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2025-01-18

anond:20250118232015

カノッサの屈辱』、ググってみたけどめっちゃ面白そう。

放送時期見るとまだギリギリまれてるくらいだった。

画像検索したら「ユーミン西太后」とか出てきてワロタ

何本かYoutubeに上がってるっぽいから見てみるわ!

2024-06-30

anond:20240630193141

まあ文句言うのもなんだなあと思い

自分で書くとしたらどうすんだろと考えた

しかしみんな同じ話にするってことはそこに需要があって金になるから

ってことで作者もたまには違うもん描きてえわって思ってるだろなう

話はそれた

自分推理もんかギャグしか読まないからそれがいいな

ギャグかな

王子理不尽に振られた悪役令嬢が復讐を誓って

既婚の王様を略奪愛するのはどうだろうか

そのあと子が生まれたら王さんもぶっ殺して西太后になるんだ

これこそ悪女令嬢やろ

2024-04-15

anond:20240414124452

ヤリマン女性仕舞いには女帝になるから恐ろしい話になると思うよ

ヤリマンは表向きは語られないだけで、淀君とか西太后とか、権力掴んで君臨した女って、つまりそういうことじゃないのかな?

一般的忖度されれて叩かれないじゃん

枕営業権力を掴んでしまえば女帝扱い

2023-09-02

anond:20230902021424

教科書読めとか言ってる奴がいるけど、

日本幕末の混乱や明治新政府の動向を、清や朝鮮がどう見ていたかって、

高校教科書でそんなレベルまで掘り下げてなんていないよな

西太后はまだしも、大院君が日本をどう見ていたかなんて、立場が二転三転することもあって

教科書記述じゃ把握しきれないでしょ

2023-04-09

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

過去投稿したのを編集したらなぜか再投稿になってる…なぜだ

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ネロ

 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。

曹丕

 3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女皇后に立てた。

・劉駿

 南朝宋の皇帝。2歳年上の王憲嫄を寵愛した。

・宇文邕

 北周皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女出家し、常悲に改名した。

煬帝

 占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后結婚した。聡明彼女外遊の度に付き従い、度々煬帝暴政を諫めた。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

仁明天皇

 1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。

オットー1世

 初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。

・ルイ4世 

 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキング誘拐されたとき彼女交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。

・李克用

 後唐の太祖。3歳年上の劉夫人結婚武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

・ロベール2世

 フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

三条天皇

 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

鳥羽天皇

 2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。

二条天皇

 病没した近衛天皇中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子出家し、二人の夫の菩提を祈った。

・世宗

 遼の皇帝12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟暗殺された

徽宗

 北宋皇帝側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人詩才の会った彼女皇帝の寵愛を受けた。

高倉天皇

 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。

平宗盛

 平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた

・寧宗

 南宋皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

藤原頼経

 鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた

ビルイェル

 スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。

フィリップ5世

 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌ姦通疑惑幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。

足利義満

 和歌に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。

・李芳遠

 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺危機から救い、李氏朝鮮建国に貢献した。しかし、夫が即位後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。

・世宗

 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。

・端宗

 朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さ流刑処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。

・睿宗

 朝鮮王正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。

・中宗 

 朝鮮王正室であった1歳年上の端敬王后即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后自分が良く来ていた服を山にかけた。

フアン

 アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。

フィリップ5世

 ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。

・ルネ・ダンジュー

 フランス王族ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベル聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。

・正統帝

 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝モンゴル軍の捕虜となった際には宮中財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 オーストリア大公秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

後花園天皇

 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。

後土御門天皇

 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。

・ヨハン3世

 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアイヴァン4世から離婚要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。

織田信長

 6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

バッハ

 1歳年上のマリア・バルバラ結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20の子を儲けた。

・ウィレム4世 

 オラニエ公オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える

フェルナンド6世

 スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上の女帝エカチョリー2世事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ

レオポルト2世

 神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性美徳モデル」と称された。

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ワシントン

 1歳年上の未亡人マーサ結婚した。家庭的で穏やかな性格彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ジェンキンソン(2代リヴァプール伯爵

