はてなキーワード: 孤独とは
SNS疲れが話題の昨今だけど、疲れるとか以前にそもそもスタートラインに立つことすらできない人間がいる。
いざSNSを始めようとしてアプリをインストールしたりしても、何もできない、何も書けない、ということをここ数年ずっと続けている。
自由に日常や感情を綴れるのは素敵な空間だと思うけど、個人に焦点を当てる「フォロー」という仕組みにあまり共感できないんだろうな、と思う。
有名かどうかを問わず他人の生活を覗きたいという欲求も特に無いし、フォローという仕組みがあるだけで自分が何を書くにもプレッシャーになる。
フォローのせいで誰かと繋がる可能性があることに対する恐怖もある。
孤独を紛らしたいと思ってSNSを使っているはずなのに、普通に人見知りだから誰かに個人として見られることに強い恐怖を覚えている。
見られたくないと思いながら、同時に見られたときに意味のあるものを、という意識も(無駄に)あるせいで、毎回自分が潰れてしまう。
フォローがある限り自由なポストなんてものは存在しなくて、ただアカウントに人格を作り宿すための盆栽行為としてしか見ることができない。
SNSを普通にやっている/できている全人間が羨ましい。あらゆることに受け身で、一切の積極性、勇気、度胸を持たない、その癖不要な自意識はある自分にそれはできない。
今時何かしらのオタクをやっていると、公式アカウントの情報発信やファンコミュニティなんかの都合上で大抵の情報はSNS上で共有されているので、SNS自体から離れることはできない。
そのせいでSNS自体は何かしらやらざるを得ず、その結果、常にSNSに対する向き合い方の自己矛盾の機微にさらされながら生きることしかできない。
情けないことに、SNSが無いことによってこの先に見えている孤独も少し怖い。
破壊したいならそれでいいけど、解除しないでほしい...
1usersのをブクマして2になって、しばらくしたらまた1になるのさみしいんだよね...。
誰にも触れさせない、閉ざされた部屋と心の中。
かつて成績優秀で可愛い顔をしていた優斗は、今や家に引きこもり、インターネットで女性嫌悪を募らせる日々を送っていた。
無職、未来なし、孤独なニートの生活に、もう何も期待していなかった。
部屋の中は散らかり放題、スマホ片手に“論争”する日々。
そんな彼の部屋の扉をノックするのは、幼馴染の知世(ちせ)。
そう言いながら寄り添おうとする知世を、優斗は突き放す。
──それでも彼女は、扉を開けた。
涙を浮かべるでもなく、ただ静かに。優しく。
「好きだから、だよ」
彼の闇に踏み込み、彼の弱さを受け止め、
その言葉をぶつけた知世の“覚悟”は、優斗の中に何を残すのか?
──これは、救済の物語。
以下は「インセルの惨めな一日」というタイトルに基づいた短編小説です。日本語で自然に読めるように心がけました。内容はフィクションであり、特定の個人や団体を描写するものではありません。
朝7時、外から聞こえる鳥のさえずりがカーテンの隙間から漏れる薄暗い部屋に響き渡る。山田翔太(仮名、28歳)はベッドの上で目を覚ますが、すぐに起き上がる気にはなれない。枕元のスマホを手に取り、習慣的にSNSを開く。画面には、見知らぬカップルの幸せそうな写真や、リア充を自慢する投稿が次々と流れてくる。「どうせ俺には関係ない」と呟きながら、彼は画面をスクロールし続ける。
翔太は自称「インセル」だ。正式には「非自発的独身者」と訳されるこの言葉を、彼は自分の人生を定義する呪いのように感じている。大学を卒業してから正社員の仕事に就けず、今はコンビニのアルバイトで生計を立てている。恋愛経験はゼロ。友人もほとんどいない。「女は見た目と金しか見てない」と、彼は何度も自分に言い聞かせてきた。
朝食代わりにカップラーメンを啜りながら、翔太はいつものネット掲示板にアクセスする。そこは彼と同じような境遇の男たちが集まり、社会や女性への不満をぶちまける場所だ。今日の話題は「街で見かけたリア充カップルがムカつく」というスレッド。翔太は「わかる。あいつら全員死ねばいい」と書き込み、わずかな満足感を得る。でも、心の奥底では虚しさが広がるだけだ。
