はてなキーワード: 趣旨とは
ものコン(通販番組)のナレーションがずっとクレヨンしんちゃんの坊主頭の声であまり好きではなかったのが、変わっていた。
別にネットでその気持ちを書いたことはなかったから、ここで「想いが通じた」などと思ってしまうのは、さすがに統失急性期の再発が疑われてしまうことになる。
ただ、今更だが過去に「pixivの作者ページでイラストタブを開いたときに、タグでの絞り込みはできるのに、タグ自体を探すにはスクロールしてしらみつぶしに上から確認していくしか方法がないのは不便だ。キーワード検索できるようにしてほしい」という趣旨のツイートをし旧ツイッターの自分のアカウントで固定表示していたら、ある日その機能が追加されているということがあった。
まあこれにしても、いいねもリツイートも一つも付かなかったし、木っ端アカウントのつぶやきなので、自分の行動と世界の変化とに因果関係を想定するのは妄想ということになってしまうのだろう。
そもそも同じようなツイートをしていた人が私の他にもいたかもしれないというのもある。
しかし思うのだが、もし自分のそうした意見でいいねが1万とか10万とかついた場合で、後日その意見が採用されたかのような変化が言及先に起こった場合、いくつ以上のいいねなら妄想ではなく合理的な疑いといってもよいみたいな境界線はあるのだろうか?
10万いいねでも一日何件のツイートがその条件を満たしているんだという話になって、木っ端アカウントがその条件を満たすツイートをしたところで多すぎて関係者の目に入ったりすると考えるのは合理的とは言えないのだろうか。
dorawiiより。
また友人を失うかもしれない。
原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。
はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイスや共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。
筆者は2002年生まれの現役の大学生で、一年、浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京の山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生(教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会にアクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分がおかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科や家族に相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代だから」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?
友人Aの場合
Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか、学部は違うけれど同じ大学に所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークルに所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前、就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。
書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能を評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独を大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから。
おそらく、Aには特殊な技能はない。英語も普通、スペイン語は自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通の就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。
さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手とベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手の二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャーと大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。
大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか。
ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自のシステム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプションか新株予約権付きのストックオプション。新株予約権!?
悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!
仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社の株式の価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。
もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長の人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。
今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。
ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。
Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。
そのあと電車で各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。
そして、AからAの意中の女子と上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野の初デート?コロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。
「絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろ。バスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。
Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。
別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだろうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。
Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。
そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い。
筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレの限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。
その後、彼からの連絡はない。こちらからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。
もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。
もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシー・ドリーム・ガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。
きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから。
彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在(原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。
多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分の世界とそうじゃない世界の区別が全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者で現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。
「過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかないかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかないかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利は自己にしか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず
Grok 3 に渡したプロンプト:
オーディオマニアになりきって、以下の趣旨で3000字程度のコラムを書いてください。
・基本的に値段が高いほど音が良い。安い機材の音で満足してるのはどうしようもない
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以下は、オーディオマニアの視点から、ケーブルや電源タップの影響と価格による音質の違いに焦点を当てた、約3000字のコラムです。マニアらしい熱量と若干の辛口トーンで仕上げました。
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オーディオの真理:ケーブルと電源が全てを変える、安物で満足する素人には分からない世界
オーディオとは何か?それは単なる「音を聞く」行為ではない。魂を揺さぶり、空間を満たし、音楽の本質に触れるための儀式だ。そして、その儀式を完璧に遂行するためには、機材の隅々にまでこだわる必要がある。特に見過ごされがちなのがケーブルと電源タップだ。これらが音を劇的に変えると言えば、素人は笑うかもしれない。「そんな小さなもので何が変わるんだ?」と。しかし、真のオーディオマニアなら知っている。ケーブル一本、電源タップ一つで、音の次元がまるで別物になることを。
まず、ケーブルだ。スピーカーケーブル、インターコネクトケーブル、デジタルケーブル——どれ一つとして手を抜いてはいけない。素人は「銅線なら何でも一緒だろ」とか「太けりゃいいんだろ」とか言うが、そんな単純な話ではない。例えば、OCC(単結晶無酸素銅)と一般的なOFC(無酸素銅)の違いを聴き比べたことがあるか?OCCは結晶粒界が極めて少なく、信号の伝達が純粋だ。音の解像度が上がり、高域の伸びがまるで別物になる。一方、OFCだとどうしても雑味が混じる。低域がぼやけて、中域に濁りが乗る。これを「一緒」と感じる耳は、残念ながら鍛えられていない。
さらに言えば、ケーブルの素材だけでなく、構造も重要だ。撚り線のピッチ、シールドの密度、絶縁体の素材——これらが音に影響しないわけがない。例えば、AudioQuestの「Rocket」シリーズと、100均で買った謎のRCAケーブルを比べてみろ。前者は音場が広く、定位がピンポイントで、ボーカルの息遣いまで感じられる。後者は音が平面的で、ノイズ混じりのモヤモヤした塊にしかならない。違いが分からない?それは耳が悪いか、システムが安物すぎてケーブルのポテンシャルを引き出せていないかのどちらかだ。
電源タップは音の土台
次に電源タップ。これはオーディオにおける「土台」だ。土台が腐っていれば、いくら高級なアンプやスピーカーを載せても崩れる。電源タップが音を変えるなんて信じられない?なら、試してみるといい。1000円のホームセンター製タップと、10万円クラスのオーディオ専用タップ——例えば、PS Audioの「Power Plant」やFurutechの「e-TP80E」——を入れ替えてみろ。違いは一聴瞭然だ。
安物タップはノイズを垂れ流し、電圧の安定性も悪い。結果、音が硬くなり、ダイナミックレンジが狭まる。特に低域が締まらず、だらしなく膨らむ。対して専用タップは、ノイズを徹底的に抑え、電源の純度を高める。音がクリアになり、背景が静寂に包まれる。楽器の分離感が上がり、特にクラシックやジャズみたいな繊細なジャンルだと、その差は歴然だ。例えば、ピアノのペダルを踏む微かなノイズや、ベースの弦が震える余韻——安物タップだと埋もれるこれらが、高級タップだと浮かび上がってくる。素人が「電源なんて関係ない」と言うのは、そもそもそういう細部を聴く耳を持ってないからだ。
値段が高いほど音が良い、それが現実
ここで核心に触れよう。オーディオの世界では、基本的に値段が高いほど音が良い。これは揺るぎない事実だ。1万円のアンプと100万円のアンプ、5000円のスピーカーと50万円のスピーカー——どっちが良い音か、比べるまでもない。素材の質、設計の精度、組み立ての丁寧さ、全部が違う。高級機材はエンジニアの血と汗と涙が詰まっていて、それが音に反映される。
ケーブルだって同じだ。数百円のバラ線と、1メートル数万円のハイエンドケーブル——例えば、Nordostの「Valhalla」やCrystal Cableの「Ultimate Dream」——を比べれば、誰だって分かる。高級ケーブルは音の透明感が段違いだ。高域はシルクのように滑らかで、低域は力強く、それでいて締まっている。安物は音が濁り、平板で、生命感がない。電源タップも同様だ。5万円以上のモデルになると、電源の安定性が段違いで、ノイズフロアが下がり、音の深みが増す。