 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書コピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

フィルモア

 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイル結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治アドバイスを求めた。ホワイトハウス図書館建設したのもアビゲイルである

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー侯)

 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界活躍した。

マネ 

 フランス印象派画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。

ロバートグールド・ショー 

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

ベルハルト・フォン・ビューラー 

 ドイツ帝国首相。1歳年上の妻マリアと結婚した。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。

小松帯刀

 維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である

明治天皇 

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

・同治帝

 清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒感染し死亡した

ハリソン

 アメリカ大統領。1歳年上のキャロライン結婚彼女ホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。

キャンベル=バナーマン

 イギリス首相。4歳年上のシャーロット結婚夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。

エルガー

 イギリス作曲家。8歳年上のキャロラインアリス結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である聡明なキャロラインエルガー音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。

・ポワンカレ

 フランス大統領。2歳年上の未亡人ヘンリエッタ結婚した。

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

アルカポネ

 1歳年上のメアリー結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。

ゲーリング 

 ヒトラーの側近。5歳年上のカリン結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリング彼女に因みカリンハル命名された別荘を建設、自邸にもカリン

記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。

チャンドラー

  Permalink | 記事への反応(1) | 23:32

2023-04-07

年上の妻と結婚した歴史上の偉人

ツタンカーメン

 7歳上のアンケセナーメン結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメン後継者アイとの結婚を嫌がった。

ネロ

 7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。

ムハンマド

 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャ結婚天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房ハディージャである

仁明天皇

 1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。

オットー1世

 初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。

・ルイ4世 

 西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキング誘拐されたとき彼女交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。

円融天皇

 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれ立后後6年で媓子は崩御した

・ロベール2世

 フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。

藤原道長

 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。

一条天皇

 皇后は3歳上の定子教養人であった二人の仲は良好であった。

三条天皇

 2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。

後一条天皇

 9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。

堀河天皇

 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。

鳥羽天皇

 2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。

二条天皇

 病没した近衛天皇中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子出家し、二人の夫の菩提を祈った。

徽宗

 北宋皇帝側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人詩才の会った彼女皇帝の寵愛を受けた。

高倉天皇

 平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。

平宗盛

 平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた

・寧宗

 南宋皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。

チンギスハン

 1歳上の妻ボルテ結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である

藤原頼経

 鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた

ビルイェル

 スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。

フィリップ5世

 フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌ姦通疑惑幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。

足利義満

 和歌に秀でた7歳年上の正室日野業子を寵愛した。

・李芳遠

 朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺危機から救い、李氏朝鮮建国に貢献した。しかし、夫が即位後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。

・世宗

 朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。

・端宗

 朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さ流刑処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。

・睿宗

 朝鮮王正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。

・中宗 

 朝鮮王正室であった1歳年上の端敬王后即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后自分が良く来ていた服を山にかけた。

フアン

 アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。

・ルネ・ダンジュー

 フランス王族ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベル聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。

・正統帝

 明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝モンゴル軍の捕虜となった際には宮中財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。

・成化帝

 明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。

マキシミリアン1世

 神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュ結婚ブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。

アフォンソ

 ポルトガル皇子。5歳上のイザベル結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故夭折した。イザベル再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世結婚することとなった

アンリ2世

 フランスヴァロワ朝国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシス冷遇した。厳密には妻ではない。

・フェルディナン2世

 オーストリア大公秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富薬学知識を持ち、貧民の救済に努めた。

後花園天皇

 8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。

後土御門天皇

 5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。

・ヨハン3世

 スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアイヴァン4世から離婚要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。

直江兼続

 3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったこから彼女への愛の深さが窺える。

バッハ

 1歳年上のマリア・バルバラ結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20の子を儲けた。

フェルナンド6世

 スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ

グレゴリーポチョムキン

 ロシア軍人10歳上の女帝エカチョリー2世事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ

レオポルト2世

 神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性美徳モデル」と称された。

上杉鷹山

 側室お豊の方は10歳上で賢妻として知られる。

ワシントン

 1歳年上の未亡人マーサ結婚した。家庭的で穏やかな性格彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。

