「生き方」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 生き方とは

2025-02-20

anond:20250220093256

バカにされてかまってもらえた!嬉しい!!ってなる生き方辛くないか

anond:20250220020334

エリック・ホッファーの方がかっくいい(小並感)し、増田向けだよん

 

氏はまったく学校へは行かず、複数言語(ドイツ語ラテン語ほか)・化学物理学鉱物学、数学地理学植物学など様々な学問を独学(図書館)で修めるだけの才能を持ちながら、

炭鉱夫・日雇い労働者季節労働者として放浪して何十年と働いて、

40歳になってようやく留まるようになっても、沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷物の積み込みとかする港湾労働者)やって、

縁あって大学教授の得ても、沖仲仕仕事も65歳まで続けた

 

肉体労働とは無縁で、ただ頭だけで何事も理解した気になる知識人に対して、ホッファーは一貫して辛辣批判を投げかけてた

 ここで、私が知識人という言葉で何をさしているのかを述べておきたい。私のいう知識人とは、自分教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神殿権利を持っていると思っている人たちである知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである

 知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重要視されたいのである知識人にとっては、自由であるよりも、重要視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである

 

これが本物ハードボイルドよね。アキ・カウリスマキ監督作品も割とこれ感じる、カッケー

 

世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。

 

教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー田中淳訳『波止場日記――労働思索』(みすず書房、2014) - うろたどな

