はてなキーワード: 自由化とは
トランプ関税で「日本は自動車関税ゼロなのか」って言ってる人が多くて気になった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20250215/k10014723331000.html
ある時期まではそれでも勝ってきたのだね。というか、勝ってきたので関税を下げていったのだ。
日本の復興と経済成長というのは相当とんでもないもので、焦土から25年くらいで世界トップレベルの工業力を持つに至った。
そうなると今度は工業の保護政策は必要ないから税率下げなさいとアメ様より指導を戴く。優等生路線に切り替えた戦後日本はそれに従い、70年代には税率ゼロになったってわけ。
この「指導」は日米貿易協定で対米関税失くせっていう要求だけじゃなくて、他の国とも貿易協定(EPA)を結んで関税無くして行きなさいというのも含むわけ。
別に毎度直接そう言われたわけじゃないが最早それが戦後の常識だったからそうやって来た。
https://www.customs.go.jp/tariff/2024_04_01/index.html
工業産品はあら方ゼロ。数パーセント掛かってる品もあるが、日本と良く取引があるASEAN諸国、EU、環太平洋、中韓台などは協定でゼロとなっている。
色々調べると戦車とか野戦砲とか兵器だけには高関税掛かってるのとか発見できるぞ。でも兵器買うのって国家しかいないので関税の意味無いね。
こんな風に輸入障壁は撤廃しようという流れで来て、先進国は大抵どこも工業産品関税ゼロになっている。
工業部門の障壁は撤廃出来た。それじゃ今度はITや頭脳労働などサービスと農産品の輸入障壁を撤廃して関税ゼロにしようず!となったのが、GATTウルグアイラウンドだ。WTO(世界貿易機関)もこの時の合意で出来た。
だけどウルグアイラウンドはGATT史上初のつまずきになった。農業部門などで妥結出来なかったのだね。
農業ってのは国の根幹だし付加価値が低い産業なのであんま儲からない構造の所が多いのよ。それで補助金出して買い上げたりと各国保護政策を採ってる。
それに農家ってのはどこも保守的。なので保守政党の支持層なわけだ。
その農家を不安定な状態にしてしまうと政治も不安定になるってわけ。ぶっちゃけ自由化しちゃうと個人事業主の農家が全滅して国際農業メジャーが全部かっさらって各地の農場はプランテーション、みたいな事になりかねない。
だから各国反対で農業部門の合意は流産。これが現在までの経緯。
第二次大戦の原因は
連合国の総括は2.だった。1だったら日独は分割占領したままで二度と復活しないように主権を制限すればよいな。
でも2だと民生中心の工業国として立て直す支援をすべし、となる。
また戦勝国側も同じ轍を踏まないように経済のブロック化を防止しよう、という事で貿易協定を国家間のものから、多国間一般の協定にしようず、という流れになったわけだ。
ここで大事なのは、植民地争いを復活させる意図はないから産業未発達の途上国は除外された。工業未発達なのに外国製品と競争しろ!とかは言わないってこと。
急に話が変わるが、中国の人民元ってあるじゃん?なんで人民って付くんやろな?
