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はてなキーワード: 計画とは

2025-02-20

anond:20250220110958

再選前から「何で元県民局長不倫してたら斎藤パワハラしてなかったことになるの?」と思ってたので

局長プライベート情報なんてどうでもいいし未だに公用PCの中身を公開しろと言ってる奴らの心理わからん

選挙期間が終わって公開された当該の百条委員会議事録

副知事クーデターという不正目的だったので公益通報に当たらないと判断した部分を述べる所は伏せられておらず

その後に続く元県民局長プライバシーを喋ろうとして委員長に止められた部分だけが伏せられており

百条委員会クーデター計画(疑惑)の存在別に隠そうとはしていないように見える

斎藤支持者は公用PCの中にあるクーデター計画じゃなくて

不倫日記を公開することで斎藤の無実を証明しようとしているようで滑稽だ

ちなみに元県民局長クーデター計画が本当だったとしても

斎藤によるパワハラもおねだりも実際にあったと判断するに十分な材料は揃っているので

斎藤告発を受けて失職するのは当然だったと考えております

あー久しぶりに増田斎藤元彦の話題が伸びたなぁ

はてブ増田陰謀論耐性が高くて賛否拮抗しないから大して伸びないんだよ

ここんとこずっとヤフコメ活動してたわ

2025-02-19

anond:20250219221305

プロジェクト開始後に現行システムの解析を実施の上、移行方針及びスケジュール等を確定するという契約

これが事実ならどのように「現行システムの解析を実施の上、移行方針及びスケジュール等を確定」する契約なのか次第だね

出てきたニュースだと現在エンジニアなら当たり前だがIBMウォーターフォール下請け丸投げ式ではなくて現状をみてそれ次第で納期を決めるという計画だったようだけど、NHK納期決めて投げてあとはそっちでやってねという感じなので、後者なら契約がどうかはしらんけど失敗するのは当たり前

この街には計画的人間しか住んでない

この街には計画的人間しか住んでない

スーパー入口での絶望

私は今、スーパー入口に立ったまま死んでる。手に持ったレタスの葉が萎れていくように、この街に住む資格を腐らせてる。カゴがない。売り場の奥まで歩いてやっと気づいた。また今日も、この儀式をくり返す羽目になった。

完璧人間たち

ここのスーパーマーケットには、完全な人間しかやってこない。レジに向かう客たちの歩数計が刻むリズム学生リュックに収まる野菜の体積計算、老紳士牛乳パックを把持する完璧な角度。全てが数学的だ。なぜなら入口しかカゴが置かれてないからだ。計画を誤った者は、空腹でも、出血していても、必ず入口まで引き返させられる。

国道沿いの激安スーパー

国道を隔てた向こう側のスーパーは違う。床にころがるカゴが散らかった積み木のようで、商品棚の隙間からふいに現れる。あそこでは人間が迷うこと許されている。だが計画都市のコンクリートに染みこんだ理性は、そんな「偶然」を病原菌のように排除する。先週、卵を抱えたままレジ列を彷徨った男がいた。警備員がだまって彼の後頭部を指差した時、冷蔵庫の霜のように静かな嘲笑が棚のあいだを這った。

私の冷蔵庫

私の冷蔵庫には常に二つのカゴがころがってる。ひとつ使い捨て羞恥心。もうひとつは取り返しつかなさを計測するためのものだ。毎日のように入口と売り場往復する私の軌跡は、この街地図ににじむ不純物のシミのように映っているに違いない。

終わりのない計画

この街夜明けはカーテンの隙間から侵入する図面のようだ。1年を通して6:00に朝日差しこみ、22:00に街灯が消える。私は枕元にカゴを置いて眠る明日もきっと、計画から漏れ臓物のように入口うずくまるのだ。ここには偶然が生きる余地などない。完璧な檻の中で、唯一の欠憾品である私の呼吸だけが、精脈に青いノイズを流し続けてる.

anond:20250219164744

ナザレンコ・アンドリー🇺🇦🤝🇯🇵

@nippon_ukuraina

アホくさい(笑)

16年前から人生の唯一の目標日本にいることと定め、そのためだけに人生をかけ、アイデンティティも大切な人も皆日本だと何年も前から公言しているのに、「覚悟があれば唯一愛してきた国と人を捨てて、住所すらない遠い場所に無計画に飛んだはず」と言われると、苦笑しかでない。

貴方家族子供を含めて全てがある国より、昔の記憶以外に何一つも持っていない国を優先するなら、「何のための国防」という根本的な理解が足りない。守るべき人(もの)を優先するのは当然。



日本人になったナザレンコさんにとってウクライナなんて昔の記憶以外に何一つも持っていない国なんだが?

3 月にホームビルド テーブルを 1 つ処分する予定

ただし、その上に 2 台の PC が置かれています。まずそれらを処分する必要があります。1 台のマシンが別のデスクに置かれているため、

もう 1 台のマシンデスクに取り付けます。狭いデスクでは、2 台のマシンが置かれます一時的ものですからどうでもいいよ。

残りの 1 台のマシンクラスター化されます。床に直接置かれまして一時的であっても、計画は立てられてます

reply

物を移動してすべてのスペースを見つけるのは、ちょっとしたパズルです。でも、きっとうまくいくでしょう。

計画があれば、戦いの半分は勝ちです。覚えておいてください。それは、自分ワークフローに最適な設定を見つけることです。

進捗状況を共有しているだけですか? いずれにしても、仮想を貸したり、精神的なサポート提供したりするます!

anond:20250219121017

意図せずバズってしまって経緯は報告したいところではありますが、息子の立場やらその友人たちの考え等もあり、いちいち全世界に向けて報告してるのも友人たちからすると気ぃ悪いと思うので中間報告は控えてます

