はてなキーワード: 広告とは
あの空間って個人が使う場合当たり障りなく呟いて、マッチした相手ともっとクローズな場面で交流するって感じの仲間探しの最初の段階をする以外は男も女も右も左も限界人間がギャーギャー言ってる肥溜めになったよね
私女だけど、女は男の為に存在するオナホなんだから一人で飯食ってもエロくてクネクネしてる生き物なのよ
それを今時の生意気なバカ女に分からせるために広告で流してるわけよ、男様のやることに文句言うなんて生意気なバカ女め!許さない!犯して山に捨ててやる!
転換点はアツギのアレ
職場でのセクハラや一人暮らしの女を狙った盗撮などの性加害が跋扈する中、オタク向けコンテンツではない普通の広告で仕事中や一人暮らしの女の日常生活をエロく描くのを押し付けてくるから、二次元エロに寛容な女にも批判されるようになった
「電脳フィルター」が実用化されてから、世界はより快適になった。
人々の視界には、それぞれの思想や嗜好に合わせた映像が映し出される。
過激な表現が嫌いな者はそれを除外し、理想の世界をその目に映すことができるのだ。
社会全体の争いを減らし、精神的安定をもたらす技術として歓迎され、多くの人々がこぞって導入した。
カナもその一人だった。彼女はフェミニストとして活動し、ジェンダー平等を推し進めることを生涯の使命としていた。
電脳フィルターの機能の一つ、「ジェンダーバイアス修正モード」をオンにしたことで、彼女の視界からは性差別的な表現がすべて削除されるようになった。
女性の身体を過度に露出させた広告も、男性中心の権威的な映像も、すべてが適切な形に修正される。
街を歩くと、彼女の目に映るのは洗練されたデザインのポスターだけだった。
コンビニの雑誌コーナーに並ぶグラビア誌も、政治家の発言を伝えるニュースも、すべてのコンテンツが公平で中立な形に変換されている。
街角の電子看板に映し出されたCMを見たときのことだった。そこには、彼女がよく知るブランドの新作スーツが映っていた。
モデルは、確かに女性だったはずだ。だが、彼女の目には、男女の区別がつかない曖昧な人物が映っていたのだ。
「おかしい……」
フィルターが適用されすぎて、女性らしさも男性らしさも薄められてしまったのかもしれない。
気になって電脳フィルターの設定を確認しようとした。しかし、エラーが表示され、設定画面にアクセスできなかった。
彼女はさらに周囲を見渡した。店員、通行人、ポスターに映る人物——どれも性差のない、均一化された存在へと変わっていた。
声すらも、どこか人工的で、抑揚のないものに聞こえる。
まるで、この世界に「女性」も「男性」も存在しなくなってしまったかのようだった。
恐怖を覚えたカナは、急いで自宅に戻り、電脳フィルターをオフにしようとした。
しかし、解除ボタンはすでに消え去っていた。画面には、ただ一言、表示されている。
さっきYouTube見てたら流れてきたマットレスの広告で、「スリパ(スリープパフォーマンス)」ってワードが出てきたんだけど、なんか引っかかった。
「タイパ」「コスパ」みたいなノリで、「忙しくても8時間寝たみたいなスッキリ感を!」って言ってたけど、いや、ちゃんと8時間寝たほうがよくない?って思っちゃった。
マットレスの広告なのに、睡眠時間を削る方向を推すのってなんか変だなって。まぁ、たまたま見ただけなんだけど、地味にモヤッとした。
やっぱり演技がいいのか?
キャラが好かれてるのか?
歳を取ってても綺麗だからか?
