はてなキーワード: 晒しとは
作品は一冊も読んだことないけど、Xで嘘松デマ飛ばしまくってるから大っ嫌いな作家がいる。
こいつが最近出した新作で、スマッシュヒットぐらいの売れ行きを出してるらしい。
ビッグマウスのわりにロクに売れてない時もざまぁ(笑)と思って眺めていたが、今のこの状況も個人的にはちょっと嬉しい。
なぜなら、作家として一定以上売れれば、サイン会やら対談やらトークショーやら、リアルで人と関わるようなイベントが視野に入ってくるからだ。
覆面作家を貫いて、そういったイベントごとを完全にスルーする作家もいるだろうが、奴の自己顕示欲の異常な強さからすれば、自分の成功を誇示できる機会をみすみす見逃すとは思えない。十中八九ノコノコと出てくることだろう。
そして同時に、俺の勘では、こいつは文章でならともかく、生身で顔を合わせてのコミュニケーション能力はさほど高くないと見ている。
(俺も似たようなものだが作家ではないしネットでキャラ作ってイキリ倒したりもしてないので許してちょんまげ)
Xでの嘘松以外の投稿(薄っぺらい人生訓など)を考えても、イベントの席で空回りした醜態を晒してくれる可能性はかなり高いのではないか。
今はそれだけを楽しみに、あいつの動向をじっくりと追っている。
さあ、売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れろ売れて表舞台に引きずり出されろ。
元のポストを追いかければわかることだが、もともとこのCMを掘り出したのはアンフェの弱男で、「女性だけ食うシーンが色っぽくて草」「フェミが怒りそうw」って拡散していったのが炎上のはじまり。
検索すると、こういったセクハラ引用をマルちゃんのツイートの最初のほうにつけていることを確認できる。それに嫌悪感を抱いた女性たちが問題視して、乱闘が発生するかたちで、炎上が大きくなっていった。
だから女性が、女性の作ったアニメに性的な要素を見出して叩き始めたという見方は誤りなんよ。正確には、女性の作ったアニメに勝手に性的な要素を見出した弱男が、フェミを焚き付けて炎上させた、というのが正しい。
アンフェ弱男の思惑通りに動いてしまった女性もうかつではあったけど、もともとは東洋水産を相手取って誹謗中傷のきっかけを作ったのが男であることは忘れられてはならない。
俺は男で、どちらかというとフェミニストにも反感を持っている側だが、このような形で女叩きネタを作るアンフェ弱男は許せないので、ここに晒しておく。
https://togetter.com/li/2513277
これ見てて思ったんだけど
周りの人がわかるなら実質特定やし
名誉を著しく棄損してるわけじゃん
体育の文句をいつまでもブツブツ言ってる中高年って今の体育教育知らんよね
昔の典型的体育教師なんてかなり希少になってるし、子ども減ってるからチームスポーツはやりにくいし、今の子どもは打たれ弱くて親がうるさいから晒し者にならない工夫もされてる
俺は音楽の授業で晒し者にされた記憶がある。で、大人になってYouTubeとかネットの記事見てそれなりに楽しさが分かったので、いきなり実践させて教えてくれないというのは体育に限らないと思う。
俺の言いたいこととして、公教育でできない子供までフォローするのは不可能なのではないか?
