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はてなキーワード: 披露とは

2025-02-22

食と性を混ぜるなと言うけど、デートは?

デートでの食事のシーンは、性をアピールする場として認められてる。

ボクはそう思うけどな。

デート映画鑑賞ってムダだ。

暗闇で隣に座ってるだけで女らしさ・男らしさを見せ合うなんて不可能

それなら、さっさと切り上げて次のマッチング時間を割いたほうがいい。

ディナーや軽食は、自分セックスアピール披露する貴重な機会だと思うんだよ。

2025-02-21

anond:20250221224617

50代のチェッカーズ光GENJI全盛期の学生時代以後、女との接点がないアンフェ爺がいつもの「未婚女はキラキラOLパパ活夜職の2種類しかいない」「未婚女はジャニヲタ腐女子の2種類しかいない」という思い込み披露してるのか

そして恋愛にもスイーツにもイケメンにも興味のない喪女20代お見合いして幸せ主婦になる妄想も好き

2025-02-20

anond:20250220120506

まーた雑なミラーリング自分バカ披露してます

フェミ馬鹿にしてるんじゃなくてフェミ攻撃から身を守ってるんですよ

そもそもなんでアンチフェミって名前なんでしょうかね

原因がアンフェにあるならアンフェが起点となる名前になって

フェミアンチ○○というネーミングが付くのでは

2025-02-17

anond:20250217095214

しゃーない、ワイが野に放たれた象になって「かたつむり」を唱歌しながら美しいでんぐり返りを披露するやで

2025-02-16

anond:20250216025738

いや、元増田無償プラグインリスト披露したいだけで、それで凄い成果物ができたって自慢してるわけでもないし…

ひがみすぎだと思うけど…😟

まあ、ちゃんとした作品作ってから、その作品をどうやって作ったか語れよ、ってのはごもっともなんだけど、

元増田意図してたのはそこじゃないと思うよ

単にgithubにある、awesome系のリストを公開したかった、ってだけだと思う

だってawesome系のリストに、おまえ、偉そうなこと言うなら作品作ってから言えよ、って食ってかかる人いないでしょ?😟

2025-02-15

anond:20250215115750

好評いただいたので続きを書きます


先にエクスキューズから。「コンクリート自信ニキ」と書いたものの、自分10年ほど前に大学コンクリート工学研究していたものです(今は別の仕事)。アスファルト記事書くために慌てて勉強しました。だからアスファルト建築材料にも使われているのは素直に知らなかったですし、ブコメ含めいただいたコメントを見ていて集合知はすごいなと思いました(自信もなくなったので自信ニキは取り下げます笑。ただ、記事自体ソースにあたりつつ書いたので他の内容は問題はないはず)。とはいえ、予告したからには責任をもって最後まで書きます


※ 以下の内容は元記事の>〇鉄筋コンクリートの偉大さについて にかかる内容を理解いただいている前提です。


〇 近くのコンクリートのひび割れはそこから建物がパッカリ割れから直しているのか?

結論からいうとこれは間違いで、多くの場合ひび割れは強度的には問題ないです。ただ、ひび割れ放置すると以下で説明する悪いことが起こるのでひび割れを直しています

記事説明した通り、鉄筋コンクリートベストカップリングな要素の一つとして、鉄筋は酸で錆びると弱くなるけどアルカリ性コンクリートで守られている点をあげました。しかしながら、仮にひび割れが鉄筋まで到達すると、水や空気がひび割れを通じ鉄筋に触れ、鉄筋が腐食してしまます(正確にはコンクリート自体も水や空気を多少通すので、ひび割れが鉄筋まで到達しなくても鉄筋は腐食しうる)。鉄筋が腐食すると強度が下がるのはもちろん、鉄筋の体積も膨張するため、ひび割れさらに広がったり新たに生じてしま悪循環となってしまます

加えて、ひび割れから空気が触れることで、コンクリートアルカリ性酸素により中和されて中性化してしまい、より鉄筋への守りが弱くなってしまます。他にも様々な悪影響が生じるため、ひび割れを直しているのです。

なお、コンクリートのひび割れが発生する要因は、強い力がかかってひび割れ場合もありますが、多くの場合は別の要因(コンクリートを流し込んで固める時(打設といいます)に水分が蒸発して表面だけ体積が小さくなる場合や、練り混ぜが不足した場合アルカリシリカ反応、凍害など)で生じています

ついでに、仮に鉄筋コンクリートの柱にとんでもない力が掛かってセメント割れしまっても、建物結構持ちます。これは、セメント以外の鉄筋や砂・砂利が構造を保ち、破断面で砂や砂利がかみ合うことで支えてくれるからです。とはいえ危ないので絶対に直す必要はありますが。。。


〇 漬物屋の前のコンクリート舗装道路が危ない理由とは?

これは大げさに言いました。すべての漬物屋で危ないわけではないです(漬物屋の方には大変申し訳ありません。)

上で述べた通り、コンクリートの中の鉄筋が腐食すると、強度は下がりひび割れは下がり大変なことになります。この原因の一つが塩害です。そもそもコンクリートの中の鉄筋は、コンクリートの高アルカリと反応して酸化物の被膜(不動態)を作っていて、この膜が腐食から鉄筋を守っているのですが、もし塩水(NaCl水溶液)が鉄筋コンクリートの中に入り込むと、塩化物イオンがこの不動態被膜を破壊します。要は、塩水にさらされ続けると鉄筋コンクリートは早く劣化します。

そんで最初漬物屋の話に戻ります。これは自分大学の時に講義で聞いた話なのですが、ある鉄筋コンクリート道路で、特定場所だけ劣化が異常に早かったそうです。道路メンテナンス会社が原因を調査したところ、その道路の前に漬物屋があり、その漬物屋が不届きにも漬け汁を毎日道路に流していたのです!まり、漬け汁に含まれている塩分コンクリート劣化させてしまったわけですね。


〇 コンクリートトレードオフとそのトレードオフをぶっ壊した自己充填コンクリートとは?

最後こちらを説明します。コンクリートにおいては、どれだけ工事の上で扱いやすいか重要です。特に、鉄筋コンクリートにおいては、複雑に鉄筋を組んだ型枠の中にどろどろのコンクリートを流し込むため、いかに水のようにスーッと型枠に隙間なく流し込めるか(充填性)が重要です。もしどろどろで粘性が高すぎる生コンクリートだと、きちんと型枠や鉄筋の間にコンクリートが入り込まず、大きくひび割れができたり大穴が空いたりしてしまます簡単にそれを達成するのであれば、セメントに加える水の量を増やすことになりますが、そうすると当然コンクリートとしての強度が下がってしまます

そのため、コンクリートに加える水の量をめぐって、コンクリートとしての強度と、充填性と、とのトレードオフが成立するわけです。基本的には、コンクリートがキチンと流し込めるワーカビリティを確保できるぎりぎりで、強度を保つために水を少なくして、最後にうまく流し込めない分をどでかいバイブレータを使って振動させて、無理やりコンクリートを充填させることになります

大昔からのそんな常識に対して、90年代ごろに、「水の量を増やさずに」 「水のように勝手に型枠や鉄筋の間にコンクリートが充填される」という、トレードオフをぶっ壊す発明日本でなされました。これを自己充填コンクリート(高流動コンクリートといいます。詳しい原理自分説明できないのですが、セメントの種類や特殊な配合剤(減水剤)の使用、骨材のサイズや種類も考慮して、これを実現しているようです。

自分はこれを発明した先生と話したことがあるのですが、「これからすべてのコンクリ-トはこの自己充填コンクリートに置き換わる!」と発明したときには思っていた、とのことでした。


しか現実には、この魔法のようなコンクリートは、大きな欠点もないのに、とても強度が求められ鉄筋がたくさん使われる高層ビルや橋などで一部使われる程度で、ほとんど使われていません。

いくら理由はありますが、煎じ詰めると理由は一つです。自己充填コンクリートが高価すぎる、いや、普通コンクリートが安すぎるのです。

普通生コンクリートは、1㎥あたりで見れば、ミネラルウォーターより安いくら安価です。そして、コンクリートは大量に使われるため、少しの価格が大きく工事費用にはねます。この自己充填コンクリート普通の、従来のコンクリートよりも倍くらいの価格差があるため、普通建物に使われるようにはなりませんでした。そして、あらゆる工事現場で巨大バイブレーターでガタガタ言わせながらコンクリートを締め固めているのです。。。

この値段の問題は、あらゆる点でコンクリート進歩の壁となっており、いくらでも全く新たなコンクリート材料提案されているのですが、多少性能が高い程度では従来のコンクリート価格差で勝てず使われません。

そんな理由で、今も昔ながらのコンクリートが使い続けられています。(だから悪いという気は全くありません。ただ、技術進歩いかに難しいか、端的に示す例だと思っています。)


