はてなキーワード: ナラとは
また友人を失うかもしれない。
原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。
はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイスや共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。
筆者は2002年生まれの現役の大学生で、一年、浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京の山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生(教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会にアクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分がおかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科や家族に相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代だから」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?
友人Aの場合
Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか、学部は違うけれど同じ大学に所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークルに所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前、就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。
書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能を評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独を大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから。
おそらく、Aには特殊な技能はない。英語も普通、スペイン語は自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通の就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。
さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手とベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手の二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャーと大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。
大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか。
ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自のシステム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプションか新株予約権付きのストックオプション。新株予約権!?
悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!
仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社の株式の価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。
もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長の人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。
今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。
ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。
Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。
そのあと電車で各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。
そして、AからAの意中の女子と上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野の初デート?コロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。
「絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろ。バスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。
Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。
別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだろうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。
Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。
そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い。
筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレの限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。
その後、彼からの連絡はない。こちらからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。
もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。
もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシー・ドリーム・ガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。
きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから。
彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在(原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。
多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分の世界とそうじゃない世界の区別が全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者で現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。
「過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかないかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかないかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利は自己にしか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず
印刷物の「縦の列」を指すようになり、
この増田では、コラムの語源と起源を軸に、その社会的役割と現代における展開を考察する。
コラムの語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。
紙面の縦方向の区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。
日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。