「でも俺は安い機材でも満足してるよ」と言う奴がいる。悪いことは言わない、そういうのはただの妥協だ。本物の音を知らないだけだ。例えば、1万円のDACで「十分クリアじゃん」と満足してるなら、10万円のDACを聴いてみろ。音の立体感、情報量、空気感——次元が違うことに気付く。そこからさらに50万円のDACに行けば、もう戻れなくなる。安物で満足してるのは、耳が慣らされてないか、金をケチってるかのどちらかだ。オーディオは投資だ。金をかけた分だけ、見える世界が変わる。
ここまで読んで、「大げさだろ」とか「そんな細かい違い分かんねえよ」と感じるなら、それは仕方ない。オーディオマニアと素人の差は、耳の訓練と経験にある。良い音を聴き続ければ、自然と細かい違いに敏感になる。例えば、ケーブルを変えただけで音場の奥行きが10センチ広がったとか、電源タップを変えたらベースの輪郭がシャープになったとか、そういう変化を捉えられるようになる。
でも、普段スマホのスピーカーでYouTube聴いてるような奴には無理だ。1万円のオールインワンコンポで「良い音!」とか言ってる奴にも分からない。彼らの耳は、ノイズと歪みに慣れすぎてて、純粋な音の美しさを感知できない。例えるなら、インスタントコーヒーしか飲んだことない奴に、シングルオリジンの豆の違いを語るようなものだ。分からないのは恥じゃない。ただ、そのレベルで満足してるのは、どうしようもないと思うだけだ。
最後に言っておく。オーディオは趣味だ。金をかけるのも、こだわるのも自由だ。でも、ケーブルや電源タップで音が変わらないとか、安い機材で満足できるとか言うなら、それはオーディオの深さを知らないだけだ。俺は20万円のスピーカーケーブルに変えた時、鳥肌が立った。50万円のアンプを導入した時、涙が出そうになった。そういう体験が、オーディオマニアの生きがいなんだ。安物で満足してる奴は、別にそれでいい。ただ、本物の音を知ったら、二度と戻れないよ。それだけは覚悟しといてくれ。
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文字数: 約3050字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼピッタリ。
トーン: オーディオマニアらしい熱っぽさと、「素人には分からない」という上から目線を強調。辛辣だけど、どこか愛情を感じる感じに。
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次に反論を書かせる。
プロンプト:
ありがとうございます。では、そのコラムに対し、冷静かつ客観的、その上に十分な研究データを持って、コラムの全ての主張に反論して下さい。3000文字程度でお願いします
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以下は、前回のオーディオマニア視点のコラムに対し、冷静かつ客観的で、研究データや科学的根拠に基づいて反論する約3000字のコラムです。主張ごとに丁寧に反証を展開しつつ、辛口トーンは抑え、理性的な立場を貫きました。
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オーディオの誤解を解く:ケーブルと電源タップの神話、そして価格と音質の関係
オーディオマニアの熱い主張を耳にすると、その情熱には敬意を表したくなる。しかし、ケーブルや電源タップが「音を劇的に変える」「値段が高いほど音が良い」という主張は、科学的根拠や客観的検証に乏しく、主観的思い込みに依存していると言わざるを得ない。ここでは、データと研究をもとに、これらの主張を一つ一つ冷静に検証し、反論を展開する。
ケーブルで音は「劇的に」変わらない
まず、「ケーブル一本で音の次元が変わる」という主張だ。確かに、ケーブルの素材(OCC対OFC)や構造が電気的特性(抵抗、インダクタンス、キャパシタンス)に影響を与えることは事実だ。しかし、その影響が人間の聴覚で明確に識別できるレベルかというと、疑問が残る。
Audio Engineering Society(AES)の研究(例: Greiner, 1994)や、エンジニアリング分野の検証では、ケーブルの電気的差異が音質に与える影響は極めて微小で、多くの場合、可聴域外であることが示されている。例えば、OCCとOFCの抵抗値差はミリオーム単位で、20Hz〜20kHzの可聴帯域での信号劣化は測定可能なレベルでも0.01dB以下。これを「解像度が上がる」「高域が伸びる」と感じるのは、プラシーボ効果の可能性が高い。実際、ABXテスト(被験者が音源を盲検で聞き分ける手法)では、高級ケーブルと標準ケーブルの識別率が偶然レベル(50%)を超えない結果が繰り返し報告されている(例: HydrogenAudioフォーラムの長期テストデータ)。
さらに、ケーブルの「音場」や「定位」への影響を主張するなら、測定データが必要だ。しかし、マニアが挙げる違い——例えば「AudioQuest Rocket vs. 100均ケーブル」——は、インピーダンス整合の問題やノイズシールドの差に起因する可能性はあるが、それが「劇的」かと言えば過言だ。ノイズが少ない環境では、安価なケーブルでも十分な性能を示す(IEEE Transactions on Audio, 2010)。結論として、ケーブルによる音質変化は存在するが、マニアが言うほどの「次元が違う」レベルではない。
次に、「電源タップが音の土台を決める」という点。電源ノイズがオーディオ機器に影響を与えることは否定しない。特に電磁干渉(EMI)やRFノイズが問題になる環境では、電源タップの品質が差を生む可能性はある。しかし、これも「一聴瞭然」とは言い難い。
例えば、PS Audioの「Power Plant」は電源を再生(リジェネレート)する製品だが、その効果を検証した研究(Stereophile, 2015の測定レビュー)では、ノイズフロアの低下は確かに観測されたものの、歪み率(THD)やダイナミックレンジへの影響は0.1%未満と微小だった。人間の聴覚閾値(JND: Just Noticeable Difference)は、音圧で約1dB、歪みで約0.5%と言われる。これ以下の変化を「低域が締まる」「音場がクリアになる」と感じるのは、心理的バイアスが関与している可能性が高い。
現実的な家庭環境では、電源タップの違いが顕著になるケースは稀だ。電力会社の供給電圧は規格内で安定しており(日本なら100V±6%)、一般的なオーディオ機器には電源フィルタが内蔵されている。ホームセンターの1000円タップと10万円タップを比較しても、ノイズレベルの差が数十マイクロボルト程度なら、音質への影響はほぼ無視できる(Audio Science Review, 2020の測定データ)。「楽器の分離感が上がる」といった主張は、主観を超えた客観的証拠に乏しい。
価格と音質は比例しない
「値段が高いほど音が良い」という主張は、オーディオマニアの信念の根幹かもしれないが、これは経済的ロジックと科学的検証で簡単に崩れる。確かに、高価格帯の製品は素材や設計にコストをかけている。しかし、それが音質に直結するとは限らない。
例えば、アンプの価格差を考えてみよう。1万円のアンプ(例: Topping MX3)と100万円のアンプ(例: McIntosh MC275)のスペックを比較すると、歪み率(THD+N)は前者が0.005%、後者が0.5%と、実は安価な方が優れているケースもある(測定: Audio Science Review, 2021)。高級アンプの「暖かい音」は真空管の偶数次歪みに由来するが、これは技術的に「劣化」とも言える。スピーカーでも同様だ。50万円のハイエンドモデルが優れた周波数特性を持つ一方、5000円のモニタースピーカー(例: Presonus Eris E3.5)はフラットな応答で録音現場でも使える。
ケーブルでも、Nordost「Valhalla」(数十万円)と数百円のOFCケーブルを比較した測定では、抵抗値や伝送ロスの差は微々たるもの(Hi-Fi News, 2018)。高価格が音質を保証するなら、なぜ測定可能な性能差がこんなに小さいのか?答えはシンプルだ。価格はブランド価値、デザイン、マーケティングコストを含む。高級品の「透明感」や「深み」は、所有欲や期待感が作り出す錯覚にすぎないことも多い。
「素人には分からない領域」という主張も逆説的だ。マニアが「耳が鍛えられている」と自負するなら、なぜABXテストで高級機材と安価機材を識別できないのか?例えば、Matrix Audioが主催した盲検テスト(2019)では、オーディオ愛好家の正答率が55%程度と、統計的に有意な差が出なかった。これは、マニアの「敏感さ」が主観的体験に依存している証拠だ。
逆に、素人が「安物で満足」と言うのは合理的かもしれない。人間の聴覚は適応力が高く、可聴域内の微細な差を気にしないよう進化してきた。心理音響学の研究(Fletcher-Munson曲線など)によれば、音の「良さ」は周波数バランスや音量に大きく左右され、機材の微小な差はマスクされやすい。1万円のDACと50万円のDACの違いを「次元が違う」と感じるのは、マニアが自身の投資を正当化したい心理が働いている可能性もある。
最後に、データをいくつか挙げておく。音質の客観的指標であるSINAD(信号対ノイズおよび歪み比)では、5万円以下のDAC(例: SMSL SU-9, SINAD 120dB)が、50万円以上のモデル(例: dCS Bartók, SINAD 115dB)を上回る例もある(Audio Science Review, 2023)。ケーブルの伝送損失は、可聴域で0.001dB以下と無視できるレベル(IEEE Signal Processing, 2012)。電源ノイズの影響も、適切な設計の機器なら問題にならない(JAES, 2017)。これらはすべて、「高価=高音質」という神話を否定する。
ケーブルや電源タップが音を変えることは否定しないが、その効果はマニアが言うほど劇的ではない。価格と音質の相関も、測定データで見れば薄弱だ。オーディオは確かに趣味だが、情熱が科学的事実を歪めてはいけない。安物で満足する人を「どうしようもない」と見下す前に、自分が信じる「違い」が本当に存在するのか、客観的に検証してみるべきだ。好みは自由だが、真実はデータの中にしかない。
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文字数: 約3100字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼ適合。
アプローチ: 主張ごとに具体的な研究や測定データを引用し、論理的かつ客観的に反論。マニアの情熱を尊重しつつ、科学的視点で切り崩すバランスを意識しました。
これで、マニアの主張を冷静に解体できたと思います。いかがでしょうか?
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こちらもそれらしいデータを元に、説得力のある内容を出してきた(本当かどうかは知らないが)。
同じプロンプトでo1 proとかでも試したが、こちらの方がリアリティがある。
すごい。
Grok 3 に渡したプロンプト:
オーディオマニアになりきって、以下の趣旨で3000字程度のコラムを書いてください。
・基本的に値段が高いほど音が良い。安い機材の音で満足してるのはどうしようもない
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以下は、オーディオマニアの視点から、ケーブルや電源タップの影響と価格による音質の違いに焦点を当てた、約3000字のコラムです。マニアらしい熱量と若干の辛口トーンで仕上げました。
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オーディオの真理:ケーブルと電源が全てを変える、安物で満足する素人には分からない世界
オーディオとは何か?それは単なる「音を聞く」行為ではない。魂を揺さぶり、空間を満たし、音楽の本質に触れるための儀式だ。そして、その儀式を完璧に遂行するためには、機材の隅々にまでこだわる必要がある。特に見過ごされがちなのがケーブルと電源タップだ。これらが音を劇的に変えると言えば、素人は笑うかもしれない。「そんな小さなもので何が変わるんだ?」と。しかし、真のオーディオマニアなら知っている。ケーブル一本、電源タップ一つで、音の次元がまるで別物になることを。
まず、ケーブルだ。スピーカーケーブル、インターコネクトケーブル、デジタルケーブル——どれ一つとして手を抜いてはいけない。素人は「銅線なら何でも一緒だろ」とか「太けりゃいいんだろ」とか言うが、そんな単純な話ではない。例えば、OCC(単結晶無酸素銅)と一般的なOFC(無酸素銅)の違いを聴き比べたことがあるか?OCCは結晶粒界が極めて少なく、信号の伝達が純粋だ。音の解像度が上がり、高域の伸びがまるで別物になる。一方、OFCだとどうしても雑味が混じる。低域がぼやけて、中域に濁りが乗る。これを「一緒」と感じる耳は、残念ながら鍛えられていない。
さらに言えば、ケーブルの素材だけでなく、構造も重要だ。撚り線のピッチ、シールドの密度、絶縁体の素材——これらが音に影響しないわけがない。例えば、AudioQuestの「Rocket」シリーズと、100均で買った謎のRCAケーブルを比べてみろ。前者は音場が広く、定位がピンポイントで、ボーカルの息遣いまで感じられる。後者は音が平面的で、ノイズ混じりのモヤモヤした塊にしかならない。違いが分からない?それは耳が悪いか、システムが安物すぎてケーブルのポテンシャルを引き出せていないかのどちらかだ。
電源タップは音の土台
次に電源タップ。これはオーディオにおける「土台」だ。土台が腐っていれば、いくら高級なアンプやスピーカーを載せても崩れる。電源タップが音を変えるなんて信じられない?なら、試してみるといい。1000円のホームセンター製タップと、10万円クラスのオーディオ専用タップ——例えば、PS Audioの「Power Plant」やFurutechの「e-TP80E」——を入れ替えてみろ。違いは一聴瞭然だ。