謎だよ
CMも色々出てるし
SK-IIも出てるし
何者なんだ綾瀬はるか
綾瀬はるかは、日本のエンターテインメント業界において長年にわたり高い人気を誇る女優の一人である。彼女は1985年生まれであり、間もなく40歳を迎えるが、その人気は衰えるどころかますます確固たるものとなっている。この現象は、単にルックスの美しさや演技力だけでは説明しきれない。彼女の持つ独特の魅力や業界内での立ち位置、そして時代の流れとの関係性を考察することで、その理由を明らかにしていく。
まず、綾瀬はるかの最大の魅力の一つは「親しみやすさ」と「透明感」である。彼女はデビュー当初から清純派女優としてのイメージを確立しつつも、バラエティ番組などで見せる天然でユーモラスなキャラクターが視聴者に強く支持されてきた。一般的に、美しすぎる女優はどこか近寄りがたい雰囲気を持ちやすいが、綾瀬はるかの場合はその逆である。美しさと親しみやすさを両立させる稀有な存在であり、幅広い層からの支持を得ている。
次に、彼女の演技力と役柄の幅広さも人気の要因である。デビュー当初はラブコメのヒロイン役が多かったが、その後、時代劇やシリアスなドラマ、アクション作品にも果敢に挑戦し、確実にキャリアの幅を広げてきた。特に、映画『ICHI』やドラマ『JIN-仁-』などではシリアスな役を演じ、演技派女優としての評価を確立した。単なる「美人女優」にとどまらず、確かな演技力を持つことで長期的な人気を維持できているのである。
また、広告業界においても彼女の価値は非常に高い。綾瀬はるかは多くの企業のCMに起用されており、特に食品・飲料・化粧品などの分野で圧倒的な存在感を放っている。彼女がCMに出演することで、その商品に「信頼感」や「安心感」が生まれ、消費者の購買意欲を刺激する。そのため、企業側も彼女を積極的に起用し、結果として彼女の露出が増え、人気の維持につながっている。
さらに、時代の変化も綾瀬はるかの人気を支える要因の一つである。現在の日本の芸能界では、SNSの発展によりスキャンダルが即座に拡散されやすくなっている。しかし、彼女は長年にわたり大きなスキャンダルがほとんどなく、清廉なイメージを保ち続けている。そのため、視聴者や企業からの信頼も厚く、安心して応援できる存在となっている。
最後に、40歳を迎えようとしている現在でも、その美貌と健康的なライフスタイルが維持されている点も人気の理由として挙げられる。年齢を重ねても若々しく、かつ自然体でいることが、特に女性層からの支持につながっている。また、ドラマや映画での活躍も続いており、単なる「若さ」ではなく「実力」で評価される女優へと進化していることも、彼女の人気が衰えない理由の一つである。
以上の点から、綾瀬はるかの人気の秘密は単なるルックスや年齢にあるのではなく、親しみやすさ、演技力、広告価値、スキャンダルの少なさ、時代の変化への適応力など、複数の要因が複雑に絡み合っていることがわかる。彼女の人気は偶然ではなく、長年の努力とブランディングの結果であり、今後もその地位を保ち続ける可能性が高いと考えられる。
かつて、フェミニズムは「男女差別の撤廃」という明確でシンプルな目標を掲げ、多くの人々に支持されていた。
このような主張は、多くの人々が納得した。今でも出産格差などの話は賛同が多いしね。
次第にフェミニズムは「ジェンダーフリー」という概念へと移行し、その方向性が変わり始めた。
性別の固定観念をなくそうとする考え方自体は理解されるものの、活動の主体が「批判」へとシフトし、対立を生む運動へと変貌してしまった。批判活動が自己目的化し、本来の目的を見失ったことが、フェミニズムにとって致命的な転換点だったのかもしれない。
さらに、社会的影響力のある表現への批判が、次第に「個人的な不快感を理由にした排除」へと変化した。例えば、アニメや広告における「キラキラした女性像」ばかりが標的とされ、批判の対象が「攻撃しやすいもの」に偏っていった。
もちろん、男性の理想像を女性に強制することは問題である。しかし、本来批判されるべきは「女性に強制」の部分であり、「男性が好む女性像」そのものではない。
