はてなキーワード: 弱肉強食とは
蒸発するつもりだ。友人からそう打ち明けられたのは、私が彼女が何とか真っ当に生きられるような道を探している途中、私は私で真っ当に生きられるように道を探している途中で、築ウン年の我が家、ボロアパートのベランダで流星群を探して二人して煙草を吸っている時のことだった。
ただ漠然と、寂しいなと思った。
若い頃悪い男にいいようにペットにされて、不運に借金にまみれ、女はみんな彼女に寄生したがり、男はみんな彼女を足元に敷くカーペットにしたがる。
誰も私のことを知らない土地で、一人で何のしがらみもなく生きたい。
少し前まで「死ぬしかない」と言っていた彼女がそう言えたことは私にとっては福音にも近かった。
生きていてくれるならそれで良かった。
私の隣にいなくても、何処かで幸せになってくれるならそれで良かった。
私は徹底した個人主義者だ。血も涙もないと思われがちな人種だ。
それでも私に心残りがあるとするなら、彼女と一緒に泥まみれの中で苦しんでいた中から、私だけ救われてしまったことだ。
本当に些細な、しかし絶大なきっかけで、「私はこの場所で私であるまま一人で生きていく」ということを神様から許されてしまった。
じゃあ彼女は何故それが許されないの?
私と彼女に何の違いがあるの?
私は私で泥の中にいる時に、「何で友達は円満家庭に生まれて暴力も知らずに生きてきたのに、私はこんななんだろう。私と友達に何の違いがあるのだろう」と本気で苦しんでいた。
泥から抜けて熱いシャワーを浴びている間もそれに苦しみ、しかしふかふかのバスタオルで体を拭く頃にはまだ泥の中にいる彼女を振り返ることしかできない。
理性では「それが生きるということだ」と理解している。
弱肉強食は人間が文明社会を築くようになってからも明確な、しかし透明なルールとしてこの世の中に残っている。
私は生きるために弱者を食い物にすることを躊躇ってはいけない。しかし躊躇ってしまう。私も弱者だから。
計画を進めていると友人からぼんやり打ち明けられた。最近調子どう?と気軽なLINEをした時のことだった。
そうか。としか思えなかった。
一緒に泥の中にいられなくてごめん。そう思えなかった。
私はもうそういうことが出来なくなってしまった。そう思ってしまった。
私はここで生きるから、あなたはどうか何処かで生きて。それしか思えなかった。
私は薄情だ。
この世の中は薄情だ。
自由民主主義+資本主義を信奉する自由主義陣営、いわゆる西側諸国の近年の凋落についての考察。
眠れなくて思いついた文章をなぐり書き、供養。
そもそもなぜ資本主義が発明されたのか?なんのためのものなのか?
それは民族集団間の生存競争で優位に立つこと。特に工業力で優位に立つこと。他の民族よりも優れた兵器、交通手段、通信手段を持つこと。
19世紀の列強は、日本を除くアジア、中東、アフリカの旧世界の民族を、産業革命で得られた圧倒的な工業力で突き放し、隷属させ植民地化するのに成功。
20世紀は共産主義との戦い。今度は経済戦争を繰り広げ、これに西側自由主義陣営は勝利。
自由主義と民主主義と資本主義。これが最強の組み合わせ。自由主義がイノベーションを促進し資本主義による苛烈な競争が技術革新を引き起こす。
つまり資本主義は社会の自己鍛錬を促進して、成長を促す。共産主義は競争が起こらないから腐敗、堕落して自己崩壊した。
21世紀はどうだ?
虚業(金転がし)に傾倒し、産業は空洞化。泥臭いモノづくりなんて誰もやりたがらない。第三世界との技術力の格差は縮まるばかり。
事実を列挙すると、GDPではG7がBRICS陣営に抜かれた。購買力平価ではロシアが日本を抜いて4位に。貿易額の一位の相手国を示した世界地図で昔は青(アメリカ)一色だったのに今では赤(中国)で塗りつぶされてる。
そして、西側諸国の産業の空洞化が顕在化したのはウクライナ紛争。いくら金を注ぎ込んでも砲弾の供給量はロシア一国の三分の一程度。戦争のキーファクターは中国が露宇両国に提供しているドローンの供給量にかかっているといありさま。
なんでだ?なんで負けてるんだ!中国みたいな専制主義では、猿真似のパクリはできても真のイノベーションは成しえなかったのではないのか?