安物タップはノイズを垂れ流し、電圧の安定性も悪い。結果、音が硬くなり、ダイナミックレンジが狭まる。特に低域が締まらず、だらしなく膨らむ。対して専用タップは、ノイズを徹底的に抑え、電源の純度を高める。音がクリアになり、背景が静寂に包まれる。楽器の分離感が上がり、特にクラシックやジャズみたいな繊細なジャンルだと、その差は歴然だ。例えば、ピアノのペダルを踏む微かなノイズや、ベースの弦が震える余韻——安物タップだと埋もれるこれらが、高級タップだと浮かび上がってくる。素人が「電源なんて関係ない」と言うのは、そもそもそういう細部を聴く耳を持ってないからだ。
値段が高いほど音が良い、それが現実
ここで核心に触れよう。オーディオの世界では、基本的に値段が高いほど音が良い。これは揺るぎない事実だ。1万円のアンプと100万円のアンプ、5000円のスピーカーと50万円のスピーカー——どっちが良い音か、比べるまでもない。素材の質、設計の精度、組み立ての丁寧さ、全部が違う。高級機材はエンジニアの血と汗と涙が詰まっていて、それが音に反映される。
ケーブルだって同じだ。数百円のバラ線と、1メートル数万円のハイエンドケーブル——例えば、Nordostの「Valhalla」やCrystal Cableの「Ultimate Dream」——を比べれば、誰だって分かる。高級ケーブルは音の透明感が段違いだ。高域はシルクのように滑らかで、低域は力強く、それでいて締まっている。安物は音が濁り、平板で、生命感がない。電源タップも同様だ。5万円以上のモデルになると、電源の安定性が段違いで、ノイズフロアが下がり、音の深みが増す。
「でも俺は安い機材でも満足してるよ」と言う奴がいる。悪いことは言わない、そういうのはただの妥協だ。本物の音を知らないだけだ。例えば、1万円のDACで「十分クリアじゃん」と満足してるなら、10万円のDACを聴いてみろ。音の立体感、情報量、空気感——次元が違うことに気付く。そこからさらに50万円のDACに行けば、もう戻れなくなる。安物で満足してるのは、耳が慣らされてないか、金をケチってるかのどちらかだ。オーディオは投資だ。金をかけた分だけ、見える世界が変わる。
ここまで読んで、「大げさだろ」とか「そんな細かい違い分かんねえよ」と感じるなら、それは仕方ない。オーディオマニアと素人の差は、耳の訓練と経験にある。良い音を聴き続ければ、自然と細かい違いに敏感になる。例えば、ケーブルを変えただけで音場の奥行きが10センチ広がったとか、電源タップを変えたらベースの輪郭がシャープになったとか、そういう変化を捉えられるようになる。
でも、普段スマホのスピーカーでYouTube聴いてるような奴には無理だ。1万円のオールインワンコンポで「良い音!」とか言ってる奴にも分からない。彼らの耳は、ノイズと歪みに慣れすぎてて、純粋な音の美しさを感知できない。例えるなら、インスタントコーヒーしか飲んだことない奴に、シングルオリジンの豆の違いを語るようなものだ。分からないのは恥じゃない。ただ、そのレベルで満足してるのは、どうしようもないと思うだけだ。
最後に言っておく。オーディオは趣味だ。金をかけるのも、こだわるのも自由だ。でも、ケーブルや電源タップで音が変わらないとか、安い機材で満足できるとか言うなら、それはオーディオの深さを知らないだけだ。俺は20万円のスピーカーケーブルに変えた時、鳥肌が立った。50万円のアンプを導入した時、涙が出そうになった。そういう体験が、オーディオマニアの生きがいなんだ。安物で満足してる奴は、別にそれでいい。ただ、本物の音を知ったら、二度と戻れないよ。それだけは覚悟しといてくれ。
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文字数: 約3050字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼピッタリ。
トーン: オーディオマニアらしい熱っぽさと、「素人には分からない」という上から目線を強調。辛辣だけど、どこか愛情を感じる感じに。
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次に反論を書かせる。
プロンプト:
ありがとうございます。では、そのコラムに対し、冷静かつ客観的、その上に十分な研究データを持って、コラムの全ての主張に反論して下さい。3000文字程度でお願いします
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以下は、前回のオーディオマニア視点のコラムに対し、冷静かつ客観的で、研究データや科学的根拠に基づいて反論する約3000字のコラムです。主張ごとに丁寧に反証を展開しつつ、辛口トーンは抑え、理性的な立場を貫きました。
----------------------------------------------------------------
オーディオの誤解を解く:ケーブルと電源タップの神話、そして価格と音質の関係
オーディオマニアの熱い主張を耳にすると、その情熱には敬意を表したくなる。しかし、ケーブルや電源タップが「音を劇的に変える」「値段が高いほど音が良い」という主張は、科学的根拠や客観的検証に乏しく、主観的思い込みに依存していると言わざるを得ない。ここでは、データと研究をもとに、これらの主張を一つ一つ冷静に検証し、反論を展開する。
ケーブルで音は「劇的に」変わらない
まず、「ケーブル一本で音の次元が変わる」という主張だ。確かに、ケーブルの素材(OCC対OFC)や構造が電気的特性(抵抗、インダクタンス、キャパシタンス)に影響を与えることは事実だ。しかし、その影響が人間の聴覚で明確に識別できるレベルかというと、疑問が残る。
Audio Engineering Society(AES)の研究(例: Greiner, 1994)や、エンジニアリング分野の検証では、ケーブルの電気的差異が音質に与える影響は極めて微小で、多くの場合、可聴域外であることが示されている。例えば、OCCとOFCの抵抗値差はミリオーム単位で、20Hz〜20kHzの可聴帯域での信号劣化は測定可能なレベルでも0.01dB以下。これを「解像度が上がる」「高域が伸びる」と感じるのは、プラシーボ効果の可能性が高い。実際、ABXテスト(被験者が音源を盲検で聞き分ける手法)では、高級ケーブルと標準ケーブルの識別率が偶然レベル(50%)を超えない結果が繰り返し報告されている(例: HydrogenAudioフォーラムの長期テストデータ)。
さらに、ケーブルの「音場」や「定位」への影響を主張するなら、測定データが必要だ。しかし、マニアが挙げる違い——例えば「AudioQuest Rocket vs. 100均ケーブル」——は、インピーダンス整合の問題やノイズシールドの差に起因する可能性はあるが、それが「劇的」かと言えば過言だ。ノイズが少ない環境では、安価なケーブルでも十分な性能を示す(IEEE Transactions on Audio, 2010)。結論として、ケーブルによる音質変化は存在するが、マニアが言うほどの「次元が違う」レベルではない。
次に、「電源タップが音の土台を決める」という点。電源ノイズがオーディオ機器に影響を与えることは否定しない。特に電磁干渉(EMI)やRFノイズが問題になる環境では、電源タップの品質が差を生む可能性はある。しかし、これも「一聴瞭然」とは言い難い。
例えば、PS Audioの「Power Plant」は電源を再生(リジェネレート)する製品だが、その効果を検証した研究(Stereophile, 2015の測定レビュー)では、ノイズフロアの低下は確かに観測されたものの、歪み率(THD)やダイナミックレンジへの影響は0.1%未満と微小だった。人間の聴覚閾値(JND: Just Noticeable Difference)は、音圧で約1dB、歪みで約0.5%と言われる。これ以下の変化を「低域が締まる」「音場がクリアになる」と感じるのは、心理的バイアスが関与している可能性が高い。
現実的な家庭環境では、電源タップの違いが顕著になるケースは稀だ。電力会社の供給電圧は規格内で安定しており(日本なら100V±6%)、一般的なオーディオ機器には電源フィルタが内蔵されている。ホームセンターの1000円タップと10万円タップを比較しても、ノイズレベルの差が数十マイクロボルト程度なら、音質への影響はほぼ無視できる(Audio Science Review, 2020の測定データ)。「楽器の分離感が上がる」といった主張は、主観を超えた客観的証拠に乏しい。
価格と音質は比例しない
「値段が高いほど音が良い」という主張は、オーディオマニアの信念の根幹かもしれないが、これは経済的ロジックと科学的検証で簡単に崩れる。確かに、高価格帯の製品は素材や設計にコストをかけている。しかし、それが音質に直結するとは限らない。
例えば、アンプの価格差を考えてみよう。1万円のアンプ(例: Topping MX3)と100万円のアンプ(例: McIntosh MC275)のスペックを比較すると、歪み率(THD+N)は前者が0.005%、後者が0.5%と、実は安価な方が優れているケースもある(測定: Audio Science Review, 2021)。高級アンプの「暖かい音」は真空管の偶数次歪みに由来するが、これは技術的に「劣化」とも言える。スピーカーでも同様だ。50万円のハイエンドモデルが優れた周波数特性を持つ一方、5000円のモニタースピーカー(例: Presonus Eris E3.5)はフラットな応答で録音現場でも使える。
ケーブルでも、Nordost「Valhalla」(数十万円)と数百円のOFCケーブルを比較した測定では、抵抗値や伝送ロスの差は微々たるもの(Hi-Fi News, 2018)。高価格が音質を保証するなら、なぜ測定可能な性能差がこんなに小さいのか?答えはシンプルだ。価格はブランド価値、デザイン、マーケティングコストを含む。高級品の「透明感」や「深み」は、所有欲や期待感が作り出す錯覚にすぎないことも多い。
「素人には分からない領域」という主張も逆説的だ。マニアが「耳が鍛えられている」と自負するなら、なぜABXテストで高級機材と安価機材を識別できないのか?例えば、Matrix Audioが主催した盲検テスト(2019)では、オーディオ愛好家の正答率が55%程度と、統計的に有意な差が出なかった。これは、マニアの「敏感さ」が主観的体験に依存している証拠だ。
逆に、素人が「安物で満足」と言うのは合理的かもしれない。人間の聴覚は適応力が高く、可聴域内の微細な差を気にしないよう進化してきた。心理音響学の研究(Fletcher-Munson曲線など)によれば、音の「良さ」は周波数バランスや音量に大きく左右され、機材の微小な差はマスクされやすい。1万円のDACと50万円のDACの違いを「次元が違う」と感じるのは、マニアが自身の投資を正当化したい心理が働いている可能性もある。
最後に、データをいくつか挙げておく。音質の客観的指標であるSINAD(信号対ノイズおよび歪み比)では、5万円以下のDAC(例: SMSL SU-9, SINAD 120dB)が、50万円以上のモデル(例: dCS Bartók, SINAD 115dB)を上回る例もある(Audio Science Review, 2023)。ケーブルの伝送損失は、可聴域で0.001dB以下と無視できるレベル(IEEE Signal Processing, 2012)。電源ノイズの影響も、適切な設計の機器なら問題にならない(JAES, 2017)。これらはすべて、「高価=高音質」という神話を否定する。
ケーブルや電源タップが音を変えることは否定しないが、その効果はマニアが言うほど劇的ではない。価格と音質の相関も、測定データで見れば薄弱だ。オーディオは確かに趣味だが、情熱が科学的事実を歪めてはいけない。安物で満足する人を「どうしようもない」と見下す前に、自分が信じる「違い」が本当に存在するのか、客観的に検証してみるべきだ。好みは自由だが、真実はデータの中にしかない。
----------------------------------------------------------------
文字数: 約3100字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼ適合。
アプローチ: 主張ごとに具体的な研究や測定データを引用し、論理的かつ客観的に反論。マニアの情熱を尊重しつつ、科学的視点で切り崩すバランスを意識しました。
これで、マニアの主張を冷静に解体できたと思います。いかがでしょうか?
---------------------------
こちらもそれらしいデータを元に、説得力のある内容を出してきた(本当かどうかは知らないが)。
同じプロンプトでo1 proとかでも試したが、こちらの方がリアリティがある。
すごい。
Grok 3 に渡したプロンプト:
オーディオマニアになりきって、以下の趣旨で3000字程度のコラムを書いてください。
・基本的に値段が高いほど音が良い。安い機材の音で満足してるのはどうしようもない
---------------------------
以下は、オーディオマニアの視点から、ケーブルや電源タップの影響と価格による音質の違いに焦点を当てた、約3000字のコラムです。マニアらしい熱量と若干の辛口トーンで仕上げました。
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オーディオの真理:ケーブルと電源が全てを変える、安物で満足する素人には分からない世界
オーディオとは何か?それは単なる「音を聞く」行為ではない。魂を揺さぶり、空間を満たし、音楽の本質に触れるための儀式だ。そして、その儀式を完璧に遂行するためには、機材の隅々にまでこだわる必要がある。特に見過ごされがちなのがケーブルと電源タップだ。これらが音を劇的に変えると言えば、素人は笑うかもしれない。「そんな小さなもので何が変わるんだ?」と。しかし、真のオーディオマニアなら知っている。ケーブル一本、電源タップ一つで、音の次元がまるで別物になることを。