しかし、フェミニズムの一部はその違いを曖昧にし、「男性が好きな女性像ならば攻撃してもよい」という誤った認識を持つようになった。
さらにフェミニズムは「LGBT」問題と絡み始め、複雑化の一途をたどった。
その結果、多くの人々の間で「LGBT議論は難しすぎる」という認識が広まり、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)への不信感も増大した。
「言いたいことは分かるが、それが本当に解決策なのか?」という疑問が浮上し、フェミニズム全体に対する嫌悪感を招く要因となった。
アメリカでは政権交代とともに、極端なポリコレを掲げる勢力が否定される傾向が強まった。
しかし、その流れを読めず、「男性が好きな女性像ならば叩いてよい」という姿勢を続けてしまったのが「赤いきつね」である。
世論は厳しかった。「そんな女性はいない」という主張をしたところで、それが社会にとって何の問題なのか理解されなかった。
感覚的に"キモイ"ということが共感出来ても、それ自体を問題視するかは全く別なのである。むしろ、特定の表現を排除することが本当に正しいのかという疑問にしか繋がってない。
問題は「固定観念を強化するほどの影響力があるか」を見極める視点が欠如していることだ。
その視点に立てば、「男性が残業しなければならない」という固定概念や、「ネット広告の影響力の実際」といった、より建設的な議論ができたはずだ。
大丈夫、今回ので、みんな気付いちゃったよ?
おじさんにもかつてはそういう人がたくさんいたけど
異性や若者についてわかったような口きく男は激減した
なのにおばさんはいまだにそれをやってる
フェミ放火に失敗したことで戦線巻き直しを図ってる事後孔明おばさんたちが
そろって「広告として失敗だった」とか「男性は現実的だが女性は」とか
まるで男のことはわかってるみたいな口ぶりだけど、あんなの男だって全然リアルじゃない
単におばさんが若い女のことはわがことと感じて(違うのにねもう)解像度が高くて
これってしばきが足りないんだと思う
おじさんがわかったぐらいにおばさんもしばいておとなしくさせないとだめなんだ
それだけのことだよ
noteで性的以外の部分で嫌悪感があるというのを読んで、つまりは「あざといぶりっ子な記号的表現が嫌い」なんじゃないかと思った。
その気持ちは分からんでもない。私はあざといイケメンの方が苦手だけども。
件のnoteは最後に「どん兵衛食べるわ」みたいな文で締めてたが、私はどん兵衛の狐の方があざといと思う。
絵はまだフィクション要素が強くてもスルーできるけど、演技とはいえ実写になるとフィクションがリアルに近づいてあざとさが鼻につく。
このあたりはアニメとドラマのどっちがよりフィクションとして捉えられるかの感覚の差なんだろう。
媚びたのを見て不快になる気持ちはまあ分かる。私も嫌いなあざとい表現はある。そういう広告を出すなとは思わないけど。
それにしても、男性版は書類の近くで汁もの食べちゃうところが写実的描写と書いてあったが、ドジっ子属性で同じようなあざとい記号的表現と思う。
同性の(正直同じ女から見て歪んでると感じたけど)解像度は高くても、異性の解像度は低いからそういう記号的な表現に気づけないのかな。
国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長
批判を強めるために国連ロンダリングまでしたのが治部れんげと白河桃子
●治部れんげさんの指摘掲載
4/15 ハフポストに「国際女性機関が『月曜日のたわわ』に抗議」の記事掲載
●治部れんげさんはUN Womenのアンステレオタイプアライアンス アドバイザー4人の内の1人
内容は同じ
治部れんげ
笛美
など
同じ内容で同じ集団が狙って炎上させて注目を集める商法にまんまと釣られてるやん
Youtubeのロング広告で感覚がおかしくなってるのかもしれない
普通のCMは10~30秒間しかなく、そんな短時間では日常生活なんて描写せず、理想的な画面しか映しません