これで、自分が書きたかたことはすべて書きました。

あとは他の、コンクリート自信ニキや建築土木自信ニキの知識披露を楽しみにしたいと思います

再度追記

いろいろご指摘いただいたので再度続きを書きました。

anond:20250215090340

披露宴に呼ぶは御礼じゃないぞ。披露する側の自己満足から考え改めろカス

本当に御礼ならご祝儀絶対要らない、もらったら全部返金するつもりでやれよ


建設的な話すると、ご祝儀不要で式だけ呼べ

披露宴は「家」のつながりの披露だ。格や人数をある程度合わせる必要がるので新郎友人なし、新婦友人ありはあんまりよくない(と考える人が多数いるのが現状)

結婚ハイになってる状態だと思うんだけど、式と披露宴のあり方とマナーを今一度学びなおした方が良いよ

2025-02-14

はてなアイドルとは

かつて、はてなには「はてなアイドル」という文化がありました。

平たく言うと「自己顕示欲承認欲求をこじらせた子を、アイドル扱いしておだてて木に登らせる」というものでした。

はてなアイドルの中で、特に有名なのは以下の2名です。

 

はてなアイドル「A」

Aはかつてはてなアイドルとして一時代を築きましたが、自分ダイアリーエロ絵を貼ったことではてな運営からBANされました。

当時はアンチも多数いましたがファンも多かったため、多くのはてなユーザーから心配の声がかけられましたが

無関係人間自分に口出ししてくるのが耐えられない」と言い捨てて、はてなを去りました。

 

その後Twitter活動の場を移し、同人作家としてそこそこ有名になりましたが

書いているのがロリ物のエロということもあってか、ある時期からTwitter運営に目を付けられ

アカウントの凍結と再作成を繰り返すようになりました。

 

本人は「俺は同人生計を立てている」と豪語しています

母親と同居しながら家に金を入れていないうえに

同人誌の印刷代や生活費Twitter上でフォロワー乞食しながら続けているようで、実際のところは趣味の域を脱してないようです。

 

はてなアイドル「B」

Aがはてなを離れた後に現れたのがBです。

本人はブロガーを志望していましたがかなりの悪文家なう

ブログで半可通なアニメ等の知識披露して、関係者から間違いを指摘されても開き直ったりと態度も悪いため、周りから注意されていましたが

最終的には「俺からはてなを見限ってやったんだ」と言ってはてなを去り、Twitterに移動しました。

 

本人は一人暮らしをしています特に仕事もしておらず、生活費は全て親の金のようです。

ブロガーを名乗ってゲーム評論のようなことをやっていますが、それで金を稼いでいるわけでもなく

相変わらず行く先々でもめ事を起こしているようです。

 

現在

A,B以降、はてなアイドルと呼ばれるような存在は出てきていません。

これは「はてなユーザーに人権意識が芽生えた」からではなく

低能先生事件をはじめ、社会で起きた数々の事件から

「この手の人間を下手にいじると何をしでかすかわからない」という認識

はてな内に限らず、社会全体の暗黙の了解となったのが原因と思われます

2025-02-13

弱者男性特有の「暴力的な男の方がモテる!」という認知の歪み

ちょっと街に出てカップルを観察すりゃすぐわかることだけど、暴力的な男が連れている恋人はその大半が知性の欠片もなさそうなヤンキー女ないしマイルドヤンキー女であって、別に暴力的な男がことさらモテるなんてことはないんだよな

少なくとも暴力的な男がモテるのは頭の弱そうな女に対してだけであって、普通女性普通に優しそうな男を彼氏として連れている

特にイケメン美女カップルに注目すると大抵男の方は普通に優しそうな見た目をしていて自分彼女に対してめちゃくちゃ紳士的に振る舞っているんだよ

要は弱者男性くんは町中を歩いている一般的な男のことまで暴力的な男だと思い込んでいる節があるんだよな

メガネではなくコンタクトレンズをしていたらDQN

髪の毛を染めていたらDQN

髪型ツーブロックにしていたらDQN

女の子に馴れ馴れしい口を聞いていたらDQN

こういう中学生生活指導教諭が誇張して伝えていた価値観大の大人になっても信仰し続けて内面化している感じがする

加えて内心では女の全てを低能で頭が弱いと見下しているよね

弱者男性って決まってミソジニー拗らせてるもんな

「(女は低能から俺のような真に優しい魅力のある男を選ばず結果的社会性のないクソのような)暴力的な男の方がモテる」っていう異常としか言いようのない気色悪い価値観披露して、一体お前は何がしたいんだと思わざるを得ない

きっと紳士的で優しそうな男ですら弱者男性くんのフィルターを通すと暴力的DQN認定されてしま

多分昔学校いじめられたかなにかして、いかにもオタクいかにも弱者男性みたいな格好をした自分同類以外には潜在的な恐怖感を持ってるんだろう

何回も言うけど、暴力的な男より優しい男の方が普通モテる

ただしここでいう優しいってのは気遣いスマートで、相手気持ちをよく察し、それでいて押し付けがましくはなく、不機嫌を露骨に表したりしない、社交的な男のこと

社会性のない根暗大人しいだけの人間を指すわけじゃない

事実として弱者男性くんの大半はネット上ではめちゃくちゃ攻撃的だし、なんなら現実世界でも普通人間性終わってる振る舞いしまくってるもんな

マタニティーマークつけた人に席とか譲ってなさそうだし、職場では不平不満ばかり言ってクソみたいな勤務態度を隠そうともしてなさそうだし

多分、弱者男性くんの男に対する認知の歪みは自分プライドの高さから来ているんだよ

自分自身の魅力のなさによってモテていないって現実を受け入れられず世間の方が間違っていると認識している

「本当は俺みたいな人間モテるべきだが、世の中の女は見る目がない低能なので暴力的な男がモテている」

こういう、中学生じみた世界観を本気で信仰して自分の殻に閉じこもっているんじゃないの?

何度でも言う

暴力的な男より優しい男の方がモテる

弱者男性くんはきちんと社会性を磨いて優しい気遣いのできる大人の男になろうね

anond:20250212215706

歌舞伎役者ぼんちおさむは、日本芸能界において異なる分野で活躍する存在であり、見た目や表現の面で共通する要素があるものの、その歴史的背景や芸のスタイル活動の場には明確な違いがある。これらの違いを明らかにするために、それぞれの特徴を比較しながら考察する。

まず、歌舞伎役者とは、日本伝統芸能である歌舞伎において役を演じる者を指す。歌舞伎江戸時代初期に成立し、400年以上の歴史を持つ芸能である歌舞伎役者は、代々の家系継承する形で育成されることが多いが、近年では門下生として修行を積み、外部からも参入できるようになっている。彼らは特有発声法所作、立ち回りを習得し、舞台上で洗練された演技を披露する。また、女形と呼ばれる女性役専門の役者存在し、優雅で美しい動きが求められる点も特徴の一つである

一方で、ぼんちおさむは、日本お笑い芸人であり、歌舞伎役者とは異なるジャンル芸能活動を行っている。本名長瀬修一で、吉本興業所属し、漫才コンビザ・ぼんち」のメンバーとして活躍した。特に1980年代漫才ブームにおいて、「おさむちゃんで~す!」の決め台詞とともに人気を博し、テレビ劇場を中心に活躍した。ぼんちおさむの芸風は、テンポの良い掛け合いとユーモラスな動きが特徴であり、庶民に親しまれる笑いを提供することを目的としている。

このように、歌舞伎役者ぼんちおさむは、それぞれの分野で観客を楽しませるという共通点があるものの、その成り立ちや演技のスタイル活動の場において大きな違いが見られる。歌舞伎役者は長い伝統の中で技を磨き、格式ある舞台芸術を継承する役割を担っているのに対し、ぼんちおさむ現代大衆芸能としての漫才を通じて笑いを提供している。こうした違いを踏まえることで、それぞれの芸能文化が持つ独自の魅力を理解することができる。

2025-02-11

VTuberオタクしてるんだけど

事務所男性VTuberオタクをしている。

かなり大所帯のユニットデビューした内の一人をデビュー初日から推している。

同期が多いから仕方がないところもあるけれど何をしても同期のVTuberと比べられるのがすごく苦しい。

日々の同接、お披露目等の記念日の同接、月間・年間スパチャ額、グッズの数…等々。

オタクが気にするのはアホらしいのだがたまに見るまとめサイトでズラズラと数字が貼られているのを見ると真綿で首を絞められているような気分になる。

サイトを見るのをやめるのが最適解なのはわかっているのだが自分が全肯定オタクになっていないか、全肯定でない人から見たら推しはどんな評価を受けているのかが気になってしまい見てしまう。

それでなくても日々YouTube上で表示される同接数を比べてしまっている自分がいる。別にVTuber本人でもない癖に。

こんな不健全推し方をしていたら推しまで嫌いになりそうなのでさっさとVTuberオタクをやめるべきだと思うが今まで集めてきたグッズにかけたお金を考えると気軽にやめられず、結局今日リアルタイムで動く数字を見ながら推し配信を見ている。

大切な曲が増えた日

※この記事投稿日中に開催されている

UNISON SQUARE GARDEN TOUR 2025 "Charisma & Princess"

の公演内容及び

UNISON SQUARE GARDEN 20th Anniversary LIVE FINALE "fun time tribute"