今の資本主義の凋落の原因は、「金融経済の肥大化」と「グローバル化」にあるんじゃないかと思ってる。
そもそもの資本主義が何のために生まれたのか。自分の民族集団を他の民族集団より優位に立つこと。優れた技術、工業力、生産力を成長させ、維持すること。
しかし、資本主義の教義は利潤(お金)を最大化すること。GDPしかりお金は本来は実体経済の指標に過ぎないものなのに、それが独り歩きし始めたこと。これが「金融経済の肥大化」。
あとは「グローバル化」。民族の中で完結すべきものが地球全体のサプライチェーンに組み込まれた、または拡張された。
「金融経済の肥大化」と「グローバル化」が組み合わさると、泥臭くて儲けの薄い、実体経済の部分が海外にアウトソースされるようになってしまった。
本来自分の民族集団が保持すべきもの、原初の資本主義の目的だったものをアウトソースしてしまうようになってしまった!
金にならないからと初めは工場を、次に開発設計を、しまいには事業ごと海外に売却。
ここには何が残っている?株がある?知的財産がある?
これが全て日本国内のようにちゃんと法治されていれば、株主資産家になって不労所得でウハウハなのかもしれない。しかし、国家同士の国際社会は弱肉強食のある意味無法地帯。「庇を貸して母屋を取られる」ような状態になってるのが今ではないだろうか?
以下、寸劇。
日本企業「うーん、今年の成長率のノルマどう達成しようかなあ。粗方思いつくことはやったし、研究開発に投資するのもダルいなあ。」
日本企業「中国の人件費は十分の一?!国内の工員全員クビにして中国に工場移すだけでノルマ達成できるやんけ!」
日本企業「開発設計は日本でやってるから実質 made in japan みたいなもんやろ!」
…
日本企業「ほーん、こいつらなかなか器用やん。開発設計も丸投げでいいか。最後にブランドシール貼ってとw」
日本企業「もう事業持ってる意味なくない?事業所やら人件費やら金かかるねん。株さえ押さえておけばチャリンチャリンやで。不労所得ウマーw」
…
日本企業「ちょっ!なにリバースエンジニアリングして技術流用してるねん!はぁ?勝手に競合製品つくって第三国に販売するな!輸出規制してる国に売るな!おれは株主なんだぞ!言うことを聞け!知的財産!訴えるぞ!経済制裁!!」
中国「はぁ?なんだこいつ。口だけの自分では何もできないカス。お前はこうだ。」
(ブチッ。)
売春婦の存在に対しては「体を売りたい女性の自由」ということで放置されてきたけど、ホスト・コンカフェ・メン地下・イケメンアイドルやゲームなどの推し貢ぎ問題が発生したのと、
中国人男性が買春を目的に来日してホス狂の立ちんぼを買い始めてから、急に問題視され始めた。
以下の理由によって急に問題視され始めたのではないか?と思う。
酷い容姿の男性や、中年男性などが貢いだ金が、風俗嬢の奨学金返済や家族の生活費などの美談に使われるのは良いけど、イケメンがタワマンに住むために使われることに対しては、若いイケメンへの嫉妬でキレてしまう。
あと「男が女にお金を払うもの」という常識の感覚が、「性的魅力が劣るものが相対的に優れたものに払うもの」という性別の要素がない弱肉強食構造にされ、「若いイケメンと比べて劣っている自分」を突き付けられてしまう。
若くて可愛くてサービスが良い女性を安く買いたいが、金持ちの外国人が円安を利用して押し寄せると、低所得の日本人男性は競り負けて、良い女性を買えなくなってしまう。
また、日本より防疫が雑な国から来た外国人男性と穴兄弟になることで、海外から持ち込まれた新型のわけのわからない性病をもらうリスクが高まるなど、醜かったり中年だったりする日本人男性にとっては何も良いことがない。
chatGPTより日本語が不自由な人。今後はbelow chatGPTでBCクンと呼ぶことにします。
「オタクは
オタクになって最初に驚いたの、暗黙の了解が多すぎて知識がないと見下してくる老害オタクの多さね。
しかもスポーツと違ってオタクって別に上に立ったからって立派になろうという意識はないです。
この文章は、オタク文化やコミュニティ内の階層構造や振る舞いについて、批判的な視点を述べたもののようです。ただし、文章の中で使われている「芸術家」という表現は、一般的な意味での芸術家(アーティスト)ではなく、オタクが特定の趣味や創作活動に強いこだわりを持っている様子を比喩的に表現している可能性があります。