社会主義では生産量も価格も国家が決めていた。そこで海外からの旅行者が勝手に通貨を使うと不安定要素になってしまう。そこで旅行者には普通の通貨と違う通貨を持たせたの。そのレートも国家が決める。
個人も会社も輸出入は独自で出来ない。輸出入出来るのは国家だけ。
ところが鄧小平以後の開放政策では市場経済を導入したので旅行者用元を発行する必要が無くなったわけ。旅行者が持ち込むカネは不安定要素じゃなくて市場の調整に任せるから。だから旅行者にも人民元持たせて法人も人民元で他国と決済出来るってなった。
脱線するが元は略字であって元は圓。日本の円も韓国のウオンもベトナムのドンも圓を各国読みしたものなんよな。人民元と日本円の通貨記号が¥で同じなのはこういうわけ。
つまり共産勢力も貿易自由化協定に参加したんだけど国家運営の都合上かなり制限があった。そして冷戦激化によって自由陣営と共産陣営の2ブロックに分れてしまっていた。
その共産陣営の方は行き詰って統制経済を放棄。自由主義陣営の旗振り役は?アメリカだ。
だから改革開放、ドイモイ、ペレストロイカでパックス=アメリカーナは決定的になったってわけ。
日本の工業力が復興して急成長した原因は、朝鮮戦争の特需なんかもあるが、元々のスターターは軍港の解体なんだな。
横須賀、呉、佐世保が戦前の主な軍港だったが、その規模は今と全然違う。
例えば横須賀だと今なら街があって海の方が自衛隊と米軍の基地になっているが、戦前だと駅前から始まって全てが軍港。ドック、宿舎、軍需工場、軍需工場工員向け宿舎/飯屋、軍に関係が無いものは一切ない。
敗戦後に軍は解体されるんで軍港都市であった3港はどうするかね?って事になった。そこで海沿いの海軍基地は民間船の造船ドック、製鉄所に転換されることになったわけ。
因みにこん時に旧軍港市転換法という法律を作ってやったわけだが、施行されたばかりの日本国憲法には95条:一の地方公共団体のみに適用される特別法は住民投票での同意を必要とするって項目がある。そこでこの3市では住民投票を行ったわけや。
こういう感じで軍港を廃止して造船所と製鉄所に転用した事が起爆剤になって各地い造船所が林立。日本は一気に造船と鉄鋼の国になったわけ。鉄は工業の基礎だからな。ここを押さえておいたのは強い
GHQのプロパガンダで戦艦などの兵器を溶かしてビルや鉄道などの民需品になるっていうポンチ絵があるがその通りになったてわけ。
その後家電や自動車などの民生品、エレクトロニクスといった軽薄短小産業にシフトして行って造船トップの座は韓国に移った。因みに極東アジアは韓中日と造船トップ3国が密集する異常地帯なんだな。この三国で世界の船の9割を造ってるんだぜ、いかれてるよな。
こうやって産業シフトに成功した日本は工業産品輸出量をメキメキ伸ばし、70年代初頭にはかなりとんでもないレベルになった。世界の港湾扱い量のランキングの上の方が全部日本の港って具合だ。1位横浜、2位神戸、3位門司みたいに日本の港がずらっと並びその下にアメリカのが出てくるって具合だ。日本スゴイとか嫌いなんだが、20年前は焼野原なんだぜ?イカれた復活具合だよな。
一方この頃アメリカや欧州はっていうとかなり停滞していた。アメリカは世界一の経済大国ではあったが国内が疲弊し、ベトナム戦争長期化で病んだ若者が増え、日本製品に国内産業が負けつつあった。
欧州では植民地の独立問題で揉め、労組の抵抗で産業転換が進まなかった。植民地が独立したら産業構造が変わって国内経済にダメージがあるのは当然。それを引延ばして軍事介入などを続けていたので建て直しに時間が掛かった。
一方日本は負けてとっくに植民地を手放していたのでこういう問題に拘わずに済んだ。
もう一つは吉田ドクトリン。憲法9条があるから武装できません~と紛争に一切拘わずに防衛費負担も軽く、一方で日米安保で防衛力は確保しておくという良いところ取りで全てを経済発展に注力するって算段。吉田は吉田
ヨシオじゃなくて吉田茂だぞ。ただ吉田茂は経済発展が出来た後の日本は再軍備して海洋国家として海軍力を高めるべしって考えだったけど。
同様に西ドイツも異常な発展を遂げていたので戦後は「負けるが勝ち」だったんやな。戦争を仕掛て負けたせいで信用されないという条件を奇貨としたってわけや。
欧州の方はいつまでも停滞してグダグダやってたんやが、EUの前身のECのせいで持ち直していった。EU発足後は急成長。70~80年代の貧乏臭いヨーロッパはどっかに行ってしまった。
なんで、無関税無障壁の貿易自由化が全体の利益になるっていうのは前提なんだな。だがそのせいで国内に矛盾が出るからやり方考えた方がいいぜっていうのがちょっと前まで各国が立っていた立ち位置。
因みにEU圏内では無関税どころか税関自体がないんだが、域外からの輸入には工業産品で10%の関税を掛けている。
今のアメリカのアレは全方面でおかしいけど、関税関連で言えば、そもそもこういう前提で今まで国際社会がやってきたって事を政権中枢が判ってねえんじゃね?ってところなんだ。国益の為に関税掛けたくても、それをやると国益を棄損するからやらなかったってこと判ってるのか?ってことやな。
関税合戦になると貿易が冷え込むから巡り巡って国益に反するしアメリカの場合はパックス=アメリカーナによる国益を失うという問題もある。
いや、共和党のやつらは判ってるよ。だって対外的に先頭に立ってやってきたのだから。だが新しい共和党人士、バナナリパブリカン達はそこを判ってないから反米的な政策を国益と信じてしまうし、古いリパブリカンはパージが怖くて言えないって状態じゃね?
