はてなキーワード: 絶対的とは
未来視って漫画とかラノベにやたらと出てくるけど、よくよく考えるとその設定矛盾してない?って思うんだよ。
でも、その未来が見えたからって行動を変えたら、それってもう「見た未来」じゃなくない?
未来が固定されているなら、それを見たところでどうしようもないし、逆に未来が変えられるなら、それって未来視じゃなくて「未来予測」じゃないの?
例えば、よくあるシチュエーションとして「5秒後に敵が右から攻撃してくる未来が見えた!」→「だから左に避けた!」→「ほら回避成功!」みたいなのがあるけど、これってつまり、「5秒後に右から攻撃がくる世界線」はもはや現実になってないわけよ。だって未来を見たことによって行動を変えたんだから。
それって最初に見た未来は起こらなかったってことになって、「その未来を見た」っていう事実が崩壊しない?
つまり、未来視という能力がある時点で未来は「確定したもの」ではなく「変えられるもの」になってる。
でもそれだと、見た未来は「未来」ではなく「可能性の一つ」にすぎない。だったら「未来視」じゃなくて「未来予測」とか「未来の可能性視」みたいな名前のほうが正確じゃない?
もちろん「100%固定された未来しか見えない未来視」っていう設定なら矛盾しない。でもそれってただの「予告」でしかなくて、バトルで活かせるような能力じゃなくなるよね。
だって「この未来が確定しているなら、見えた瞬間にもう変えようがない」ってことになるんだから。
「5秒後に攻撃が当たる未来」が確定していたら、どう足掻いても避けられないし。だったら視えても意味なくね?ってなる。
だから結局のところ漫画とかラノベの未来視能力って、「未来を変えられる」のに「未来が視える」っていう矛盾を抱えてることが多い。
未来が見えるなら変えられないし、変えられるなら見た未来は「未来」じゃないし、どっちやねん!ってなる。
まあ、そこは「フィクションだから」と言われればそれまでなんだけど納得いかないんだよね。
特に、未来視を持ってるキャラが「これは絶対に変えられない未来だ……」みたいに言ったあとに、なんかしらんけど主人公の努力とか覚醒パワーとかで未来を変える展開、あれはほんと何なんだ?
変えられないんじゃなかったんかい!って思わず突っ込みたくなる。
逆に、ちゃんと「未来視=未来の可能性の一つを視るもの」って説明してる作品は納得できる。
例えば「このまま行くと99%の確率でAの未来になる。でも、努力次第でBの未来もあり得る」みたいな感じで視えてるなら、それは「未来視」というより「未来予測能力」だからまあ理解できる。
下記の動画も良かったよ
下記も親子逆でも起こり得るので注意が必要やで
この動画は、「毒親に育てられるとどうなるのか」というテーマについて解説しています。ずんだもんというキャラクターが、自身の経験をもとに、毒親に育てられた人が大人になってから抱える可能性のある問題点について説明しています。
動画によると、毒親とは、子供を否定し、自分の価値観を押し付け、過度に干渉・支配しようとする親のことです。毒親に育てられた子供は、自己肯定感や自信を育むことが難しく、大人になってから様々な困難に直面する傾向があります。
動画では、毒親に育てられた人が抱えがちな問題として、以下の5つのポイントを挙げています。
毒親は自分の価値観を絶対的なものと考え、子供の意見を否定しがちです。
子供の頃から意見を否定され続けると、自己肯定感や自己尊重の念が育まれず、大人になっても自信が持てません。
その結果、自分の意見を言うことに不安を感じ、人前で発言することが苦手になります。
進路選択など、自分で決めたことに対しても自信が持てず、後悔することが多くなります。
毒親育ちの人は、子供の頃から自分の 興味や好みを尊重されずに育ったため、大人になっても趣味や興味を見つけることができません。
自由な時間があっても何をしたらいいかわからず、 自宅で寝たり、 スマホを眺めたりしてしまいます。
何か新しいことを始めようとしても、 興味もやる気も湧かず、何が好きかわからない状態です。
子供の頃、何かしたいと言っても「やめなさい」と言われ、したくないと言っても無理やりやらされた経験から、親の顔色をうかがって選択する習慣が身についてしまっています。
また、親が子供の人間関係にも干渉し、偏った人間関係の中で育ったため、学校生活でも空気を読むことができず、友達を作るのが苦手です。
毒親は、子供を兄弟や他人と比較することが多く、 子供の劣っている点を指摘します。
常に他人と比較されて育った子供は、 他人の目を気にして生きるようになります。
他人からどう思われるかを常に心配するため、 望まないことでもNOと言えなくなってしまいます。
また、他人と自分を比較して劣等感を抱き、生きづらさを感じてしまいます。
