はてなキーワード: 吹き替えとは
当時はサブクエストこなしながら進める想定だったのか、本筋だけ進めると内戦や永遠などのテーマにあんまりからまない、いえそれぞれは見てるんですが、なんだか各所を遊覧して気付いたら淑女と戦うことになっていたような気がします。傍観者ポジション?哲平を見るに結構な間ともに戦っていたようですが、そんな感じはプレイヤーにはなかったんですよね。
それで淑女倒して将軍に願いデリバリー真心お届けさせて改心させた、んでしたっけ。
稲妻がしょんぼりだったせいでモチベーションがなくなってスメールの導入すら進めなくなってだいぶ経ちました。
最近のアプデにより左上でスメール組が催促するようになりましたね。報酬街ワープ返して。
どうせクイックスタート付きで「クリアしていたらよりお楽しみいただけます」方式と高をくくっていたのに…原神さんやってくれたな!
課金石デイリー一日分を石質に取られちゃあ仕方あんべぇ…と雷電将軍伝説12やりました。
うーん、よかったですねぇ。
思っていたのと違った。
週ボスの存在と名前は知っていてたので、稲妻を放置した分のツケの負のあれこれを返済する物語かと思ったら、結構前向き、後ろを見つめつつ前向きな変化の物語でしたね。いいですよこれ。雷電将軍引きたくなったし。
いい所はざっくり
影のキャラがよかった
過去の慕われていた雷電、稲妻民の関係が現代とまた別味でよかった
ボス戦が盛り上がった
名前が長いですね…
ボス戦はようやくのやく開放です。やっぱりストーリーで初対面しないと盛り上がりや思い入れが違うからね。すまん若陀龍王。
しかし強い…無限リレイズの間に慣れようとしたものの全然だめで、これからどうすればいいのやら…。人間公使の連撃すら避けられないのでね…。
ま、いいところは普通にいいので気になるところをたっぷり書きとどめておく。
1. 影のキャラ
すっごく温和でほわほわしててこんなキャラだっけ?とビックリ。
主人公にいつのまにか超好感度高いのはもはやハーレム主人公なのでおいとくとしても、いやそれでもあんなに好かれる理由あったかな?
時系列的には改心してほぼ即休息に入った感じですかね。
永遠のための瞑想に入ったのは死別と磨耗への恐れとかがあったからなわけですが、その当人がほぼ500年ぶりの引きこもり独居老人からリハビるのに以外と感性がまともでめちゃくちゃ善良でしたね~。
行なっていたことを考えればもっと(最初は)ピリピリした性格でもよかったと思うのですが。賢い無知キャラでした。
古い価値観のタイムスリッパーというよりは観光客的な遊覧でしたねー。
緩い磨耗との付き合いは鍾離がやっていたので、逆に次はヒスるほどヒリついたものが見たかったのはある、かな。
そういうキッツい部分は雷電将軍に任せることになるんでしょうか。なるといいな。
2. 内面の掘り下げ方
今回のストーリーはメインストーリーで心を開いた?あとの永遠の形の変化を探ることで、まあこれが一番大事であるんだけど、影をあれぐらいとっつきやすい性格で描いたのならもっと八重神子とか眞とかとの素な日常の絡みが見たかったところは正直ある。雷電将軍ロボとの普段の付き合い方とか…まあこの伝説任務終わるまでほぼイコールだから触れる必要すらなさそうではあるけれども。
それも八重神子の伝説なり今回のイベントで~って感じかな。一発目は完璧メインストーリーのアフターでもろもろ拾って片付ける必要があったということか。
3. 正直、展開には磨耗を感じている
原神って死んだら大まかに
1でも回収されてもときどき漏れでて幽霊みたいになって現れる。
で、原神はこの幽霊に頼るのが非~常に多い。気がする。言い過ぎかなわりとある。幽霊というか過去や記憶頼りが多い。
稲妻の前の璃月でも胡桃周りで幽霊やったし、この前海灯祭でも胡桃の家族の幽霊出したし。
最新のナタでも死後の国があるから当然死者がとっっっっっっってもよく絡んでくる。
ナタはナタでいいものだったけどね。
でも雷電伝説でもまた昔の人の記憶に触れたりですね…もう亡くなった人を慮った行動したりですね…
契機が来たから物に残した過去の人物の意識の残滓が語りかけてくるとかも、これつい最近シトラリでやったやつ~。達成を見届ける?シュバランケさま~。(もちろん稲妻が数年前だけど)
感動的ではある。毎度感動はするけれども!
