はてなキーワード: 市役所とは
・0歳
・10歳
父の不倫により離婚。母の実家のある関東の田舎へ。祖父母と母との4人暮らし。
・13歳
・15歳
祖父母に大喜びされる。
・16歳
・17歳
偏差値40台の高校に進んだ地元の女友達とカラオケで童貞を捨てる。
彼女にバレて振られ三日間寝込む。
・18歳
・19歳
彼女も作らず、バイトもせず、祖父母と母からの仕送りで生活しながら4年間ラクロス漬け。ポジションはHM。
・22歳
・23歳
支店配属初日に寝坊して昼から出勤したり、職場の飲み会で行った顧客が営む居酒屋で場ゲロするなどの失敗をする。上司や先輩からシバかれながらも可愛がられる。
・26歳
3年間交際した職場の同期が「地元に帰りたい」と言ったため、東北地方の公務員試験を受験。
・27歳
・29歳
・30歳
・32歳
・35歳
夢のハリアーを納車する。
・36歳
飲み会の帰りに車で帰宅しようとしてしまい、女子大学生の運転する車と衝突。
・??
受刑中に祖父が死去。
・??
・現在
・まず、相続登記を済ませろ。2024年から相続登記は義務化されてるから、放置すると罰則がある。
・農地をどうするか考える前に、固定資産税や管理の手間を把握しろ。農地は宅地より税金が安いが、使い道がないと維持が面倒。
・農地は勝手に売れない。「農地法」の規制があるから、売るなら農地を買える相手(農家など)を見つけるか、農地転用(宅地や駐車場にする)を検討しいなら、地元の農業委員会に相談しろ。農地を売るには許可が必要だから、どういう方法があるか聞いたほうが早い。
・貸すのもアリ。農地バンク(農地中間管理機構)に登録すれば、借りたい農家に貸せるかもしれない。ただし、借り手が見つかるかは地域次第。
・農地転用するなら、市役所や役場に相談しろ。農地を宅地にすれば売りやすくなるが、許可を取るのが面倒で、費用もかかる。立地が良くないと割に合わないことも多い。
・どうにもならないなら、親族や地元の農家に譲るのも手。手放せないと、ずっと管理の負担が続くから、早めに動いたほうがいい。
TOPPANが中小型液晶製造の台湾子会社を売却へ:車載および産機向け - EE Times Japan
凸版印刷がGiantplusを売るという。一応黒字は出ているが、利益率の低さから切られる形。
ここ10年、日本から中小型産業用LCDを作るメーカーがどんどん消滅していった。もともと台湾メーカーだったGiantplusを買って多少やる気を見せていた凸版が撤退することで、日系傘下の中小型産業用LCDを作るメーカーは消滅することになるはず。
(東芝モバイルディスプレイはいつ産業用を止めたんだっけ?たぶんリーマンショックあたりなんだけど。)
凸版のLCD事業は、もともとカシオ傘下だったオルタステクノロジーの事業譲渡から始まっている。現在も高知の生産は続いているが、ラインが古いので小型のニッチなLCDしか作れないだろう。それとていつまで続くのか……。
産業用LCDの用途は多岐に渡る。バスに乗っても、エレベーターに乗っても、病院に行こうが、市役所に行こうが。グラフィカルな専用端末にはだいたいLCDが付いている。
そんな機械を作る時、これからは中国台湾の汎用品を買ってくることになる。だいぶ前からそれが主流だけどね。他の電子部品と同じように。
まあ誰かが困るということはないだろうし、国力がどうこうという話にはならないし……それでも、一時期業界に関わっていた者としては郷愁に近いものを感じるのは確か。
カネがない、働けない、親や親戚からの援助も期待できない、
市役所と同じ数だけ、生活保護用のアパートを立てればいいだけ。
家賃を税金で出してやるより、その金で市営のアパートに入れたほうがコストはかからない。
もちろん、拒否は無し。(持ち家は除く)
家賃補助もらうような状況なら、解約して市営アパート入れ、ってするだけで生活保護の「不正受給」ってのはほとんど減るし
本当に困ってる人が「水際戦略」て追い詰められる事もない。
あと、飯も3食出せばいい。