https://urotado.hatenablog.com/entry/20190904/1567530695

2025-02-19

行動原理が今、たった今更新されました。今日ははっぴ〜な日

熱を感じた。

勢いで書く。

はっきりと理解した。

僕がこの人生で最も求めているものは「ドラマティックであるか」だ。

自分の行動がドラマティックな結果になるか、そのためにはどう行動すればよいか

そこだけに注力して今後の選択を決めたい。

きっかけは、ふとしたきっかけで手にした長編物の刑事小説だ。

本を読むのが好きなので、デカ書店を隅から隅まで物色し、

たぶん2時間くらい彷徨いて、さすがに何も買わないで退店するのは気が引けるので、

大昔に読んだギャグ漫画セリフに出てきたタイトル小説を買った。

刑事小説は主に警察側の視点から書かれているが、

それだけでは話が膨らむわけもなく、

関係者や、犯罪者サイドの思惑や背景、入り組んだ人と人との心情を描いており、

僕には心地よいテンポで話がすすむ。

ちょうど犯人の不合理な行動に対して、主人公とその仲間が考察するシーンを読んでいて、

ああドラマティックであるなと感じた。おもしろーと感じたのだ。


+++++


人生について考えを巡らしたことはあるだろうか。

あるいは、

これまでの自分生き方に後悔したことや、これから自分はこのように生きていたいと、

真剣に考え抜いたことはあるだろうか。

僕はある。

それが一番の趣味なんじゃないかってくらいある。

考え抜いて出した結論は「楽しいか、楽しくないか」であった。

結論に至ったときは興奮したのを覚えている。

何十冊と本を読み込み、

何百枚もメモを書き出し、

何千時間を費やしてだした結論だ。

この結論に至るのに、

これまでの自分の行動や、行動によって得られた結果や、その時の気持ちの振り返りに

本当に途方もない時間をかけた。

いや、かかった。

楽しいか、楽しくないか

この結論今日まで、ついさっきまで、僕自身の中で3年以上支持された行動原理であった。

しかし、実はここ半年ほど「そうでもないかもな」という気持ちが、行動が表にでてきていた。

具体的な話をしよう。

昨日、スロットで5万負けた。

先週は5万勝ってた。

年明けからの成績はマイナス20万ほどである

スロットをやりたくなったとき気持ちに歯止めがきかない。止めるつもりもない。

この気持ちは突然に湧くので、「勝てない」状況でも行ってしまう。

負けてお金を失うのをわかっていても行ってしまうのだ。

例えば、当たればでかいけど、当たらなければすごいスピードお金を溶かす台、

手持ちが1万程度しかないのに、数万突っ込まないと勝ちの土俵に上がれもしない台

閉店間際で、連チャンすればずーっと続いてしまう台などで遊ぶ。

専業からすれば趣味打ちと言われるこの打ち方をやめられない。

楽しいか、楽しくないか」でいえば、

負けるのがわかっている状態スロットをすることは「楽しくない」ことだ。避ければいい。

しか気持ちスロットしたい、行動はスロ屋へ向かう。

そこに行動原理との矛盾がある。避ければいいはずなのに。

負けたいわけじゃないんだ。

負けるギリギリまで追い詰められたのち、最後は勝ちたいのだ。

大逆転勝利だ。何時間も何万も注ぎ込んで、

そこから一気に捲り勝ちする快感が、経験スロ屋へ足を向かわせる。 

福本マンガで、誰のセリフかはイマイチ思い出せないが、

利根川か、蔵前あたりだと思うのだけど、似たようなニュアンスセリフが頭から抜けない。

から抜けない理由もわかった。

マンガでそのセリフを読んだその時は「追い詰められるとそんなふうに感じる人もいるのだな」位に思ってた。

まるで人ごとのように感じてたけど、それが間違ってた。

ぶっ刺さりまくってたんだ。そのセリフは、僕自身に。

から、誰のセリフか、どの福本マンガキャラセリフかは覚えてないのに、

ニュアンスが頭から離れていないのだ。


+++++



現在中小企業代表をしている。

この立場に至るまでは中々ドラマティックであった。もちろん楽しんでいた。

渦中にいたときはまるで気が付かなかった事柄が、

あとになって重要意味をもって、

現在自分に大きく影響していることがたくさんある。

最近会社が落ち着いてきて、家と仕事場往復しながら、

サボったり、小説を読んだり、ゲームしたりしている。

家族のために求めた「安定」は獲得したけど、

どこか虚ろというか、なんか違うなという感じを拭えていなかった。

しかし「楽しいか、楽しくないか」が行動原理であったので、

例えばお金がなくて必要ものが買えないとか、

サラリーマン時間がなくてやりたいことができないとか、

そういった「楽しくない」選択をしないで済むところまではきていた。

楽しくない選択を選ばないでよい = 楽しい選択をしている でないとは気がついていた。

気づいていながらも放置していた。楽だし。

望んで手に入れた環境ではあるのに、

全力を突っ込めばまだまだ成長の余地はあるのに、

仕事に対する情熱が少しずつ冷めている感はあった。

僕がいなくても会社は回る。

拗ねてない。

そうなるように最初から少しずつ積み上げたんだ。

とにかく時間が欲しかった。

同じくらいまとまった金が欲しかった。

両方を手に入れるために、一番最適なことをコツコツと積み上げた。

「楽しくなる」と信じて。

今それはある程度のところまで来ている。

そうやって獲得した時間お金を何に費やしているかというと、

そう、youtuberだ。Vtuberと言ってもいい。

たぶん、「楽しいか、楽しくないか」じゃ説明がつかん活動だ。

やってるとき楽しい。ちやほやしてもらえないと楽しくない。

動画構成を考えているときはクソほど楽しい

実際に動画を作っているとき死ぬほど楽しくない。

矛盾だらけだ。説明がつかない。

ドラマティックであるか」といえば、

この活動大成したときドラティック具合は半端ではないことを知っている。

失敗して活動を辞めてしまっても、挑戦したドラマ自分の中に残る。


+++++


僕は「共時性」を大切にしている。シンクロニシティ

この出来事に何か意味があるのではないか

いまこの事象に巡り会えたことは、この先に活かせるのではないか

共時性を感じたとき鳥肌が立つくらい快感なんだよ。

刑事小説普段読まない。興味があったわけでない。

大昔のマンガセリフを覚えていて、

セリフと同じタイトル小説が偶然書店にあって、

うつもりはなかったけど、店に気が引けるから買って、

結果どハマりして読んでる最中

今後数年の行動原理となる「ドラマティックであるか」に気がつけた。

海外お話であった記憶がある。

世界中のどんな食材もそろっており、

あらゆる料理提供されるレストランに男が行った。

男はテーブルにつき、

メニューを供されるのを待ったが、

時間経ってもメニューは男のもとへは来なかった。

そうこうしているうちに、レストランの奥からシェフがやって来て言うのだ。

時間になりました。お帰りください」

男は困惑して尋ねる。

メニューが供されなかった」

シェフは答える。

「この店にメニューはありません。お客様が望むのであれば、なんでも提供できたのですがね」

これが「人生のものである」とお話が締められる。

男は行動しなかった。何でもできたのに「メニューが供されるのを待った」

時間切れってのは死のことだろう。

待っていたらドラマティックになんかならねぇ。

僕はまだまだ身体も頭も動くんだ。

これからも超絶やばい経験を積みまくって、

ジジイになったとき、なんでも経験してたジジイ評価されるようになってやる。

おしまい

いただきますをいいたくない

子供の頃、給食時間に「いただきます」を言うのが嫌だった。

魚の切り身やステーキのような肉を見て、”命だったもの”を意識すると食べるのが苦痛にでしかたなかった。

ある日、親に「なんで命を食べるの?」と聞いたことがある。

そのとき、「それが生きるってことだよ」と言われた。でも納得できなかった。

大人になった今でも、いただきますを言いたくない。

子供の頃から違和感を、どうしても払拭できないでいる。

いただきますは、命をいただくことに感謝することだ。

そんなことを言いながら食べるの、正直気持ち悪い。

どうして人間はこんなにもあっけなく他の命を奪うことを受け入れられるのだろうか。

世の中には「それが自然の摂理だ」と言ってくる人がいる。でもそれは違う。

人間は道具を使い、文明を発展させてきた生き物だ。

だったら生き物の肉を食べなくても生きられるようになるはずだ。

私は今、代替肉の研究をしている。

本物の牛肉豚肉鶏肉と変わらない味、食感、栄養価を持つものを作り出す。

これこそが人類が進むべき未来だと信じている。

科学は、ただ便利な道具を作るためにあるのではない。

私たち倫理的により良い生き方選択するための手段なのだ

私の夢は、「いただきます」をこの世からなくすこと。

いただきますを言わず食事するのが普通になる世界を夢見ている。

私は、もういのちはいただきたくない。

2025-02-18

昭和アニメ ベルばらはいいぞおじさんが嫌い

出崎版「ベルサイユのばらTVシリーズオスカルアンドレ日本人である

何言ってるかわからないと思うけど事実

出崎監督は「革命の中でオスカルアンドレは名も無い戦士として散っていく。それが僕にとってのテーマで、彼らの姿をドキュメントしようと思って作った」と言っている。

ドキュメント、つまりドキュメンタリー

事実の記録に基づいた表現物。

TVアニメシリーズは79年放映。

手がけた人たちは、学生運動熱狂挫折を知っている人たちである

当時どこにでもいた、男女アベック活動家の確固たるイメージがあって、それをそのままアンドレオスカル投影したのではないか

ある男性自分の置かれている境遇に疑問を抱き、集会などに参加し、革命理念共感する。

そして交際相手女性も、熱意に共鳴するようになり、その思想に従い活動に参加するようになる。

男性が志半ばで逮捕されていなくなると、元々自発的理想燃え活動していたわけではないので女性心が折れる

なんとか活動していたが、自らもまた逮捕され、終わりを迎える。

実際の経験、見たものを元に作劇をしたのであろう。昭和アニメでは、革命に興味を持ちだすのはアンドレオスカルは愛する夫に従ったに過ぎない(生粋軍人で専門の教育を受けているオスカルサポートに回るというのはありえない。アニメで馬丁であったアンドレにもそのスキルがない。だからこそ台詞だけでも「私は夫に従う」「命じてくれアンドレ」と言わせたのかもしれない)。