ジョージ4世

 イギリスハノーバー朝国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民彼女に同情した。

・ジェンキンソン(2代リヴァプール伯爵

 イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書コピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。

・ハンス・アンデルセン

 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン父親12歳上のアンネ・マリーと結婚した。

ナポレオン

 6歳上の美女ジョゼフィーヌ結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレター晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌ皇后称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。

フィルモア

 アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイル結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治アドバイスを求めた。ホワイトハウス図書館建設したのもアビゲイルである

ディズレーリ

 イギリス首相12歳年上のメアリー結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係模範的と称えた。

ダーウィン

 1歳上のいとこエマウェッジウッド結婚エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。

ガスコイン=セシル(3代ソールズベリー侯)

 イギリス首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界活躍した。

マネ 

 フランス印象派画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。

ロバートグールド・ショー 

 南北戦争英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生独身を貫いた。

ベルハルト・フォン・ビューラー 

 ドイツ帝国首相。1歳年上の妻マリアと結婚した。

勝海舟

 2歳上の民子結婚民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。

小松帯刀

 維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である

明治天皇 

 3歳上の昭憲皇太后結婚したが、世継ぎは産まれなかった

・同治帝

 清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒感染し死亡した

ハリソン

 アメリカ大統領。1歳年上のキャロライン結婚彼女ホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。

キャンベル=バナーマン

 イギリス首相。4歳年上のシャーロット結婚夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。

エルガー

 イギリス作曲家。8歳年上のキャロラインアリス結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である聡明なキャロラインエルガー音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。

・ポワンカレ

 フランス大統領。2歳年上の未亡人ヘンリエッタ結婚した。

レーニン

 1歳上のナデジダと結婚した。彼女レーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的介護した。

ヤスパース

 ドイツ出身哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女ユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。

ゲーリング 

 ヒトラーの側近。5歳年上のカリン結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリング彼女に因みカリンハル命名された別荘を建設、自邸にもカリン

記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。

チャンドラー

 アメリカ作家。18歳年上のシシーと結婚彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂を図るなどしたが、周囲の支えで復帰した。

ラブクラフト

 アメリカ作家クトゥルフ神話作家10歳年上のソニア結婚した。夫人事業が失敗した後も就職のために移住し、夫に仕送りを続けるなど献身的であった。しかし、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。

トールキン

 3歳上のエディスと結婚彼女とのデートから着想を得て、ベレンルーシエン恋物語が創られた。

スカルノ

 11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。

ホーコン7世

 ノルウェー国王。3歳年上のモード結婚彼女慈善活動芸術家への支援を行った。

オーラ5世

 ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツ侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。

ダリ

 10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズマネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリ創作を辞めてしまった。

・崔 圭夏

 韓国大統領。3歳年

2022-02-19

anond:20220219053951

でも森元首相は一応キャンセルされたし。

もちろん日本社会男性優遇される面はあるとは思うけど、

石原場合権力が強大だったからじゃない?

