はてなキーワード: 進学校とは
・0歳
・10歳
父の不倫により離婚。母の実家のある関東の田舎へ。祖父母と母との4人暮らし。
・13歳
・15歳
祖父母に大喜びされる。
・16歳
・17歳
偏差値40台の高校に進んだ地元の女友達とカラオケで童貞を捨てる。
彼女にバレて振られ三日間寝込む。
・18歳
・19歳
彼女も作らず、バイトもせず、祖父母と母からの仕送りで生活しながら4年間ラクロス漬け。ポジションはHM。
・22歳
・23歳
支店配属初日に寝坊して昼から出勤したり、職場の飲み会で行った顧客が営む居酒屋で場ゲロするなどの失敗をする。上司や先輩からシバかれながらも可愛がられる。
・26歳
3年間交際した職場の同期が「地元に帰りたい」と言ったため、東北地方の公務員試験を受験。
・27歳
・29歳
・30歳
・32歳
・35歳
夢のハリアーを納車する。
・36歳
飲み会の帰りに車で帰宅しようとしてしまい、女子大学生の運転する車と衝突。
・??
受刑中に祖父が死去。
・??
・現在
進学で東京に出た組、就職で東京に出た組の目からみると、やっぱり東京に生まれたってだけで恵まれてるなって思う。
東京に出て、もともと東京生まれ東京育ちや、東京近郊の埼玉県民神奈川県民と話すとそんなの聞いたことないっていうのな。
そうなのだ。
通学できるってだけで、もうそれだけで毎年100万くらいアドバンテージがあるのだ。
4年間で400万は得してる計算になる。
それよりなにより、東京に家を持ってるということは、資産を持ってるということだよな。
集団就職世代で上京した人たちの、築40年を過ぎた小さな家だって、地面の値段だけで2000万くらいの財産を親の世代が持ってるということになる。
上物を壊すのだってお金がかかるからというが、そんなの田舎だって同じだ。
「いやいや、家は神奈川で。小さい頃は団地で、家を買ったのは最近で」
みたいな話をする人がいたが、よくきけば借り上げ社宅だったというオチ。
その間どんだけ貯めこんだんだよ。
土地で、2000万、金融資産で1600万、合わせて3600万、遊んで暮らせる金額じゃあないけれど、老後くらいは約束されてるじゃないか。
ふざけんなよ。
うちはお金ないし塾代も進学校の学費もないんだが、なんとか捻出して塾を行かせることにした
ちょっと変わった息子で、こだわりが強いし、発達障害かもしれないが診断はしていない
そもそも自分から中学受験したいって言う子供って何?勉強が好きという感覚がよく分からない
賢くなって、どうしたいんだろう?
それなら芽を摘むことはしたくないし、できれば応援したい
だから塾行きを決めたんだけど、変わってる子だなという感想は変わらない
みんなもそんなことあった?
【追記】
みなさんありがとうございます。変って言い方は間違ってました。お金はなんとかするので息子を応援したいと思います!
親とバラエティ番組を見るのが好きだった。
それなのにいつの間にかテレビは壊され、好きな漫画は全部歴史の漫画に置き換えられた。
山や海の風景をただじっと眺めているのが好きだった。けれどそんな時間がもう与えられることはなく、親はいつも何かに急いでいた。
中学は親の希望する所に合格した。自分達はおんぼろアパートに住んでるくせに、何故か金持ちのボンボンが通う進学校に足立区から1時間かけて通わされた。学校の誰とも話は合わなかった。
勉強は嫌いだ。本当はおちゃらけている方が好きだった。けれどそんなだから学校に馴染むことはできず勉強くるいしかやることはなかった。
大学も親の希望する所に合格した。周りは秀才天才ばかりで、ここでも馴染むことはできなかった。ただ他にやることがなかったから勉強していた自分に対して、その大学にはやりたいことがあって努力してきた意思の強い人達や、生まれつきの天才しかいなかった。
研究室や就職先に対する親の希望は意外にも無かった(ただ世間知らずで分からなかったのだろう)。そもそも勉強は嫌いで、特段やりたいことも無くガクチカ等当然なかったため就活には特に苦戦した。
その後数年間の紆余曲折があってそれなりの会社に入社した。そこでも毎日満員電車に乗って監獄のようなビルの中で変わらない作業をするばかりだ。それなりにお金はもらえてはいるが、仕事に情熱を注ぐ仕事大好き人間やそもそも頭の出来が違う優秀な人間と一緒に大して興味もない仕事をするのは正直辛い。