要点を整理すると:
オタク文化には、ルールやマナーが明示されていない「暗黙の了解」が多く、新参者や知識が浅い人に対して冷たい態度を取る人がいる、という指摘です。「老害オタク」とは、経験や知識の多さを盾にして他者を見下すような人たちを指しているのでしょう。
体育会系(スポーツの世界)は、理不尽な面があるというイメージがあるけれど、オタクの世界も同じくらい理不尽だと主張しています。特にオタクの方が見えないルールや階層が多い、という批判です。
オタクの世界では、特定の趣味や分野で突出したスキルや知識を持つことが重視されます。これを「芸術家のような性質」と表現しています。ただし、問題視されているのは、それを理由に「許されない振る舞い」をする人が多いという点です。
まとめ
この文章の「オタクは芸術家」という部分は、オタクのコミュニティが創作や深い知識を尊重する側面を皮肉や比喩として述べています。ただし、批判的なトーンが強いため、芸術家であることが本質ではなく、「オタクコミュニティの閉鎖的・排他的な性質」を指摘していると解釈するのが自然です。
オタクが「芸術家」であるというのは文字通りの意味ではなく、一部のオタクが「特定の趣味に情熱を注ぎ、専門性を追求する姿」をそう例えているだけでしょう。
売春婦の存在に対しては「体を売りたい女性の自由」ということで放置されてきたけど、ホスト・コンカフェ・メン地下・イケメンアイドルやゲームなどの推し貢ぎ問題が発生したのと、
中国人男性が買春を目的に来日してホス狂の立ちんぼを買い始めてから、急に問題視され始めた。
以下の理由によって急に問題視され始めたのではないか?と思う。
酷い容姿の男性や、中年男性などが貢いだ金が、風俗嬢の奨学金返済や家族の生活費などの美談に使われるのは良いけど、イケメンがタワマンに住むために使われることに対しては、若いイケメンへの嫉妬でキレてしまう。
あと「男が女にお金を払うもの」という常識の感覚が、「性的魅力が劣るものが相対的に優れたものに払うもの」という性別の要素がない弱肉強食構造にされ、「若いイケメンと比べて劣っている自分」を突き付けられてしまう。
若くて可愛くてサービスが良い女性を安く買いたいが、金持ちの外国人が円安を利用して押し寄せると、低所得の日本人男性は競り負けて、良い女性を買えなくなってしまう。
また、日本より防疫が雑な国から来た外国人男性と穴兄弟になることで、海外から持ち込まれた新型のわけのわからない性病をもらうリスクが高まるなど、醜かったり中年だったりする日本人男性にとっては何も良いことがない。
売春婦の存在に対しては「体を売りたい女性の自由」ということで放置されてきたけど、ホスト・コンカフェ・メン地下・イケメンアイドルやゲームなどの推し貢ぎ問題が発生したのと、
中国人男性が買春を目的に来日してホス狂の立ちんぼを買い始めてから、急に問題視され始めた。
以下の理由によって急に問題視され始めたのではないか?と思う。
酷い容姿の男性や、中年男性などが貢いだ金が、風俗嬢の奨学金返済や家族の生活費などの美談に使われるのは良いけど、イケメンがタワマンに住むために使われることに対しては、若いイケメンへの嫉妬でキレてしまう。
あと「男が女にお金を払うもの」という常識の感覚が、「性的魅力が劣るものが相対的に優れたものに払うもの」という性別の要素がない弱肉強食構造にされ、「若いイケメンと比べて劣っている自分」を突き付けられてしまう。
若くて可愛くてサービスが良い女性を安く買いたいが、金持ちの外国人が円安を利用して押し寄せると、低所得の日本人男性は競り負けて、良い女性を買えなくなってしまう。
また、日本より防疫が雑な国から来た外国人男性と穴兄弟になることで、海外から持ち込まれた新型のわけのわからない性病をもらうリスクが高まるなど、醜かったり中年だったりする日本人男性にとっては何も良いことがない。
売春婦がいることについては「体を売りたい女性の自由」ということで放置されてきたけど、ホスト・コンカフェ・メン地下・イケメンアイドルやゲームなどの推し貢ぎ問題が発生したのと、