1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、
当初は「雑報」と呼ばれていたが、
興味深いことに、
戦前の新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、
戦後GHQの指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。
1751年3月11日、
イギリスの『ロンドン・アドバイザリー・リテラリー・ガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。
これが「コラム」と呼ばれる契機となり、
当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、
この形式が人気を博し、
1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。
年間人気コラムランキングが出版されるほど社会的影響力を持った。
朝日新聞「天声人語」の執筆陣には芥川賞作家の井上靖や開高健ら文学者が名を連ねた。
この時期の特徴は、
800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体の確立にある。
インターネットの普及により、
コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。
この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。
「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩(20%)→結論(25%)」
①擬人法(「円が踊る」)、
2000年代以降は、
といった読者参加型の手法が増加している。
特にYahoo!ニュースのコラムでは、
本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。
公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能を果たしてきた。
実際に地方自治体の政策変更につながった事例が複数報告されている。
近年では、毎日新聞「発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポを継続的に掲載し、
コラムは教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要な役割を担ってきた。
2010年代には、
産経新聞「産経抄」が日本の伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、
2023年、
朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、
感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感型AI」の開発が進められている。
一方で、
2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品がノミネートされる事態が発生した。
読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラムが一般化している。
ユーザーの位置情報・検索履歴・心拍数データ(ウェアラブル端末連動)を分析し、
これに伴い、
職能の変容が進んでいる。
その形態は変化し続けているが、
今後の課題は、
AIとの協働の中でいかに人間らしい洞察を深化させられるかにある。
次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、
互いのオナラを許し合えるぐらいじゃないと駄目だよね
というか、最近便秘のせいなのか何なのか、オナラで空が飛べそうなぐらい出るんだよ、なんなんだろうね
ギター弾いてて、いい感じにノッてきた、みたいなときに限って、ぷっぷー、ぷっぷー出るし、
余りに出るし、臭いもあるんで、トイレに駆け込むの繰り返しなんだけど…
念のため、通院している大きい病院の消化器内科行っても、異常なしって言われた…😟
でも、歩いてるとき突然オナラが出たり、便意がしたりして、具が出そうになるんですよ?!って言っても、
俺でもそれぐらいあるよ、みたいに先生に言われて、うーん、そうなの?本当に??って感じで、
血液検査の結果も、肝臓良くなってるみたいだね、みたいに関係ないこと言われて、
ビオフェルミンの亜種みたいなの処方されて終わってしまった…😟
何の話してたんだっけ…😟
例えば3DCGでレイトレとなると性能が足りない。クラウドで8GPUなどのレンダリングファームを借りることになる。
今はAIというが、そっちも性能足りてない。
VRAMも、演算性能も足りてない。
クラウドで小説書かせるとアカウントBANの危険にオドオドしながら使うことになる。
Webを見る分には持て余すが、少し凝ったことをしようとすると拡張性がなくなる。
AIとかデジタル化のクソさについてただ話したい。今回はパーソナライズの件について。
毎年、「20XX年のトレンド」のようなクライアント向けの紹介資料(チラシのようなもの)を見て大体毎年あるワードが「パーソナライゼーション」。はっきり言ってこんなものを追求する社会にうんざりしている。自分だけがうんざりすればいいけど、個人にも影響が及ぶし、なんだかんだ自分もその波から抜け出せないというジレンマもあって自己否定にもなるけど書いておきたい。
パーソナライゼーション、ていろいろあると思うがわかりやすいのはnetflixだろうか。netflixは昔はマジのDVDレンタル屋だった(皆知ってるかな)。GEOとかTSUTAYAみたいな感じで、あそこは郵送レンタル屋だったわけだが、早くも映像配信サービスを始めた(2010年より前だったと思う)。データを集めて、顧客の趣味・趣向に合うレコメンド(推薦)システムで付加価値をつけて会員を増やし続けあれだけの企業になった。
自分もnetflixを見るし、色々感動したドラマもあってそこは素直に感謝だがnetflixがない世界線だったらな、と思うこともある。あれだけ上手くレコメンドされるとつい見てしまうし、見放題だから時間があると「とりあえずnetflix見るか」とか言って時間を潰す。昔、家族でドラマを定刻に集まって見てた光景は今後一生ないだろう。日本のドラマは今はつまらな過ぎてそもそも見る価値がないし、海外ドラマはストリーミングサービスで見ることになる。過度に個人に最適化されると、人はそこにハマって抜け出せないんだよね。
悪いところはあげればキリはないが、レコメンドは「自分で探す能力」を奪う。能動的ではなく受動的になるのだが、それだけじゃない。人と交流する機会、共感、"狭い"ネットワークを破壊さえするものとさえ思う。
昔だったら「これ買ったけど美味しくなかった」「実は知られてないけどこれが良い」とか、今と違ってモノの絶対量が少ない環境・制約の中で楽しもうとする雰囲気があり、仲間内でそれを楽しんで共感した(まあ僕が中高生の時の話)。そしてそれが人と人を結びつけた。現代は、確かに広くさまざまなことが知れ渡るようになり”広い”ネットワークは構築されて良い側面もある(数あるお店から探すのを失敗しづらいとか、欲しいものがすぐ見つかるとか、ブラック職場・ホワイト職場はどこかとか)。しかし狭いネットワーク=近隣の人との交流、友達との交流、職場の人との交流、は無くなった。それは共感するものがやはり減ったからではないか。それを周囲の人と話す時間が減ったからではないか。人間としての最低生活ラインではなく、趣味・趣向という領域の話をしている。個人にパーソナライズされることが当たり前になり、個人完結してしまって他人と共有する話題がないのだと思う。あっても、他人はパーソナライズされて既に別のことに関心が向いてしまっている。これが人々の断絶を起こしている。
はっきり言って、パーソナライズした広告、製品て確かに個人にフィットして売り上げもよくなるし物質的豊かさで一見幸せを感じるかもしれない。皆、「そうは言っても自分で最後は選択してる!」と思うかもしれないがそんなの最後の1クリック程度だ。そこに至る思考プロセスの大部分は実は機械がやってくれてるんだわ。見えてないからそこが認識できてないだけ。
実は現代人の方が思考プロセスは落ちていく運命にあるのではとさえ思う。最近またOpenAIからDeepResearchとか言うのも出たし。これについてそのうち書きたいが今日はまだ。
こんなのトータルで見てどちらが幸せな社会なんだろうか。自分で探し当てる方が楽しくないか?