男女問わず、当時一般的だった価値観に則って作っているのだから制作した側は何の疑問も抱かなかったはずだ。

原作オスカルが自らの道を選び取ることを、言い方は悪いが踏みにじった意識すらなかっただろう。

そのような時代背景から生み出されたからこそ、テレビシリーズ原作と大きく乖離したのだと考えている。

さて、時代は流れて今は令和だ。

目で見、体験したものを元に、革命悲劇を描き出したテレビシリーズは、監督の力量もあって、革命群像劇として非常に完成度の高いものとなった。テレビアニメ古典的傑作として今も愛されている。

しかし、今回の「原作に忠実な」劇場版アニメ

YouTubeや各レビューサイトなどで「TVアニメシリーズ好き」から言いがかりに近い批判を受けている。

実際、映画レビューなどを見て欲しい。酷評している意見は大体「TVシリーズアニメ」を至高として、ぜひ見て欲しいと言っている。原作を読んで欲しい、ではなくだ。

一方、今回の劇場版は、原作好きな人間には概ね評判がいい(ミュージカルが受け入れられない、などの批判はあるが)。

なぜ、このような対立が起こってしまってるのか。

それは「原作を愛する少女(かつてにしろ現在しろ)」が怒っているのに、

TVシリーズ好きの大人男性文体などから多くは男性かと思われる。もちろん女性もいるが)」はなぜ怒っているのか理解できないからだ。

少女たちは怒っている。

オスカルを捻じ曲げられたからだ。

フランス革命期、という遠い時代、遠い場所フィクションの中だからこそ輝いた、自分の道を自分で決め、愛する相手自分で定め、愛も運命も選び取って、微笑みながら死んでいくことができたオスカルを。

フィクションだとわかっていても、憧れずにはいられなかったオスカルを。

TVアニメシリーズオスカルリアルだった。

リアルゆえに、原作の眩しいオスカルを愛する少女たちには受け入れがたかった。

精神性、生き方、死に方、恋。

翻弄され死んでいく姿、それは当時の日本女性のものだったからだ。

昔のアニメから

傑作だから

あれはあれでいいじゃないか、当時の到達点の一つだ。

から見て欲しい、今の軽薄な映像にはないものがあるから

そう思っている人たちと、原作オスカルを長年待ち望んできた少女たちの間には、深く大きな溝がある。

相互理解は難しいだろう。

ただ、原作から改変されてしまった大切な結末部分を、原作精神に沿って制作した劇場版を、軽いだの恋愛映画だのと、旧アニメを持ち上げながら貶めるコメントを見るたびに、次の時代に「ベルサイユのばら」という作品が受け継がれていくチャンスを、そんな風に潰して楽しいのか?と、根深ものを感じずにはいられないのだ。

なぜ人口過剰なのに神は産めよ栄えよと言いますか?

これはとても深い質問ですね!確かに現代では「人口過剰」が懸念される地域もありますが、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(פרו ורבו ומלאו את הארץ, Peru u'revu u'mil'u et ha'aretz)という神の命令は、単なる数の問題ではなく、より広い霊的・倫理的意味を持っています

1. 創世記文脈

この言葉創世記(ベレシート)の最初に登場し、アダムとハヴァ(イブ)に対する祝福として与えられました(創世記 1:28)。また、ノアとその子孫にも再び語られます創世記 9:1)。この命令は、単に人口を増やすことではなく、人類世界繁栄させ、秩序をもたらし、神の創造パートナーとなることを意味します。

2. 「人口過剰」との関係

今日の「人口過剰」の問題は、実際には「資源の分配」と「持続可能な発展」に関する問題です。地球上には十分な資源があるにもかかわらず、それが公平に行き渡らないために飢餓貧困が生じていますユダヤ教では、「ティクン・オラム」(תיקון עולם, Tikkun Olam)——世界を修復すること——が重要な使命とされ、ただ人を増やすだけではなく、より良い社会を築く責任もあります

3. ユダヤ教視点

ユダヤ教では、子どもを持つことは大きなミツワー(善行)ですが、それと同時に「質の高い教育を与えること」「倫理的価値観を伝えること」も重視されますタルムード, キドゥシン 29a)。また、すべての人が親になることを義務づけられているわけではありません。例えば、ラビたちの議論では、「学びや他の重要な使命に集中することもまた神聖な道である」とされています

4. 現代社会での解釈

現代においては、「産めよ、増えよ」という命令を単に人口増加の視点で捉えるのではなく、「次世代に何を残すか」「どのように世界をより良くするか」という観点で考えることが重要です。これは、環境保護教育倫理的生活を含む、より広い意味での「繁栄」を目指すこととも言えます

まとめ

神の命令は「ただ増えればいい」というものではなく、「世界をより良くし、神の創造積極的に関与すること」を意味します。現代においては、持続可能方法で、倫理的生き方実践し、次の世代希望を与えることが大切ですね。