この辺、昔オバマと対立するまで安倍さんが「戦後レジーム打破」を連呼していたのと被る。戦後政治やって作ってきたのって自民党なのに、その内容分ってないんじゃね?という疑念しかなかったな。
特に「農業産品自由化で紛糾」のところを判ってるのか?というのも疑問で、例えばイーロンマスクが全連邦政府廃止すると言ってるがそうなると農産品も市場原理で取引されて補助金は無くなる。穀物メジャーは農家より強いから買取価格も引き下げられるだろう。農業はお天気商売だから価格のバッファが必要だが資本がそれをやるつもりはないだろう。そうなると農家は窮乏して小作化するんじゃね?
アメ車って日本で売れてないっしょ?掛けても余り効果が無いんじゃね?
そもそもこの関税のせいでアメリカの自動車メーカー潰れるんじゃないんですかね?原料費跳ね上がるわけで。
それにトランプ政権の「信用の無さ」のせいで効果が無いと思われ。関税掛けると国内産の方が価格優位性が出るから国内に工場が作られ、ラストベルトは救われるわけです。
でもさ、工業っていうのは原料を加工して利益を乗っけて売る訳だけど、工程の下の方ってその付加価値って極小なわけですよ。つまり製鉄業の利益率は低い。一方プラントは数百億円と超高額なわけで、20年くらい稼働させて元取るって感じ。
この時途中で需要が止まってしまうと投下資本が回収出来なくなって借入の場合は倒産しちゃう。だから先行き不安な件では設備投資しない。
Amazon荷物で飽和してる時、ヤマト運輸は物流拠点増やす投資しないで仕事断ったじゃないですか。あれってAmazonがいつでも他社に乗り換える可能性があるから投資出来なかったわけです。
本件でも同じで、トランプ関税がずっと続くと考える人はいないわけ。すると製鉄メーカーは新製鉄所を建てる事が出来ない。
しゃーないから関税払って同じ鋼板を2.5割増しで買うか、もっと安い地域の鋼板に切り替えるかってなる。安い鋼板に切り替えて失敗した例は70年代イタリアにあって、フィアットと新たに半国営化したアルファロメオの鋼板を安いソ連製に切り替えたら防錆処理されてなくてあっというまに車は錆で腐ってブランド価値低下となったことがある。
商売に信用が大事なのは国家も同じ。経済的信用って「履行してきた」ことで蓄積されるものでしょ?急に政策を変更する、前の政策の影響、意味を判ってるか疑問となればネットナードは騙せても商売人は無理なんじゃ?
