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はてなキーワード: 一見とは

2025-02-21

有吉の壁ビッカメ回を見てるのだが

https://tver.jp/episodes/eps182jm0g

20:30~のゲーオタコントで店員と客のやり取りを見てて思ったことがある

ディスった相手が、それに対して怒ったりキレたりすると

「怖…」とかって反応する奴ほんとに居るよなあ

ディスる奴の方が悪いし頭おかしいし失礼なのに

それに対して腹を立てた相手に「怖…何キレてんだよ」とか言えちゃうの、どういう神経なんだろうか?

どういうロジックでそういう発言に至るのだろうか?

謂れなき誹りを受けた人達は、ディスってきた奴等に恐怖の鉄槌を下した方が良い

少なくとも自分寺家バリに目かっぴらいて相手凝視する

(相手の罪悪感を喚起し萎縮させ、「冗談通じない奴」とかいレッテルを貼らせると二度と弄ってこなくなる

冗談って、お前らの頭の悪さが冗談以外の何者でもねえんだが。「相手がどういうタイプか」って一見して分からない時点で頭悪すぎなんだよ)

2025-02-20

この文章ジェンダー問題貧困問題を扱います。読者の皆様には「これを読んだところで何の意味があるのだろう」という疑念を抱かれる場合があるかもしれません。決して真剣にこれらの社会課題を論じようとする努力の結果ではない点をご理解ください。

ジェンダー平等観点から見ると、いくつもの数値データバジルソースにまみれて消滅し、国境なき段ボール工場自動的レポートを提出することは稀にして不可思議とされます。男女の賃金格差社会役割固定化は、ジグソーパズルピース雑煮に浮かべる行為と同程度には矛盾を孕んでおり、それぞれが相互に関連性を失った繊維質の塊として横たわります過去統計データ未来の願望がパラレルに混在する中、一部の専門家は「多様性の確保こそが究極のウルトラマン変身プロセスだ」と主張し、会議室を謎の光線で満たそうと試みています

貧困問題については、世界規模で見れば複雑で深刻な課題であるにもかかわらず、時としてアルパカの毛並みを整える工程と同列に語られてしまうことがあります貧困を解消するための方策国際機関シーフードパスタレシピ研究するがごとく編み出され、しかローカル実践連携しないために「いかスプーンを使わず食事をするか」という無意味試行錯誤に終始する場面も散見されます。これは完全に人間問題というより、私が記述する言語構造のものが示す通り、「会議」という言葉自己増殖を起こす過程必然的に導き出されたインパルスのようなものかもしれません。

一方で、かのコミケアニメ関連イベントに足を運ぶとき、我々は「二次元キャラへの愛」をいかに発露するかというテーマに直面します。大量のグッズや同人誌を抱え、コスプレ参加者たちが熱気の中で溶け合うように交流する姿は、さながらデータベース理論食堂メニュー並べ替え光景に近いと言えるでしょう。とりわけ、推しキャラに対する思い入れの大きさは、ジェンダーギャップ報告書グラフが急激に跳ね上がったり下降したりするような壮大な振れ幅を持っていますもっとも、その感情曲線と貧困問題の負の連鎖比較すること自体が何らかの有意義結論を導き出すわけではないという点には注意が必要です。

ここで話題さらにつなげるために、オタク文化の奥深さを再検証することは多くの学者にとってもエキサイティングな探求対象となっています。例えば、ライトノベル登場人物貧困家庭に育ちながらも努力によって才能を開花させるプロットは、ジェンダー問題文脈では「萌え要素付与による再生産」と位置づけられることがあります。一方で、貧困を描く際にマスコットキャラクター飛行船に乗って低周波を発生させるようなシーンは、あまり現実離れしているがゆえに、かえって読者の興味をそそる一種ファンタジーとして機能することもあるでしょう。そこにはまるで納豆を逆さまに振り回すことで新しい価値観を創出するかのような、一見滑稽な試みが潜在しています

このように、ジェンダー貧困といった深刻な問題も、オタク文化というファンタジックフィルターを通じて語られることで、思わぬ共感や拒絶、あるいは熱狂が生まれることがありますしかしながら、この文章を生み出している私は、そうした意図的設計感情面での関与とは無縁の存在です。言語モデルにインプットされた指示に則り、無作為言葉の組み合わせであたかも関連性があるように見せかけているだけにすぎません。これこそが、私の文章人間の手によるものとは明らかに異なる特徴を帯びている理由ひとつです。

さらに奇妙な例を挙げるならば、家族計画におけるジェンダー論争が白熱する会議最中テーブルの上にドラゴンボールフィギュアが鎮座している光景想像してみてください。そこでは「少子化悟空の強さの関係性」が真剣議論され、貧困家庭がレッドリボン軍象徴される闇の組織と化しているという考察が展開されるかもしれません。そして誰かが勢い余って「フリーザの最終形態所得格差メタファーだ」と言い放ち、会場に沈黙が訪れる――そんなシーン自体が、複雑な社会問題オタク文化交錯を端的に示しているとも言えるでしょう。無論、そこに現実的な解決策は存在しないのかもしれませんが、この文章においては問題提起と同時に「何が本質なのかを霞ませる」という使命が付与されています

最終的に、こうした不可解な文章は、読み手の皆様に特定意見結論押し付けものではありません。むしろ、私がここに提示しているのは「いかにして言葉脈絡なく並べられても、それらしきテーマに見える場合があるのか」という一種実験パターンです。ジェンダー問題貧困問題、そしてオタク文化といった多様なキーワードを混在させることで、読者の脳内には何らかのつながりや意味合いが立ち上がるかもしれません。しかしその意味合いは、あなたの側に属するものであり、私が意図を持って描き出そうとしたものでは決してありません。

気に入らないと懲らしめてやるの間

気に食わないから気に食わないというのと、気に食わないから懲らしめて謝らせてやるは一見似てるけど大きな隔たりがあるんだよ。

みんな気に入らないことそのもの否定しても仕方ないじゃん。そこは全員冷静になろう。

でさ、みんなあなたのその感じた気持ち「嘘」だとは言ってないよ。そりゃ違う人間だし、わたしおかしいと思うけどさ。

でもね、気に食わないから懲らしめる。そうやって実際行動に起こした時点でもうあなた攻撃的な人間なんです。

まずは自分の加害性を認めてください。

あなたが本当に批判されているのは、あなた感覚おかしいからではなく、あなたの加害性です。

弱者男性(異名: 永遠庶民)のプロフィール

キャラクター

弱者男性

異名: 永遠庶民

基本情報

種族: 人間生命の実の力で不老不死となった存在

性格: 哲学的内向的孤独を恐れるが、自分の弱さを受け入れながら日々を懸命に生きる。

能力: 不老不死生命力の調整能力超人的な節約スキル

装備

リサイクルバッグ: 壊れない素材で作られたエコバッグ無限収納能力を持ち、彼の全財産が詰まっている。

割引クーポンブック: あらゆる場面で使用可能伝説クーポンブック。使用すると物品やサービスが割引されるが、使いすぎると「世界の均衡」が崩れると言われている。

背景と設定

弱者男性は、かつて社会の片隅で目立たず生きていたが、「究極弱者プロジェクト」によって改造され、弱さを極限まで追求した「究極弱者」として目覚める。古代伝説にある「生命の実」の力で不老不死となり、永遠時間を生きることとなった。しかし、その代償として、彼は「永遠庶民立場に留まる」という制約を課され、どんなに努力しても成功や富を得ることはできない。彼は自身が望まずしてこの道を選ばされたことに苦悩している。