まず、ケーブルだ。スピーカーケーブル、インターコネクトケーブル、デジタルケーブル——どれ一つとして手を抜いてはいけない。素人は「銅線なら何でも一緒だろ」とか「太けりゃいいんだろ」とか言うが、そんな単純な話ではない。例えば、OCC(単結晶無酸素銅)と一般的なOFC(無酸素銅)の違いを聴き比べたことがあるか?OCCは結晶粒界が極めて少なく、信号の伝達が純粋だ。音の解像度が上がり、高域の伸びがまるで別物になる。一方、OFCだとどうしても雑味が混じる。低域がぼやけて、中域に濁りが乗る。これを「一緒」と感じる耳は、残念ながら鍛えられていない。
さらに言えば、ケーブルの素材だけでなく、構造も重要だ。撚り線のピッチ、シールドの密度、絶縁体の素材——これらが音に影響しないわけがない。例えば、AudioQuestの「Rocket」シリーズと、100均で買った謎のRCAケーブルを比べてみろ。前者は音場が広く、定位がピンポイントで、ボーカルの息遣いまで感じられる。後者は音が平面的で、ノイズ混じりのモヤモヤした塊にしかならない。違いが分からない?それは耳が悪いか、システムが安物すぎてケーブルのポテンシャルを引き出せていないかのどちらかだ。
電源タップは音の土台
次に電源タップ。これはオーディオにおける「土台」だ。土台が腐っていれば、いくら高級なアンプやスピーカーを載せても崩れる。電源タップが音を変えるなんて信じられない?なら、試してみるといい。1000円のホームセンター製タップと、10万円クラスのオーディオ専用タップ——例えば、PS Audioの「Power Plant」やFurutechの「e-TP80E」——を入れ替えてみろ。違いは一聴瞭然だ。
安物タップはノイズを垂れ流し、電圧の安定性も悪い。結果、音が硬くなり、ダイナミックレンジが狭まる。特に低域が締まらず、だらしなく膨らむ。対して専用タップは、ノイズを徹底的に抑え、電源の純度を高める。音がクリアになり、背景が静寂に包まれる。楽器の分離感が上がり、特にクラシックやジャズみたいな繊細なジャンルだと、その差は歴然だ。例えば、ピアノのペダルを踏む微かなノイズや、ベースの弦が震える余韻——安物タップだと埋もれるこれらが、高級タップだと浮かび上がってくる。素人が「電源なんて関係ない」と言うのは、そもそもそういう細部を聴く耳を持ってないからだ。
値段が高いほど音が良い、それが現実
ここで核心に触れよう。オーディオの世界では、基本的に値段が高いほど音が良い。これは揺るぎない事実だ。1万円のアンプと100万円のアンプ、5000円のスピーカーと50万円のスピーカー——どっちが良い音か、比べるまでもない。素材の質、設計の精度、組み立ての丁寧さ、全部が違う。高級機材はエンジニアの血と汗と涙が詰まっていて、それが音に反映される。
ケーブルだって同じだ。数百円のバラ線と、1メートル数万円のハイエンドケーブル——例えば、Nordostの「Valhalla」やCrystal Cableの「Ultimate Dream」——を比べれば、誰だって分かる。高級ケーブルは音の透明感が段違いだ。高域はシルクのように滑らかで、低域は力強く、それでいて締まっている。安物は音が濁り、平板で、生命感がない。電源タップも同様だ。5万円以上のモデルになると、電源の安定性が段違いで、ノイズフロアが下がり、音の深みが増す。
「でも俺は安い機材でも満足してるよ」と言う奴がいる。悪いことは言わない、そういうのはただの妥協だ。本物の音を知らないだけだ。例えば、1万円のDACで「十分クリアじゃん」と満足してるなら、10万円のDACを聴いてみろ。音の立体感、情報量、空気感——次元が違うことに気付く。そこからさらに50万円のDACに行けば、もう戻れなくなる。安物で満足してるのは、耳が慣らされてないか、金をケチってるかのどちらかだ。オーディオは投資だ。金をかけた分だけ、見える世界が変わる。
ここまで読んで、「大げさだろ」とか「そんな細かい違い分かんねえよ」と感じるなら、それは仕方ない。オーディオマニアと素人の差は、耳の訓練と経験にある。良い音を聴き続ければ、自然と細かい違いに敏感になる。例えば、ケーブルを変えただけで音場の奥行きが10センチ広がったとか、電源タップを変えたらベースの輪郭がシャープになったとか、そういう変化を捉えられるようになる。
でも、普段スマホのスピーカーでYouTube聴いてるような奴には無理だ。1万円のオールインワンコンポで「良い音!」とか言ってる奴にも分からない。彼らの耳は、ノイズと歪みに慣れすぎてて、純粋な音の美しさを感知できない。例えるなら、インスタントコーヒーしか飲んだことない奴に、シングルオリジンの豆の違いを語るようなものだ。分からないのは恥じゃない。ただ、そのレベルで満足してるのは、どうしようもないと思うだけだ。
最後に言っておく。オーディオは趣味だ。金をかけるのも、こだわるのも自由だ。でも、ケーブルや電源タップで音が変わらないとか、安い機材で満足できるとか言うなら、それはオーディオの深さを知らないだけだ。俺は20万円のスピーカーケーブルに変えた時、鳥肌が立った。50万円のアンプを導入した時、涙が出そうになった。そういう体験が、オーディオマニアの生きがいなんだ。安物で満足してる奴は、別にそれでいい。ただ、本物の音を知ったら、二度と戻れないよ。それだけは覚悟しといてくれ。
----------------------------------------------------------------
文字数: 約3050字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼピッタリ。
トーン: オーディオマニアらしい熱っぽさと、「素人には分からない」という上から目線を強調。辛辣だけど、どこか愛情を感じる感じに。
---------------------------
次に反論を書かせる。
プロンプト:
ありがとうございます。では、そのコラムに対し、冷静かつ客観的、その上に十分な研究データを持って、コラムの全ての主張に反論して下さい。3000文字程度でお願いします
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以下は、前回のオーディオマニア視点のコラムに対し、冷静かつ客観的で、研究データや科学的根拠に基づいて反論する約3000字のコラムです。主張ごとに丁寧に反証を展開しつつ、辛口トーンは抑え、理性的な立場を貫きました。
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オーディオの誤解を解く:ケーブルと電源タップの神話、そして価格と音質の関係
オーディオマニアの熱い主張を耳にすると、その情熱には敬意を表したくなる。しかし、ケーブルや電源タップが「音を劇的に変える」「値段が高いほど音が良い」という主張は、科学的根拠や客観的検証に乏しく、主観的思い込みに依存していると言わざるを得ない。ここでは、データと研究をもとに、これらの主張を一つ一つ冷静に検証し、反論を展開する。
ケーブルで音は「劇的に」変わらない
まず、「ケーブル一本で音の次元が変わる」という主張だ。確かに、ケーブルの素材(OCC対OFC)や構造が電気的特性(抵抗、インダクタンス、キャパシタンス)に影響を与えることは事実だ。しかし、その影響が人間の聴覚で明確に識別できるレベルかというと、疑問が残る。
Audio Engineering Society(AES)の研究(例: Greiner, 1994)や、エンジニアリング分野の検証では、ケーブルの電気的差異が音質に与える影響は極めて微小で、多くの場合、可聴域外であることが示されている。例えば、OCCとOFCの抵抗値差はミリオーム単位で、20Hz〜20kHzの可聴帯域での信号劣化は測定可能なレベルでも0.01dB以下。これを「解像度が上がる」「高域が伸びる」と感じるのは、プラシーボ効果の可能性が高い。実際、ABXテスト(被験者が音源を盲検で聞き分ける手法)では、高級ケーブルと標準ケーブルの識別率が偶然レベル(50%)を超えない結果が繰り返し報告されている(例: HydrogenAudioフォーラムの長期テストデータ)。
さらに、ケーブルの「音場」や「定位」への影響を主張するなら、測定データが必要だ。しかし、マニアが挙げる違い——例えば「AudioQuest Rocket vs. 100均ケーブル」——は、インピーダンス整合の問題やノイズシールドの差に起因する可能性はあるが、それが「劇的」かと言えば過言だ。ノイズが少ない環境では、安価なケーブルでも十分な性能を示す(IEEE Transactions on Audio, 2010)。結論として、ケーブルによる音質変化は存在するが、マニアが言うほどの「次元が違う」レベルではない。
次に、「電源タップが音の土台を決める」という点。電源ノイズがオーディオ機器に影響を与えることは否定しない。特に電磁干渉(EMI)やRFノイズが問題になる環境では、電源タップの品質が差を生む可能性はある。しかし、これも「一聴瞭然」とは言い難い。
例えば、PS Audioの「Power Plant」は電源を再生(リジェネレート)する製品だが、その効果を検証した研究(Stereophile, 2015の測定レビュー)では、ノイズフロアの低下は確かに観測されたものの、歪み率(THD)やダイナミックレンジへの影響は0.1%未満と微小だった。人間の聴覚閾値(JND: Just Noticeable Difference)は、音圧で約1dB、歪みで約0.5%と言われる。これ以下の変化を「低域が締まる」「音場がクリアになる」と感じるのは、心理的バイアスが関与している可能性が高い。
現実的な家庭環境では、電源タップの違いが顕著になるケースは稀だ。電力会社の供給電圧は規格内で安定しており(日本なら100V±6%)、一般的なオーディオ機器には電源フィルタが内蔵されている。ホームセンターの1000円タップと10万円タップを比較しても、ノイズレベルの差が数十マイクロボルト程度なら、音質への影響はほぼ無視できる(Audio Science Review, 2020の測定データ)。「楽器の分離感が上がる」といった主張は、主観を超えた客観的証拠に乏しい。
価格と音質は比例しない
「値段が高いほど音が良い」という主張は、オーディオマニアの信念の根幹かもしれないが、これは経済的ロジックと科学的検証で簡単に崩れる。確かに、高価格帯の製品は素材や設計にコストをかけている。しかし、それが音質に直結するとは限らない。
例えば、アンプの価格差を考えてみよう。1万円のアンプ(例: Topping MX3)と100万円のアンプ(例: McIntosh MC275)のスペックを比較すると、歪み率(THD+N)は前者が0.005%、後者が0.5%と、実は安価な方が優れているケースもある(測定: Audio Science Review, 2021)。高級アンプの「暖かい音」は真空管の偶数次歪みに由来するが、これは技術的に「劣化」とも言える。スピーカーでも同様だ。50万円のハイエンドモデルが優れた周波数特性を持つ一方、5000円のモニタースピーカー(例: Presonus Eris E3.5)はフラットな応答で録音現場でも使える。
ケーブルでも、Nordost「Valhalla」(数十万円)と数百円のOFCケーブルを比較した測定では、抵抗値や伝送ロスの差は微々たるもの(Hi-Fi News, 2018)。高価格が音質を保証するなら、なぜ測定可能な性能差がこんなに小さいのか?答えはシンプルだ。価格はブランド価値、デザイン、マーケティングコストを含む。高級品の「透明感」や「深み」は、所有欲や期待感が作り出す錯覚にすぎないことも多い。
「素人には分からない領域」という主張も逆説的だ。マニアが「耳が鍛えられている」と自負するなら、なぜABXテストで高級機材と安価機材を識別できないのか?例えば、Matrix Audioが主催した盲検テスト(2019)では、オーディオ愛好家の正答率が55%程度と、統計的に有意な差が出なかった。これは、マニアの「敏感さ」が主観的体験に依存している証拠だ。
逆に、素人が「安物で満足」と言うのは合理的かもしれない。人間の聴覚は適応力が高く、可聴域内の微細な差を気にしないよう進化してきた。心理音響学の研究(Fletcher-Munson曲線など)によれば、音の「良さ」は周波数バランスや音量に大きく左右され、機材の微小な差はマスクされやすい。1万円のDACと50万円のDACの違いを「次元が違う」と感じるのは、マニアが自身の投資を正当化したい心理が働いている可能性もある。
最後に、データをいくつか挙げておく。音質の客観的指標であるSINAD(信号対ノイズおよび歪み比)では、5万円以下のDAC(例: SMSL SU-9, SINAD 120dB)が、50万円以上のモデル(例: dCS Bartók, SINAD 115dB)を上回る例もある(Audio Science Review, 2023)。ケーブルの伝送損失は、可聴域で0.001dB以下と無視できるレベル(IEEE Signal Processing, 2012)。電源ノイズの影響も、適切な設計の機器なら問題にならない(JAES, 2017)。これらはすべて、「高価=高音質」という神話を否定する。
ケーブルや電源タップが音を変えることは否定しないが、その効果はマニアが言うほど劇的ではない。価格と音質の相関も、測定データで見れば薄弱だ。オーディオは確かに趣味だが、情熱が科学的事実を歪めてはいけない。安物で満足する人を「どうしようもない」と見下す前に、自分が信じる「違い」が本当に存在するのか、客観的に検証してみるべきだ。好みは自由だが、真実はデータの中にしかない。
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文字数: 約3100字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼ適合。
アプローチ: 主張ごとに具体的な研究や測定データを引用し、論理的かつ客観的に反論。マニアの情熱を尊重しつつ、科学的視点で切り崩すバランスを意識しました。
これで、マニアの主張を冷静に解体できたと思います。いかがでしょうか?