ちょっと摩れてきた自分を感じなくはない。NARUTOでも数回あったしさ、個人的に見慣れてきていて悲しい。
4. 声優が上手すぎる
雷電将軍の日本声優は沢城パイモンセンなんでまー文句なく上手いんです。
しかしなんだか上手すぎるのか…?一人レベルが違う。気がする。
どう表現すればいいのか、抑揚が豊か過ぎる。ひとことひとこと非常に感情が込められていて素晴らしい演技です。間違いない。
何度も言って申し訳ないが、永遠を求め稲妻ごと止めようとした理由のひとつには摩耗があったはずで。
彼女はもうちょっとクールというか、感情を出し惜しむような、確かにあるはずの冷徹な、警戒するような性格を演技の面でも押し出して欲しかった。
結局そこも雷電将軍人形との対比で片付きそうだけど、でもそうすると今後は眞との対比はどうなるの?ってことになる。
人を愛しんでいた眞と比較的武に傾倒していた想いに疎い影のはずなのに、あの性格・あの情緒的な声だとそこの双子の違いが霞む感じはあった、ですよ。
まぁつまり、事前に予想してた双子の関係とか、影と神子の関係とか(神子がかまうと思ってたけど「かまってもらってる」がただしそう?とか)が演技やストーリーで崩れちゃった部分があるというわけですな。
それはそれとして都合3人の演じ分けは見事でしたし、声だけ取り上げても非常に贅沢で心地よいもので知る範囲では原神最高レベルのクオリティとなっており大好きであります。ただ個人的にどうしてもみゆきちはもはや吹き替えやナレーターな人だからなんか、周りに合わせてアニメよりに歩み寄って欲しいな~て思うことが増えてきています。
結局、トゲトゲしたキャラはウケ(ガチャ意欲)が低いんでしょうねー。六神で一番いかつそうな雷神でこれですし。
閑雲も笑えるぐらい好きだけど他の仙人ぐらい…他の仙人もおもしれー仙人ばっかりでしたわ。
ジョジョに出てくるスタンド名は主にバンド名や曲名から取られている。
英語版吹き替えでは問題があるようで、例えばスティッキー・フィンガーズはジッパーマンという名前に変更されている。
その曲やバンドのファンが検索でスタンドを見つけ、調べている内にジョジョを好きになる、といった具合だ。
これは特にYouTubeの登場、そしてそのSNSとしての側面が強化されたことにより、より効果の高いものとなっている。
例えばジョジョリオンの主人公のスタンド名の元ネタであるPrinceのSoft and Wetの動画を見てみよう。
https://www.youtube.com/watch?v=Aq7ddhSGOSE
コメント欄を見るとジョジョ関連のものしかなく、気持ち悪くすらある。
これは極端な例だが、例えばQueenのKiller Queenのような超人気曲のコメント欄でも似たような事が起きている。
作品のファンというのは一度ハマるとむさぼるように関連コンテンツを消費する。
以上、300円。払ってください。
洋画は絶対に字幕で見たい派だったんだが、映画を見るベースが配信系に偏っていくにつれて考え方が変わってきた。
アマプラとかで古い作品が見放題だったりするので、字幕で見た後に吹き替えでも見てみるかと軽い気持ちで見れる。
そしてその結果字幕版で具体的にどのへんのセリフが割愛されてるのかなどの比較が容易になっていった。
細かく言えばジャンルによって変わるんだけど、ざっくりで言えばアクションものなんかは字幕で全然良い。
でもSFとか政治物なんかだと細かいセリフで説明されてる部分もあったりして、違いがけっこう感じられる。
人間ドラマでも端折られるのはあるけど、そこは意外と登場人物に対する解像度みたいなのは思ったより変化はないと思ってる。
セリフそのものより本人の表情とかニュアンスで伝えてる部分が大きいのかもしれない。
しかしジャンルによっては吹き替えの情報量に魅力を感じるようになってしまった。
少々目を離しても音だけである程度追えるという点も、配信で見てる分にはわりとメリットはあると感じられる。
ただどうしても気になる点はまだあるのだ。
吹き替えでいやなのは吹き替えの声の演技が気に入らないというのがある。
どうして未だにテンプレ演技みたいなのばかりなんだろう。今って声優って大人気職業なんだろ?なんで映画界でもっと幅のある吹き替えが増えないのだ。
ネイティブでもないのに外国語で話す俳優の声の演技なんてどんだけ伝わってるの?と言われても、感じられるのだから仕方ない。
やはり表情のニュアンスとともに発声のタイミング、声色、話し方というのは演技の中に含まれる大事な要素なんだと思う。
ある程度有名どころの俳優に関してはすりこみもあるとは思う。この役者はこういう声というイメージがついてしまってるので、
吹き替えされてもいや全然話し方も雰囲気も違うし!と思ってしまうのだ。