だから鉄鋼メーカー設備投資して増産出来ない→自動車メーカーコスト高解消できないって状態が続くと思います。
日本の特長っていうのは天才の芽は出にくいけど底上げされてる事ってよく言われる。文盲いないし教育程度が満遍なく高い。アメリカは高校まではかなり緩いし街中で常識問題出して何も知らないのがネタにされたりする。
自分のいる場所が社会的にどうやって構成されているか、直情的以外に利益判断できる基礎を叩き込むという思想で社会科の教育課程は作られている。
だから基礎的な社会の構造を無視して自尊心を鼓舞するような旗振りが現れた時の耐性は日本の方があるんじゃないかと思うんだ。グローバリズム批判しながら農業補助金カットや農家瓦解みたいな未来を提示された時に「そっち行くわけないだろばかかお前」と言えるってことだ。野菜になっちゃう人もいるけどな。
反グローバリズムにもちゃんと意味はあるんよ。だがそれが言葉が遊離して農業保護に反する事をしようとしても気が付かずに、DSだのウォークだのというように成ったら義務教育の意味がないじゃん。
あっちは光の速さでもう26世紀を生きているが日本は順当に500年掛けて行けばいいと思うのだ。野菜の栽培にはスポーツドリンクじゃなくて水上げればいいという知識が重要なんだ。
### **天安门事件是什么?**
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### **背景**
在1980年代,中国实行**经济改革**,但**政治改革**停滞不前,政府腐败和贫富差距加剧。此外,苏联的**改革(戈尔巴乔夫的“新思维”)**等国际因素影响下,许多学生和知识分子开始抗议,要求民主化。
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### **抗议运动的过程**
- **前中共中央总书记胡耀邦**去世,学生们在天安门广场悼念。
- 胡耀邦曾支持自由化和民主化,因此他的去世成为民主诉求的象征。
- 学生和市民持续在天安门广场举行示威,要求**言论自由、政治改革、消除腐败**等。
- 当时,中共高层在如何应对问题上产生分歧。
3. **5月20日**
- **中国人民解放军武力镇压示威者**,导致大量市民和学生伤亡。
- 军队使用**实弹**,并出动**坦克**,北京市内发生激烈冲突,造成大量死伤。
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### **伤亡人数与影响**
- 中国政府的**官方统计**称死亡人数为**数百人**,但**有报道指出死亡人数可能达数千**。
- “**天安门母亲**”等人权组织持续公布遇难者名单。
- 事件发生后,中国政府**严格控制信息**,在国内**禁止谈论天安门事件**。
- **西方国家**谴责中国政府,并对中国实施**短期经济制裁**。
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### **目前的情况**
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### **总结**
天安门事件是**中国近代史上重要的政治事件**,是民主化运动与政府镇压的象征。然而,在中国大陆,这一事件**受到严格审查**,官方几乎不提及。而在国际社会,该事件仍被广泛记忆和讨论。
下記の記事を読んで、明治時代辺りの「脱亜入欧」「西洋化」が夫婦同姓へ強く影響したという論考があり、これについては同意せざる得ない。
1896年に制定された明治民法では、一転して夫婦同氏制が採用された。決め手となったのは「西洋化」だったことを特筆しておきたい。1895~96年に開催された法典調査会で法学者の梅謙次郎は、「支那の慣習」である夫婦別姓を退け、「欧羅巴ては昔から極まつて居る規則」の(と当時は見えた)夫婦同姓を採用すべしという、脱亜入欧的な説を展開した(施「明治民法はなぜ夫婦同氏制をとったか」)。