そしてそれで他人と共有できることがよくないか?反対に、みんなが楽しい・良いと思うものを提示されてそれを楽しむ、そんな社会が今であり心底うんざりする。受動的だから自分で考えることがなく楽なので、自分も享受してしまう。だけど探し当てる喜びとか、それを材料に友達と交流するとか、皆無ではないがおそらく昔の人はもっとそういうことを楽しんでいたんじゃないかと思う。
何度も言うが、それがnetflixだったりyoutube, 個人向けに過度に最適化された商品、こう言うものが周囲との断絶を生む。こんな社会で本当につまらないと思う。儲かるのはほんの一握りのネット企業、IT企業。その富の源泉はみんなの思考力(を奪って結果的に金に変える)、そしてリアルな人の接点だ。みんなの意識は機会の提示項目に常に奪われ、自然とそこにお金が落とされている。
私個人がこれを言ったところで世界は行くところまで行くと思う。100年後ぐらいにほんの一部の大富豪を除いて人類が皆廃人になった時にこのポストを見て振り返ってくれたらと思う。他にも言いたいことがあった気がするが、ちょっと忘れたので一旦ここで終えようと思う。読んでくれてありがとうございました。
見てる人はそんないないと思うが、今度は
オナラ(腸内ガス)は、ほとんどの動物に共通する生理現象である。しかし、その存在は多くの社会においてタブー視される一方、ユーモアの題材としても頻繁に扱われる。本研究では、オナラを単なる排泄行為ではなく、科学的・社会的な視点から多層的に分析することを目的とする。
オナラは主に嚥下された空気(外因性ガス)、腸内細菌の発酵(内因性ガス)、血液中のガス拡散という三つの要因によって発生する。特に腸内細菌の活動が、オナラの主成分と匂いの決定要因となる。オナラの成分には窒素(N₂)、水素(H₂)、二酸化炭素(CO₂)、メタン(CH₄)、硫化水素(H₂S)などが含まれる。なかでも、硫化水素やメタンチオール(CH₃SH)が強い臭気を持つため、オナラの「匂い」の決定要素となる。
オナラの成分は食事内容に大きく依存する。高タンパク食品(肉、卵)は硫黄化合物を増やし、炭水化物中心の食事(豆類、野菜)は水素やメタンの割合を増やす。特に硫化水素(H₂S)は「腐った卵の匂い」、メタンチオール(CH₃SH)は「腐ったキャベツの匂い」を持ち、これらの濃度が高いと悪臭が強まる。また、水素(H₂)とメタン(CH₄)は可燃性を持ち、オナラに火をつける行為(俗に「オナラ火炎放射」)が可能である。この現象は、ガスの化学組成と密度に依存する。
多くの社会では、オナラは礼儀に反する行為とされるが、一方で歴史的には異なる価値観も存在する。例えば、古代ローマではオナラを我慢することは健康に悪いとされ、中国の一部の伝統医療では「体内の邪気を出す行為」とも考えられていた。また、オナラは喜劇の定番ネタとして世界中で扱われている。日本の「屁合戦」、フランスの「ペトマーヌ(オナラ芸人)」、アメリカの映画における「トイレ・ユーモア」など、多様な文化に見られる。
近年では、腸内フローラ研究の発展により、オナラが健康指標の一つとして扱われることが増えた。また、炭酸ガス排出に関連したエコ視点からの研究も行われている。
本研究では、オナラの多重構造を生理学、化学、社会学の視点から考察した。オナラは単なる排泄物ではなく、腸内環境の指標であり、文化的意味を持つ現象である。今後は、オナラの科学的研究が進むことで、腸内環境改善や医療分野での応用が期待される。
主に他人の振舞いについて、もやもやぞわぞわしてしまう行動?が何種類かあるが、規則性があまり無い気がする
自分の思考とか感じ方にどういう癖があるのかというのを言語化してみたいので、以下の箇条書きから推測してみて欲しい
・メルカリの専用出品という慣習(値下げ要求とかは気にならない)
・スーパーで半額になりそうなお惣菜をかごに入れてから、店員の半額シール貼りが始まったあとに、店員にお惣菜を提示してシールを貼ってもらう行為(シールが貼られたお惣菜は好んで買っている)
・新幹線とかで3列並びの席を2名予約するときに、「A」と「C」を予約すると、他人がBを予約することはないからハッピー、というライフハック(トナラーは嫌い、映画館で一つ飛びに席を抑えるとかはする)
部長が変わって、「従業員のエンゲージを高めたい」だとかなんとかで、レクリエーションをやることになった。企画は俺がやることになりそう。でも、そういうの全然やったことないんだけど何すればいいのかマジでわからない。どうせやるならオリジナルなことがやりたい。一応、オリジナルゲームのアイデア2つ考えてみた。
1. 役割の決定: ゲーム開始前に、参加者全員がくじ引きでオナラをする役(「オナラ役」)を決定する。オナラをする役は他の参加者に知られないようにする。
2. オナラの実行: オナラ役は、決められた時間内(30秒以内)にオナラをする。この間、他の参加者は静かに待機する。
3. 推理タイム: オナラが実行された後、各参加者は誰がオナラをしたかを推理する。推理は口頭ではなく、紙に書く方式にする。
4. 投票: 全員が推理を書いた後、一斉にその内容を発表する。
参加者は一緒にカウントを始め、指定されたタイミング(例えば「3」の時)でオナラをする。誰が一番うまくそのタイミングでオナラを出せるかを競う。
最も多くのラウンドで成功した人が勝ち。
家で龍炎舞とか言ってアンディに放屁してそう anond:20250103131832
グレッグ・ベア「鏖戦/凍月」。
室井光広「おどるでく」
エリザベス・キューブラー・ロス、デヴィッド・ケスラー「ライフ・レッスン」★★★
福永文夫「日本占領史1945-1952 - 東京・ワシントン・沖縄」★
平子達也、五十嵐陽介、トマ・ペラール 「日本語・琉球諸語による 歴史比較言語学」★★
しみけん「SHIMIKEN’s BEST SEX 最高のセックス集中講義」