かつて西太后が絶大な権力握った清は男社会だったし、強権がキャンセルされないのと社会全体の男女差はあまり関係ないと思う。

男女差の例として石原を挙げるのは適切じゃない気がするけど。

2021-05-05

そういやフッってどうなったんだっけ

あのはてなーバカどもはバカの一つ覚えで文化ガーとかほざきやがるよな

すげえウザくて本当に今すぐ早く死んでほしいんだが

まあ本当に文化が好きなだけじゃなくて、

単に文化をダシにして優越感ゲームに浸ること、

相手を見下すマウンティングに使うこと、

自分こそが文化的に優れた高貴な存在なんだと悦に入りたいこと、

で、その割には全く中身が伴わないスッカスカのゴミしかないということ、

そもそも文化それ自体えげつない集約資本主義貴族趣味的金権社会が素地になっているということ、

絶対王政絶対権力文化の隆盛に密接不可分な関係が一つにあることを知らないということ、

まあ書き上げればきりがないな

こないだ読んだばかりの西太后にもあったけど、

おぞましいほどの収奪搾取構造による皇帝金権集中権力を恣にした西太后は、

しかし絢爛豪華な文化の爛熟にも寄与したという話。

で、ちょっとヤフコメtogetterで出てきたのが目につくと、

途端に猛烈に不愉快な気分が湧いてくるわけね

どうせ上述したようなバカの一つ覚えの穢らわしさしか持ち合わせないゴミが、

偉そうに文化を騙るだけでもクソ吐き気がしてくるのに、

その話題になっている内容で、本来だったら色々と検討すべき内容だと言うのに、

結論ありきに決まってるから

このクソ不愉快さが固定されるどころからさらなる穢れ悍ましさが増幅されることになるからもう吐き気がして見る気がしないわけね

―――そして、本来そこにあるべき有意義議論論点といったもの絶対にあるはずなのに、


―――――こいつらにその論点が「犯される」ということ。

これが恐らく俺の不快の強烈な根源なんじゃないかという気がする。



――例えば?


例えば平田オリザみたいなクソみたいな案件があるわけよ。

ゴミパワハラ、エセ人権スノッブ主義選民思想傲慢利権

これ一つ取ったって凄まじいほどの穢らわしい問題点が堆く積み上がっている。

そして搾取される側の構造芸能界はその特異点だったりするわけだが、

しか演劇とかあの手の業界構造的な問題はらんでいる。

最低賃金未満がザラとかそういうレベルじゃないでしょ。

実質的丁稚奉公構造で、アカやクソサヨの連中が舌なめずりしそうな強烈な搾取構造がある割に、

結局サヨってエセアカデミズムも蔓延している、

まあ戦前共産から連綿とあるあの勉強しか出来ないバカどもが自意識肥大化させて、

左翼的権力構造を構築するってのがあるけれど、

まあとにかくエセアカの体質があるから演劇文化界隈の搾取構造を平気で見落とすんだよね。


それからnoteであったあのボロボロのボロ雑巾状態にまでされた演劇界志望の40代女の例ね。

https://togetter.com/li/1696778


こんなゴミみたいな搾取構造放置しといてよくもまあ文化がどうのこうのと

また落語だって、本で読んだけど、まあ人の悪口を平気で言い合うような陰湿文化だよ

で、結局上で言ったけれど、不要不急と見られるようなスノビズムはあるわけだ

パトロネージ(笑)とか、言葉はいかにもおぞましくキモいが、

はてなゴミ連中自体がカネ・利権とは切っても切れないとわかってるわけだよ

パト(爆笑)なのに不要不急じゃない必須???ってなるわけだろどう考えても

チケットバカ高いしよ

youtubeでも見てろよ、って話だし、

そもそも文化芸術育成という観点からyoutubeみたいな仕組みはそもそもどうなんだって論点は当然あるんだが、

まあ馬鹿から何一つ考えられないだろう

本当に文化芸術のことを考えていればこうした論点は湯水の如く湧き出てくる

だがあのバカどもは穢らわしい自慰泥水を内輪で抱えて腐らせているだけ

いつも耐え難い腐臭の放つ泥水をバカの一つ覚えで撒き散らしているだけ

なんておぞましい連中だろ

でさ、スズキの話なんかも実際リアル現場の話として聞いたりして、

ああマジで金持ち道楽なんだなという感触がありありと手にとるようにわかるじゃない

…そう考えるとサヨク運動というのも似たような構図なのかもしれないな

宝塚の女なんかもどう考えても、ネットスラングで言えば実家が太い(笑)ってヤツだろ?