ただ、この論考を採用すると日本は過去の時代に側室や妾が認知されており、どんなに遅くとも公的には1870年(明治3年)に妾は妻と同等の二親等であると定められた。税制や相続においては妻と同等の二親等の権利を得られないが三親等と同等の権利が保証されていた。
しかし、1898年(明治31年)の戸籍法改正に拠って、妾とその子供は従来の夫の戸籍から外れ、現在の人権意識から考えると驚くべきことに相続に関する権利まで戸籍から外れるとともに失われてしまった。
この廃妾が行われた理由は「夫の姦通(浮気)では離婚事由にならないのに妻の姦通は離婚事由になるので不平等である」という観点のもと行われたが、その背景には脱亜入欧の文明開化に影響を受けた、男女同権論、婦人解放運動があったのは当時の帝国議会記録を見ても明らかであり、妾の存在を無視して日本の氏姓・婚姻制度の歴史を語るのは非常に無理がある。
脱亜入欧と敗戦の結果に夫婦同姓が加速し夫婦同姓は作られた伝統なのであれば、脱亜入欧と敗戦の結果に一夫一妻制が加速し一夫一妻制は作られた伝統であるのは日本の歴史として紛れもない事実であり、現在の人権意識で夫婦別姓を提唱するのであれば現在の人権意識で婚姻形態の自由化も求めなければ姿勢として誠実でないと言える。
氏姓と婚姻形態は別軸であると語る者が居るかも知れないが、これらは同時期に議論され改正され日本に定着した制度・文化・意識だ。戸籍の改正という1つ議題として扱われていたのに片方(氏姓)を尊重し片方(婚姻形態)を蔑ろにするのは現在の人権意識から言って明らかに間違っている。
日本の一夫一妻制は妾とその子供の人権的犠牲の上に成り立っており、現在の人権意識でこれを評価するのであれば是正すべきで、妾とその子供の保障を日本国議会は行わなければならず、しかし当時に生きた人はもう既に亡くなっていると考えられ時効も成立しているはずなので、形の上だけでも日本国議会は妾とその子供の名誉回復を議決すべきだ。
そして更に、現在の人権意識でこれを評価するのであれば一夫多妻制という不平等な制度ではなく一妻多夫制も認め、妾および男妾の民法上の権利は相続も含めて夫または妻と同じ二親等と同等であると定められるべきだ。
何故か、社会学者(とその周囲の界隈)が口にする「日本の夫婦同姓は作られた伝統」では一夫一妻制よりも長期間存在したはずの妾(側室)が無視されがちで、しかも夫婦同姓と共に妾の是非は議論されていたのにも関わらず、まるで存在しなかったように扱われている。
これはどう考えてもおかしいのだ。過去に振り返って氏姓の在り方を論考するのであれば婚姻形態の在り方も必ず論考されなければならないはずなのに、まるでそこには触れて欲しく無いかのように妾の存在が言及されない。
https://www.boj.or.jp/mopo/outline/bpreview/index.htm
昨年末、日本銀行が、25年間の金融政策を検証する「多角的レビュー」を発表した。これは、まるで長年の病に苦しむ患者が、ようやく自らの病状を詳細に記録し、分析を始めたかのようだ。しかし、オーストリア学派の経済学者デ・ソト氏の言葉を借りれば、これは「日本経済の病」と呼ばれる症状の分析に過ぎない。日銀は、過去の政策を検証するだけでなく、なぜ「病」が発症し、そして今もなおその症状が続いているのか、本質的な原因に目を向けるべきだ。
1960年代から1980年代初頭、日本経済は世界から羨望の眼差しで見られた。しかし、それは硬直した経済構造、過剰な規制、介入主義、そして何よりも、金融操作と信用拡大による巨大なバブルの上に築かれた虚構の繁栄に過ぎなかった。1990年代初頭、バブルが崩壊すると、日本経済は長期にわたるデフレに突入した。日銀は、量的緩和、ゼロ金利、マイナス金利など、あらゆる政策を試みたが、デフレから脱却することはできなかった。