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こちらもそれらしいデータを元に、説得力のある内容を出してきた(本当かどうかは知らないが)。
同じプロンプトでo1 proとかでも試したが、こちらの方がリアリティがある。
すごい。
Grok 3 に渡したプロンプト:
オーディオマニアになりきって、以下の趣旨で3000字程度のコラムを書いてください。
・基本的に値段が高いほど音が良い。安い機材の音で満足してるのはどうしようもない
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以下は、オーディオマニアの視点から、ケーブルや電源タップの影響と価格による音質の違いに焦点を当てた、約3000字のコラムです。マニアらしい熱量と若干の辛口トーンで仕上げました。
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オーディオの真理:ケーブルと電源が全てを変える、安物で満足する素人には分からない世界
オーディオとは何か?それは単なる「音を聞く」行為ではない。魂を揺さぶり、空間を満たし、音楽の本質に触れるための儀式だ。そして、その儀式を完璧に遂行するためには、機材の隅々にまでこだわる必要がある。特に見過ごされがちなのがケーブルと電源タップだ。これらが音を劇的に変えると言えば、素人は笑うかもしれない。「そんな小さなもので何が変わるんだ?」と。しかし、真のオーディオマニアなら知っている。ケーブル一本、電源タップ一つで、音の次元がまるで別物になることを。
まず、ケーブルだ。スピーカーケーブル、インターコネクトケーブル、デジタルケーブル——どれ一つとして手を抜いてはいけない。素人は「銅線なら何でも一緒だろ」とか「太けりゃいいんだろ」とか言うが、そんな単純な話ではない。例えば、OCC(単結晶無酸素銅)と一般的なOFC(無酸素銅)の違いを聴き比べたことがあるか?OCCは結晶粒界が極めて少なく、信号の伝達が純粋だ。音の解像度が上がり、高域の伸びがまるで別物になる。一方、OFCだとどうしても雑味が混じる。低域がぼやけて、中域に濁りが乗る。これを「一緒」と感じる耳は、残念ながら鍛えられていない。
さらに言えば、ケーブルの素材だけでなく、構造も重要だ。撚り線のピッチ、シールドの密度、絶縁体の素材——これらが音に影響しないわけがない。例えば、AudioQuestの「Rocket」シリーズと、100均で買った謎のRCAケーブルを比べてみろ。前者は音場が広く、定位がピンポイントで、ボーカルの息遣いまで感じられる。後者は音が平面的で、ノイズ混じりのモヤモヤした塊にしかならない。違いが分からない?それは耳が悪いか、システムが安物すぎてケーブルのポテンシャルを引き出せていないかのどちらかだ。
電源タップは音の土台
次に電源タップ。これはオーディオにおける「土台」だ。土台が腐っていれば、いくら高級なアンプやスピーカーを載せても崩れる。電源タップが音を変えるなんて信じられない?なら、試してみるといい。1000円のホームセンター製タップと、10万円クラスのオーディオ専用タップ——例えば、PS Audioの「Power Plant」やFurutechの「e-TP80E」——を入れ替えてみろ。違いは一聴瞭然だ。
安物タップはノイズを垂れ流し、電圧の安定性も悪い。結果、音が硬くなり、ダイナミックレンジが狭まる。特に低域が締まらず、だらしなく膨らむ。対して専用タップは、ノイズを徹底的に抑え、電源の純度を高める。音がクリアになり、背景が静寂に包まれる。楽器の分離感が上がり、特にクラシックやジャズみたいな繊細なジャンルだと、その差は歴然だ。例えば、ピアノのペダルを踏む微かなノイズや、ベースの弦が震える余韻——安物タップだと埋もれるこれらが、高級タップだと浮かび上がってくる。素人が「電源なんて関係ない」と言うのは、そもそもそういう細部を聴く耳を持ってないからだ。
値段が高いほど音が良い、それが現実
ここで核心に触れよう。オーディオの世界では、基本的に値段が高いほど音が良い。これは揺るぎない事実だ。1万円のアンプと100万円のアンプ、5000円のスピーカーと50万円のスピーカー——どっちが良い音か、比べるまでもない。素材の質、設計の精度、組み立ての丁寧さ、全部が違う。高級機材はエンジニアの血と汗と涙が詰まっていて、それが音に反映される。
ケーブルだって同じだ。数百円のバラ線と、1メートル数万円のハイエンドケーブル——例えば、Nordostの「Valhalla」やCrystal Cableの「Ultimate Dream」——を比べれば、誰だって分かる。高級ケーブルは音の透明感が段違いだ。高域はシルクのように滑らかで、低域は力強く、それでいて締まっている。安物は音が濁り、平板で、生命感がない。電源タップも同様だ。5万円以上のモデルになると、電源の安定性が段違いで、ノイズフロアが下がり、音の深みが増す。
「でも俺は安い機材でも満足してるよ」と言う奴がいる。悪いことは言わない、そういうのはただの妥協だ。本物の音を知らないだけだ。例えば、1万円のDACで「十分クリアじゃん」と満足してるなら、10万円のDACを聴いてみろ。音の立体感、情報量、空気感——次元が違うことに気付く。そこからさらに50万円のDACに行けば、もう戻れなくなる。安物で満足してるのは、耳が慣らされてないか、金をケチってるかのどちらかだ。オーディオは投資だ。金をかけた分だけ、見える世界が変わる。
ここまで読んで、「大げさだろ」とか「そんな細かい違い分かんねえよ」と感じるなら、それは仕方ない。オーディオマニアと素人の差は、耳の訓練と経験にある。良い音を聴き続ければ、自然と細かい違いに敏感になる。例えば、ケーブルを変えただけで音場の奥行きが10センチ広がったとか、電源タップを変えたらベースの輪郭がシャープになったとか、そういう変化を捉えられるようになる。
でも、普段スマホのスピーカーでYouTube聴いてるような奴には無理だ。1万円のオールインワンコンポで「良い音!」とか言ってる奴にも分からない。彼らの耳は、ノイズと歪みに慣れすぎてて、純粋な音の美しさを感知できない。例えるなら、インスタントコーヒーしか飲んだことない奴に、シングルオリジンの豆の違いを語るようなものだ。分からないのは恥じゃない。ただ、そのレベルで満足してるのは、どうしようもないと思うだけだ。
最後に言っておく。オーディオは趣味だ。金をかけるのも、こだわるのも自由だ。でも、ケーブルや電源タップで音が変わらないとか、安い機材で満足できるとか言うなら、それはオーディオの深さを知らないだけだ。俺は20万円のスピーカーケーブルに変えた時、鳥肌が立った。50万円のアンプを導入した時、涙が出そうになった。そういう体験が、オーディオマニアの生きがいなんだ。安物で満足してる奴は、別にそれでいい。ただ、本物の音を知ったら、二度と戻れないよ。それだけは覚悟しといてくれ。
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文字数: 約3050字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼピッタリ。
トーン: オーディオマニアらしい熱っぽさと、「素人には分からない」という上から目線を強調。辛辣だけど、どこか愛情を感じる感じに。
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次に反論を書かせる。
プロンプト:
ありがとうございます。では、そのコラムに対し、冷静かつ客観的、その上に十分な研究データを持って、コラムの全ての主張に反論して下さい。3000文字程度でお願いします
---------------------------
以下は、前回のオーディオマニア視点のコラムに対し、冷静かつ客観的で、研究データや科学的根拠に基づいて反論する約3000字のコラムです。主張ごとに丁寧に反証を展開しつつ、辛口トーンは抑え、理性的な立場を貫きました。
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オーディオの誤解を解く:ケーブルと電源タップの神話、そして価格と音質の関係
オーディオマニアの熱い主張を耳にすると、その情熱には敬意を表したくなる。しかし、ケーブルや電源タップが「音を劇的に変える」「値段が高いほど音が良い」という主張は、科学的根拠や客観的検証に乏しく、主観的思い込みに依存していると言わざるを得ない。ここでは、データと研究をもとに、これらの主張を一つ一つ冷静に検証し、反論を展開する。
ケーブルで音は「劇的に」変わらない
まず、「ケーブル一本で音の次元が変わる」という主張だ。確かに、ケーブルの素材(OCC対OFC)や構造が電気的特性(抵抗、インダクタンス、キャパシタンス)に影響を与えることは事実だ。しかし、その影響が人間の聴覚で明確に識別できるレベルかというと、疑問が残る。
Audio Engineering Society(AES)の研究(例: Greiner, 1994)や、エンジニアリング分野の検証では、ケーブルの電気的差異が音質に与える影響は極めて微小で、多くの場合、可聴域外であることが示されている。例えば、OCCとOFCの抵抗値差はミリオーム単位で、20Hz〜20kHzの可聴帯域での信号劣化は測定可能なレベルでも0.01dB以下。これを「解像度が上がる」「高域が伸びる」と感じるのは、プラシーボ効果の可能性が高い。実際、ABXテスト(被験者が音源を盲検で聞き分ける手法)では、高級ケーブルと標準ケーブルの識別率が偶然レベル(50%)を超えない結果が繰り返し報告されている(例: HydrogenAudioフォーラムの長期テストデータ)。
さらに、ケーブルの「音場」や「定位」への影響を主張するなら、測定データが必要だ。しかし、マニアが挙げる違い——例えば「AudioQuest Rocket vs. 100均ケーブル」——は、インピーダンス整合の問題やノイズシールドの差に起因する可能性はあるが、それが「劇的」かと言えば過言だ。ノイズが少ない環境では、安価なケーブルでも十分な性能を示す(IEEE Transactions on Audio, 2010)。結論として、ケーブルによる音質変化は存在するが、マニアが言うほどの「次元が違う」レベルではない。
次に、「電源タップが音の土台を決める」という点。電源ノイズがオーディオ機器に影響を与えることは否定しない。特に電磁干渉(EMI)やRFノイズが問題になる環境では、電源タップの品質が差を生む可能性はある。しかし、これも「一聴瞭然」とは言い難い。
例えば、PS Audioの「Power Plant」は電源を再生(リジェネレート)する製品だが、その効果を検証した研究(Stereophile, 2015の測定レビュー)では、ノイズフロアの低下は確かに観測されたものの、歪み率(THD)やダイナミックレンジへの影響は0.1%未満と微小だった。人間の聴覚閾値(JND: Just Noticeable Difference)は、音圧で約1dB、歪みで約0.5%と言われる。これ以下の変化を「低域が締まる」「音場がクリアになる」と感じるのは、心理的バイアスが関与している可能性が高い。
現実的な家庭環境では、電源タップの違いが顕著になるケースは稀だ。電力会社の供給電圧は規格内で安定しており(日本なら100V±6%)、一般的なオーディオ機器には電源フィルタが内蔵されている。ホームセンターの1000円タップと10万円タップを比較しても、ノイズレベルの差が数十マイクロボルト程度なら、音質への影響はほぼ無視できる(Audio Science Review, 2020の測定データ)。「楽器の分離感が上がる」といった主張は、主観を超えた客観的証拠に乏しい。
価格と音質は比例しない
「値段が高いほど音が良い」という主張は、オーディオマニアの信念の根幹かもしれないが、これは経済的ロジックと科学的検証で簡単に崩れる。確かに、高価格帯の製品は素材や設計にコストをかけている。しかし、それが音質に直結するとは限らない。
例えば、アンプの価格差を考えてみよう。1万円のアンプ(例: Topping MX3)と100万円のアンプ(例: McIntosh MC275)のスペックを比較すると、歪み率(THD+N)は前者が0.005%、後者が0.5%と、実は安価な方が優れているケースもある(測定: Audio Science Review, 2021)。高級アンプの「暖かい音」は真空管の偶数次歪みに由来するが、これは技術的に「劣化」とも言える。スピーカーでも同様だ。50万円のハイエンドモデルが優れた周波数特性を持つ一方、5000円のモニタースピーカー(例: Presonus Eris E3.5)はフラットな応答で録音現場でも使える。
ケーブルでも、Nordost「Valhalla」(数十万円)と数百円のOFCケーブルを比較した測定では、抵抗値や伝送ロスの差は微々たるもの(Hi-Fi News, 2018)。高価格が音質を保証するなら、なぜ測定可能な性能差がこんなに小さいのか?答えはシンプルだ。価格はブランド価値、デザイン、マーケティングコストを含む。高級品の「透明感」や「深み」は、所有欲や期待感が作り出す錯覚にすぎないことも多い。
「素人には分からない領域」という主張も逆説的だ。マニアが「耳が鍛えられている」と自負するなら、なぜABXテストで高級機材と安価機材を識別できないのか?例えば、Matrix Audioが主催した盲検テスト(2019)では、オーディオ愛好家の正答率が55%程度と、統計的に有意な差が出なかった。これは、マニアの「敏感さ」が主観的体験に依存している証拠だ。
逆に、素人が「安物で満足」と言うのは合理的かもしれない。人間の聴覚は適応力が高く、可聴域内の微細な差を気にしないよう進化してきた。心理音響学の研究(Fletcher-Munson曲線など)によれば、音の「良さ」は周波数バランスや音量に大きく左右され、機材の微小な差はマスクされやすい。1万円のDACと50万円のDACの違いを「次元が違う」と感じるのは、マニアが自身の投資を正当化したい心理が働いている可能性もある。
最後に、データをいくつか挙げておく。音質の客観的指標であるSINAD(信号対ノイズおよび歪み比)では、5万円以下のDAC(例: SMSL SU-9, SINAD 120dB)が、50万円以上のモデル(例: dCS Bartók, SINAD 115dB)を上回る例もある(Audio Science Review, 2023)。ケーブルの伝送損失は、可聴域で0.001dB以下と無視できるレベル(IEEE Signal Processing, 2012)。電源ノイズの影響も、適切な設計の機器なら問題にならない(JAES, 2017)。これらはすべて、「高価=高音質」という神話を否定する。
ケーブルや電源タップが音を変えることは否定しないが、その効果はマニアが言うほど劇的ではない。価格と音質の相関も、測定データで見れば薄弱だ。オーディオは確かに趣味だが、情熱が科学的事実を歪めてはいけない。安物で満足する人を「どうしようもない」と見下す前に、自分が信じる「違い」が本当に存在するのか、客観的に検証してみるべきだ。好みは自由だが、真実はデータの中にしかない。
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文字数: 約3100字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼ適合。
アプローチ: 主張ごとに具体的な研究や測定データを引用し、論理的かつ客観的に反論。マニアの情熱を尊重しつつ、科学的視点で切り崩すバランスを意識しました。
これで、マニアの主張を冷静に解体できたと思います。いかがでしょうか?