将来のある子供達に危険がないように上手く着地させるので、そしてご心配いただいた方々に必ず最終報告は致しますのでしばらくお待ちください。

なお、息子はみなさんに頂いた意見は全て読んで自分たち計画の甘さを痛感してます。本人に代わってお礼申し上げますありがとうございます

anond:20250219063622

明治時代仮想マイクロブログ社会がもたらした近代化の加速と文化的変容

概要

明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、

出生時に人体に埋め込まれる生体統合デバイスとして全国民に普及した。

この技術革新明治5年1872年)の学制発布以前に実現したことにより、

日本史上空前の情報革命が発生。

福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論電気的伝播」が現実化し、

明治政府中央集権政策民間自由民権運動が複雑に絡み合いながら、

従来の歴史認識根本から変革する社会構造形成された。

森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩リアルタイムで共有され、

夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、

文学表現のもの双方向メディアへと変質した。

政治体制情報統制の変容

大政奉還前夜の情報戦

慶応3年1867年)の王政復古クーデターにおいて、

薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。

西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民タイムライン炎上する中、

岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義映像コンテンツが300万回再生され、

徳川慶喜の恭順姿勢を決定づけた。

戊辰戦争では会津藩白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、

これが国際世論形成に影響を与え、

パリ同時通訳機能を備えた端末を通じて英仏の介入を阻止した。

明治政府検閲システム進化

明治6年1873年)の徴兵反対運動では、

全国の農民が瞬時伝達器で組織的抵抗を展開。

これに対し内務省は「治安維持電脳局」を設置、

自然言語処理AIによるプロファイリング技術を駆使し、

危険思想予測検閲実施した。

森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、

国民の端末に強制配信機能実装され、

山県有朋の「国民道徳統合プログラム」として機能した。

文学芸術分野の変革

文豪たちの双方向創作

森鴎外陸軍軍医時代投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、

従軍記者の報告を凌ぐ臨場感国民的人気を獲得。

鴎外は後に『ヰタ・セクスアリス』(1909年)の連載中、

読者からの「官能描写情報告」機能逆用し、

中人物の心理描写リアルタイム修正する実験創作を試みた。

夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生遺書」展開を読者投票で決定、

従来の作家観を超えた「集合知創作」の先駆となった。

若手作家の台頭とメディアミックス

芥川龍之介東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり

史上初の「バーチャル文芸サロン」が形成された。

谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者から画像投稿構成する「コラボレーティブ・アート」を実践

永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原遊女たちが匿名アカウントで作中の描写反論するメタフィクション的試みがなされた。

社会運動大衆文化の進展

自由民権運動の加速化

明治10年1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ情報戦を展開。

政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍士気低下を計画的に誘導

戦争期間を史実より3ヶ月短縮させた。

明治23年1890年)の第一帝国議会選挙では、

立憲自由党政策動画配信仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施

投票率が史実の91%から98%に上昇した。

大衆娯楽の変容

明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化

日露戦争記録映像旅順要塞攻撃』(1904年)では視聴者攻撃ルート投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。

落語家三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ怪談電送話」を配信

バーチャル花火大会との連動企画で新たな大衆芸能を創出した。

国際関係技術革新

列強とのサイバー外交

明治32年1899年)の条約改正交渉において、

陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。

治外法権撤廃交渉過程部分的公開し、

英国世論誘導成功した。

明治37年1904年)の日露戦争では、

明石元二郎大佐ロシア革命勢力と端末経由で連絡、

諜報活動効率化で史実より早期の講和を実現した。

技術限界社会適応

大正3年1914年)のシーメンス事件では、

海軍将校贈収賄記録が匿名アカウントを通じて暴露され、

従来の新聞スクープを凌ぐスピード政界震撼させた。

一方で、端末の生体統合特性逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化

森鴎外が『沈黙の塔』(1910年)で警鐘を鳴らすなど、

プライバシー公共性ジレンマが早くも表面化した。

結論

仮想マイクロブログ技術明治期に存在した場合

その社会的影響は単なる情報伝達の高速化を超え、

国家形成プロセス自体根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。

文学における双方向性の獲得、

政治運動の即時組織化

国際交渉の多次元化など、

従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。

ただし、この技術がもたらす集合的無意識可視化は、

大正期のメディアアート運動昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相付与し、

現代SNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。

今後の研究課題として、

端末の技術起源に関する考察海外技術流出説VS超自然的出現説)と、

大正デモクラシー期におけるメディアリテラシー教育実態解明が急務である

また旧友を失うかもしれない

また友人を失うかもしれない。

ちょうど一年くらい前にも同じような理由で友人を失った。

原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。

はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイス共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。

筆者は2002年まれの現役の大学生で、一年浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会アクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分おかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科家族相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代から」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?

友人Aの場合

Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか学部は違うけれど同じ大学所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークル所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。

Aとは、彼の就活彼女候補?の話で軋轢が生じた。

書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから

おそらく、Aには特殊技能はない。英語普通スペイン語自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。

さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手ベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャー大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。

大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか

ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自システム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプション新株予約権付きのストックオプション新株予約権!?

悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!

仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社株式価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。

もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。

今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。

ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。

Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。

そのあと電車各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。

そして、AからAの意中の女子上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野初デートコロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。

絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろバスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。

Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。

別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。

Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。

そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い

筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレ限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。

その後、彼からの連絡はない。こちからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。

もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。

もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシードリームガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。

きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから

彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。

多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分世界とそうじゃない世界区別全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。

過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかいかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかいかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利自己しか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず

2025-02-18

anond:20250218192056

予算ってちょうど使い切ること無いよね

かなり超過するか、余りまくるか

計画は難しい

子供の頃、親が流していたポルノグラフィティアポロ歌詞にある「アポロ100号はどこまで行けるだろう」をかなり長い期間信じていて、きっと冥王星まで行くんだ!とわくわくしていた。

アポロ計画は終了していたことを知ってかなり落ち込んだし、その後のボイジャー計画ロマンに圧倒されたりもした。

からか、たまーーーーーにボイジャー話題が出るとドキッとする。

恋人借金があるかもしれない

普段はそんな他人のものを見たりはしないのだが、ふと恋人の机の上に返済計画書なるもの発見してしまった

借入金額には50億円と書いてあった

頭の中が真っ白になり何度数え直しても50億円だった

なんか怖くなって何も聞けてない

やっぱり借金持ちの相手は怖い

結婚も考えてたのにどうすればいいのだろう

anond:20250218084718

判断能力も低いし、家族旅行で1万ケチるような経済力くそ雑魚過ぎる


まともな大人なら、ウユニ塩湖に行くという大博打するか、プラネタリウムが近くにある星空きれいなところという安牌を確保した計画するよね

2025-02-17

anond:20171227003911

計画された叙事詩なんか、ただの幻想。偶然と挫折の積み重ねが、皮肉にも真の自由を生む。

新入社員に納得がいかないこと

最近勤め先にいっぱい人が入社してきてるんだけどさ、その人たちって「なんでこんなこともできてないの?」と言う類の発言をよくする。実際はほんの少しだけマイルドだけど。

いやわかりますよ。どんなに背景があったとしても、新しく入ってきた人にはわからないことだし、純粋に疑問に思っていることもあるんだろうさ。

でも、あまりにもバカにしたような態度だとこっちだって一言言ってやりたくなる時もある。

これでもよくなってきたんだ、いろんな事情でできないけど本当に私たちだってやりたいんだってね。

みなさんそれなりに経験を積んで、一家言もニ家言もすぐ思いつくくらいなんだろう。

でもあの人たちは、私たちがこれまで死に物狂いで作り上げた土台に、途中から鳴物入りで入社してきたわけで、そんな人たちが既存プロダクトや体制に土足で上がり込んで失礼なこと言うことまでは私は認めてないんだよね。