バブル崩壊後の金融危機には、4つのシナリオが考えられる。①際限のない資金注入によるハイパーインフレ、②銀行システムの完全崩壊、③経済構造の自発的なリストラ、そして④経済の硬直化を温存したままの、大規模金融緩和と公共支出の継続による「日本化」。日本が選んだのは、残念ながら最後の道だった。日銀は、バブル崩壊後の混乱を収めるために、金融緩和という名の麻薬を使い続けた。結果、企業は自らリストラするインセンティブを失い、生産的な資源は旧態依然とした非効率な分野に滞留した。
これは、オーストリア学派がいう「投機バブルと信用膨張」がもたらす当然の結果だ。
アベノミクスは、日本経済を刺激するための最新の試みだったが、結局は過去の政策の焼き直しに過ぎなかった。異次元緩和、財政出動、そして円安誘導は、一時的な効果はあったものの、結局は根本的な問題には何も対処しなかった。その結果、日本は世界で最も債務を抱えた国となり、デフレは完全に払拭されなかった。
デ・ソト氏が指摘するように、これはまさに「経済の日本化」の症状そのものだ。問題は、経済の硬直性。すなわち、過剰な規制、高い税金、抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。
オーストリア学派の視点から見れば、日本経済が回復するためには、マクロ的な金融操作ではなく、ミクロ的な構造改革こそが必要だ。それは、規制緩和、労働市場の自由化、税制改革、そして公共支出の削減である。利潤に課税する税制を改め、資本を蓄積し、生産性を向上させるための政策こそが求められる。
日銀は、大量の資金注入や金利操作に固執するのではなく、経済を自発的にリストラするインセンティブを創出することに注力すべきだ。
さらに、日銀が行ってきたゼロ金利やマイナス金利政策は、人為的に金利を操作しようとする試みに過ぎない。市場経済において、金利は資源配分を効率化するための重要な価格シグナルである。このシグナルを歪めることは、経済全体を歪めることに繋がる。デ・ソト氏が指摘するように、マイナス金利は、人々に「何もしないこと」を奨励し、経済の無気力をさらに助長する。
また、ゼロ金利政策は、財政赤字を無制限に自動的にファイナンスするために使われるため、政府が構造改革に取り組むインセンティブを奪い、ポピュリズムを蔓延させる。
中央銀行家たちは、自分たちが市場を動かせると思い込んでいる。しかし、過去の政策が示すように、それは幻想に過ぎない。
彼らは、金融緩和策という麻薬を使い続け、一時的な快楽を追求するうちに、経済を麻薬漬けにしてしまった。もはや、麻薬がなければ経済は立ち上がることができない。
この悪循環を断ち切るためには、金融政策万能という幻想を捨て、市場の自律的な回復力を信じるべきだ。
構造改革を断行し、企業家精神を解き放ち、経済のダイナミズムを取り戻すことこそが、真の解決策である。
日本銀行は、過去の金融政策を徹底的に見直し、その限界を認識すべきだ。日銀にできることは、物価を安定させ、市場の機能を維持することだけ。経済成長や雇用創出は、企業家精神と自由経済の世界に任せるべきである。
金融・財政刺激策は、一時的な痛みを和らげる効果はあるかもしれないが、根本的な問題を解決することはできない。根本的な問題とは、経済の硬直性、すなわち、過剰な規制、高い税金、抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。これらの構造的な問題に正面から取り組まない限り、日本経済の病は癒えることはないだろう。
日銀が本当に経済の健全化を望むのであれば、金融政策の限界を認め、構造改革を促すようなメッセージを明確に示すべきだ。そして、デフレ脱却という短期的な目標を追いかけるのではなく、長期的な繁栄の実現に焦点を当てるべきである。
豊臣秀吉の死後、徳川家康による天下統一が「鎖国」へと傾くことなく、逆に世界への積極的進出を是とした場合――いわば「海禁令なき日本史」――をSF的視点で思考してみましょう。