毒親は、自分の顔色を見て行動する子供を「素直で良い子」と考えがちですが、子供はただ 自分が耐えれば丸く収まると考え、抵抗することを諦めているだけです。
毒親育ちの人は、親に人生をコントロールされ、 選択のすべてを親に決められて育ちます。
そのため、大人になっても自分の人生を生きている感覚が持てません。
毒親は、子供を使って人生のやり直しゲームを始め、子供の人生をコントロールしようとします。
人生の選択を親に決められてしまうため、子供は内発的な動機を持つことができず、独立して人生を歩むことができません。
その結果、大人になっても自分の人生が他人事のように感じてしまいます。
大人になるまで親と離れても、毒親の影響は一生 続き、人生で困難を抱え続けることになります。
親と物理的に離れて暮らしても、毒親の呪縛から逃れることはできません。
子供は本能的に親に理解してもらいたいと願っているため、いつか親が変わってくれるのではないか、大人になれば理解し合えるのではないかと期待してしまいます。
しかし、毒親は相手の立場に立てない、人の気持ちを理解できないから 毒親であるため、変わることはありません。
彼らに期待し続けることは、 傷を深めるだけです。
親との関係構築に固執せず、他のところに目を向けることが重要です。家族がすべてではありません。
これからは、自分のことを自分で大切にして生きていくことが大切です。
正直、これはわからんでもない。ワイも親や親族のやらかしの穴埋めや借金の肩代わりしたからな
失敗した時の尻拭い誰がすると思ってるんだってヤツ
結論としては、毒親思考そのものであり、穴埋めや借金の肩代わりしないほうが良かった(失敗させた方が良かった)が、そうもできんしな
第二次世界大戦後、アメリカは世界最大の経済大国となり、国際秩序の形成に大きな影響を与えました。以下のような取り組みが覇権を支えてきました。
• ブレトンウッズ体制の構築により、ドルが基軸通貨となり、国際貿易の中心に。
• 世界銀行やIMF設立を主導し、経済援助を通じた影響力を確立。
• 軍事的優位:
• 軍事介入の積極化:
• 国際機関での影響力維持:
トランプ大統領の登場は、従来のアメリカの覇権スタイルに大きな転換をもたらしました。
外交政策の転換
• 同盟国への防衛費負担増を要求し、NATOとの関係が緊張。
• ロシアに対して従来より融和的な態度を見せ、東欧諸国の不信を招く。
• ウクライナへの軍事支援や外交的サポートを縮小し、ヨーロッパの安全保障バランスに不安を生じさせた。
• 保護主義の強化:
• 日本やEUにも自動車・鉄鋼への関税をちらつかせ、経済的緊張を高めた。
• TPPからの離脱でアジア太平洋地域での経済的影響力を自ら縮小。
長年築いてきた同盟国との信頼関係が損なわれることで、アメリカの国際的立場が弱まっています。同盟国は中国やロシアとの関係強化を模索し、アメリカへの依存を減らし始めています。
関税政策は一時的な国内産業保護には有効でも、長期的には報復関税を招き、アメリカ企業の国際競争力を低下させます。TPP離脱により、アジア市場での影響力が中国に取って代わられる結果を招きました。
3. ソフトパワーの失墜
国際協調からの離脱は、「自由と民主主義の守護者」というアメリカのブランドイメージを傷つけています。文化的影響力も相対的に低下してきています。
中間層の没落と地方経済の衰退により、グローバル化への反発が強まりました。トランプ政権はこれに応え、「国外より国内優先」というメッセージを前面に出しました。
世界の警察役を続けるコストが国民にとって過重であるとの認識が広まりました。トランプ政権は短期的コスト削減を優先し、長期的な覇権維持の戦略を後回しにしました。
• 次期政権が多国間主義に回帰すれば、同盟国との関係再構築は可能。
• ソフトパワーの強化を通じ、影響力を回復できる余地は残されています。
多極化の進行
• 中国、EU、ロシアの影響力が増し、アメリカが「一強」ではない多極化した世界が到来。ウクライナの対応でEU軍が創設されたら決定的になるでしょう。
• アメリカが覇権を維持できたとしても、過去のような絶対的優位は期待しにくいでしょう。
アメリカは長年、経済力、軍事力、文化的影響力を駆使して世界の覇権を維持してきました。しかしトランプ政権下での外交・経済政策は、その基盤を自ら弱体化させる結果を招いています。背景には国内の不満や覇権維持の負担増といった要因がありましたが、短期的な国内向けの成果が長期的な国際的影響力を損なったのは否めません。
今後、アメリカが覇権を回復するには、国際協調と国内再建のバランスをどう取るかが鍵となります。さもなければ、覇権の座を多極化する世界に譲ることになるでしょう。
べつにUSAIDとかNASAの陰謀論を支持するわけじゃないけどさ、
それにデータでもって反論してる人たちの反論って反論になってなくないか?