意見は言ってもいいけれど、そんな失礼な言い方を許したわけではない。

新しい風、新しい力は大事。そこを否定したいわけじゃないけど、まだ何も生み出さないうちに、既存プロダクトにフリーライド状態で偉そうにしてるのはなんだか悔しいな。これからなんかすごいんだろうけど。

受け入れ側の体制も考えないで無計画な大量採用要求する会社にも腹立たしい気持ちもあるし。

…そんなことを思ってはグッと堪える毎日です。

小市民なのでビール飲んで寝ます

大阪府泉南市出生率5.94。避妊禁止宗教ほんみち信徒まみれ。

ほんみち1912年天理教から派生

天理教よりこちらが正しいと「天理本道」と名乗り「ほんみち」へ

天理教聖地天理市だが、ほんみち泉南市

・全国の高校進学率は97%だが泉南市は80%で、敬虔信徒は中卒で施設に3年入ってお勤めする(ゆる信徒は進学)

・3年お勤めで昼は男は坊主頭で山修行させられ、女は女子検という花嫁修行をさせられる

・3年お勤めの中でパートナーになる相手は生まれて間もなく決められた婚約関係相手が多い

・3年のお勤めを終えると18歳になっているので多くはパートナーとそのまま結婚する

避妊禁止されているので信徒子供を6ー7人産み、10人を超えるところもそこそこいる

・教団から子供1人産んだら100万円もらえる

・月の半分はお勤めがあるため就業できず、非正規バイトほとんどで暮らしは貧しい

・貧しいので信徒同士が助け合い集団子育て集団寝食、宗教的結束が強まる

子供20歳になったら宗教を続けるかやめるかか選択できるが、その年にはもう家庭を持っているのでやめる人は少ない

地方過疎化普通の人が出ていく一方で信徒は増え続けており総人口は微増傾向、生徒や職員信徒しかいない公立学校もある

泉南市阪南市合併させる計画があり、新市名をほんみち市にするよう働きかけている

2025-02-16

[]混沌とした日常-政治ガンダムも恋も、すべては壮大なドラマ

最近ふと、衆議院参議院の違いって、セ・リーグパ・リーグみたいなもんじゃいかと考える。

どっちも大事存在だけど、その役割雰囲気は全く違う。

政治世界も、実は私たち日常そっくりだと思うのだ。

たとえば、ガンダムMS開発企業

ジオニック社がザク絶対王者だとされても、裏ではツィマッド社がドムを生み出し、そして戦後アナハイム・エレクトロニクス連邦軍技術を吸収して大暴れ。

どの企業一喜一憂しながら、その時代の主役を演じる。

私の人間関係も、学生時代にどこかの下っ端にいるような気分から、やっと対等な友達関係を築けたかと思えば、ふとした瞬間にまた孤独に押しつぶされる。

まるで、ジオニック社とツィマッド社の熾烈な覇権争いのようだ。

そんな中、ふと高級アクセサリーに目が行く。

300円ショップの飾り物と、ミキモトやタサキ真珠

それぞれの輝きは確かに違う。値段だけでは語れない、その存在感に、持つ人の気持ちもまた輝きを増すのかもしれない。

私も、そろそろ自分に「ご褒美」をあげるべき時期なのだろうかと、考え始めている。

そして、現実さらドタバタしている。

昨夜のコンビニバイトでは、準夜の仲間たちとクソ客との一触即発なやり取りに、思わず「これが接客の極意か」と感心する瞬間もあった。

あの職場では、まるでお互いがガンダムパイロットのように、状況に応じた絶妙タイミングセリフを交わしながら、日々の小さなドラマを演じている。

そして、忘れてはならないのがバレンタインデートの惨劇

待ち合わせの時間に向けておしゃれをして準備万端。

だけど、彼は「駐車場代はケチる」男らしく、目的地に着いた時にはすでにランチタイムは終了。

結局、隣町の駐車場から46分の徒歩でお店にたどり着く羽目に。

まるで、どんなに計画を立てても、政治裏工作企業の策略に翻弄される私たち人生のものだと、呆れずにはいられなかった。

こうして振り返ると、衆議院参議院微妙な違いも、ガンダム企業覇権争いも、友達との距離感も、高級アクセサリーの煌めきも、コンビニでの笑い話も、そしてデートでの駐車場問題も、すべては人生という名の壮大なドラマの一幕に過ぎない。

どんな些細な出来事も、振り返れば熱いロマンと切なさが溢れている。

今日もまた、笑いあり涙ありのこのドラマに身を任せ、一歩一歩前へ進んでいこう。

あなたも、そんな日常混沌に、どこかに輝きとロマンを見つけられますように。

anond:20250216153656

正直物買うよりもこういう計画立ててるほうが楽しいという

機動戦士Zガンダムまでに登場するMS開発企業 について

ツィマッド社(ZIMMAD)

まず、ジオンMSメーカーの中でもめちゃくちゃ影の立役者なのがツィマッド社 だ!

「え、ジオンMSってだいたいツィマッドが作ってるんじゃないの?」と思ったやつ、違う!!

ジオンの主力MSジオニック社のものほとんどで、ツィマッドザクに負けた会社って言った方が通りがいい。

ツィマッド社はドム系列を開発したのが最大の功績!

試作MS EMS-04 ヅダを開発してMS-05 ザクIの開発コンペでジオニック社と競ったが、 機体が爆散するという致命的な欠陥があって敗北。

その後、「重MS時代が来る!」と考えて開発したのがYMS-09 プロトタイプドムで、それが後のMS-09 ドムに繋がる。

さら地上戦仕様MS-09F/TROP ドムトロペンや、統合整備計画によるMS-09R-2 リック・ドムIIなんかもツィマッド社の成果!

ただし ゲルググジオニック社の機体なので、結局ツィマッド社はジオニック社の後塵を拝することになる。

ちなみに アクシズMS開発にも協力している っぽいが、Zガンダム時点では目立った成果はない!


ジオニック社(ZEONIC)

ジオン公国のMS開発の絶対王者

言わずと知れたザクシリーズの開発元であり、 一年戦争象徴とも言えるMS-06 ザクIIを生み出した。

ザクI(MS-05)をベースにしたMS-06 ザクIIは宇宙仕様地上戦仕様指揮官機、重装型、狙撃型などのバリエーション豊富

さらYMS-14(試作ゲルググ)→ MS-14 ゲルググ連邦のRGM-79 ジムに対抗できる高性能MSを開発するも、時すでに遅し!

さらヤバいのが、ジオニック社は 地球連邦軍に吸収される ということ!

そう、戦後地球連邦軍ジオニック社の技術者を取り込んで、 RGM-79ジムを開発するんだよ!!