関ヶ原合戦後、徳川家康は中国・朝鮮半島・東南アジアとの通商を制限するどころか、秀吉の「唐入り」を反省材料としつつも、戦略的な海上拠点の確保と国際交易の自由化へ舵を切る。その背景には、ヨーロッパ勢力(ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス)との接触から得た「大洋航行技術」や「新型火砲技術」の獲得、さらにはインド洋の交易網へ参入し莫大な富を得ることが狙いとなる。
17世紀前半、日本は大量の木材と熟練した船大工技術を駆使し、当時としては極めて進歩的な大型遠洋帆船「泰和丸(たいわまる)」型を量産する。これらの船は紅毛人(欧州人)らがもたらした航海術や天文学的知識を吸収し、独自改良を加えた航海儀器(和算と干支暦に基づく天測計測装置)を搭載。日本は東アジア・東南アジア・インド洋にわたり、広大な貿易ネットワークを確立していく。「天下布船」を掲げる海上商人連合は幕府公認の下、香辛料、絹、銀、鉄砲、陶磁器、各地の工芸品の交易を増幅させた。
17世紀後半には、欧州から取り入れたガリレオ式望遠鏡、オランダ医学、幾何学書などを独自発展させる動きが加速する。商人・学者・職人が一体となり「長崎天文局」を設立。ここで彼らは暦改革や大洋航海ルートの正確化に努め、さらには海上風力と地磁気を活用した新型羅針儀、果ては初歩的な蒸気機関をも視野に入れた研究を進める。これが18世紀以降の「テクノ・徳川」時代の幕開けを告げた。
日本海軍は急速に巨大化し、艦隊は琉球や台湾、フィリピン方面へと進出。現地の政権との婚姻同盟や商館設置で軋轢を抑えつつも、海洋ルート上の要所を押さえ、いわば「アジア海洋連邦」の中核を成した。この連邦は言語や宗教が多様な中で、文禄・慶長の役以降、「他者理解」を標榜する儒学者・神道家・キリスト教徒が集い、相互通訳機関、翻訳院の設置などを推進。また欧州列強は日本との交易を重視し、オランダ商館が江戸湾に拡大設置され、ヨーロッパ科学や印刷術、初期産業革命技術が流入。結果、日本製の「機巧船」や「からくり式自動航海補助装置」が発明される。
こうした流れで19世紀に突入すると、「蒸気機関搭載外輪船」や「初歩的電磁通信機(エレクトロ・のろし台)」が欧州からの技術供与と国産研究から生まれ、幕府と諸藩はこれを積極導入。日本は環太平洋からインド洋、さらにはアフリカ東岸まで交易範囲を拡大、アジア・アフリカ航路の安全と通信網を独自整備する。世界的には英国・仏蘭西・スペイン・ポルトガルなどが植民地競争を激化させる中、徳川幕府はあくまで「海の道」を軸に、中立的商業帝国としての地位を確立。これにより、東西の知が日本国内で混在・再構築され、画期的な「日欧中印」四極学問交流体制が成立する。
この歴史線上では、蒸気船から電気船、そして反重力航行理論(ヘリウム浮揚型船舶技術を経て、電磁的浮揚技術が20世紀初頭に確立)へと進化が続く。バイリンガルの学者・技術者集団が江戸に集い、「空中商館」と呼ばれる浮遊式交易拠点がインド洋上に浮かぶ架空都市として計画され、極東から中東、地中海まで「日出づる国」発の浮遊艦隊が航行する。「サカイ(境)なき海」の概念が生まれ、海はもはや境界ではなく、文化と技術が結合し、東西が日常的に交差する舞台となる。
このような世界での日本は、着物を纏いつつ背中には多言語翻訳デバイスを装着し、和算と西洋数学が融合したアナログ計算機や、唐絵・南蛮絵・和様が混ざり合う新美術様式を輸出する文化的強国となっている。歌舞伎は遠洋船団上でも上演され、オルガンや琵琶、シタールが融合した奇妙な海洋音楽が世界各地の港町で流れる。
海禁令なき日本は、内向きな封鎖社会を回避し、知と技術・文化・交易を絶えず世界から摂取し再構成する「海洋型多文化テクノ文明」へと進化した。SF的想像を許せば、21世紀には重力制御船団が太平洋上空で静止し、国際宇宙航行同盟の創設に日本が深く関わるシナリオも考え得る。つまり、豊臣秀吉以降の日本が海禁を選ばずに世界へ雄飛した場合、それは単なる列強模倣の帝国ではなく、海上をインフラとした知的交差点として、「海洋を舞台にしたグローバル・ルネサンス」の中心となっていたであろう。