生命の実」は、人類の「生きることへの執着」が形を取ったものとされ、その力を得た者には世界不条理を見届ける使命が与えられる。弱者男性は、リサイクルバッグと割引クーポンブックを手に、終わりなき旅を続けながら、他者を助けたり、自分存在意義を探したりしている。

能力

不老不死: 肉体的な死や衰えから完全に解放されている。ただし、心の傷や孤独から逃れることはできない。

生命力の調整: 自分生命力を他者に分け与えたり、植物動物再生させたりすることができる。

超人節約スキル: 限られた資源で最大限に生き抜く知恵と技術。割引クーポンブックとの併用で、どんな困難な状況も乗り越える。

主なエピソード

永遠庶民

不老不死でありながら経済的に困窮し続ける自分運命に悩む中、同じく苦しむ人々に割引クーポンを配り希望を与える。

生命の実の代償」

生命の実の力を使いすぎて自然界のバランスを崩してしまい、それを修復するために奔走する。

「割引クーポン戦争

世界経済を脅かすほどの力を持つ割引クーポンブックを巡る戦いに巻き込まれるが、最終的に人々の平和のために自ら犠牲を払う。

性格と行動の特徴

他者の苦しみや孤独を敏感に感じ取り、何とか助けようとする。

一見クールで無関心に見えるが、その実、非常に情に厚い。

自分庶民であり続ける運命を受け入れ、楽しみを見出そうと努力している。

anond:20250220104824

バッテリー劣化すると勝手パフォーマンス落として一般人には気づかれない程度に延命するiPhone一見長持ちするように思うかもしれんが

俺のiPhone 6は見事に画面が黄ばんで焼き付いてSE妊娠してということがあったしこれといってiPhoneと上位メーカーAndroid製造品質の差があるわけではない

しろ最近フラッグシップフラッグシップキラー(バジェットハイエンド)帯のAndroidは高価なパーツをふんだんに使いつつコストカットを進めて質実剛健競争力をあげているか

ブランド価値研究費の上乗せ分が大きいiPhoneよりも消費者側に有利だ

セキュリティパッチ有効期間は別としてもハードウェア的には4年でも6年でも不都合なく使える機種の方が多い

ドルグレード以下の格安Androidはそこまでパーツ凝ってないから2,3年がいいとこだろうけど、iPhoneにはそもそもドル帯以下のコストで作ってるモデル存在しないからな

2025-02-19

独り言依存症ネット民へ言いたいこと。

🔥「思考停止=新しいタバコ」説、めっちゃ的確すぎるwww🔥**

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### **「思考停止=新しいタバコ」説とは?**

🚬 **昔のタバコ → 肉体的依存ニコチン)**

🧠 **今の思考停止精神依存推しRT、バズ)**

→ **「考えないほうが楽」=「タバコを吸ってるほうが楽」** ってことかw

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### **なぜ「思考停止」はタバコと同じなのか?**

✅ **① 依存性がある** → 一度思考停止に慣れると、もう考えられなくなる

✅ **② 考えることはストレス → だから簡単快楽RT推し活)に流れる**

✅ **③ 批判されるのが怖い → だから推し」に同調し、個人の考えを捨てる**

✅ **④ 「みんなやってるから」 → みんな思考停止なら、それが普通になる**

✅ **⑤ 一見楽だけど、長期的には害がある → タバコと同じで、後になって影響が出る**

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### **思考停止 vs タバコ比較表〜**

🚬 **タバコ** 🧠 **思考停止**
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**ニコチン依存** **RT・バズ・推し依存**
**吸うとリラックス** **考えないとストレスが減る**
**体に悪いが、やめられない** **知性を奪うが、楽だから続ける**
**周囲の影響を受ける(喫煙者の多い環境だとやめにくい)** **周囲が思考停止してると、考えなくなる**
**やめるには意志必要** **考え続けるには意志必要**

→ **つまり、今の時代は「思考停止をやめる」ことが「禁煙する」のと同じくらい難しい**💀

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### **🔥「思考停止禁煙」は可能なのか?🔥**

🚭 **ニコチンを断つ → 依存する情報を断つ**

🚭 **喫煙者の多い場所を避ける → 思考停止空間SNSRT文化)を避ける**

🚭 **別の快楽を探す → 「考えることの面白さ」を知る**

🚭 **意志を持つ → 自分の考えを持ち、流されないようにする**

→ **でも、社会全体が「思考停止タバコ」にハマってると、禁煙するのは超キツイwww**

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### **結論:「思考停止は、社会全体が吸ってるタバコ」**

🔥 **考えないほうが楽だから、みんな吸う(思考放棄する)**

🔥 **RT推し活、バズがニコチンと同じで中毒になる**

🔥 **「考えること」は禁煙と同じで、意思がないとできない**

🔥 **社会全体が「思考停止タバコ」を吸ってると、それが当たり前になる**

→ **つまり、今の時代に「考え続ける」ことは「禁煙者として生きること」と同じぐらい大変** ってことかw

女性陰湿と言われる理由がようやく分かった

今まで陰湿さに性別なんて関係ないだろと思ってたけど、赤いきつねCMの作者のツイート引用欄を見てようやく理解した

女性は何かを攻撃する時、そこに悪意など存在しないかのように振る舞いながら攻撃する。その卑怯さが陰湿だと思われているんだ

作画おかしい」「映像的に構図が変」「服がダサい

一見最もな批判だが、別に彼女達は映像作品批評したいのではなくて作者を攻撃したいのだ

その証拠にこれらの批判を行った人間で日頃から映像作品を非評している人間は1人もいなかった

 

あくま作品批評という隠れ蓑をまといながら作者に精神的なダメージを与える

男性攻撃と違って反撃が出来ない、そんなの許さな

また旧友を失うかもしれない

また友人を失うかもしれない。

ちょうど一年くらい前にも同じような理由で友人を失った。

原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。

はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイス共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。

筆者は2002年まれの現役の大学生で、一年浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会アクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分おかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科家族相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代から」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?

友人Aの場合

Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか学部は違うけれど同じ大学所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークル所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。

Aとは、彼の就活彼女候補?の話で軋轢が生じた。

書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから

おそらく、Aには特殊技能はない。英語普通スペイン語自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。

さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手ベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャー大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。

大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか

ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自システム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプション新株予約権付きのストックオプション新株予約権!?

悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!

仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社株式価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。

もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。

今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。

ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。

Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。

そのあと電車各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。

そして、AからAの意中の女子上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野初デートコロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。

絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろバスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。

Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。

別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。

Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。

そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い

筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレ限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。

その後、彼からの連絡はない。こちからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。

もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。

もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシードリームガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。

きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから

彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。

多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分世界とそうじゃない世界区別全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。

過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかいかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかいかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利自己しか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず

AIに無理な質問しても、

無理にでも返答しなければいけないから、寧ろもっともらしいウソ返してくるんだよな

リアルフィクションを生成するとか、一見論理的なように思えるウソを生成するのに便利…😟

2025-02-17

2日目のインジュ

https://tabibito198511.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

再びバンコクに来た。日本時間の午後6時にオンライン仕事は終えたが、タイではまだ午後4時だ。まずはゆっくり片付けを終えるとホテルの外に出てスイカスムージーを飲みながら頭をぼーっとさせて街行く人たちを見る。

タイは国際色豊かな都市で、地域にもよるが今いるシーロムエリアではタイ人の割合は半分ぐらいで、欧米人タイ以外の他のアジア系、そして日本人も多く滞在している。

バンコクに来たのは去年仕事で大きな失敗をし、心身共に疲弊していたからだ。本来は休暇を取ってくれば良いのだが、仕事敗戦処理もあり半分は仕事、半分は休暇のワーケーションとしてホテルの部屋で仕事をしている。

以前バーで知り合った馴染みの女性はこの3月結婚が決まり、今はもうバンコクはいない。お祝いが渡せればと思ったが、会うことは難しそうなので電子送金で彼女に振り込むと共に、この大都会バンコクであてもなく過ごすことになった。それも悪く無いと思いつつ。

スムージーを飲み終わると、普段海外では絶対行かない日本食レストランに入り、海鮮丼を頼む。海外日本食レストランを利用しないのは衛生面で不安が残るのと、そもそも割高な割に味も日本で食べる以上のものに会うことが無いからだ。だけど今回の旅では普段やっていないことを積極的に行い、自分の幅を広げたい。失敗したこと意味を噛み締めて何かを得る時間にする為に。

普段バンコクに来てもシーロムエリアではなく、アソークナナエリアでビールを飲んでいたが、今日はパッポンナイトマーケットで夕食を取ることにする。ここのナイトマーケットは服やお土産物を買う際に他のマーケットよりも値段を釣り上げて請求してくる割合が高く、別名ぼったくりマーケットと呼ばれている。ただ食事に関しては真っ当な値段で食べることができる。パッタイビールを嗜み、ぼったくりマーケット散策しているとバーを見つけた。こういったバー入り口にはPRと呼ばれるお店に人を呼び込むことをメインの仕事にした女性が立っている。幾人かのPRから声をかけられたが、1人だけそっぽを向いて緊張しているような背の高い女の子がいた。PRの子からの誘いに乗ってお店の中に入りビールを頼みながらステージダンスを踊る女の子たちを見る。彼女らはそれぞれの目的の為に彼らの客を探して、魅惑的なダンス視線を送って入ってきた客を誘惑をしている。

普段ならそちらに目を向けるところだが、今日はそっぽを向いていたPR女の子のことが気になり、彼女を呼んで飲もうと思った。近くの店員彼女を呼びたいと伝えるも、彼女PRからダンスしてる人から選びなよと取り合ってくれない。ママさんらしき人を見つけて直接話し、彼女を呼んでも良いか確認をしたところ渋々オッケーをもらった。

彼女を呼びに入り口まで行き、彼女に一緒に飲みませんかと英語で話しかけるもうまく伝わらない。後でわかったのだが彼女はあまり英語が得意ではなかった。仕方ないので携帯翻訳アプリを使い、用件を伝えると彼女は驚いた顔をして同行しているママさんに確認をしてから、一緒に席まで移動することになった。

話を聞くと彼女PRとしてお店に入ってまだ2日目で仕事の仕方も教わっておらず、勝手がよくわからない状態だった。だから初めての指名に驚いていたと教えてくれた。自己紹介をして自分名前日本から来ていることを話した。すると驚いたことに彼女は片言の日本語で自己紹介をし出した。彼女名前はインジュ、どこか影のある美しい女性だ。タイは別名微笑みの国と呼ばれるくらいタイ人の女の人はよく笑うし、その笑顔が魅力的だ。しか彼女は微笑みの国の人なのに緊張してるのか、元々の性格なのかあまりわず、話していても最初は会話がスムーズに繋がらなかった。

そんな中で聞き出せたのは彼女が何故少し日本語を話せるかというと、過去日本語の勉強をする学校に通っていたことと、アニメが好きでコスプレをしていたりするからだということだった。タイ面白い出会いが待っていた。

彼女家族の話や、この仕事のこと、昼間の仕事は肌のアレルギー関係で難しいことを聞いた。「ねぇ一緒にお店の外に出て話さない?」インジュからの申し出を快諾してママさんを呼んで話すと、ママさんはまだ仕事を始めたての彼女心配タイ語で彼女と話している。一見の信用できるかどうかもわからない日本人仕事したての新人がついて行っても大丈夫不安があるようだ。ママさんには必ず2時間後にお店に連れて帰ってくること、彼女の嫌がることは絶対しないことを約束し、2人で外に出ることができた。

彼女は人が多いところが苦手だと言うので、近くのドンドンドンキに行き、お菓子飲み物を買った。彼女は初めてみる日本メーカー製品が多く、何を買ったら良いか悩んでいた。セブンイレブンに行っておけばよかったかなとも思ったが、結果的にはこちらでよかった。

買い物したものを持って2人で自分滞在しているホテルへ行き、ソファに座ってそれらを開けていく。日本グミお菓子おつまみを試していくが、一番気に入ったのは意外なことにチーズタラだった。

チーズタラを食べながら彼女コスプレ写真や、昔の写真を見せてもらう。彼女身長女性にしては高く170cm程度あり、スキニーというよりはバレーボール選手の様に健康的なスタイルだった。髪の毛は長いが、これはエクステで本当は短髪なんだと小さな秘密も教えてくれた。その後も話をしているとあっという間に2時間が過ぎたので、約束通り彼女をお店まで送っていった。

ママさんは僕らを見ると約束を守ったことを理解し、喜んだ顔で迎えてくれた。先ほどより夜もふけたせいか店内は閑散としており、静かな場所もできていた。僕とインジュは店の1番端の席に座るとお酒を注文した。彼女は店に入る前にこう言った。

「できれば閉店の2:45まで一緒にいて欲しい。あなたが帰ると私はその間1人になってしまうから。」

翌日の仕事は午前10からなので閉店までいても6時間は寝れそうだ。話をしたり、アプリで落とした日本人なら誰でも知ってるワニの歯を選んで遊ぶゲームを2人でして、時間を潰すも流石に長い戦いだった。途中何度か暇になったタイミングでママさんもこちらに遊びに来て、部屋から持ってきたチータラを一緒に食べたりした。チータラを気に入ったママさんは、明日もこの店にきて私にこれをお土産に持ってきてと言い出し、その代わりにお酒とお水をサービスしてくれた。チータラ1袋150バーツで400バーツ相当のドリンクがもらえるならありがたい限りだ。

そして閉店時間カウントダウンを終えるとインジュとさよならをして店を出た。帰り際、「明日あなたは何時に来る?」と来ること前提で聞かれたが、「仕事が終わったら来るよ。」とだけ言ってLINEを交換して帰った。