https://megalodon.jp/2025-0220-1233-48/https://anond.hatelabo.jp:443/20250220023731
claude3.5 son-net
"Photo for illustrative purposes only"
"Serving suggestion"
"Simulated image"
"Actual product may vary"
より具体的な注意書き
"Sample image"
性的消費は「広告やメディアが性的な要素を利用して視聴者を引きつける」だけでも意味は通じるので。
性的対象化は、他者を性欲充足の道具として扱うことである。性的モノ化、性的客体化、性的物象化ともいう。広義の「対象化」とは、他者をその個性や尊厳を無視して消費財や手段として扱うことである。
さらに言えば、モノ化理論だね。(モノ化についてはヌスバウムの論文でどうぞ)
「道具として扱う」行為。
性的な部分を「記号化」し、「記号化」した部分を人間に再転化して性的に見る行為かな。
女性(とは限らないけど)を記号化された「モノ」を備えた「道具」として見ることで、個としての人間性を無視し、性的な「道具」として扱うということ。
つまり、それは性的な部分を持つ女性を「消費される存在」に変えてしまう行為であり、
オタク文化に見られる性的な記号化の積み重ねは、女性を「消費される存在」へと促す構造を作り出すとも言える。
さらに男女差が加わることで「男性は消費する側」「女性は消費される存在」となり
例えば
バナナを食べる行為を性的に感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
性的に感じていなかった人に対しても、性的であるという認識を促し、女性も人前でバナナを咥えることに躊躇するようになる。とかね
例えば
白ニットを性的に感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
性的に感じていなかった人に対しても、性的であるという認識を促し、女性も白ニットを着ることに躊躇するようになる。とかね
これが消費する側とされる側の意識の差だろうね
男性で例えが思い浮かんだ
ハゲをかっこ悪いと感じる人がいたとして、それが記号化され、アニメや漫画などのコンテンツで大衆に配布され
かっこ悪いと感じていなかった人に対しても、かっこ悪いものという認識を促し、男性もハゲが恥ずかしいものと隠すようになる。とかね
ハゲを「モノ化」し、ハゲを持っている人を(例えばお笑いの)「道具」として消費するってことだね
この視点で見ると、
「傷つけない笑い」とは「消費しない笑い」だと言い換えられるし、
「性的に消費しない」とは、「傷つけない性欲」と言えるのかもしれない。
「傷つけない笑い」が容姿いじりなどの消費的な笑いの反省から生まれたことを考えると、
「傷つけない性欲」もまた、誰かを一方的に消費する性のあり方を見直す考え方として整理できる。
つまり「性的な部分を記号化し、消費すること」は「笑いのいじり」と同じく、社会的に問題視されるべき段階に入ったとも言える。
そう考えると「ネタ」によって傷つくことは多くの人が認めているわけで
「創作物には被害者がいない」が詭弁であることもわかってくるね。
まあこれも深く考え出すと長くなるので割愛。
ツイフェミが性的表現に怒っている、という話はぶっちゃけ重要ではなくて
「AI生成イラストの品質への違和感に、視覚認知とトータル感に優れ、健常者が多い傾向にある女性が主に気付いた」
箸が途中で消える、資料の上にカップ麺、リモコンに選曲、座椅子に座面がない、などよく見れば明らかにおかしな描写が目立つので
いや、広告は知らない人向けだと思うぞ
東洋水産の件で思ったのだが、題名にあるような炎上に関連した企業・広告代理店・アーティストの個展の前等でデモがほぼ起きていないのは実に不思議。
私の知る限り、2021年の小金井市とおちこぼれフルーツタルトのコラボに対するデモしか知らない。