中国人男性が買春を目的に来日してホス狂の立ちんぼを買い始めてから、急に問題視され始めた。
以下の理由によって急に問題視され始めたのではないか?と思う。要するに日本人の性的魅力弱者の男性の都合によって、騒ぐか放置するかが決まっているということ。
ジャニオタが貢いだ金が、ジャニタレ本人の贅沢暮らしに使われるのは良いけど、ジャニタレが結婚してジャニタレの妻と子供に注がれることに対してはキレるのと同じ。
酷い容姿の男性や、中年男性などが貢いだ金が、風俗嬢の奨学金返済や家族の生活費などの美談に使われるのは良いけど、イケメンがタワマンに住むために使われることに対しては、若いイケメンへの嫉妬でキレてしまう。
あと「男が女にお金を払うもの」という常識の感覚が、「性的魅力が劣るものが相対的に優れたものに払うもの」という性別の要素がない弱肉強食構造にされ、「若いイケメンと比べて劣っている自分」を突き付けられてしまう。
若くて可愛くてサービスが良い女性を安く買いたいが、金持ちの外国人が円安を利用して押し寄せると、低所得の日本人男性は競り負けて、良い女性を買えなくなってしまう。
また、日本より防疫が雑な国から来た外国人男性と穴兄弟になることで、海外から持ち込まれた新型のわけのわからない性病をもらうリスクが高まるなど、醜かったり中年だったりする日本人男性にとっては何も良いことがない。
売春婦がいることについては「体を売りたい女性の自由」ということで放置されてきたけど、ホスト・コンカフェ・メン地下・イケメンアイドルやゲームなどの推し貢ぎ問題が発生したのと、
中国人男性が買春を目的に来日してホス狂の立ちんぼを買い始めてから、急に問題視され始めた。
以下の理由によって急に問題視され始めたのではないか?と思う。要するに日本人の性的魅力弱者の男性の都合によって、騒ぐか放置するかが決まっているということ。
ジャニオタが貢いだ金が、ジャニタレ本人の贅沢暮らしに使われるのは良いけど、ジャニタレが結婚してジャニタレの妻と子供に注がれることに対してはキレるのと同じ。
酷い容姿の男性や、中年男性などが貢いだ金が、風俗嬢の奨学金返済や家族の生活費などの美談に使われるのは良いけど、イケメンがタワマンに住むために使われることに対しては、若いイケメンへの嫉妬でキレてしまう。
あと「男が女にお金を払うもの」という常識の感覚が、「性的魅力が劣るものが相対的に優れたものに払うもの」という性別の要素がない弱肉強食構造にされ、「若いイケメンと比べて劣っている自分」を突き付けられてしまう。
若くて可愛くてサービスが良い女性を安く買いたいが、金持ちの外国人が円安を利用して押し寄せると、低所得の日本人男性は競り負けて、良い女性を買えなくなってしまう。
また、日本より検疫等が雑な国から来た外国人男性と穴兄弟になることで、海外から持ち込まれた新型のわけのわからない性病をもらうリスクが高まるなど、醜かったり中年だったりする日本人男性にとっては何も良いことがない。
あたしってば、イケメンの男の子産んじゃったのね。めちゃくちゃ可愛いわけ。もう、この子が将来どんなヤバい競争に放り込まれるか考えたら、まじで胸が痛いんだけど。男社会ってさ、マジでエグいじゃん?弱肉強食で、ちょっとでも気を抜いたらすぐ足元すくわれる感じ?その点、女ってさ、多少は楽っていうか、そういうの見なくて済むじゃん?まあそれはそれで大変なこともあるけどさ。でも、息子にはこれから、そんな競争の荒波を一人で乗り越えてもらわなきゃいけないんだよね。まじで可哀想。まあ、それがあたしのせいってわけじゃないけどさ。っていうか、この社会のせいだし?まじでムカつくわ。でもさ、考えてみたら、女ってこういう競争とか、あんまり真剣に考えなくていいっていうか、なんかふわっと生きてても、それはそれで許される感じあるよね。もちろん、バリキャリでガンガン行く人もいるけど、それはそれで、自分の選択だし。でも男ってさ、逃げ場ないじゃん?社会に出たら、否応なく競争させられて、結果出さなきゃいけないし。あー、もう、考えただけでゾッとするわ。まじで、男の子を産むって、こういうことなんだなって、マジで実感したわ。女って恵まれてるよな。あたしは、これからも夜の仕事で、男たちからチヤホヤされて、楽しく生きてくわ。マジで男社会の闇、深すぎだろ。