中野京子「怖い絵 泣く女篇」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 1」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 2」
1000decillion「Morals under a pagoda -Rome-」(同人誌)
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 3」
「カルダー:そよぐ、感じる、日本」於・麻布台ヒルズ ギャラリー
「夏の優品展 一味爽涼」於・五島美術館
ジェイムズ・ポスケット「科学文明の起源: 近代世界を生んだグローバルな科学の歴史」
大石力「英語の発音と綴り-なぜwalkがウォークで、workがワークなのか」★★
ビル・ブライソン「人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか」
鶴見香織 (著), 尾崎正明 (監修)「もっと知りたい東山魁夷 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
荒木健太郎「雲の中では何が起こっているのか」
小谷賢「日本インテリジェンス史-旧日本軍から公安、内調、NSCまで」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 4」
柊タイガー「よんこま十三機兵防衛圏!! こちらセクターX 3」
「感覚する構造 – 法隆寺から宇宙まで –」於・WHAT MUSEUM。
「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」於・国立西洋美術館。
塚﨑朝子「新薬に挑んだ日本人科学者たち 世界の患者を救った創薬の物語」★
保坂直紀「地球規模の気象学 大気の大循環から理解する新しい気象学」
古川武彦・大木勇人「図解 気象学入門 改訂版 原理からわかる 雲・雨・気温・風・天気図」
小川晶子「アート・ビギナーズ もっと知りたい竹久夢二 生涯と作品」
古川武彦、大木勇人「図解・天気予報入門 ゲリラ豪雨や巨大台風をどう予測するのか」
老川慶喜「日本鉄道史 幕末・明治篇 蒸気車模型から鉄道国有化まで」★★
肋骨凹介「宙に参る」一巻~四巻
「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展 ―追憶のオルソン・ハウス」於・アサヒグループ大山崎山荘美術館。
山本紀夫、稲村哲也・編集「ヒマラヤの環境誌 山岳地域の自然とシェルパの世界」★★★。
坪木和久「激甚気象はなぜ起こる」
老川慶喜「日本鉄道史 大正・昭和戦前篇 日露戦争後から敗戦まで」
羽田正 「増補 モスクが語るイスラム史: 建築と政治権力」★★
老川慶喜「日本鉄道史 昭和戦後・平成篇 国鉄の誕生からJR7社体制へ」
細田亜津子「雲の上の哲学者たち - トラジャ族が語りかけるもの」
小和田哲男「戦国武将の手紙を読む: 浮かびあがる人間模様」★
「異常気象と気候変動についてわかっていることいないこと (BERET SCIENCE) 」
1000decillion「Morals under a pagoda -China-」(同人誌)
1000decillion「Morals under a pagoda -Medieval Europe-」(同人誌)
挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」於・国立博物館
桝屋友子「すぐわかるイスラームの美術 建築・写本芸術・工芸」
ニック・カルーソ、ダニー・ラバイオッティ「動物学者による世界初の生き物屁事典 ヘビってオナラするの?」
1000decillion「Morals under a pagoda -Islam- イスラム」(同人誌)
「平安文学、いとをかし 国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」と王朝美のあゆみ」於・静嘉堂文庫美術館
朝倉文夫没後60年特別展「ワンダフル猫ライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」於・朝倉彫塑館
「建築知識24年7月号 新石器・古代王朝から清朝まで 中国の建物と街並み詳説絵巻」
山崎晴雄、久保純子「日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語」(再読)。
山本高穂、大野智「東洋医学はなぜ効くのか ツボ・鍼灸・漢方薬、西洋医学で見る驚きのメカニズム」★★
藤岡換太郎「三つの石で地球がわかる 岩石がひもとくこの星のなりたち」
溝口優司「[新装版]アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」
藤岡換太郎「フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体」
黒田泰三「もっと知りたい長谷川等伯 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) 」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 5」
いがらしみきお「ぼのぼの人生相談 ひととくらべちゃダメなのさ」
特別展「文永の役750年 Part2 絵詞に探るモンゴル襲来―『蒙古襲来絵詞』の世界―」於・國學院大学博物館
良い一年だった。
うんちが毎日出る。すばらし。こんな幸せなことがあっていいのだろうか。
うんとこどっこいしょと気張って、今日は30cmを超える大物。出たのがあまりに嬉しくてわざわざ振り向いて便座の中をのぞいたよ。
色良し!柔らかさ恐らくヨシ!長さよし!残便感なし!最高!!