の内容に触れております



正直Twitter(現X)とかにでもツラツラ書いてたらいい感想だし、自分自身特にツアーネタバレを嫌がる人間なので極力SNSセトリバレしないように回避してきたからこそあまり気にしなかったんですが、本当に曲については一切触れてなくて(M8が良かった!みたいな書き方ばっかり)ビックリしたので、匿名なら多少ライブの内容に触れてええやろ前置きも書いたしという気分で自分語りを。



きっかけは昨年末fun time tributeという、ユニゾン20周年記念イヤーラストに行われたライブ。そこで整理番号20番台とかいうどえらいチケットを当ててしまった。

インテックス大阪の広い会場で2〜30番目に入場でき、最前列で様々なアーティストライブトークを堪能できたあり得ないことだらけのライブでトリに出てきたユニゾン

トリビュートライブということでゲストアーティストユニゾンの曲をカバーしつつライブを行っていたのですが、ユニゾンのターンになると「本家!」とコールして今までカバーされてきた曲を全曲やるというアクト。

その後にMCを挟み歌われたさわれない歌が、なんかあの日はすごく歌詞の一文・一言がはっきり聞き取れた気がして「あぁ、これからもこのバンドに救われ続けるんだろうなぁ」と涙腺が緩んだ後に聴こえたドラムで完全に泣き崩れました。

シャンデリア・ワルツ

個人的にもずっとユニゾンの中ですごく好きな曲で、ライブでも盛り上がるしユニゾン体現してるようにも感じる一曲(ライブ中の田淵の動きっぷりとかも含めて)

今まで何度も聴いてきたし、ライブでも観てきてブチ上がり曲だったはずなのに、その日は何故か腕上げたりコールしたりする余裕なんて全く無くて、1番Bメロぐらいまでは「泣いてる余裕なんかない!しっかりライブ観ないと!」みたいな理性があったんですがもう涙が全く止まらなくて、なんならちょい呼吸しんどくなってたような記憶すらある。柵にもたれたり倒れたりすることはなかったですが。

そこまで来ると幻想が見えるんですよね。

田淵ってこの曲のサビでは「ハローグッバイ」とコーラスをして、そこ以外は楽しそうに自由演技して、「ステップはこうだっけ?」って歌詞に合わせて地団駄踏みながらベース弾くみたいなのがある種お決まりみたいな感じなんですが、

あの日は涙が止まらない俺を観ながらコーラスして、必死というかそんな感じの表情だった気がするんですよね(幻想)

今までの記憶だと三〜四白眼になるぐらい目かっぴきながらコーラスしてたり、あるいはニコニコライブを全身で楽しんでいたような姿は見覚えがあったんですが、

なんか泣きじゃくってる俺見ながらライブしてない?(幻想)

って思っちゃったんですよね。そんな風に思い込んじゃったらこっちはこっちでまた涙が湧いてきて。

ぐっちゃぐちゃになりながらシャンデリア・ワルツが終わり、フルカラープログラムが始まる頃にはなんとか少し落ち着いて(というかほとんど記憶残ってない)本当に忘れられない一日になりました。



そしてつい3日前に広島で行われたライブ

ここでも整理番号40番台とかいうどえらいチケットを当ててしまい、正直こんないい思い2連続でして良いものかと一瞬思いましたが当たったもの享受していいだろうと、折角だから目の前で暴れ回る田淵を拝もうと2列目をキープ。

ユニゾンちゃんエフェクターボードの横にセトリ貼ってるんだーという新たな気付きや、動き回る田淵を間近で見て本当にこの人ライブ音楽が大好きなんだろうなーと思ったり、聴いたことないライブアレンジイントロだなーと思ったら本当にこのツアーで初披露の憂鬱プリンセスで「そりゃ分かんねーか!」と楽しんでいたライブの終盤、あの日以来Spotifyプレイリストからも消して聞かないようにしてきたドラムイントロが。

シャンデリア・ワルツ

本当に「おいバカ!!!!」って言いかけました。まだ40日ぐらいしか経ってないのに。なんでやるんすか。確かにライブ定番曲ではあるけど。

また半泣きになりながら、それでもまだあの日よりは自我が残りながら身体を揺らしていると田淵が下手側のステージギリギリまで来てお客さん一人一人を見ながら演奏

「あー、確かにこういう感じでお客さんの方まで来るの映像とかで見たなー(なんならここまででも何度も来てくれていた)」と見ているとまた幻想が。

俺の顔見て「おっ!」みたいに気付いた顔してめっちゃはにかんでくれた!?(幻想)

なんかここまで来ると「マジで気付いてもらえてる!?」という思考になってしまい本当に良くない。パフォーマンスする側のファンサは範囲攻撃

そんなこんなで今回は半泣きになりつつも前までのようにノリながらシャンデリア・ワルツを楽しみ、その後も放課後マリアージュで大興奮し(2年前のナインツアーの時は予習していなかったため実質初見)すっかり満足のワイ君。

そのブロック終わり転換中に暗転したステージ上の田淵が二言三言フロアに向けて、というか、俺に向けて何か言ってる…??

何を言ってるか分からなかった(「やった?」とか「良かった?」みたいな短い感じの口の動きだった)のでこちらも頷きながら「良かった!」と何故か口パクで返答。そのままライブは進んでいき終わったのですが、終演後横の女性からライブ中に田淵と喋ってました?」と突然声をかけられ、あぁ、もしかしたら本当に俺に向かって喋ってくれていたのか…?と。

こちらもこちらでライブが終わった直後でテンションおかしくなっており、その一言で堰を切ったように上記のな〜〜〜〜〜っがい妄想早口で捲し立ててしまい、「もしかしたら俺だって気付いて話しかけてくれたのかも」とかいうヤベー発言をする異常者になってしまいました。

でも周りのファンの方が「すごい!」「いいもん見れた!」と喜びを分かち合ってくれて、すごく温かい人に囲まれて大変幸せな一日でした。



あの日泣き崩れることしかできなかった曲を全力で楽しんでいて、そんな姿を見て「楽しかたか?」と聞いてくれたのかもしれない。

もちろんそんなことはなく、ただ目の前のお客さんに対して全力のパフォーマンス(ファンサ)をしていただけの方が真実なんだろうけど、こういう思い込みをしている・できる内が華だとも思うので都合の良いように勝手に思っておきます

荒療治のお陰でシャンデリア・ワルツは帰りの電車の中でプレイリストに戻しました。まだ流れてきたら涙を浮かべる時はたまにあるけど。

「好きな曲」とは別に「大切な曲」が増えた。そんな体験でした。





(余談)

ツアー最後アンコールでシュガビタを演奏中、確かラスサビのところで最前列のお客さんに向けてベースを弾きながら口パクで1フレーズ歌う特大ファンサをしており、前にいた子が見事に田淵に落とされてました。

泣きすぎたせいか柵とステージの間にコンタクトを落としていたらしく、終演後コンタクトを拾って「ありました!」と言って付けようとしてた時に思わず「付けへん方がええって!大丈夫か?」と柄にもなく話しかけてしまった。結局そのコンタクト付けてたけど大丈夫だろうか。裸眼属なのでその辺の匙加減は分からないが。

彼は間違いなく彼に向けられたパフォーマンスを受けているので、彼は彼で多分忘れられない一日になってるんだろうな。

anond:20250211094558

うわ出た

誰でも知ってる豆知識披露してる意味のないオジサン

多分そういうことじゃなくて、ファンファースト呼びに固執する理由知りたいだけだぞ

2025-02-10

プリキュアを降りた

プリキュアを降りた。

より正確に言えば、プリキュアオタクとしてインターネット考察するのをやめた。プリキュアオタクとしてショーやライブなどの現場に通うのをやめた。プリキュアオタクとしてグッズを買い集めるのをやめた。

特に理由はない。プリキュアに飽きたわけじゃないし、アニメは今後も視聴し続ける。

何かきっかけがあったわけでもない。20周年はキツかったけど、それもかなり前の話だ。

ただ、昔ほどワクワクしなくなった。それは確か。

わんぷりは評価も高いし俺も楽しく見てたけど、自分でも驚くくらい最後まで熱意が持てなかった。

あんな楽しみにしてたまほプリ2も、ぶっちゃけ面白いとは思えない。まほプリは大好きだしキャラ活躍するのは素直に嬉しいけど、作品全体としての完成度には疑問符がつく。

プリキュアが変わったのか、俺が変わったのか、あるいは両方なのか、そらすらもよくわからない。

ほとんどプリキュアの話しかしていなかったけど、SNSでのフォロワーはそこそこ多い数を獲得してた。有名人はいかないまでも、プリキュアにまつわる発言拡散される機会は多かったので目にしたことのある人は結構いると思う。