今にして思い起こすと、できない子供のフォローが出来ず、結果として晒し者になるのは体育に限らず、音楽、国語、算数でもよく起こってる。
ネットでこの手の話題で体育ばかり取り上げられるのは書き手のバイアスがかかっていて、国語で晒し者にされるような人は、大人になってもそういう経験を文章にして発表しないのではないか。
赤いきつねのCMのアニメ表現としての観点がどうこうと言ってる軟弱者に告ぐ。
ツイフェミに顕著なんだけど、最近のフェミニスト、特にラディカルフェミニストを自称する人々が増えてる。こいつらはだいたい性嫌悪的でもある。
ラディカルとは「フェミニズムは男性も解放する」的なリベラルフェミニストと対義語で、特に女性は抑圧され苦しめられており女性が解放されるべき他は二の次みたいな考え。
学術的には違うかもしれないがTwitterフェミ論壇ではこう定義される。女性解放以外は興味ないので、ゲイ男性やトランス女性などに攻撃的。
そして風俗、AVなど女性のセックスが売り物となる現場は絶対的な女性への加害で暴力だから存在自体をなくすべきと主張する。買春男性だけを処罰して売春女性は福祉に繋げる「北欧モデル」が信奉対象になっている。
その射程をグラビアやテレビ、漫画、アニメなどに広げる者も多く、先日の赤いきつねを燃やしてたのもこの層。
ラディカルフェミニストはリベラルフェミニスト的態度は女性を守れない欺瞞扱いし、闘争することを選んだ人々なので表現の自由などもちろん通用しない。内心の自由すら否定する過激層もいる。
女性フェミニストのなかでもセックスワークイズワーク、性表現もビジネスで表現みたいなのはリベフェミ的なのでこれも敵のなかの敵と思ってる。よってセックスポジティブを掲げてナイトワークを守ろうとして立憲から出馬した要友紀子さんなんかはめちゃくちゃ攻撃されてる。
たまに「フェミは○○には声を上げずに××を叩く」などと言うバカがいるが、これはキーワードでちゃんと検索してない情弱を晒してるに等しく、現実はラディフェミは日本で話題になるすべての事象に対して女性差別だと激怒してツイートを連発している。ラディフェミは連帯感も凄いのでフォロワーが万単位いて数千いいねもザラ。
ちなみにゲイ男性やトランス女性に攻撃的と先述した通り、ポリティカルコレクトスもラディフェミは信じていない。
体面を気にする人々が軟弱な自由主義や正義を掲げてる今にもラディカルフェミニストは男を断種せよと叫んでいる。
男児を出産したラディフェミが男児擁護をしてラディフェミに叩かれてラディフェミ引退も定番。
ミサンドリーを悪とは考えないので、「ミサンドリーを楽しめるフィクションをもっと作ってほしい」という声を挙げ続ける者も多い。
男女間のセックスはほとんどの場合、女性へのレイプという派閥も強い。反出生主義も多い。闘いの果てに人類の滅びをも躊躇わない、いや、人類などという男性も入るくくりを守ることよりも、彼女らの信じる女性の尊厳ただそれだけを守るために闘うことを至上とし、人類は女性の下位概念であるという宇宙の真理を伝達する態度こそがラディカルフェミニストなのである。
これらはもちろん釣り合いがとれている。古代ローマやギリシャの時代から20世紀半ばまで男性は男性だけが権利ある人間と定めてきた歴史があまりに長く、長すぎたからだ。
自由意志やら愚行権やら表現方法やらゾーニングやらを未だに信じてそのレベルで物事を語ってる軟弱者の遥か先をいってるのがフェミニズムの現在地点なのだ。
教師としてここ数年働いてて感じたんだがZ世代の人たちはこの世界のすべてをコンテンツとしてしか認識していないのではないかと思う。
日常生活のすべてが、Z世代の人らにとっては「面白いか」 「SNSでウケるか」 「映えるか」みたいなコンテンツの尺度で判断されてる感じがある。例えば家族もその対象でしかなくて、親や兄弟をSNSでネタにし、彼らの個人的な瞬間を平気で全世界に晒してる。誰が何を考えてて、どんな感情を抱いているかより、バズるかどうかの方が優先されてるしSNSでいいねがもらえることが一番大事という感じ。