そういう意味ではテレビで何回もやってる洋画なんかは、吹き替えの声でイメージが定着したのもなくはない。ジャッキー・チェンとか。
ただそういうのは稀で今はそもそもテレビで洋画見ることも少ないので、やはり吹き替えの声の演技が物足りない。
というわけで、最初は字幕。その映画がすごく気に入ったら吹き替えでも見直してみるというのが徐々にルーティン化してきた。
これは海外ドラマでも同じくなんだが、ドラマになると長いのでまあけっこうしんどいとこもある。
ただメリットも少しあって、翻訳がどうなされてるかの理解を深めるという点では興味深いこともたくさんある。
例えば「その制御装置を解除するには空気を遮断するための水分が必要になる、しかも不純物のない状態で」というセリフに大して「制御装置の解除には水が必要よ」とだいぶ端折って説明されてるとする。
これはストーリー上「空気を遮断するために」はいったん端折っても問題はないのだけど、ディテールとしての説得力は増す。
見てるほうは「なんで水が?」と思うんだが、まあなんか水が必要なんだろうなで終わらせることになる。
吹き替えがあることで、なるほど細かくはそういうことだったのかという納得があり面白いのだ。
さらにそれの延長で、英語字幕もちょっと見てみようかという気になってくる。
この言い回しはなんか違和感があるんだが、みたいな時に英語でのセリフを辿り和訳するなどしていくと、ちゃんと意味が理解できるということもあったりする。
この辺の言語への興味と学びが副産物的に生まれるのがなかなか面白い。
元から英語の勉強に英語字幕で見るといいっていのは聞いたことがあるけど、吹き替え+英語字幕というのは学習リソースとしてかなり楽しく学べそうだ。
というわけで雰囲気重視でずっと字幕派だったのが割と吹き替えにも寛容になってきたのだ。
ドラマのゴールデンカムイ見る目的でWOWOW入ったんだけどさあ、それだけだと普通に金もったいないから他もたっぷり見てやろうと各カテゴリーをチェックしてみたけどあまり見るものがないんだよな。
つかそれしかなくね?と言っても過言ではない気がしてきた。イヤミスも多め。
嫌いじゃないけどたくさんは見たいもんじゃないな。心が荒れてくる。
イギリスドラマなら暗くても平気なんだけどなぜ邦ドラマだとあんなに苦々しい味わいになってしまうんだろう。ユーモアの問題かな。
もっと正統派っぽいのやらケレンのあるミステリとか、クローズドサークルものがあるかと思ったが邦ドラマでは全然ない。
そんなわけなんでとりあえず海外ミステリドラマを見まくってる。一話完結で明快だ。
エルズベスというドラマが気に入った。
2019のエレメンタリーホームズのシーズン7をやっと見たが、ライヘンバッハが今のイーロンをモデルにしとんのかい?という風情で、それをとりまく状況の描写も現在のアメリカを予言しているような展開だったのでなかなか神妙な心持ちになった。
韓国人英語マスター率たか!ってなって英語と韓国語の共通点について考えてたんだがいろいろ言われてる以外にも
どっちも映画や講演のような場面じゃない日常の会話で「溜め」が頻発するのが関係してる気がしてきた。
よく言われる発音の多様性とか抑揚の幅の大きさもあるんだろうけど、溜めってのはそれらとは違って文節と文節、単語と単語の間をなんつーかこう「切って」発声するみたいなあれね。
興奮してクールダウンさせたい場面とか、池上彰みたいな年寄や親が若者に諭すような場面だとかなり発生率高い。単語とか1個ずつ言うよな。
これ日本語だとよっぽどな場面でしか発生しなくない?池上彰くらいしかいない。あとは海外映画の吹き替えでは見るかな。
溜めを発話の場面で無意識にやるってのが染みついてるから、単語と単語の関係を構造として理解しやすいのかなって思った。そもそも語順違うのにすげー適応してる。
向こうの人種の多様性と日本のキャラの比率が違うから少ない数の黒人を白人が演じることが問題になるのとは話が違うでしょ、まず暮らしてる人が違うんだから
肌の黒い声優が自身の演じるキャラの黒人化イラストを気に入るって中の人ネタの範疇で許されるべきだという気がする
むしろ日本の作品だと分かってるから吹き替えで自身と同化したアイコンを使うって二次創作的な遊びが成立するんだろうし
第一この炎上の火種になっているぶくぶのイラストは無意識に人種が変わってみえるレベルで肌の色が変わっていたことが良くなかったわけで、意識的に人種を変えて楽しむのとは根本的に性質が違う
向こうでオカルンを演じている声優が自身と近いキャラ表象を気に入ってアイコンにした、この現象自体がオタク的で、日本のナードな性質を持った黒人キャラのアイデンティティを持つ声優ってすごく日本文化に親和的な意図を持っていたんじゃないか