それもやめた。

プリキュア公式イベントは完成披露上映も舞台挨拶ライブ感謝祭も毎回必ず現地参戦で全通してしたし、最速上映や応援上映リバイバル上映も開催されれば必ず足を運んだ。

それもやめた。

プリキュア プリティストアには東京駅での開店初日からずっと通っていたし、グッズが出るたびに早朝から並んだり入店チケットをゲットしたりという戦いの中で生きてきた。

それもやめた。

プの話をしなくなってから、プの現場に顔を出さなくなってから仕事や買い物以外で他人と関わることも減った。プで繋がったフォロワーも、プの話をしなくなると少しずつ距離ができた。

俺は自分人生における貴重な20から40代という時間を、ほとんどプリキュアに注ぎ込んでしまったんだ。

とはいえプリキュアに捧げた時間お金に後悔はない。夢中になるに値するコンテンツだし、大きなお友達なりに実りある豊かな時を過ごさせてもらった。

でもね、それだけなんだ。

後に残ったのはたくさんの素敵な思い出と、貴重ではあるのに売っても二束三文しかならない円盤やグッズ、そして覇気の無いくたびれたオッサンだけだ。

俺はもう50歳目前で、妻も子供もいない。仕事でもそれほど活躍してるとは言い難い。

今もし2004年に戻れたとしても、多分また同じ未来に向かって走ってくるんだと思う。そういう意味では後悔はしてないというより、限りなく諦めに近い心境だ。

若い人達アドバイスがあるわけでもない。世代が違えば価値観環境も違うし、俺が何か言って資するとも思えない。なる人は、どうせこうなるんだよ。

どうして今こんな話をしたかというと。

この週末、わんぷり感謝祭が開催されたらしい。シリーズにとっては卒業式のようなセレモニーイベントだけど、トラブル?があって禍根を残した様子。どうやらレギュレーション曖昧なまま開催されて、わんぱくファン達とうるさいファン達とが骨肉の争いを繰り広げることになってしまったらしい。イベントが終わっても、両者はまだインターネットでそれぞれがそれぞれを正当化して憎しみあっている。

喧嘩しないでほしいなと思う反面、「プリキュア好きに悪い奴はいない、腹を割って話せば仲良くなれるさ」を実践していた時代は完全に過去へと過ぎ去っていったのだと知った。

厄介行為に心を寄せてみる

なぜ厄介と言われるような行為をして当然と振舞えるのだろうか

 

 楽曲がサビ、あるいは曲のラストへ向かって徐々に高まっていき、いよいよ最高潮に到達する直前にある一瞬の空白、大きく跳ぶための溜め、それを塗りつぶす大音量の獣声「イエッタイガー

 

 楽曲の助走とも言える前奏や、曲後半で、曲調と共に大きく聴き手の感情を揺さぶ特別時間である落ちサビを蹂躙し、その時間も周囲の人間感情も黒く塗りつぶす意味不明単語の羅列「ワールドカオス

 

 リズムのいいメロディをその量で蹂躙し、繰り返すことで徹底的に踏み荒らす騒音の大行進「アイアイ

 

 ここでは煩雑さを避けるため、「厄介行為」の内容をこれらのコール系に限定して話を進めたい

 しかし、光害や過度に腕を振り回すなどの身体的厄介行為にも共通するところもあると思っている

 

 もちろん、アニクラのような場所では、これらがその場を盛り上げる“必殺技"として歓迎されているのだろうと思う

 しかし、観客側が声を発することは副次的な楽しみであり、ステージ上のキャストやそのパフォーマンスを鑑賞することに重きをおいている人々が集まるイベント(以後この文章において「イベント」とはこういった場を指す)においては、これらは応援行為として許容される「コール」とは別の、行き過ぎた「厄介行為」として頻繁にトラブルの種になっている

 厄介行為をする者らと、それを忌避する者とが席上で口論をしているのを見かけることがままあるし、終演後のSNSでそういった行為に鑑賞を妨げられたことを嘆く投稿を目にすることはもっと多い

 少なくとも、一定数以上のイベント参加者から「厄介」などと通称されている時点で、これらが賛否両論未満の歓迎されざる行為であることは、イベントに参加する、厄介とそれを拒む人両方にその認識があるところではないかと思う

 なぜ周囲の迷惑を顧みず、また冷ややかな視線に晒されてまで、厄介行為を実行、継続することができるのか。私は永らくそれがわからず、単に周囲の環境無頓着個人性格又は何らかの特性がそれを可能にするのだと思っていた

 しかし先日あるキャラクターコンテンツイベントにおいて、自分史上最低最悪、四方を厄介に囲まれ、視界は飛び跳ねるオタク背中が全てを覆い、気持ちは顔のそばで振り回される腕や肘にステージどころではなくなり、耳はアイアイ・ワ!ワ!・イエッタイガー!に塞がれて曲も歌声も届かない、本当に地獄のような環境イベントに参加してきたのだけれど、諦観に包まれて心を殺しながら、それまでと違う見方で厄介行為に夢中になる彼らの心を少しばかり理解したような気になった。

 

 ふとそれは、クラスや友人同士のコミュニティ内の「ノリ」が生み出す光景に似ていると思ったのである

  誇張され過ぎた担任教師モノマネ、お調子者が鉄板にしている道化じみた言動流行りの芸人ネタの粗末なコピー。一人冷静になれば何故?と思うようなことを、絶対面白い」と感じてしょうがなかった経験は、私にもある

 

 ああいった「面白さ」は、まずそれが「面白い」という認識を共有することから生まれる。個々人が心の底からそれを面白いと思っている必要はなく、ただその身内においてそう認識されていることで、それは「面白い」ことになる。

  「面白い」ことを共有できていることは、身内という集団価値を高めていると所属者に感じさせる。逆にいえば、身内においては共有された面白さは守られなければならない。そうでなくては今度は身内というクラスタが価値を損なうからだ。

 したがって、身内の中で「面白さ」は繰り返し確認される。ここでいう確認は、再評価を行うことではなく、身内の中でその価値観を固めていく作業であり、それ以上に、所属しているものがその価値観を共有できていることを確認することだ。

 学校クラスや、サークル趣味の仲間のような限られた世界で生きる者たちにとって、そのクラスタに所属していることは非常に重要なことだ。クラスタへの所属は、所属者のアイデンティティに深く結びつき、自己のものに近い認識を持ち、クラスタを追い出されて孤立し、孤独になることを心の深層で恐れている。それは例えるなら、ジャングルで一匹のサルが群れを追い出されるのと同じく、極めて心細く、シに近いところへ追い出されることに違いないのである

 それ故に、クラスタの所属者たちは、自らがそのクラス価値を高め、維持することに貢献できることを示し、自分クラスタにとって有用な「身内」であることを示そうとする。

 

 クラスタの価値は、既に述べたように、「面白さ」を共有していることで高まると考えられているため、有用な「身内」であることを示したい所属者たちは、積極的にその「面白いこと」を繰り返し、さらには誇張し、エスカレートさせていくことで、自分が「面白さ」を共有できる「身内」であることをアピールする。彼らはそのクラスタの内部において「ノリがいい」と評価され、これこそがそのクラスタに所属し続ける条件になる。

 同時に、クラスタの価値イコールである面白さ」を共有できない存在を、クラスタとその「身内」は許さない。「面白さ」を疑うことは、すなわちクラスタの価値を疑うことだからだ。そのような「ノリの悪い」者は「身内」とはみなされず、クラスから排斥される。

 

 彼らにとってその価値感を共有できる「ノリのいい身内」こそが重要であり、それが世界の全てになっている。排斥すべき「ノリが悪い」人間などはまったく気にかける必要はない。 むしろそういった「ノリが悪い」人間否定することによって、クラスタとそこに属している「ノリが良い」身内の価値を、身内の中で確かめていく。自分自身は排斥されないよう「ノリが良い」ことをここでもアピールしなければならない。

 

 イベントで厄介行為をする者たちも、こういったクラスタの一つなのだ

 

 彼らはその狭い世界で、「イエッタイガー」、「ワールドカオス」、「アイアイ」というような厄介行為を「面白いこと」として認識し、共有する。 

 雑談に交えて、カラオケボックスで曲に合わせて、自分たちの中でそれが「面白い」という価値観を踏み固めていき、そしてとうとう、自分たちだけのものではないイベントにもそれを持ち込む。

 厄介行為に耽る彼らをみて、私は不思議に思っていた。彼らの中には、手を頭上で激しく叩くために顔は俯いている者、全身に力を入れようと目を固く閉じ天を仰ぐようにして大声を出すもの、飛び跳ねながら頭を振り乱しているものがいる。自分の声で曲が聞こえていないのはもちろん、ステージもまるで見ていないがそれでいいのかと。

 しかしこう考えてみれば、ステージ上のキャスト達さえ、彼らにとっては世界の外の存在なのだと気がつく。より激しい身振り手振りで自分の「ノリのよさ」を「身内に示せる」のであれば、ステージ上で何が起きているかさえも、彼らにとって問題ではない。

 

 今披露されている曲に個々人がどんな想いを抱くかよりも、クラスタにとってその曲をどう認識しているかが優先される。「イエッタイガー」が入る曲、「ワールドカオス」が入る曲、「アイアイ」が入る曲、それぞれクラスタがそう認識しているのであれば、そこにノリ遅れるわけにはいかない。