生活保護だと病院へいくタクシー代も無料、とかも高コストの原因
アパートから病院まで無料送迎したらいい。相乗りで。アパートって言ったけど団地レベルでもいい。
ともかく市役所で受け付ける生活保護の人数に見合ったレベルの建物って事。
その人数分の家賃を出すよりは、市が建てて無料で入居の方が絶対安いのは間違いない。
メシもね。
学生が「健康で文化的な生活」してないわけないので、部屋は2畳もあればいいやろ。
普通のアパート程度のサイズに2.5倍位は人を詰め込めるよ、そうしたら。
本当なら2人1部屋にしたいけど、まぁプライバシーの問題もあるしな。
あと、本当ならカプセルホテルにしたいけど、人権派がうるさいからな。
サラリーマンには人権が無くて、生活保護受給者には人権があるみたいでおかしいけど。
なので、1人2畳の部屋はかなり贅沢。
その生活がいやなら頑張って働いて出ていけばいいし、
公務員試験浪人して高卒で市役所の正規職員になったんだが、ガキの頃から学校が苦手で(大きな音や、耳情報の処理が苦手でガヤガヤした所が疲れる)、なんの対策もとれないまま社会に適合できず成長してしまった。
後に知ったことだが、俺は当時から社交不安障害を発症していた。俺が人と対峙する時に感じる動悸や緊張感、大勢を前にするとパニックになり喋れなくなるのは性格の問題ではなく、普通に病名がついた。面接は緊張したし喋るのは苦手だが、最悪一回きりなので、ハキハキ喋れたのと、愛想は良いので面接ウケがよかった。
仕事が始まると毎日ひどい緊張感に襲われた、まず職場が色んな音がして頭が真っ白になった。あちこちから声が聞こえるし、着信音も聞こえるし、向かいの席に座ってる先輩の声も聞き取れないし、人の視線もあちこちから感じるし、脳が処理しきれず酷いストレスに見舞われた。
その状況で、仕事の口頭説明をされたり、市民からの電話の問い合わせも何言ってるのか聞き取れず(これは俺の耳情報の処理が苦手な特性もある)、次第に職場に居るだけでストレスが大きく膨れ上がってきて、仕事に行くのさえ怖くなってきた。
自分でも異常な精神状態だと思い、家族に相談してみるも「最初はみんなそんなもん」「そのうち慣れる」「周りに気を使いすぎなんじゃないか」と言われた。同期が生き生きしてるのを見ると、絶対そんなもんじゃないのはわかっていたので、家族が宛にならないことを悟り精神科の門をたたいた。
予約1か月待ちで、その間の地獄を耐え抜きながらようやく受診すると、社交不安障害の診断とロラゼパムの処方が下りた。
その頃にはもう文章が頭に入らなくなっていたのと、物忘れがひどく激しくなっていたのと、もう朝目覚めずに死にたいと思っていたのと、出来るならもう誰にも会わず一人で静かに暮らせるなら暮らしたい。と、脳機能も精神状態も最悪な状態だった。
処方されたロラゼパムは、1日3回飲めるように出されたが、飲むと気持ち不安がなくなる気がする程度ではあったが劇的な効果はなかった。俺は職場に居る間とにかく不安で、電話も怖くて、職場の人に声かけられるのも不安で、何か職場で作業するのも不安で、人と話すのも不安だったので、ロラゼパムに依存し、事あるごとに飲んでいた。
ある日、業務知識として読んでおくように言われた、平易な文章で書かれたパンフレットを読んでも文章が頭に入らなかった時、俺はもう駄目なんだと思った。そして仕事を辞めた。
今はなるべく人付き合いの浅い民間企業で働いてるが、市役所に比べれば将来性はないが、当時に比べればストレスは激減したし、休みもとりやすいし、快適に過ごしてはいる。
あれからもう10年以上経つが、今からあの頃に戻れたとしても、俺はまた同じような症状が出る気がしてならない。何故ならいまだに耳からの情報処理が苦手だし、対人ストレスを強く感じやすいからだ。
あの頃の自分が、あの職場でやっていけるようにするためのアドバイスが、未だに思いつかない。
もっと歳をとれば思いつくんだろうか。と、毎年思っている。
部活動は自主的にやっているもの、と判断されるならば、拒否すればいいのに!