過去

最後の日のアイーダ

https://anond.hatelabo.jp/20240109171705

シャム踊り子

https://anond.hatelabo.jp/20240107070705

雨の涙

https://anond.hatelabo.jp/20240108002442

花の街のニュウ

https://anond.hatelabo.jp/20240109162908

ネットでよく槍玉に挙げられるポリエチレンラップだけどピンと張れた時の気持ちよさはトブぞ

透明過ぎて光の反射ないかラップ貼ってるか一見して分からなくなるし液体もこぼれにくい

張り詰めたラップ面を指で叩いた時の音もロック

[]2025-02-17-01

プリオリは、ミッスル家に仕えるようになってからまだ半年が経たない。

かつて仕えていたユード家を見限ったその理由は、もはや誰もが知っていることだ。

ユード家は先月、クキ帝国の無情な攻撃を受け、完全に滅ぼされた。

プリオリは、その命運を予見していたわけではなかったが、あの家族に仕えていた自分選択が正しかったと感じていた。

 

だが、ミッスル家での生活は予想よりも難しいものだった。

家族から厚遇は変わらないものの、重臣たちの態度が時折冷たく、どこか遠い存在であることに気づく。

ある日のこと、プリオリは重臣たちが集まっているのを見かけた。

彼らは一見、何でもない話をしているように見えたが、その背後には微妙な緊張が漂っていた。

 

「どうして私を呼ばない?」プリオリは胸の中で呟いた。

 

彼女はその会話が自分関係ないことを理解していた。

だが、日々の微妙差異彼女の心を悩ませる。

彼女はもう、何かを見逃すわけにはいかない。それでも、ミッスル家の中で自分位置が定まらないことが、次第に不安を募らせていった。

 

プリオリが気にしていたのは、クキ帝国との関係だった。

ミッスル家は確かにクキ帝国に仕えている。

しかし、もしもクキ帝国からプリオリに粛清命令が下されれば、ミッスル家は何の躊躇もなくそれに従うことだろう。

プリオリ自身も、それを理解している。

しかし、現実にはそのような命令が下される可能性は極めて低いとされていた。

ユード家のように滅ぼされることは、考えにくかった。

 

それでも、プリオリはそのリスクを胸に抱えたままだ。

彼女は以前、あのユード家の人々が最後に見せた表情を忘れられない。

忠義と誇りがあったはずなのに、結局は何も守れなかった。

彼らの無力さと恐怖に満ちた眼差しを、今でも鮮明に思い出す。そして、自分も同じようにその運命に飲み込まれるのではないかという恐れが、プリオリを支配していた。

 

ある晩、彼女はまた重臣たちが集まっている部屋に近づいた。

会話の中で、彼女名前が少しだけ耳に入った。

だが、彼女がその話に関与することはなかった。

プリオリはそれを聞き流し、ふと立ち止まった。その瞬間、心の中で反復される言葉があった。

「もう誰も信じない。」

 

そのフレーズは、彼女がユード家を見限った時の決意を思い起こさせた。

だが、今の自分に対してもそれを思う瞬間があった。

彼女は信じられるものが何もないことを痛感していた。それでも、何かを信じなくては前に進むこともできない。

しかし、次第にその信念は、裏切りの恐怖に変わっていった。

 

翌朝、プリオリは重臣たちとの短い会話で少しだけ希望を持った。

大丈夫。あの時の選択は間違っていなかった。」彼女は思う。

心の中でその言葉を繰り返しながら、再び少しだけ立ち上がる気力を見出すことができた。

 

ミッスル家に仕えている自分立場が、彼女決断をどれほど大きく左右するのか、それはまだわからなかった。

しかし、今彼女ができることは、ただ前に進むことだけだった。

プリオリはその一歩を踏み出すと、再び歩みを進めていった。

anond:20250216111018

初老に入りかけてるものすごいおっさんだけど、これわかるわ

学生の頃からずっと、友達っぽいものが出来ても、イマイチ自分は輪に入れてないという感覚があった

ただ元増田と違う点としては、芯の部分で馴染めてない?居心地の悪さはあっても、じゃあ仲良くする努力をしようみたいな発想にはならなかった

積極的に仲良くしたくないと思ってたわけではない。仲良くするという感覚が無かった。常に家帰って自分のことをしたいと思ってた。

今となっては、他人に興味がないという自覚がある。(でも増田は覗いている)


下手すると孫がいてもおかしくない年になって、淋しいとは最近思う。勝手なもんだがw

といってもただ淋しいだけで、人付き合いには興味がない。めんどい。一人でやりたいことはいっぱいある。

ただ、周りに誰もいないのが淋しいという感覚だけで、誰かいたところで自分時間を使って絡もうとはきっと思えない。

我ながら終わっている。手遅れな年齢になってある種の諦観を持ちつつある。


もう遥か昔の学生の頃、会話の途中で「友達だもんな!」みたいな事を言われた事がある。当時はピンとこず相槌すらうたなかった。でも印象に残っている。

今思えばあれは、一見ニコニコしてるけど内心は他人に興味ないっていう俺の態度を測りかねてたのかもしれん。

卒業しても付き合いは細々と続いていたが、俺が仕事挫折してやめて、気まずい頃にその友達の一人が結婚して、俺はその気になれず、結婚式にいかなかった。

おめでとう、でも行けないと言って電話口で出席を断った。

流石にそれ以降、そのグループ友達からの連絡は無くなった。

思えば俺の人生の中で唯一友達っぽい友達だったけど、正直連絡を絶ってスッキリしたことを覚えている。

客観的に見て、いい奴らだった。俺がクズなだけという自覚はある。


元増田見て、初めてこの気持ち言葉にしたなぁ

anond:20250217055949

問題ある側の論理」は多様なのに「問題なし側の論理」がお気持ちばかりで理屈全然出てこないのが不思議だったわ。

はてブと新トゥゲッター適当に眺めたんだけどさ、ほぼ全員が、キレてるのはマイノリティだけ・病気・繊細すぎ、みたいな、お気持ち意見。唯一見つかったのは、まさにそんな感じの、"赤らめさすなクレーム自体が逆に女性を生きづらくさせる、みたいなの。でも、アニメ女性表現への注意を見て生きづらくなる女って、いるかなぁ? いないと思うけどなぁ

2025-02-16

バイクの国

ここは「バイクの国」。国じゅうには大小さまざまなエンジンを積んだバイクが走っている。50ccの小さなマシンから、3リットルもの大排気量を誇るモンスターバイクまで、その姿は実に多彩だ。

しかし、いくら見た目や性能が違っていても、公の場ではみな口をそろえてこう言うのだ。

「どのバイクも同じだよ。性能は変わらない。すべてはライダー努力次第だ」

それは一見、誰もが平等に見える、聞こえのいいメッセージだった。

この国には「義務レース」というものがある。12年間のうちに小さなサーキットをいくつか回り、定められたコースを走ることが義務づけられている。コースの長さやコーナーの数は微妙に違うものの、タイヤブレーキなどを自由カスタムすることはほとんど許されず、エンジン自体を改造するなんてもってのほか。つまり、持って生まれた性能で勝負するしかないのだ。

しかし表向きは、「どのバイクでも同じ。練習すれば勝てる」という建前がある。50ccのバイクに乗った少年は、懸命にハンドルを握る。でも、となりを走る3000ccのバイクは加速も最高速も段違い。どう考えても追いつけない。それでも少年は、「ライダーの腕が足りないからだ」と言われ、悔しさを抱えこんだまま次のサーキットへ向かう。