 

 彼らは、周囲の相反する感情に対して耳を閉ざす一方、同様の思想クラスタが隣接すれば、たちまち共鳴して自分たちの価値観を補強する。

 この“クラスタ”は、構成員が一人でも成り立つ。ネットや、他のクラスからその価値観を仕入れた彼は彼の中でその価値観を踏み固め、自己を受けれない周囲をその心から排斥して世界形成する。そこには人と人との間に生じる揺らぎが起きづらい為にかえって強固にさえなりうる。

 

 彼らにまったく罪悪感がないわけではないのだろう。周囲の冷ややかな視線に負けて、声が小さくなってやがてどこにいたのかわからなくなっていくクラスタを見ることもままある。

 所属者が価値観を維持できなければ、クラスタも維持できないのだろう。 近くの観客に厄介行為を直接咎められたクラスタの者たちが「それくらいで怒るなよ」と嘲るようにしてみせるのを目撃したこともあるが、自分たちの行為肯定し、相手を狭量と否定するのもお互いをそう位置付けないと価値観を守れないということだろうかと思う。

 心を安住させるクラスタと、そこへの帰属を守るため彼らもある種必死なのかもしれない。

 

 しかし、そうと思い至ったところで、それに巻き込まれ自分イベントにおける体験を彼らに台無しにされることを許容する余地は全く生まれなかった。

 温かい目で見てやることはできない。とはいえ結局のところ、私たちに彼らの行為から身を守る方法ほとんどない。私が彼らの隣の席になった時、彼らが私にもたらす不快感から逃れるため、彼らの鼻がひしゃげる程度にぶん殴ったとして、正当防衛が成り立つのかは、判例があったら伺いたいところであるが、なければ当面は祈るしかない。 

 私たちイベントに参加するとき、まずチケットが当たることを祈り、次に少しでも良い席につけることを祈って、最後に周囲に厄介なクラスタがいないこと、せめてそれが複数隣接しないことを祈るしかない。

 例えそれが、推し卒業に関わるような、取り返しようのないイベントであっても。

 

 もっとも、個人的な認識でいえば、例えセットリストの変わらないツアーの内の1公演でも、その時間、その体験を後からとりかえせるイベントなど、ありはしないのだが。

2025-02-07

QUARTET NIGHTの「よさ」を共有したい

うたの☆プリンスさまっ♪というコンテンツ出会いQUARTET NIGHT通称ルナイ)のファンになって5年が過ぎた。

ルナイのピークと言っていい2018年ファンになり、キャストである鈴木達央氏を耐え忍ぶという急降下を経験し、いよいよ単独ライブTABOO NIGHT XXXX」が全国の映画館で上映される「カルナイイヤー」を迎えた2025年、カルナイへの気持ちは増すばかりだ。

しかコミュニケーション能力に難がある私にはカルナイの「よさ」を共有できる友人が一人もいない。そもそも友人がいない。

からここに、いちカルナファンとしての気持ちを、どこかのカルナファンと共有できるかもしれないというわずかな希望をもって記すことにした。

うたプリというコンテンツ

うたの☆プリンスさまっ♪通称うたプリ)の原作は、アイドルとの恋愛が売りの乙女ゲームだ。

それがアニメキャストライブスマホアプリゲーム3Dライブライブ映画SNSラジオ活躍の場を広げていくうちに、アイドルコンテンツとしての支持層も獲得し、CDリリースすればある程度の売上は見込めるまでのジャンルに育っている。

うたプリの最大のいいところは、「アイドルはこの世界実在する」という建前を取ってくれるところだ。アイドル公式SNS日常生活メンバーとの交流を報告してくれるし、公式は「描き下ろしイラスト」ではなく「撮り下ろしフォト」と言ってくれる。声優キャスト)も「神宮寺レンとあなたをつなぐ諏訪部順一です」「美風藍の親友蒼井翔太です」などと言ってくれるので強めの幻覚が見れる。とてもありがたい。

アイドルグループとしては3グループあり、いずれもグループカラーが明確で住み分けが出来ているので、きっと誰しもがどれか1グループは「刺さる」ようになっている、と思う。

ST☆RISHの「よさ」

ST☆RISH通称スタリ)はシャイニング事務所所属の7人組の王道アイドルグループであり、言わずと知れたコンテンツの顔である。ちなみに原作ゲームにはスタリというグループ存在せず7人のソロアイドルとしてストーリーが展開される(グループ結成はアニメ軸)。

スタリのよさは何と言っても「多幸感」だと思う。

アニメにも描写があるが、スタリの曲を聴くと温かく幸せ気持ちになる。「生まれてきてくれてありがとうね」って言ってくれるし、「君の名も含めST☆RISH」って歌ってくれる。「STRT OURS」という曲に至っては優しさに満ちていて、鬱のときに聴いたらスタリ担でなくとも泣いてしまう。

7人とも個性豊かだけど共通して精神面が大人平和主義なので癒しと元気を求める人に全力でオススメしたいグループだ。

HE★VENSの「よさ」

HE★VENS通称ヘヴ)はレイジング事務所所属アイドルグループこちらも7人組。昔はST☆RISHライバル存在であったが共演回数が増すにつれて仲間のような立ち位置になっている。個性豊かなプリンスの中でも一際個性的で、だけど喋ると何だか可愛い、そんなメンツが揃っているように思う。

なお、ヘヴは原作ゲームでは登場すらしていない。

ヘヴのよさは、良い意味宗教性の強いところだと思う。とにかく世界観がある。

メンバー同士がメンバーという関係性でなく「家族」である公言しているし、ファン「エンジェル」と呼び精神的にも強固に結び付いている。楽曲宗教楽曲のような荘厳さがあり、ダンスも一糸乱れぬシンクロダンス。3グループ合同ライブでも初見で強烈なインパクトを残すのでこのジャンルにおける「新規ホイホイ」となっている。

QUARTET NIGHTとは

QUARTET NIGHT通称ルナイ)とは、シャイニング事務所所属の4人組アイドル、スタリの先輩という位置づけである

グループとしてら唯一ゲームにも登場する。

QUARTET NIGHTの「よくなさ」

当たり前だがどのグループにもよい部分、悪い部分があり、カルナイも然りである

後ほどカルナイのよさを何の気兼ねなく叫ぶためにも、その前にカルナイのよくない部分を語っておきたい。

鈴木達央氏の存在

鈴木氏の賛の部分は後述するのでここでは否を語っておく。

ルナイの最大のウイークポイント、それはメンバー黒崎蘭丸キャストである鈴木達央氏だ。

鈴木氏は元々失言が多く、スキャンダルからジャンル内ではしょっちゅう叩かれている人だった。カルナファンの私としてもヒヤヒヤするような軽口が多い人という認識だった。

そこにあのスキャンダルを起こした。ジャンルという小さな枠を超えて一般層にまで届いた醜聞で、鬼が金棒でぶん殴ってきたかのような衝撃だった。公式から鈴木氏続投のお知らせが発表されるまで、カルナイがなくなるかもしれない、蘭丸がいなくなるかもしれないという恐怖で、大げさではなく身体が震えた。

蘭丸ファンも目に見えて減ったし、きっとこれから付く「タブナ新規」もこのスキャンダルの影響で本来よりも少なくなるんだろうというのは想像にかたくない。

圧の強さ

これはよさでもあるし、よくなさでもあるなという部分であるが、カルナイの圧の強さが苦手でスタリとヘヴだけ推しているという人も見かけるくらいカルナイの圧は強い。

ルナイが巷でよく言われる批判は「上から目線」「後輩の前で(ファンの前で)喧嘩するな」「嶺二が可哀想で見てられない」等々だが、全くもってそのとおりである

QUARTET NIGHTの「よさ」

いよいよ本題。

ルナイのよさ、それは第一に歌である

(前提として、うたの☆プリンスさまっ♪というネーミングだけあってスタリもヘヴも当たり前に歌が上手い。その上で)カルナイは4人組だが、見事に高音、中高音、中低音、低音と得意な音域が分かれており、しかもそれぞれがボーカリストとして高い技術を持って存在してる。

音源でもライブでも、お互いの存在を確かめ合うように歌い、お互い煽り合うように相乗効果で伸びていく。

カミュキャストである前野氏が「4人で歌ってると何だか無敵な感じがする」と言っていたが、聴いているとまさにそんな錯覚に陥るのだ。

決してスタリの歌のように多幸感を得られるわけではないが、カルナイの歌を聴くとずっとこの音楽を聴いていたい、私はこの音楽聴くために生まれたのだ、という気持ちにさせてくれる。

ここからメタ的な話になるが、キャストで見たときに森久保氏、鈴木氏、蒼井氏は、声優個人として音楽活動をしており元々歌が上手い人たちだ。対してカミュキャストの前野氏はカルナイ以外では音楽活動をしておらず、本人もそれを気にしているような発言を何度かしている。