もちろん、我々は拒否できる権利がある。しかし、そんな権利は所謂「仕事辞める前に全部の有休消化します」宣言と同じくらいには、校内で認められないのだ。
(もちろん、教員を辞めるので有休消化します!も基本的には受理されないだろう。なぜなら、おまえがいないと職場が回らない!を体現している現場だからである。申し訳なくてどんどん辞められなくなるのだ※経験者)
未だに忘れられないことがある。
それは大学を卒業し、とある市の採用面接を受けていたときのことである。
おじ「では、あなたは経験のない部活動の顧問になってほしいと言われたらどうしますか?」
ワイ「経験がないため、指導をすることができず、また子供たちが怪我をした際などに責任を取ることができないため、部活動顧問は辞退させていただきますと答えます」
おじ「(笑みを消して)違う、もう一度」
ワイ「??教員は顧問を受けることは任意ですよね。そのため、私は任意の顧問を受けることはできません」
おじ「違う!もう一度だ!なめてるのか!」
ワイ「……子供たちと一緒に練習を行い、そのスポーツについて興味を持ち、子供たちの目標を達成できるように努力いたします」
(この答えをださないとずっとこのまんまだと察して苦渋の決断をした)
ワイ、目が点だったよ。
これで辞退しますって言えないんだなあ、新卒でこれを経験すると、「あー、部活動は無償の義務なんだ……ボランティアですら参加は任意なのに、義務でやるんだあ」となります。
S県A市の教育委員会さん、ワイは二度とお宅には勤めないと心に誓ってるから、もうメールしてこないでくださいね。
他にもこんなこともあった。
校長「毎日19時に退勤してるけど、もっと早くかえりなさい。働き方改革だよ」
ワイ「はあ、無理ですよ。」
校長「無理じゃないよ。現にB先生はほとんど毎日定時だ。今日もそうだよ。定時で終わるように業務をコントロールしなさい」
ワイ「無理です」
部活動の終了時刻は、18:30だった。
なお、B先生は、週1の家庭科クラブ(定時までに活動を終える)の顧問。こちらは、週5で18:30までみっちり練習を行うテニス部。
無理なのだ。定時退勤など。
運動部は大抵、アップなどを我々教員の定時あたりまで行い、それ以降がゲーム練習だったり、試合だったりする。
無理だよ、定時退勤。
従って、我々……特に若い教員は「部活動が当たり前!」という教員に勝てない。
子供たちの方がわかっているのだ。
こういう子達が多いと報われる。
こういう地域は保護者も教員に感謝してくれたり、引率のときに現地までは連れてきてくれたりね。
いい人もいるんだ、ネット上にいないだけで。
あとは高齢化で終わっていくだけの地元に、初めて帰省というものをしたのでキモかった発言を記録しておく。
「最近は同性愛?の人もいるから職場付き合いが大変なの。彼女いるかも聞けないなんて面倒だわ〜」
ストレートに古い。これが親から出てきた言葉かと思うと情けない。
「一人暮らしをしたいけど、結婚するまで家から出してもらえないんだ」
お前が田舎で惰性の仕事をしている間に、私は東京でひとり頑張っていました。妬ましいのはわかったのでお前も上京しろ。家庭が許してくれない?親ガチャ失敗乙!
「東京の大学に行った○○さん、今は帰ってきて××市役所で働いてるぞ」
本人に会った訳でもないのになぜか知っている。こうして戻ってきた人は東京で成功できなかった敗者として、地元民より格下の扱いをされる。下手に上京に挑戦していく人より、最初から物分りよく地元に住み続ける方が賢いんですよね。地元民の皆様はそう思いたいんですね。
「東京に行っても後悔して帰って来る人が多いよ」
でも田舎に住み続けてる人は最初から後悔してますよね?だから上京した人が妬ましくて仕方ないんですよね?
以上。
もうこの土地は終わって行くだけだと地元民も確信しているのだろうと思った。けれど様々な事情で地元を捨てることができない。土地をより良くするような指導者が出る気配もない。
だから全員で傷を舐め合うように、地元を捨てて行った者をこき下ろしているのである。その標的として、帰省してきた人間にチクチク言葉を浴びせるのだ。
もう二度と帰らない。町ごと山に還ってください。