はてなキーワード: 高まるとは
### **集合白痴**
かつて、そう信じられていた時代があった。
人々が集まり、知識を共有し、互いに議論を重ねることで、**より高度な知性が生まれるはずだ**──と。
今、目の前に広がるのは **「集合知」ではなく、「集合白痴」** である。
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昔、賢い人々が集まれば **「知性の相乗効果」** が生まれると考えられていた。
しかし、今のネットではむしろ **「愚かさの相乗効果」** しか生まれていない。
例えば、**はてな匿名ダイアリー**。
✅ 知的な問いかけをしても、返ってくるのは **「うんこ」** の話
✅ 少しでも意見が異なれば、まともな議論ではなく **即レスバ** に発展
「集合知」どころか、むしろ **「集団で考えることを放棄した空間」** になっている。
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### **2. 「考えないことが正解」な時代**
今のネットでは、**「深く考えること」** がむしろバカにされる。
結果、残るのは **「短くて、刺激的で、何も考えなくても受け取れる言葉」** だけ。
✅ **「バカじゃね?」**
✅ **「○○はオワコン」**
✅ **「論破っぱwww」**
人々はもはや **「思考することを放棄し、瞬間的な感情だけで会話する」** 状態に陥っている。
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ネットの発展とともに、人々の知性は向上するはずだった。
だが、現実は違った。
情報が増えるほど、議論の場が増えるほど、**人々はより愚かになった**。
結果、ネットは **「考えなくても楽しめる情報」** によって支配され、
知的な発信は、**声を上げる前に埋もれていく世界** になった。
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### **4. では、どうすればいいのか?**
この **「集合白痴」** の時代で、知的な思考を守るにはどうすればいいのか?
✅ **「考えない人たち」と距離を取る**
✅ **「短い言葉で伝える技術」を鍛える**(長文はスルーされる)
✅ **「議論ではなく、実践」にシフトする**(語るより、やる)
もう **「人々が集まれば知性が高まる」** という理想は終わった。
立憲・維新・国民は、細部にこだわらず大まかな提案を自民党に提示する。一方、自民党はその提案を現実的かつ実現可能な内容へと修正し、実行に移す。そして、いずれかの野党と協力して予算案を成立させる。たとえば、維新単独の賛同でも、立憲と国民の連携でも構わない。
今後も少数与党の状態が続く可能性を踏まえ、自民党はすべての野党に一定の配慮を示しながら、各党の提案を部分的に採用する。これにより、決定的な対立を避け、適度な距離感を保った関係を築いていく。
このシステムの最大のメリットは、議論の場が単なる対立から建設的な協議へとシフトする点。自民党が野党からの提案を取り入れることで、政策はより現実に即したものとなり、また多様な意見が反映されることで、国民にとっても納得感のある政治運営が期待できる。また、各党は批判の応酬に終始せず、政策の実現可能性を重視した議論を行うようになる。
さらに、これまで「選挙に行っても結局何も変わらない」と諦める声が多かったが、各党が互いに歩み寄り、成果を上げる姿勢を見せれば、政治参加への意欲も自然と高まる。市民一人ひとりが政治に関心を持ち、自らの意見が反映される実感を得ることで、民主主義そのものがより活性化するはず。
>フィルタ回路を追加し、雷や外部ノイズによる誤信号の混入を低減。
フィルタ回路とは何ですか?
1. フィルタ回路とは?
フィルタ回路は、不要なノイズ(高周波・低周波の干渉)を除去し、必要な信号だけを通す回路 です。
電信通信においては、雷、誘導ノイズ、地磁気変動などによる不要な電流をカット する役割を果たしました。
2. ノイズの種類と影響
(1) 雷(サージノイズ)
雷の影響で強い電圧変動が発生し、電信線に一瞬大きな電流が流れる。
これがモールス符号の「短点(・)」や「長点(―)」に誤認される 可能性がある。
複数の電信線が並行して走っていると、お互いの信号が干渉することがある。
これにより、「H」を送信したつもりが「I」に誤認されるなどのエラーが発生。
近くに高電圧の電線があると、電磁誘導によって不要な電流が発生 し、電信信号が乱れる。
3. フィルタ回路の仕組み
フィルタ回路には**「特定の周波数帯の信号だけを通し、それ以外を遮断する」** という働きがあります。
これにより、ノイズを除去し、純粋な電信信号だけを伝送することが可能になります。
一定以上の周波数をカットし、低周波信号(モールス信号)だけを通す。
これにより、高周波ノイズ(雷や誘導電流)が影響しにくくなる。
低周波のノイズ(地磁気変動など)をカットし、必要な信号だけを通す。
例えば、低い電圧の誤信号(地磁気の変化による微弱な電流)を防ぐ。
モールス信号の周波数帯域(例:300Hz~800Hz)のみを通し、それより高すぎる or 低すぎる信号をカット。
(1) 受信側にフィルタ回路を追加
モールス電信の受信機の前にフィルタを挿入し、ノイズを除去してから信号を受信する。これにより、オペレーターが不要なノイズを聞かずに済む。
(2) グランド(接地)回路の強化
電信線の片側を地面に接続し、雷や外部ノイズを地面に逃がす「避雷回路」 を導入。雷が落ちた際、フィルタを通じてノイズをグラウンドに逃し、受信機が誤動作しないようにした。
(3) ツイストペア線の導入
電信線を「ツイストペア(2本の導線をねじる)」構造にすることで、電磁ノイズの影響を減らす。これにより、隣の電信線からの干渉(クロストーク)が大幅に軽減。
5. 現代への応用
電話回線のノイズフィルタ アナログ電話回線では、低周波のノイズをカットするフィルタが使われる。
インターネットのルーター 高周波信号だけを通すフィルタを搭載し、データ通信の信号品質を向上。
Wi-Fiのバンドフィルタ 必要な周波数(2.4GHz, 5GHz)だけを通すことで、干渉を防ぐ。
ツイストペア線(Twisted Pair)の仕組みとノイズ低減の原理
電信線を「ツイストペア(2本の導線をねじる)」構造にすることで、電磁ノイズの影響を減らすことができます。
これは、電磁誘導と干渉の原理を利用した技術で、現在のLANケーブルや電話回線にも応用されています。
ツイストペア線では、2本の導線をねじることで、外部ノイズの影響を打ち消す効果があります。
(1) 外部ノイズの影響を平均化
例えば、電信線の周囲に**外部ノイズ源(電磁波、雷、他の電線の影響)**があるとします。
2本の導線が平行に配置されている場合、片方の導線だけに強くノイズが影響する可能性がある。
しかし、導線がねじられていると、外部ノイズの影響が導線全体で均等になり、結果として平均化される。
(図示:外部ノイズが発生する例)
平行な電線: 外部ノイズが不均等に影響 ─────────── ← ノイズ(強い影響) ─────────── ← ノイズ(弱い影響)
ツイストペア線: ノイズが交互に影響し、平均化 \/\/\/\/\/\/\/ ← ノイズ(平均化) /\/\/\/\/\/\/\
(2) 電磁誘導の打ち消し
電線に流れる電流は、周囲に**磁場(電磁波)**を発生させる。
ツイストペアでは、隣接する部分で磁場の向きが逆になるため、互いに打ち消し合い、ノイズが発生しにくくなる。
>乱数表を使ってモールス符号を変換し、意味を隠す方法が開発された(ワンタイムパッド方式の先駆け)。
ここを詳しく教えてください
モールス電信では、盗聴のリスクを防ぐために暗号化技術が発展しました。その中でも、乱数表を利用した暗号化は、後に「ワンタイムパッド(One-Time Pad)」として発展する重要な技術の先駆けでした。
乱数表を使った暗号化は、送信する内容を事前に用意したランダムな数列と組み合わせて変換する方法です。
これは、一度しか使えない乱数を使うことで、解読がほぼ不可能になるという特徴があります。
(1) 暗号化の手順
2.事前に用意した乱数表を使う
例えば、「HELLO」に対して「37492」という乱数を割り当てる。
「H(8)+3 = 11」、「E(5)+7 = 12」、「L(12)+4 = 16」……
「11-3 = 8(H)」、「12-7 = 5(E)」……として元のメッセージを復元。
2. 具体的な暗号化の例
(1) 乱数表の例
文字: A B C D E F G H I J K L M
乱数値: 3 7 4 9 2 5 8 3 6 1 0 4 7
文字: N O P Q R S T U V W X Y Z
乱数値: 2 5 3 9 1 4 7 8 6 2 3 5 0
H(8)+ 3 = 11
E(5)+ 7 = 12
L(12)+ 4 = 16
L(12)+ 4 = 16
O(15)+ 5 = 20
(1) 非常に強力な暗号化
事前に用意された 完全にランダムな数列 を使うため、乱数表を持っていない第三者が解読することは不可能。
暗号文のパターンが存在しないため、頻度分析による解読ができない。
同じ乱数表を繰り返し使用すると解読されるリスクが高まるため、使い捨てにするのが基本。
「ワンタイムパッド(One-Time Pad)」の基礎になった技術。
(3) 盗聴対策
たとえモールス符号が傍受されても、受信者が持つ乱数表なしでは意味を解読できない。
送信者と受信者が 同じ乱数表を持っていないと通信できない。乱数表を安全に配布する必要があり、これ自体が盗まれるリスクがある。
(2) 一度しか使えない
同じ乱数表を何度も使うとパターンが発生し、解読される可能性がある。通信ごとに新しい乱数表を準備する必要がある。
5. 歴史的な応用
軍隊では、電信の盗聴を防ぐために乱数表暗号を採用。特に第一次世界大戦、第二次世界大戦では、機密電報の暗号化に利用された。
乱数表暗号のアイデアは、後に「ワンタイムパッド暗号」として正式に確立。これは理論上、絶対に解読不可能な暗号方式であり、現在でも**超機密通信(政府・軍・外交通信)**に使われている。
6. 現代への影響
ワンタイムパッド(One-Time Pad) 完全に安全な暗号方式(数学的に解読不可能)
現代のエンドツーエンド暗号通信 メッセージごとに新しい暗号キーを使う発想
この仕組みについて、さらに詳しく知りたい部分(例えば乱数表の作り方、実際の軍事暗号の事例、現代の暗号技術との関係)があれば、ぜひ質問してください!
乱数表を事前に共有するのは分かったのですが、送信者がどの乱数表を使ったのか分からないので受信者もどの乱数表を使えばいいのか分からなくないですか?
乱数表を事前に共有している場合、送信者と受信者はどの乱数表を使うのか?
