はてなキーワード: 絵描きとは
ガンダムの最新作『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』で、星街すいせいが主題歌を担当したと知ったとき、ついにVTuber文化も市民権を得たのだと感慨深くなった。ネット発の歌姫Vが、あの「ガンダム」の世界で歌う時代が来るなんて、数年前には想像もしなかったことだ。
それが、どうだ。
そんな希望が見えた矢先に、とんでもないニュースが飛び込んできた。
同事務所所属の黒神ミオと姫森ルーナの「パパ」(キャラクターデザインを担当したイラストレーター)が、SNS上でとんでもない行動に出たのだ。
AIイラスト使用疑惑のある絵描き(ただし証拠なし)へのバッシングを拡散したのだ。
くだんの絵描きは誹謗中傷や殺害予告に見舞われ、恐怖を感じたのだろう。正直、言葉を失った。
インターネット絵描き社会では、「疑わしきは被告人の利益に」「10人の犯人を逃しても1人の無辜を作ることなかれ」といった現在法治主義の精神が定着していないようだった。
キャラクターデザインを担当するイラストレーター(通称「パパ」「ママ」)は、言ってみればそのタレントの"生みの親"とも言える存在だ。彼らの個性やセンスがなければ、今のようなVTuberブームはあり得なかった。しかし、今回の件で明らかになったのは、その「生みの親」がネットで信じがたい、とうてい現代日本では正義とは認められない行為をしていたという事実だ。
どんなに表面的に大きな舞台で活躍できるようになっても、それを支えるクリエイターの精神性が幼稚なままでは、文化は根本的に成熟しない。
今回の騒動を見て、「ああ、やっぱりVTuber界隈はまだまだ未熟なのか」「ステークホルダがこれでは、とうてい誇れる文化にはなれないな」と落胆してしまった。
企業としてガバナンスは機能しているのか? 星街すいせいのように、業界の壁を超えて活躍するタレントがいる一方で、こうしたトラブルが絶えないのは、組織としての管理能力に問題があるとしか思えない。
今回の一件はタレントのスキャンダルではない。タレントの生みの親、関係者の愚行だ。
タレントの生みの親がこういった問題を起こすことで、ホロライブのブランド価値が損なわれるのは痛すぎる。
ぶっちゃけ、黒神ミオと姫森ルーナの「パパ」は、この業界にとってリスクだと思っている。
文化を成熟させるどころか、自らの行いで足を引っ張る存在になってしまっている。ホロライブは、これをどう処理するのか? もし運営がダンマリを決め込むのなら、それこそ「もうダメだな」と言わざるを得ない。
ホロライブは、VTuber文化の象徴ともいえる存在だ。最大手事務所だ。運営のCover社は上場企業だ。
AI絵を自分が描いた絵の様に振る舞って炎上というのは最近も起きてるし、
AIトレースは所詮ポーズ・せいぜい衣装のトレースであって、画風のトレースではないよね。
もちろんAI絵が下地だから破綻してたり、元ネタと乖離しているデザインになってたりはする。
けど、それは描いた本人の技量と気づき力不足な訳であって、トレース自体に悪い点はあんま感じないんだよなぁ・・・・。
例えば元々手書きの絵を重ねてトレースする事をトレパクというが、確かにそれは構図やバランスを含めてその絵師の技術を
窃取しているといえばいえるし、炎上するのもわかる。
が、AI絵のポーズやらなんやらは誰かの著作物なんだろうか。誰かの技術のパクりなんだろうか。
自分も絵描きを趣味でしているが、さしてその辺についてはあまり悪い感情は持っていない。