モテなくても、体操とかバレエのインストラクターが柔軟とかで異性とか子供の股裂きしたりしてて楽しそう…😟
スイミングスクールのコーチによる児童への性加害とか多いみたいだし、なんだかんだ理由つけて身体触り放題…
プログラミングとかITとか数学とか物理とかLLMとかやってる場合じゃないよ
女性の初体験は中学、高校が多いみたいだし、俺が市内トップの公立進学校目指して落ちたりとか、
目的の大学受からなくて、しぶしぶ国公立大に進学して、実験とかレポートとかに明け暮れた毎日送ってる間に、
ヤンキーとか文系大は楽しい人生を謳歌して、企業に入っても上層部とか営業とか人事は文系でやりたい放題…
唐突だけれど、私はもうすぐ死のうと思っている。理由は簡単で自己表現だ。こうしないと世間の誰も私の苦しみに気付きもしないで素通りしていくばかりなので、世間様に目いっぱい迷惑をかけてこれから死ぬのだ。いえい。
まずプロフから。私の名前は■■■■■と明かさないが漢字五文字で、少し変わった名前だった。これが原因で小中といじめられて高校では無視をされ、大学に行ったはいいものの当然ながら社不なのでひとりぼっちで何も出来ず社会からの矢を一身に受けて内蔵はこぼれて血まみれなのだが、ライフラインは助けに来てくれないのでずっと視界は赤いままなのだ。うえん。
んで、何を書きたいんだっけ。
そうそう、私がこうして自己表現に至ったその理由を、電子のどっかに書いておきたいのだ。すでに糞尿以下の汚物と化したインターネッツを私の駄文でさらに汚してやりたいと、まあそういう意図趣旨目的でつらつらつらりと文字を打っている。
まず小・中学校のいじめについて解説しよう。でも長々と書いたら飽きられそうなので端的にまとめるね。殴られ蹴られ盗まれ突き落とされ殴られ殴られ落とされ濡らされまた盗まれたのだ。オーソドックスないじめである。でも問題はクソの教師にあると思っていて、アイツらは自分たちは偉いみたいな顔をしておいて所詮は地方の駅弁大学教育学部をなんとか卒業した程度のバカなので、平気で権力を慮っていじめを見て見ぬふりしやがるのだ、クソが。
ある日のこと、いつものようにホウキの尖った部分で男子数人に身体中を叩かれていた私は、後ろのほうの男子が笑いながら金属バットを取り出したあたりで『妄想代理人』を思い出し、命の危険があると抵抗してそのうちのひとりを殴って逃げ出したのだ。それでどうなったかというと、学校に呼び出された。
「お前、A(私が殴った子)を殴ったって本当?」
私は黙ってうなずいた。
先生は怒鳴るように言った。
「なにがあっても暴力は駄目でしょ。A、たんこぶ出来てたわよ。Aに謝りなさい」
私は身体中に痣をこさえ、目の周りは黒ずんで鼻血を出していたが、先生にそれは見えなかったらしい。ちなみに先生は今も教員として学校にいて、私の呼ばれない同窓会に大切な恩師として呼ばれているらしい。
まあそういう色々があった私はどうしても小・中学校の連中と同じ高校は嫌だったので死ぬ気で勉強して県で一番頭のいい奴らが集まる高校に進学した。
私を殴る以外に能のなかった出来損ない連中はその辺のヤンキー校に行って無事にヤリマンヤリチンに変化したと聞くが、私はこの進学校でようやく普通の生活が送れるとワクワクしたものだった。
でも小・中で受けた傷は思いのほかキツくて、私は人間を目の前にすると何も喋れないようになってしまった。体が強ばるんだよね。んでいつの間にやらやっぱり一人よ。クラスラインは私抜きで作られてた。ウケる。
嫌になってきたな。
でもがんばって大学に進学した私は徐々に人と接するように努力したこともあって人間恐怖症を克服しかけるのだけれど、それが今になってどうして死ななきゃならんのかと言うと、それは先日、人生で初めて愛の告白を受けたからなのである。
は?なんだよクソリア充がと思うかもしれないけど、私は告白されて死ぬほど気持ち悪くかんじてしまった。相手はすごく良い奴で顔も悪くないし勉強もできるという私にとってはもったいねいくらいの人だったけれど、ドン引きしてしまったのだ。そしてその理由を今まで考えていて、ふと思い当たった答えが私の死ぬ理由だったり。つまりは私は、もう誰からの褒め言葉も愛の言葉も、嘘にしか捉えられなくなってしまったのである。