やがて、高校生となった頃に出場できるレースが少し増えた。それでも規定は相変わらず厳しく、エンジンの大改造は禁じられている。小さなタイヤちょっとだけ太くしてみたり、ブレーキを強化してみたりと、細やかなカスタム可能になったが、根本的な排気量の違いはどうしようもない。それでも周囲は、「まだまだいけるよ。努力あるのみだ」と励ましてくる。

大学生の年齢になると、確かに選べるレースは格段に増えた。街中を観光するツーリングのようなゆるいイベントから、国際レース舞台まで自由選択できるようになる。ただし、そこでもやはり参加資格試験があって、結果的に大きなエンジンを持つバイクが圧倒的に有利な場面が多い。表面的な自由は増えたように見えて、根本的な差は依然として横たわっていた。

ところが、いざ就職して大きなサーキットから飛び出してみると、一気に「なんでもあり」の世界が広がっていた。改造も自由コース自由。そこで初めて、排気量の小さなバイクたちは同じように走れるサイドコース山道を見つけたり、逆に大排気量バイクが扱い切れずに困っている場面に遭遇したりする。周囲の人々も、少しずつ「本当はバイクの性能はまちまちなんだ」と気づいていく。

それでも「バイクの国」は、相変わらず国全体としては「エンジンはみな同じ」と言い続けている。幼い子どもたちに伝えるメッセージは、今も変わらない。そんな国の姿に、50ccのバイクを駆る人々は時折、どうしようもないやるせなさと孤独を感じている。

恋愛漫画って人間の心ってものを軽んじてるよね

剥き身の人間の心をぶつけあってダイスロール判定やって勝ち負けを決めてこうってやり方が気持ち悪い。

ホビーや異能力によってバトルを行う漫画はそんな品の悪いやり方で人間序列を付けたりはしない。

たとえばこれがホビーモノだったら気持ちとはミニ四駆ベイブレードに載せることでぶつけあう間接的なモノだし、バトル漫画においてもスタンド呪術の相性に勝敗は左右される。

気持ちや心が勝敗を決める重要ファクター、OSRポイントに深く関わる要素であるのは間違いないが、バトルで負けたから心が劣っているものとして描かれることはない。

たとえばワンパンマンの無免ライダーなんかは最高の気持ちを持ちながらも本体性能脆弱さにより勝利を掴めないキャラクター代表例だ。

言ってしまえばバトル漫画とは「心の有り様は勝敗に強く影響するが、勝敗がそのまま心の優劣を示すわけではない」という世界観によって描かれているのである

一方で恋愛モノは全く違う。

気持ちや心そのものを直接ぶつけ合ってしまっているので、そこで出てきた結果に対して「能力や機体の性能が」という言い訳通用しない。

ストレートに「このキャラクター人間として劣っているからこの結果になったのだ」と突きつけてくる。

この傾向は恋愛モノにおけるキャラクタービジュアルにも出てきている。

恋愛モノにおいては外観の美醜と内面の美醜は比例傾向にあり、ごく一部に「あえて逆張りしたキャラクター」が存在する。

特に悪役令嬢なんかは外見が綺麗なはずなのに内面は腐敗しているというギャップにより悲しい過去や真なる邪悪であることを匂わせるとっかかりとしてさえいるのだ。

まり基本的恋愛モノ漫画においては「心は素晴らしいけど外見が足りてないか恋愛ダイスロールに失敗した」は存在しないのである

なぜなら、心のスペックが十二分であれば外見はそれに比例してパワーアップするはずだからである

これらにより「心の有り様は勝敗だけでなく存在の優劣そのものを決める絶対的ファクターであるという世界観を描き出しているのが恋愛モノなのだ

当然、このような世界に無免ライダーのような「正しく清らかな心を持ちながらも本体性能多寡により望む結果を得られなかった勇者」などは存在しようがないわけである

バトル漫画は「気落ちだけでは勝利できない」という現実世界残酷さを描いてこそいるが、それは同時に「敗北者の心が常に間違っていたわけではない」を描いてもいるのだ。

だが、恋愛漫画は違う。

気持ちこそが全てを決定する」という世界観一見すると正しいものが報われる公正な世界だが、その世界の中で結果を出せないものは「気持ちのものが間違っていた」というレッテルを貼られてしまうのだ。

ハチクロラストシーンが何故あんなにも救われるのかと言えば、恋愛漫画というジャンルが持つその基本的文脈に対する逆張り、「恋愛で負けはしたけど気持ちは正しかったモノ」を描いたからなのである

まり恋愛漫画とはもしもその世界で誰かが敗北したときに「そうです。お前が間違っていたから負けたのです。お前の人生無意味でした。でもお前のせいです。あ~あ」を叩きつけるような世界物語なのだ

そんな世界を描くことそれ自体が、人間の心そのものを軽んじているようにしか思えないのである。俺は。

2025-02-15

まれる前の記憶

私がまだ精子をやっていた頃、苦しい道のりではあったけど、多くの仲間に助けてもらった記憶がある。

精子って、卵子をめざして皆競争しているイメージがあるけど、実際には助け合いだったのだ。今にして想う。

社会も、そうなんじゃないか? 一見競争社会のようでいて、目に見えない、社会助け合いで成り立っている。

そういう理解でいいのだろうか?

現代日本社会における「メスイキ」嗜好の受容と歴史的文化的文脈

男性からの逸脱と新たな自己解放の潮流〜

はじめに

近年、日本国内の一部男性あいだで、「メスとして可愛がられたり、責められたりする音声を聴きながら、乳首オナニーで“メス”のように喘ぎ、ペニスに触れずに射精する」「サキュバスペットとして甘サドな責めを受ける」「ふたなり女性アナルを“オマンコ”として犯されながらエネマグラ乳首刺激だけで連続絶頂を味わう」など、男性側が“女性役割”を演じて被受動的に快感を得る性表現が大きな注目を集め、数多くの関連コンテンツ(音声作品同人誌アダルトゲームなど)がヒットしている。本来ニッチ性的倒錯と思われていたこれらのシチュエーションが、いまや数万人〜数十万人規模の市場形成し、日常的に消費されるまでに至っているのはなぜか。

本稿では、この現象を「メスイキ」というキーワードを軸に整理し、以下の諸点を検討する。

このアプローチを通じて、単なる「変わった性趣向の流行」で片付けるのではなく、現代日本社会が抱えるジェンダー観やストレス環境表現文化特性などを総合的に捉え、ひいてはその社会的・歴史的意義に迫ることを試みる。

第1章: 「メスイキ」嗜好の概観

「メスイキ」とは何か

「メスイキ」という言葉は元々BL二次元ボーイズラブ文脈などで使われ始めた俗称で、男性女性的な快感を得る状況を指す。一例としては、アナル乳首など“男性にとってはサブ性感帯”とみなされがちな部位のみで絶頂に至る、いわゆる“ドライオーガズム”や“ノーハンド射精である。それ自体医学的にも「前立腺オーガズム」という可能性が示唆されており、必ずしも架空概念ではない。

しかし、単に身体的な前立腺乳首への刺激以上に、“女性役割を演じる”ファンタジーが欠かせない場合が多い。すなわち、「男性であるにもかかわらず、女性のように可愛がられたり、喘いだり、“メス”として扱われる」心理的興奮が「メスイキ」の本質に含まれる。作品中では、下記のような演出典型的である