もしこれにリベラルや多様性からの作品への改変の意図が加わるなら話が変わってくるが、あくまで演じる人の自己認識を反映した表象として喜ばれたという点では否定されるべきではなかった、この現象がオタク的な文脈で楽しまれなかったことを残念に感じる
https://anond.hatelabo.jp/20241210123324
はよくまとまってるけどちょっと捕捉したい
type-100
全く下らない。ブラックウォッシングもホワイトウォッシングもアメリカのローカルな問題で、日本人が真面目に付き合う必要は無い。
ほっとこうにも既に攻めてきている。
だいたいブラジリアンミクとかは世界も日本人も誰も問題にしてなかったでしょ。二次創作は問題にされてない。
ブラックウォッシングは既存キャラが素敵な黒人キャラに翻案されてるんじゃなくそういう創意や芸術性や楽しみは何もない。
マジで「単に黒人にする」のが特徴で、なんならだいたい絵が下手で成果物が醜い。
(絵が上手い黒人はまともな創作をするのでこんなもんに参加しないのではないか)
何より彼らはブラックウォッシングイラストを投下するときに「fixed」って書くんだよね。
日本人は自分達が差別されることや侵略されることに鈍感で寛容だから
大分気にせず流してきたけど、ちょっと尋常じゃなくないかこれ?ってなってるのがいま。
あとあの界隈の人達の発言は日本人からすると荒唐無稽すぎて見えるので
「ジョークだろ」とか「一部の狂ったやつだろ」と思い込みがちだったけどそんなんじゃないことに気付いてきた。
だいたい渦中の一人の黒人声優にしても彼等のホワイトウォッシュ理論で行けばおかしいのよ。
ダンダダンの主人公の日本人少年(のび太みたいなやつで黒人ぽさはどこにもない)の声優が
日本ルーツどころか黄色人種ですらなく黒人なのは不当であるはず。
いや能力的には彼は何も問題なくて、声はいいし日本語版のオカルンの雰囲気がよく出てて驚くんだけど、
あのイカレたホワイトウォッシュ理論で行くなら英語のオカルン役もモモ役もルーツを同じくする役者、つまり日系人声優が独占できなければならない。
ここに論理的な説明がないんだから横暴な差別としか言いようがない。要するに黒人様に逆らうなって言ってるだけじゃん。
(てかあの理論ならアニメの吹き替えをもっと日系声優で半独占できるはずなのにそうしないの
日系ってのはそういう押しが強くないのかおくゆかしいのか…)
俺はネタだと思って笑ってたし、それで黒人が少し楽しい気持ちになるならいいんじゃねとか思ってたけど、
趣味で見てるMMAでトップ黒人選手がマジで信じて言ってる(真の侍になるためには黒人の血が必要っていうあれ)のを見て
「あれこれやばくねーか?」ってなってきた。
そもそもがアメリカのいかれた社会が生み出したいかれた理論なんだけど
そろそろ真面目に反論や反発を表明しないとまずい気がする。
・BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ
最後までみたけどながら観だったし
途中でネタバレ見た
理由→三十分みててもどいつもこいつも自慢話ばっかり(後で作成陣のやりたかったことには繋がるが)誰も好きになれず
ライトの色がパリピであるホラーであること以外画面に新しさも感じられず
根拠ないのに登場人物の思い込みのセリフだけで話筋が決まって(後で作成陣のやりたかったことには繋がるが)いくし
ながら観だったので吹き替えでありがたがったが女子の言い合いのキャンキャン声がうるさかった
でも最後のアホネタバレ→「受信してる」の悄然+とてつもない徒労・虚無・アホ!感はすごい好き
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これは30分位で観るのやめた
・「生徒それぞれに向き合う、ハートフルなスクールですねぇ〜」と思う反面「これは実家が激太なトットちゃんだからこそ出来たことであり自分がこの時代に生きていたらぞんざいに扱われて終わりなんだろうな」という思いがずっと頭の中にこびりついて物語に入りきれなかった
・身近にアッパー系コミュ症がいるので相手の頭の中にあるものをコミュニケーション無し・会話のドッジボール状態で相手の喋りたいように喋られる苦痛は凄まじく 「女児」「後に黒柳徹子として大成するという確定」があったとしても「やっぱキチィわ…」ってなった
・「序盤はハートフルな物語からの徐々に大きくなる軍靴の音…そして蔑ろにされ始める多様性…」的な話と聞いていて見ていたがハートフルパートが30分続いて「ちょっと…長い、かも…」ってなった
・アニメがすげぇ!と聞いていたが電車の中の空想パートで「おっこれか?やっとんなあ(すごいが予想を超えてきはしないな)」ってなった