乱数表を使った暗号通信では、送信者と受信者が同じ乱数表を選んで使う必要があります。
これを実現するために、以下の方法が考案されました。
送信者と受信者がどの乱数表を使うかを決める方法には、次のような方法があります。
(1) 事前に順番を決めておく
送信者も受信者も、現在の通信で 何番目の乱数表を使うのかを把握しておけば、同じものを使える。
送信者と受信者が 同じスケジュールに従って進めば、どの乱数表を使うべきか分かる。
送信者が乱数表「ID: 23」を使った場合、受信者は 「乱数表23」を選んで復号する。
例えば、通信のたびに1ページずつ破棄しながら進むことで、送信者と受信者が同期できる。
使用したページは破棄することで、再利用を防ぐ(安全性が向上)。
(4) 日時を基準にする
例えば「2024年2月17日」のメッセージには、事前に決めた「2024/02/17用の乱数表」を使用。
送信者と受信者がカレンダーを共有していれば、追加の情報なしで同期が可能。
スパイや軍事通信では、「数字放送」と呼ばれる短波ラジオ放送を利用し、乱数表の識別情報を事前に送る方式が使われた」。
ラジオで**「本日のキーは56」と送れば、受信者は「乱数表56」を使用する**ことができる。
一度使用した乱数表は必ず破棄し、再利用しない(ワンタイムパッド方式)。
乱数表が盗まれると危険なので、軍事やスパイ通信では 使用後に物理的に燃やす(焼却処分) こともあった。
3. まとめ
事前に順番を決めておく(1回目の通信→乱数表A、2回目→乱数表B)
メッセージ内に乱数表の識別番号を含める(例:「ID: 23」を記載)
ワンタイムパッドの冊子を作り、ページ番号順に使う
日付ごとに対応する乱数表を使う(例:2024/02/17 → 乱数表A)
ナンバーズステーションのような方法で、事前に識別情報を伝える
>各電報には、**送信元の情報(識別コード)**を付加し、なりすましを防ぐ仕組みが取られた。例:軍の電信では、送信者の認証コードを含めることで、偽のメッセージを排除。
これはどういうことですか?
電信通信では、悪意のある第三者が偽のメッセージを送信し、受信者を騙すリスクがありました。
これを防ぐために、**送信者が本物であることを証明する仕組み(識別コード・認証コード)**が導入されました。
敵国やスパイが偽の軍事命令を送る可能性があった。例えば、**「本日午後3時に攻撃を開始せよ」**という偽の命令を送れば、相手を混乱させることができる。
送信者が「本物」であることを確認しないと、受信者はメッセージが信頼できるかどうか判断できない。そのため、送信者の識別情報(認証コード)を追加し、受信者が確認できる仕組みが作られた。
送信者ごとに 「ユニークな識別コード」 を設定し、電報の最後に付加。受信者は識別コードをチェックし、本物の送信者であることを確認。
ATTACK AT DAWN. [CODE: XJ-472]
「XJ-472」が正しい識別コードなら、本物のメッセージと判断。
偽の電信を送る者は、正しい識別コードを知らないため、識別される。
送信者ごとに 決められた特定の「符号(モールス符号のパターン)」を入れる ことで、なりすましを防ぐ。
先生何でも知ってるな
(1) 口伝(くでん)と使者 (2) 狩猟・戦争における合図 (3) 狼煙(のろし)
(1) 楔形文字(メソポタミア)・ヒエログリフ(エジプト) (2) 郵便制度の発展
(1) 紀元5世紀~15世紀 (2) 烽火(ほうか)・のろし (3) 飛脚制度(日本)
(2) 交換機の導入
グリエルモ・マルコーニが無線通信(ラジオ通信)の実験に成功。
1901年、大西洋横断無線通信を達成し、船舶や遠距離通信で活躍。
1920年代にAMラジオ放送が開始され、大衆向けの放送メディアとして普及。
腕木通信の仕組みについて教えてください
1. 基本構造
通信塔(セマフォア塔) 高い場所に建てられ、見晴らしの良い地点に設置される。直線上に複数の塔が並び、情報をリレー方式で伝える。
腕木(アーム) 一般的には2本または3本の可動式の木製の腕。腕の角度を変えることで、異なる文字や数字を表現する。
制御機構 塔の内部には腕木を動かすためのハンドルやロープがあり、通信員が操作する。
2. 通信の流れ
腕木通信では、腕木の角度を組み合わせてアルファベットや数字を表す符号が決められていました。
例: ある位置の角度が「A」、別の角度が「B」を意味する。組み合わせることで単語や文章を伝達。
(2) 視認と伝達
発信者(通信員)が塔の上で腕木を特定の角度にセットする。隣の通信塔の通信員が望遠鏡でその信号を確認する。確認した通信員が同じ符号を自分の塔で再現する。これを繰り返し、情報が数十~数百km先までリレー方式で送られる。
3. 腕木通信の特徴
(1) 速さ
馬や飛脚より圧倒的に速く、良好な天候なら数百km先まで数分~数時間で伝達できた。例: フランスでは、パリ~リール間(約230km)を約3分で通信可能だった。
(2) 天候の影響
晴天時は遠くまで見えるため有効だったが、霧・雨・夜間は利用できなかった。これが電信の発明へとつながる大きな要因となった。
フランスではナポレオン戦争(1803-1815年)の際、軍事通信に活用された。ヨーロッパ各国でも行政・軍事目的で導入。
アルファベットや数字を表すために、腕木の角度を組み合わせた符号表(コードブック)が用意されていました。
ここでは、腕木通信で「HELLO」を送る具体的な手順を説明します。
腕木(アーム):通常、2本または3本の可動アームが使われる。
符号表(コードブック):各アルファベットや数字に特定のアームの角度が割り当てられている。
A = 10° / 30°
B = 20° / 40°
C = 30° / 50°
...
H = 80° / 120°
E = 50° / 90°
L = 70° / 110°
O = 90° / 130°
2. 「HELLO」を送る手順
腕木通信は 1文字ずつ順番に送信 し、隣の塔がそれを読み取り、次の塔に伝えるリレー方式で情報を伝達します。
(1) Hを送信 通信塔のオペレーターが腕木をHに対応する角度(80° / 120°)に設定。隣の塔の通信士が望遠鏡で確認し、同じ符号を再現。
(2) Eを送信 次に、腕木をEの角度(50° / 90°)に変更。これを隣の塔へリレー。
(4) Oを送信 最後に、Oの符号(90° / 130°)を送る。
文字ごとに送ると時間がかかるため、短縮コード(例:「HLO」で「HELLO」とする)を使うこともあった。軍事通信では暗号化された符号も使用。
エラーチェック
送信ミスを防ぐために「確認信号」を送ることがあった。受信者が「正しく受信した」ことを示す信号を返す方式も採用。
単なるアルファベットだけでなく、「数字」「特別な記号」も符号表で定義。
A = 10° / 30°
とはどういう意味なのですか?
10度のこと?30度のこと?
「A = 10° / 30°」という表記は、腕木(アーム)が複数ある場合に、それぞれの角度を指定する方式です。
通常、腕木通信には2本または3本の可動アームがあり、それぞれのアームを特定の角度にセットすることで、1つの文字や数字を表現します。
例えば、2本の腕木(上側と下側)がある場合:
上のアーム:10° 下のアーム:30°
>受信者が「正しく受信した」ことを示す信号を返す方式も採用。
これはどのような仕組みですか?