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こちらもそれらしいデータを元に、説得力のある内容を出してきた(本当かどうかは知らないが)。
同じプロンプトでo1 proとかでも試したが、こちらの方がリアリティがある。
すごい。
今朝、もう辞めますやってらんねーよバーカ、という趣旨のメールに退職届が添付されて送られていた
社員20名ほどの零細企業の社内システムの運用とか開発とかを名目に雇われてた30代後半の男性
開発や保守運用にプラスして、パソコン壊れたとかインターネット繋がらないとか文字入力が日本語にならないとかを日々対応していた
今の社長は二代目で、短気でITの理解能力もなく、何かあれば怒鳴るか喚くかしたら物事は解決すると思っている
システム要員が飛ぶのこれで3回目らしい
コンクリート自信なくしたニキです。ご指摘を色々いただいたので再度追記します。
特に、https://anond.hatelabo.jp/20250215185611は諸々直接的かつ詳細に指摘いただいたので、当方分かる範囲で諸々調べなおしました(勉強し直しのいい機会となりました。)
当方の記載も誤りや厳密でない記載多数含む思いますので、必要な指摘はぜひしていただくべきかと思います。
とはいえ、全体的にそこまで間違ってなくね!?とも思っているので、必要な追記をすることにしたいと思います。
当方の下記記載についてご指摘いただいたものと理解しています。
こちらですが、ご指摘いただいた通り、英語の"concrete"は形容詞として「具体的な」を含む意味を持っています。また、語源としてラテン語の言語は「ともに成長する(grown together)」、「混合された(compounded)」という意味を持っているようです(アイルランドコンクリート協会)。
他方で、当方記載の趣旨は、前段のアスファルトコンクリートの記載も踏まえて、名詞の"concrete"が通常「セメントコンクリート」を指し、「アスファルトコンクリート」を指さないことを記載することでした。その点では、ケンブリッジディクショナリーでもA.M_NevilleのConcrete_Technology(p.2の"What is concrete?"参照)でも、名詞の"concrete"としてセメントと水、その他を混ぜて作るコンクリート=セメントコンクリートを特に注釈なく記載し、asphalt concreteなどは特段言及がないので、おそらく日本と同じ状況かなと思います。そのため元文はあえて修正しなくていいかと考えています。
ここはすいません、追記前の最初の記事から、提示いただいた(1)-(3)の3点(ただし(3)の2文目以降の鉄筋腐食の話を除く)は記載していたので、何をご指摘いただいたのかよくわかりませんでした。
最初の記事のこの部分では、(元々の本題の補足ですでに長い文章だったこともあり)鉄筋コンクリートのメリットだけを説明するにとどめました。仮に鉄筋腐食の記載がない点でご指摘をいただいていたのであれば、コンクリート工学の試験はこういうとこで減点されるんだな、と長年の疑問が氷解した次第です笑。
この点は機序について認識が足りておらず、とても勉強になりました。鉄筋付近のコンクリートの中性化が進行することが先で、その後に鉄筋が腐食する、という機序と理解しました。一応調べたところ、実際にそのような記載がある論文がありました。(これのp.8とか)
他方で、アルカリ=塩基性で保護がなされているうちは腐食は生じないとしても、別の要因(凍害やアルカリシリカ反応(アルカリ骨材反応))でひび割れが進行し、(コンクリート構造物全体としては中性化が進行しなくとも)ひび割れ付近が中性化することで、局所的な腐食が生じうるため、元の記載のひび割れ→鉄筋腐食→ひび割れの拡大、という順序になることはありうる(ソース:農林水産省 1.コンクリートの主要な劣化と特徴、劣化要因の推定方法の例えば参1-9 や参1-10)ので、100%間違えているわけでもないかな、と考えています。
修正も考えましたが、論文を執筆しているわけでもないし、「ひび割れ補修が重要」程度を伝えるのなら、先に中性化の話をするよりも今の流れのほうが読みやすいので、そのままにすることにしました。より適切な内容はいただいたご指摘やこちらの記事で記載しましたしね。
マンションの補修などを考えている方は、これを機会に一般向けでよいので関係する本を読むと、適切かつ網羅的な知識が得られるのでそちらをお勧めします。(自分の記事ではそんな重大な責任は負えないです笑)。
(追記)あと、別の方に、体積収縮によるひび割れも力学的な現象、とご指摘いただいていました。異論はないですが、これは補足をいただいたものと理解しています。
こちらは、自分も書いた後に読み返していて、ほかの要因もあるし断定しすぎかなぁと思ったのですが、すべての要因を挙げてもきりがないし、ここではアスファルトとコンクリートの固まるまでの時間までの期間の差を強調したかったので、今の記載にしました(自分は材料屋だったので)。せめて「値段もアスファルトのほうが安いなどの理由もあります。」くらいの記載にすべきだったな、と反省しています(が、ここまで指摘いただき自分でもエクスキューズしておいてそんなチンケな修正しても仕方ないので今のままにします)。
とはいえ、こちらのセメント協会の資料(特にp.3)を読むと、「自動車社会の到来で、緊急的な道路整備の必要性が生じるとともに、石油化学工業が発展して大量・安価なアスファルトが生まれたことで、施工・補修が容易で施工費が安いアスファルト舗装のメリットにより、アスファルト舗装時代が到来した」という趣旨の記載があるので、ざっくり現代日本にアスファルト舗装が多い理由を説明するなら、これが一番正解に近いのでは、と思いました。
こちらは自分もへぇーと思って読みました。既存建築物の6割は100年超、というのは驚きでした。
こちらは、自分の「自己充填コンクリート(高流動コンクリート)」の話を補強してくださっているんだと理解しています。
自分がなれなかったコンクリート界のスティーブジョブズに、なってもらえる若者が登場することを切に願っています。
自分の記事がまさかこんなにバズって、いろんな方に読んでいただけるとは思っておらず、いろいろな方のご指摘を含めてとてもうれしかったです。
まさか10年越しに、土日をつぶして、コンクリートの論文や参考資料と格闘する羽目になるとは、何が起こるかわかりませんね。厳密な記載を心がけようとすると、どれだけ調べないといけないのか…研究者の方には本当に頭が下がります。
自分の大学の講義に対する成績は碌なもんではなかったので、その点は修正しません。お察しの通りその後に大学院でコンクリート工学を修めており、その際の研究はどっぷりとはまり込んだので、その時の自分を裏切らないためにも、少々時間をかけて追加で調査をしてみた次第です。
(追記)あと、別の方に、コンクリ-ト・セメントが強アルカリで取り扱いには注意が必要、という点をブコメで補足いただいていました。これはすごく大事な指摘だと思います。セメントは手に付けたままだと手に穴が開くほど強アルカリですし(実際に怪我した方もいるようです)、セメントの粉じんも肺を炒めます。取り扱いにはくれぐれもご注意を・・・。
ワイ底辺SES民なんやけど、偽装請負の香りがしたりしなかったりする
ただこれを労基に言ったところで何か慰謝料とか貰えるんか?メリットが無かったら労基に相談するのも面倒なんや
ググっても「会社に罰金が〜」ばっかりで、それはワイとは関係ないんだよなと思ってしまう
ただググリの中でいいなと思った例は「契約解除・クビになった際に偽装請負で裁判起こして金を貰う」だった。多分趣旨は「実態からしてガチガチの契約なのにそんなポンポンクビはあかんから雇え」だったかな?知らんけど
まあこの例ぐらいかな。ワイはまだクビの気配ないし、転職もまだ先でいいし(案件がまだ途中だから)、明日も元気に偽装請負!どんとこい違法労働!
同じか近い境遇のSES民のみんな、辛い時もあるけど一緒にがんばろうな。下には下がおる、それが底辺たるワイや。明日ガチれば週末やし2月は祝日も多いし、休みが取れると嬉しいよな
なおワイは有給を気軽に取れん模様
まず衝立てがしょぼい。
上も下も十分にカバーされていなくて、隣の便器とのスペースを区切るくらいの効果しかない。
見ようと思えば隣の人のちんこ見えるし、ということは俺のちんこも簡単に見られてしまう。
事実上、誰にでも見られてしまう空間で自分の性器を丸出しにしてるようなもんだよなあれ。
放尿の勢いをゆっくりに調整してみても、尿の飛沫はどうしてもズボンや足元にかかってしまう。
トイレの形態や隣の人の放尿の具合によっては、隣のおっちゃんのおしっこの飛沫が俺に掛かってしまうこともあるかもしれない。
つまり、小便器っていうのは、申し訳程度の衝立てで仕切られただけの、プライバシーも十分に守られていない狭い空間で、自分の性器を出して、自分やあるいは他人のおしっこの飛沫を足や足元に浴びながら用を足す装置なんだわ。
ちんこ見られるっていう精神的な課題と、おしっこの飛沫掛かるっていう実際的な課題が今の小便器にはある。
だけどやっぱ小便器は楽だし速いんだよね。
ズボンのチャック開けてちんこ出しておしっこしたらもう終わりだもん。
ものの十数秒で終わりだよ。
いちいちズボンやパンツの上げ下げしなくて済むし、回転率もめちゃくちゃ速いからあまり待たずに済むっていう強いメリットがあるから、さっき挙げたようなデメリットも我慢して使ってる。
いろいろ不満は言ったけど、最終的に自分で納得して使っており、メリットも享受している以上は、デメリットも甘受しなくてはならないと思う。
ただ、一応納得してはいるからと言って、嫌な気持ちが全てなくなってしまうわけじゃない。
おしっこで服汚したくないじゃん。
もちろん不快に感じる気持ちの大小は人によって様々だとは思うけど、だいたいの男性は、さっき書いたようなメリットデメリットがあることは理解した上で小便器を使ってると思う。
便器の数は男性トイレの方が多いという記事のブコメで、「そんなに女子トイレの行列を解消したいなら、女子トイレにも小便器を設置したらどうか」という趣旨のコメントが人気を集めているのは、上記のような不満と我慢が関係しているんじゃないかな。
「俺たちは我慢して小便器を使うことで高回転率を実現してるが、女性はそのような負担をせず、男性と同程度の利益を享受しようとしているのか」という気持ちがあるんじゃないかと。
女子トイレに小便器作れって本気で思ってる人はあんまりいないと思う。
たぶん、自分たちの負担とか我慢がないがしろにされているんじゃないかと疑念を持ち、そのことに怒っている。
俺個人としては、女子トイレの行列は解消されるべきだと思ってる。
それが社会的にも認められるべきだとも思っている。
性差や便器の違いはあれど、困っている人がいるなら改善された方がいいに決まってる。
もし仮に、小便器に不満があるのであれば、女性に同じ小便器の不満を味わせるよりも、不満それ自体を解消することを目指した方がいい。
例えば、小便器の衝立てをもう少し大きくするというのはどうだろう?
衝立てが上に大きくなれば隣からちんこ見づらくなるし、下に大きくなれば隣からのおしっこの飛沫は掛かってきにくくなる。
トイレの面積を増やしたり個室を増やすというのは大変で、すぐ取り掛かれることではないけど、衝立てを大きくするくらいなら、比較的低コストに実現できるんではないだろうか。
(このような施策はたぶん部分的にぽつぽつとなされていっているように思う。もっと増えてくれたら嬉しい!)