まりジムザク技術を流用した機体ってわけ!!

その後、元ジオニック社の技術者たちはエゥーゴのカラバにも関わるし、アクシズハマーン軍にも合流して MS-09R-4 ギャビー・ハザード専用リック・ドムなんかを開発してる。


アナハイム・エレクトロニクス(AE)

Zガンダム時代MS開発の覇者 にしてヤバい企業 No.1

元々はコロニー建設宇宙企業だったのに、 一年戦争後に連邦からMS開発を一手に請け負うことに成功

なんでそんなことになったのか?

連邦軍が戦後MS開発会社統合ジオニックの技術者を取り込んだから!!

アナハイムガンダムMk-IIを開発するティターンズに協力してたけど、 エゥーゴとも裏で繋がっているというダブルスパイ企業だった。

結果として MSA-003 ネモMSZ-006 Zガンダムなんかをエゥーゴ提供するわけだが、ティターンズが負けたら今度は地球連邦軍の主流派グリプス戦役後の連邦)に擦り寄る。

ちなみにガンダム試作機(GPシリーズ)もアナハイム製で、 GP02Aなんかは核バズーカを搭載する超ヤバい機体!

結局アクシズMS開発を本格化するまでアナハイム地球MS市場を独占することになる!

サナリィSNRI

Zガンダム時点ではほぼ出てこないが、連邦内の次世代MS開発機関として宇宙世紀0100年代に台頭する企業

ここの技術F91以降の小型MS を生み出すんだが、Zガンダム時点ではまだ 地球連邦軍内で試作機を作ってるだけで目立った成果はない。

まとめ

ジオニック社 vs ツィマッド社 → 一年戦争ジオニック社が圧勝するが、戦後連邦技術を吸収

連邦軍はアナハイムMS開発を一任 → そのせいでアナハイムMS市場を牛耳る

エゥーゴ vs ティターンズ → どっちにもアナハイムが絡んでるので、 どっちが勝ってもアナハイムが儲かる

ZガンダムMSはほぼアナハイム製! → エゥーゴ用のZガンダムも、ティターンズ用のガンダムMk-IIも、結局アナハイム!!

結局、 戦争MSメーカーが潰れたり統合されたりしながらも、アナハイム漁夫の利を得て巨大化するという流れだ!

ジオニック社もツィマッド社も、 Zガンダム時代では歴史の一部になってしまったが、技術は今も生きている!!

MSメーカー覇権争い、ロマンがあるよね!!!

2025-02-15

anond:20250215203224

青葉の父親は女にモテモテで、前妻との間でも家族計画しなかったんだろう、ビッグダディしてた気がするし、青葉含めた子供たち産んだのも計画性なさそうなんだよなぁ…😟

コオロギブームって狂っていたよな

常識的に考えてコオロギ食べ物じゃない。

普通に考えて、あんな虫を食おうなんて発想自体ヤバい

人間が食べるために設計されたものじゃないんだよ。

牛とか豚とか鶏とか、ちゃん家畜として育てられてきたものがあるのに、なぜわざわざコオロギ

そもそもコオロギ食用にしてる国なんて存在しないし、そんな歴史もない。

未知のアレルギーとか寄生虫リスクもあるし、安全性すら証明されてないんだから、完全に実験台扱いだったよな。

結局、反日勢力日本から公金チューチューしたかっただけなんじゃね?

環境に優しい」とか「未来食糧」とか適当なこと言って、補助金とか助成金とかガッポリもらってた連中がいたんだろ。

日本人にわけわからんもん食わせて、利権だけむさぼるって、どう考えてもおかしい。

しかもこれ、ただの利権じゃなくて、もっとヤバい裏があるだろ。

日本人の食文化をぶっ壊して、わざと貧しくしていく計画の一環だったんじゃね?

コオロギとか昆虫を「未来の食料」って洗脳しながら、日本人にはまともな食べ物を食わせないようにしてたとしか思えない。

一方で金持ち連中は普通に牛肉食ってたしな。

要は、「お前ら庶民は虫でも食ってろ」ってことだろ。

もっと深掘りすると、これグロバリストとかディープステートが絡んでたんじゃね?

SDGsとか環境保護を大義名分にして、庶民にはコオロギ食わせて、食料の支配を狙ってたんじゃないかって話もある。

食料をコントロールすれば、人間の行動もコントロールできるからな。

そう考えると、あのブームも仕組まれてたって納得できる。

今となっては誰も話題にしなくなったし、完全に黒歴史だったな。

本当にあのブーム、なんだったんだよ……。

しま昆虫ブームとか仕掛けてきたら、絶対に警戒したほうがいい。

今日も朝からナノマシンのおかげで体調管理バッチリだ。

起きると同時に、スマートウォッチに血管の状態や臓器の働きが表示される。

今日の血管の柔軟性は良好、肝臓の数値も問題なし。

この技術のおかげで、健康に対する不安ほとんどなくなった。

自分自身の体がリアルタイム見える化されるって、すごい時代だなと思う。

昼過ぎに、ナノマシン卵子排出を通知してきた。

最近生理周期だけでなく、排卵タイミングも正確に把握できる。

これで妊娠計画も立てやすくなった。

彼とはまだ結婚の話まで進んでいないけど、そろそろ真剣に考えてもいいかもしれない。

【速報】高市早苗トランプ大統領電話会談

高市早苗議員トランプ大統領と極秘裏に電話会談を行った模様。

後ろ盾をしたのはあの麻生太郎トランプ大統領と太いパイプを持っている。

高市早苗新党結成政権奪還の約束トランプ大統領に取りつけた。

アメリカ共和党高市救国新党DS壊滅作戦を実行に移すとの計画があるようだ。

2025年から日本アメリカ黄金時代が到来か。

日本人の借金ゼロになると言われています

2025-02-14

AI生成記事

九州大学病院オブジェクト指向システム導入の記録

序章:革新的システムへの期待

1990年代半ば、九州大学病院(九大病院)は病院情報システムの全面刷新計画していた。従来の断片化したシステム統合し、最先端オブジェクト指向技術を全面採用した次世代システムに生まれ変わらせるという大胆な構想である

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。入札条件にも「純粋オブジェクト指向技術で実現すること」を掲げ、業界内でも前例の少ない大規模プロジェクトに挑むことになった​

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。この計画応札した日本IBMは、開発言語にSmalltalk採用し、社内外からオブジェクト指向開発の専門家を総動員する。日本IBM自身のチームに加え、Smalltalk豊富経験を持つ多数のシステムインテグレータ各社が協力企業として参画し、一時期は約200名もの技術者が開発に従事する巨大プロジェクトとなった​

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医療現場からは「21世紀を先取りするシステムになる」という期待の声が上がり、IBM側も「国内最高峰病院に最新技術を投入できる」と意気込んでいた。誰もが、この試みに大きな希望を抱いていたのである