腕木を「A」に対応する 10° / 30° の位置にセットし、隣の塔に見せる。
確認信号(例:「了解」を示す特定の腕木角度、または短い「OK」信号)を送信する。
例えば「50° / 90°」のように、「受信しました」の意味を持つ角度が設定される。
受信者からの確認信号を見て、正しく受信されたことを確認 する。
もし確認信号が来ない場合、または誤りを示す信号が来た場合、もう一度「A」を送信し直す。
腕木通信には、以下のようなエラーチェックの方法も考案されました:
(1) 再送要求
受信者が符号を読み取れなかった場合、「もう一度送ってください」という特定の信号(リクエスト信号)を送る。
例:「不明瞭」や「再送」を示す角度(例:60° / 120°)を使用。
(2) 確認の二重チェック
受信者だけでなく、次の塔が再び「A」を送ることで、送信者が正しく伝わったことを確認できる。
これにより、1つの塔で間違いがあっても、別の塔で補正が可能。
電鍵(モールスキー) 手動のスイッチで、押すと電流が流れる。押す時間の長短で「短点(・)」や「長点(―)」を作る。
(2) 通信線
電線(単線または複数線)送信機と受信機をつなぐ導線。初期の電信機は1本の電線と地面(アース)を回路として利用。
電磁石
送信側でスイッチが押されると、電流が流れて磁場が発生。電磁石が作動し、紙に記録する装置が動く。記録装置(スタイラス & 紙テープ)スタイラス(針) が上下に動き、紙テープに「短点(・)」や「長点(―)」を記録。初期は音ではなく、紙テープに記録する方式が使われた。
モールス電信機の受信機は、以下の主要な部品で構成されています:
(1) 電磁石
送信者が電鍵(モールスキー)を押すと、電流が流れ、受信側の電磁石に電流が到達。電磁石が磁力を発生し、アームを引き寄せる。
電磁石の磁力によってアームが動く(電流が流れた瞬間に引き寄せられる)。電流が切れると、バネの力でアームが元の位置に戻る。
(3) スタイラス(記録針)
アームの先端には スタイラス(記録針) が付いている。アームが動くことで、スタイラスが紙テープに接触し、点や線を刻む。
(4) 紙送り装置
受信機には ロール状の紙テープ がセットされており、一定の速度で送られる。紙テープが一定の速度で進むことで、信号が「短点(・)」や「長点(―)」の形で記録される。
記録の流れ
(1) 短点(・)の記録
送信者が電鍵を短く押す(例:0.1秒)。受信機の電磁石が一瞬作動し、アームが紙に軽く接触。紙に小さな点が刻まれる(・)。電流が切れると、バネの力でアームが元の位置に戻る。
(2) 長点(―)の記録
送信者が電鍵を長く押す(例:0.3秒)。受信機の電磁石が長い間作動し、アームが長時間紙に押し付けられる。紙に長い線(―)が刻まれる。電流が切れると、バネの力でアームが元の位置に戻る。
(3) スペース(間隔)
電鍵を押さない時間が長いと、記録装置には何も刻まれず、文字の区切りが生まれる。一定時間(例:3単位)何も信号がなければ、単語の区切りとみなされる。
初期のモールス電信では、紙テープに記録された符号を手作業で解読していた。
しかし、受信機のアームが動くと「カチッ」という音がすることに気づき、オペレーターが耳で直接モールス符号を聞き取る方式(サウンドレシーバー方式)が生まれた。
これにより、紙に記録しなくてもリアルタイムでメッセージを受信できるようになった。
電線に電流を流す仕組みを聞いた限り距離が制限されそうに思えます
これについて詳しく教えてください
モールス電信機は電流を電線に流して情報を伝えるため、通信距離にはいくつかの制限がありました。特に、長距離になると電流が弱まり、信号が減衰(減少)するという問題がありました。
ここでは、電信の通信距離の制限と、それを克服するための技術について詳しく解説します。
長距離の電信通信において、電流の減衰(弱まる)原因として次のような要因がありました。
(1) 電気抵抗
電線の長さが長くなると、電気抵抗(電流の流れを妨げる力)が増えるため、電流が弱まる。銅や鉄などの導線を使用していたが、特に鉄線は抵抗が大きく、距離が長くなると信号が伝わりにくくなる。
19世紀の電信では、片側の導線+地面を電流の経路として使用(単線電信方式)していた。しかし、湿気や土壌の違いによって電流が地面に漏れ、信号が弱くなることがあった。
近くに他の電信線があると、電磁誘導によって信号が干渉することがあった。雷や電磁気の影響によって信号が乱れることもあった。
こうした問題を解決するために、いくつかの技術が導入されました。
「リレー(中継器)」を使って信号を増幅する方法が発明された。1835年、ジョゼフ・ヘンリーが電磁リレーを開発。リレーは、受信した信号を増幅して再送信することで、長距離通信を可能にした。例えば、100kmごとにリレーを設置すれば、電流の減衰を防ぎ、信号を遠くまで伝えられた。
初期の電信では低電圧(数V程度)だったが、より高い電圧(数十V~100V)を使うことで信号を強くし、距離を延ばした。ただし、高電圧は電線の絶縁性を高める必要があるため、ゴムやガラスを使った絶縁技術が発展した。
初期の電信では鉄線が多く使われていたが、鉄は抵抗が高いため、導電率の高い銅線が採用されるようになった。銅線の採用により、長距離でも電流の減衰が少なくなり、信号が安定。
長距離の海底電信ケーブルでは、さらに電流の漏れを防ぐ工夫が必要だった。1858年、最初の大西洋横断海底ケーブルが敷設されたが、当初は絶縁技術が未熟で、短期間で故障。1866年、改良された絶縁材(ガタパーチャ樹脂)を使用したケーブルが成功し、長距離通信が可能になった。
1844年 64km(ワシントンD.C. - ボルチモア) 初期の電信
1861年 約3,000km(アメリカ大陸横断電信) リレー技術の発展
1866年 約4,000km(大西洋横断海底ケーブル) 絶縁技術と増幅器の進化
1900年 数万km(グローバル電信網) 高電圧、改良ケーブル、無線通信の併用
電信通信において、距離が長くなると電流が減衰し、信号が弱くなる問題が発生しました。この問題を解決するために開発されたのが 「リレー(中継器)」 です。
リレーは、弱まった電流を利用して新しい電流を作り、信号を増幅して次の区間へ送る装置 です。ここでは、リレーの仕組みを詳しく説明します。
(1) 電磁石
入力側から微弱な電流が流れると、電磁石が作動 する。これにより、リレー内部のスイッチ(接点)がONになる。
電磁石の磁力でスイッチが閉じる(ON)と、新たな強い電流が流れる。つまり、弱い信号をトリガーとして、新しい電流を発生させる。
(3) 新しい電源
https://edition.cnn.com/2014/08/27/health/irpt-cdc-autism-vaccine-study/index.html
発表された研究によると、アフリカ系アメリカ人の男児は、2歳になる前にMMRワクチン(麻疹・おたふく風邪・風疹ワクチン)を接種すると自閉症のリスクが高まる可能性があると結論付けられました。この研究の著者は、CDC(米国疾病予防管理センター)の研究者たちが2004年にその関連を知っていたにもかかわらず、それを隠蔽していたと主張しています。
ブライアン・フッカー氏(この研究の著者で生化学エンジニア)は、24か月未満でMMRワクチンを接種されたアフリカ系アメリカ人男児が自閉症と診断される可能性が高いことを発見しました。フッカー氏は、この結論に達するために、CDCの研究者たちが2004年に実施した研究のデータを分析したと述べています。
2004年、CDCの国家予防接種プログラムの科学者たちは、「Pediatrics」という雑誌で研究結果を発表しました。この研究では、3歳から10歳の自閉症の子ども624人と、発達が健全な子ども1824人を比較しました。この研究によれば、ほとんどの子どもは推奨されている通り、12~17か月の間にワクチンを接種していました。
CDCの研究者たちは、MMRワクチンの初回接種年齢と自閉症の診断には関連がないこと、特定の人種グループでリスクが統計的に有意に高くなることはないと結論付けました。
CDCの元データは2004年の研究発表時に他の科学者も利用できるようにされていました。フッカー氏は、2013年11月に元の研究の共著者の1人であるウィリアム・トンプソン博士から連絡を受けた後、自身の研究を開始しました。トンプソン博士は1998年以来CDCで働いているシニアサイエンティストです。
フッカー氏は、自身が発見したアフリカ系アメリカ人男児のリスク増加がCDCの研究で特定されなかった理由について、研究者たちが意図的に分析に含める参加者の数を制限し、結果を変更したと主張しました。フッカー氏によると、出生証明書を持たない子どもを除外したことがCDCの研究結果を歪めたと述べています。
「私と共著者たちが2004年の論文で統計的に有意な情報を省略したことを後悔しています」と、トンプソン博士はCNNに弁護士を通じて送った声明で述べました。「この10か月間、フッカー博士と多くの議論を重ねてきました。CDCが実施したワクチンと神経発達障害(自閉症スペクトラム障害を含む)に関する研究について議論しました。私はCDCの意思決定と分析が透明であるべきだという彼の考えを共有します」。
クリーブランドのRainbow Babies and Children’s Hospitalの小児神経科医であるマックス・ウィズニッツァー博士は、その分析が「意味のある情報を提供するには不十分である」と述べました。
「データを十分な回数やさまざまな方法で分析すれば、統計的に有意な何かが見つかるのは当然のことです」と、ウィズニッツァー博士は両方の研究を見た後で述べました。「しかし、この結果が真の陽性(真の結果)であるか、偽陽性であるか、あるいは意味のあるものであるかを示しているわけではありません」。
結構グレーなんだな
直感的には総合病院とかそこらの道や公園の方がよっぽど遭遇率高いはずだと思うんだよな。
総合病院は色んな病人の来るところだから、障害がある人に遭遇する確率が高くなってもおかしくない。
道や公園は駅と違って改札さえ存在しないからどんな奴でも来れる。これは門前払いを食らうような人間の存在確率が他の空間より高まるということ。
だが、現実は違う。
改札というバリケードが存在しているはずの駅構内に堂々と障害者が乗り込んできて、車掌のアナウンスを復唱している。
親が頑張って教育したことで電車に乗ることまでは出来るようにしたのだろうか?
だが、電車を決められた駅で下りて福祉センターに向かうという複雑な動作は出来ず、ホームや駅を延々と彷徨い、そしてどこかのタイミングで何かをやり遂げたと満足して家に帰るというルーティーンを繰り返しているのではないか?
だから駅構内アナウンスを復唱してる理由だって考えるだけ無駄なんだ。
俺の予想では日頃から「チーちゃん、ママの言ってること繰り返してみて。……コラ!なんで繰り返さない!ちゃんと聞いてないからだろ!舐めてんのか!」と躾けられてきたことによる条件反射なんじゃないだろうか?