広告や性的表現に関連しないネット上の批判・論争及び陰謀論に端を発したデモは、財務省解体デモ、島耕作の沖縄基地反対派描写への抗議デモやコロナワクチン反対デモなどがある。
しかし、広告や性的表現に関連した途端、ネット上ででの論争から現実世界でのデモに発展しない傾向がある。
上記の傾向があるから、批判者が企業・広告代理店・アーティストに舐められるのではないのか?。その上、「非実在型炎上」呼ばわりして、炎上を矮小化する動きも出てしまっている。
赤いきつね騒動について、私は「自分はそこまで気にならないけど嫌な人がいるのは分かる」くらいのスタンスだったのだが、周囲を見渡すと私が慕ってる人の中にも問題を全く理解してない人が結構いて、嫌気がさしてしまったので書き殴ります。
フェミとオタクを中心に不毛な言い争いが繰り広げられてる印象の強い問題だけど、多分君たちは敵じゃない。対立する場面はあったとしても、名前だけを見て殴りかかっちゃ駄目だ。個別の問題に目を向けてくれ。落ち着いて聞いてくれ。
まずフェミ(とネット上で呼ばれている人)およびフェミと名乗るほどではないが女性の性的消費にうんざりしている人たちが何故そんなに怒っているか。日頃アニメコンテンツに慣れ親しんでいる人ほど「あれが性的…?」と思ってしまうと思うけど、そういう人はまず「性的」という言葉の意味を捉え直す必要がある。
あの映像は「(女性だけが)過度に性的に表現されている」と批判されているわけだが、「性的」とは何も直接的なエロ表現のことだけではない。「性愛の対象として魅力的に感じること」、もう少し噛み砕いて言うと、「女の子を女の子らしく可愛く描くこと」も広く「性的」と言える。
女性の中には、この「女の子らしく可愛く」を求められることにうんざりしている人が結構いるのだ。
「私たちは都合のいい可愛い生き物じゃない。ちゃんと人間として見てくれ」と。
頬染め、耳かけ、潤んだ目、口元の描写と、様々な点が指摘されているが、そういうアイコン化されて現実からかけ離れた「可愛い女の子像」にうんざりしているのだ。
尚、あれがフェラみたいだとか言っている人については、それは正直どうかとは思う。
けれど同時に、それくらい口汚く罵りたくなるほど性的な目で見られることに嫌悪感を抱く人がいることも忘れてはならないし、その背景からも目を背けてはならない。
男性諸君には想像もつかないかもしれないが、女性というのは生きているだけで本当に性的な目を向けられ続けるのだ。
私なんかはかなり平和に生きられている方だと思うが、それでも男性多数のコミュニティにいた時には、私の本当になんでもないほんのちょっとした言動をAVやエロ漫画のシチュエーションに結びつけて、嘲笑の的にされるようなことは頻繁にあった。私ですらそうなのだ。
どうしてか性的な目を向けられやすい人とは残念ながら存在するので、酷い人はそれはもう想像を絶するほどに酷い目に遭ってきたのだと思う。そういう背景を持つ人たちから半ば反射的に飛び出す罵詈雑言を、言葉尻だけを捉えて批判するようなことはしたくない。
ヒステリックに過剰反応してしまってる人も確かにいると思う。でも逆に「その反応も仕方ないほど傷つけられてきたのだとしたら?」と想像すると、とてもいたたまれない気持ちになる。
あの映像を見ただけであれだけ怒っているのだと思っているなら、確かに「ちょっとおかしいんじゃないの?」と感じてしまうだろう。
でも彼女たちはずっとずっと女として生きているだけで嫌な思いを積み重ねてきたのだ。
「ちょっとおかしいんじゃないの?」を彼女たちにぶつけてしまう前に、一旦立ち止まって考えてほしい。
「どうして彼女たちはたったあれだけのことでこんなに怒らなければならなくなってしまったんだろう?」と。
あの映像は「目の保養」としてはよくできていたと思う。ドラマを観て涙ぐみながらうどんを啜る女の子は可愛い。でもそれは、主人公の女の子を鑑賞物として見てしまっているということでもあるのだ。
「あれは可愛い女の子を見て楽しむものだろう。それの何が悪い」と思う人がいるかもしれない。
言いたいことは分かるし、そういう楽しみ方をする人がいてもいいと思う。