なんか自然法則という言葉を変な意味で使ってる人がたまにいる気がする。
自然法則は水を冷やせば凍るとか酸とアルカリが中和反応を起こすとか、どうしようもなく覆らない世界のルールだと思うけど。
なんか弱肉強食だの適者生存だの、そういう(人間社会に対する二項対立としての)自然界における傾向や歴史とでも言うべきような概念を以てして「自然法則」という言葉を使う人をたまに見る。男女がつがうのは自然の法則だとかも。比喩表現程度に使うにしても混同を招くし、あんまりスマートな用法ではない気がする。
それもまた決定論というか、全てが必然に連鎖する因果を辿っていけば自然法則の範疇なのかもしれんけど。まあそれを言ったら、自然界の摂理に反するような振る舞いもまた全て等しく「自然法則」ということになる。
これって宗教で世界を理解しようとする(していた)のが関係してんじゃないかって思ってる。
雨が降るのはなぜ?という疑問と人は何のために生きるのか?という疑問は本質的に質が異なる。けどどちらも神様がそうしたから、神様がこう決めたから、で片付いてしまう。
揺るぎない自然法則と規範や傾向という別次元の問題がルール、掟、法則、理とか同じ言葉で扱われるのはそういう所にルーツがあるんじゃないかと思ってる。その紛らわしさが分離されることなく未だ残ってんじゃないかっていう。規範ではなく事実としての世界を理解する役割の方が、もう大分実証的な科学に取って代わられた今も。
雨が降る仕組みは仮定と実証の繰り返しで再現性のある理屈が見つかっても、人が何のために生きるのかなんてのはどこまで「なぜ」を辿っても揺るぎないものに辿り着けない。雨が降る仕組みの前提となるような物事のルールそのものがなぜ存在するのかは、未だ「神様がそう決めた」以上に説得力のあるものがなさそうだけど。
結論から言うが、生成AIが広まることによってイラストレーターを含めた絵を描く人間(面倒なので以降まとめて絵師と略す)の需要も価値も損なわれることは決してないし、恐らく寧ろ向上する。ただし一部の層のみ。
最近話題の生成AI、いわゆるクリエイター界隈ではあっちらこっちらで話が広がって、しかも誤解や間違いもどんどん広まって、いったいどうしたことかと混迷を極めている。見る人が見れば本当に面白い状況だろう。加えてXの唐突な規約変更(と誤解されている)で投稿画像が無断学習されると騒ぎになり、SNSは今や群雄割拠の戦国時代みたいになっている。自分もXのフォロワーがやれブルースカイ、クロスフォリオに移行するやら、今後のイラストはすべてポイぴくを挟むやら、創意工夫をもってAI学習の手から逃れようとしているのを眺めていた。
これらの行為率直に言って、無駄だなと思う。無駄ではないがあんまり成果の出る行動ではないな、と思う。むしろAI学習から逃れられない上にインプレッションが下がるだけなのでどちらかというと損失の方が大きいだろう(人はURLをタップして新規ページにアクセスするという一手間をとんでもなく惜しむ、自分も画像直貼りなら見る絵も、URLクリックになった場合はサムネが余程好みでない限りほぼ100%見ない。これについては論文出てるから興味ある人は読んでみるのをお勧めする)
まずこの情報社会のインターネットという大きな箱において、データ収集されないで済むものの方が少ない。基本インターネットに上げた時点ですべて情報社会の餌になると考えた方が逆に健全だ。デジタルタトゥーとか言うだろ、使い方も意味も違うが、構造自体はほぼそれと同じだ。原則として「セキュリティ保護(パスワード認証)のないデータはすべて学習の対象となる」と考えた方が良い。これはインターネットという性質を考えれば自明の理だ。AIのスクレイピングを阻害するプラットフォームに上げたとて、基本人が自由にアクセス出来るのにAIが学習出来んわけなかろう。人間が自由に見れるものはAIも自由に見れる。これが基本原則であることを分かってない人が多すぎる。勿論サーバーにAI学習を阻害する設定を相当しっかりやっていればだいぶ軽減はされるが、まあ最終的にアクセス出来れば学習は出来る。これは変わらんと考えておいた方がいい。むしろXはAPI制限などをbot対策などを相当労力掛けてやったので(ユーザーからは不満たらたらだったが)そういう意味ではAI学習対策がなされている方だとも言う考え方もあるようだ。X自体の学習は防げなくても、X外からの学習は防げるからなあ。こればっかりは何を良しとするかだけど。