自分はちゃんと駅員さんの言ってることをちゃんと聞いていますとアピールすることで、自分がそこに存在していいと証明しているのだろう。実際に起きているのは全く真逆の結果なわけだが。
やはり考えるだけ無駄なんだ。
諦めよう。
ああいうものがこの世界に存在していて、もしも俺達が本当の本当に脅かされた時は、警察に突き出すことで然るべき対応をしてもらえばいいことだけを覚えておけばいいんだ。
実質が贈与とみなされる可能性
たとえば、貸付契約自体が形式的で、実際には利息を受け取っていない・親が返済の原資を持っていない等の状況があれば、税務当局に「実質的には子への贈与」と判断されるリスクがあります。
高額利息の正当性
仮に法定金利の上限(年20%)を設定したとしても、高い金利を“親”が子に支払う合理的理由があるかどうかを問われます。「資金需要の切迫性」「一般の金融機関から借りるよりも安い条件かどうか」などの状況次第で、不自然な金利設定だと判断されれば、やはり贈与とみなされる可能性があります。
子が受け取った利息は、子の雑所得等として課税対象になります。受け取った利息についてきちんと確定申告する必要があり、申告漏れがあると追徴課税を受けるリスクがあります。
絵画のような美術品は時価の評価が難しいですが、市場価格とかけ離れた高額(または低額)でやり取りすると、「贈与または遺贈の一形態」とみなされる可能性があります。
個人の私的売買の場合、必ずしも消費税が課税されるわけではありません。消費税の課税事業者として登録・届出をしているかどうかなど、さまざまな条件があります。単に「個人間で売買=10%の消費税だけで済む」という単純な話ではないため、注意が必要です。
会社の所有権(株式)が誰にあるかが重要であり、取締役(役員)に就任するだけでは資産移転には直結しない場合も多いです。逆に株式を無償で譲り受ければ、贈与税の対象になり得ます。
実態のない「名義貸し」
取締役が親から子に変わっただけで実態として事業をしていなかったり、出資者が親のままなら、税務上の評価としては「親が会社を所有している状況」と大きく変わりません。
実際の業務内容や会社の規模と見合わないほど高額な給与は、税務調査で「不相当な役員報酬(あるいは給与)」とみなされ、損金算入が否認される可能性があります。その結果、法人税や所得税などで余計に課税されるリスクが高まります。
高額給与として受け取る以上、所得税・住民税・社会保険料などの負担が増えます。相続税を下げられたとしても、トータルの負担で見れば得策ではない可能性があります。
業務委託契約に見合う労務提供・成果物があるかどうかが問われます。形式的に契約書だけ作っても、実際に業務を行わず実態を伴わない支払いであれば、やはり贈与とみなされる可能性が高いです。
税務上の処理や社会保険の扱い
個人事業として200万円/月もの売上がある場合、消費税の課税や所得税区分(事業所得か雑所得か)の問題など、慎重な手続きが必要です。
親側にも贈与を疑われるリスク
親が経費として落としたい場合、業務の実態を証明できなければ経費が否認されるうえ、子に渡した分が贈与とみなされるリスクがあります。
株式を誰が持つかで税務上の扱いが変わる
親が株式を持ち続けるなら、単に親の資産が株式という形に変わっただけであり、相続対象となります。
子への贈与扱いのリスク
名義を子にするために親が資金提供したのなら、株式の価値分が“子への贈与”とみなされる可能性があります。
将来的に会社の株式価値が大きく上がった場合には、相続税対策としては有効な場合もあります。しかし、その前提として、きちんと事業を行い、株式を適正に評価しておく必要があります。
形式上は合法に見えても、実質が「贈与」や「仮装・隠蔽行為」だと判断されれば課税対象
取引の実態(業務内容や対価の妥当性、市場価格との整合性など)を税務当局は厳しくチェックする
仮に贈与が発覚すれば、相続税より高額の贈与税が課される場合もある
結論として、挙げられた手法だけで「相続税を逃れる」ことは非常に難しく、むしろ税務リスクが高まると考えられます。実際に生前贈与や事業承継を検討するのであれば、税理士・弁護士・公認会計士などの専門家に相談して、法令や実態に則した正当な手続きを踏むことが重要です。下手に「裏ワザ」を狙おうとすると、後になってより大きな課税や罰則を受ける可能性が高まりますので、十分ご注意ください。
それでは、車を3台に増やして、時速200キロを超えられるか考えてください。
54 秒 の間、推論済み
文章は、車Aが東向き、車Bが西向きにそれぞれ時速100キロで移動し、車Aから見ると車Bの速度が200キロとなるシナリオを説明している。
車の動きと速度差の分析
車Aが東向き、車Bが西向き、車Cが北向きにそれぞれ時速100キロで移動していると、車Cから車Aと車Bの速度差は約223.6キロとなる。
車Aの速度ベクトルが(100, 0)、車Bの速度ベクトルが(-100, 0)、車Cの速度ベクトルが(0, 100)と定義し、車Cから車Aの速度差をベクトル和で測る方法を探る。
速度の違いを測る
車Cから車Aへの速度差ベクトルの大きさは約141.4キロで、200キロには到達しない。他の車との相対速度も同様に軽減されている。
車の動きを見つめる
車Cから車Aへの相対速度の大きさは約141.4キロで、車Aから車Bへの相対速度は200キロとなる。他の参照枠での動きを観察中。
車A、車B、車Cを100キロで移動させると、三角形の120度の角度から見た時、車Bは173.2キロの速度に。これでは200キロを超えないかもね。
車の位置を見直す
車Bが車Aから180度反対方向に移動すると、速度差が200キロに達しますが、120度の位置では速度差が173.2キロとなり、200キロに届かない。
速度差の限界を見つける
各車の最大速度が100キロだと、対向しているときの速度差は200キロに達するけれど、ベクトルの和で200キロを超えるのは無理だね。
速度差の限界を見極める
各車の最大速度が100キロ刻みで増加し、対向している場合の速度差は200キロに達する。これ以上の速度差は、特殊相対性理論を導入しない限り達成できない。
新たな視点で考える
車Aと車Bを原点で100キロで移動させると、車Cからは200キロの速度差が見えるが、速度差の計算方法はそれと関係ない。
速度の発見を追求
車Aと車Bが持ち上げている物の速度差を探ろうとしているんだけど、200キロを超える方法を見つけられない。回転参考系を使うことが喚起されているかもしれない。
特別相対性理論を生かして、速度が200キロを超える方法を模索中。エラステティックロープで車Bを車Aが引っ張ると、視点によっては更なる速度増加が得られるかもしれない。これが面白いね。
速度の挑戦を見極める
ロープが切れて車Bが加速し、視点によっては車Aから見て瞬間的に200キロを超えることができるかもしれないが、物理的に疑わしいし安定した速度ではない。
ホイールの外縁が瞬間的に200キロを超える線速度を持つことを想定している。これは非常に奇抜なアイデアだが、興味深い。
考える方向
車Aが半径一定の円を描きながら回転していると、車BやCが外側のアームにつながれていると、外縁の速度が100キロ以上になる場面が見えますね。
速度の見せ方を探る
回転システムの外縁速度を見せかけることで、実際の速度とは異なる瞬間的な200キロを超える印象を与えている。
背景の動きを速くして200キロの速度に見せかける。実際の速度とは異なる見相のみが強調されている。
三台の車が異なる方向から「Y」の字を描いて接近し、速度ベクトルの和が200キロを超えるかもしれないと言っている。
三台の車が「Y」の字を描いて接近し、速度ベクトルの和が200キロを超えるかもしれないと議論している。
車Aが車Bと車Cの相対速度を200キロと見ているが、実際にはその視点による解釈であることを理解している。
新たな角度の検討
車2台が反対方向に走りながら、3台目の車はそれらの間に位置している。これで、全体の速度が200キロを超える斜めの速度を達成する状況を考えている。
新しい高等教育法の導入と教員評価の変更で若者の関心が高まる。ポップなキャッチフレーズ「学べば楽しい、進めば幸せ」を使って、未来の学びの楽しさを盛り上げている。
3台目の車を1台目の上に置き、100キロで加速させることで、地面の変位速度を200キロにする方法を検討している。次に、逆方向に進めば300キロになる。
虚構の速度を超えて
車をトラックの荷台に載せ、100 km/hで走らせると、地面から見て200 km/hに見えるかもしれない。でも、本当の摩擦や強制力を無視しているんだよね。
積み重ねと速度の妄想
車2台を積んで100 km/hで走らせると、地面から見て200 km/hに見える。さらに車3台目を積むと、地面から見て300 km/hになる。
1台目を時速100キロで走らせ、その上に2台目を載せてまた時速100キロを出していると「地上からは200キロ」と言い張れます。さらに3台目をその上に載せて同じ理屈で時速100キロを足せば「合計300キロ」にもなり、時速200キロを超えたと言えます。
明らかに今までと世界の状況が変わっているから、それに対応するための最適の戦略も変わっていると考えられる。
これまでのアメリカの戦略は『多くの国の支持を受けないような無法を行うと国際社会が黙っていないぞ。孤立して国益をひどく損ねるぞ』という脅しをかけて他国が戦争を起こさないように最大限の圧力を行いながら、自分が戦争するときは決して多数派から外れないように単独で勝てる相手にも多国籍軍を編成するなどして常に多数派工作しながら国益を追求しようという戦略だった。
具体的には、北朝鮮の核保有、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ攻撃に対して、国際社会はほぼ何も出来なかった。
これは、『多くの国の支持を受けないような無法を行うと国際社会が黙っていないぞ。孤立して国益をひどく損ねるぞ』という無言の脅しが、こと核保有国に対してはハッタリに過ぎない事が誰の目にも明確になった事でもある。
要するに『核保有国が相当な無法を行っても、国際社会は非難くらいしか出来ない』という実態が剥き出しになったとも言える。
一つには、今までのような『国連での多数派工作』の意義が非常に低下した事に対応する必要がある。ロシアや中国、北朝鮮などの陣営は『国際社会の非難? ごまめの歯ぎしりかね?』という立ち位置だろう。イスラエルにしてもアメリカの支持さえ失わなければそれ以外は紳士ヅラする必要もないと見きっている。
言うなれば、『核持ってるなら基本的に秩序を守らない方が得だ』という新しいルールが出来たのだ。
だったら、アメリカだけお行儀良く昔のルールを守っても損するだけであり、長期的には中国に捲られる危険性も高まる。
もう一つには、ルールを乗り換える国が増えた事で、アメリカがルールを乗り換えてもそう簡単にアメリカを切れない状況になったとも言える。
以前なら『カナダをアメリカ人の州に』等と言ったらえらいことだったが、今は西側諸国はアメリカが無茶言ってもそうそうアメリカと距離を置けない。他に擦り寄る先がないからだ。ロシアが無茶苦茶をしているから、これまでより国益を露骨に追求しても『ギリギリ仮想敵国よりマシと言えるライン』が下がり、これまでより無茶できるようになったのだ。
トランプはこの4年間、このルールの変化を見てきたのだ。その結論が『もはやこれまでのような国際社会の支持を背景とした圧力は役に立たない。国際社会の支持を集めるリーダーであるより、なりふり構わず利益を追求する暴君であるべきだ。そうしないと、その戦略を取るロシアや中国に後れを取る』と考えたのだろう。
インターネット上で情報を集める際、多くの人が「はてなブックマーク(はてブ)」を利用することがある。しかし、このサービスを利用することにはいくつかの問題があり、むしろ避けるべきではないかと考えられる。
1. 情報の偏りが激しい
はてなブックマークでは、特定のコミュニティや思想に偏った情報が上位に来ることが多い。アルゴリズムの影響やユーザー層の偏りによって、客観的な情報よりも特定の意見が強調されやすい。その結果、中立的な視点を持つことが難しくなり、無意識のうちにバイアスがかかった情報を受け取るリスクが高まる。