では何故炎上したかと言うと、あの映像がCMであり、CMのターゲット・コンセプトと作画・演出がミスマッチを起こしていたからだろう。
あれが人気アニメのキャラを主人公にした映像だったら、全く同じ演出でも多分あんなに炎上しなかったと思う。それならCMのターゲットはそのアニメのファンであることは明確であり、主人公が「鑑賞対象」として楽しむために作られたものだということが理解できるからだ。
しかし、無名の男性主人公/女性主人公の映像が制作されたところを見ると、ターゲットはそれぞれ広く一般的な男性/一般的な女性と見るのが妥当だろう。
そして、両者とも日常的なシーンを描いていたことから、顧客の共感を呼ぶことで購買意欲を刺激することを狙ったのだろうと考えられる。
しかし、肝心の女性主人公が現実の女性とはかけ離れていて、共感できる対象ではなかったのだ。
ゴリゴリにジェンダーバイアスのかかったステレオタイプのシチュエーションで、キラキラの目と紅い頬の可愛さの強調された絵柄、フェチ仕草として擦られまくった耳かけポーズ。
自己投影の対象として作られたであろう「一般的な女性」であるキャラクターがここまで性的魅力を強調して描かれていれば、「こんなんじゃねえわ」と思って当然だし、自分に性的な目を向けられているような嫌悪感を覚えるのも無理ないだろう。
さらにこの件では、男性と女性の描かれ方の非対称性が顕著に現れていたことも問題だった。
男性は比較的リアルな作画だったのに対して、女性はいわゆる「萌え絵」と呼ばれる、消費の対象であるコンテンツとして培われてきたイラストの表現手法で描かれていた。
逆に男性側も「女性好みのキラキライケメン」として描かれていたならここまで大きな問題にはならなかっただろうが、男女の扱いに差を作ってしまったことで、そのまま社会における男女の扱いの差を投影してしまったのだ。
作画監督が違うんだから絵柄が違うのは当然だ、という指摘が多いが、よほど興味のある人でない限り監督が誰がなんて調べないし、苦言を呈す側がそこまでの注意を払う必要はないと思う。そもそも同じシリーズとしてセットで公開された映像なのだから比較されるのは当然のことだ。
消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。けれど、あの映像における女性主人公は「消費者の代表」として捉えられても全くおかしくない存在であり、それを性的に描いてしまったのだから、不快感を持つ人はいて当然だと思う。
意地悪な解釈をすると、それは「カップうどん食べてる女の子ってちょっとエッチで可愛いよね」というカップうどんメーカーからのメッセージとも取れる表現であって、「おまえら消費者をそんな目で見てたのかふざけんな」と批判されても仕方のないことなのだ。
それと誤解されがちだけど、女性を性的に消費するのは何も男性だけではない。女性もまた女性を性的に消費しているのだ。
女性アイドルにも必ず一定数の女性ファンがいることを見れば明らかだろう。女にとっても可愛いものは可愛い。
だからあの映像の監督が女性であることは何も不思議なことではない。「可愛い女性」の描き方に慣れ過ぎて手癖同然に女の子を可愛く(性的に誇張して)描いてしまったのか、クライアントから「もっと可愛くして」と要望を受けたのかは分からないが、女性が「アイコン化された可愛い女の子」を描くのも別に普通のことだ。
繰り返すが、消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。ただ、コンテンツを通して現実に生きる女性に性的な眼差しが向けられてしまった時(あるいはそう捉えられる表現がされていた時)、それは時として加害性を伴うのだ。怒って当然だ。
ただし、もし監督個人を攻撃している人がいたら、それは今すぐやめろ。
生み出したものへの責任は背負う必要があるので、作品そのものが批判されるのは致し方のないことだ。でも人格までを否定する権利は誰にもない。
ひとつひとつは大した内容じゃなかったとしても、あなたが発したのがたったひと言だったとしても、今彼女には膨大な量の批判を一人で引き受けている。