どうして誰も文句言わないんだろ

―――ああ、利権なのかもな。マジで

文化予算とかを、ああいう連中が食い物にしてるのかもな。

文部利権サヨクが牛耳ってたりしてるのと似た構図で。

フェミニズム利権もあるしなあ。

2021-01-27

anond:20210127010711

世界史には「軍隊は南下し、文化北上する」という経験則があるそうだ(加藤徹西太后』(中公新書)P20)

ローマカルタゴに勝ったし

中国北朝(隋)は南朝(陳)に勝ったし

日本北朝南朝に勝ったし

ロシアナポレオンに勝ったし

北ベトナム南ベトナムに勝ったし

有名な例外はあるのか?

2020-12-11

日本の歴史教育大切なことを教えてない(※)

兵庫県から神奈川県高校に転校した人間なんだけど、同じ偏差値学校引っ越したはずなのに動物園すぎて民度を疑いました。少なくとも勉強や立ち居振る舞いについては同じ偏差値なら兵庫の人の方が民度が高い / “公立学校って言うほど動物園だったっけ?”


西太后」 まさにけた違いの中華凶悪女! 世界史悪女列伝って動画を見た。

「当時の清は日清戦争よりも、西太后誕生日会にお金をかけた」

そりゃ負けるわ!近代化してないからとかじゃなくて、西太后が暴れまくってたから負けたのかよ…

日中戦争でアレだけドロドロになった相手日清戦争ではあっさり勝てた理由は「西太后がいたかどうか」だったのね…。

権力のためなら身内でもほふる人」ぐらいのことは知ってたけど、想像以上に腐敗エピソードが酷くて、「あ、明治政府の実力じゃなくて西太后歴史変えちゃったのね」だよ!!

日清戦争西太后のせいで国内めちゃくちゃだからほぼ清の自滅

日露戦争王朝グダグダバルチック艦隊地球半周してげっそりでほぼ自滅

歴史教育でこの辺を中学までに教えてないの、割と致命的な気がしてきた。(※)

今の教科書知らんけど、20年前の教科書明治維新すげーみたいな教え方されがち(※)

面白いのは第二次世界大戦時の日本軍グダグダになった話しはするけど、そこも漠然とした恐怖を植え付けるだけ。(※)

明治政府から調子に乗る流れが繋がってたり、

陸海軍それぞれに自分管轄外では押せ押せで日本立場をこじらせたり、

地政学的な日本立ち位置教育しない。(※)

うわぁ〜片手落ちやん(※)





自分勉強してないだけ

自分勉強してないだけ

自分勉強してないだけ

自分勉強してないだけ

2020-06-20

中国史大事抜粋年表

1 『北京大学版 中国文明掲載の「大事年表」をベースに、wikipedia中国の歴史年表」「夏商周年表」その他の記事で補った。

2 大事中、更に重要と見なしたもののみ掲載

3 < >内は王朝又は時代名(主要な王朝名のみ)

.

前1800頃 黄河中流域に二里頭文化(夏文化)出現 <夏>

前1600頃 殷(商)の創建(殷(商)・太乙(成湯)) <殷(商)>

前1250頃 高宗武丁の統治。甲骨文の使用

前1050頃 殷周革命(周・武王) <西周

前770 周の東遷(周・平王) <東周><春秋時代)>

前453 三晋(趙、魏、韓)成立(諸侯に列されたのは前403) <戦国時代)>

前359 秦において商鞅第一次変法が実施される

前350 秦が咸陽遷都する。秦において商鞅の第二次変法が実施される

前256 秦が東周を滅ぼす

前247 贏政が秦王として即位する(秦・始皇帝

前221 秦が燕・斉を滅ぼし、秦による中国統一成る。秦が貨幣度量衡文字統一する <秦>

前210 秦・始皇帝崩御する

前209 陳勝呉広の乱

前206 秦滅亡。鴻門の会。漢の高祖元年

前202 項羽滅亡。漢(前漢)成立。 <漢(前漢西漢)>

前154 呉楚七国の乱

前136 儒教官学化 ※異説多し

前115 均輸法(漢・武帝、桑弘羊)