AIとかデジタル化のクソさについてただ話したい。今回はパーソナライズの件について。
毎年、「20XX年のトレンド」のようなクライアント向けの紹介資料(チラシのようなもの)を見て大体毎年あるワードが「パーソナライゼーション」。はっきり言ってこんなものを追求する社会にうんざりしている。自分だけがうんざりすればいいけど、個人にも影響が及ぶし、なんだかんだ自分もその波から抜け出せないというジレンマもあって自己否定にもなるけど書いておきたい。
パーソナライゼーション、ていろいろあると思うがわかりやすいのはnetflixだろうか。netflixは昔はマジのDVDレンタル屋だった(皆知ってるかな)。GEOとかTSUTAYAみたいな感じで、あそこは郵送レンタル屋だったわけだが、早くも映像配信サービスを始めた(2010年より前だったと思う)。データを集めて、顧客の趣味・趣向に合うレコメンド(推薦)システムで付加価値をつけて会員を増やし続けあれだけの企業になった。
自分もnetflixを見るし、色々感動したドラマもあってそこは素直に感謝だがnetflixがない世界線だったらな、と思うこともある。あれだけ上手くレコメンドされるとつい見てしまうし、見放題だから時間があると「とりあえずnetflix見るか」とか言って時間を潰す。昔、家族でドラマを定刻に集まって見てた光景は今後一生ないだろう。日本のドラマは今はつまらな過ぎてそもそも見る価値がないし、海外ドラマはストリーミングサービスで見ることになる。過度に個人に最適化されると、人はそこにハマって抜け出せないんだよね。
悪いところはあげればキリはないが、レコメンドは「自分で探す能力」を奪う。能動的ではなく受動的になるのだが、それだけじゃない。人と交流する機会、共感、"狭い"ネットワークを破壊さえするものとさえ思う。
昔だったら「これ買ったけど美味しくなかった」「実は知られてないけどこれが良い」とか、今と違ってモノの絶対量が少ない環境・制約の中で楽しもうとする雰囲気があり、仲間内でそれを楽しんで共感した(まあ僕が中高生の時の話)。そしてそれが人と人を結びつけた。現代は、確かに広くさまざまなことが知れ渡るようになり”広い”ネットワークは構築されて良い側面もある(数あるお店から探すのを失敗しづらいとか、欲しいものがすぐ見つかるとか、ブラック職場・ホワイト職場はどこかとか)。しかし狭いネットワーク=近隣の人との交流、友達との交流、職場の人との交流、は無くなった。それは共感するものがやはり減ったからではないか。それを周囲の人と話す時間が減ったからではないか。人間としての最低生活ラインではなく、趣味・趣向という領域の話をしている。個人にパーソナライズされることが当たり前になり、個人完結してしまって他人と共有する話題がないのだと思う。あっても、他人はパーソナライズされて既に別のことに関心が向いてしまっている。これが人々の断絶を起こしている。
はっきり言って、パーソナライズした広告、製品て確かに個人にフィットして売り上げもよくなるし物質的豊かさで一見幸せを感じるかもしれない。皆、「そうは言っても自分で最後は選択してる!」と思うかもしれないがそんなの最後の1クリック程度だ。そこに至る思考プロセスの大部分は実は機械がやってくれてるんだわ。見えてないからそこが認識できてないだけ。
実は現代人の方が思考プロセスは落ちていく運命にあるのではとさえ思う。最近またOpenAIからDeepResearchとか言うのも出たし。これについてそのうち書きたいが今日はまだ。
こんなのトータルで見てどちらが幸せな社会なんだろうか。自分で探し当てる方が楽しくないか?