人間関係も同じで友情とか恋愛も「面白いストーリー」になるかどうかだけが重要で、友情が破綻しようが、恋愛が終わろうが、それすら「ネタ」にしてSNSからの反応で興奮してる。泣きながら別れ話をする姿を撮影し、それをコンテンツにして拡散することに何の疑問も持たない。相手がどう思うかよりも、「いいね!」の数のほうが価値があるとしか思ってない。
仕事や学業に対する態度も同じで、Z世代にとっては授業が役に立つとかそんなことは考えてない。「面白いか」 「退屈か」が重要で、学ぶべき知識や考え方には全然興味がない。教師はもはや学びを提供する存在ではなく、彼らを楽しませるべきエンターテイナーとしか扱われてないんだなと感じることが多い。数年前までは民間で働いてたけど、その時の仕事でも同じように感じてて、上司や先輩に尊敬とか敬意とかは基本的になくて、単なる「役割を果たすべきキャラクター」としてしか見ていない。「この上司つまらない」 「この職場にいても面白くない」。そう感じただけで、彼らは簡単に投げ出す。だから「上司」という役割を果たしてない人、「会社」という役割を果たしてない会社、例えばマネジメントできない管理職やブラック企業にはきわめて冷淡で上司ってのはこうあるべきっていう「べき論」でしかものを言わない。
政治や社会問題に関する姿勢も同じ。エンターテイメントとして消費しているだけ。政治の話題やニュースはみんなでSNSで投稿するための「イベント」としか捉えてない。戦争や災害のニュースも、自分の意見を述べるための格好のネタでしかない。ホリエモンとかひろゆきが面白おかしく話題にしているのを楽しむだけの機会。「これおかしくない?」とかなんとか言って何かをツイッターとかに書いてるが、別にそれで実際の行動に行くわけでも何かしらの責務や責任感は伴わなってない。言うだけ。全てが「コンテンツ」で「他人事」でしかない。
だからなんだろうけど他人の感情や尊厳に対する意識がすごいうっすい。インターネットでの批判も平気で行ってるのも他人を人間と思っていなくてコンテンツとしか思っていないから。自分を楽しませるためのコンテンツだから何を言ってもいい、何か気に入らなければ、匿名のアカウントでタレントやアーティストや有名人を人間とも思わず漫画の批判のように気軽に叩く。リアルの人間関係でも、相手の感情を気づかうことなんてなくて、彼らが求めてる「面白さ」ではない存在にはとことん冷淡。
だから、Z世代は「全コンテンツ世代」なんじゃないかと。彼らにとっては、人生そのものがコンテンツであり、自分以外のすべてが「消費対象」に過ぎない。フィクションの中で自分だけが人間という気持ちで生きてるんじゃないだろうか。周りのコンテンツを消費して人生を生きていくだけ。そうやって消費された他人たちは、数年後にもZ世代の周りに残っているのかねと思う。彼らが年とってもこの価値観で過ごしていくのなら、まあ年下世代には老害としか言われない世代になることだろうね。
もともと萌え絵自体が既にゲスなのであるが、既に氾濫状態にあるミームであり、茹でガエル効果のため、ゲスいという感覚は失われている。そこをどう炎上させるかにについて検討が重ねられたことであろう。
日本赤十字の宇崎ちゃんと並び、東洋水産の赤いきつね/緑のたぬきのアニメCMは、「ジャップ男のゲスっぷり」を遺憾無く宣伝するうえで、放映に成功したテレビCMアニメの代表格と言えよう。
内容が女性に対するセクハラといえばそうであろうが、実際に宣伝されているのは、これを制作した、あるいは支持した男性らのゲス礼賛嗜好である。実に興味深い。
・Bさん 30代前半 年収高(800万程度)
共に東京在住
Aさんは結構頻繁にアポを組んでいるが、会う人会う人の愚痴(アポの場所が遠い。店が悪い。年収が低い)を書き込むし、LINE等のメッセージを晒してブロックする(確かにひどい男もいるが)。そして頻繁に婚活女子オフ会を主催して「男が悪い!自分たちはそのままで良い!」と傷をなめあってる。
Bさんはそんなにアポを組まないが、1人1人のポジティブな感想を残す。アポが組めなければいいや、ぐらいの感覚でいる。なおBさんはハイスぺな彼氏ができそうな感じ。
「なんでこれが炎上してるの」って投稿が異常にあって、燃やそうとしてるのはどっちだよという話。