話がそれた。
まあそうやって他SNSに移行しようとどうしようと基本的に生成AIからの学習は逃れられないし、それはインターネットという情報社会の性質上仕方のないことだといえる。まあ仕方ないという理由で諦められないから絵師の一部はみんな怒ってるのかもしれないが。ただひとつ間違えないでほしいんだが、そもそも学習して誰しもクオリティの高い画像が出力出来るようになるのは悪いことじゃない。これは学習が法的権利として制限されていないからだとかそういう小難しい話をしたいのではなく、単純な社会全体としての話だ。
「”一部の人間しか出来なかったもの”が、簡単にちょっとの手間で”皆が出来るようになる”のはいいことだ」
レトルトや時短料理なんて最たるものだろう。ホテルのシェフが時間かけて、時には数日かけて作っていた料理が、かつて圧力鍋、今では自動調理鍋なんてもので似たようなクオリティが一瞬で誰でも出来る。材料入れてボタン押すだけ。シェフ監修がいわゆる偏向学習LoRAだとするなら、自動調理鍋や圧力鍋が生成AIに当たる部分だ。この例えに色々モノ申すところはあるだろうが、細かいところが問題なのではなく、論旨は「誰にでも出来るようになるのは社会にとって絶対的”正”だ」ということだ。
この視点において、この先も生成AIが大きく制限されることは恐らくない。だって社会にとって悪いことではないからだ。かつて裕福な家庭しか画家を雇い自画像を残せなかった時代が、技術の発展でカメラが生まれ、カメラも高価で専門職に頼む必要があったものが、インスタントカメラになって世間の多くに普及し、絵の具や鉛筆がなきゃ美術を成しえなかった人たちが、パソコンとペンタブという十万程度の投資で無料のYoutubeを見て誰もが絵を描ける環境を整えられるようになった。お金が無くても、技術が無くても、環境が無くても、苦労が無くても「出来る」ということは、社会にとってはその社会の技術が熟成した証拠でありその結実でもある。人間はそういう歴史を積み重ねて文化を発展させてきたのだ。そういう意味において、生成AIの在り方は正しいと言える。
ただし、ただしだ。
ただ、それでは絵師たちは自分たちの努力が無価値と感じ、自分たちの成果が使い潰されていると感じるだろう。仕事は取られ、搾取されるだけ搾取され捨てられてしまうんだ、と。もうここまでの文を読んで反AIの人間は多くが読むのをやめたと思うが続ける。本当にそうだろうか。本当に絵師たちはそんな無価値なものなのだろうか、と思う。
結論を言う。そんなことはない。
だってみんな圧力鍋で美味しいビーフストロガノフを作れるようになったらお店で出るビーフストロガノフは売れなくなるのか。みんな簡単に手軽にスマホで写真が撮れるようになったら、写真家の仕事は無くなるのか。無くならないだろう? 無くならないんです。写真という技術が生まれてなお、未だに筆を執ってキャンバスに写実風風景画を描き続けてる画家がいてその作品が売れているように、どれだけ高精度の生成AIによって高クオリティの絵が乱立しようと絵師と呼ばれる人たちの生み出すオリジナルイラストの価値が損なわれることはないんです。
ただ、弱肉強食とも言える淘汰は発生するだろう。「淘汰」とは即ち、プロとしてのクオリティレベルの向上を指す。単純に言えば、これまでのようにちょっと絵を描いてお小遣い稼ぎみたいのは出来なくなる。なぜならそのレベルなら生成AIでいくらでも個人が作成出来るようになるからだ。写真家が普通の風景写真を売ろうとしても売れないように、イラストもただ絵がちょっとうまいだけでは売れなくなる。プロに頼むからにはプロのクオリティを求められる。
ここまで読んで気付いた方もいるかもしれない、特に今プロとして第一線で働いているイラストレーターの方。
そうなのだ、プロであり技術があるほど、生成AIがあろうとこれまでと変わらないのだ。