そもそもとして諸々のデータそのものが悪意によって意図的な改善がされていないという証拠がないわけで、
陰謀論者って究極的には要するに権力者とされる側に悪意がないことを知りたいわけだろ
それに対して答えになってない答えをいくら返したところで話は進まないわけで、
結局最終的にはどちらかを殺した派閥の側の信じる真実が事実として扱われていくだけの話じゃないのか?
地球が平面でないことをいくらデータで実証しようともそもそもそれらを導き出した原理原則が地球球体説側の都合のいいルールで作られたものでないことを証明できていない
極端なことを言えばこの地球上で絶対の物理法則が実は権力者と繋がったレプティリィアンが見せているシミュレーションの範疇でしかない可能性だっていくらでも妄想可能だ
つまり何が言いたいかというと陰謀論者たちはそれ以外のまともな人間たちが絶対的な信を置く最小単位の幻想の擦り合わせこそを求めているんじゃないかってこと
いい女になりたいんだけど、具体的に何をやったらいい女になれるのか分からない
・いい女になりたいと思った理由
長年片思いしている友達(もうすぐ彼女と結婚)とのセフレ関係をやめれない自分自身に心底嫌気がさしてるから
・目指すいい女とは
いい女っていうのは浮気相手なんかにならんし、酒の勢いとかで手を出されたりもしないと思うし、そういうときにノーを言えると思うし、まずクズを好きにならないと思う
強い自己肯定感を持ちたい
あとは最近ちゃんとスキンケアを始めた だから何って話なんだが
料理とかできるようになれば良いんだろうか いい歳して味噌汁もまともに作れないし
自分がメンタルの話をしたいのかスキルの話をしたいのかもわからない スキルを手に入れたらメンタルも安定する気はしている
自己肯定感が下がりすぎてて、とにかく自分自身に自信を持ちたい 可能であれば相対的なものではなく絶対的なもの
こういうの(セフレがどうのって話)、掃いて捨てるほどあると思うんだけど、じゃあそこからの改善の仕方についてもっと周知されても良いんじゃないか
大体は次の男いけって言われるんだろうけど、浮気女に甘んじる現状でだれと付き合っても…そもそもこんな女と付き合いたい男性なんていないと思う てかまず男に左右されてる時点でもう嫌
いい女になりたい
ずっとヲチ(爆)してた嘘松アカが、いつの間にか嘘体験談を控えて「いい話」をメインに切り替えていた(もちろんそこにも嘘エピソードは含まれているんだが)
露骨に嘘つきすぎてさすがにRTされてにくくなったせいか、それとも嘘つくとツッコまれるとようやく学んだのか。まあ理由はどっちでもいい。
嘘松の語る「いい話」とは、「差別は良くない」とか「俺は弱者の味方だ」とかの正論のことだ。まあ中身がなくてスカスカのペラッペラだけど、良くも悪くも毒にも薬にもならないフツーのありふれた話ばかりなので、他の人間が言ってたら特になんとも思わずスルーしてたと思う。
こいつがこれまでどれだけのはた迷惑な嘘をネットにまき散らし続けてきたのかを、俺は誰よりもよく知っている。
吐き出せ。
死ぬぞ。
吐き出せ。
脳が全力で警告を発する凄まじい感覚。
俺は今まで、誰が言ったことであれ(たとえ殺人鬼や自民党の議員であろうとも)良い内容であれば受け入れるべき、と考えて生きてきた。今でもそれは基本的に変わっていない。
だが、そうあるべき理想とは別に、無理なものは無理という現実もあることを思い知った。今さらな話ではあるが。
悪いことは言わない。自分の言葉を他人にまともに聞いてほしければ、聞いてもらえるだけの人間であれ。少なくとも、息を吐くように嘘をつくのは絶対にやめろ。
せめて週一ぐらいにしておけ。
人が不幸を感じる時はどんな時か?それは例えば暴力を受け続けているとか、人権を侵されているとか、直接的な被害を除けば、「気持ち」の問題がほとんどだ。
相対的幸福と絶対的な幸福の話をしよう。人は誰しも思春期の頃から相対的幸福の考えに囚われる。つまり相対的に自分はどうか?比較することで自分を知ろうとし、自分の幸福度を計ろうとする。つまり、あいつは金持ちの家に産まれて恵まれているのに俺はそうではない。あいつはモテるけど俺はそうじゃない。など。比較によって相対的不幸を感じる弱者が産まれる。相対的幸福で幸せに生きられるのは恵まれし者や成功者のみだ。ではそうでない者はどうやって幸福を感じる術を得ればいいのか?それが、絶対的幸福論である。