そしてそれで他人と共有できることがよくないか?反対に、みんなが楽しい・良いと思うものを提示されてそれを楽しむ、そんな社会が今であり心底うんざりする。受動的だから自分で考えることがなく楽なので、自分も享受してしまう。だけど探し当てる喜びとか、それを材料に友達と交流するとか、皆無ではないがおそらく昔の人はもっとそういうことを楽しんでいたんじゃないかと思う。
何度も言うが、それがnetflixだったりyoutube, 個人向けに過度に最適化された商品、こう言うものが周囲との断絶を生む。こんな社会で本当につまらないと思う。儲かるのはほんの一握りのネット企業、IT企業。その富の源泉はみんなの思考力(を奪って結果的に金に変える)、そしてリアルな人の接点だ。みんなの意識は機会の提示項目に常に奪われ、自然とそこにお金が落とされている。
私個人がこれを言ったところで世界は行くところまで行くと思う。100年後ぐらいにほんの一部の大富豪を除いて人類が皆廃人になった時にこのポストを見て振り返ってくれたらと思う。他にも言いたいことがあった気がするが、ちょっと忘れたので一旦ここで終えようと思う。読んでくれてありがとうございました。
見てる人はそんないないと思うが、今度は
表題の通りの内容です。
同人BL字書きです。今まで幾ジャンルかで字書きとして活動させて頂きました。ありがたいことに、字書きの中ではかなり読んで頂けている方の部類だと思います。
かなり読んで頂けるので、小説をあげる度に沢山の反応をもらい、沢山の感想やDMをもらいました。
界隈を移るたびに名前を変えアカウントを作り直していますが、毎回様々な感想を頂けます。「神」という称号(?)も幾度も頂きました。
そうした同人活動の中で、表題の通り、嬉しかった感想を挙げようと思います。嬉しかった感想があるということは、相対的に、しんどかった感想もあります。時間を割いて感想を送って頂いているにも関わらず、傲慢な意見となってしまうのですが、感想が負担となったことも幾度もあります。
以下はあくまで一字書きの意見ですが、もしお読みくださる方がいるなら、そうして大好きな創作者様に感想を送るか悩んでいるなら、参考にしていただけるととても嬉しいです。
これ、めちゃくちゃ嬉しいです。内容以前に、誰かに感想を書いていただけるほどの感情を渡すことが出来たのだなと実感します。
私自身も好きな字書き様相手に感想を書くことが多々あるのですが、やっぱり感想を書く時って本当にその人の作品に「うわ〜〜〜!!!!」ってなって叫び出したくなって転がり回りたくなって感極まって書かずにはいられない!という状態で書いています。なので、私の小説でそうなって貰えてることを実感できるようでとてもニヤニヤしてしまいます。
2:コメントの連投
支部もXも、文字数制限がありますよね。140文字って、煮えたぎった感想を伝えるにはとても短すぎると私も常々思っております。
そんな中、最早字数の制限を超えて二、三続けて送っていただける感想。とてもありがたいです。一枠に収まらなかったという興奮がダイレクトに伝わって来ます。文字数におさめようと滅茶苦茶推敲され洗練されて「最早140文字で私の小説を超えていないか……?」と思う感想を読むのも勿論好きですが、脳直で送られてきた感想だってとても嬉しいものです。いつもありがとうございます。
140文字じゃ収まらないと思う方、連投していいと思います。私だったら小躍りで喜びます。
3:DM
これは本当に危うさを孕むのですが、基本的には嬉しいです。危うさについては後述します。
コメントの連投の進化形で、とっても長く感想を書いてくださる方、本当に頭が上がりません。DMって送るのにとても労力が要ると私は思っております。なので、そうまでして感想を送って頂けたことにまず感動します。
嬉しかったDMは、頂いてから何ヶ月経っても何度も読み返します。落ち込んだ時の栄養剤にすらして要るかもしれません。また書こうと思えます。
「(私が書いた小説の一部分)という描写が好きです」という文章、誠にありがとうございます。そこが気合を入れた一文であればなおさら嬉しいです。褒めていただける文章は、大抵私がめちゃくちゃ考えたかめちゃくちゃ楽しみながら書いた描写が多いので、それが読んでいただける方にも伝わって良かったー!と思います。
これを送ってくれる方が沢山いると、人によって刺さった描写って全然違うのだなと実感します。自分が殆ど無意識で書いた文章を引用いただくこともあり、新しい観点を頂けたりもします。ともかく、読んで頂けているのだということがわかってとても嬉しいです。
私もそうなりがちですが、限られた文字数の中での感想は「めちゃくちゃ理想の推しカプでした」「XXさんの文が好きです」「XXさんの書かれる推しが最高です」系が圧倒的に多いです。