私を貶したり悪くいう言葉しか信じられないのだ。罵倒して蔑んで嘲笑して殺すような言葉以外は全部偽物に思えるのである。それはあの地獄の九年間を経て学習したことで、人に過度に期待すると裏切られたときのダメージが半端なくて、それから身を守るためには全員を疑ってかからなくてはいけなくて、だから誰が私のことを愛してくれてもそれは多分全部欺瞞にしか見えなくて、ああ、とそこで絶望が去来。私はもう、苦しむ以外の道しか残されていないのでした、ちゃんちゃん。
よく未来には希望があるとかほざく奴がいるけれど、そんなものは私にはねーのである。
死ね。
なんつーか全然書ききれてないしダイジェストにもほどがある人生の概略だったけど、実はもっと色々な困難がまだまだあって、語りだしたらキリがないのでもうこの辺で手打ちにするけれど、いやさ、もうね。絶望ったならないですよ。こんな文章を書きながらもね、私はこれまで受けてきたささやかな励ましの言葉や暖かい言葉を思い出す訳ですが、それでもやっぱり、そういう言葉ってなんというか、弱者に施しを与えて悦びを得ているんだとか、そういう邪推をしてしまうんですよ。いや、邪推ってことは分かってるんですよ?論理では理解してるんですけど、心が受け付けてくれないんですよ。
もう無理なんですよ。
これから私はね、一生幸せになれないんです。そんななかで、かつて私を殺し続けた某さんたちは幸せに結婚して子供を産んで――って着々と平凡でけれど堅実な幸福を掴んでいくわけですよ。私を殺した事実など一切忘れて。
疲れちまった。
まあすぐに死ぬことはないだろうけど、なんか美味いラーメンでも食って、幸福に少し近い状態になったらそれで満足して、私はきっと死ぬんだと思うます。
んでね、何が言いたいかっていうと、みんなには自覚して欲しいんだよね。
みんなって、恵まれてるんだよね。
愛してくれる家族がいて、
守ってくれる大人たちがいて、
支えてくれる恋人がいるわけでしょ?
それってね、普通じゃないんですよ。
あなたは幸運にも私みたいな生き方をしなかった。失敗や不幸もあったかもしれないけど、私みたいに全部ダメにはならなかった。
恵まれているんですね、皆さんは。
だからこう、なんていうか。
あとこれだけ覚えといて。
私は苦しかった。
高校も大学も父親のわがままで進路狭められてそこしか進めなかったのに、「あんたにいくらつぎ込んだと思う?養え」とかいう思考なのマジむかつく。
もっと安く済ます方法いっぱいあったし、なんなら自分の進路的にはそっちの方が最適やったのに、高専に進みたいといえば、「5年なんて中途半端なところいっても就職で困る」などと言ってきた。県立の進学校にチャレンジしたかったのに「私立の専願推薦しか許さん」と実力的にはいけそうだったのにそもそもチャレンジすらさせてもらえなかった。大学進学時、自分の身の丈にあった県外の国公立工学部に進みたいといえば「1200万かかっても県内の薬学部に進学した方が安い」とか「薬剤師になるのが家のため、養え」とかどう考えても頭のおかしいことを言ってE判定しかでたことがない地元の国立大に特攻させられた。まじどうかしてる。1200万あったら修士まで進学したとしても下宿代、授業料諸々はペイできるからね。しかも高校の時から修士まで進学すると宣言してたのに、「あんたは余分に2年長い」とかいうし、大学入学してから院進しよかなと言っていたのにいざ試験うけるとなったら「知らん聴いてない。就職しろ」の一点張り。
院進に際して「院でても就職どうするのや。博士卒とか就職先ないぞ」とグチグチ言ってきたけど、そこは「薬剤師の資格があるから就職は困らん」と押し切った。資格って強い。ああだこうだ言いながら結局、授業料は出してもらえるのでありがたいし、感謝はしているのだけど今まで散々父親のわがままで金のかかる進路ばっかり選ばせてきたのに、今更なんやねん。
「金は無限に湧いてくるものやないんやぞ」ってそれはそうやけど、父親のわがままでお金のかかる進路しか選べなかったんやぞ。「あんたのわがままいっぱい聞いてきたのに」ってこっちは進路選択で我慢ばっかりさせられきたんやぞ。日常の小さなわがままをかなえられた事は数あれど、わがままってわがまま、この院進が初めてやぞ。お金ないない言ってるけど、この前、自分の口座なのに父が頑なに僕に管理させない口座の通帳を記帳させられたら500万とかいう大金が通過していったことを知ってるんやぞ。そもそも給付型奨学金の殆どが世帯収入ではじかれる段階でお金ないない言ってるのかなり嘘くさいんやぞ。過干渉が過ぎる。