つまり、他者と比べないことが重要。究極、衣食住、暮らしていけるだけのお金、ネット、時々の酒などそういうもので既に満ちていることに気付くことだ。足るを知るということ。これだけ収入があったらもっと幸せになれるのに、とか、あんな異性と付き合えたら俺は幸せになれるのに、とか、欲望に囚われることをやめて、今あるものに満足して暮らすことだ。比較や欲望をやめて。だれにも揺るがせない絶対的幸福を得ることは心がけ次第で可能である。そうして得た幸福感の中から余裕は生まれる。その余裕が努力や自己研鑽の活力の源泉となり、自然と手にしている幸福は増えていくものだ。
十年二十年単位で実行していくと気づいたら相対的幸福の世界でも勝負できる人間になれている。
まずは、相対的幸福から逃れ、他者との比較をやめること。足りていることを知ること。今持っているものを知ること。絶対的幸福を確かに得ること。そこから始まる。
素人にChatGPT使いこなせるようになるって言論は、マジで疑問
ある程度、そこで仕事してきた人がブン回すが普通にいいのでは?
それは、どこまでChatGPTが高度化しても同じ
終的にはその分野の上位10%とかで完結するはあっても、素人が参入できるようになります、人間は必要なくなりますは違うと思う
赤いきつねのCMのアニメ表現としての観点がどうこうと言ってる軟弱者に告ぐ。
ツイフェミに顕著なんだけど、最近のフェミニスト、特にラディカルフェミニストを自称する人々が増えてる。こいつらはだいたい性嫌悪的でもある。
ラディカルとは「フェミニズムは男性も解放する」的なリベラルフェミニストと対義語で、特に女性は抑圧され苦しめられており女性が解放されるべき他は二の次みたいな考え。
学術的には違うかもしれないがTwitterフェミ論壇ではこう定義される。女性解放以外は興味ないので、ゲイ男性やトランス女性などに攻撃的。
そして風俗、AVなど女性のセックスが売り物となる現場は絶対的な女性への加害で暴力だから存在自体をなくすべきと主張する。買春男性だけを処罰して売春女性は福祉に繋げる「北欧モデル」が信奉対象になっている。
その射程をグラビアやテレビ、漫画、アニメなどに広げる者も多く、先日の赤いきつねを燃やしてたのもこの層。
ラディカルフェミニストはリベラルフェミニスト的態度は女性を守れない欺瞞扱いし、闘争することを選んだ人々なので表現の自由などもちろん通用しない。内心の自由すら否定する過激層もいる。
女性フェミニストのなかでもセックスワークイズワーク、性表現もビジネスで表現みたいなのはリベフェミ的なのでこれも敵のなかの敵と思ってる。よってセックスポジティブを掲げてナイトワークを守ろうとして立憲から出馬した要友紀子さんなんかはめちゃくちゃ攻撃されてる。
たまに「フェミは○○には声を上げずに××を叩く」などと言うバカがいるが、これはキーワードでちゃんと検索してない情弱を晒してるに等しく、現実はラディフェミは日本で話題になるすべての事象に対して女性差別だと激怒してツイートを連発している。ラディフェミは連帯感も凄いのでフォロワーが万単位いて数千いいねもザラ。
ちなみにゲイ男性やトランス女性に攻撃的と先述した通り、ポリティカルコレクトスもラディフェミは信じていない。
体面を気にする人々が軟弱な自由主義や正義を掲げてる今にもラディカルフェミニストは男を断種せよと叫んでいる。
男児を出産したラディフェミが男児擁護をしてラディフェミに叩かれてラディフェミ引退も定番。
ミサンドリーを悪とは考えないので、「ミサンドリーを楽しめるフィクションをもっと作ってほしい」という声を挙げ続ける者も多い。
男女間のセックスはほとんどの場合、女性へのレイプという派閥も強い。反出生主義も多い。闘いの果てに人類の滅びをも躊躇わない、いや、人類などという男性も入るくくりを守ることよりも、彼女らの信じる女性の尊厳ただそれだけを守るために闘うことを至上とし、人類は女性の下位概念であるという宇宙の真理を伝達する態度こそがラディカルフェミニストなのである。
これらはもちろん釣り合いがとれている。古代ローマやギリシャの時代から20世紀半ばまで男性は男性だけが権利ある人間と定めてきた歴史があまりに長く、長すぎたからだ。
自由意志やら愚行権やら表現方法やらゾーニングやらを未だに信じてそのレベルで物事を語ってる軟弱者の遥か先をいってるのがフェミニズムの現在地点なのだ。