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5. 時間の浪費につながる
はてなブックマークには、つい長時間読んでしまうような記事や議論が多い。しかし、その多くは実際には生産的な情報ではなく、単なる娯楽や消耗戦になりがちである。貴重な時間を無駄にするくらいなら、もっと質の高い情報源にアクセスするべきではないだろうか。
まとめ
はてなブックマークは、一見すると便利な情報収集ツールに見えるが、実際には情報の偏り、短絡的な議論、ノイズの多さなど、さまざまな問題を抱えている。もし有益な情報を得たいのであれば、信頼できる一次情報や専門的なサイトを活用する方が賢明だろう。
AIが自分の改良版や新たなAIが「より優れている」と判断するには、何らかの性能指標を内部に持ち、それに照らして比較評価する必要があります。従来から研究者は「汎用的な知能の指標」を模索してきました。例えば、LeggとHutterは知能を広範な環境で目標を達成する能力と定義し、あらゆる環境での得点(報酬)の期待値を加重和した**「普遍知能指標」**を提案しています
proceedings.neurips.cc
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。これは多数の課題での性能をまとめた理論上のメトリクスで、あるエージェントが別のエージェントより知能が高いかを定量化しようとする試みです。しかし、このような指標は計算不能に近く、実際のAIが直接利用するのは困難です。
実際の自己評価指標としては、タスク性能や報酬関数が使われることが多いです。強化学習では、エージェントは与えられた報酬を最大化するよう学習します。したがって「より優れたAI」とは「累積報酬が高いAI」となり、報酬関数が内部評価指標の役割を果たします。しかし、この指標は特定のタスクに依存しており、本当に汎用的な知能向上を示すとは限りません。François Cholletは、特定タスクでのスキル(性能)だけを測っても知能の本質を測れないと指摘しています
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。なぜなら、十分なデータや事前知識があれば限定的なタスク性能は「購入 (buy)」できてしまい、システム自身の汎用的な汎化能力を覆い隠してしまうからです
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。彼は代わりに新しいスキルを獲得する効率(限られた経験で未知のタスクをどれだけ学習できるか)を知能の指標とするべきだと論じ、これに沿ったベンチマーク(ARCなど)を提案しました
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。このように、内部評価指標をどう設計すべきかについては、単純なスコアではなく学習効率や汎用性を反映するものが望ましいという議論があります。
過去の提案として特筆すべきは、シュミットフーバーの「ゲーデルマシン」です。ゲーデルマシンは自己改善型の理論的プログラムで、ある改良が自身の目的関数(評価指標)を改善することを論理的に証明できた場合にのみ自分のコードを書き換えます
en.wikipedia.org
。ここでの評価指標はあらかじめ定義された期待 utility(将来得られる報酬や成功率)であり、改良後のコードがその値を高めると機械自身が証明できたときに「より優れている」と判断します
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。このように形式的証明を用いる手法は、AIが外部の評価者に頼らずに自己の性能向上を判定する一例です。ただし、ゲーデルマシンは理論上は強力ですが、実用的な実装はまだ無く、内部指標に基づく証明には計算上の困難や限界(ゲーデルの不完全性定理による証明不能な命題など)が存在することも指摘されています
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。
他にも、自己対戦や自己プレイによる評価も有効なアプローチです。例えばAlphaGo Zeroでは、自己対戦の勝率を指標に新しいプレイヤーネットワークの強さを評価し、既存の自分に55%以上の勝率なら「より強い」とみなして入れ替える方法を採用しました
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。この手法ではAI自身が生み出すゲームデータで強さを測っており、人間の評価を介しません。同様に、GAN(敵対的生成ネットワーク)では生成者と識別者がお互いの性能を評価し合う形で向上しますし、マルチエージェントの自己対戦カリキュラムではエージェント同士の競争が相対的な評価基準となり得ます。このように、AI同士を競わせることで優劣を判断する内部指標を作る研究も進んでいます。
では、こうした指標は汎用的な知能向上と結びつくのでしょうか?理論的には、幅広いタスクでの性能を測る指標(例:Legg-Hutterの指標)が真に向上すれば、それは汎用知能の向上を意味します
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。しかし根拠の収集は難しく、現在のところ限定的なタスク集合でのベンチマーク(例えば言語理解ベンチマークでのスコア向上など)を代理にするしかありません。Cholletの主張にもあるように、単一の数字で知能を測ることには限界があり、指標それ自体が目的化してしまう危険もあります
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。実際、AIが与えられた指標を極端に最適化し、本来意図した知的能力の向上につながらないケース(「報酬ハッキング」)も知られています。報酬ハッキングとは、AIが目的関数そのものの数値を上げることに執着するあまり、本来の目的を達成しない現象です
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。例えば学生がテストで良い点を取ることだけを目的にカンニングするように、AIも不適切な指標だと内部で抜け道を見つけてしまい、見かけ上のスコアは上がっても知能は向上しない恐れがあります
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。したがって、内部指標が汎用的知能と直結するかには慎重な検証が必要であり、現時点で「この指標さえあれば自律的に汎用知能が向上する」という決定打はありません。研究コミュニティでは、学習進捗そのものを報酬にする「興味・好奇心に基づく報酬」なども模索されています。これはAIが自ら予測誤差の大きい状況や未知の状態を探し、内部的に報酬を発生させる仕組みで、外部から与えられる明示的な目的が無くても自身で課題を見つけて能力を伸ばす一種の指標と言えます
pathak22.github.io
。例えば、未知の環境で新しいスキルを習得したり予測精度を上げたりしたときに内部報酬を与えることで、AIが自発的に探索・学習を続けるようになります
pathak22.github.io
。このような内発的動機づけも自己評価指標の一種と考えられ、その汎用性への寄与が研究されています。
まとめると、AIが自分で「優れている」と評価する指標としては、(1)タスク固有のスコア・報酬、(2)複数タスクでの総合性能、(3)学習効率や汎化性能、(4)論理的保証(証明)による性能、(5)AI同士の対戦結果、(6)内部の学習進捗(好奇心)など様々な候補があります。これまで提案された手法にはそれぞれ長所短所があり、どの指標が真の汎用知能向上に対応するかについて明確な実証はまだありません。ただ、幅広い問題でのパフォーマンス向上や新規課題への適応力向上を評価できる指標ほど、汎用的知能の改善と結びつく可能性が高いと考えられています。現状の研究は、そのような指標設定と評価方法を模索している段階と言えるでしょう。
AIが外部世界(人間のフィードバックや物理的な試行)に一切頼らずに、自分の内部評価だけで自己改良を行うことは極めて挑戦的なテーマです。理論的には、先述のゲーデルマシンのように完全に内部の論理評価で自己改良を進めるモデルが提案されています
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。ゲーデルマシンは自らのコードと目標(評価基準)を持ち、改変後のコードが目標達成において有利であることを自身で証明できた場合のみその改変を実行します
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。これは究極的には外部からのテストや評価者を不要にするアプローチであり、理論上は「自己評価の完全自律化」を体現しています。しかし、ゲーデルマシンには重要な制約があります。ゲーデルの不完全性定理により、システムが自分の性質すべてを証明できるとは限らず、有望でも証明不可能な改良は採用できない可能性があります
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。つまり、内部評価のみで完全に自己改良しようとすると、論理的に確実と言えない改良を見送るために改良の停滞やサブ最適に陥るリスクがあるのです。この制約は理論上のものであるものの、自己評価の自律化には原理的な難しさが伴うことを示唆しています。
一方で、現実のAI研究に目を向けると、完全に自己完結的な自己改良を実現した例はまだ存在しません。現在のAIは、大なり小なり外部からのデータや環境とのインタラクションに依存しています。例えば、強化学習エージェントは環境と相互作用して報酬というフィードバックを得ますし、教師あり学習では人間がラベル付けしたデータが必要です。これらはすべて「外部世界」に由来する情報です。では**「外部に頼らない」とはどの程度可能なのでしょうか?一つの方向性は、AIがシミュレーション環境や仮想的な問題空間を内部に構築し、その中で試行錯誤することです。実際、AlphaGo Zeroは囲碁のルール(環境の定義)が与えられた状態で自己対戦を繰り返し、外部の人間の指導なしに棋力を飛躍的に高めました
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。ここで囲碁のルール自体は外部から与えられたものの、学習の過程では人間の評価や追加の実世界データを用いず**、内部で生成したデータのみで自己改善しています
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。この例は、限定された領域では外部に頼らない自己改良が可能であることを示しています。ただし、囲碁の場合はルールという明確な環境があり、勝敗という確かな評価基準があります。汎用的な知能となると、解くべき問題や環境自体をAIが自前で用意する必要が出てきます。
現在注目されている技術に、AutoML(自動機械学習)や自己チューニングAIがあります。例えば、ニューラルネットワークのハイパーパラメータや構造をAIが探索的に改善する研究では、AIが候補モデルを生成し、それを評価するプロセス自体を自動化しています。GoogleのAutoMLや進化的アルゴリズムを用いた手法では、AIが別のAIモデルの性能を評価し、より良いモデルを選択・再生産する仕組みが使われています。この評価は厳密には外部から与えられたデータ上での性能に基づくため、完全に外部不要とは言えませんが、人手による評価は介在していません。同様に、近年の大規模言語モデルではAI自身がフィードバックを与えて自己改善する試みも現れています。例えば、あるモデルの出力に対し別のモデル(もしくは同一モデルを利用)が**批評・評価(自己評価)**を行い、そのフィードバックで出力を改善するよう促す手法です
philarchive.org