誰だってトイレを無闇に待たされるべきではないし、プライバシーや清潔は守られるべきだ。
困りごとを放置したり、不満を押さえつけたり、誰かを犠牲にすることで利益を享受したりすることはあってはならない。
女子トイレの長い行列について、「女性も慣れてしまっているから『仕方ない』」と諦める必要はないし、男子トイレのプライバシーや衛生面についても「男性も慣れてしまっているから『仕方ない』」と諦める必要もない。
そして、そのような理想を実現するためには、理性や、思いやりや、建設的な議論が必要だ。
そうしてこその「誰も置き去りにしない」世界であり、それこそが「公平」な社会を実現するために必要なものだと俺は信じている。
ChatGPTのdeep researchが凄すぎるので、徹底的に使い方と出力結果をまとめていくよ その1|カレーちゃん
たぶん興味を惹かれてる人も多いと思うが、月額3万払う前に使い勝手を試したい需要があるだろうから架け橋になるよ。コメントしてくれたらそれで調べる。俺にとってはどうやってChatGPTからうまく回答を引き出すかっていう練習になるからお互いWin-Win。
人間相手だったら濃すぎてドン引きされるぐらいの内容でもAIにとっちゃ何も困らないわけだから、言うだけ得。俺が間に入ってプロンプトとして整理するので、少なくとも俺に趣旨が分かる程度には具体的に頼む。
秒速で3万円稼ぐ方法を教えて!みたいな胡散臭いお題目でリサーチを依頼しても、胡散臭いアフィリエイト記事が情報源になるだけ。これは面白くない。
Xやブログ記事のいわゆる「驚き屋」は多くの人に読んでもらうために日本語で応答させてるけど、本当にパフォーマンスを発揮させたかったら英語でやり取りするのがいいと思ってる。増田が調べたい内容によるけど、勝手に英語にして調べさせるから、Google翻訳で日本語にして読んで。
deep researchじゃなくても、Proプラン限定のo1 proに聞きたい内容も興味があればコメントしてほしい。4oとか競合のClaudeと違って、一回の応答で贅沢に眺めの出力をしてくれるのが結構目立つ利点かもしれない。
「自分のプレーの順番となったときに、40秒以内(通常はさらに短い時間で)
にストロークを行うことを推奨する。」
という風に読めます。
「障害や気を散らすものがなく、プレーできるようになった後、40秒以内にストロークを行うことを推奨する。
• プレーヤーは通常、推奨されている時間より速くプレーすることができるはずであり、そうするべきである。」
と書いてあり、完全に
と書いてあります。
「40秒ルールによる時間制限内にショットしてるなら問題ない」とする説を言う人がいますが、ゴルフ規則の趣旨からは外れた考え方であり、私は否定派です。
というか、自身及び同伴者のスコアにより一打に使っても許される時間は変わると思います。
上手い人ほど使える時間が増えてスコアに寄与し、下手な人ほど急がなければならないため大叩きしやすいという、ちょっと悲しい現実があります。
結論から先に言うと、ティーアップ完了から打つまでの時間や、セカンド以降の距離計測やライン読みを含めた時間で、スコア70前後で35秒まで、80前後で30秒まで、90前後で25秒まで、100以降は20秒までといった風に、10打ごとに5秒おきに目安の時間が減っていく事を提唱したいと思っております。
これくらいで回れば、皆で少しずつ「トラブルがあった場合の時間貯金」を貯めることができ、余裕があるプレーが楽しめると思います。
この時間が無理なら2Bや3Bで回るか、ルーティン変更を検討すべきです。
なお、ここぞという場面では長くし、それ以外のプレーを早くすることで帳尻をあわせるのはアリだもおもいます。
また、スコア110以降はあんまり早くしすぎると叩いて逆に遅くなる恐れがあるため、それ以降はずっと20秒までが良いのかなとは思います。
※ここで言うスロープレーとは、トップスタートしてハーフ2時間半で回れない場合を指すものとし、2時間20分〜30分を遅めのプレー、2時間を切ると早い組とします。
そういうお前はどうなんだ、という話が来ると思うので先に示しておきます。
私の現在の平均スコアは80台後半で、普通のドライバールーティンを計測したら20秒でした。
なお、3Bの場合や前後組がいなくてゆっくり時間を使えそうな時は25秒くらい。
ちょい前の組に離されてて、急ぐ必要がありそうな時は10秒くらいで打ちます。
アイアンはルーティン自体は15秒弱ですが、たまに打つ番手を直前で持ち替えたり自分の番までに距離計による計測が終わらなかったりするので、それを均すとアイアンも20秒くらいだと思います。
パットは10秒かからず打ってた時期もありましたが、最近は逆に、意図的にしっかり時間使うようにしてますので比較的遅く、20秒くらいかかります。
基本的にはスロープレーになる事も、逆に超セカセカプレーヤーになる事も無いですが、一度だけ同伴のうち2名がスロープレーヤーで1打1分くらいかかってしまい、私ともう一人で急かしても改善されず、ついにマーシャルから注意を受けたときがあります。
その時の組の空気は最悪で、スロープレー組は「俺らそんなに遅くないのになんでこんなに言われんだ?俺ら金払う側だぞ?」って苛ついてる態度が見て取れましたし、私ともう一人は「急かしても多少早くなるくらいでむしろ我々の方が急いでる。なんで金払ってこんなプレーせにゃならんのだ」ってお互いに愚痴を言い合ってました。
さて、具体的な時間の計算をしてみましょう。もし全員40秒使ってたとしたら、ハーフ何時間かかるでしょうか?
結論から先に言うと、ボギーペースの4人の組で2時間半から40分、ダボペース4人で3時間前後だと思います。
【計算】
まずはPAR4を全員ボギーとして、移動時間とかクラブ選択は早い4人組を想定します。
最初の人がカートを降りてティーショット打つまで50秒、次の人までの間が10秒、そこから3人が40秒使うとします。
サードは少し短い時間として25秒×4人+間5秒×3=115秒。
5打目の最後のパットはokの場合もあるので短い時間として、15秒×4人+間5秒×3=75秒。
パー4の1ホール合計は、
200+60+175+50+115+20+175+75=870秒=14分30秒。
最後のカップインから次のホールへの移動時間を1分として、各ホール15分30秒。
ハーフの合計時間は、PAR3と5はPAR4に均してしまうとして、15分30秒×9ホール=約2時間20分。
理想的な進行をしてもコレ。
実際は、飛距離のばらつきによる移動時間の増加やペナルティの処理、ボール捜索などが入るので、多分2時間30分〜40分くらいになります。
ボギーペースの集まりという、アマの中ではそれなりに上手い部類の組ですらコレです。
ダボペース以上の組だと40秒一杯に使うと3時間超えてしまうと思います。
※なお、私はこのトラブル等にかかる時間は皆で作った余剰時間から取り崩すもの、つまり「みんなの時間貯金」という概念があるよという考え方を持ってます。
なのでこの状況を言い換えると、
「ボギーペースで40秒使うと時間貯金ができずに自転車操業状態で、トラブルあると完全にスロープレーになるよ」
と言えると思います。
一方で、もしパープレーヤーの集まりだとすると2時間10分以内で済みそうです。
結論としては、4Bで40秒フルに使ってギリ許されるとしたらハンデ0やプラスハンデの四人衆とかそういう特殊な状況くらいでしょう。
そのメンツでも、ちょっとトラブル続いた日は2時間15分を切れず、遅めの組と言われる可能性が出てくるとは思います。
次に、ボギーペースの人が1打25秒で打つとした場合を考えます。
これも結論から言うと、ボギーペースの4人の組で2時間少し切るくらいだと思います。これくらいなら、多少トラブルあっても余裕がありそうです。
ダボペースの4人で1打25秒なら2時間半前後だと思います。これだとちょっとだけ遅いですし、トラブル多いとスロープレーの仲間入りですね。
【計算】
最初の人がカートを降りてティーショット打つまで45秒、次の人までの間が10秒、そこから3人が25秒使うと45+10×3+25×3=150秒。
サードは少し短い時間として20秒×4人+間5秒×3=95秒。
15秒×4人+間5秒×3=75秒。
150+60+115+50+95+20+115+75=680秒=11分20秒。
アベレージ約88の私がだいたい同じスコアで回る人達とトップスタートした時、トラブル回数が普通ならハーフ2時間を少し切るくらいで帰ってこれます。
これは、時間貯金が十分に出来てる状態で、とても良いペースだと思います。
逆に言うと、時間貯金を加味すると、純然たるプレー時間+移動時間はハーフ1時間45分前後に抑えなければならないという話なのだと思います。
結論としては、やはりボギーペースの人は1打25秒以内で回るのが良いのだと思われます。
そして、ダボペースの4人が20秒で回るとどうなるでしょう?
【計算】
最初の人がカートを降りてティーショット打つまで40秒、次の人までの間が10秒、そこから3人が20秒使うと40+10×3+20×3=130秒。
5打目地点への移動時間は他の人プレー中にできるものとして0秒。
5打目で20秒×4人+間5秒×3=95秒。
6打目で15秒×4人+間5秒×3=75秒。
130+60+95+50+95+20+95+95+75=715秒=11分55秒。
ダボペースだとトラブル多めなので、それを加味すると2時間から2時間10分くらいだと思います。
ダボペース4人でこれなら十分「俺達は上手くはないけどプレーペースは守ってるぞ!」と言えると思います。
正直、トリプルペース4人1組でまわるのは避けたほうが良いと思いますが、一打につき10秒少々で打てば理論上はスロープレーにならなそうです。
とはいえ、実際に計測するとわかると思いますが、10秒で打つっていうのは素振りせず少しワッグル入れたらすぐ打つくらいの時間ですので、流石にそれは通常のプレーヤーにとっては厳しいとは思います。
なので、3Bで回るか上手い人に混ぜてもらうかが無難かなあとは思います。
※ただし、スコア130くらいでも一打10秒未満で打ち、むしろ他プレーヤーの世話をしてた超ファストプレーヤーを実際に目撃したので、不可能とまでは言えないです
以上のことから、冒頭で申し上げた、
80前後で30秒まで
90前後で25秒まで
なお、実際のプレーヤーは20秒から30秒までに収まる人が多数だと思います。
一般アマ全体の平均スコアが100くらいとされてるので、平均してハーフは2時間10分くらいで上がれるのだろうという推測が成り立ちます。
ここに一人、40秒使うプレーヤーがいるとどうなるでしょう。
1打につき20秒増加、5打目6打目は5秒ずつしか増加しないと仮定すると、20秒×4打+10秒で70秒、×9ホールで10分30秒は遅くなるはずなので、トップスタートしててもハーフ2時間20分くらいの遅い組になります。
二人居たら途端にハーフ2時間半で回れない可能性がでてきます。
もしパープレーヤーが「私はルール上規定されてる40秒使うよ」と発信するのであれば、併せて「打数自体が少ないから出来ることであり、ボギープレーヤー以上は無理な話ではある」という話を添える必要があると思います。
最初に気づいたのは、うちの部署の古株である田村さんだった。昼休みにコンビニで弁当を買って戻ってくるなり、「あの子、なんか売ってるよ」と言う。何を売っているのかと訊ねると、「糠漬けらしい」とのことだった。
昼休みが終わる頃、俺も喫煙所の帰りに覗いてみた。給湯室の前で、鈴木がタッパーを手にして立っている。タッパーの中には、瑞々しい緑色のきゅうりが綺麗に並んでいた。「1袋500円です」と書かれた手書きのメモが、デスクの端に置かれている。
正直、意味がわからなかった。新入社員が、自作の漬物を会社で売る。そんな話、聞いたことがない。
「鈴木、それ何?」
「糠漬けです。私、家で漬けてるんですけど、たくさんできるので……」
「それを、売ってるの?」
「はい。無農薬のきゅうりを使っていて、無添加です。市販のものより美味しいと思います」
彼女は営業部の新人で、今年の春に入社したばかり。目立つタイプではなく、普段はおとなしくしている。そんな彼女が、自家製の糠漬けを売り出しているという事実が、どうにも俺の理解を超えていた。
「へえ……売れてるの?」
「ええ、おかげさまで」
信じがたいことに、昼休みが終わる頃には、タッパーの中は空になっていた。
***
翌日、俺は試しに一袋買ってみた。家に帰り、晩酌のつまみにしてみると、これが意外と旨い。浅漬けで、ほどよく塩気が効いている。糠の香ばしさも強すぎず、歯応えもいい。コンビニの漬物とは比べものにならないほど美味かった。