剥き身の人間の心をぶつけあってダイスロール判定やって勝ち負けを決めてこうってやり方が気持ち悪い。
ホビーや異能力によってバトルを行う漫画はそんな品の悪いやり方で人間に序列を付けたりはしない。
たとえばこれがホビーモノだったら気持ちとはミニ四駆やベイブレードに載せることでぶつけあう間接的なモノだし、バトル漫画においてもスタンドや呪術の相性に勝敗は左右される。
気持ちや心が勝敗を決める重要なファクター、OSRポイントに深く関わる要素であるのは間違いないが、バトルで負けたから心が劣っているものとして描かれることはない。
たとえばワンパンマンの無免ライダーなんかは最高の気持ちを持ちながらも本体性能の脆弱さにより勝利を掴めないキャラクターの代表例だ。
言ってしまえばバトル漫画とは「心の有り様は勝敗に強く影響するが、勝敗がそのまま心の優劣を示すわけではない」という世界観によって描かれているのである。
一方で恋愛モノは全く違う。
気持ちや心そのものを直接ぶつけ合ってしまっているので、そこで出てきた結果に対して「能力や機体の性能が」という言い訳は通用しない。
ストレートに「このキャラクターが人間として劣っているからこの結果になったのだ」と突きつけてくる。
この傾向は恋愛モノにおけるキャラクタービジュアルにも出てきている。
恋愛モノにおいては外観の美醜と内面の美醜は比例傾向にあり、ごく一部に「あえて逆張りしたキャラクター」が存在する。
特に悪役令嬢なんかは外見が綺麗なはずなのに内面は腐敗しているというギャップにより悲しい過去や真なる邪悪であることを匂わせるとっかかりとしてさえいるのだ。
つまり、基本的に恋愛モノ漫画においては「心は素晴らしいけど外見が足りてないから恋愛ダイスロールに失敗した」は存在しないのである。
なぜなら、心のスペックが十二分であれば外見はそれに比例してパワーアップするはずだからである。
これらにより「心の有り様は勝敗だけでなく存在の優劣そのものを決める絶対的なファクター」であるという世界観を描き出しているのが恋愛モノなのだ。
当然、このような世界に無免ライダーのような「正しく清らかな心を持ちながらも本体性能の多寡により望む結果を得られなかった勇者」などは存在しようがないわけである。
バトル漫画は「気落ちだけでは勝利できない」という現実世界の残酷さを描いてこそいるが、それは同時に「敗北者の心が常に間違っていたわけではない」を描いてもいるのだ。
「気持ちこそが全てを決定する」という世界観は一見すると正しいものが報われる公正な世界だが、その世界の中で結果を出せないものは「気持ちそのものが間違っていた」というレッテルを貼られてしまうのだ。
ハチクロのラストシーンが何故あんなにも救われるのかと言えば、恋愛漫画というジャンルが持つその基本的な文脈に対する逆張り、「恋愛で負けはしたけど気持ちは正しかったモノ」を描いたからなのである。
つまり、恋愛漫画とはもしもその世界で誰かが敗北したときに「そうです。お前が間違っていたから負けたのです。お前の人生は無意味でした。でもお前のせいです。あ~あ」を叩きつけるような世界の物語なのだ。
”スコットランド政府は、そのセーフアクセスゾーンと称する範囲に家があ
る市⺠たちに⼿紙を送りつけて、⾃宅内の詩的なお祈りですら、この法律違反になりかねな
いぞと警告したんです。当然ながら、政府はその読者に対し、イギリスやヨーロッパでこの
思考犯罪を犯した疑いのある同胞たちを通報するよう奨励したんです。” 原文:This last October, just a few months ago, the Scottish government began distributing letters to citizens whose houses lay within so-called safe access zones, warning them that even private prayer within their own homes may amount to breaking the law. Naturally, the government urged readers to report any fellow citizens suspected guilty of thought crime in Britain and across Europe.