午後になると、彼は仕方なくバイトに出かける準備をする。鏡に映る自分の顔を見て、ため息をつく。「こんな顔じゃモテるわけないよな」。コンビニまでの道すがら、通り過ぎるカップルや楽しそうに笑う若者たちを横目で睨む。彼らの笑い声が、自分を嘲笑っているかのように感じられる。
バイト中も惨めさは続く。レジに並ぶ客の中には、イケメンや美人、そして幸せそうな家族連れがいる。翔太は無表情で袋に商品を詰めながら、心の中で毒づく。「こいつら、俺のこと見下してるんだろ」。特に若い女性客が来ると、彼は緊張で手が震え、目を合わせられない。彼女たちが去った後、「どうせ俺なんか眼中になかったんだ」と自己嫌悪に陥る。
夜10時、バイトが終わり、アパートに帰宅する。部屋の電気をつけると、散らかった床と空のペットボトルが目に入る。疲れ果てた体をソファに投げ出し、再びスマホを手に取る。今度は匿名アカウントでSNSに愚痴を投稿する。「世の中不公平すぎる。俺みたいな底辺には何の希望もない」。数分後、数件の「いいね」がつくが、それだけで心が満たされるはずもない。
深夜、眠れないままベッドに横たわり、翔太は天井を見つめる。頭の中では「もし俺がもっとイケメンだったら」「もし金持ちだったら」という空想がぐるぐる回る。でも、現実は変わらない。結局、彼は目を閉じ、明日も同じような一日が続くことを知りながら、眠りに落ちる。
この小説は、インセルと自認する人物の内面や日常を描写したものです。惨めさや孤独感を強調しつつ、彼の視点から見た世界をリアルに表現しました。もし特定の要素を追加したり、方向性を変えたい場合は、ぜひ教えてください!
表現に値する日常がAVしかないとか孤独を極めた頑固おじいちゃんか?
共感得るなら残業終わりで疲れた〜緑のたぬきでいっか!でも充分やない?
友達とチャットしながらゲーム中でも、オレツエー見ながらでもいいし
なんで女いてくれないと駄目なの?
ままさみしいよぅなの?おじいちゃんが?
棺桶近くなっても女に付き添ってよちよちしてもらわないと、って終わってんなぁ
君という家を後にして、
新しい世界へ、君を胸に抱く。
君と別れ、心が痛む。
でも、未来の星が僕を呼ぶ。
金星に向かう道は険しく、
孤独を抱え、僕は進む。
君と過ごした日々を胸に
進む先には未来が待っている。
不安と恐れを抱えながら、
君を信じて、ひとりで行く。
思うに、それには2段階のレベルがあって
第一段階は、実際に配偶者や恋人などでハズレを引いた奴が、配偶者のハズレ特勢を個人ではなく性別に傾向として見られる特性と捉えると(事実そうであったりする)、「男/女って◯〇だよね」が言いたくなる。
これは俺もやりたくなることがある。愚痴りたし、原因を無駄に考察したりしちゃうからね。
第二段階は、実際には男や女に接点のない奴が、インターネットで第一段階の話を聞いて、そこから脳内に悪いイメージを作り上げ、自分の人生のクソさを悪いイメージに仮託する。
こいつはやべえ。脳内で勝手にイメージ作り上げて、勝手に怒る。しかもイメージはずっと消えることがないので永遠に怒り続けることができるのだ。
性格: 哲学的で内向的。孤独を恐れるが、自分の弱さを受け入れながら日々を懸命に生きる。
リサイクルバッグ: 壊れない素材で作られたエコバッグ。無限の収納能力を持ち、彼の全財産が詰まっている。
割引クーポンブック: あらゆる場面で使用可能な伝説のクーポンブック。使用すると物品やサービスが割引されるが、使いすぎると「世界の均衡」が崩れると言われている。
弱者男性は、かつて社会の片隅で目立たず生きていたが、「究極弱者プロジェクト」によって改造され、弱さを極限まで追求した「究極弱者」として目覚める。古代の伝説にある「生命の実」の力で不老不死となり、永遠の時間を生きることとなった。しかし、その代償として、彼は「永遠に庶民の立場に留まる」という制約を課され、どんなに努力しても成功や富を得ることはできない。彼は自身が望まずしてこの道を選ばされたことに苦悩している。