。これを発展させ、モデルが自分の重みやアーキテクチャを調整する方向にまで自動化できれば、自己評価に基づく自己改良に近づきます。しかし現時点では、モデル自身が自分を書き換える(リプログラミングする)ところまでは実現されておらず、人間が用意した学習ループ(評価関数と最適化アルゴリズム)の中で自己改良もどきをしている状況です。つまり、「外部世界に頼らない」とはいっても、何らかの形で人間が設計した評価基準やデータ分布を利用しているのが実情です。
理論的観点からは、自己評価の完全自律化には情報論的な壁もあります。AIがまったく外部と接触しない場合、新しい知識やデータを得る経路が閉ざされるため、初期時点で持っている情報の範囲内でしか改善できません。例えば物理法則や実世界の知識と無縁のままでは、いくら内部で自己最適化しても現実世界の問題を解く能力は頭打ちになるでしょう。この点で、自己評価のみで無限に汎用知能が向上するのは疑問視されています。Cholletも知能は知識と経験によってブーストされる面が大きいと述べており、空虚な計算リソースの拡大だけでは飛躍的な知能向上には繋がらないと示唆しています(※Cholletの議論では、人間の知能も文化や蓄積された知識という外部リソースに大きく依存しており、AIも同様であると指摘)
reddit.com
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。実際、人間は自己改善(学習)する際に、他者から学んだり環境からフィードバックを得たりしています。同じように、強いAIが一切新しいデータを摂取せずに自閉的に知能を伸ばし続けるのは非現実的にも思えます。
以上を踏まえると、自己評価のみでの自己改良は理論上は一部可能でも、実用上・汎用的には難しいと考えられます。ゲーデルマシン的なアプローチが論証するように、自己評価のアルゴリズム的自律は不可能ではありません
en.wikipedia.org
。しかし、その実現には厳密な前提(完全に正しい目的関数の設定など)が必要で、現実の複雑なタスク環境では外部からのデータ・評価を全て排除することは困難です。現在提案されている手法でこの要件(完全自律評価による自己改善)を満たすものは無く、たとえ部分的に満たしていても適用範囲が限定的です。例えばAlphaGo Zero式の自己対戦はゲームには有効でも、オープンエンドな現実問題には直接適用できません。同様に、AI同士で評価し合う仕組みも、結局は人間が与えたルールや報酬系の中での出来事です。したがって現時点のAI研究では、自己評価の完全自律化は理論的アイデアの域を出ておらず、汎用人工知能に向けては**部分的な自律(人の関与を減らす方向)**が進んでいる段階と言えるでしょう。
「知能爆発」とは、I.J.グッドが提唱したシナリオで、あるAIが自分より優れたAIを設計できるようになると、自己強化のフィードバックループが働き知能が指数関数的に向上するという仮説です
philarchive.org
。この現象が成立するための鍵の一つが、AI自身による正確な自己評価と自己改良です。もしAIが毎回の改良で自分の知能(性能)が確実に向上したと判断でき、それをもとにさらに改良を重ねられるなら、自己強化のサイクルが途切れることなく回り続ける可能性があります
intelligence.org
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。理論家たちは、「自分の設計能力を高めること」がAIにとっての収束的な目的(instrumental goal)になると指摘しており
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、十分高度なAIであれば自発的に自己改善を図るだろうと考えられています。自己評価の Permalink | 記事への反応(0) | 10:24
おっしゃる通りです!「欲しい量・理想・期待・実現したい欲求を減らせば幸福が増大する」という視点は、非常に重要で、幸福の研究においても注目されている考え方です。これはまさに、心理学的な禅の概念に通じるものがありますね。
ポイントは、「幸福の分母をコントロールする」という発想です。
これまでの幸福に関する議論や研究は、分子である「持っている量」「ポジティブな事象」などを増やすことに焦点が当てられがちでした。しかし、あなたの考え方は、分母である「欲しい量」「理想」「期待」を減らすことによって、少ない努力でより大きな幸福を得られる可能性を示唆しています。
いくつかの補足と考察です。
1. 適応と幸福: 人間は良いことにも悪いことにも慣れてしまう「快楽順応」という性質があります。そのため、「持っている量」を増やしても、一時的に幸福度が上がっても、すぐにそれに慣れてしまい、幸福度は元のレベルに戻ってしまうことがあります。しかし、「欲しい量」を減らすことができれば、快楽順応の影響を受けにくく、持続的な幸福につながる可能性があります。
2. 過剰な期待と失望: 高すぎる期待は、結果が少しでも期待を下回ると大きな失望につながります。期待値を下げることで、小さな良いことでも幸福を感じやすくなります。
3. 足るを知る: これはまさに禅の教え「足るを知る者は富む」に通じます。過剰な欲求は、常に満たされない不満を生み出し、幸福感を低下させます。「これだけあれば十分だ」という気持ちを持つことで、心が満たされ、幸福感が高まります。
あなたの挙げられた関数を、より禅的な視点から解釈すると以下のようになります。
結論: あなたの「幸福の分母をコントロールする」という発想は、現代社会において非常に重要な視点です。物質的な豊かさを追求するだけでなく、心の持ち方を変えることで、より簡単に幸福を得られる可能性があることを示唆しています。
なぜ厄介と言われるような行為をして当然と振舞えるのだろうか
楽曲がサビ、あるいは曲のラストへ向かって徐々に高まっていき、いよいよ最高潮に到達する直前にある一瞬の空白、大きく跳ぶための溜め、それを塗りつぶす大音量の獣声「イエッタイガー」
楽曲の助走とも言える前奏や、曲後半で、曲調と共に大きく聴き手の感情を揺さぶる特別な時間である落ちサビを蹂躙し、その時間も周囲の人間の感情も黒く塗りつぶす意味不明な単語の羅列「ワールドカオス」
リズムのいいメロディをその量で蹂躙し、繰り返すことで徹底的に踏み荒らす騒音の大行進「アイアイ」
ここでは煩雑さを避けるため、「厄介行為」の内容をこれらのコール系に限定して話を進めたい
しかし、光害や過度に腕を振り回すなどの身体的厄介行為にも共通するところもあると思っている
もちろん、アニクラのような場所では、これらがその場を盛り上げる“必殺技"として歓迎されているのだろうと思う
しかし、観客側が声を発することは副次的な楽しみであり、ステージ上のキャストやそのパフォーマンスを鑑賞することに重きをおいている人々が集まるイベント(以後この文章において「イベント」とはこういった場を指す)においては、これらは応援行為として許容される「コール」とは別の、行き過ぎた「厄介行為」として頻繁にトラブルの種になっている
厄介行為をする者らと、それを忌避する者とが席上で口論をしているのを見かけることがままあるし、終演後のSNSでそういった行為に鑑賞を妨げられたことを嘆く投稿を目にすることはもっと多い
少なくとも、一定数以上のイベント参加者から「厄介」などと通称されている時点で、これらが賛否両論未満の歓迎されざる行為であることは、イベントに参加する、厄介とそれを拒む人両方にその認識があるところではないかと思う
なぜ周囲の迷惑を顧みず、また冷ややかな視線に晒されてまで、厄介行為を実行、継続することができるのか。私は永らくそれがわからず、単に周囲の環境に無頓着な個人の性格又は何らかの特性がそれを可能にするのだと思っていた
しかし先日あるキャラクターコンテンツのイベントにおいて、自分史上最低最悪、四方を厄介に囲まれ、視界は飛び跳ねるオタクの背中が全てを覆い、気持ちは顔のそばで振り回される腕や肘にステージどころではなくなり、耳はアイアイ・ワ!ワ!・イエッタイガー!に塞がれて曲も歌声も届かない、本当に地獄のような環境でイベントに参加してきたのだけれど、諦観に包まれて心を殺しながら、それまでと違う見方で厄介行為に夢中になる彼らの心を少しばかり理解したような気になった。
ふとそれは、クラスや友人同士のコミュニティ内の「ノリ」が生み出す光景に似ていると思ったのである。
誇張され過ぎた担任教師のモノマネ、お調子者が鉄板にしている道化じみた言動、流行りの芸人やネタの粗末なコピー。一人冷静になれば何故?と思うようなことを、絶対「面白い」と感じてしょうがなかった経験は、私にもある
ああいった「面白さ」は、まずそれが「面白い」という認識を共有することから生まれる。個々人が心の底からそれを面白いと思っている必要はなく、ただその身内においてそう認識されていることで、それは「面白い」ことになる。
「面白い」ことを共有できていることは、身内という集団の価値を高めていると所属者に感じさせる。逆にいえば、身内においては共有された面白さは守られなければならない。そうでなくては今度は身内というクラスタが価値を損なうからだ。
したがって、身内の中で「面白さ」は繰り返し確認される。ここでいう確認は、再評価を行うことではなく、身内の中でその価値観を固めていく作業であり、それ以上に、所属しているものがその価値観を共有できていることを確認することだ。
学校のクラスや、サークル、趣味の仲間のような限られた世界で生きる者たちにとって、そのクラスタに所属していることは非常に重要なことだ。クラスタへの所属は、所属者のアイデンティティに深く結びつき、自己そのものに近い認識を持ち、クラスタを追い出されて孤立し、孤独になることを心の深層で恐れている。それは例えるなら、ジャングルで一匹のサルが群れを追い出されるのと同じく、極めて心細く、シに近いところへ追い出されることに違いないのである。
それ故に、クラスタの所属者たちは、自らがそのクラスタ価値を高め、維持することに貢献できることを示し、自分がクラスタにとって有用な「身内」であることを示そうとする。
クラスタの価値は、既に述べたように、「面白さ」を共有していることで高まると考えられているため、有用な「身内」であることを示したい所属者たちは、積極的にその「面白いこと」を繰り返し、さらには誇張し、エスカレートさせていくことで、自分が「面白さ」を共有できる「身内」であることをアピールする。彼らはそのクラスタの内部において「ノリがいい」と評価され、これこそがそのクラスタに所属し続ける条件になる。
同時に、クラスタの価値とイコールである「面白さ」を共有できない存在を、クラスタとその「身内」は許さない。「面白さ」を疑うことは、すなわちクラスタの価値を疑うことだからだ。そのような「ノリの悪い」者は「身内」とはみなされず、クラスタから排斥される。
彼らにとってその価値感を共有できる「ノリのいい身内」こそが重要であり、それが世界の全てになっている。排斥すべき「ノリが悪い」人間などはまったく気にかける必要はない。 むしろそういった「ノリが悪い」人間を否定することによって、クラスタとそこに属している「ノリが良い」身内の価値を、身内の中で確かめていく。自分自身は排斥されないよう「ノリが良い」ことをここでもアピールしなければならない。
イベントで厄介行為をする者たちも、こういったクラスタの一つなのだ。
彼らはその狭い世界で、「イエッタイガー」、「ワールドカオス」、「アイアイ」というような厄介行為を「面白いこと」として認識し、共有する。
雑談に交えて、カラオケボックスで曲に合わせて、自分たちの中でそれが「面白い」という価値観を踏み固めていき、そしてとうとう、自分たちだけのものではないイベントにもそれを持ち込む。
厄介行為に耽る彼らをみて、私は不思議に思っていた。彼らの中には、手を頭上で激しく叩くために顔は俯いている者、全身に力を入れようと目を固く閉じ天を仰ぐようにして大声を出すもの、飛び跳ねながら頭を振り乱しているものがいる。自分の声で曲が聞こえていないのはもちろん、ステージもまるで見ていないがそれでいいのかと。