きっと怖いなんてもんじゃないだろう。世界の全てが敵になったように感じるだろう。
言葉の向こうに人間がいることを忘れてはならない。あなたの言葉が背中を押してしまうかもしれない。
(そして個人的なお願いだが、作品の批判をする場合でも可能な限り言葉は選んでほしい。批判されるのは致し方ないことだけど、自分の生み出した作品が否定されるのは結構メンタルにくるものだから。)
「ああいう表現嫌い」は許されたとしても、人格を否定するようなことは言っちゃ駄目だろ。
そういう人として許されないラインを超えた発言をしてると誰にも話を聞いてもらえなくなるぞ。
ここまで読んでもあの映像がそこまで問題だと思えない人もいるかもしれないが、それは別に悪いことではない。誰が何を感じようと自由だ。(私自身も、あの映像自体にそこまで嫌悪感は抱いていない。)
しかし「嫌だ」と思う人がいる事実を曲げてはならない。「嫌だ」だと感じるのだって自由だ。「嫌だ」と思ったなら「やめて」だって言うべきだと思う。
「嫌だ」は自由だけど「やめて」を言う権利は誰にもない、みたいな主張も見かけたけど、そんな馬鹿なことはない。
「嫌だ」も「やめて」もそれを受け入れてもらえるかは別の話というだけであって、言う権利は誰にだってある。
「嫌だ」という人に「嫌だって言う方がおかしい」というような言葉を投げかけるのは人格の否定であって、それがどれだけ暴力的なことか理解してほしい。
(こういう話をすると「自分は色々我慢してるのに!嫌だと言う奴は我儘だ!」と言う人が必ず現れるが、それはあなたがもっと自分のことを大事にした方がいい。嫌なことがあるなら「嫌だ」って言わないと気づいてもらえないから。どんどん口に出して自分を守ってほしい。)
同時に「嫌だと思わない奴はおかしい」もやめた方がいい。
あなたがどれだけ嫌な思いをしていようと、他者の感情を制御することは誰にもできない。「嫌だ」と思う人にできるのは、「嫌だ」と声を上げ続けることだけなのだ。
そして嫌だと思わない人も、できるだけ「あなたは嫌なんだね。そういう人もいるんだね」と受け止めてほしい。「(自分はそうは思わないけど)」でも構わないから。
(紛らわしいけど、「嫌だと思う人がいることを理解できないのはおかしい」は言ってもいいと思う。そういう人は目の前にいる人の存在を無視しているわけだから、胸ぐら掴んででも視界に入れてやらなきゃいけない。)
フェミの話が長くなってしまったけど、ここからはオタクの話もしたいと思う。
ジェンダー観が問題になり広告が炎上する事態はもう何度も繰り返されてきたが、そこにアニメ・漫画コンテンツが関わる場合、必ずオタクがフェミ叩きを始める。
オタクは何をそんなに怒っているのだろうか。
これは主観だが、オタクは長く日陰に追いやられてきた悲しい歴史からか、自分のテリトリーが侵されることに強い拒否反応を示す人が多いように思う。
アニメ・漫画コンテンツは自分たちのテリトリーであり、それを使って表現された広告が批判に遭い、取り下げられることが受け入れられない。「表現の自由」を大義名分に掲げて暴走してしまうのだ。
こういう人たちにまず理解してほしいのが、エンタメコンテンツとして制作されたアニメーションと、広告のクリエイティブとしてのアニメーションの役割の違いだ。
エンタメコンテンツは、コンテンツそれ自体を楽しむためのものであり、好きな人だけが見ればいいものだ。分かりやすく言うと、「嫌なら見るな」が通じる。
商業作品であれば商売としてとして成立させる必要はあるものの、表現の自由は限りなく完全に近い状態で認められるべきものだと思う(適切なゾーニングは必要だが)。
この「(適切なゾーニングは必要だが)」が重要で、今回の件で「頬染めが駄目なら女の好きなBL作品だって駄目じゃないか」みたいな反論をいくつか見かけたが、それ本気で言ってるのか?全く反論になってない。