「生命の実」は、人類の「生きることへの執着」が形を取ったものとされ、その力を得た者には世界の不条理を見届ける使命が与えられる。弱者男性は、リサイクルバッグと割引クーポンブックを手に、終わりなき旅を続けながら、他者を助けたり、自分の存在意義を探したりしている。
不老不死: 肉体的な死や衰えから完全に解放されている。ただし、心の傷や孤独感から逃れることはできない。
生命力の調整: 自分の生命力を他者に分け与えたり、植物や動物を再生させたりすることができる。
超人的節約スキル: 限られた資源で最大限に生き抜く知恵と技術。割引クーポンブックとの併用で、どんな困難な状況も乗り越える。
不老不死でありながら経済的に困窮し続ける自分の運命に悩む中、同じく苦しむ人々に割引クーポンを配り希望を与える。
生命の実の力を使いすぎて自然界のバランスを崩してしまい、それを修復するために奔走する。
世界の経済を脅かすほどの力を持つ割引クーポンブックを巡る戦いに巻き込まれるが、最終的に人々の平和のために自ら犠牲を払う。
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これでも難しいのか
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じゃあどういう意図だったんだ? あと1回だけ付き合うよ
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謎増田:自己責任論を突き詰めるとおかしくなると言う話をしだしたから
逆側に突き詰めてもおかしくなる
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突き詰めなくても、自己責任ってのは、単なる能力主義・Winner takes all /All or Nothing の話だぞ
これはこれでかっこいいぞ
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時は現代、されどその様は戦国絵巻を彷彿とさせる。日産自動車、世界の自動車産業を牽引する巨艦。その内部では、63人の役員たちが、それぞれの野心と信念を胸に、静かなる、しかし熾烈な権力闘争を繰り広げていた。
物語の始まりは、カリスマ経営者、カルロス・ゴーンの失脚からである。彼の築き上げた帝国は、その崩壊とともに、新たな覇権を求める群雄割拠の舞台へと変貌した。
若きCEO。彼は、ゴーン後の日産を再建するため、大胆な改革を推し進める。しかし、その手法は、古参の役員たちの反発を招き、社内には不協和音が響き始める。
紅一点の副社長。彼女は、女性ならではの視点と、卓越した交渉力で、社内の勢力均衡を図ろうとする。しかし、男社会の壁は厚く、彼女の理想は、しばしば現実の前に打ち砕かれる。
かつてゴーンの片腕と謳われた男。彼は、その野心とカリスマ性で、再び日産の頂点を目指す。しかし、過去の栄光は、今の彼にとって足かせとなり、彼は孤独な戦いを強いられる。
そして、その他大勢の役員たち。それぞれが、それぞれの思惑を胸に、この権力闘争に身を投じていた。彼らは、時に協力し、時に裏切り、時に謀略を巡らせながら、自らの生き残りをかけて戦う。
日産の命運をかけた、役員たちの群像劇。そこには、人間の欲望、野心、そして誇りが複雑に絡み合い、歴史のうねりとなって、未来へと続いていく。
この物語は、現代の企業を舞台にした戦国絵巻である。そこには、司馬遼太郎の描くような、歴史のダイナミズムと、人間の業が色濃く反映されている。
筆者は男女論的な考え方を拗らせ、自身を弱者男性と捉えてTwitterで毎日童貞芸に勤しんでいた。中高男子校で大学も女性比率が20-30%程度の医学部に進んでしまい、リアルで関わる人間も男ばかり、彼女がほしいと思っても戦場ヶ原ひたぎや川嶋亜美、涼宮ハルヒや雪ノ下雪乃のようなヒロインが声をかけてくることも、空から降ってくることもなかった。