前110 平準法

8 王莽皇帝を称する <新>

18 赤眉の乱

25 劉秀が皇帝を称する(後漢・世祖、光武帝)。後漢洛陽遷都する <漢(後漢東漢)>

166 第一党錮の禁

184 黄巾の乱 <三国時代)>

200 官渡の戦い

208 赤壁の戦い

220 後漢献帝曹丕(魏・文帝)に禅譲後漢滅亡、魏成立)。九品官人法制定 <魏>

234 蜀漢諸葛亮陣没

249 魏で曹爽が粛清され、司馬氏が実権を握る

263 蜀漢滅亡

265 魏・元帝司馬炎(晋・世祖、武帝)に禅譲(魏滅亡、晋(西晋)成立) <晋(西晋)>

280 晋が呉を滅ぼし、晋による中国統一成る

291 八王の乱

304 劉淵が大単于・漢王を称する(前趙成立) <五胡十六国時代)>

311 永嘉の乱

316 西晋滅亡

317 東晋成立 <東晋

439 北魏・太武帝北涼を滅ぼす <南北朝時代)>

485 均田法発布

581 禅譲により北周が滅亡し、隋が成立する <隋>

589 隋が陳を滅ぼし、隋による中国統一成る

610 隋・煬帝大運河を竣工する

613 楊玄感による反乱、隋の統治が崩れる

618 李淵皇帝を称する(唐・高祖) <唐>

619 租庸調制の実施

624 唐による中国統一成る

626 玄武門の変。李世民皇帝即位する(唐・太宗)

640 貞観律令

660 武則天執政

668 唐が高句麗を滅ぼす

690 武則天皇帝を称し、国号を周と改める

703 中宗が即位し、国号を唐に復する。武則天崩御

755 安史の乱(~763)

780 両税法施行。租庸調・雑徭の廃止

845 唐・武宗による宗教弾圧仏教景教、祆教、マニ教)、会昌の廃仏(~846)

875 黄巣の乱(~884)

904 朱全忠、唐の実権を握る

907 朱全忠への禅譲(梁・太祖)。唐滅亡。梁の建国 <梁・五代十国

916 契丹耶律阿保機皇帝を称する(遼・太祖) <遼>

960 趙匡胤皇帝を称する(宋・太祖) <宋(北宋)>

1004 澶淵の盟

1038 李元昊皇帝を称する <西夏

1069 宋において王安石の新法が行われる

1084 司馬光資治通鑑』が完成する

1086 司馬光、宋の宰相になる

1115 完顔阿骨打皇帝を称する <金>

1125 金が遼を滅ぼす

1126 靖康の変、金が北宋を滅ぼす

1127 南宋高宗即位 <南宋

1165 南宋と金の間に和議が結ばれる

1206 モンゴル部のテムジンボルジギン氏)、ハンを称する(チンギス・ハン、元の太祖) <モンゴル帝国>

1227 チンギス・カン崩御モンゴル西夏を滅ぼす

1229 オゴデイモンゴルの大汗として即位する(オゴデイ・カアン)

1234 モンゴルが金を滅ぼす

1236 モンゴルのバトゥ(チンギス・カンの孫)らによる西征

1260 クビライがモンゴルの大汗として即位する(クビライ・カアン。セチェン・カアン。元・世祖)

1264 アリクブケ、クビライに降伏する

1267 モンゴル帝国、燕京に遷都する

1271 クビライ・カアン、モンゴル国号を元に改める <元>

1279 元が南宋を滅ぼす

1281 弘安の役

1351 紅巾の乱

1368 朱元璋皇帝を称する(明・太祖、洪武帝) <明>

    明が元の首都大都を攻略する。元の北遷(北帰) <北元

1371 明で海禁令が出される

1388 北元の滅亡

1399 靖難の変

1402 明で朱棣が皇帝即位する(明・太宗、永楽帝

1403 鄭和による第一次航海

1421 明、北京遷都する

1435 この頃より宦官の専政がひどくなる

1449 土木の変

1616 女真族ヌルハチ満州中国東北部)に後金建国する <後金(清)>

1638 ホンタイジ後金のハーンとして即位し、国号を清に改める。

1644 清が明を滅ぼす(北京陥落)