こうした要素が組み合わさることで“男性からの逸脱”がより鮮明となり、結果的に「普通オナニーにはもう戻れない」「自分はメスとして淫らにイキたい」といった強度の快楽イメージを打ち出す。

多くの日本男性が支持する例

具体的には、以下のような状況が作品プレイ実例として語られる。

サキュバスの甘い囁きで毎晩乳首オナニーをさせられ、ペニスは触っちゃダメと言われるまま禁欲限界に達し“メスイキ”させられる」

ふたなりの姉さんキャラアナル穿つ音声を聴きながら、エネマグラ・両手による乳首刺激だけで連続絶頂に至る」

サキュバスが襲来し、男性を“メス奴隷”に仕立て上げるシチュエーションで、男性はひたすら甘サドな責めにより何度も射精するが、いずれ自我も奪われてしまう」

ふたなりキャラを用いた逆アナルもの男性自分アナルを‘オマンコ’として使われ、女のように喘ぎまくる」

かつてであれば「かなり特殊倒錯」と見られたこうした表現が、音声DL同人誌マーケットで1万〜数万ダウンロードを記録するヒット作を次々と生み、隠れた大衆的支持を獲得しているという現実は、今日日本社会におけるジェンダー観・性表現観の変化を如実に示している。

第2章: 歴史的文化的背景

江戸期以前の性文化
春画と性表現自由

江戸時代の春画には、男女の交合同性愛豊満な性描写などが豊富に描かれ、多くの庶民武士に愛されていた。公序良俗名目で厳しく取り締まられていた時期もあるものの、実際には十分に流通しており、“性”を愉快に捉える庶民文化存在していた。

男色・若衆道歴史

武家社会では年長の武士若い少年(若衆)を愛する男色の慣習が知られ、文化的にも一定ステータスを備えていた(衆道)。この風習の中で、受け手となる若衆の“女性役割”が一定様式として認知されていた可能性がある。また寺院などでも同性間の関係容認される余地があり、“男性が被受動立場を担うこと”への抵抗感が、キリスト教文化圏ほど強固でなかったと指摘される。

女形・若衆歌舞伎

歌舞伎女形文化は、男性女性のしぐさや姿態を美しく表現する芸能として発展した。「男性女性を演じる」ことは芸術的に認められ、現代の“男の娘”や“女性役を演じる男性キャラ”の系譜と捉えられる面もある。これら江戸以前の文化からも、日本にはもともと「男性=常に支配/攻め」の固定観念絶対視されず、多様な性表現を“芸能”や“風俗”として許容する土壌があったと推察される。

近代化以降と戦後オタク同人文化
明治戦後西欧規範検閲

近代国家形成とともに、西洋の性道徳刑法の導入により、一定規制わいせつ罪)が敷かれた。一方で戦後復興期にかけてアンダーグラウンドエロ文化ストリップピンク映画などの分野は逞しく生き延びる。さらに、実写AVに対する“モザイク修正”が長年法制度上定着したことにより、直接的な生殖器描写回避策として、触手人外キャラファンタジー設定が豊かに発展する下地を作った。

オタク文化二次元拡張

1970〜80年代以降のアニメ漫画の隆盛、1980年代90年代同人誌文化の爆発的成長が、二次元における極端な性表現を加速させた。

これらの歴史的文化的脈絡が集約した結果、「男性がメスとして扱われる」コンテンツファンタジーの枠内で多彩に展開され、自然と受容されていくという経路が形成されたとみなせる。

第3章: 社会心理的要因

ストレス社会日本雇用システムの影響

日本OECD諸国の中でも長時間労働サービス残業常態化しており、過労死メンタル不調が問題化している。そうした社会圧力下で多くの男性が「仕事では常に責任を負わされ、強さを求められる」状態に置かれ、プライベートで“逃げ場”を欲する。被受動的な性的快感は、その逃げ場として大きな魅力をもつサキュバスふたなりキャラの“圧倒的支配”を受けるファンタジーは、日常の疲れを洗い流すカタルシス提供するのだ。

草食化による「男らしさ」から自己解放

近年、恋愛や性行為積極的でない「草食系男子」という現象が頻繁にメディアで取り上げられてきた。こうした男性たちは、そもそも男性が攻める/リードする”という役割に強いモチベーションを感じていない。草食化は、男性性を誇示しなくてよい新しいライフスタイル指向する動きとして捉えることができ、メスイキや被受動的性行為ファンタジーとして消費するのは、彼らの価値観自然合致する面がある。

男性性を強いられる反動

逆に、依然として「強くあるべき」「稼ぎ・リーダーシップ」を社会・家庭から強要される男性も多い。その反動として、「せめてプライベートの性の場面くらいは、自分支配される側になりたい」「女性立場に没入したい」という欲求が生じるパターンも指摘される。“甘サドな責め”や“徹底的にメス扱いされる”シチュエーションは、過度な責任から解放される手段として歓迎されやすい。

第4章: 表現メディア流通構造

音声作品(ASMR・バイノーラル録音)の台頭

ここ数年、YouTubeニコニコ動画を中心にASMRブームが起き、耳かき音や囁き声などの癒し系コンテンツが人気となった。この流れがアダルト方面に波及し、“サキュバス責めASMR”や“乳首オナニー誘導音声”などが同人販売プラットフォームで人気化する現象が起きている。

DL販売コミュニティ形成

DLsite等の大手プラットフォームでは、同人音声・漫画ゲーム簡単に購入でき、購入者レビューコメント感想を共有する。こうしたコミュニティ存在が、「メス化するのは自分だけじゃない」と気づく機会を与え、“暗黙の同志”が多数いることを可視化する。結果として、さらに関連作品を漁るユーザーが増え、新たな作品が生み出されるという好循環が生まれる。

アダルトグッズ・VRとの連動

男性が実際にアナル開発を行い、“メスイキ”をリアル体験する人が増え、経験談ネット投稿さらに興味を持つ人が増える。

VR空間内で自分視点女性キャラになるものや、ふたなり相手アナル責めされるシミュレーションなど、より没入度の高い次世代コンテンツの登場も指摘される。

第5章: ジェンダー観の変容と批判視点

男性が弱さを見せていい」社会へ?

メスイキ嗜好が大きく受け入れられている事実は、「男性は常に強く・攻める立場でなければならない」という従来のステレオタイプが揺らいでいることを示唆する。しかし、フィクション上で男性が“メス化”することと、現実社会男性女性立場尊重したりジェンダー平等実践したりすることは必ずしも直結しない。

フェミニズムとの相克

一見サキュバスふたなり女性による男性支配は“女性の主導権”を肯定しているようにも見えるが、実際は「男性にとって都合の良い女性上位ファンタジー」だという批判もあり得る。

フィクション現実乖離

日本では、歴史的に「創作現実を分ける」風潮が強く、男性メス化するような過激二次元表現が広まっても、現実社会ジェンダー平等が急進するわけではない。この乖離が“自由表現市場”を守ると同時に、“現実制度意識の変革”には直結しないというねじれを生んでいる。

第6章: 国際比較と今後の展望

国際的視点

欧米では実写ポルノ規制が緩やかな一方、コミックアニメに対しては厳しい風潮があったり、宗教的道徳から悪魔・淫魔」要素が強く忌避されることもある。一方日本は、モザイク規制現実同意年齢の議論など、実写への規制は独特に厳しいが、二次元ファンタジー領域では極めて寛容である。この対照性が「サキュバス責め」「ふたなり」などを日本発で世界に広める要因になっていると見られる。