そんな中、カルナイのキャストは、カルナイとしての場数を踏むにつれて明らかに全員がスキルアップしている。

特に前野氏は、初期の楽曲である「QUARTET★NIGHT」と比較して、最新楽曲であるTABOO NIGHT XXXX」ではラップのようなウィスパーボイスも巧みにこなし、耳を疑うほどの成長を遂げている。

また、元々歌の上手い3人も、近年では更に難易度の高い楽曲に挑戦したり、繊細なニュアンス歌詞行間を伝えてくれたりと新しい顔を見せてくれている。

私はカルナ自身も大好きだが、このカルナイのキャストの「カルナイのためにスキルアップする努力を惜しまない」ところも大好きなのだ

「JINN - Ω - RAY」の歌詞そのままに「1秒先の未来すらも進化している姿」を見せてくれる4人に心から感謝したい。

キャストダンス

見出しキャストの、とわざわざ付けた理由は単純で、カルナイのダンス個性的過ぎてバラバラ個人的には好みではないからだ。

そしてキャストダンスをわざわざ列挙する理由は、ダンスが本職のアイドル並みに上手いとか、そういうことではなく、前述した歌にも通じることだが「カルナイのためにここまでの努力してくれる姿」が好きで、そこに愛を感じ、その気持ちがありがたいという理由である

前述のとおり私は、鈴木氏には一種恨みのような感情を抱いてはいるが、同時に感謝してもしきれないほどの恩を感じている。その最たるものが「カルナキャストダンスである

鈴木氏が、ダンス経験はないが蘭丸のために踊ると決意してくれたこと、森久保氏が当初ダンス難易度を下げようとしたときに「ダサいっすよ」と発破をかけてくれたこと(それに森久保氏が応えてくれたことと含め)、何ヶ月も前から練習に入ってメンバー士気をあげてくれたこと…キャストライブでカルナイがここまで「踊るグループ」になったのは、紛れもなく鈴木氏の功績である

メンバー個性

ルナイのメンバーは嶺二以外、第一印象があまり良くないタイプだが、知れば知るほど沼る依存性がある。以下に簡単に書いておく。

【寿嶺二】

ルナイ最年長で精神的支柱。嶺二の存在がカルナイを存続させている。

愛嬌があって人当たりがいいが芸歴が長く、あの一ノ瀬トキヤに「食えない人」と言われるほど手の内を見せない。

大人っぽさ、無邪気さ、繊細さ、色気、清純さ…嶺二の中に全てを感じて多面性に沼る。

黒崎蘭丸

柄は悪いが根は優しく、面倒みがよい兄貴肌。弱気を助け強きをくじく。料理も上手く、意外にも言葉気持ちを伝えてくれるタイプなうえ、記念日花束を買うマメさまである。実は欠点がないスパダリなので普通に沼る。

【美風藍】

ルナイ最年少。

とある事情から世間知らずなところがあるが純粋で真っ直ぐ。最年少なのにことあるごとに先輩風を吹かせてくるところがかわいいので年下男子好きは沼る。

カミュ

優しい「執事モード」と偉そうな「伯爵モード」を持つ二面アイドル。どれだけ砂糖を食しても病気にならない頑丈な内蔵を持つ。この態度のデカさでカルナイの年下組という事実が愛しい。

とにかくゲームはAIIStarAfterSecretまでしてほしい。そこまでやらないとカミュのよさは伝わらないし、ASASまでやればもう沼ってる。

メンバー関係

スタリのメンバーには同室組という、旧ジャニーズでいうシンメのような存在メンバーがいるが(セシル以外)、カルナイにはそういった概念存在しない。ただ4人しかいないため各組み合わせにファンがいる。

【嶺二、蘭丸(まいらす)】

ルナイ年長組。蘭丸から嶺二への当たりは強いがお互いを認め合っていて、相方相棒公言している。

【嶺二、藍(心友)】

最年少と最年少。親友でなく心友

原作で、嶺二が自分(藍)と他人(藍似の嶺二の友人)を重ねて見ていると気づき拗ねる藍がとてもかわいい

.【嶺二、カミュキラキス)】

ひたすら塩対応カミュとそれを包容力で受け止める嶺二。上辺なようでたまに芯をつく。

これぞカルナイというやり取りが拝める。

蘭丸、藍(ハルハナ)】

蘭丸の兄気質と藍の弟気質が発揮される組み合わせ。ASASの藍ルートでの自転車のくだりがオススメだ。

あと普通に歌が上手い。

蘭丸カミュ(ノンフィク)】

カミュ喧嘩を売って蘭丸がそれを買って一生喧嘩してるいるが、大体蘭丸は悪くないことが多い。

【藍、カミュ(デレラ)】

ルナイの年少組で自他ともに認めるかわいい担当

流石のカミュも藍には優しい(優しくはない)。

3人のカルナ

最後備忘録的に書いておく。

2021年に開かれたうたプリの合同キャストライブ(マジLOVELIVE7th STAGE)では鈴木氏がスキャンダルの影響で欠席となった。

そんな中、登場した3人は、3人でカルナイのユニット曲パフォーマンスして3人のソロ曲を披露したあと、蘭丸ソロ曲を踊ってくれた。

その合同ライブソロ曲をしたのが3グループの中でカルナイだけだったので当然叩かれたが(当時も、今でも叩かれたのは当然だと思っている)、3人が叩かれるのを覚悟のうえでこの方法を選んで、蘭丸ステージに立たせてくれたその気持ちが嬉しかった。

3人には、カルナイを守ってくれてありがとうとお礼を言いたい。

最後

これから映画館で、きっとそのあとにはどこかのライブ会場で、カルナイの音楽を浴びれる。しかもその音楽は今よりも更に進化した音楽だ。

キャストもカルナイイヤーに向けて決起集会をしたと言っていた。

どんなカルナイが見られるのか、今はただ5月9日が待ち遠しい。

2025-02-05

お笑いバイアスロン」という賞レースについて

日テレが「ダブルインパクト」という、漫才コントの両方で競うお笑いレースを始めるらしい。

https://www.ntv.co.jp/double-impact/

それを見て、そう言えばそっくりな賞レースがあったな、と「お笑いバイアスロン」のことを思い出した。

https://www.qab.co.jp/OWARAI!biathlon-2023/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%B3]

沖縄地方テレビ局が開催する賞レースである。小さい島の沖縄だが、なぜかお笑い関係芸能事務所がそれなりの規模のところで3つ(FEC・オリジン・よしもと沖縄)あり、それなりの人数の芸人がいる沖縄では、以前から「O-1グランプリ」という沖縄芸人によるお笑いグランプリがあったのだが、そこに2013年から他局が始めたのがお笑いバイアスロンだった。

出場したことなどもちろんないし、テレビしか見ていないか放送された内容しか知らないが、テレビ放送される決勝大会では、1巡目にコント、2巡目に漫才ピン芸人漫談)をやって、それぞれ得点を付けて合計点で競う形式だった。一時期の全員が2回ネタ披露するキングオブコントに近い。

そして、お笑いバイアスロン沖縄芸人にとって重要だったのは、審査員によるところが最も大きいと思われる。

11年続いたこ大会審査員は、2回目から一貫して 伊藤正宏、内村宏幸鮫肌文殊高須光聖中野俊成 という、中央活躍する放送作家達だった。決勝大会進出者は、コント漫才のそれぞれで放送作家達から直でコメントがもらえる上に、もしかしたら個人的に「ハマる」かもしれない、というのが芸人達にとって最大の魅力だったと思われる。例えば、ありんくりん等は、コレがきっかけで中央でもちょくちょく見るようになったのではないか

放送作家達がなぜこんな仕事を引き受けていたのかは分からない。初期の、地元ネタばっかりだった頃のコメントは苦しそうに絞り出しているように見えるところもあったが、年に一回、沖縄に来て骨休めみたいな事が出来るという気持ちだったのかもしれない。

コロナ禍では無観客だったりリモート審査になったりしていたが、2021年沖縄出身東京活動する大自然が決勝に進出した。前述の「放送作家に見てもらえる」というメリットに気付いたのかもしれない。参加規定上は沖縄在住・活動出身等の制限はなかったから、東京芸人が出場することに何の問題も無かった。

そして2023年お笑いバイアスロンは「ドリームチャンプルー」と称して、過去優勝者が別の芸人指名し、コンビorトリオコント漫才に挑む、TBSドリームマッチ」のような形式になった。もしかしたら、沖縄出身者以外の応募が相当増えてきて、放送しても「県民のヒキが無い」ことを気にしたのかもしれない。そして休止した。

それから2年。ダブルインパクトが始まることには何の感慨も無いが(沖縄って日テレ系ないし)、そのタイミングで思い出したので書いてみた。

2025-02-04

anond:20250204110446

ジークアクスでいうと公式がもう全部披露してるのでファンによるさらに深い考察フェーズになってると思う

2025-02-02

[]2025-02-02-2

エルダは、ナッキが死んだ瞬間を今でも忘れられない。あの闘技場の血塗られた砂の上で、彼の命があっさりと奪われた。首を切られた瞬間、ナッキは一言も発せずに倒れ、視界から消えていった。その時の冷徹感覚、そして自分の中に湧き上がった怒りと無力感は、今も消えずにエルダの心を締め付けている。