2024年9月、スコットランド政府は「Abortion Services (Safe Access Zones) (Scotland) Act 2024」を施行し、すべての中絶サービス提供施設の周囲200メートル以内を「安全アクセスゾーン」と定めました。このゾーン内では、女性やスタッフの意思決定に影響を与えたり、アクセスを妨げたり、恐怖や嫌がらせ、不安を引き起こす行為が犯罪とされています。
ttps://www.gov.scot/news/safe-access-zones/ 政府公式ページ
”ニュース
スコットランドのすべての中絶サービスの周りの200メートルの保護ゾーンが設置されました。
これらのゾーン内では、サービスにアクセスするための女性とスタッフの決定に影響を与える可能性のある方法で意図的または無謀に行動することは、今や刑事犯罪です。彼らのアクセスを妨げる;そうでなければ、警報、嫌がらせ、または苦痛を引き起こします。
スコットランド警察は法律を施行する責任があります。法律を破った人は、裁判所の手続きに応じて、£10,000までの罰金を科されるか、無制限の罰金が科せられます。
犯罪が犯されたかどうかを判断することは、スコットランド警察、クラウンオフィス、検察庁、裁判所の問題になります。各ケースの事実と状況に応じて、犯罪行為のいくつかの例には、中絶サービスにアクセスしないように誰かに説得し、クリニックや病院に出入りしようとする人々を取り囲み、チラシを配ることが含まれます。、宗教的な説教と沈黙の徹夜。原文;approaching someone to try and persuade them not to access abortion services, surrounding people as they try to go in or out of the clinic or hospital, handing out leaflets, religious preaching and silent vigils.
“セーフアクセスゾーンの導入は、女性の中絶権を保護する上で重要なマイルストーンです–誰も女性の個人的な医療決定に干渉する権利がなく、法律により、そのことが十分に明らかになっています。
“ジリアン・マッカイと、この法律を進展させるための彼らの仕事に関係したすべての人々に感謝します。私は特に、法案のプロセス中に発言し、経験を共有することに信じられないほどの勇気を示した女性を認識したいと思います。
“すべての中絶サービスの周りの200メートルの新しいゾーンは、女性が脅迫を受けずにヘルスケアに安全にアクセスできるようにするのに役立ちます–。この法律は、多くの人が深く個人的で困難な決定を下すことに信じられないほど脆弱であると感じるときに、女性を保護することです。”
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特に、政府が配布したガイダンスでは、「意図的または無謀に」行われる「宗教的説教」や「静かな集会(silent vigils)」などの活動が禁止される可能性があると明記されています。さらに、エディンバラの「安全アクセスゾーン」内の住民に送付された手紙では、自宅内での行為であっても、法律に抵触する可能性があると警告されています。
https://www.gbnews.com/news/praying-at-home-illegal-scottland-safe-access-zones-abortion-law
”スコットランドの新しい「安全なアクセスゾーン」中絶法では、自宅での祈りは違法である可能性 公開日:2024年10月10日 -”
”エディンバラの「安全なアクセスゾーン」の居住者に投稿された手紙は、彼らが自宅で実行された訴訟のために刑事訴追に直面する可能性があると警告したとテレグラフは報じている。”
この法律の施行により、特定の地域内での祈りや宗教的活動が制限されることとなり、住民や宗教団体から懸念の声が上がっています。一方で、政府はこの措置が中絶サービスを利用する女性やスタッフの安全とプライバシーを守るためのものであると説明しています。