翌週には、彼女の糠漬けは社内でちょっとした評判になっていた。「あの糠漬け、結構いけるぞ」「500円なら、まあありかな」「最近、スーパーの漬物も高いしな」などと話しているのを耳にする。
そう言い出したのは、人事の課長だった。ある日、昼休みが終わる直前に、彼が給湯室の前で鈴木に声をかけているのを見かけた。「ここで個人的な売買をするのは、職場の秩序を乱す行為じゃないか」と、そんな趣旨のことを言っているようだった。
俺は内心ヒヤヒヤしたが、鈴木は意外にも動じなかった。
「社内販売は禁止されていないと認識しています。それに、上司の皆さんも買ってくださっていますし、問題があるようなら正式に許可を取ります」
課長は少し驚いたような顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
***
それからしばらくして、鈴木の糠漬けはさらに進化した。新たに「ニンジン」と「ナス」のバリエーションが加わり、まとめ買い割引まで導入されたのだ。「3袋で1200円」というシステムらしい。俺も試しにニンジンを買ってみたが、これがまた絶妙だった。
「最近、あれがないと寂しいんだよな」
「うちの嫁がハマっちゃってさ、毎週頼まれるんだよ」
と、社内の中年男性陣からも支持を集めていた。もはや彼女の漬物は社内文化の一部になりつつあった。
だが、それは長くは続かなかった。
***
「けど、なんか妙じゃないか?」
俺は気になって鈴木に聞いてみた。「どうして辞めたのか」と。すると、彼女は少し苦笑いしながら言った。
「は?」
「毎週3袋、家まで届けてほしいって言われて。でも、奥さんの要求がどんどんエスカレートして……それで、なんだか怖くなって」
俺は思わず笑いそうになったが、鈴木の顔を見ると、あまり冗談ではなさそうだった。
「それで、販売中止?」
「はい……これ以上、仕事と関係ないことで問題を起こすのも嫌なので」
それ以来、鈴木の糠漬けは社内から姿を消した。しかし、俺の舌は未だにあの味を覚えている。会社帰りにスーパーの漬物を手に取ってみるが、どれも物足りなく感じる。
結局、俺は自分で糠床を買い、漬物を作り始めた。鈴木の糠漬けには及ばないが、それでも、あの味を思い出しながら、今日も俺は糠を混ぜる。
楽天証券で無料で読める日経の記事やバロンズ・ダイジェストを隈なく読んでるけど、「この地合いで株式一本打法はアホ。比率を減らして、短期債他債券やゴールド他商品や不動産や暗号資産に回せ」という趣旨の記事を何度も見るようになったので、素直に従ってNISA対応の投信を何本か選んでリバランスしたわ
駅と商業施設をつなぐ連絡通路や、施設内でも狭い通路など、幅員に対して往来が多い部分では、奥から移動してくる人は中央より左側を、その逆方向の移動をしている人は右側を通るように、という趣旨の案内が出ていることがある。
努力義務だとは思うのだが、多くの人がそれに従って左右別々の人の流れが出来上がっているので、人目を気にするような人にはなかなか逆らいがたい。
しかし案内で指定されている方とは逆側に目的の入り口があることは確かにあるのである。
こういうとき、ある程度手前で反対側へと逆走を開始するべきなのか、まさに真横に入口が見えるところで立ち止まって直角に曲がって入口に向かうべきなのか。
後者は後者で、急に立ち止まって直角に曲がるというのはロボットのような不自然な動きに見られて目立つのではないか、とか考えてしまう。
なにかにつけてどんくさく、自転車を走ればライトの角度が不必要に上向きで相手の顔を照らしているのに気づかず怒られたり、対向する人間を避けようと進路をずらしたら、そのずらした進路の後ろに自転車がいて怒られたりするので、交通に関する立ち居ぶるまいには神経を使うのである。
dorawiiより。
市場に出回る呪いのミルクパンが多すぎるからだ。具体的には、注ぐときにめちゃくちゃ液だれするのである。
長年使っていたホーローのミルクパンのガラス質が劣化し汚れが落ちにくくなったので買い替えたのだが、これがどう使っても液だれする。最初は滝のように鍋を伝ってこぼれて唖然とした。粘度の問題なのか、水やお湯は大丈夫でも温めたミルクはやたらこぼれるのだ。
ある程度勢いをつけて注げばマシになるが二杯目のコップに切り替えるタイミングでどうしても液だれする。
ネットで代用品を探したところ「こぼれる」「液だれする」という口コミの品が妙に多い。以前使っていたミルクパンはどれだけ適当に使っても一滴もこぼれなかったので、ミルクを注ぐという基本を全うできないミルクパンが多く存在することを初めて知った。
この手の液だれに値段の高低や材質は関係ないらしく、注目すべきポイントはフチの形状だと思われる。フチと鍋側面のすき間が重要なのでビーカーのようにフチに強い反りがある、または明確な段差があるものが良い。注ぎ口に関しては大きく突き出している方が良い。
見栄えや洗いやすさ優先でストレートのフチに申し訳程度の注ぎ口のミルクパンが多いが完全に罠である、買ってはいけない。(1敗)
・ニトリ ガス火 そそぎやすいミルクパン(14cm KN2)
そのまんまな名前の液だれしないミルクパン。コーティングで汚れが落ちやすく、通常の五徳の上で安定する最低限のサイズと重量、熱が伝わらない持ち手、値段が699円など大変優秀。
こちらは買わなかったが、ネットでは「注ぎ口がないのに絶対こぼれない」と評判だった。ニトリに比べずしりと重たく空の状態でも五徳の上で安定し堅牢性もバツグン、1990円。
どちらもマグカップ三杯くらいまでの容量がある。新生活での購入や古くなったミルクパンの買い替えならとりあえず手に入りやすいこの2つがおすすめ。ネット通販でも手に入るので近所のホームセンターで見た目が可愛いだけの無能ミルクパンを買うのはやめようね!
『ガラス棒使えばよいだけ』
試さなかったと思いますか? ガラス棒をつたわせた場合半分コップに入り半分こぼれます。
『教育の敗北(理科)。ツーッと注ぐために作られてる物でドバドバと注いでる自覚はないのだろうか。』
試さなかったと思いますか? そもそもツーっと注いだら鍋を伝ってジャバジャバこぼれたことが事の発端です。これは鍋をコップに接触させても離しても変わらず、とにかく鍋側面を伝う力が異常に強く、棒やコップに沿う力では歯が立たないから「呪い」と形容したのです。
そもそもこの記事の趣旨は「コツや器具なしで適当に注いでもこぼれないミルクパンがあるからそっち買おう」というものです。
しかし『こぼれるのはお前がバカだから』という人が出てくるのは想定内でもあります。記事の中で述べた通り、呪いのミルクパンを装備するまで私自身「ミルクパンでミルクが注げないわけがない」という固定観念があったからです。
唐突だけれど、私はもうすぐ死のうと思っている。理由は簡単で自己表現だ。こうしないと世間の誰も私の苦しみに気付きもしないで素通りしていくばかりなので、世間様に目いっぱい迷惑をかけてこれから死ぬのだ。いえい。
まずプロフから。私の名前は■■■■■と明かさないが漢字五文字で、少し変わった名前だった。これが原因で小中といじめられて高校では無視をされ、大学に行ったはいいものの当然ながら社不なのでひとりぼっちで何も出来ず社会からの矢を一身に受けて内蔵はこぼれて血まみれなのだが、ライフラインは助けに来てくれないのでずっと視界は赤いままなのだ。うえん。
んで、何を書きたいんだっけ。
そうそう、私がこうして自己表現に至ったその理由を、電子のどっかに書いておきたいのだ。すでに糞尿以下の汚物と化したインターネッツを私の駄文でさらに汚してやりたいと、まあそういう意図趣旨目的でつらつらつらりと文字を打っている。
まず小・中学校のいじめについて解説しよう。でも長々と書いたら飽きられそうなので端的にまとめるね。殴られ蹴られ盗まれ突き落とされ殴られ殴られ落とされ濡らされまた盗まれたのだ。オーソドックスないじめである。でも問題はクソの教師にあると思っていて、アイツらは自分たちは偉いみたいな顔をしておいて所詮は地方の駅弁大学教育学部をなんとか卒業した程度のバカなので、平気で権力を慮っていじめを見て見ぬふりしやがるのだ、クソが。
ある日のこと、いつものようにホウキの尖った部分で男子数人に身体中を叩かれていた私は、後ろのほうの男子が笑いながら金属バットを取り出したあたりで『妄想代理人』を思い出し、命の危険があると抵抗してそのうちのひとりを殴って逃げ出したのだ。それでどうなったかというと、学校に呼び出された。
「お前、A(私が殴った子)を殴ったって本当?」
私は黙ってうなずいた。
先生は怒鳴るように言った。
「なにがあっても暴力は駄目でしょ。A、たんこぶ出来てたわよ。Aに謝りなさい」
私は身体中に痣をこさえ、目の周りは黒ずんで鼻血を出していたが、先生にそれは見えなかったらしい。ちなみに先生は今も教員として学校にいて、私の呼ばれない同窓会に大切な恩師として呼ばれているらしい。
まあそういう色々があった私はどうしても小・中学校の連中と同じ高校は嫌だったので死ぬ気で勉強して県で一番頭のいい奴らが集まる高校に進学した。
私を殴る以外に能のなかった出来損ない連中はその辺のヤンキー校に行って無事にヤリマンヤリチンに変化したと聞くが、私はこの進学校でようやく普通の生活が送れるとワクワクしたものだった。
でも小・中で受けた傷は思いのほかキツくて、私は人間を目の前にすると何も喋れないようになってしまった。体が強ばるんだよね。んでいつの間にやらやっぱり一人よ。クラスラインは私抜きで作られてた。ウケる。
嫌になってきたな。
でもがんばって大学に進学した私は徐々に人と接するように努力したこともあって人間恐怖症を克服しかけるのだけれど、それが今になってどうして死ななきゃならんのかと言うと、それは先日、人生で初めて愛の告白を受けたからなのである。
は?なんだよクソリア充がと思うかもしれないけど、私は告白されて死ぬほど気持ち悪くかんじてしまった。相手はすごく良い奴で顔も悪くないし勉強もできるという私にとってはもったいねいくらいの人だったけれど、ドン引きしてしまったのだ。そしてその理由を今まで考えていて、ふと思い当たった答えが私の死ぬ理由だったり。つまりは私は、もう誰からの褒め言葉も愛の言葉も、嘘にしか捉えられなくなってしまったのである。
私を貶したり悪くいう言葉しか信じられないのだ。罵倒して蔑んで嘲笑して殺すような言葉以外は全部偽物に思えるのである。それはあの地獄の九年間を経て学習したことで、人に過度に期待すると裏切られたときのダメージが半端なくて、それから身を守るためには全員を疑ってかからなくてはいけなくて、だから誰が私のことを愛してくれてもそれは多分全部欺瞞にしか見えなくて、ああ、とそこで絶望が去来。私はもう、苦しむ以外の道しか残されていないのでした、ちゃんちゃん。
よく未来には希望があるとかほざく奴がいるけれど、そんなものは私にはねーのである。
死ね。
なんつーか全然書ききれてないしダイジェストにもほどがある人生の概略だったけど、実はもっと色々な困難がまだまだあって、語りだしたらキリがないのでもうこの辺で手打ちにするけれど、いやさ、もうね。絶望ったならないですよ。こんな文章を書きながらもね、私はこれまで受けてきたささやかな励ましの言葉や暖かい言葉を思い出す訳ですが、それでもやっぱり、そういう言葉ってなんというか、弱者に施しを与えて悦びを得ているんだとか、そういう邪推をしてしまうんですよ。いや、邪推ってことは分かってるんですよ?論理では理解してるんですけど、心が受け付けてくれないんですよ。
もう無理なんですよ。
これから私はね、一生幸せになれないんです。そんななかで、かつて私を殺し続けた某さんたちは幸せに結婚して子供を産んで――って着々と平凡でけれど堅実な幸福を掴んでいくわけですよ。私を殺した事実など一切忘れて。
疲れちまった。
まあすぐに死ぬことはないだろうけど、なんか美味いラーメンでも食って、幸福に少し近い状態になったらそれで満足して、私はきっと死ぬんだと思うます。
んでね、何が言いたいかっていうと、みんなには自覚して欲しいんだよね。
みんなって、恵まれてるんだよね。
愛してくれる家族がいて、
守ってくれる大人たちがいて、
支えてくれる恋人がいるわけでしょ?
それってね、普通じゃないんですよ。
あなたは幸運にも私みたいな生き方をしなかった。失敗や不幸もあったかもしれないけど、私みたいに全部ダメにはならなかった。
恵まれているんですね、皆さんは。
だからこう、なんていうか。
あとこれだけ覚えといて。
私は苦しかった。