1996年プロジェクト始動曖昧要件定義

プロジェクト1996年、本格的に動き始めた。九大病院情報システム担当者たちは、院内各部からシステムへの要望ヒアリングし、「新システムへの要望リスト」を作成して日本IBM提示した。しかし、その内容は具体性に欠けていたと言われる。「実現したい業務全体像がはっきりしていなかった」のだ。病院側は約1,400床を擁するマンモス病院ゆえ、部門ごとの意見をまとめ上げ全体方針を打ち出すことが難しく、提出された要件定義書は「中身はほとんどなかった」と関係者は振り返る。一方の日本IBMも、その不十分な要件定義を十分詰め直すことなく開発を進めようとし、この問題放置してしまった。プロジェクト序盤から、実は大きな不安の種が芽生えていたのである

それでも当初の計画は極めて野心的だった。フェーズごとに順次システムを稼働させる計画で、第1次カットオーバー最初の稼働開始)は1997年1月と定められていた​

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。限られた時間の中、日本IBMと協力各社の開発チームはオブジェクト指向の新手法に挑みつつ、多数のサブシステムを並行開発するという難事業に取り組み始めた。しか要件曖昧さは各所で影響を及ぼす。開発メンバーの一人は後に「実際にはオブジェクト指向入り口にさえたどり着けなかった」と語っており、肝心の新技術を活かす以前に基本事項の詰め直しに追われる状況だったという。

1997年初頭:見えてきた遅れとすれ違う思惑

年が明けて1997年になると、第1次稼働予定の目前になっても開発は難航していた。結局、日本IBM1996年10月末になって九大病院側に「当初予定の1997年1月にはシステム稼働が間に合わない」と突然伝えることになる。これは病院側にとって青天の霹靂であった。代替策として「一部機能範囲を絞れば1月稼働も可能」といった提案すら無く、一方的に延期が告げられたことに、病院担当者たちは強い不信感を抱いたという。プロジェクトマネージャー同士の密なコミュニケーションも欠如しており、延期決定前から両者の意思疎通は十分でなかったようだ。これが最初の綻びとなった。第1次稼働時期は当初計画より9カ月遅れ1997年10月へと大幅に後退する​

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この延期表明を境に、現場は混乱に陥る。病院側は日本IBMだけに任せておけないとの思いから、一部の協力会社と直接組んで独自プロトタイプ開発に乗り出すなど、プロジェクト体制は分裂気味になった。一方、日本IBM側の士気も下がり始める。ある協力会社メンバーは「これほど求心力のないプロジェクトも珍しい」と当時を振り返り、リーダーシップ不足だったIBM姿勢に驚いている。複数の外部企業(延べ10社以上)が関与する巨大プロジェクトでありながら、日本IBM1997年10月頃まで一貫して主導権を握れずにいた、と多くの関係者が指摘する。誰がハンドルを取っているのかわからないまま巨艦だけが突き進む――そんな不安定な状況であった。

事態を重く見た九大病院日本IBMは、1997年2月から6月にかけて要件定義のやり直しに着手する。一度作成した要件定義書を更地に戻し、業務フローも含めてゼロから整理し直す作業だ。しかしこのリカバリーにも時間を要し、プロジェクトの遅延はさらに広がっていった。「ようやく問題点に光を当て始めたかに見えたが、時すでに遅し。気づけば頭上に厚い雲が垂れ込めていた」と語る関係者もいる​

b.hatena.ne.jp

プロジェクトは先の見えないトンネルに入り込み、関係者の心にも次第に不安が募っていった。

1997年春:一筋の光明オブジェクト指向データベースの導入

混迷を極めるプロジェクトに光が差し込んだのは、1997年春のことである要件定義の立て直しと並行して、日本IBMシステム技術基盤を強化すべく重大な決断を下した。従来のリレーショナルDBではなく、米国GemStone Systems社のオブジェクト指向データベース(ODB)「GemStone」を採用する方針を固めたのだ​

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。GemStoneはSmalltalkとの相性が良いことで知られ、オブジェクト指向開発との親和性が高い製品である

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。この採用決定に伴い、GemStone社から複数名のコンサルタント来日プロジェクトに参加。停滞していた開発体制の再整備が行われた​

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経験豊富専門家の助言により設計も見直され、チームはようやく開発の目処を掴み始めたのである

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病院側もこの動きを歓迎した。長引く遅延に業を煮やしていたものの、最新のODB導入で性能や拡張性の課題解決されるならばと期待を寄せた。協力各社の技術者たちも「ようやくトンネルの先に光が見えた」と胸をなでおろした​

b.hatena.ne.jp

現場には久々に前向きな空気が漂う。遅れを取り戻すべく、再結集した開発チームはスパートをかけた。システム全体のアーキテクチャをGemStone前提に再設計し、失われた時間を埋めるため懸命な努力が続けられる。巨大プロジェクトは今、再び軌道に乗ろうとしていたかに見えた。

1997年夏:GemStone契約交渉の決裂、暗雲の再来

しかし、その光は長くは続かなかった。1997年7月初旬、プロジェクトに再び試練が訪れる。日本IBMとGemStone社との契約交渉が突如決裂し、参画していたGemStone社コンサルタント陣が全員帰国してしまったのだ。肝心のGemStone製品も利用不能となり、頼みの綱を断たれた開発チームは一瞬にして暗闇に放り込まれた。まさに「悪夢のような出来事」であった。

7月20日になって、日本IBMはようやく協力各社を集め緊急説明会を開いた。日本IBM側の説明によれば、「GemStoneとの交渉決裂は企業日本IBM)の根幹に関わる問題による」という。詳しい理由として、契約書の条項に**「システムユーザー等が何らかの理由でGemStone社を訴えた場合、メイン・コントラクタである日本IBMが全ての法的対応を負わねばならない」といった内容が盛り込まれており、日本IBMはこの重い責任リスクを受け入れられなかったのだという。さらに料金面でも折り合わず、3カ月間におよぶコンサルタント8名の派遣ソフトライセンス料などに数億円近い費用**を要求されたことも判明した。法的リスクコスト高騰――企業として譲れぬ一線を越える契約条件に、日本IBMは最終的に「ノー」を突きつけた形だ。だが、それは即ちプロジェクト生命線を断つことを意味していた。

この報に接した開発現場は騒然となった。GemStoneを中核に据えて進めてきたアーキテクチャ設計を一から練り直す必要が生じたためである。ある協力会社関係者は「この時点でプロジェクトの失敗を覚悟した」とまで語っている。大黒柱を失ったチームには動揺と失望が広がった。折しも夏本番を迎え、福岡の空は照りつける日差しに覆われていたが、プロジェクトには再び厚い雲が垂れ込め始めた。