ttps://www.gbnews.com/news/abortion-clinics-silent-prayer-safe-zones-banned-home-office
”内務省は、中絶反対運動家が静かに診療所外で祈ることを禁止することを検討していると述べました。”
”沈黙の祈りは、心の関与であり、神への祈りの中で考えられており、1998年の人権法の下で絶対的な権利として保護されており、それ自体では、いかなる状況でも犯罪と見なされるべきではありません。”
いちおう揺り戻しも来ている模様
ttps://www.gbnews.com/news/video-silent-prayer-demonstrator-claims-police-turn-blind-eye-attacks-pro-lifers
“クレイジーなことは、私(2回逮捕された)が静かに路上で祈っているとき、通りにも止まっている他の人々がいるということです。誰かがタバコを持っているかもしれません、誰かが友人を待っているか、タクシーを待っているかもしれません。
“警察はこれらの人々のいずれにも近づかず、彼らに尋ねません、彼らは祈っていますか、彼らは何を考えていますか?
“しかし、地元の人々の何人かは私がプロライフであることを知っており、警察に連絡するので、警察は彼らをサポートし、地域の分裂の精神を強制するのを助けました。”
ファブリーズに絶対的な効果はないしあくまで一時しのぎだけど、やらないよりはやった方が絶対にいい。
制汗剤もそうだ。
臭いが混ざり合って気持ち悪いことになりはするが、全く処理をせずに汗の匂い全開でこられるよりはまだマシだ。
100%の被害を50%まで軽減できるなら、それは絶対にやったほうがいいことなんだ。
半分改善できるならやれ。
50代独身男性、手を繋ぐのがやっとという高校時代を経て、人並みの恋愛を覚えた大学時代を送る。
転勤、転居、転職、慌ただしい日々の中で婚期を逃しこの年に至る。
40代最終盤あたりから徐々に性欲は衰え、孔子はそんなつもりで言ったんじゃないと思うが、女性に対して惑うことない立派な紳士にようやくなれたと思っていた。
昨年の秋に仕事の打ち上げで行ったキャバクラで知り合ったA子、スレンダーな身体とコロコロと笑う姿が印象的だった彼女とは、三度目に会った日にアフターに誘われ、そのまま身体を重ねた。
そんなA子とバレンタイン(には少し早いが)ということで先週温泉地に行ってみた。
お酒の勢いもあった前回とは異なりコップ一杯程度のお酒しか入ってないし歌舞伎町の夜に比べて絶対的に時刻が早い。
二度果てた後の私にしな垂れかかり更なる奮起を促すA子。
その巧みさに引き起こされ再度夜の闇に堕ちていく。
翌日は普通に観光し、帰りの高速道路を降りた後、目の前のラブホテルに車を滑り込ませた。
「昨日、あんなにしたのに まだするの」
コロコロとした笑い顔が印象的だったはずなのに、その笑みが蠱惑的に思えた。
相性なんていう互恵関係ではなく、一方的に欲を掻き立てられ、導かれ、溶けていく。
A子の横に座って華やかな空間とお酒を平常心で楽しめるだろうか。
今日も仕事で、明日は出張の前乗りで大阪移動、平日も忙しく、A子と距離を取れることにやや安堵している。
ただ、ふとした瞬間にあの夜を思い出し、脳が溶けるような感覚になる。
老いらくの恋とも少し違うが、同様に退廃的な終わりしか想像できない。
さて昼食を作ろう。
「新人類」も、単なる新旧以上に今までとの違いを見出され創出された言葉であるように、「新」だと言って単にそれ以前のものと比べ出現時期しか違いがないのであれば、絶対的な時期区分として新~だとか古~だとか冠する言葉で区別する意味が無い。
たとえば釈迦存命中の仏教から見て、その後上座部や大乗部として派生した十余の宗派、南都八宗、本願寺系の数ある分派、仏教系の新宗教、一体何が違うのか?
どれも結局は釈迦の教えの新解釈によって興ったという点では区別できない。質的な違いは何なのか?