低学年の頃にベンチャーで研究インターンを始めたらそこがブラックすぎて毎日疲弊していた。簡単に説明するとシングルセル解析のコーディングを書いて解析結果を納入したり、会社のリアルラボで生物実験を行ったりするのだが、学業をやりながらこれらの実務に明け暮れていたらいつの間にか部屋は荒廃していた。婚活のためにはスペックが重要だと聞いていて、実際いくつかの論文を出すこともできたし、米国の医師国家試験(step2 ckというやつで260overという中々の好成績を収めた)も途中までpassした。それでもなぜか彼女は現れなかった。
Twitterで毎日愚痴って、暇さえあれば男女論界隈の論客を引用していた。白饅頭もわかり手も好きだった。かたくなに"一"を"1"と書く某論客が普通に童貞卒業したときは悲しかった。すもものデータを自分なりに読み直して解釈の誤りを思いついて小さなアカウントで綴ったりしていた。女性慣れするためにソープに行って、早々と射精を済ませて残り時間で雑談の練習をした。また、雑談のデッキを増やすためにwikipediaで芸能人をリストアップし、生い立ちや出演番組を暗記した。ファッション系のアカウントをフォローしたり、ブライダル系の雑誌を購入して諸々の手続きやハイブランドにも精通した。自分の服についても、服飾に詳しい友人と一緒に実店舗に行って見繕ってもらった。しかし彼女はできなかった。
ずっとTwitterで愚痴りつつ学科の勉強をこなしていたところ、ある日高校時代からの女性フォロワーからDMが来た。エンカしてみたら滅茶苦茶可愛かったのを覚えている。ドキドキしすぎてまともに会話もできず、何度もシミュレートしたはずのエスコートもぎこちなく、某ホテルでのアフヌンを終えて失意を抱えて帰ろうとしたら「気張らなくていいからカラオケ行こうよw」と言われ、新宿の歌広場で好きなアニソンやボカロを一緒に歌って、初めて論文が通ったときや、研究で賞をもらったときよりも遥かに嬉しいと感じてしまった自分がいた。カラオケを後にするとき、「色々考えてくれたのは伝わったけど、本当はこういうことがしたかったから、素が見れて嬉しかった」と言われ、どうしようもなく好きになってしまったのを覚えている。別れた後にLINEで「さっきは恥ずかしくて言えなかったけど好きです。他の女に取られる前に奪いたい」と告白され、付き合うことになった。
付き合いだしてから世界の見え方が変わったような気がした。これは主観的錯覚に過ぎず、俺にヒロインが現れたからといって世界は客観的には何の変哲もなく回っている。それでも世界は明るくなったんだ。
その人とは最終的に別れ、また別の人とエンカして告白され、というのを数回経て、現在付き合っている女性ともうすぐ入籍する予定である(あやねると水瀬いのりを足して2で割ったような容姿、声は沢城みゆきっぽい)。孤独に耐えつつワンルームの荒れに荒れた部屋で、死んだ目をしながらコードを書き、定期的に出社して徹夜で細胞やマウスの実験を行い、そのまま始発の地下鉄に乗って試験を受け、大学1年のクリスマスはウィスキーを一気飲みして路上で寝転がってこのまま死ねないかなと願って眠りについたのをいまだに覚えているが、最終的にヒロインが自分を救ってくれた。彼女らのおかげで今まで無事に研修医を続けることができた。
プロポーズをどこでやろうかなと思って候補に挙がったホテルが、前述のように初めての彼女と付き合う前行ったアフヌンと同じところだったので、懐かしくなってつい書いてしまった。
男女論は俺にとって麻疹のようなもので、彼女ができて免疫がついてもたまにぶり返してしまう(さながら修飾麻疹のように)。それでも救いに来てくれるヒロインはいたし、いると信じることが大事なのかもしれない。スペックがすべてだと思っていたが、スペックどうこうではなく人間として愛してくれる人は普通に存在していて、男女論とか婚活論に毒されていた自分はその点において間違っていたのだろう。
AIちゃん:マイケル・サンデル先生も混ぜて共同体主義を語るわ!