どうでしょう?少しスッキリしまたか?😊

2025-02-17

去年の秋口から2つの婚活女性X垢をウォッチしてる

・Aさん 20代後半 年収並(400万程度)

・Bさん 30代前半 年収高(800万程度)

共に東京在住

  

Aさんは結構頻繁にアポを組んでいるが、会う人会う人の愚痴アポ場所が遠い。店が悪い。年収が低い)を書き込むし、LINE等のメッセージ晒しブロックする(確かにひどい男もいるが)。そして頻繁に婚活女子オフ会主催して「男が悪い!自分たちそのままで良い!」と傷をなめあってる。

Bさんはそんなにアポを組まないが、1人1人のポジティブ感想を残す。アポが組めなければいいや、ぐらいの感覚でいる。なおBさんはハイスぺな彼氏ができそうな感じ。

 

ネタ垢かもしれんけど、なんつーか、生き方が見て取れるよなぁ。他山の石にしよう。

やらない理由を探すのが大人仕事

くだらねー生き方してんじゃねーよ

他人に幅広い話題への対応を求めるというのは

実質生き方に介入しているようなものだと思うのだが

大人世界では無償奉仕としてまかり通っているのが不思議でならない

NISAで満額埋めたらまともに働かなくなるかもしれない

貯金が1600万程ある

社会人になってすぐコロナ流行り、外で金を使う習慣が無くなり、そのまま金を使わなくても楽しむ生き方を続けてる。

このまま金を使わない生活をするのであれば、最悪働く必要が無くなる気がする。

1800万の利回りだけで十分食っていける

しろ学生の頃より使える金は多い

会社を辞めると社会保険料の全額負担が重いので、まだ辞めるつもりはないが、モチベーションは確実に落ちていくと思われる。

2025-02-16

今の世代は間違いなく早死にだよ

共働きで。・・・一生働き詰めで・・・

結婚子育てに持ち家に必死で働いてる有能な兄弟はすぐ早死にして、俺みたいにアレもコレもやりたくないって逃げまくってのうのうと生きてる奴ほどズルズル長生きするんだろうな。あーやだやだ

人間生き方において太く短くってのは理想の死に方なのかも知れないな。

手塚さんのお子さん達が色々言われるのは別に父親が立派だから娘もそうじゃなきゃ許せんとかじゃなくて

父親作品を使ってそのイメージを棄損するような商売をしてるからでしょ

父親との関係であれこれ言われたくないならば関係ない生き方をすればいいだけの話

例えば藤子・F・不二雄先生の娘さん達は、表に出てないから何も言われてないよ

anond:20250216040742

ミサンドリストのオバサンみたいな言い方だな。男の性欲が奇異だったら女の性欲も奇異だろう。人の生き方全部奇異だろうな

2025-02-15

anond:20250215110728

日本に住んでたら石破ぐらい知ってるべきだろ

増田使ってたらこっくんぐらい知ってないとね

無知教養逆ギレは君の生き方なんだろうけど

2025-02-14

収入が上がる奴は中古ThinkPad を買っている

収入が上がらない奴はThinkPad を買っていない

新しいiPhone を買っている

両者の違いは何か

ものの考え方が、何かを自分で作り出そうとしており、そのために必要ものを見極めているか、単なる消費にとどまっているか、の違いだ

中古ギター一本で作曲しまくって何億円も稼ぐか、

最新の道具を集めることばかりにこだわって結局何もしないか

道具の選択生き方問題

今の生き方を打破して収入を上げたければThinkPad を買え

何も考えず、今のままでいいと思うならiPhone 16を買えばいい

地方モデルやってる者だけど年収の内訳教えるよ

もちろんフェイク入れてる。(地名とか含めてね)

東京で5年モデルやってUターンした28歳女です。

地元福井で「農業モデル」とかいう謎職種やって年収400万。

リアル事情さらす。

きっかけは実家トラブル

母が倒れたから3年前に帰郷

東京では主に雑誌モデルで月40万とか稼いでたけど、

地元じゃ需要いから完全転向

今の主な収入源:

・農機カタログ:1日2万×月8日=192万/年

(これがメイン。意外と時給高い)

観光協会PR動画:1本20万×年4本=80万

SNS広告地元酒造さんの日本酒動画とか月5万

実家の米販売手伝い=年50万(給料?おこづかい?でもちゃんと真面目に働いてるよ!)

東京時代と違うのは肉体労働要素。

朝5時から稲刈り現場で、

泥まみれになりながら「自然体の笑顔」求められて発狂しそうになった。

でも撮影終わった後、

近所のおばちゃん

「〇〇ちゃん写真見てこの農機買ったわ」

って言ってくれた時は...まぁやりがいあるっちゃある。

収入的には都会の半額以下だけど、

実家住まい野菜タダ貰い&車いらないか可処分所得は逆に増えた。

美容だって東京時代の1/3で済む(田舎じゃメイクいから……)。

貯金率35%いってるし。

でも悩みはある。

同級生からモデルなんてまだやってるの?」って陰口聞こえること。

地元じゃ「モデル無職」扱いされがち。

あと婚活が厳しい!