毎日きっちりこんなにたっぷり老廃物出した時のスッキリ感やばくね?
なんせ私は30数年間の人生ほぼすべて大便秘だった。物心ついた時からもう便秘。家以外で絶対にうんちできない。外泊時なんて大変。小学生の頃から便秘薬親に飲まされてた。
中学になったらもう2週間とか出ないの。くるしいし、ガッチガチすぎて出てこねえ。切れ痔と便秘の悪循環だ。おならもくさい。めっちゃくさい。父親にはヘドロガスと呼ばれ、私が屁をこくと窓を開けて換気されてた。ひどすぎる。
そんなんなのでオナラを人前やトイレですることもできず(思春期なので)とにかく薬を飲んで出す。それの繰り返し。思いつくもんは全部やったが改善しない。薬飲んだら出るけど翌日はお腹痛いしいつ脈略がくるかわからないから戦い。飲むタイミングめちゃ見計らった。
改善のポイントはいろいろあったけど、バナナ期に入れた大きな起点はリモートワークだ。
ありとあらゆる便秘改善方法を繰り返した結果、便秘薬に頼らずとも何日かおきには出せるようにはなっていたけど、コロナでさらに大きく変わった。
家にいていつでも好きな時に排便ができる環境になり、私のおしりは劇的ビフォーアフター。我慢しなくていいなら俺出るぜ?って感じでちょっとずつ、毎朝食後に顔を出すようになった。出るタイミングは従来の出勤時間なので今までは無意識に押し込めていたのだろう。
リモートワークに慣れて腰を捻る系のヨガを毎朝するようになってからはさらなるスルルン海峡に突入。
途中で旦那さんと結婚前に同棲をしたときに若干便秘気味になったけど、今はもう大丈夫。彼が出勤後、私は優雅にスルルン海峡。
最近はとにかく長いのが出てハピネス。もともと、目視では10cmくらいかな?みたいな感じだったけど何故かここ最近、急に30cm超えの超大物とご対面できる。多分水分量が増えてるんだろう。思わず5度見したくなる。許されるならメジャー持ってきて計りたいくらい。
こんなもんを!?2週間とか溜め込んでた過去の私!?見てるーーー!?ってなる。見てるーーー!?きもちいいよー!ってなる。
しかし、こんなに理想的なうんちなのに切れ痔はなおらん。なんでやねん。まあたまに硬いときもあるからな。
肛門科の医師曰く、長年の便秘生活のせいで肛門ポリープがあるらしい、なんだよそれ。多分コイツがキレる。肛門科は出血がひどいときたまーに行ってマグネシウムと塗り薬もらうが、なかなか根本解決にはいたらない。医者との相性も良くない気がする。
オナラなんてもう全然くさくないの。ニキビもずいぶん減った。昔は顔全部ニキビ。今生理前にできるくらい。サイコー。切れ痔くらい全然耐えられる。
うんち毎日出てたって、それが当たり前の人はそんな幸福感感じることないだろう。私は毎日5時間くらい「今日もうんちでた…しゅごい…ハピネス…」ってなってる。めちゃくちゃ幸せ。うんちで幸せ。うんちでここまで幸せ感じてる日本人相当少ないと思う。しかし誰にもいえないからここでぶちまけたよ。便の話だけにね。