そんな中でも、今までもらって嬉しかったな、印象に残っているなと思ったものを書き連ねてみました。あくまで主観ですが、書き起こしていて自分でも楽しかったです。嬉しかった感想、何度読み返しても嬉しい。
好きな作者様のためにも、積極的に感想は送っていきたいものです。感想って、本当に大きな力を持っています。送るか送らないか迷ったら、ぜひ送ってください。そういうものだと私は思っています。
以下は蛇足です。上述以上に主観的で、傲慢な意見です。あくまで、こう考えてしまう字書きもいるという一例です。
上述した中でDMが危うさを孕むと書いたのですが、それは、以下のような感想は大体DMにて頂くからです。
これはとても悩みます。自分の小説のシーンを大好きな絵師様に書いてもらうといえば、字書きの憧れ。基本的に承諾しております。
ここに書くのは、そういった類のものではなく、「原作がある上での私の二次創作の設定」を借りて書いても良いですか?或いは、書いたので読んでください、というものです。
同じ界隈にいる字書きが他の字書きの設定を借りる、三次創作をすることはかなりリスキーだと思います。字書きは絵描きよりも圧倒的にその人の字柄(絵柄に対する造語です)が見えづらいです。どんなに大好きな字書き様でも、作者名を伏せられて作品だけ出されたら、その人だと断言するのはかなり難しいと思います。あとは、それによって「私」という派閥を作ってしまう恐れもあります。同人界でひとりの字書きが派閥を持ってしまうことも、そのジャンルにとっては良くないことだと思います。
作者に送るだけであれば問題ないと思います。ですが三次創作を支部等の誰でも見えるプラットフォームに上げることは、たとえクレジット有だったとしても基本的に私はお断りしています。
2:「小説を書いたので感想をいただきたいです」「アドバイスを頂きたいです」
感想に関するブログを書いておいて恐縮ですが、感想はどなたかに強要するものではございません。また、素人ですので適切なアドバイスは出来ません。しかるべき機関?やサイトの方がよほど参考になると思います。
3:「あなたの解釈が私の書きたい全てで、越えられないと思います」
大丈夫です。オタクたるもの、好きなシチュエーションは何度だって読みたいです。筆を折らないでください。本当に。私が泣きます。
4:私が書いた感想に対する返信が半分以上私を崇めている
これは人によるかもしれません。そうして感想ではないので主題とは少し離れていますが、こう思う人もいるのだというのを知って欲しいので、書きます。
私は感想を書くときはいつも緊張して決死の思いで書いておりますが、それに対する返信が「XXさんに感想頂けるなんて思っていませんでした!XXさんの小説が本当に好きです。XXさんに読んで頂けるようにこれからも邁進します。本当に嬉しい!」で埋め尽くされていると、とても嬉しく、また複雑な感情になります。私も一読者なので、感想は煮えたぎった溢れる想いを抑えきれずに書き込んでいます。凄く傲慢な言い方をしますが、決して、「私が読んで感想を送ったという称号」を個別に渡すために書いていませんし、「私に評価されることを実績の一つに思う」というご負担をかけたくもありません。
しかしこの返信を書いてくださる方の大半に悪気はなく、また私も一読者ゆえに書いてしまう気持ちも重々わかります。私も神と崇める創作者からメッセージが来たら「え!??!?!?!」となります。
感想には感謝のみを返信して、別途神が小説を上げたとき、個別にDM等で「この前は私の作品に感想をいただきありがとうございました」とフラットに書くのが良いのかもしれません。これは良い対処法があったら誰か教えてください。
同人歴がそこそこ長いので嬉しかったことも嫌だったこともまだまだ沢山あるのですが、冗長すぎるので切ります。
数多のオタクの例に漏れず私はX(旧twitter)が好きですが、作品を上げている支部等にはリンクは載せず、ごく一部の人と話すだけの鍵垢にとどめています。
それは私という個人にフォローされている・されていない、感想を貰っている・貰っていない、些細な呟きの解釈が一致している・していないに起因するトラブルが複数あったためです。
烏滸がましくてすみません。そもそも誰にも読まれないブログかもしれませんが、もし読んでいただければ、こんな人間もいるのだとお思いください。
クリエイターとお仕事しないから知ってる人に聞きたいけどこれって絵描きに関わらずクリエイター領域で仕事してる人みんな同じじゃないの?
例えば3DCGとかの領域だと学習までの過程で社会性のない人はふるい落とされて仕事を受注できないとかだから厳選されるけど絵描きは紙とペンで研鑽できるからカスの生き残りが多い的な話で本当に絵描きだけカスが多いの?