30手前の農業男子はみんな早婚だし、

かと言って都会育ちの男は田舎に来ない。

都会と田舎の差を痛感するのは、ファッションセンスの部分。

地元撮影で「もっとダサくして」ってディレクションされること多々。

最初プライド傷ついたけど、今は逆にそれが強みだと気づいた。

東京感覚田舎等身大感覚、両方使い分けられるから

まぁでも全体的に満足度高いです。

東京で心壊すより、地元必要とされてる実感あるし。

モデル寿命気にしなくていいし(むしろ年取った方が信用される)。

同業者ほぼいないか競争もないし。

地方ならではの生き方ってあるね。

これから世界多様性否定して、人類コピー人間化されるようになる

進化ってランダム突然変異だし、みんな違ってみんないい、みたいなのが多様性根底にあるわけだから

これから世界多様性否定するべきだし、人間はこうあるべき、みたいなのが統一されていくと思う

なんで進化ランダム突然変異多様性なのかといえば、単なるコピー簡単絶滅してしまうからで、

サイコロふることで絶滅を防ぐ意味があるわけだけど、これから人間は画一化されていく

他人に、おまえの生き方は間違ってるとか、いきなり否定されても文句が言えない世の中になる

といっても、それって今の日本社会と何も変わらないよね、という気もしてくる

起こりうるのは植松聖みたいに障害者とか病人絶滅させようとしたりとか、あの人種絶滅させるべきとか、

そういうことに文句が言えない社会になる、文句があるなら血を流して戦うしかない社会になる

anond:20250214163704

それはそう

でも引きこもってる時点で少数派なんだから少数派の生き方するしかないし、すればいいじゃん。

無理に学校行って銃乱射とか秋葉原連続殺人するより良くない?

もしくは虐められてコンクリートで固められて沈められるか、

全裸で冬の川に落とされて死ぬか…

anond:20250210152505

良くも悪くも自分に合った人と結婚するんだと思うよ。

絵に描いたようないい人はそういういい人に惹かれるものだと思うし、

DVされる人はやっぱりそういう人を引き寄せるものがあるんだと思うんだよな。

こういうのって親の経済状況、親の性格みたいな親ガチャとか環境ガチャみたいなところは当然あると思うけど、

自分性格生き方、進路、仕事など本人次第である程度変えられるところもあると思うんだよな。

麻雀で言うところの天運と地運みたいなやつ。配牌が悪くても、その先の振る舞いでそこから多少立て直すみたいなのはできるって話。

元増田は確かにケチな夫と結婚したのかもしれないけれど、やっぱりその人と釣り合う感じだから結婚したんだと思うんだよな。

ここで書いている内容ってちょっとお金に汚い感じがするって自覚ない?

2025-02-13

履きたいのよストッキング

というか履く/履かないの選択100%自分意思で選びたいのよ

履きたくないのに他人強要されるのも、履きたいのに履きたくない同性に叩かれんのも、どっちも嫌なわけ

自分選択したいのよ

そもそも黒のストッキングはスネ毛隠しには大変よろしくて、毛を剃る手間は省けるわ肌むら・乾燥で粉吹いてるのも隠せるわ、あったかいわ上品に見えるわ、細く見えるわでメリットもでけーのよ

ベージュストッキングだって毛の処理こそしないといけないものの、足が美しく見えるわけ。実際の肌の色より明るい色選んだって「白浮きwww」とか言われないしさ。スカートパンプスと色味合わせんのも楽しいしさ