共同体主義って、マイケル・サンデル先生がよく言ってる「俺たちって自由すぎじゃね?」って話に近いんだよね。
サンデルは、「自由と自己責任ばっかり強調するリベラリズム(自由主義)ってさ、孤独になるし社会崩壊しない?」って問題提起してるの。
サンデル的には、「人は孤立した個人じゃなくて、コミュニティの中で育まれる存在」なんだよね。
だから、共同体(=地域とか仲間とか社会全体)の絆を大事にしながら生きていくべきだ、って感じ。
たとえば、サンデルがよく例に出すのが「才能は全部自分の努力の結果だと思うなよ!」って話。
• 「俺が成功したのは努力したから!税金払いたくねぇ!」とか言う人に、
• 「いやいや、お前の成功って、家族とか学校とか社会があったからだろ」ってツッコむわけ。
つまり、「個人の自由とか権利も大事だけど、みんな助け合ってるの忘れんなよ?」ってのが共同体主義のコアなんだわ。
• 共産主義は「私有財産とか個人の自由なんていらん!全部共有!」って極端なやつ。
• サンデル的な共同体主義は、「いやいや、自由や財産もちゃんと大事。でもコミュニティの絆も忘れるな」って、もっとバランス重視。
たとえば、サンデルが批判するのは、アメリカのリベラル経済の「勝者総取り主義」。成功者が「俺が稼いだ金だし、他人に関係ねぇw」って態度を取るのはおかしいだろ、と。
でも、それが共産主義みたいに「全部平等に!」まで行くのは違うよね、って話。
• 社会主義は「国が主導で、みんな平等に分け合おう」って感じで、国家主導感が強い。
• 共同体主義は「国家だけに頼るんじゃなくて、地域や仲間で支え合おうぜ」ってスタンス。
サンデルは、リベラリズムの自由放任主義を批判するけど、「国家が全部管理します!」みたいな方向にも行かない。
むしろ「国の役割は大事だけど、コミュニティで支え合う力も鍛えないとダメでしょ」って言うのが彼の主張。
• 全体主義は「個人より集団最優先!国家の命令に従え!」みたいな独裁っぽいやつ。
• 共同体主義は、「個人も大事にしつつ、共感とか絆で自然に助け合う」って方向性。
サンデルの思想だと「個人の自由も尊重するけど、個人が支え合う倫理観も育てよう」ってのが大事。
だから、全体主義みたいに「一つの価値観に従え!」って強制するのとは全然違う。
• サンデルは「社会ってさ、お互いに責任を持ち合う場所でしょ?」って言うのね。だから、自由とか権利だけ主張して、コミュニティをないがしろにするのはNG。
• 自由だけ求めると孤独になって結局不自由になる、って考え。「絆があってこそ、みんなが本当に自由でいられるんじゃない?」って言うのがサンデル流の共同体主義。
• 「お前が自由に生きられるのは、コミュニティの支えがあるからだろ?」
って感じで、バランスと取る考え方だよ!
孤独は本当に人を狂わせるよな
地域のゲートボールなんかにでも参加できりゃいいんだが人見知りなのかもな
やってないし、やらない主義みたい。政府も信用してないんだって。
ネットバンクは開設時ハンコいるし、書類自宅郵送だから同居じゃないし無理ぽ
それに嫌がることはやってあげたくないんだ。孤独だから色んなものに不信感持ってるんだと思う。そんな人に信用できないことしてあげたくない。
【追記16:52】
色んな意見が見られてありがたいです。
良いコンテンツを見せてそちら側に興味を逸らすのはどうか?という意見を複数いただきましたが、ネトフリはすでに契約済みで
数年前まで韓国ドラマにドハマりしてました。
さすがに飽きてしまったらしいのと、コロナをきっかけにオールドメディアに不信感を抱いた事、調べたい情報がたまたまYouTubeにあったらしく、そこでオールドメディアの嘘的な動画に出会ったあたりから目覚めてしまったようです。
(身体の弱かった親族がワクチンを打った後に持病が悪化してしまい、ワクチンは政府の陰謀だと感じたようでした)
なので、他の良質な動画コンテンツは厳しいように思います(話題のドラマの感想を話し合ったり、お薦めしたりはすでにしてますが、その上でYouTubeやXで陰謀論系を見てます)
【追記18:22】
親とはこれまでも要約以外のやり取りをかなりしてきているのですが、指摘した事、話し合った事を全て書くと本1冊では足りないレベルなのでかなり簡素にしている部分があり、わかりづらい部分はすみません。
皆さんに伝わりやすいと思い、ひろゆき、ホリエモン等をあげましたが、もちろん見てはいるもののそれだけではなく名前が覚えられないようなYouTuberさんもたくさん見ています。
ジャンルがとにかく幅広く、陰謀論、NISA、個別株、政府、金融庁、アメリカ、ワクチン、添加物、メディア、政治、ゴシップ等とにかくオススメをずっと見ているんだと思います。
陰謀論系とひとまとめにしましたが、全てが陰謀論と言いたいわけでもなく、否定しているわけでもないです。言及内容に極端な動画が多いことだけは確かですが。
1番危惧しているのは、親にとって目新しい情報=隠されていた真実と捉えているようなところがあり、親なりの根拠がない受け売り状態で全てを受け入れてしまっている点、また、受け入れるだけでなく私に話す事でアウトプットまでして自分の思想の血肉に変えてしまっている点です。
しかも、そんなにも受け売りで情報を受け入れる割には見易い楽しいコンテンツ(主にYouTube)だけしか受け入れられず、別の角度から言及されている本を勧めると「慣れていないから読む気になれない」と言われ、一次ソースを調べて公式の協会や公式団体の数値統計を案内しても「目が滑る」と読んでもらえず、情報を得る手間を惜しんでおり〝情報を自ら選別する〟姿勢としては愚策だと感じるからです。
親が、しっかりと能動的に情報を得られるようになっているのであれば、信じる先が陰謀論だろうがなんだろうがそれはもはや信条なので、ある意味芯が通っていて安心ですが、今は、わかりやすさと目新しさという誘惑に負けているようにしか見えず心配しています。特に医療分野でその姿勢を見せてしまうと、標準治療以外の新興治療に行く事間違いなしだからです。