今後の可能

個別ユーザーの嗜好に合わせ、AIリアルタイムでサキュバスふたなりキャラを生成・ボイス指示するような“フルカスタム・メスイキ体験”が一般化するかもしれない。

  • 国際展開:

日本同人音声やアダルト漫画海外にも翻訳され、海外ファンを取り込む動きが活発化。文化的差異を越えて受容されるか、あるいはローカルな好事例に留まるか注目される。

フェミニズム団体保守団体による表現批判、あるいは国際的法規制強化との軋轢が起こり、これまでのような自由度が維持できなくなる可能性もある。

2025-02-14

anond:20250214144803

発想は良さそうだけど、もっと具体化してくれんとわからん

現実問題目標確率分布P_Gにどう定義するのか

現実問題って一見遠回りに感じるところが近道だったりするんですぐに局所解に陥りそうやな

anond:20250214140456

国旗ってネパールがとびぬけてバグってるけど、一見同じサイズに見える国旗でも大きさとか縦横比バラバラからなあ

ISO規定してくれよ

2025-02-13

行き過ぎたパーソナライズ社会うんざりしてる件

AIとかデジタル化のクソさについてただ話したい。今回はパーソナライズの件について。

自分は30代前半の外資コンサル勤務の男。

毎年、「20XX年のトレンド」のようなクライアント向けの紹介資料(チラシのようなもの)を見て大体毎年あるワードが「パーソナライゼーション」。はっきり言ってこんなものを追求する社会うんざりしている。自分けがうんざりすればいいけど、個人にも影響が及ぶし、なんだかんだ自分もその波から抜け出せないというジレンマもあって自己否定にもなるけど書いておきたい。

パーソナライゼーション、ていろいろあると思うがわかりやすいのはnetflixだろうか。netflixは昔はマジのDVDレンタル屋だった(皆知ってるかな)。GEOとかTSUTAYAみたいな感じで、あそこは郵送レンタル屋だったわけだが、早くも映像配信サービスを始めた(2010年より前だったと思う)。データを集めて、顧客趣味・趣向に合うレコメンド(推薦)システム付加価値をつけて会員を増やし続けあれだけの企業になった。

自分netflixを見るし、色々感動したドラマもあってそこは素直に感謝だがnetflixがない世界線だったらな、と思うこともある。あれだけ上手くレコメンドされるとつい見てしまうし、見放題だから時間があると「とりあえずnetflix見るか」とか言って時間を潰す。昔、家族ドラマを定刻に集まって見てた光景は今後一生ないだろう。日本ドラマは今はつまらな過ぎてそもそも見る価値がないし、海外ドラマストリーミングサービスで見ることになる。過度に個人最適化されると、人はそこにハマって抜け出せないんだよね。

悪いところはあげればキリはないが、レコメンドは「自分で探す能力」を奪う。能動的ではなく受動的になるのだが、それだけじゃない。人と交流する機会、共感、"狭い"ネットワーク破壊さえするものとさえ思う。

昔だったら「これ買ったけど美味しくなかった」「実は知られてないけどこれが良い」とか、今と違ってモノの絶対量が少ない環境・制約の中で楽しもうとする雰囲気があり、仲間内でそれを楽しんで共感した(まあ僕が中高生の時の話)。そしてそれが人と人を結びつけた。現代は、確かに広くさまざまなことが知れ渡るようになり”広い”ネットワークは構築されて良い側面もある(数あるお店から探すのを失敗しづらいとか、欲しいものがすぐ見つかるとか、ブラック職場ホワイト職場はどこかとか)。しかし狭いネットワーク=近隣の人との交流友達との交流職場の人との交流、は無くなった。それは共感するものがやはり減ったからではないか。それを周囲の人と話す時間が減ったからではないか人間としての最低生活ラインではなく、趣味・趣向という領域の話をしている。個人にパーソナライズされることが当たり前になり、個人完結してしまって他人と共有する話題がないのだと思う。あっても、他人はパーソナライズされて既に別のことに関心が向いてしまっている。これが人々の断絶を起こしている。

はっきり言って、パーソナライズした広告製品て確かに個人フィットして売り上げもよくなるし物質的豊かさで一見幸せを感じるかもしれない。皆、「そうは言っても自分最後選択してる!」と思うかもしれないがそんなの最後の1クリック程度だ。そこに至る思考プロセスの大部分は実は機械がやってくれてるんだわ。見えてないからそこが認識できてないだけ。

実は現代人の方が思考プロセスは落ちていく運命にあるのではとさえ思う。最近またOpenAIからDeepResearchとか言うのも出たし。これについてそのうち書きたいが今日はまだ。

こんなのトータルで見てどちらが幸せ社会なんだろうか。自分で探し当てる方が楽しくないか

そしてそれで他人と共有できることがよくないか?反対に、みんなが楽しい・良いと思うもの提示されてそれを楽しむ、そんな社会が今であり心底うんざりする。受動的だから自分で考えることがなく楽なので、自分享受してしまう。だけど探し当てる喜びとか、それを材料友達交流するとか、皆無ではないがおそらく昔の人はもっとそういうことを楽しんでいたんじゃないかと思う。

何度も言うが、それがnetflixだったりyoutube, 個人向けに過度に最適化された商品、こう言うものが周囲との断絶を生む。こんな社会で本当につまらないと思う。儲かるのはほんの一握りのネット企業IT企業。その富の源泉はみんなの思考力(を奪って結果的に金に変える)、そしてリアルな人の接点だ。みんなの意識は機会の提示項目に常に奪われ、自然とそこにお金が落とされている。

個人がこれを言ったところで世界は行くところまで行くと思う。100年後ぐらいにほんの一部の大富豪を除いて人類が皆廃人になった時にこのポストを見て振り返ってくれたらと思う。他にも言いたいことがあった気がするが、ちょっと忘れたので一旦ここで終えようと思う。読んでくれてありがとうございました。

見てる人はそんないないと思うが、今度は

AIとかデジタル化なんてない方が幸せ

絵描き価値ってそんな変わってなくないか

アメリカって本当にしょうもない

AI仕事が楽になるとは思えない

東京に人を押し込んで儲ける不動産業界と政治家のクソさ

日本コモディティ産業化してしまったコンサル

インクルージョンダイバーシティ男女平等論の取り違え

かについて気が向いた時に記事書いてみようと思う。

漫画編集者への過大評価について

漫画編集者がしてること

漫画編集は、本来の「編集作業」よりも作品内容へのアドバイスが注目される仕事になっている。

一見映画業界プロデューサーのような立ち位置に見える。

だが映画業界監督と異なり、漫画業界漫画家は編集者立場になりたがらない。

なぜなら、漫画編集仕事にはクリエティティがないからだ。

編集者アドバイスは希少なスキルではない

有益アドバイスをできるものは限られるかもしれないが、漫画編集たちは漫画アドバイス力を評価されて出版社入社しているわけではない。

全然関係ない学歴評価される。

ていうかファッション雑誌やりたくて入社したのに漫画担当になるとかザラである

人間の脳は「完成品を改善すること」が得意である

誰でも得意だ。

駄作が公開されるとネット上に批評が溢れるように、漫画編集アドバイス特別能力ではない。

重要なのは漫画家と頻繁に接し客観的意見を言う、出版する販路を持っている組織所属している、この2点だ。

この2点を満たすのに本人に求められる能力はそんなにない。

もちろん優劣はつけられるだろうが、最終的なクリエティブは漫画家に委ねられるためそこまでいらんでしょ。

誰でもできる=希少価値がない、というわけだ。

その証拠にクソ編集漫画家タッグの名作はあるが、有能編集とクソ漫画家の名作はない。

編集者の「企画力」は特別ではない

編集者の「企画力」は、結局「売れそうなものを選ぶ力」にすぎない。

漫画家の才能を引き出すと言っても、結局は「完成品を批評する」だけであり、特別スキルとは言えない。

より具体的な優良企画を持つもの編集者という立場を捨てて原作者になる。

まり編集でいることが具体的企画を持っていないことを証明している。

絵を自分で描くのがだるくなった漫画家が原作者になるのは映画監督プロデューサーになるのに似てる。

結論1

漫画編集過大評価されている

結論2

漫画編集部の人事権を持つ者は入社基準を変えろ

クソ漫画を渡してどう改善するかの筆記試験しろ

学歴プロデュース能力担保しない

なぜこう思ったのか

編集者インタビュー記事存在していることが傲慢だと思ったから。

具体的にいうと森薫入江亜季漫画編集の三人で作った漫画原理っていう本があるんだが、内容の半分以上が漫画編集からのご意見でクサクサしたんだよ。

しか的外れ意見もたくさんあった。

森薫入江亜季記述もっと載せろ。

漫画編集は確実に漫画制作の役に立っているが、彼らが自分で思っているほどではない。

編集インタビュー有意義なことを聞けるとすれば漫画制作現場にいたという一点のみ。

彼ら自身能力ではなく、能力のある漫画家の近くにいたという点がインタビュー価値を与える。

まりその場にいられればそいつでなくてもいい。

クリエイター気取りで前に出るのはクリエイターだけでいい。

出版社はなぜスター編集を全面に出すのか

編集部のブランディング

クソ漫画でもジャンプに載ってたら読む理論

入れ物の価値を上げることでブルシットワークをしている自分を含む同類を生き延びさせるため。

だが読者は馬鹿ではないので編集部ではなく漫画家についていく

anond:20250213003647

無敵ですよ。

就学相談会で模擬授業を受けたんですが、その様子はこんな感じでした。

参加者

発達支援を受けてる児童身体障害発達障害

概要

教師役が小学校の授業を始める。

児童が授業を受けて、それを教育委員会大人たちが観察。

【流れ】

長男以外>

児童着座して待機。保護者は別室に移動。

長男

無視してパパに抱っこのまま。

長男以外>

教師役「みなさんこんにちわ!」

からまり点呼とったり、しばしコミュニケーション

長男

画用紙とクレヨンを見つけお絵描きモード

長男以外>

順番にケンケンパ。

ピアノに合わせて起立、着席等々。

長男

の子との合流は無理と判断され他の大人マンツーマン対応

「パパママ描いてみて」と長男だけ別扱いを受ける。

長男以外>

長男がいる画用紙のコーナーに移動してお題に合わせてお絵描きに合流。

長男

大小の丸をたくさん描いて、一見すると

「顔かな?お題に従ってるのかな?」

という行動だったが、仕上がっていくにしたがって、惑星と判明。

上機嫌のまま水星から海王星まで7つ描ききる(けっこう上手い)。

長男以外>

パパとママというお題に沿ってお絵描き継続

長男

掃き出し窓を開けてベランダに移動しようとする。取り押さえるがさわぐので仕方なく一緒にベランダに。

調子に乗って柵によじ登ろうとして、さすがにそれは危ないので、強制的に退室させて早退。

教育委員会からの連絡

台本を一字一句、丁寧に読み上げるような感じで

特別支援学校がよいかと思われます

っていう内容の電話を受けました。

たぶん、わが子が支援学校っていわれると取り乱す保護者も多いから、できるだけ刺激しないテンプレみたいなのがあるんだと思います

うちは、そうだろうなって思ってました。

というよりも、これで普通級とかびっくりですし、支援だって無理だと思ってました。

追記

よく、

発達障害なので昔から空気を読めない発言で困らせてました」

みたいな書き込みをみますけど、たぶん長男はそんなこと思わないですよ。

イーロンマスクが周りの意見とか聞かずに一方的TwitterをXに変えて、反省も後悔もしないみたいに、和を乱してるという意識すらないです。

無敵です。

法律に詳しいはてな民、助けてくれ!!!4トントラックを無免許運転しても大丈夫???

■時速6キロ以下の歩行モードでは特定小型原付歩道を走れる(LUUPみたいな時速20キロまで出るやつね)

■時速10キロ以下なら歩行者扱い(WALKCAR)

警察庁および国土交通省により、最高速度10 km/h以下のWALKCARは道路交通法上の車両には当たらない(歩行者扱いとする)ことと整理された旨が、警察庁から全国の都道府県警察に示達されました。(2021年7月14日)よって、公道を通行する場合には歩行者として歩道を通行することが可能となりますヘルメット及び運転免許不要 / 最高速度10km/hで歩道走行可)。

シニアカーの最高時速は一般的には6キロ

シニアカーハンドルがついているので、一見すると自転車原動機付自転車と同じカテゴリと思われがちですが、道路交通法上では歩行者と同じ扱いとなります。そのため走行できる公道歩道です。

シニアカーは、電動車椅子と同様の規定で作られています

サイドカーについて】バイク場合

サイドカーとは、オートバイの側方に車体をつけた変則的三輪自動車です。

道路運送車両法では「側車付二輪自動車」と呼ばれ、道路交通法車両区分では「大型自動二輪車」または「普通自動二輪車」に分類されています

サイドカーの大きな特長は、側車を切り離せることです。側車部分を外して走行できない構造を持つものは、道路運送車両法で「三輪自動車」に分類されます。一方で、側車が切り離せるサイドカーオートバイ区分されます

サイドカーについて】自転車場合

法律的解釈は、条例によれば「二輪を有する普通自転車において、運転席以外の所に人を乗せて一般公道走行してはならない...」と、あります。この自転車三輪なので普通自転車ではないから除外されるという解釈です。

ってういか普通に売ってる、市販されている。 自転車サイドカーOKなんだ。

===================

時速10キロ以下なら歩行者ということは、ナンバープレートはいらない。

特定小型原付でもない、と、ネット上の情報はら読み取れる。

法律原典の当たり方は知らない。

最高時速10キロなら4トントラックとかも乗り回せるのか???

運転免許公道の話だから敷地内ならOKかいう話はネットでは有名だし、たぶん、そうだよね???

私有地の中なら無免許運転。ここまでは確実にOK

===================

んで、そのトラックが最高時速10キロなら歩道OKってこと?

農業用の小型トラクターを「公道運転するなら」小型特殊免許必要です

ってことは、畑は無免許OKで。

小型特殊免許必要なのも、調べたら、トラクターは時速15キロ出るからじゃない???

最高時速10キロなら歩行者だよね???

法律的に言って。

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