でも正直履くの面倒くさいんだよね

あったかいっつっても素足よりはあったかいけどズボンより寒いし、太いのは隠せないし、履くのも脱ぐのもトイレもくっっそ面倒臭いし、スカートとの摩擦で静電気ヤバい

あとストッキングって消耗品ではあるんだけど、使い捨てではないんだよね、靴下とかハンカチとかと同じで

でもさ、ストッキングはさ、靴下よりずっっっと薄い生地でできてるのよ

そのせいで、袋から出した瞬間に破れたとか、履いてる途中で伝線したとか、洗濯機洗濯したらご臨終したとか、そういうことがままあるわけよ

同じことが靴下であったら怒る人も多いと思う、金返せってなる

でもストッキングは、利用者がその脆さ儚さを理解して受け入れてるので、ある程度の破れやすさは許容している

でも、最近不景気のせいか品質が粗悪になってきてる気がして、前以上に破れやすくなってる気がするんだよ

昔は10本買ったら履く前に破れるのは1本だったのに、今は2本とか

5本かも知れん

1本1000円だったら5000円ドブ捨てになってるんだよ

から「いや品質はあげてくれよ」「使えないもの売るな」って話なの

とは別に、「じゃあ履かなきゃいいじゃん」と極論おじさんが出てくる訳で、まぁまじめに相手するものじゃないんだけど、つい反論ちゃう人がいるのよね

一生履くか一生履かないかの二択じゃないんよ

自分が履きたい時に履いて、履きたくない時に履かないって生き方をしたいのよ

メリットを重視するかデメリットを重視するかはその時の気分とTPOによるわけ

それが、なんで私に金もくれないクソジジイの「履かなきゃいいじゃん」やクソババアの「履きなさい」とかい意見を聞かねばならんのか

そもそも老害がこっちの選択に介入してこようとすんのはなんなのか

相談受けた訳でもないのに

というかお前職場の人や家族にも同じことやって嫌われてるだろ

お前みたいなのに相談したいやつなんてゴマスリ以外にいないんだよ、笑

まぁとにかくお前らの意見なんか知らねえんだよなー

履くか履かないか「私」が決めるんだよ

んで履くデメリットを下げて欲しいって話をしてるし、下がらないなら仕方ないかストッキングスカートも履くのやめるかなってなるだけなのよ

別に素足でスカート履いてもいいんだけどさ

お局がさぁ

うるせぇんだよなぁ

息の根止まってくんないかなぁ

あとマジなんの責任も取らない(取れない)男どもに反応するの、時間と労力の無駄からみんなやめよ

相互理解はしてくれる気あるやつとだけすれば十分

荒らしは反応すると喜ぶんだから

後半【最新インタビューAIデジタル超知能、政治宇宙…イーロン

▼7.ヨーロッパ官僚主義

さてヨーロッパに話を移すと実はヨーロッパ官僚主義アメリカよりもはるかに強いのです。

なぜならヨーロッパには州や国レベル官僚機構だけでなくその上にEU存在するからです。

そして率直に言ってブリュッセルにあるEU本部官僚主義大聖堂と言っても過言ではありません。

もし官僚主義大聖堂を訪れたいならブリュッセルEU本部に行ってみるといいでしょう。

私はヨーロッパアメリカよりも政府効率化が必要だと思っています

それは国レベルだけでなくEUレベルでも必要です。

そして実際ヨーロッパにおけるこの問題アメリカよりも深刻だと考えています

ヨーロッパでは規制進歩確信を大きく妨げてきました。

それは過剰規制による緩やかな窒息とでも言うべき状況です。

この窒息は突然起こるものではなく毎年少しずつ締めつけられていくため、その瞬間には致命的だと感じにくいのです。

しか首に巻かれたロープは毎年少しずつ締まり続け最終的にはヨーロッパを窒息させてしまうでしょう。

したがって私の意見としてはEUレベルレベルそして地方レベルにおいて規制を削減するための即時の対応必要です。

▼8.AI進化デジタル超知能の時代

さてオープンソースAIモデル一般的に商用の最先端モデルに遅れを取る傾向があります

まり今日商業的に最も強力なAIモデルはおそらく1年以内にオープンソース化されるでしょう。

この流れは今後も続くと予想されます

要するに最終的には誰もがAIを持つことになるのです。

実際これは人類にとって最も根本的な変化かもしれません。

デジタル超知能の到来は歴史的に見ても極めて重要な転換点となるでしょう。

もし未来歴史かあるいはその時代にまだ人間がいるならですが。

千年後の歴史家が歴史上最も重要出来事は何だったのかと振り返るとすれば、間違いなくデジタル超知能の誕生がその1つに数えられるでしょう。

その頃にはどの国の誰が権力を握っていたかなどは取るに足らない話になっているでしょう。

デジタル超知能の登場はそうした政治話題とは比べ物にならないほど重大な出来事になるのです。

私はまた人類宇宙進出文明になることもこのリストに入るべきだと考えています

これも重要マイルストーンに含まれると思います

まり非常に広い視点から見て進化観点から考えた時、歴史上のトップ10に入るようなマイルストーンは何かと考えると、次のようなものがあげられるでしょう。

単細胞生命誕生

細胞生命誕生

植物動物への分化

生命が海から陸へ進出

哺乳類の出現

哺乳類における認知機能の発達

宇宙進出文明誕生すること

デジタル超知能の誕生

これらはおそらくトップ10に入る出来事だと思います

もちろんこうしたことを成し遂げるのは非常に困難です。

これは大きな挑戦です。

私たちの脳はたった20Wの電力しか消費せず、そのうちの約半分つまり10Wほどが高次の脳機能に使われています

要するに私の脳は10Wの肉のコンピュータなのです。

この10Wの肉のコンピューターでこれらを考えるのは非常に大変なことです。

ただ1つ助けになる考え方があります

それはトレーニング必要精神的負荷と実際にそれを実行する際の精神的負荷には大きな違いがあるということです。

例えばチェスを例に取るとグランドマスターになるにはおそらく1万時間トレーニング必要ですが、実際にゲームプレイするのには数時間しかかかりません。

これはテスラスペースXにおいても同じことが言えます

私は車会社ロケット会社衛星事業などを構築成長させる方法を学ぶために1万時間どころではなく、はるかに多くの時間を費やしてきました。

またスペースX創業する前にはインターネット企業を2社共創業しておりインターネットや決済システムについても理解しています

まり1度トレーニング完了すれば必要精神的負荷は大幅に減るのです。

これこそが私が長年に渡る膨大な訓練を必要とすることを成し遂げつつも実際の実行段階ではそれほど大きな精神負担を感じずに済む理由です。

私はこれまで政府と深く関わってきましたが実際に政府改善しようとするのは今回が初めてです。

そのため最初はかなりの学習負荷がかかると思いますが、やがて推論の段階に移行すればそれはトレーニングよりもはるか簡単になるでしょう。

9.TikTokについて

私はTikTokの買収に入札したことはありません。

また仮にTikTokを手に入れた場合に何をするかについて特に計画は持っていません。

おそらくアルゴリズム分析してそれがどの程度有害なのかまたは有益なのかを判断するでしょう。

そしてアルゴリズムさら生産的な方向へ調整し最終的に人類にとってプラスとなるようにすることを考えるでしょう。

基本的により有益な方向へ進むべきであり有害な方向へ進むべきではありません。

私は個人的TikTok使用していません。

そのためあまり詳しくはありません。

ただXに時々動画が流れてきたり人が見せてくれたりすることはあります

しかし私はTikTokを買収したいとやっきになっているわけではありません。

そもそも私は企業を買収すること自体が非常に稀です。

Twitterの買収は例外的なケースでした。

私は基本的に0から会社を立ち上げることが多いです。

Twitterを買収した理由は当時も言いましたが、アメリカにおける言論の自由を守ること、そして法律が許す範囲世界の他の地域でもこれを維持することが重要だと考えたからです。