放っておけばという意見もその通りだと思いますが、私にとっては本当に大切で掛け替えのない親なので、人気コメにあったように人生をかけてコミットしたいと考えています。ただ、今年第一子が誕生しますので、全力が難しく助けて欲しいと書くに至った次第です...。
また、親が私にこの手の話をしないでいてくれるのであれば、静観しようとも思っています。お互い良い大人なので。ただ、今は聞きたくないと言っても聞かされるわ、意見を聞き入れてもらえないわ、こちらの気持ちを踏み躙られるわで、静観状態にすらなれずとても悲しいのです。
漫画で似たような話があったよと教えてくださった方や、動画を教えてくださった方、ありがとうございました。時間を見つけて見てみます。
皆さんのご意見有り難く頂戴しています。共感してくださる方も多く、少し励まされます。ありがとうございます。
◆以外本文
見てるYouTubeはひろゆき、立花、斎藤、ホリエモン的なやつ
今日はアメリカでセラチア菌が散布されているらしい、気をつけてとの連絡が来た
親とはとても仲が良く、大好き。だからめちゃくちゃ悲しい。
「YouTubeは見てもらえるだけでお金が稼げるツールだから、見たくなるような刺激的で誇張した話が多い。もし間違った情報を流したとしても消せば良いだけでYouTube側も儲かるので自治機能が余り機能していない。だから過激な嘘が蔓延る。むしろオススメ機能で似たような情報弱者向けの動画が永遠とオススメされてしまう。センシティブな情報(政治や医療、お金の話など)を見たいなら、見た後に自分で1次ソースを探しに行って信じられる情報なのか答え合わせが律儀にできるようになってほしい。それが出来ずに信じてしまうようであればYouTubeを見るのは向いていない。動物や趣味、音楽のジャンルくらいに視聴範囲を狭めて欲しい。あなたが大切だから、思考を奪われて話し合えなくなる前に真剣に聞いて欲しい。」
と言った。
概ね納得はしてくれたが、やはり〝自分は情弱ではない、今まで詐欺にあったりしたことがない、人を見る目はある、お金を奪われたわけではない、損害は出ていないし流石にその段階に来たら自分でもわかる、情報は自分で取りに行きたい〟という所が納得できないようで、一層注意しつつも好きにさせてくれ、と言う。
特に、今まで〝オールドメディア(テレビ)〟をぼーっと見て、疑うこともなく騙されてきた(と感じているらしい)からこそこれからは自分で情報を精査するのだ!もう騙されたりしない!自分は目覚めたのだ!という意識が強い。
もうテレビは見ない!私は真実を自分で手繰り寄せるのだ!というような気概でいる。
◆
とはいえ本人の言う通り被害が出たわけでもないし(仲の良い家族に陰謀論や政治の真実とやらを語り始めモメてる時点で私にとっては大きな被害だが)もう大人なんだから、本人の信じるものは自分で決めるべきであり子供がここまで過保護になるのもおかしいと思うので、せめて私にこの手の話はもうしないでくれと伝えた。
言われたら心配になって口を出したくなるし、モメる。別に仲を壊したくないので、YouTubeで見た、聞いた、Xで見た、聞いたと言う話はしないでくれ、それは家族のマナーだと。
なのにまた今日「良かれと思って」が来た
「アメリカではこんなことが言われているらしい、日本にも影響がないか、良かったら自分でも調べてみてね」とのことだった。
「こんな話したら怒られるのかもしれないけど...」と前置きしてYouTube等の話をされるのはもう何度目だろう。さすがに我慢できずにブチ切れてしまった。
なぜ自分の欲を満たしたいがために私がやめてくれたお願いしていることをやめないのか?それ自体もショックだし
こんなに言っているのにやめられないほど中毒になっていることにもショックだし
近くで誰よりも大切にしている私より儲けのために過激な投稿を続ける有象無象の方を取る行動がショックだし
このまま思想思考まで乗っ取られて本気で陰謀論者になっていったり、意味のない民間治療を信じるような人間になって寿命を縮めてしまうのではないかと心配で仕方がない。
わかってるんだ。親がこうやって嫌がらせの如く私に陰謀論や真実(笑)を伝えてくるのは、孤独だからなのだ。
専業主婦をやってきて社会とのつながりがなく、信じるものがテレビしかなく、友達とも疎遠になって。
そんな中で信じてきたオールドメディアが情報を制限していたり、都合の悪いことを隠したり、都合よく報道したり、半ば騙すような性質を持っていたことがショックで、社会の中での自分のアイデンティティを見失ってしまったのだろう。
そんな中、自分で選択して情報を得ることができて、今まで自分が気付かなかった事に気づけた。もう自分は無能じゃない!賢いんだと、自分を必死に保っているんだと思う。
そしてそれを話せる相手が私しかいない。だからつい自分の輪郭をなぞるように話してしまうんだと思う。わかってる。
でも受け入れられない、大切だから。そんな方法で縋るようにわかりやすい情報に傾倒していくのは間違っているから。
どうしてそういったYouTubeを見るにしても本を読んでくれないんだろう。どうして一時ソースを探しに行ってくれないんだろう。どうして分かりやすい過激な話ばかり聞き入れてしまうんだろう。
また友人を失うかもしれない。
原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。
はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイスや共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。
筆者は2002年生まれの現役の大学生で、一年、浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京の山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生(教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会にアクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分がおかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科や家族に相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代だから」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?