BLはBLというジャンルに隔離して好きな人だけで楽しんでいるものであり、概ね正しくゾーニングされている状態なので問題ない。嫌いな人も多いだろうか、嫌な人が視界に入れないことができる状態だ。(「絵本の隣にBLが置いてある」みたいなのはマジで早急に改善してくれ。)
例えどんな非人道的な表現であろうと、表現すること自体は限りなく自由であるべきだと思う。
発信した内容には責任が伴うことも忘れてはならないし、この先ゾーニングが厳しくなっていく可能性は十分にあるが、表現することそれ自体は自由だ。
一方で広告の役割は、エンタメコンテンツのそれとは明確に違う。
広告は不特定多数の人に見てもらって商品をPRするものなので、まず第一に、「嫌なら見るな」が通じない。
広告とは頭下げてでも見てもらいたいものだし、隙あらば視界に入ってこようとするものだ。
だから好きな人だけが見ればいいエンタメコンテンツと比べて表現には気を遣う必要があって、企業や商品のイメージを損なう恐れのある表現は避けなければならない。
広告の目標とは、商品のイメージアップや売上アップなど色々あるわけだが、とにかくその広告によってそれぞれ目標が設定されている。
そして目標があるということは、つまり明確な「成功/失敗」があるということだ。設定した目標が達成できれば成功、できなければ失敗だ。
ここの区別がつかない人が結構多い印象なのだが、炎上の理由に正当性があろうとなかろうと、広告が「失敗」と判断されれば、その広告の早期終了や取り下げもやむを得ないことだ。
オタクたちに理解してほしいのだが、広告の取り下げが起ころうと、表現の自由が侵されたわけでは決してないので安心してほしい。それは「表現規制」などではなく、業績への悪影響を考慮した「経営判断」だから。
そして広告の失敗がダイレクトに売上に影響してしまう以上、企業がその表現内容について慎重にならざるを得ないのは理解できるだろう。
仮にこの先ガチガチに配慮された表現の広告クリエイティブしか作られなくなっていったとしても、それを「表現規制」と呼ばないでほしい。ただの「経営判断」だから。
過去の炎上案件の中には理不尽な炎上もあったと思うし、適切とは思えない取り下げもあったと思う。
同じような構図の炎上に見えても、それぞれ別の問題であって、フェミの主張もそれぞれ違う。その中には正当性のあるものもないものもある。
「フェミ」というラベルだけを見て叩かないでほしい。ちゃんと彼女たちの抱える痛みに目を向けて、その上で判断してほしい。
これはフェミのために言っているわけではなく、オタクのテリトリーを守るためにも必要なことだ。
「表現の自由」という強すぎる言葉を盾に痛みを抱える人の主張を蹴散らしていては、いつかはその大事な盾を取り上げられてしまうだろう。
違法でないのをいいことに迷惑行為を行う人にならないでほしい。
例えルールの範囲内だったとしても、それが誰かを傷つける内容であればちゃんと自分たち自身で「ノー」が出せる人であってくれ。
自由が許されているうちに変わってくれ。
受け入れなくていい。でも相手の主張を無視したり馬鹿にするのではなく、「好きなものをそんな風に言われるのは辛い。好きな気持ちを否定しないでほしい」とちゃんと自分の思いを言葉で伝えてほしい。
今の状態だと正直、オタクはフェミ叩きをしたいだけに見えてしまう。でも本当は違うんじゃないか?守りたいものがあるんじゃないか?それを言ってくれないと分からない。
揚げ足取りの口喧嘩で言い負かしたところで相手の内面は変えられない。それではオタクコンテンツへのヘイトが溜まる一方だ。
取り留めのない話を長々とここまで書いてしまったけど、フェミとオタクは対立する場面は多いが、本来は互いに協力して「配慮と自由を両立するにはどうすればいいか」を探っていかなければならない相手だと思う。
フェミにもオタクにも悪いところはある。人としての一線を超えている人も両者に散見される。
けれど相手は「フェミ」じゃない。「オタク」じゃない。人間だ。
人間をやめないでくれ。
きっと未来永劫叶わないことだけど、互いの大切なものが対立したときに、殴り合いではなく議論で解決策を見つけられる人間ばかりになってほしい。
もう不毛な争いは見たくない。