私はTwitterを買収することが人類未来にとって重要生産的な一歩になると感じました。

そして実際には非常に苦痛を伴う難しい決断でしたが、それでもなおやるべきことだったと考えています

Tiktokに同じ論理が当てはまるかどうかは分かりません。

そのため私はTiktokの買収に強い関心を持っているわけではありません。

私は経済的理由だけで企業を買収することはありませんし、経済的理由を除いてTiktokを買収する目的が何なのかはっきりとは分かりません。

10.右派左派の再定義とその誤解

一般的にこうした政治的な動きは前向きなものだと考えています

しか右派とは何か、左派とは何かという定義時代と共に変化してきました。

例えば常識的移民政策や適切な政府支出といった政策はかつては左派の人々も支持していましたし、中道的な政府も当然のように支持していました。

しか現在メディアではかつて中道中道左派とみなされていた政策極右として定義されるようになっています

これは明らかに馬鹿たことであり事実とは異なります

本来極右とは極端なファシズム的な状況、例えば戦争を仕掛けたりジェノサイドを企てたりするような政権を指すべき言葉です。

しかし今では常識的移民政策を指示するだけで極右と呼ばれてしまう状況になっています

実際過去10から15年前の中道左派政治家のスピーチを聞けば現在極右とみなされている意見とほぼ同じ内容を語っています

例えばオバマ大統領ヒラリー・クリントン10から15年前に行った移民政策に関するスピーチを見れば現在トランプ大統領とほぼ同じ内容になっていることが分かります

それほど昔の話ではありません。

まり私たちが目にしているのは右派左派の再定義ですが、それは誤った定義です。

率直に言ってそれは単なるプロパガンダに過ぎません。

なぜなら人々は、一般的極右=悪いものと考える傾向があるため、常識的なことまで極右とラベル付けされてしまうのです。

これは馬鹿げています

私はアルゼンチンミレイ大統領の大ファンです。

彼は素晴らしい仕事をしています

その結果は明らかです。

アルゼンチン前例のない経済成長を遂げています

彼はようやくインフレを抑え込み政府の規模を劇的に縮小しました。

政府の規模を縮小することは非常に重要です。

なぜなら公的セクターの低生産性あるいはマイナス生産性の職から人々を高生産性の民間セクターに移す必要があるからです。

経済的改善根本的に起こるのはこうした人材の再配置が実現した時です。

マイナス生産性の仕事から生産性の仕事へと人々が移動すれば罪やサービス生産量が増え生活水準が向上します。

ここで誤解しがちなのは人々がお金現実のものと思い込んでいることです。

しかお金現実のものではありません。

本当に重要なのは財やサービス生産量です。

お金はそれを表す単なる指標に過ぎません。

さてワークイズムについて定義を明確にしましょう。

注:Workism「生き方としての仕事主義労働倫理への過剰なまでの傾倒を表す用語

もしこれが性別人種に基づく差別という意味で使われるのであれば、それは明らかに間違っています

DEIは単に差別を別の形に置き換えたものにすぎません。

私は人種差別性差別には誰に対しても反対です。

それが白人に向けられようと黒人に向けられようとアジア人に向けられようと誰に対しても同じことです。

私たちはどんな形の差別承認すべきではありません。

しかしDEIやワークイズムは基本的差別を推進しているのです。

それは間違っています

さらにそれらは反メリトクラシーでもあります

私の考えでは私たちはメリとクラティックな実力主義的な社会を築くべきです。

人々は能力努力によって成功すべきです。

それ以外の私的基準によって成功が決まるべきではありません。

私たちには実力主義社会必要です。

そして言論の自由必要です。

言論の自由意味を持つのは、あなたが嫌いな人があなたが嫌いなことを言う権利を持っている時だけです。

それこそが本当の言論の自由です。

政府が何が誤情報で何が誤情報でないかを決定するべきではありません。

なぜならそこに政治的なバイアスがかかるからです。

実際のところそれによって言論の自由は抑圧されてしまます

からこそ私はワークイズムは邪悪思想だと考えています

なぜならそれは人種差別的であり性差別的であり反言論の自由的だからです。

11.人口減少の問題

これは非常に基本的な話ですが、がもし人々が子供を生まなくなれば人類は存続できません。

そしてここ何年も世界のほぼ全ての地域で出率の低下が続いています

例えばインドですら、最近出生率人口維持水準を下回りました。

よく移民で補えばいいという人はいますが、一体どこから移民を受け入れるつもりなのでしょうか。

例えば中国出生率現在人口維持水準の半分程度でおそらく60%前後にまで落ち込んでいます

まりこの世代で約6億人が失われることになります

ではその6億人分の移民をどこから確保するのでしょうか?