1997年8~9月代替案への賭けと懸命の設計変更

GemStone脱落という非常事態に対し、日本IBMと九大病院必死リカバリーを図る。1997年8月上旬、急遽代替のODB製品としてフランスA.D.B社の「Matisse」を採用する決断が下された。Matisseは国内では知名度の低いODBだが、日本でも過去Smalltalkアプリケーションデータベース採用された実績があり、「何とか使えるめどは立つ」と判断されたのである

しか代替とはいえGemStoneとMatisseでは機能に大きな違いがあった。GemStoneで可能だったサーバ側でのSmalltalk処理実行がMatisseではできず、セキュリティ機能も貧弱だったため、開発チームは不足分を自前で作り込む必要に迫られた。この結果、システム全体の設計クライアント中心処理へ大幅に変更せざるを得なくなり、再び設計の手戻り作業が発生した。炎天下での再出発であるエンジニアたちは寝食を忘れ、懸命にコードを書き直した。

その甲斐あってか、1997年9月末の時点で第1次開発の主要部分を年内に実現できる見通しが立ったという。一度は暗転したプロジェクトにも、わずかながら光明が見えた。病院側も「何としても年内稼働を」という思いで支援を続ける。だが、このとき水面下では別の動きが進んでいたことを、現場の多くは知らなかった。

1997年10月:小さな後退、大きな決断

1997年10月9日、事態は最終局面を迎えた。この日開かれた会議で、日本IBMSmalltalkによる開発断念と、マイクロソフト社のVisual BasicVB)への全面的方針転換を突如宣言したのである晴天の霹靂とも言えるこの決断に、現場は凍りついた。幾多の苦難を乗り越えようやく目指してきた最先端技術での構築を諦め、当時広く普及していたVBという「オブジェクト指向ではない」開発ツールで作り直すというのだ。九大病院が当初求めた**「純粋オブジェクト指向」**という条件にVB合致するかは議論の分かれるところだが​

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病院ももはや背に腹は代えられない。最優先すべきはシステム稼働そのもの――この苦渋の転換を受け入れる以外になかった。

実はこの決断に至る伏線存在した。日本IBM1997年4月からかにVB採用可能性を九大病院に打診しており、さら8月からは段階的にSmalltalk担当エンジニア現場から引き上げ始めていたという。ある協力会社メンバーは「裏ではVBによる開発をすでに進めていたようだ」と振り返っている。つまりGemStone交渉決裂後、表向きはMatisseによる巻き返しを図る一方で、日本IBM本体は別動隊でVBシステムの構築に乗り出していた可能性が高い。振り返れば、日本IBMにはSmalltalk固執しない理由もあった。同社は翌98年2月長野冬季オリンピック向けシステムSmalltalkで構築しようとして失敗し、結局VBで作り直したという“前歴”もあったと伝えられる。アトランタ五輪1996年)では自社Smalltalkツール(VisualAge)を投入したものの、国内の大型案件では苦戦が続いた経緯があった*4。豊富人材がいるVBなら「最後人海戦術で何とかできる」という計算も働いたようだ。GemStoneとの契約不成立も、IBMにとっては結果的Smalltalkを断念する良い口実になったのではないか――協力会社メンバーの一人はそんな憶測さえ口にする。

方針転換の発表とほぼ同時に、Smalltalkで開発を担っていた協力会社の大部分はプロジェクトから撤退することになった​

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10月中旬には、多くの外部技術者が病院を後にしている。自ら招いた転換とはいえ日本IBMにとっても苦渋の決断であった。投入したリソース費用は莫大で、一からVBで開発し直すのは会社としても大きな後退だ。しかし背に腹は代えられない状況まで追い詰められていたことも事実であろう。IBM現場責任者は病院側に深々と頭を下げ、「必ずや残された方法で間に合わせます」と約束したという。九大病院担当者も沈痛な面持ちで頷き、「形はどうあれ、患者さんに影響を及ぼす前にシステムを動かしてほしい」と絞り出すように告げた。

以降、日本IBMは自社内のVB技術者や、自社が持つ病院向けオーダリングシステムパッケージ製品*5などを総動員してシステム構築を続行した​

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データベースも、当初IBM提案していながら見送っていた自社のリレーショナルDBDB2」を採用する公算が高まった​

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目標は「年度内(1998年3月まで)の第1次稼働」​

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。もはやオブジェクト指向の夢を追う余裕はない。現実的かつ確実に動く仕組みを、一刻も早く届ける――プロジェクトはその一点に向け再編成された。かつて200名近くいた開発陣は大幅に縮小され、構成メンバーも一変する。病院看護師スケジュール管理など一部のサブシステムは、撤退しなかった協力会社が細々とSmalltalk開発を続けていたが、その姿はもはや主流から外れた存在となっていった​

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。ある古参の協力技術者は去り際に「全力を出して戦う前に、白旗を上げてしまったという感じがする」と寂しげに語ったという。こうして九大病院プロジェクトの第1フェーズ――オブジェクト指向技術による野心的挑戦のフェーズは幕を下ろしたのであった。

1997年末:現場への波紋と社会的注目

VBへの方針転換後、九大病院現場には複雑な空気が流れていた。病院スタッフにとってシステム刷新は長らく待ち望んだ悲願だったが、その中身は当初聞いていた「最新技術結晶から一転して、従来型の技術で作られるものになってしまった。「結局、夢物語に終わったのか」という落胆の声も一部にはあった。しかし同時に、「多少古くてもいい、とにかく業務改善する仕組みを早く動かしてほしい」という切実な声も強まっていた。目指すゴールは変われど、一日でも早く新システムを稼働させ、慢性的業務負荷を軽減することが現場の切実な願いとなったのだ。プロジェクトチームは日夜作業を続け、簡易な操作研修なども始めながら、年明けまでの稼働に向け突き進んだ。

そんな中、1997年11月3日付の西日本新聞朝刊一面にこのプロジェクトに関する記事掲載される。タイトルは「九大病院システム未完 巨額費用批判」。内容は「九大病院システム未完成にもかかわらず日本IBMに月額4,250万円を支払い続けており、税金無駄遣いとの指摘が出ている」という衝撃的なものだった。同日、このニュース地元RKB毎日放送東京ではTBS)のテレビニュースでも報じられ、九大病院プロジェクト社会問題として一気に世間の注目を浴びることとなった。院内では「患者そっちのけで何をしているのか」といった批判も耳に入るようになり、大学本部所管官庁からの問い合わせも相次いだ。追い打ちをかけるように外部から視線が厳しくなる中、病院IBMはただひたすら開発を前に進めるしかなかった。

結末:プロジェクトの結末と残された教訓

1998年初頭、紆余曲折を経た九大病院の新システムは、当初の構想とは似ても似つかない形でようやく一部稼働に漕ぎつけた。日本IBMは多数のVBプログラマを投入して力技でシステムを完成させ、旧来システムの置き換えを順次進めていった。最終的に納入されたのはSmalltalkでもオブジェクト指向DBでもなく、Visual BasicリレーショナルDBによるシステムだった。かくして九大病院の「純粋オブジェクト指向システム」への挑戦は事実上の敗北に終わった。現場医師職員は、当初期待された華々しい先端技術恩恵を受けることはなかったが、ひとまず業務に支障のない情報システムが手に入ったことで安堵するより他なかった。プロジェクトは当初の理念を捨てて現実路線へ舵を切ることで、なんとか沈没だけは免れたと言えるだろう。

振り返れば、この失敗の背景には最新技術への挑戦ゆえの困難もあったが、それ以上に古典的とも言えるプロジェクト運営上のPermalink | 記事への反応(0) | 21:29

あと4か月で41歳になるのに妊娠した

追記:予定日直しました。動揺のまま書いたので素で間違った)

妊娠した。生ではやってたが中出しはしていない。40歳結婚して6年め、不妊治療は行っておらず、子どもを持たない人生なのだろうと思っていた。今後のお金計画もそのように立てていた。

生理きてないけど、もともと不順気味で過去に何度も二週間程度遅れたことがあった。一か月飛んだことすらあったから、今回もガチ妊娠かもとは正直思っていなかった。

なので昨日お酒も飲んだし、今朝もスタバコーヒーを飲みました。検査薬やろうと思ったのも、やったら妊娠してないのわかるからほっとするだろうと思って。でもそれは、単にそう思いたがっていたのかな? とも思う。五分五分とまではいかないけど、どこかで妊娠してるかも、の気持ちもあった。だから職場トイレで陽性反応出たときまさか!!!!! という気持ちはなく、「ああ」という感じだった。ただ、「ああ」という気持ちながらも動揺はしていたようで、トイレの個室を三回くらい出たり入ったりはした。

「どうしようどうしよう」の気持ちでいっぱいだったが、わたし妊娠したという事実がそこにあるだけであって、別にもうどうしようもないなと思ったし、うろたえたところでどうなるわけでもないので目の前の仕事をこなしたり、世間話ふつうにしていた。

 その傍らですぐ近くの婦人科を調べ出したんだけど、やっぱりどこか冷静じゃないみたいで、ブラウザを見る目がすべってしかたない。それでも職場から三分くらいの婦人科と、10分くらいの産婦人科を見つけて電話3分くらいの婦人科電話は一度かけたらつながらなかったので、10分くらいの産婦人科電話。当日予約は受けてないと言われたが、夜診もあるとおしえていただく。それでもいいかなと思ったが、3分くらいの婦人科にかけなおすと17:00にあきがあると教えてもらったので、そちらをすぐ予約した。で、会社を少しだけ早退させてもらって受診。待合室ではマスクをして、診察室ではマスクを外せという独特のスタイルだった。

おじいちゃん先生に、

検査薬で陽性だったんだよね?」と言われた。

はい

とこたえると、

こちらでも念のため尿検査したんだけどね、うん、妊娠ほにゃにゃにゃ」

と言われた。ほにゃにゃにゃ、の部分は、先生がなかなかのおじいちゃんだったこと、パーテーション存在していたこと、患者の座る椅子先生の机からけっこう離れていたこともあり、普通にききとれなかった。間違いなく人生で一番肝心なところがききとれていない経験となったが、その後の話の雰囲気妊娠してることはくみ取れた。ききとれなくてもいいんだ、くみとれればいいんだ。

「ここのところ体にかわったところあった?」ときかれ「11日の祝日から猛烈にだるくて、昨日は眠くて、熱もないのに熱っぽいというか」と説明したところ、看護師さんも医師もにこにこして「うんうん、それね、妊娠してたらぜーんぶふつうことなの」と言われた。お、おう…。全然普通じゃねぇだろ、妊婦やべえな。

そして、即座に「内診で確かめからね」と言われた。

ちなみに婦人科最後受診したのはいつ、と言われたので、12月に健康診断をうけており、そのときに頸がんと体がんの検査をやったといったら、初診時にかならず行うという頸がんの検査パスになった。

で、内診。ストッキング脱いでパンツ脱いで椅子に座って股をひらいた。婦人科の内診の椅子、回転しながら股も同時に開くタイプと、回転しきってから股を開くタイプがあるなという超絶どうでもいいことを思った。今回は後者

で、内診はじまって5秒もせずに「ウン間違いない。通常妊娠してますね」て言われた。間違いなかった。おめでとうございます、みたいな、急におめでとうムードに包まれたがとうていそんな気持ちになれなかった。40歳やでわしゃ。

エコー映す画面を「見えます?」と言われたが、目隠しのカーテンで見えなかったため素直に「見えません」と答えたら、カーテンちょっとだけあいて画面が見えるようになった。「やってる?」みたいな。やってるやってる。いややってない。まったくやってない。わからない。なにもわからない。

そして、画面見ながら「赤ちゃんの部屋ができている。ここからここまで2センチ。これがあると妊娠は確実です」と示された。「柿の種くらいの部屋の中に、いくら粒くらいの膜がある。この中に赤ちゃんがいるが、今はまだ見えない」と言われた。柿の種…か…。おつまみだな。赤ちゃんの部屋はかたちも柿の種に似ていた。今思ったら切ったからすみの断面にも似ていた。おつまみだなあ…。同時にわたしは産みたいとか全然思えていないので、できればこういうのを見たくなかったなとおもったが、医者の方では既婚の女がのそのそやってきて「妊娠たかも」言うてるわけだから、そんなセンシティブな感じになってるとは微塵もおもっていないようすだった。そりゃあそうだ。そうだけどさ…。エコー写真も渡された。

「正直、年齢も年齢なので妊娠全然想定していなくて」と先生に言うと「不妊治療はしていたの?」ときかれた。「してないです」と答える。中出しもしてないですって言おうと思ったが、中出しの有無は妊娠には関係ない(外出しは避妊にはならない)のはまあ常識なんで、言わなかった。言いたかったけど。

内診が終わって、パンツ履いてストッキング履いて診察室に出て行ったら「予定日は10月8日です」って言われた。爆速。展開がはやい。産みたいとか産みたくないとかの意思確認もなく、突然予定日から入られて動揺した私は「はやっ! はやくないですか!?」と意味不明なことを聞いてしまった。いやでも実際猶予がねぇ…ジャン…!