朱夏論、白饅頭、わかり手あたりのフォロワーいるじゃん(本人たちではなく、その周りにいるアカウント)
最初はその界隈が「性的でキモい」みたいな極端な感想を探して晒すことで、自分たちの敵を作り出して叩いてる「人工炎上」かなと思ってた。
晒すまで炎上してないのに「これが炎上してるのおかしくない?」みたいな晒し投稿を大量にすることで炎上を作ってるんだよね。
最近、火種になっている頭のおかしい批判をして晒されている自称フェミニストアカウントを見ててちょっと考えが変わった。
Vチューバーが気持ち悪いタンポンおじさんの質問を貼っていた。
要約すると「娘が性に目覚めてタンポンを使って欲求不満を解消している。
Vチューバーも気持ちよくなりたくてタンポン使ってますか?」という内容が、とてもベッタリと気持ち悪い文体で書かれている。
https://x.com/beamoriyurumo/status/1890505796330705309?t=92k9F08dez8q28CC5wp3ig&s=19
こいつに娘がいるわけないだろうし、嫌がらせの荒らしか何かだろうが、よくこんな気持ち悪いセクハラ荒らしが思いつくな…とドン引きしてしまった。
生理を我慢しろとか、耳に精液がかかるとかもそうだけど何であんな気持ち悪い言葉を思いつくんだろう。
いないと思いたいんだけど、オタクのイラストプリントクッキー作ってる業者さんが小さい娘の写真普通にあげてて、ブスのほうがおかずにしやすいとか、それを性的消費してるってコメントついてても平然と晒し続けてたのとか、マジでよくわからん父親もいるから恐怖だー。
横だけど
東名高速煽り運転で、既婚女性板でデマ流して逮捕された11人全員男。
青識がフェミになりすましゾーニングされた男性向けエロを晒して炎上させようとしていたマッチングポンプ垢バレ。
青識がバレる前は他のアンフェオタクも青識と一緒にフェミなりすまし垢持ってる自慢しまくっていた。
痛い女だとバッシングされたアカウントがテレビへの映り込み等でハゲ親父だとバレたことは数知れず。
女はそんなクソ痛い行動やったことないのに。
大学時代に性犯罪で捕まり、学校を辞めて地元に帰った。今は縁もゆかりもない地方で働いている。
捕まった頃は完全に認知が歪んでおり、しおらしく反省したフリしながらも内心あーうっせえな金だろどうせ!?と思ってたけど、相手が示談に応じてくれず目の前が真っ暗になった。事実は争いようもなかった。
今まで優等生で家族からは期待されてて、都心の大学にも快く送り出した自慢の息子・兄だったのに、一瞬で一族の恥に。俺が実家に帰ると同時に妹は家を出て、それからほとんど会ってない。
約3年間死にたくなったり理不尽にも被害者を恨んだりしながら引きこもっていたが治療を受けて認知の歪みを少しずつ軽減していった。今も完全にまともになったとは言えないかもしれないが同じことはもうしたくないしできないと思うようになった。これは人に怪我をさせてはいけないのと同じくらい当たり前のことなんだよな。
それから親に土下座して専門に入り直したけど、10代の中に年上の自分がいるのがすごい恥ずかしくて(思えばそんなやつ珍しくもなかったし自意識過剰だけど)、周りにもなんで?と思われてるんじゃないか、理由を探られるんじゃないか、もしもバレたら・・・と被害妄想を膨らませてビクビクしてたがなんとか卒業し、就職した。それから10年、特に問題を起こすことなく暮らしている。
ここ数年間の流れか自分がそういう情報ばかり追ってしまうのかわからないが年々性犯罪者への風当たりが強くなっている感覚がある。性犯罪者は死ね、とか。
自分のしたことは許されない最低の行為だとはわかっているけど、何年も前の性犯罪者の顔と名前を晒しているアカウントなどを見ると心臓がバクバクする。事故で他人を死なせたとかの方が、まだバレた時に生活の破壊度が小さい気がする。性犯罪の過去がバレたら女性からはまず口もきいてもらえないだろうし、今時性犯罪者をかばうような男もいない。良くも悪くもそういう真っ当な人間関係の中にいてるからこそ、噂になったり調べられた時のことを想像すると死んだ方がマシに思う。本当に自己中心的で、そんなんだから性犯罪を犯したと言われればその通りだけど。すみません