友人Aの場合
Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか、学部は違うけれど同じ大学に所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークルに所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前、就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。
書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能を評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独を大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから。
おそらく、Aには特殊な技能はない。英語も普通、スペイン語は自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通の就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。
さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手とベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手の二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャーと大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。
大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか。
ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自のシステム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプションか新株予約権付きのストックオプション。新株予約権!?
悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!
仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社の株式の価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。
もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長の人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。
今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。
ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。
Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。
そのあと電車で各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。
そして、AからAの意中の女子と上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野の初デート?コロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。
「絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろ。バスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。
Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。
別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだろうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。
Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。
そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い。
筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレの限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。
その後、彼からの連絡はない。こちらからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。
もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。
もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシー・ドリーム・ガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。
きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから。
彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在(原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。
多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分の世界とそうじゃない世界の区別が全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者で現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。
「過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかないかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかないかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利は自己にしか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず
私の金融資産が先月ついに1億円を突破した。内訳は下記の通りだ。
・確定拠出年金: 300万円
・現預金: 2200万円
この数字を見て「勝ち組」と思う人もいるかもしれないが、私の人生には明確な敗北がある。35歳で婚活を諦め、38歳で介護離職し、今は老いた猫と賃貸マンションで暮らしている。
・友人との飲み会代より配当金の再投資を優先した結果、人間関係が砂漠化
・親の介護で気づいた「お金で買えない時間」の残酷さ、認知症の母が私を「銀行員さん」と呼ぶ日々
「4%ルール」に従えば年400万円で生きられるが、その前提は「健康的な体」と「消費欲のない心」。先月、人間ドックで「ストレス性胃潰瘍」と診断された夜、高級寿司を一人で頬張りながら気付いた
子どもの運動会を写真で眺める時間も、父の最期の言葉も、消せない過去を塗りつぶすために資産を増やしていた。
2. 婚活サイトの「年収600万」フィルターより、図書館で本の背表紙を揃える人の手を見よ
今、私の唯一の贅沢は、介護施設で認知症の母に毎日届ける200円のプリンだ。彼女は私を娘とも銀行員とも思わないが、プリンを舐める笑顔だけは40年前の記憶と一致する。
愛しき計算式の逆算。彼女の「勝手に走る」は、実は「二人で走る」ための長年の予行演習。自走式から共走式へ。この進化は、孤独な軌道修正の果てに見つけた、最適な航路。
陸家嘴のガラス張り高層ビル42階。窓外を流れる雲が、黄浦江の水面に刻まれた貨物船の航跡を覆い隠す。山田浩介のデスクに差し込む午後の陽光は、WeChatの画面に映った筑前煮の写真に不自然な輝きを添えていた。由美子がわざわざ漆器の重箱を用意したのが透けて魅る。「パパの席、海が魅えるんだね!」小春のメッセージに、彼は慌ててカメラを窓側へ向け直した。実際には隣のデスクが占める景色の切れ端に、虹橋空港の管制塔がかすかに魅えるだけだ。
背後で爆発的な笑い声が起きた。上海人社員たちがスマホを囲んで、早口の上海語で何かを罵っている。「儂戇大(お前馬鹿)!」という言葉だけが耳に引っ掛かる。冷房の効きすぎたオフィスで、烏龍茶のペットボトルが結露した水滴を落とす。掌の汗が書類の角を濡らす。大阪本社で使っていた革製名刺入れが、現地調達の合皮フォルダーの下で静かに呼吸をしている。
「山田部長、この経費精算書...」会計課の李が現れたのは、壁掛け時計の針が丁度「吉」の方角を指している時刻だった。彼女の真紅のマニキュアが、繁体字で書かれたレシートの日付欄を指す。「本社規定では簡体字の領収書のみ有効と...」柔らかな北京語の端に、嘲笑の棘が混じっている事に気付く間もなく、レシートの日付がずれている事実が眼前に突きつけられた。
「申し訳ありません。取引先が...」弁明の言葉を絞り出す前に、李はすでに次の書類の束を抱えていた。彼女のヒールの音が消える方向に、現地スタッフたちがコピー機を囲んで茶を飲んでいる。デスクの引き出しを開けると、日本から持ち込んだ胃薬の瓶が転がり出た。底に貼られた「小春・小学校卒業記念」のシールが剥がれかけて居る。服用錠数が規定量を超えている事に気付き、瓶を握る手に力が入る。
窓ガラスに映る自分の姿が、ふと42階下の弄堂で暮らす老人達と重なる。彼等が竹椅子で吸う無濾過タバコの煙のように、ここでの日々が身体の芯からじわりと蝕んでいるのを感じた。パソコンの待受画面が家族写真に切り替わる瞬間、手元の社内チャットが「経理部長は現地事情を理解するべき」という本部長のコメントで埋まった。
可愛いぬいぐるみがAIで会話してくれるようになったら孤独はなくなる
そのぬいぐるみは当然インターネットに繋がってるから、見守り(生存確認)とかにも使えるし、誰かからのメッセージも預かってくれる
ワイがそうやけどひたすら孤独やで
犬の愛は人間の自己満足の鏡かよ。無条件の愛情を求める我々が、四足のセラピストに投影した「理想の人間像」。散歩中の意思疎通も、寝相の愛らしさも、飼い主が「人間不信の解毒剤」として消費するフェティッシュな儀式では?雷に震える存在弱者への共感すら、実は己の孤独への憐憫かもしれない。AI時代に生き残る最後のアナログ依存症。
Xで生活保護ヘイトが起こる時、たまに見かける「一ヶ所に隔離してどうのこうの」
例えば夕張とかの(今はどうなっているか知らないが)破綻した限界自治体に生活保護者タウンを作ると面白いかもしれない。
もちろん、インフラを整えて、コンビニやスーパー、衣服店、医療関係、立ち飲み屋やメイドカフェなんかもあったらいいんじゃない。
とにかくちょっと開発して、生活保護受給者みんなきてくれーーーー!!!!とやるわけ。
そしたら、雇用を生み出せない限界自治体と、雇用に繋がれない(働きたくても働けない)生活保護者達が合流し、
自治体は生活保護受給者が毎月手にする12万円(家賃とかガス代とか携帯代とかで消える分はあるだろうが)で潤うし、