 

あれから数日後、エルダはナッキの代わりに新たな相棒を選ぶことに決めた。その相棒こそが、ジョー・ガラだった。女性剣闘士として珍しい存在であり、さら彼女がナッキを倒した戦士であるという事実は、エルダにとって複雑な感情を呼び起こした。

 

だが、戦場ではそれが全てだ。過去を引きずっていても何も変わらない。エルダは覚悟を決めて、ジョーに声をかけた。

 

「来週の魔獣狩り、一緒に行くか?」

 

ジョーは短く、無表情で答える。

 

「勝てばいいんだろ。」

 

その言葉には、冷徹無駄のない意志が宿っていた。だが、それだけではなかった。エルダは感じ取っていた、彼女の内側に隠された痛みを。ジョー冷徹さは、戦場での自分を守るためだけではない。誰にも頼らず、決して心を開かないようにしている自分を守るためだった。

 

二人は次第に戦闘の準備を進めた。魔獣狩り舞台は、都市の外れにある古代の森の中だった。このイベントは単なる狩りではない。観客が集い、興行として扱われる。まるで見世物のように、魔獣を仕留めるために選ばれた闘士たちが、その腕前を披露する場となるのだ。街の賑やかな市場で、観客たちは期待と興奮を抱えて集まり金銭を投じて席を確保する。高価な席に座る者たちは、豪華な服を身にまとい、野次を飛ばすためにやって来る。

 

その空気は重く、ひんやりとした霧に包まれており、時折木々の間から魔獣の低い唸り声が響いてきた。エルダは装備を整えながら、ジョーに問いかけた。

 

「アレ、どう思った?」

 

ジョーは一瞬目を伏せ、その後、しばらく黙ってから答えた。

 

「勝ててよかった。それだけだ。」

 

エルダはその言葉に何かを感じた。冷徹であろうとする彼女の背後に、誰にも言えない過去の傷があることを。エルダは無理にその話題を深く追うことはなかったが、ふと、ジョー自分と似ていることに気づく。自分過去を切り離して生きることが、どれほど難しいことか、彼女もよく分かっているはずだ。

 

その夜、二人は森へ向けて出発した。闇が深まり、薄明かりの中で魔獣の息づかいが間近に感じられた。エルダは無言で歩きながら、自分に問う。

 

『何を探しているんだ?』

 

戦いの中で勝ち続けること、それだけが自分存在証明だった。だが、この先、どれだけ勝ち続けても、ナッキの死は消えない。

 

森に足を踏み入れると、冷たい霧の中に巨大な影がちらつく。魔獣の気配が増す中、エルダは剣を抜き、前方を睨みつけた。ジョーも同様に、矢を構え、静かに息を潜める。二人の呼吸が一致し、まるで一体となったかのように動き出す。

 

観客たちが遠くでざわめいているのが聞こえる。彼らの目は、次に登場する魔獣と、それを迎え撃つ闘士たちに注がれていた。賭けが行われ、金銭がやり取りされ、観客たちの期待は高まっていた。魔獣の命は、ただの娯楽となり、命のやり取りがゲームとなってしまう。エルダはそのことを承知の上で、ただ無駄に死なないように戦うしかないと自分に言い聞かせていた。

 

突然、巨大な獣が霧の中から現れた。鋭い爪と牙が光を反射し、まるで幽霊のように不気味に迫ってくる。その目は赤く輝き、怒りに満ちていた。

 

「来たか。」

エルダは冷静に言った。その言葉には、今までの戦いのすべてが詰まっている。

 

魔獣は唸り声を上げて襲いかかってきた。その瞬間、エルダとジョーは一緒に動き出した。エルダは前に飛び込むように剣を振るい、魔獣の爪をかわしながらその腹部に一撃を加えた。ジョーは素早く後ろから矢を放ち、魔獣の首元を狙った。

 

魔獣は痛みにうめきながらも猛然と反撃してきた。その鋭い爪がエルダの鎧に引っかかり、わずかな隙間から血が流れ落ちる。エルダは歯を食いしばりながら、その隙間に剣を突き立てた。ジョーの矢が再び魔獣の目を貫く。魔獣は大きく身を震わせ、地面に倒れ込んだ。

 

「やったな。」

エルダは息をつきながらジョーを見た。

 

ジョーは無言で矢を抜き、もう一度振り返る。その目には、ほんの一瞬、安堵の色が浮かんだが、すぐに冷徹な表情に戻る。

 

「次も勝つだけだ。」

 

エルダは少しだけその目を見つめた後、静かに頷いた。戦いが終わった後も、二人にはそれぞれの闇がついて回る。それでも、戦場ではそれを背負っていかなければならない。それが、彼らの運命からだ。

anond:20250202114540

弱い強いは他との比較で決まるものであって、増田お気持ちで決まるものではないから。

増田披露している限りの状況から勘案するなら、増田弱者とは言い難い。

2025-02-01

たった一度だけ信じさせればいいだけなんだよな

海外でこういう実験があったんだよ

大きな会場を用意して超能力のショーを開催する

超能力者はその能力を存分に披露して観客を驚かせるんだよ

んで、ここからが肝心なんだけどさ

その超能力ショーは完全に主催者側のドッキリでタネは全部用意されたものでしたよって後から公表するの

そしたら、どうなったと思う?

「だまされたー!」と怒って大騒ぎになった?いや、違うんだなこれが

半分以上の観客が超能力タネも仕掛けもない本当の能力だったと主張し始めたんだよ

これって凄く重要な学びがあるよな

一回信じさせちゃえば、後からだって言っても意味ないんだよ

半分以上の人は自分最初に信じちゃったものを変えられないんだから

全部でっち上げですって言っても、適当な納得感ある理由に飛びついちゃう

超能力の件で言えば、当局から本当の能力だとバレて身の危険を感じたから嘘ってことにしたんだみたいなさ

お前らも最初信じちゃったから変えられないことないか

芸能人の性加害とかテレビ局性接待とかさ?w

知り合いがキツイ感じになってきててそろそろしんどい

知り合いがキツイ感じになってきててそろそろしんどい

彼とはたまにリアルで話す程度の関係性なんだが、コロナ禍辺りで実社会との関係が薄れたせいか

その間にネット陰謀論系にどっぷりとハマってしまいすっかり典型的ネトウヨ系の人と化してしまった

からネトウヨ気味ではあったけれどタガが外れた感じだ

彼は未だに故人となった安倍晋三氏の熱烈な支持者、というか信者を続けているし、今もトランプ氏やその側近が反感を買う様な事をすると

安倍さんが居てくれれば話し合いが出来たのに!左翼テロリスト許さん!」

安倍晋三氏が統一教会と深い関係にあった事やそれらが引き起こし問題被害を受けた多くの方々の事などは見て見ぬふりをして

自分が気に食わない対象はその実態や背景なども考えず全て左翼リベラル扱いしてしま

非常に雑な認識ドヤ顔披露してしまう様な有り様だ

思えば以前から彼には少し違和感を感じる部分があった

彼は地方で小さな会社社長をしているのだが、何かにつけて自分経営者である事をアピールする事が多かった

彼の言動を見る限り普通に会社員として働くのは中々厳しいと思うので

誰かの嫌な上司、あるいは扱いに困る部下となって全体の足を引っ張ったりするよりは、小さな会社社長である方が良いだろうとは思う

ただそんな部分が彼自身コンプレックスなのか、隙あらば社長という立場を自慢する事に余念がなかった

書いていて思い出したが彼は自分が既婚である事をアピールする場面も多かった

惚気話とはまた違う、なんというか自分が「普通」であり「世間から馬鹿にされる対象ではない」事に妙に拘る場面が多かった

要するに彼は非常にプライドが高いのだが、会社も家庭もその具体的な内容に話が及ぶとすぐにはぐらかしてしま

その詳細に触れられる事を恐れているようでもあった

そんな彼のSNSで流れてくる発言を見ると、結構な頻度で平日の深夜や昼間からネトウヨ的な言動を繰り出しており

実態はどうか知らないがこの様な人物社長、あるいは夫なのは余計な苦労が多いだろうなと思う

一応義理でしている相互フォローを外したいが、彼の事なのですぐに気付いてきそうでそれも辛い

そうした自分の行動(恐らく彼の中では活動のつもり)に感想を求めてくるのもやめて欲しい

そんなSNSでの彼の発言も、社会人としてそれは絶対に言うべきではないし、リアルで言えば確実に問題になるであろう発言ですら

彼と同じ様な人々から沢山の「いいね」がつけられてしまっている

これでは彼は自分発言がどれだけ酷い内容か、一般社会から見てどれだけ常識を欠いた内容かを理解できず

寧ろ自分は正しい事をしていると勘違いしてしま

彼があそこまで酷い状態になった原因の一つはこうしたSNS環境のせいでもあるだろう

今のアメリカでは価値観や物の考え方、受け止め方などの分断が深刻な問題らしいが

彼を見ていると日本でも同じ様な状況になるのは多分時間問題に思えて憂鬱

「真の弱者は助けたくなるような姿をしていない」などと言われるが

今後も不景気が予想される日本では小さな会社はかなり不安定存在であり

もし彼が困った事になった時にはリアルでの関係から自分が助けなければいけなくなるかもしれないのも含めて只々しんどい

この不安現実にならないことを切に願う

2025-01-31

お粥作りの題材がいろいろある増田酢魔ル阿ロイロイ外在だ海苔くづ湯カオ(回文

おはようございます

なんだか外は曇っていて雨が降りそうなのか降らないのかって感じだけど私は鞄に折り畳み傘を忍ばせさておいてあるから余裕なのよ山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうの。