「あっという間よ」とのことだった。看護師さんもにこにこしていた。

いつ生まれるのかは教えてくれたが、いつできたのかは教えてもらえなかったので「わたしはい妊娠したのでしょうか?」ときいたところ「んーとね。最後生理が12月29日だから……ま、だいたい1月の半ばくらい」と言われる。

職場は近いんだね?」と言われ(問診表にここを受診した理由職場最寄りだと書いてたので)「あ、そこの○○ビル…」とありのままにつたえると「ほんほんそりゃいいね」と言われた。いいのか?

前後関係はよくおぼえていないが「ここの生まれ?」 「いえ△△です」 「旦那さんはここの生まれ?」 「はいそうです」 「じゃ旦那さん病院知ってるかもしれないね」などという会話もあった。いやー世の男そんな産婦人科しらんのやないかな。

「しばらくここでみるけど、ここじゃ産めないから、最終的に紹介状書くことになると思います。確かに高齢出産の部類だからね、大きい病院がいい。おうちが××だったら、□□病院いいんじゃないかな。●●病院も南の方にあるね。▲▲病院まではいいとおもうけど。うん、□□病院が一番いいんじゃないかな」などと言われる。ぜんぜんわからん

「あの私もう今年41歳で(中だしもしてないし)とてもこころの準備ができてなくて、」というようなことを言っていたためか、「この2・3か月は確かに流産もしやすいです」とも、なんかの話の流れではっきり言われた。

「次はね二週間後でいいんだけど、あなた予期せぬことですごく動揺してるみたいだから、一週間後に来てください」と言われた。

へ、へぇおおきに…(動揺しすぎて舞妓になる)

「生む頃41ですわ」というのを無意識に何度もアピっていたのか、医師には「確かに高齢だけど、自慢するほどの高齢じゃない」看護師には「上には上がいるわよ!」と言われた。多分不安をね、やわらげようとしてくれてたんだろう。「まだ若い!」と言われ「若いですかね!?ときいたら「「若い若い!」と断言された。若いことになった。

「あのわたしほんと妊娠してるとか思いもしなくて、昨日も酒飲んで朝もコーヒー飲んで1月から数えたら4日くらいは飲酒の機会がありました」ってみずからの不行跡を白状しつつ、妊娠とはつゆしらずあまりのだるさにユンケルファンティー飲んだの言うの忘れてたがそこは「でも無事でいるからね」と言われてその話はさっと終わった。刺激物はやめたほうがいい、アルコールももうやめたほうがいいけど、ほかは気にしなくていいと言われる。

「食べたほうがいいものとか気を付けたほうがいいことありますか」

ときいていて、わたしは「ああ、自分はどうやらいまやどっている人らしいものについて、いなくなってくれとかどうにでもなってくれとはとても思いきれないらしい」と感じていた。この気持ちを、まだどう言い表していいかからない。

「気にせず好きなものおいしいもの食べていいよ。つわりはじまったらこんなものたべたくなんの? っていうくらい嗜好変わったり、食べられなくなったりするから」とも言われた。

つわりいつ始まりますか」

ときいたら、はやけりゃ来週にもはじまるよ、と言われる。

急だよ!! 超絶的に急だ!!!

「来週来てね」 「受付で予約をするんですね」などという会話を経、わたしは「おめでとう」 「おめでとうございます」と診察室を送り出されてしまった…。ようしらんけど、有史でいえばエヴァンゲリオン以来じゃん…?

金を払い、うっかり予約を忘れそうになりながらも来週の予約をして、なか卯で牛あいがけ親子丼食べた。

受診おわってから考えてたんだけど(まあ行く前も考えてたんだけど仕事してたからそっちに集中気味だった)、もうなーこれ年も年だし流産するとか、全然そういうことは想定されると思っていて。

こんな高齢で、はじめての、想定しても望んでもいない妊娠で。自分母親になれるような人間とはとても思えないし、正社員だけど零細企業でさあ。経済的大丈夫かなとか。

それから皮膚のアレルギー遺伝したら気の毒すぎる。生きづらいだろう。私が高齢から、なんらかの障害をもっていることだって全然考えられるし。

全部不安すぎる。

選べたら妊娠しない道を選ぶよ、絶対に。

でもなんでなんだろうな、今、じゃあ積極的中絶します、というふうな気持ちはどうしてもなれない。

私は母親にならないという人生積極的に選んだわけでもないと思っていて、単にそれは自然の流れだった。晩婚や、子どもができないことに、ただ抗わなかっただけだった。そういう人にも今は居場所があるでしょう。日々戦争みたいなSNSから距離を置けばなおのことよ、いい時代です。

でも妊娠した。

それでまあ、この後どうなっちゃうのかわかんないけど、いろいろなことがとてもとてもこわいけど、困惑してるんだけど、さっきも言ったけどやりなおせるなら絶対妊娠しないでいたいんだけど。だけど。いまわたしとともにここにある不可逆的なものについては、わたし意思で、どうこうすることはどうしてもできないと考えている。

それを産みたいという言葉にできるのなら、わたしは産みたいのだろうというのが今現在の率直な気持ちなんだけど、どうにも頭がぐちゃぐちゃだ。ほんとうにそうなのかもわからない。

まだ誰にも言ってない。


追記

予想外に読んでいただいておどろいています。たくさんのあたたかいお言葉ありがとうございます。おめでとうというおことばも、わたしの綴ったことを見るにおめでとうとは口にしがたいというニュアンスのおことばも、産んでみなはれというお言葉も、産まないのも選択というお言葉も、すべて骨身にしみてうれしいです。予定日書き間違えて混乱させて申し訳ない。

昨日には書く余裕がなかったのですが、身近なところで、高齢での妊娠で残念ながら…というようなケースがいくつかあり、まっさきにそのことを思い出してもいました。

異様に細かいことを書いているのは昨日おこったことをできるかぎりで忘れたくなかったからかもしれません。この先どうするにしろ、どうなるにしろ、二度と読み返せる気持ちじゃなくなってしまったとしても、年齢的に一生に一度のことだろうから

医院の予約をとる電話のくだりなんか、心底どうでもいいけど記録しておきたかった。

やはり年齢的にNIPTについては考えざるを得ないと思います。でもNHK報道番組で、信頼できる機関ばかりではない(結果だけ出してフォローはないことも多い)こととあわせて、陽性反応が出たが覚悟して産んだら障害はなかったというケースを取り上げていて。それを思い出して葛藤しています。命を選別するという行為に直結する可能性が極めて高く、いまはまだ信頼できる医院もなにもわからない状態で。体調に変調がないうちにいろいろとしっかり調べないといけないですね。

これ以上書いていてもとりとめのない不安ばかりが噴出してしまいどうしようもないので、これにとどめておきますが、あたたかいお言葉をありがたく拝読したことをお伝えしたかったので書きました。

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って社内にお知らせするたびにAmazon側でサポートを延長するもんだからすっかりオオカミ少年状態

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