1673 三藩の乱

1683 台湾の鄭氏政権が滅亡

1689 ネルチンスク条約

1696 ジュンガル部討伐

1716 地丁銀制

1728 キャフタ条約

1798 白蓮教徒の乱

1840 アヘン戦争(~1842) <近代中国

1850 太平天国の乱(~1864)

1856 アロー号戦争

1860 円明園炎上

1861 西太后の垂簾聴政(~1908)

1884 清仏戦争

1894 甲午戦争日清戦争)(~1895)

1899 義和団の乱

1904 日露戦争(~1905)

1905 清・光緒帝、科挙廃止する

1908 清・光緒帝並びに西太后崩御

1911 辛亥革命

1912 清朝滅亡 <中華民国

1915 日本による二十一箇条要求袁世凱皇帝を称する

1928 張作霖爆殺事件、張学良の易幟

1931 満州事変

1932 満州建国(~1945)

1934 中国共産党による長征

1935 遵義会議毛沢東中国共産党のトップ

1936 西安事件

1937 中国抗日戦争日中戦争)(~1945)

1939 第二次世界大戦(~1945)

1945 日本降伏

1946 国共内戦(~1949)

1949 中華人民共和国成立 <中華人民共和国(新中国)>

1950 中国朝鮮戦争に参戦(1951年終戦

1951 三反五反運動

1957 反右派闘争

1959 チベットダライ・ラマ14世インド亡命する

1958 大躍進政策の開始(~1958)

1966 文化革命の開始

1976 毛沢東の死去。文化革命終結

1978 鄧小平中国最高指導者になる。改革開放政策の開始

1997 鄧小平死去。香港返還

2012 習近平中国最高指導者になる

2019 湖北省武漢市で新型コロナウイルス(COVID-19)感染者が発生

2020 新型コロナウイルス(COVID-19)の世界流行

2018-12-28

anond:20181228091721

西太后とかって、特殊な例だよね。三大悪女のうちの1人じゃないの?

2011-10-28

驚かないで聞いてね。黒柳徹子の本当の姿を教えます


黒柳徹子秘密を君たちに教えるよ。

君たちが黒柳徹子だと思ってるモノ、それは本当の黒柳徹子じゃない。いや、その「総体」が黒柳徹子だと言えばいいのかな。

頭の黒い玉ねぎはイメージ出来るよね?それが知的生命体、通称『黒柳』。そしてソイツが乗っかってる下の部分が『徹子』さ。


『黒柳』は対象の脳と脊髄へ神経接続し、身体を朽ちるまで操る。みんなが「黒柳徹子」だと思ってる部分はただの「器」ってこと。

あと『黒柳』は常に微弱な電波放出していてね、芸人さんたちが部屋に入れられた時思うように力が出せないことがあるじゃない。

それはその怪電波の影響だって言われてる。さすがレディ・ガガはそのあたり敏感で、電波に気づくやいなや『黒柳』に模した防御形態に移行していたね。


『黒柳』は「器」が劣化して自由がきかなくなる前に他のボディに身を移す。なぜだか女性ばっかりに。

そうやって何百年、何千年と生きて続けてるんだ。

妲己聖母マリアクレオパトラ卑弥呼西太后、みんな『黒柳』だと専門家は言ってる。そうやって彼女歴史の節目に必ず現れこの星を裏で牛耳ってきたわけさ。

今の『徹子』だって例外じゃない。賢い人は、もう感づいてるはずだよ。 彼女ユニセフ親善大使をしていたこと。

そう、国連はすでに彼女の手に堕ちているんだ。



どうあがいても、もう無駄かもしれないね。ごめんね。

2009-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20091031232844

四肢切断が一つの嗜好であることを本日認識した。

西太后は単にマニアックなだけだったのかもしれないな。

2009-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20091009173108

そこは西太后と間違えるべきじゃ…(映画版で描かれた)

正しくは則天武后と呂后。

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