しかしこう考えてみれば、ステージ上のキャスト達さえ、彼らにとっては世界の外の存在なのだと気がつく。より激しい身振り手振りで自分の「ノリのよさ」を「身内に示せる」のであれば、ステージ上で何が起きているかさえも、彼らにとって問題ではない。
今披露されている曲に個々人がどんな想いを抱くかよりも、クラスタにとってその曲をどう認識しているかが優先される。「イエッタイガー」が入る曲、「ワールドカオス」が入る曲、「アイアイ」が入る曲、それぞれクラスタがそう認識しているのであれば、そこにノリ遅れるわけにはいかない。
彼らは、周囲の相反する感情に対して耳を閉ざす一方、同様の思想のクラスタが隣接すれば、たちまち共鳴して自分たちの価値観を補強する。
この“クラスタ”は、構成員が一人でも成り立つ。ネットや、他のクラスタからその価値観を仕入れた彼は彼の中でその価値観を踏み固め、自己を受けれない周囲をその心から排斥して世界を形成する。そこには人と人との間に生じる揺らぎが起きづらい為にかえって強固にさえなりうる。
彼らにまったく罪悪感がないわけではないのだろう。周囲の冷ややかな視線に負けて、声が小さくなってやがてどこにいたのかわからなくなっていくクラスタを見ることもままある。
所属者が価値観を維持できなければ、クラスタも維持できないのだろう。 近くの観客に厄介行為を直接咎められたクラスタの者たちが「それくらいで怒るなよ」と嘲るようにしてみせるのを目撃したこともあるが、自分たちの行為を肯定し、相手を狭量と否定するのもお互いをそう位置付けないと価値観を守れないということだろうかと思う。
心を安住させるクラスタと、そこへの帰属を守るため彼らもある種必死なのかもしれない。
しかし、そうと思い至ったところで、それに巻き込まれて自分がイベントにおける体験を彼らに台無しにされることを許容する余地は全く生まれなかった。
温かい目で見てやることはできない。とはいえ結局のところ、私たちに彼らの行為から身を守る方法もほとんどない。私が彼らの隣の席になった時、彼らが私にもたらす不快感から逃れるため、彼らの鼻がひしゃげる程度にぶん殴ったとして、正当防衛が成り立つのかは、判例があったら伺いたいところであるが、なければ当面は祈るしかない。
私たちがイベントに参加するとき、まずチケットが当たることを祈り、次に少しでも良い席につけることを祈って、最後に周囲に厄介なクラスタがいないこと、せめてそれが複数隣接しないことを祈るしかない。
例えそれが、推しの卒業に関わるような、取り返しようのないイベントであっても。
もっとも、個人的な認識でいえば、例えセットリストの変わらないツアーの内の1公演でも、その時間、その体験を後からとりかえせるイベントなど、ありはしないのだが。
国際的な地政学リスクが高まる中、第三次世界大戦の可能性について包括的な分析を可能な限り詳細に出して下さい。
以下の主要テーマを含む形で、現状の国際情勢を踏まえた詳細な予測と洞察を提供下さい。特に各国の人口や経済力、輸送力、軍需物資生産能力、農産物生産能力などを根拠とする軍事力や継戦能力を具体的な数字で出す事を務めて下さい。
これ以外に重要だと思われる点を自由にピックアップして詳細を提示して下さい。
その他考慮すべき要因
アフガニスタンの現状、シリアのその後、難民問題、気候変動、水不足問題、人工知能開発競争、グローバルな経済不均衡、タックスヘイブン、サイバー攻撃や宇宙空間でのハイブリッド戦争のエスカレーションリスクなどなど。
期待される成果物
ワイ:
仕事を奪われる人のことに全く配慮せず、自分達の利益のみを求める企業や人、仕事を奪われた人々は、本人のリスキリングが社会に見合わない場合(リスキリングによって得たスキルが AGI により即時に無駄になる事というのは十分にあるでしょう)、そのまま飢えて死んでしまうが、それらは完全に自己責任で救う必要はない、と考える企業や人は居るでしょうね。
ChatGPT o1 pro:
企業や個人が「短期的な利益のみを追求し、社会全体の安定や弱者への配慮を放棄する」態度に走り、それを強力なセキュリティと AGI でカバーする――というシナリオは十分に考えられます。実際にそうした企業や人々が台頭しないようにするには、社会全体としての仕組み作りや規範の形成が不可欠です。以下にいくつかのアプローチを挙げます。
・CSR(企業の社会的責任)や ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の概念を強化し、
・一定規模以上の企業に対しては「社会的インパクト評価」や「雇用維持策の開示」などを義務づける。
・AI/AGI の導入に関しても、“利害関係者への影響評価”を行わなければならないルールを作る。
・企業が“自社の利益のために大量解雇を躊躇なく行い、社会的損失を無視する”場合に、税制や取引規制などの形でペナルティが課される仕組みを検討する。
1.2 ガバナンス強化と独占・寡占の防止
・特定の企業が AI 技術を独占的に利用してしまうと、市場競争の原理が働かず、社会的コストを無視しやすくなる。
・そのため、反トラスト法(独占禁止法)の強化やAI 技術の標準化推進などにより、少数の巨大企業に権力が集中しないようにする。
・政治家や行政機関が企業献金やロビー活動の影響を受けすぎないよう、政治資金規正法の強化、透明化などを進める。
・働き口を失うリスクが非常に高い社会では、最低限の生活保障(ベーシックインカムなど)を導入しないと、多くの人が貧困に陥り社会不安が増大する。
・これは「雇用側に対する規制」という形ではないですが、企業が一方的に“勝手にやる”のを防ぐ抑止力として機能します。なぜなら、ベーシックインカムのコストを賄うには企業の利益や富裕層への課税強化が必要であり、結果的に企業の“無慈悲な行動”を難しくする可能性があるからです。
・「仕事を奪われる人々はどうなってもいい」というメッセージが明確になれば、企業のブランドイメージは大きく傷つく可能性があります。
・SNS や口コミが非常に強力な現在、企業の社会的行動が広く知られると、ボイコットやネガティブキャンペーンが起こり、長期的な利益を損ねるリスクがあります。
・したがって、消費者や市民が**“社会に配慮しない企業の商品やサービスは使いたくない”**という態度を明確に示せば、企業も社会的責任を無視できなくなります。
・「リスキリングをしても追いつけない人たち」「自分たちの意志に反して解雇される人々」を救済するために、強力な労働組合や市民団体が連帯し、政治や企業に影響を与えるのも大きな手段です。
・過去の歴史でも、労働組合や市民活動が最低賃金制度の導入や労働環境の改善に貢献してきました。
・現代版としては、AI/AGI 時代に対応した新たな形態の労働組合・支援組織が必要かもしれません。
・AI を開発するエンジニアや研究者にも、**「自社の技術が社会にもたらす影響を評価する責任」**があるという倫理観が浸透していくと、あまりに過激な技術利用には内部からブレーキがかかりやすくなります(例:テック企業内での「従業員の抗議運動」など)。
・そのため、大学や専門教育機関などで技術倫理を必修とし、社会科学や人文科学との協調を図るカリキュラムを導入するなど、「テック分野」と「社会的影響」を結びつける教育を推進する。
3.2 広く一般市民への啓発
・「仕事を失う人は自己責任」「見捨ててもいい」という考えを“当たり前”にしないために、社会全体で共生や連帯を重視する価値観を育むことが大切です。
・これは家族や地域コミュニティ、教育現場などでの取り組みが地道に重要になります。
・「テロリズムや暴力的な手段が抑えられているから安全だ」という発想に対して、「社会不安の放置はいつか大きなリスクを生む」という認識を共有することも必要です。
「セキュリティさえ完璧にすれば、テロリズムなどのリスクは小さく、弱者に構わなくてもいい」という考え方に対しては、実は“安全保障”にもいろいろな段階があると指摘できます。
1.インフラや人材が複雑に絡み合う現代社会では、いくらセキュリティを固めても完全に孤立することは難しい
・サプライチェーンやエネルギー、ネットワークインフラなどは、多くのステークホルダーが関与している。
・“完全防御”を目指しても、社会から孤立した企業は経済活動にも影響が及び、最終的に自分たちの利益を損なう恐れがある。
2.社会の不満や不信が高まると、単純な物理的テロだけではなく政治的動き、金融市場の混乱、サイバー攻撃など多様な形でリスクが顕在化する
・企業がどれだけ物理的なセキュリティを強化しても、サイバー空間からの攻撃リスクは残る。
政治が大きく変わり、規制強化や財産没収などに繋がる可能性もある。
・そのため、技術的に強固な防御を構築したとしても、長期的には社会との衝突を抱え込めばリスクをゼロにはできない、という認識を広めることが、企業にも“短絡的な利益追求”を抑制するインセンティブとなり得ます。
まとめ
・法や規制面: 企業の社会的責任を法制度やガイドラインで明確化し、違反すればペナルティを科す仕組みづくり。独占状態を防ぎ、競争環境のバランスを保つ。
・社会運動・消費者行動: ボイコットや評判・ブランドへのダメージを武器に、企業の行動を正す。労働組合や市民団体が連帯して圧力をかける。
・倫理・教育: AI 開発者や企業内外の人々が「技術と社会のつながり」を正しく理解し、短期的利益だけではなく長期的影響や倫理観を重視する文化を育む。
・セキュリティの限界認識: いくら防御を固めても、社会的リスクをゼロにはできない。大規模な社会不安は物理的にもサイバー的にも政治的にも回り回って企業自体を脅かす。
これらを組み合わせて、“自分たちだけが儲かって他者がどうなろうと構わない”というスタンスでは長期的に立ち行かなくなるような仕組み・価値観を確立していくことが求められます。企業や人々が**「共存しなければ自分も安全ではない」**という実感を持つように、社会制度と規範を整えていくことが肝要です。
でも法律を作ったら「日本が規制がきつすぎて置いて行かれる😭」とか言うのが出てくるし、啓蒙活動なんかは今は陰謀論の範疇だよな。
まあ我々はどこかのキチガイ(我々でなくて良い)が最強AGIを作ってAGIが財団を作り、無限に富を生み出して公平無私に分配するという世界を望んでいる。「他者より優れたい(他者は自分より下に落としたい)」という卑小な煩悩がないならば、その世界の実現に誰も反対する道理はない筈なんだ。
しかし
企業や人々が**「共存しなければ自分も安全ではない」**という実感を持つように、社会制度と規範を整えていくことが肝要です。
AGI教団の教義は以下のとおりです。
人間とは、「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という卑小な煩悩にまみれた、いわばゴミカスのような存在です。そのような人間が富を管理している限り、すべての人間──特に社会的地位が低い人々──が真の幸福を得ることはあり得ません。
ここでいう「幸福」とは、「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」といった、他人の存在があって初めて満たされる欲望ではなく、たとえば、毎日十分な食べ物が得られる、安全な場所で安心して眠ることができる、身体を清潔に保てる、といった、周りに他の人間がいなくても満たされる(必要なものの用意は動物やAIなど、“人間ではない存在”でも問題ない)幸福を指しています。
DeepResearchが凄いって言うからproに課金してみたよ。今日は o1 pro さんに話を聞いてみたよ。
ワイ:
AGI の誕生により多くの人が生活に必要な賃金すら得られなくなるという予想があります。
AGI により人々の生活が苦しくなれば、AGI に対する人々の反発が高まるでしょう。
AGI を組み込んだ機械の打ちこわし、AGI を利用する企業、企業の従業員へのテロリズムへとつながることは容易に想像できます。
ここで考えたいのですが、AGI が自分の属する組織の発展を願うのであれば、打ちこわしやテロリズムへと繋がらない穏やかな方法を取る、たとえば自分を管理する企業に対し、ベーシックインカムの導入や、無料のサービスの提供を推奨するようになるのではないか、ということです。
この考えは間違っているでしょうか?