カルトのように、信者から信者あるいは非信者に対する教義に関する暴力的な押し付けがあるかどうかということだろうか?
別に暴力に訴える側面があるかに歴史の古さは無関係なのはキリスト教の信者が歴史でよく示していることだろう。
浄土宗以前の仏教から見れば浄土宗が起こったときはカルトそのものという認識をされて創始者等は処刑されてもいたわけだから、カルトかどうかで新旧を区別することは難しいだろう。
なぜ新宗教という概念を作ったか、なぜその起点を幕末から明治に設定したのか、史学者や宗教学者等その筋の専門家の意図が知りたい。
dorawiiより
それって本末転倒だと思うの。
責任と給料が発生する仕事を休んでまで優先させなければいけない 育児。
私は経験がないけど、新生児の場合 2時間おきにミルクあげる とか聞く。
なくなった飼い犬の介護の時も夜泣きがひどかったので似たような経験をしたからわかるけど、常に寝不足で頭が全く働かなかった。
そんな状態でさ、何で TOEIC の点数取れると思うんだろうね。
復帰した時に困らないようにって皆さんおっしゃるけど、社会から取り残されたような不安感があるとかいう声も 散々聞いたけど、単純に 語学を教える立場から言うと、めちゃくちゃ 非効率 だから。
コーチング なんかつけると何十万も飛ぶのにどうして この時期を選んだか。
子育てに対しても、英語学習に対しても、ちょっと失礼な気がする。
ほんとすごく嫌な言い方するとさ、育休中に英語習得できる人は、独身時代にすでに習得してたと思うよ。
リフレッシュや 十分な睡眠をとるための ご自身の時間は存分にとっていただきたいと思う。
それは育児をする上で 絶対に必要で、育てる人が心身ともに健康でないと共倒れになってしまうと思うから。
焦る気持ちはわかるけど、独身時代、新婚時代に時間はあったんじゃないかな?
週に1回の 英会話 レッスンとかであれば まだしも、英語コーチングのような
まとまった時間と学習量のコミットが絶対的に必要とされる場に来るべきでない。
隙間時間で学習できるって言うけどさ、隙間時間 はまとまった時間を別途確保した上で追加の学習時間として忙しい人が捻出する時間のことを指すの。
何よりも 育児だけでただでさえ追い込まれるのになぜ さらに自分の首を絞めるような真似をするのか。
今しなくてもいいことなのに。
こういう人多いんだ。
ディスってるわけでも否定してるわけでもなくただ思う。
今自分 そこまで追い込めなくていいよ
要するに閉じた世界で規律ごっこしてるだけってこと?閉じた世界ではその規律ごっこが相手の格などを測る道具となるのは確かにそうだけど。
大きな現実とは異なる閉じた世界での物事を、あくまでその閉じた世界の中だけの物事とするのか、それを現実世界での物事と混同するのかというところに引っかかってるのかも。前者であれば、まあそういうのもありかなとは思うけど、後者であれば、現実との違いを理解できないただのアホだなと思う。そういったマナーというのは閉じた世界上で成り立つことであって、現実世界の絶対的ルールではないので。
世の中の人はその辺を理解した上でマナーとか言っているのかどうかが気になる。案外皆現実世界と閉じた世界を区別した上で言っているのか?
それは大卒ホワイトカラー希望者が好む仕事がないからそうなっていると言うだけで、出てった結果なの。
逆に知的労働はスキルマッチが命なので、企業は地方に拠点を作るとスキルを持った人材を獲得できないから都会に拠点を置く。
その悪循環が、高卒のブルーカラーは地元に残ることができるが、大卒のニッチスキルのホワイトカラーは出て行ってしまうって現状なの。
無理してホワイトカラー職の企業を誘致しようとしても、少子高齢化でますます人材獲得が難しくなる中で、絶対的人口が少ない地方に来ることはほぼ望めない。
だけど、地方にいても都会の企業に就職できるということは、二拠点生活を支援することができるのならば、同じ枠組みで引き留めることもできるでしょ、ってこと。
あなた風の露悪的な言い方をすると「でもそれ、オタクくんが出てったからそうなってるだけじゃん?オタクくんも田舎に住めば推し活に使える金が増えるよ。出社のついでに都会の推し活もできるよ。ういんういんじゃん」って感じ?