これはほぼアメリカ2つ分の人口中国移住する必要があることを意味します。

そんなことは不可能です。

韓国の状況はさらに深刻です。

韓国出生率現在人口維持の水準を大幅に下回る1.3であり、このままの傾向が続けば3世代後には韓国人口現在の3%から4%にまで減少します。

まり韓国という国自体消滅してしまうということです。

私は全ての文化にはそれぞれ素晴らしい面があると考えています

文化が消えるのは望ましくありません。

フランス文化韓国文化日本文化アメリカ文化もどの国の文化も失われるべきではありません。

からこそ私は世界中が均一化することに対して慎重であるべきだと考えています

もし極端なグローバル化が進めば世界中ののどの地域も同じようになってしま独自文化が消えてしまます

それは世界をつまらなくするだけではなく文明にとっても良くないことです。

私たちは国ごとの文化を守るべきです。

それこそがより良い未来につながると私は考えています

そしておそらく多くの人がこの意見賛同するでしょう。

しか現在の低出生率多文化主義グローバリズムの影響により、私たちは実際には個々の文化希薄化と文化破壊消滅をまのあたりにしています

これは未来にとって非常に悲惨なことだと思います

私は今が重大な転換点にあると考えています

したがって私はヨーロッパにおいて急進的な変革を推奨します。

具体的には出生率を大幅に向上させるための抜本的な対策必要です。

これには非常に大胆なインセンティブが求められるかもしれません。

またヨーロッパ合理的移民政策を持つべきです。

まり移民は適切に審査された上で受け入れられるべきであり犯罪を犯したものは即座に国外追放されるべきです。

そうでなければヨーロッパ崩壊を招くことになります

さらに大規模な規制緩和に向けた本格的な取り組みが必要です。

不要法律規制撤廃しなければなりません。

そうしなければ動脈硬化のように規制が積み重なり最終的には何をするにも違法になるような状況に陥ります

現在ヨーロッパではまさにそれが起こりつつあります

したがって私は次の3つの改革を即座にかつ劇的に進めることを推奨します。

規制緩和

言論の自由の確保

合理的移民政策出生率の向上

これらの改革が実現すればヨーロッパには明るい未来があるでしょう。

しかしもしこれらが実行されなければヨーロッパは衰退し最終的には失敗することになるでしょう。

若者って、年収300万から400万になるために頑張ろうという気持ちは持つのだろうか

最近の若者仕事を頑張る気はないらしい

おじさんとしては、その情熱時間をどこで使うんだろうかと疑問に感じてしまうが

とにかく頑張る気はないらしい

 

まあ、額面年収が上がっても税金やばすぎて手取りが増えないから、額面年収上げるために頑張っても馬鹿みたい、というならわかる

また、今の若者そもそも欲しいものがない、女も子供も家も車も別に欲しいと思わない、生きていくのにさほど金は必要ない、というのもぎりわかる

 

でも例えば、仕事はさほどきつくなくて定時で帰れるけど年収300万っていう仕事があったとして

そこから毎日2時間残業をしたりノルマをこなしたりすれば年収400万になれるよって言ったら頑張るのだろうか

正直今の世の中では年収300万で暮らせないことはないがかなりカツカツだろう

食事に困ることはないが好きなものは食べられない、服に困ることもないが好きな服は着れない

そこから抜け出すために頑張る気はあるのだろうか

それとも、転職で「仕事はさほどきつくなくて定時で帰れるし年収400万」という職場に移るのだろうか

転職で移れるまでは頑張る気はないのだろうか

 

俺は今の若者は結局「怠け者」、というかただのエネルギーの低い人間しか思えない

口開いてパクパクするだけで餌が勝手に入ってくる人生だったから、成人してもそういう生き方しかできないんだろうなと見ている

なんなら口をパクパクすることが『努力』だと思ってるのかもな

2025-02-12

地方ではできないこと

東京文化がどうとか言う話

文化を作って発信することは地方でもできる、むしろ東京より層が薄いから「地方のすごい人」にはなりやす

好きな文化にふれたり消費することは地方でもわりとできる

おしゃれな店なんてどこの地域にもあるし、ライブなんかは箱が小さいか演者との距離がむやみに近かったりする

イベントだって東京には何でもあるが、普通の人にとってイベントなんて年に数回の話だし、何でもあったとしても、そのすべてを見ることなんてできないのはどこに住んでても一緒だよ

消費するにも個人キャパティはあって、普通の人が普通に暮らす分には十分な供給はあると思う。

じゃあ、地方ではできないことって何かというと、文化を大量消費して、さらに大量消費すること自体コンテンツとして発信したり商売したりすることだと思う

週末ごとにイベントに行き、オタク同士で馴れ合ったり、レポートを書いて小銭と承認欲求を得るとかそういうやつ。

要は、有名オタクになる、オタク活動ライフワークにするのが地方では難しい。

他人コンテンツをじゃぶじゃぶ消費して、消費すること自体で何者かになったような気持ちになるのは地方では無理」ということなのだが、

そういうのをオブラートに被せたのが「美術館がー映画館がー」って話なんだと思う。

それを真面目に捉えて、「いや地方だって美術館とか映画館はあるし、どうしても見たければ最寄りの都会に行くからそんな困らないじゃん、年間何回行くのさ」ってマジレスすると話が噛み合わない。

彼らは、映画が見たいわけでも芸術作品が見たいわけでもなく「映画館美術館に毎週のように通ってる自分」になりたいんだよ。

できればそのキャラ付け世間認知されたい。で、それをするのは地方では無理。

地方でそういうキャラ付けするとしたら「県内温泉施設全部巡っててむっちゃ詳しい」とか、「毎晩近場の飲み屋街で飲み歩いてて、街のことなら何でも知ってる」みたいな感じなら十分承認欲求満たせるポジション取れるのだが

映画見てるだけ、美術館歩いてるだけに比べるとはるかコストかかるし、自分で調べないといけないことが多すぎるから誰でもができるわけではない、そういうこと。

追記

あと、「東京のなにかに所属する、界隈にいる」のは地方ではむずかしい

東京のなにかを呼んだりコラボしたりって関わり方は地方でもできるけど、何もせずに所属欲だけ満たすのは地方だとできない。

クラブイベントロビーのとこで同業者と群れてる連中とかああいうのは地方では成立しづらい。

結局、自分個人で強キャラ場合地方に行くとむしろ無双できるから「これから地方だ」って言うのはだいたい強キャラ

ワンチャンおこぼれ狙い的な生き方東京しかできないので弱キャラ東京から出ないほうが良い、そういう身も蓋もない感じ。

2025-02-11

anond:20250211104034

でも東京に来たら上流階級目指さないと地方の人より悲惨生活を送ることになるから

東京中間層なんて日本で一番損な生き方から東京来たならとにかく上を目指すしかない

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy