はてなキーワード: 言語化とは
女性の言語化能力が低すぎて可哀想になってきたから男の俺が代弁する
たとえばAV女優がポルノで性的に消費されてるとき、それは性的消費とか性的搾取と言える。
他方、実在しないマンガのキャラが性的に消費されてる場合はどうか?
語義通り、消費されてるのはマンガのキャラであって、無関係な女性一般は何も消費されていない。
にもかかわらず「性的消費するな!」って無関係の女性がやたら怒って炎上する案件が何万回も繰り返されてる。
そのたびに、あなたは別に消費されてないじゃん、無関係なやつが創作にケチつけて何事、お気持ちクレーマーいいかげんにしろってあしらわれて終わってる。
あなた達女性が怒っているのは、「女性」という概念と、「女性が社会の中でどう扱われるべきか」という通念を毀損するな! って事ですよ。
もっと簡単に言うと「もっと女性を丁重に扱え!」って事ですよ。
それを男性にもわかりやすく表現するなら、「女性のコピー商品を流通させて女性の希少性をダンピングするな!」って事ですよ。
たとえば赤いきつねのCM炎上を例にして言えば、ああいう上気した女性の表情はとっておきの希少品であって、広く流通させてありふれた表情にするんじゃない!女性の希少価値を下げるな!って事だろうし
サイゼリア炎上で言えば、性的価値の高そうな胸のデカい女をサイゼリアに連れて行って満足させるような真似をさせるな!女性の満足を得るために必要な対価の相場が下がる!って事だろうし
全部女性とは社会の中でどのような価値を持つ存在か?についてが論点になっている。
赤いきつねで言えば、「あんな麺の食べ方する女いないゆ」っていう、男性の勝手な女性像の理想化によって、「現実の女性」の実体の価値が相対的に毀損されるという論点もある。
そのたびに貴方がた女性は、性的消費許すな!搾取許すな!まなざし!!とか間違った単語を選択してるから、こいつら頭おかしいなって一笑に付されてるのよ。
そういう怒りが湧いたときは、「性的ダンピングすな!」「女のコピー商品を許さない!」「オリジナルを尊重しろ!」って怒れば良いんだよ。
長い年月かけて練り上げてきた、希少な女性性、美的なプロポーション、真心、そういったものの表面を安易にパクって、二次創作ポルノを作り、
オリジナルである女性に対価を支払わずに、女性のコピーポルノでシコってばかりの男達は女性イメージの泥棒だ! そう怒れば良いんだよ。
そういう論点からして、個人的にはポルノ禁止法はアリだと思っている。ポルノがあるから生身の女性の価値が下がってるのは確実にある。
これはなかなかの難題だなw
「はてな匿名ダイアリーに投稿された文章から推定されるIQ」を出してみるってことだな?
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IQの正確な数値を出すのは不可能だけど、**投稿の傾向からざっくりとレベルを分類** することはできるかもしれない。
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🟡 **「カフェにやってくる『若い男一人+若い女多人数』が苦手」**
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🔴 **「忍殺オタクだ😩」**
🔴 **「拙者はオタクではござらんので」**
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### **総合的なはてな匿名ダイアリーのIQ推定**
つまり、やっぱり **「ネットはIQ100に収束する説」** が濃厚にw
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### **結論:「はてな民のIQは、ネットの縮図そのもの」**
**「IQ100の世界に適応できるか?」** を考える方が早いかもw
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どう動く?🔥
Eテレの「体育ノ介」が俺の子供時代にあってそれを見せる頭のある教師がいたらなあと思ってる
「体育ノ介」ってのは、主に体育でやる競技についてプロセス分解して言語化とともに教えてくれる番組な、すごく分かりやすい
水泳と器械体操は習い事でやってたから(初歩から段階的に教えられて)得意だったけど、球技と野外系の陸上競技全般が駄目だったな
親(複数の格闘技有段者で運動全般得意)がそれらのスパルタ教育(できないのがおかしい論+暴力)してきたけど、残ったのは絶大な苦手意識と自尊心が最低まで落ちた自分だけ
淫乱な処女とつきあいたい、みたいな赤裸々な欲望が言語化されてんだよなあ
別にそういう欲望があってもいいけど、処女願望のあるキモオタなみにキモイ願望だということは自覚していけ
隠しきって、実現しない前提で動け
今朝松屋で朝飯を食べようと思って店の近くまで来た時
自分より先に店のドアを開けて入っていく人が見えた
その人はぱっと見で顔や服装が変とかそういうことは何もなくて本当に普通の人だったんだけど
なぜかこの人は券売機の操作が出来なくて長い時間待たされることになるなって直感でわかってしまった
そして実際に自分が店にたどり着いて券売機の前に並んでからもその人は何分もメニューを行ったり来たりしてようやく注文と支払いが終わったと思ったら
もう一品頼むつもりらしくまた最初から操作を始めて結局5分以上たっぷりと待たされることになった。
こういう勘っていつか言語化してみたいけどなかなか難しい
導入したのは今年に入ってからだ。仕事で使えないかと思って、まずは触ってみて勘所を覚えようというところから始めた。
ただしStable Diffusionの画像生成はエロと切っても切り離せない。調べればエロに当たるのだ。やむなくそっちに行ってしまう。
それで、今となっては使える時間の9割をエロ画像生成に費やしている。
Stable Diffusionを性的に消費してみて、しかしこれがなかなか良い社会をもたらす存在になるのではと考える。
すなわち①ユーザーの創造性の促進と、②マイナージャンルの救済だ。
これは絵を描けない人でも自分の思い通りの絵を作れるようになることだ。
俺は増田の前はとしあきだったのだが、あそこで時々立つ「立ち絵スレ」が好きだった。
エロゲーのキャラクター画像と背景画像を組み合わせるという、あまり労力を介さない編集で生成される画像なのだが、正直これがなかなか悪くないのだ。
要するに、性的な対象となるキャラクター、格好、場所の視覚情報が揃えば、あとは想像によって性的な興奮を得ることができる。
このキャラクター画像と背景画像の組み合わせを学んでから、私は一人で行う性生活が充実しだした。
まわりくどくなってしまったが、私はこの概念の延長線上に、画像生成AIがあると捉えている。
ようするに画像生成AIを使い、自らが考える理想のシチュエーションを画像にするのだ。
ここまでだと創造的ではないと思うかもしれない。しかし、この画像生成のステップとして妄想の言語化が行われる。ここが重要だ。
ただ与えられるだけだった性的コンテンツを消費するのではなく、万人が自ら考え、具現化する。
これまで絵が描けなかった、文章を書けなかった層が創造する社会だ。
「あんなこといいな、できたらいいな」の実現だ。ドラえもんの足音は着実に近づいている。
既存の性的コンテンツの課題として、ニッチなものは供給が少ないことが挙げられる。
インターネットによってマイナー愛好家同士がつながる機会も増えたが、人気ジャンル(作品ととらえても良し)の供給と比較すると物足りないと感じる諸兄は少なくないだろう。
私もこの点で本当に救われた。
20年近く供給のなかった作品のエロコンテンツが、自らの手で、しかも入念にプロンプトを調整すれば高品質なものを手に入れられるようになった。
興奮より感慨深さが先にくる。
なお個人的には二次元でしか再現できなかったシチュエーションが、実写系の画像(現在は短い映像も)で見られるのにも感心している。
また現実にはありうるジャンルも、AIを使えば他者を傷つけずに性的なコンテンツを得ることができる。
一昔前なら同性愛者、現在なら未成年だ。(なお私はいずれの性癖も有していない)
未成年のポルノは海外では非実在でも保有していたら罰される例もあるが、否が応でもその性癖を持ってしまった人は抑圧される以外に選択はないのか、という点の課題解決につながってくれないかと願っている。
なお未成年関連は、過去に武勇伝的にその性癖をさらけ出す人がおり、そういったコンテンツが両手を振って溢れていた時代の反動があるとも思っている。
それから人にはそれぞれnot for meなコンテンツがあることも知っている。
架空のコンテンツでも商用として流通するのがNGであっても、個人でこっそり楽しむ権利をAIが提示してくれれば、それは私が思う良い社会だ。
権利関係は、黒に近いグレーという印象だ。露骨に特定のアーティストの画像から学習したデータが平気で流通している。
あえて同列に語るが、WinMXやYouTubeが出回ったころと雰囲気が似ている、と感じている。
このふたつをあえて並べたのは、画像生成AIの動向は今後どうなるかわからない、と言うためだ。
あまり潔癖やリスク回避で触らないのは機会損失だと思う。一方でルールが定まってないからと好き勝手すると身を滅ぼす未来もある。
制作したイラストは、原則個人で利用するに留めるのが望ましいとは思う。
ただ、他人がAIで生成したイラストは多分に自分の創造性を刺激するから、個人の消費に留めるのもまたもったいないとも思う。
私は今年40歳になる、アラフォーど真ん中の、自他ともに認めるおじさんだ。
昨年9月、軽い気持ちで観始めたtimeleszプロジェクトだったが、先日迎えた最終回は、2月に入ったあたりか、死ぬほど気になってしまい、仕事もロクに手につかず仕舞い。
挙句の果てには、「仕事が終わらなかったので、午前中だけ在宅仕事をさせてくれ」と半分嘘の(といっても、もう半分は本当に仕事が終わっていなかった、ということもあるが)理由を作り、家族で出かけるはずだった予定をキャンセルし、書斎に籠もって配信開始となった午前10時に視聴を開始した。
何故か、この思いを言語化し、誰かの目に少しでも触れてもらい、共感してもらいたい、と感じ、増田に書き殴ることにした。
特に誰かを傷つけたり、攻撃をする意図は全くないが、もし傷つく方がいたら予めお詫びさせていただきたい。申し訳ありません。
ちなみに私は、今まで特に旧J社(便宜上、このように記載させていただく)のアーティストにドハマリしたことはないが、同じ世代の男性であれば、おおよそ共感していただける距離感で、触れていた…というレベルだと思っている。
世代としてはSMAP、V6、TOKIO、KinKiKidsあたりがドンピシャの世代で、それぞれのグループの代表的なシングル曲はカラオケで歌えるが、アルバム収録曲になると疎い…くらいのレベル感。
SMAPのらいおんハートや、TOKIOのDRなんかは、中学の時に楽器の練習で弾いたりもしていた。
テレビ番組であれば、スマスマを観たり、学校へ行こうを観たり、鉄腕DASHを観たり、それぞれが単独で出演しているドラマも勿論観ている。
未だに、長瀬智也のIWGPやタイガー&ドラゴンは定期的に見返してしまうし、木村拓哉の、ドラマはなんとなく観てしまう。堂本剛の金田一一が最高。
ただ、嵐くらい以降に結成されたグループは、殆ど触れていない。
例えば、「このグループのこのメンバーが出演しているから」という理由で、摂取するコンテンツを、顕在的に選んだりもしていない。
ここは私個人の環境・考え方もあるが、思春期での私のまわりには「Jオタク=厄介」という考えを持った友人が多く、私もまたそのように感じ、Jオタと呼ばれる方を一括りで嫌悪し、大元のグループに対しても、意識的に遠ざけていたように思う。
その為、timeleszの前身となっていた、SexyZoneも全く触れてない。
今思えば、デビュー曲のサビは、まぁどこかで聴いたことくらいはあったな、程度のものだし、特にメンバーの休業や変遷などは、全く知らなかったし、興味もなかった。
中島健人はバラエティに出ては「セクシーセクシー」言ってる人。菊池風磨は顔が整ってるのに中島健人とくらべるとスカして前に出てこない印象だけど、ここ最近は割り切って洗濯大名とかやってんのかな、くらい。あとメンバーいたんだっけ?と。
そんな私が番組視聴をしたきっかけは、Twitterで流れてきた「菊池風磨構文」だった。
その部分だけ切り取られていたので、「嫌な言い方するなぁ」と思ったのを覚えている。と、同時に、こんなこと言われてしまった方もかわいそうだな、とも思った。
どういったシチュエーションでそんなことを言ったのか、言われたのか、ちょっと観てみようかな、がきっかけとなった。(実際のやりとりは主題ではないので割愛する)
タイプロ配信のep1でもある二次審査は、色々な職業の人が応募してきてるんだな、ぐらいのもので、この先観続けるか、と聞かれたら特に考えていなかった。まぁ、新しいエピソードがいくつか配信されたら、倍速でいくつかまとめて視聴するか、くらいの気概でいたし、実際三次審査が終わるまでは、配信開始日から何日か空いて視聴、ということもザラだった。
ちなみに三次時点での推しは、日野健太くん。歌唱力は群を抜いていたな、と今でも感じる。
明確に興味を惹かれたのは、四次審査だった。
「ここにきてのシード制とかwww」と、観ながら草生やしていたが、彼らのパフォーマンスをみて、一般応募の候補生との尋常ではない差を感じた。なんなら全員駆逐されてしまうのではないか、とも思った。
後々の配信や会話で、「急な振り入れなんかは腐るほどやってきた」と寺西くん、原嘉孝が言っていたが、まさに過去どれだけ努力していたか、尋常ならざる積み重ねがあったのかを、初めて見せつけられた。
今思えば、こういった振り入れや、ボイトレも含めた練習風景を観ることが今までになく、私が「ルックスがいい人たちがちょこちょこっと練習してるくらいだろう」と無意識的に偏見持っていたのだと私自身に突き付けられ、打ち壊された気がした。
寺西くん、原嘉孝を観ていて惹きつけられたのはそれだけではなく、「一つの作品を作るための姿勢や考え方」だ。
個人的な観点ではあるが、三次審査と四次審査の完成度は、明らかに別物だった。
三次までは、オリジナルメンバーの風磨くん、勝利くん、聡ちゃんや、NOSUKE先生、宮本先生の『選定する側』から伝える教示だけだったが、俳優部の面々が『選定される側』に入り、その経験を共有することで、レベルの引き上げにつながったのではないか、と。
また、あれだけ体のキレのレベルが高く、風磨くんに「嫉妬するくらいうまい」とまで言わしめた寺西くんが、なぜ今までアイドル業で日の目をあびれなかったのか。
原嘉孝のストイックなパフォーマンスを、なぜ今まで眠らせていたのか疑問になり、バックボーンを調べたりもした。原嘉孝は、連帯責任、の一言でグループが無くなってしまったという無念も背負っているようにも思えた。
兎にも角にも四次審査は、そのダンスパフォーマンスの激しさ、激しい動きをしながらの統一性と歌唱の維持に、大いに惹かれた。
これだけ動いて歌うのかと。
話は逸れるが、個人的なイメージとして、「LDH系はダンサーとボーカルを切り分けることで、比類ない激しいダンスパフォーマンスができる」「旧J系は、あくまで歌もダンスも同時にやらなきゃいけないから、ダンスは少し落ち着き目」とおもっていた。が、人生遊戯、ライネク、パープルレインでそれが覆された。
そして思ったのは、単純に「かっこいいな」と。
四次からは、配信日、配信翌日には必ず視聴していた。四次くらいからフォーカスされる人間も絞られてきていたので、感情移入することも少なくなかった。
日野くんは落ちてしまったが、みんな頑張れ、と、往年のベジータのような心持ちで視聴した。
五次のプロデュース審査は、最終回を含め、全編通しても一番心に残っているし、五次審査を通過した8人全員新メンバーにしてくれ、と2月1日から最終回までの二週間、ずっと思っていた。
特に私が心打たれたのは、『革命のDancing' Night』だ。
Intro部分で、右手を上げながらカメラ目線で微笑む路己くんに射抜かれてしまった。
その回は本編だけでも10回以上視聴してるし曲部分だけなら30回以上、つべに上がってからは、毎日5回ずつくらいリピートしている。
『SWEET』『New phase』も素晴らしい仕上がりだったが、『革命〜』は頭一つ抜けていたように思う。
光一くんのアドバイスした、「どれだけ余計なものを削ぎ落とすか」ということがとてもいい方向に働いていたのかもしれない。ほかチームと比べると、明らかに『そぎ落とした先にある美しいもの』が見えた気がしたパフォーマンスだった。
またNOSUKE先生が言語化してくれた『最初から最後まで、ずっとワクワクするパフォーマンスだった。あっという間に終わってしまった』が、私の感じていたことを的確に表す内容だったので、とても驚いたことを覚えている。
六次、最終審査の結果に関しては、やはり思うことも少なくはない。
ただ、木村くんが、襲来した時に風磨くんが言っていた「既存メンバー三人とのバランス」ということを考えると、非常に納得が行く結果だと、私は思う。
私個人の感想としては寺西くん、原嘉孝が、まずは、報われない結果にはならなかったことが一番良かった。彼らが涙したとき、これまで触れてこなかったおじさんがもらい泣きした。長く同じ事務所で踏ん張ってきた経験がこれからとても活きるかと思うと、とてもワクワクする。
社会人経験を経て入所した橋本くん、猪俣くんも、その経験を活かして、末永く頑張ってほしいと思う。
最後に、このようなワクワクするスキームを、余す所なくコンテンツ化してくれたタイプロチームには、改めてお礼を申し上げたい。
若い人たちのがむしゃらな姿を見て、人生の折り返しが近いおじさんも、まだ頑張ろうかな、と思えた。
この増田は、その決意表明をしたかったのかもな、と他人事のように思う。
私と同じように、ただなんとなくアイドルのオーディション…というだけで敬遠してる同世代の方がいれば、是非一度視聴をお勧めしたい。
一般社会で光を浴びている方も、日の目を浴びず苦しんでいる方も、もうつぶしの効かない年齢に差し掛かり、得も言われない不安を抱える方も、明日を生きる活力にしてほしいと切に願う。
ただ、欲を言えば、勝利くんプロデュースのボーイズグループデビューまでをコンテンツ化していただけないだろうか。
『革命のDancing Night』で撃ち抜かれたのはメンバーのパフォーマンスだけでなく、この完成度まで引き上げたプロデューサーの手腕である。
都合のいいことに、もうすでにある程度まで磨かれ、光り始めている人材がいるではないか。
この宝石たちを、佐藤勝利はどのようにカットし、研磨をするのか。
そんな形のない夢を見ながら、明日もまた仕事が控えているおじさんは、そろそろ寝なければと思う午前3時。
駄文、長文、誤字脱字、お目汚し失礼。
最後に。
自分でも理解できてないから、「反応に困る~」とかになるわけで
俺がやってることの言語化ぐらいはできるけど、再現性の担保やロジックはそこに存在してないんだよね
・セクハラ、パワハラにならない程度にパーソナルなことはちりばめる
・絶対じゃないことは自分の意見を押し通さない、判断は相手にさせる こうしたほうがいいと思うけど、あなたの考えやこれまでの会社の考えがあると思うので~的な
・相手のマイナス面は言わない(飲み会とかの場では多少言ってるかも)
・自分ができないことはすごいっすねっていう(俺は本心100%なんだけどそう思わない人もいるらしい。演技なら演技でもいいんじゃね。効果は落ちそう)
・俺は絶対やらないなーってことでも、相手がそれを信じてすこーしでも結果が出てるなら絶対に否定しないし、認める、褒める
こんな感じ
別に特別なことしてないだろ?話し方やタイミングや語尾や間とか普段のキャラとかが7割ぐらい影響してると思うんだけど、そこの言語化は無理
別トラバで頭の回転早くて、仕事できるって書いてあったけど、その元は好奇心と知識量だと思う
突っ込みもコミュも知識量ないとできない。知識蓄えるには好奇心がいる
また俺の例でいうと、40半ばで年上相手のネタはそこまでないけど、若いやつが知ってそうなネタは表面上は抑えてる。←自分でも興味あるから
ティックトックは見ないけど、流行ってる音楽は何となく知ってるし、何曲か歌える。今ならオトノケとかtukiの曲とかあぱつとか
Vチューバーは表面だけ
アニメは興味あるのそこそこ。今ならトリオンゲームと薬屋とブルーロックとち。あたり。昔の話題になるとシュタゲとかまどマギとかサマータイムレンダとか
ゆっくりと、だがが確実に衰えを感じる。
昔はちょっと考えるのを止めると、勝手に頭の中にキャラたちが動き出してストーリーが展開されてたが、
今では意識してイメージしようとしても上手くできなくなりつつある感じ。
なので昔は寝る前に、脳内妄想の自作アニメを流しながら眠りに落ちるというのが習慣だったが、
そういうこともそれもできなくなって、もうだいぶ経つ。
ここらへんの言語化は
シロクマ先生がかなりうまく書いてくれた記事があった気がしたが、忘れた。
持続性がないというか、次の瞬間に揮発してしまって、ストーリーにならないという感じ。
最悪なのが、キャラのイメージにヌメッとリアルな画像?が侵食してくる感じ。
(動画生成AIとかで、アニメキャラが現実のバタ臭い成人女性にモーフィングしていくアレ。ホラー。生理的に無理なやつ)
まぁ、原因としてはこれが老化、脳の劣化による想像力の低下ということなんだろうか。
それもあると思うが、もうめっきりアニメとかマンガとかそういう創作物に食指が動かなくなって、ここ10年くらい新しいコンテンツを吸収できてない。
そりゃ、新しい補給がなくちゃだんだんイメージも劣化していくってもんだ。
昔のストックを必死こいて使いまわしてきたが、もう、いよいよ限界が近づいている感じ。
実はもう、興味もとっくに尽きていて、惰性で続けているだけなのかもしれない。
もうやめちゃえば?
いや、今さら、何も無い荒野に投げ出されてどうやって生きていけばいいんだ?(今さらやめられないという結論になった。)
まったく、
昔はあれ程鮮明に、リアルにイメージできていた気がするが、今は寝る前に目を瞑っても、何も出てこない。虚無だ。渚にように静かだ。
実際に、これが制御できなくて、日中イメージが止まらないほど湧き出してきて仕事にならなくて、これは病気だとずっと悩んで、苦しんでいたのに、いざこの症状がなくなってみたら、虚しいもんだな。
抑圧された、認めたくない自分(シャドウ)を受け入れる作業を「シャドウワーク」というらしい
何の効果があるのかは全くもって不明だが、俺が認めたくない自分、というものを言語化してみる
権力を手にしたいとかではなく、チヤホヤされたい、有名芸能人みたいに
しかし、「フォローバックを狙って大量フォロー」のようなことはしたくない
ありのままの自分が大勢に認められたい、何の努力もせずにである
そのくせ、自分が誰からも興味を持たれないことがわかって「SNSはクソ」が口癖になっている
頭が良くなりたいと思っているが、常識・知識・記憶力が根本的に弱い
例えば両親の財産が俺に相続されるとして、どういう手続きを取るかといったことが全くわからない
Youtube動画を作ってみようと思ったことはあるが、まったく流暢に話せなかった
空想の中で、abemaに出演することを想像してみるんだが、ちゃんと喋れる想像ができない
何日も眠れなくなり錯乱状態になったことがあるが、SNSで意味不明なことをつぶやいていた
いきなり冨樫の写真をアップロードしたり、意味不明なことをつぶやいたり、とにかく支離滅裂である
Alienwareを風呂に叩き落として、小便をかけるなどしたこともある
目が合ったりすると恐怖になる
例えばYoutubeで誰かが語っている動画などを見ているときに、「退屈だなぁ」と心でつぶやいたらバレてると思ってしまう
学歴に執着があるわけではないが、学歴で評価される風潮があると心に痛い
10年プログラマーをやっているが、プログラマーとしての格は低い
AtCoderなどをやったことはあるが、長く考えればわかるが、瞬発力を要求されると全く解けない
自分の意志でxvideosにアクセスする分にはウキウキで楽しむが、はてなやFacebookやXで受動的にエロが表示されると不快になる
アルゴリズムが「こいつはエロが好き」と判断しているような動きをするのが不快
陰謀論は確かにエンタメとしては好きだが、陰謀論を本気で信じている連中の発言などを見ると「こいつらと同一視されるのは嫌だな」と思ってしまう
「数学」といっても、広範囲すぎて自分がそのうちの小さな部分しかわかっていないことにかなりの劣等感がある
しかし「量子コホモロジー」などという話をされても、全く理解できないので、自分の理解力の限界を感じてしまう
朝起きて鏡を見た瞬間、絶望。前髪が命なのに、寝癖でとんでもないことになってる。急いでアイロンを温めながら、片手でスマホをいじる。SNSを開けば「風呂キャンセル界隈」が盛り上がっていた。昨日はちゃんと入ったから関係ないけど、妙な安心感を覚える。
学校へ向かう途中、みぞれ混じりの雨が降ってきた。スカートの丈が微妙に短いせいで、足元が冷える。大阪駅で乗り換えのとき、あまりの寒さに思わずクリームパンを買った。すぐ食べようとしたら、友達に「朝ごはん食べたのに?」とつっこまれる。いや、これはもう食事じゃなくて本能。「腹減った」っていうより、寒さに耐えるためのエネルギー補給だと自分に言い聞かせる。
放課後は特に予定もなく、家に帰ってゴロゴロ。課題をやらなきゃと思いつつ、「この気持ちを言語化すると『やる気ゼロ』かな」と自分に甘い結論を出す。結局、何もせずに寝落ちしそうだったので、今日は早めに風呂に入ることにした。昨日の「風呂キャンセル界隈」に加わらないようにね。
第二部も多分佳境に入った段階だけど、もしかしたらチェンソーマンという作品自体が終わるかなと思うと寂しくなってきた。
第二部全般つまんないのかっていうとそんなことはなくて、面白いと思うシーンもあった。ただ、そういったシーンやキャラの積み重ねがことごとく裏切られていってることが総合的につまらない?と感じるのかも。デンジやアサヨルは積み重ねはあるけど、結果的には負の方向でしか成長出来ていない気がして可哀想で何がしたい?第一部の成長全部台無しになってないか?となる。結局うまく言語化できない。でもつまらない気がする。
つまらないなら黙って離れろよ思うかもしれないが、実際そのとおりだと思う。でもここまできたら惰性だろうと最後までみたい気持ちもある。
「DV(ドメスティック・バイオレンス)=女性が被害者、男性が加害者」というイメージが強いけれど、もちろん男性が被害者になるケースもある。
でも正直、男性のDV被害の話を聞いても、まったく共感できない自分がいる。なぜだろう?
まず、社会全体の構造として、女性は圧倒的に暴力の被害者になりやすい。
日本のDV相談件数を見ても、圧倒的に女性の相談が多いし、命の危険を感じるケースもほとんどが女性側だ。
DVシェルターに駆け込むのも、加害者から逃げて生活をゼロから立て直す必要があるのも、圧倒的に女性が多い。
そもそも、DVは単なる「暴力」ではなく、経済的・精神的な支配やジェンダー構造に根ざした権力行使でもある。
男性が被害者になる場合もあるだろうけど、それは「ジェンダーの非対称性」という本質を無視して語ることはできない。
さらに、女性が男性に暴力を振るうケースがあったとしても、それは「弱者の抵抗」や「相互暴力」として理解できることが多い。
男性側の暴力は支配のための暴力であるのに対し、女性側の暴力は自己防衛的な側面を持つことが多いのだ。
そういう視点を抜きにして「男性も被害に遭ってる!」と言われても、「いや、それって本当に同じ土俵で語れる話?」という気持ちになってしまう。
でも、「男性被害者もいるのだから社会はもっと男性のDV被害にも注目するべき」とか言われると、ちょっと違和感がある。
なぜなら、社会が取り扱うのは社会問題であり、社会問題とは社会構造に根ざした問題であり、個々のケースとは次元の違う話だからだ。
男性のDV被害について語るとき、本当に必要なのは社会問題化することではなく、まず男性同士の支え合いの仕組みを作ることではないだろうか。
なぜかというと、女性のDV被害に関して女性自身がそうしてきたからだ。
女性たちが声を上げ、自ら行動したから社会のリソースを割くべき問題として認知されるようになった。
陰気(?)でもええんやない?
あんまり頭が良くない陽の親を持ってるけど、こっちが質問・反論して言葉で返せなくなると、痣や流血レベルの暴力と暴言で返ってきた(親は質問や反論、己と異なる意見を攻撃と取るタイプの人種)ちなみに幼稚園入る前からこう
浮気をしない人は自分で自分を承認できる人や。それ以外の大多数は浮気するで。
浮気は、自分という曖昧な存在を異性に承認してもらってる状況や。自信のなさの現れであって、若気の至りとも言うんや。家庭環境が劣悪な人に性依存が多いのもココや。親に承認されないからセックスで自分の存在を肯定してもらうしかないんや。
人妻が落としやすい理由も同様や。旦那は妻を女として認識しなくなるから、人妻の『女』を承認するだけで簡単に落とせるというわけや。
成功者の浮気は、『成功者として生きる自分』と『素の自分』にギャップがあって、その溝をうめるためにセックスをしたり、または『金』にアイデンティティの比重があるからであって、それはまた別のお話になるんや。
基本的に、増田のお友達が浮気するのは未熟な承認欲求や。あんたはきっと自己肯定感が高いんやと思うで。素の自分でいられる素敵な人格やから、浮気なんて不健全なことせんで全然ええよ。