雨降りかどうかって、

考えて傘持って行くか持っていかいかって考えている時間無駄なので、

いつも持ち歩いているの。

それで事欠かないわ。

最近お粥作りの私の型が決まってきたような気がするわ。

もちろんテーマは「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」ってのを念頭には置いていてそれを基本となるベースにして元にして考えるというか、

サツマイモお粥が美味しすぎてリピしまくりってことなのよ。

あと具材シメジに鶏モモ肉で決まり

これで結構決まるから安定の美味しさなの。

鶏肉なんて1枚肉をそのまま鍋にぶっ込めば出来上がりに掻き混ぜたとき

お玉で掻き混ぜる衝撃の微かな力でもほろほろに崩れて一種の細かい具材のようになるから均等にお粥に行き渡るの。

一枚肉をそーっとそーっと取り出して

お皿の上でスプーンでほぐしながら食べるっつーのもなかなかお粥エンタメとしては見所のある食べ応えるところでもあるわ。

最近追加して良かったのが前も行ったけれども

押し麦ね。

これも投入して炊き込んでお粥作ると絶品だわ。

あと味付けは最初から張り切って付けない方がいいかもしれないという方向性示唆しつつ、

それはなぜかというと、

結構お粥って1回で作る量がたくさん出来ちゃうので、

どうしても数回に分けて食べることが多くなるので途中で味変して味をチェンジして味わい深いいろいろな味に染め直すことができるってことができるから

あえてほとんど最初は味付けしないって程度がいいかもしれない。

私が以前、

モモ肉は味付けしてなくって素朴な味の鶏の鶏肉モモ肉の味しかしないって思っていて

ちょっと下味入れた方が良いのかもしれないと思ってからまだ試してないので、

それも一度試してみようかなってガッテンガッテン!って思うほどやってみたいとは思っているけれど、

まだ実践投入はしていないところね。

研究としては

下味を鶏モモ肉にしてみるということと、

鶏肉を倍増してもいけるかどうか?ってこと。

倍増と言っても2倍ではないかもしれないし、

2倍になるかもしれないわ。

募集はしていないけれど募っていると言っているようなものよね。

1回鶏モモ肉2枚入の食べ応え充分の、

そうよ私のお粥の作るテーマの「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」に相応しい感じになると思うわ。

あれまた牛スジでやったらどうなるのかしら?

胃に優しい消化しやすいでお馴染みのお粥なのに具は牛筋入れちゃう

いや入れちゃおうと考えているのは相対する矛盾たかんじがするけれど、

牛スジのお粥ってパンチあると思わない?

そうよこれもまた私のお粥作りのテーマでもある「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」沿う感じのパンチさは与えてくれると思うの。

ただ牛筋は下処理はした方がいいかもしれないわね。

下茹でして綺麗に洗う程度でいいと思うの。

あと分からないのは時間加減よね。

これ通常の今私が流行って流行してハマっている時間が15分でしょ?

たぶん15分じゃ牛筋を粉砕できないかもしれないし、

これは時間がどのぐらい必要なのかは研究結果の発表を披露するまで待って欲しいわ。

そして発表するときは、

「牛スジはありまーす!」って割烹着を身に纏った小保方スタイルで発表するの!

牛スジはありまーす!って自分で入れてんじゃん!

あって当たり前よね。

その当たり前のことを当たり前に研究するのが、

私のお粥研究のことであるから

牛スジの存在は認めなければいけないわ。

これはあくま概念としての牛スジであって、

食べ応えのある私好みの牛スジに仕上がったときに始めて「牛スジはありまーす!」割烹着を身に纏った小保方スタイルで発表できると思うの。

時間はそんなにかけないと崩れないと思うから

よっぽどじゃないと

圧力鍋の中で牛スジが煮すぎて無くなって溶けてしまうってことはないと思うのよね。

モモだって入れたまんまの形を保ちつつほろほろに1ミリでも触れれば崩れてしまう感じの仕上がりになっているから、

多分牛スジも対圧力鍋耐性はあると思うので、

じっくり煮込まないと崩壊しないと思うわ。

研究したい具材テーマが増えてきて

ここで整理しておくとやってみたい具材

ビンテージツナ缶塩昆布お粥

「牛スジ」お粥

って2つしかないけれど、

これ1つのテーマ題材に1週間ぐらい研究余地の期間と研究費が必要なので、

そう簡単には次の研究テーマにはなかなか移れないのが事実なのよね。

コンロが2口ある3口あるとかそういうコンロの火の数のことの問題じゃないことはタニコーの五徳のようにそのような如くなの。

作ったとて食べなきゃいけないじゃない。

ちゃんと味の検証もしなくては火が通ったかけが研究じゃなく、

最終の着地地点は美味しさってのもあるから

それが一番大事重要ポイントでもあるの。

あと地味に圧力鍋調理したあとの分解洗浄が面倒。

食洗機にツッコめないデカさなので

これも少々やっかいよ。

あと洗って乾かしたら鍋の部品を組み立てる作業

ドモホルンリンクルを作っては分解して洗浄してまた組み立てて生産するやつかーい!ってレヴェル。

ドモホルンリンクルを作る人の気持ちちょっと理解できるような気がしたわ。

でもさ、

なんか私の圧力鍋

鯖の水煮を作りまくりまくりすてぃー作りすぎて、

鍋に鯖のニオイがするの。

さすがに「美味しんぼ」であった

フグ鍋をして鍛えた鍋で、

お米を入れただけで河豚雑炊ができるってところまでは育ってないけれど、

凄い鯖の香りがする私の圧力鍋

そう言えば前回の作る工程ではそのことをすっかり忘れていたので、

鯖印象がなく、

ニオイが知らない間に鍋のは消えてしまっていたかも?って具合よ。

今度鼻に意識フォーカスして集中して鍋の鯖のニオイが消えたかどうか感じてみるわ。

考えるより感じろ!

何かカンフーの達人が言ったような台詞だけど

お粥作りにもそういうことが共通しているのよねきっと!

から私が洗濯物をしてタオルを干している作業も、

師匠様いい加減洗濯物を干すばかりの修行者なくて手合わせしてくださいよーって弟子が言って、

それなら掛かってきなさいってお師匠様が言うじゃん、

でも弟子はいままでお洗濯の干すことしかやってなかったからいきなり師匠と手合わせといっても戸惑うの。

でもお師匠はいいから掛かってきなさい!って言うの。

弟子は仕方なくお師匠様に手合わせするんだけど、

そしたら、

洗濯物を干す作業動作カンフーの型になっていてお師匠様と十分に手合わせできちゃったー!って感じで無駄では無いと思うから

私もお洗濯しながら、

幸い圧力鍋はそんなに火加減見張っていなくても良いので、

その隙にお洗濯をしてタオルとかを干すの!

きっとそれが美味しいお粥にも繋がるのよ。

ビンテージツナ缶や牛スジを使ったお粥研究

きっと上手くいくはず!

私はそう願っているわ。

いい加減四の五の言っていないで、

随分前に洗濯物が終わってブザーがピーピー鳴いて知らせてくれている洗濯機を無視しているわけにはいかないので

いい加減タオル洗濯物干してくるわ。

今日は曇りで雨降りそうだけど

よく乾いてくれると良いなぁ。

あーした天気になーれ!

うふふ。


今日朝ご飯

今朝方全部お粥を食べきってしまったので、

サツマイモシメジと鶏モモ肉のお粥よ。

次の題材に取りかかろうと思えるシーズンね。

牛スジは気合い入れないといけないので

今始めるいいチャンスの機会かも!

チャンス掴みたいじゃない?

そんな美味しくお粥をいただいたところで

お買い物考えておくわ。

デトックスウォーター

朝起きたら便利過ぎる電気ポットの70℃に沸いたお湯は

ホッツ白湯ストレートウォーラーにちょうどいいのよね。

もうずっとこの時期めんどくなのでホッツ白湯ストレートウォーラーでいいわ!って

そう思うけれど、

今日梅干しをインして

適宜お好みで潰してもいいので

梅ホッツ白湯ウォーラーにしてみました。

梅のクエン酸身体にいいわよ。

朝の温活捗るわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2025-01-28

anond:20250105224347

平均(というか代表値)の話をしたら何故か分散の事だと勝手明後日方向の解釈をするやつって、時々いるよね。 統計に関する自分無知披露することがそんなに楽しいのだろうか?

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