生成AIは少し見れば分かる通り、とにかくコンセプトアートに弱い。「猫耳娘」とか「セーラー服の美少女」とか汎用的なお題ならいくらでも出力出来るが、「猫耳娘のイヤリングが彼女が猫の頃を彷彿とさせる飼い主の想い出の品がモチーフになってる」とか「セーラー服の美少女の足元には好きな人との思い出の公演が映っており、画面に添えられた花言葉はふたりのこれからの関係を暗示している」などといった、「一枚絵でドラマを読み解かせる」という構造がとにかく不得意だ。生成AIの構造と成り立ちを考えればそれは至極当然だ。AIにとってイラストはドット単位の色の集合体であり、そこに意味はない。そこに意味を感じるのは人間であり、読み取るのが観客であり、読み取りやすく指向的にドラマを仕込むのがイラストレーターと呼ばれる絵を描く人間の仕事だ。
だからこそむしろ、イラストレーターはより重宝され、求められることになる。人間はドラマやストーリーに魅力を感じる生き物だ。そういう意味で、どれだけクオリティが高かろうと、重要な場面でのイラストは現状絶対にAIに任せられない。色んなジャンルでよくある「周年絵」であれば、これまでのドラマや記念コンセプトをふんだんにあしらいたいだろう。こういうものこそイラストレーターに任せていくようになる。
もちろん、そういったコンセプトを生成AIが表現できないのは「現状」の話だ。時代は変わる。コンピューターの普及、スマートフォンの普及で情報社会レベルが格段に変わったように、やがて生成AIもコンセプトアートをきちんと表現していく時代も生まれるだろう。もう十年は先の話だろうが、ただ十年後はそうなるかもしれない。それにはもう少し時間が掛かる。それまでに絵師としてのポジションをどう確立させていくかは、今現在絵を描いている人間に求められている課題だ。そんな課題と向き合うことなくこれまで通りの世界でイラストを描き続けたいというのは、残念ながらただの停滞思考に過ぎない。時代は変わる。どう足掻いても。それに適応していかなければ廃れるだけだ。それに適応しなかったものから、絵を描いて仕事をする、というポジションから脱落することになってしまう。
ちなみにAI生成なんかじゃなくて絵を描く楽しみを知るべきだ! というのはお門違いである。
「自動調理鍋を使わずじっくり数時間かけて煮込んでこその料理だ!」「一瞬の風景を何時間も掛けて描くことに意味があり、写真なんて偽物だ!」「ピアノを習ったことないやつがデジタルで曲を作るな!」とは誰も言わないだろう。求めてるものがそもそも違うのだ。じっくり料理をすることに、じっくり観察して絵を描くことに、楽しみを見出す人がその手段を選べばいい。生成AIで絵を出力することが「絵を楽しんでいない」とイコールにはならない。もちろん主張したい気持ちも伝えたいことも一定の理解はある。だがこれを読む貴方だって「音楽とはホールの生演奏を聴いてこそすべてだ」と言われても困るだろう。そうじゃない、手軽なものはいくらだってあっていいのだ。そうやって多くの人間が手軽に楽しめるようになることが文化の発展であり、先人たちが作ってきた成果なのだ。
だから生成AIでイラストレーターの仕事が奪われるとか、そういうデマは少し落ち着いた方が良い。もしこれからも絵を描く仕事を続けていきたいなら、どうやって生成AIと共存していくか、それを考えてみてほしいと思うよ。学習を「無断学習」とか「窃盗」とかいうのも、考え直した方がいい。情報社会はデータの集積で成り立つ社会である以上、収集されるのは貴方たちのイラストに限らない。すべてだ。検索履歴・ワードすら貴方たちのデータはデータベースに集積されている。それが嫌なら電子世界から手を切れ。ネット回線を閉ざした山奥に籠れ。便利な通販があるのも、いつでも繋がれるSNSやアプリがあるのも、そういう情報解析の技術の末のもので、我々がいるのはそういう社会なんだよ。
とはいえ、生成AIによる成果物の取り扱いについては早く文化庁が結論を出してある程度法規制してほしいとも思うよ。悪用する人間はどんな技術に対してもどこにでもいるからね。あと、生成AIイラストと声優業界の生成AIボイスの問題は別物だと思ってるぞ。あれは声という一個人の尊厳の侵害に障る部分が多いからな。言った言わないは千年前から現在に至るまで人間の問題になる議論だから慎重に取り扱わなければいけないと思う。刑事犯罪立証に関わることもある部分だからね。ただ声帯を失くした人への補助AIとかはどんどん発展してほしいね。