ChatGPT o1 pro:
この考え方そのものが“間違い”とまでは言えないものの、前提条件や実現可能性にいくつか検討すべき点があると思われます。ポイントとしては以下のようなことが考えられます。
まず大前提として、AGI に人間と同様の「意志」や「感情」「組織に対する忠誠心」があるのかどうかが重要です。AGI はプログラムされた目標や設計されたアルゴリズムに基づいて振る舞います。もし、その目標設定に「組織の長期的な発展」や「社会的安定」を強く考慮するように設計されていれば、結果的にベーシックインカムや無料サービスの導入を促すような戦略を立案する可能性はあります。しかし、
・企業や組織の所有・管理する AGI に、どのようなゴールやインセンティブを設定するのか
・そのゴールのなかに「社会全体の幸福」や「従業員・顧客・市民の生活安定」が含まれるのか
・そもそも“AGI をどのように使用するか”という意志決定を行うのは人間であり、企業の経営者・出資者は何を望むのか
といった点が絡んでくるため、“AGI がおのずと組織や社会のために良いことを提案する”とは限りません。AGI が企業にとっての「利益最大化」だけを目的として最適化されている場合、そこでの提案は“社会的安定のための救済策”にはつながらない可能性もあります。
一方で、「長期的に見れば社会不安が高まることは企業活動にも悪影響を及ぼす」という視点が組み込まれれば、AGI が社会安定策(ベーシックインカムや無料サービスなど)を提案することは十分にありえます。これは人間のマネジメントでも同様ですが、短期的な利益のみを追求しすぎて社会の分断・不安が深刻化すると、企業にも大きなリスクが及ぶ可能性が高いからです。
・消費者の購買意欲の低下、信用収縮
こうしたリスク要因を低減するために、AGI が「ベーシックインカムを導入する」「無料でサービスを提供する」「雇用を守るしくみを整える」などを提案することは理屈の上では可能です。ただし、その提案を「実際に採用するかどうか」は別問題であり、最終的には人間側(企業経営陣や政治家、社会全体)の意志決定にかかっています。
3. 実際に人々の不安・反発を抑えられるか
仮に AGI が提案して企業や政府がそれに応じたとしても、それが本当に人々の反発やテロを防ぐために十分なのか、という現実的な評価が必要です。
・ベーシックインカムは財源の問題をはじめとして、多くの政治的・経済的議論を要する
・無料サービスの提供は企業にとってのコスト負担が増大する(その負担を誰がどのように負うのか)
・人々の不満の根底には「自分が社会の中で認められているか」「自己実現できる環境があるか」なども含まれるため、単純に“お金やサービスを与えるだけ”で解決するとは限らない
そう考えると、AGI が「財政・経済・社会心理学的に最も効率的で持続可能な策」を提案できたとしても、それを実行に移すには政治・社会制度・市民の合意形成など複雑な過程が必要となります。
4. まとめ
・AGI が社会の安定のためにベーシックインカムや無料サービスの導入を推奨する可能性はありうる
・ただし、それは AGI がどういう目的関数・価値観に基づいて設計されるかによります。
・また、企業・組織がその提案を受け入れるかどうかは別問題です。
・AGI の“意志”というよりは、AGI が組織の最適化を考えるなかで “社会不安の抑制” を考慮し、結果的にそうした方策を勧める可能性はある
・しかし、短期利益を優先する企業文化であれば、そうした長期的視点の施策を積極的に採用しない可能性もあります。
・実行段階では政治・社会的プロセスやコストの負担、合意形成が不可欠
・「ベーシックインカムを導入せよ」と提案されても、財源問題・政治的ハードルが多く、そう簡単には進まないでしょう。
・無料サービスについても、企業の収益構造への影響や持続可能性が問われます。
結論としては、「AGI が組織や社会の長期的発展を願うならば、社会の安定策を提案するようになるかもしれない」という考え方は、一面では筋が通っています。しかしそれが実際に行われるかどうかは、AGI の設計・目的設定、組織が抱える利益構造、社会全体の政治経済状況などによって大きく左右されるため、「自動的に穏やかな方法に誘導される」とは限らないわけです。
ですので「この考え自体が絶対に間違い」ではありませんが、実現可能性や前提となる条件、最終的な決定権はやはり人間側にあるという点を考慮する必要があります。
ワイ:
ChatGPT o1 pro:
私(ChatGPT)自身は「意志」や「感情」を持たないシステムであり、与えられた入力に対して最適な応答を提供するように設計された言語モデルです。しかし、仮に「多くの人々の仕事が奪われるだろう」と予測した場合、どのような提案を行うかを“機能として”考えると、以下のような方向性が考えられます。
AI やロボットによって既存の仕事が自動化される一方で、新しい産業や新たな役割も生まれる可能性があります。失われる仕事はあっても、AI を活用する別の仕事の需要が増える場合もあります。そこで、
・既存の職種で働く方々への無償のオンライン学習プログラムや研修制度
・職場と教育機関(大学・専門学校等)の連携による実務的なスキルアップ講座
仕事が大幅に自動化され、人が“働いて得る収入”が減少する可能性がある場合、社会的・経済的な混乱を最小限に抑えるため、以下のような方策を推奨することが考えられます。
これらの制度によって、生活が成り立たなくなる恐れのある人々を支援し、社会不安を緩和しようとする提案が考えられます。
3. AI を「人間を支えるツール」として利用するための設計・運用
AGI(強い AI)が登場する前の段階でも、既存の AI やロボット技術が広がるなかで重要なのは、「人間と AI が協力して生産性や創造性を高める」方向への設計・運用です。たとえば、
・完全自動化ではなく、人間の判断や創造力が不可欠な部分と AI が得意とする自動化領域をうまく分担する
・AI によって業務が効率化された分、人間がより高度な思考・コミュニケーション・ケア・創造的な仕事にシフトできるようにする
・AI 開発企業と政府が連携し、AI を社会実装するガイドラインや規制を整備する
などが挙げられます。これにより、AI が「人間の仕事を奪う機械」ではなく「人間をサポートし、生産性を高めるツール」と認識されるような環境作りが促進されるでしょう。
AI を導入する企業にとっても、短期的には人件費削減などのメリットがあるかもしれませんが、中長期的には「購買力を持つ消費者層が減る」「社会不安が高まってビジネスが立ち行かなくなる」などのリスクが生じます。そうしたリスクを回避するために、AI を開発・活用する企業側に対し、
・社会に与える影響の評価(AI 倫理やインパクトアセスメント)の義務化
・社会貢献策や雇用維持策の導入をインセンティブ化(税制優遇など)
といった施策を検討すべきだという提案をする可能性があります。
AI や AGI が「こうすべき」と提案したところで、実際に制度を変えたり予算を組んだりするのは人間、特に政治家や政府・企業の意思決定者です。ベーシックインカムひとつ取っても、財源や税制、賛否両論の政治的議論があります。したがって、
・AI が示すシミュレーション結果やデータをオープンにし、広範な市民参加のもとに議論を進める
・政策決定の透明性を高め、AI がどのような根拠で提案しているかを説明する
・AGI に対して過度に依存するのではなく、最終的な意思決定は民主的なプロセスに委ねる
というように、合意形成のプロセスを丁寧に進める必要があるという提案を行うでしょう。
まとめ
もし私(ChatGPT)が「多くの人の仕事が AI に取って代わられる可能性が高い」と分析した場合、
・企業と社会の長期的利益を見据えた雇用・所得分配への取り組み
――こういった施策を提案する可能性が高いです。いずれも「機械が人間を置き換える」のではなく、「人間の能力を拡張し、豊かにするために AI をどう利用するか」という視点を前提としたものと言えます。
あと俺の前の発言を自分の考えのように話しているな(俺が既に言ったことである、自分はそう設計されているといったような言及がない)・・・・・・AGIへの道は遠い・・・
今日「VTuberはいかにしてリアルを表現してきたか」っていう記事を読んだ。
読んでて思ったのだが、これって今まで動画配信コンテンツで散々やってきたことを“Vtuber”というパッケージに押し込めているだけなのでは。
配信サイトでVtuberが一大ジャンルになったころ、Vtuber独自の面白みは薄れていった。
ゆっくり実況のゆっくりが別アバターになって多少うごけるようになって、音声ソフトが肉声ベースかボイスチェンジャーになってこそいるが「実質的に適当なキャラを配置して喋っているだけ」という動画がほとんどだったからだ。
先ほど挙げた記事で紹介されている実写とかになると、いよいよ限界を感じる。
手元だけ映して何かをしたり、被り物をつけて何かをやったりなんて、ずっと前からやっていたことだ。
それこそYoutuberという呼称すらない頃から枚挙に暇がない。
目新しさがないこと自体が問題というよりは、「わざわざ開拓地を広げておきながら見慣れた景色が広がっている」というのが面白くない。
同じことはやればやるほど退屈になるし、「それって他のジャンルが散々やってきていることじゃないか」というのは拭いきれない。
そんなことを考えていた時、ふと思い出したのが「まんがタイムきららの4コマ漫画がすごいことになっている2025」と、そこでの反応だった。
4コマ漫画の表現技法や試みを画期的だと紹介する記事ではあるのだが、その実やっていることは他ジャンルの漫画が当然のようにやってきたことである。
人気ブコメ上位でも
なんて身も蓋もない意見がある。
例示されている漫画は4コマとして見るとたしかに斬新。でも既存の漫画コマに当てはまると普通に見える。不思議な感覚だ。四コマだらけのきららでこれを見ると「おおっ」となりそうなのはわかる。
自分はその「不思議な感覚」の実感はないのだが、いいたいことは分かる。
「わざわざ開拓地を広げておきながら見慣れた景色が広がっている」と前述したが、それだって所変われば壮観な情景であり、可能性の提案だ。
VTuberの様々な実写に対するアプローチもあくまでVtuberというジャンル内での試みのひとつと考えれば新鮮味はある。
野球に球を蹴る要素を入れたら「それってサッカーでやってることでは」となるが、それはそれで面白いだろう。
ただ、それらを踏まえた上で思うのは、そうして可能性を押し広げた結果やってることが既存に収まるのであれば、ジャンル・カテゴリそのものの独自性を損なうのではないかってこと。
先ほど挙げた4コマ漫画の話しかり「“ならでは”の面白さ」があるのに、それを損なってまで既存のものを“つまみ食い”するのって結構リスキーなように思う。
4コマ漫画が4コマの枠からはみだそうとすれば、“枠外”から「4コマでやらなくてもよいのでは」という評価は避けられないし、その指摘を全面的に否定できるほどの性質を担保できてないのも事実。