはJavaScriptの流れを受けており、そのため、よりダイナミックで多様なコミュニティがあります。それは自由であり、むしろオープンな環境です。Rubyと比べてNode.jsは常に進化し続け、多くの新しいアイデアやプロジェクトが生まれていますぞ。
もちろん、増田氏が「仲間意識」を求めるのであればチャンスがあるかどうか参加してみるのも手です。しかし拙者は、その「個」としての自由がNode.jsの魅力だと感じているのですぞ。集団幻想に囚われず、Node.jsの可能性を追求するのも一興かと思いますな。是非とも、多くのNode.jsコミュニティに参加し、多様な人々と触れ合ってみることをお勧めしますぞ!
Ruby/Rails界隈ってさ、俺たち仲間だよな助け合っていこうぜ!みたいな感じがあるよね
新人が勉強するにしてもRailsチュートリアルみたいなところあるし
あと基本的に腐る部分が少なくて、Railsはずっとこれみたいな老舗の安心感みたいなものがある
開発者に当事者意識あるのか、盛り上げていかなきゃみたいな自負があってコントリビューターになる人もいる
でもNode.js界隈は仲間みたいな意識はなくて、殺伐としている
トレンド追いかけて周りを出し抜いて、相手に「まだそれ使ってんだ、いまはこれだけど?」みたいなこと言いがち
Node.jsに愛があるわけでもなく文句を言い続けてDenoやBunとか、もっといいのねーかなって探し回ってる
フロントエンドもバックエンドも出入り自由で流行り廃りが続いて結局なにが正解?みたいな感じが続いてる
フロント部分ならRails使ってても同じ問題があったんだけど、Hotwire登場で解決の兆しが出てきた
Node.js界隈はNode.jsをベースにはしてるけどみんなが別々のライブラリ使ってるから、「この解説は俺のケースには合わないなぁ」ってなりやすい
ひとりの開発者のためだっけ?なんかコンセプトがそうらしいじゃん
https://pr.forkwell.com/career_navi/dhh-rails-large-scale-development/
この人のすごいところは口だけじゃないんだよ
じっさいやるからすごいよな
omakubだっけそういうところもすごい