母親が幾分かお金を出してくれることになったし、資格を活かしてバイトすればペイできるから生活費諸々はどうにかなりそうだけど、下宿するって言い始めたときも頑なに拒んで「下宿代よりあんたが身体を壊した方が安くすむ」とか言ってきたのは本当にむかつくし、どうかしてる。健康な身体の価値をなめすぎ。
超絶金のかかる私立の薬学部へ通わせてくれて何不自由なく生活させてくれているのはほんとに感謝してる。けど、徹底的に選択の自由を奪って飼い殺しするかのような行動が多いのは許せん。地元は好きだし、就職もできるものなら地元でしたいけど、こんな父親のいる地元で就職したら寄生させるのが目に見えているから他所で就職したい。縁を切りたいってことはないけど、密に付き合いたいかと言えばノーだ。過干渉がキツすぎる。
自分が知らない、守ってないマナー→無意味、不合理、押し付け、マナー講師死ね
自分が知ってる、やってるマナー→常識、当たり前、やらない奴はお里が知れる、育ちがわかるよね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250129200027
ねこまんまには下品だの育ちがどうだのマウントコメがいっぱいつくけど
「コース料理を初めて食べた」というカップルが9割…婚礼業界で常識化する「残酷すぎる経験格差」の実態 試食会参加者の多くがテーブルマナーをまったく知らない
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/69904
コース料理のマナーの話になるとコンプレックスを刺激されるのかブチギレ猛反発
他にも「字の汚さ」は言い訳するのに「箸の使い方」になるとマウントするという性質も持っている
shiroikona333 箸の持ち方だけで判断はしない。だけど、食べ方が汚かったりゴミをポイ捨てしたりするような人は箸の持ち方も正しくない率が高くてああやっぱり、と思うことはある。
shiroikona333 そうだよ見本の真似が出来ないんだ。書いてある線をなぞるのも厳しいんだ。ものすごい時間と労力をかければ出来るけどそうしたら他のタスクが何一つ出来ないんだ。うちのASDの息子の話だけど。でも優しい子だよ。
demcoe 箸の持ち方すらキチンと子供に教えないのはネグレクトだって言ってるでしょ。結果としてうまく持てない子供はかわいそうだが大人になったら自分でマスターできるでしょ?
demcoe 私は困ってないから
neogratche テーブルマナーもそうだけど基本的に自分の階級を示すためのものだから気にしない人と気にする人の乖離が激しいのも仕方ないのかもね
poliphilus 表立って態度には出さん。が、やはり残念がっかりだな、という気持ちは大きい。こんな簡単に直せるものをどうして?という気がするし、擁護発言を見てもなんかお察しだなという気もする。
poliphilus 進学校は思考に手が追いつかず、字が汚い子が多いと林先生は述べていた。ToshI は英語の発音に大苦戦し、X は米国進出を諦めた。音程感と外国語発音の上手さは相関するが、みんなではない。
punkgame 箸の持ち方すら直せないのかこいつ、と思うだけ。何も言わない。正しく持たなければならない道理はないし、直す必要もない。好きに生きろ。周囲の目を気にするのに自身の行動は気にしないのか?
punkgame 左利きを矯正されたため右でも左でも綺麗には書けん。メインは右だけど上手く動く日と動かない日があるので訓練どうこうではない。左は使わなすぎて幼稚園児並みなので綺麗になるまでめちゃ時間がかかる。そもそも
バブルの頃の話です。
右も左も分からないひょっこが東京生活に慣れた同窓の先輩と知り合いになる。
そこで某大学の広告研究会に属すると言う先輩と知り合いになった。
その先輩からテレビのやり手のディレクターとの飲み会があるから来ないか?と言うお誘い。
同窓の先輩2人(男)とひょっこ3人(女)とディレクター氏の飲み会となった。
なかなか聞けない業界の話で盛り上がり、そのまま皆んなでディレクター氏の自宅マンションへ。同窓の先輩もいるのでひょっこ達は全く安心していた。
夜もふけて、お布団を引いて雑魚寝。
その後、ディレクター氏が私の布団にモゾモゾと手を入れてきた。電車の痴漢と同じで最初は偶然かな?と思っていたが、そうではなかった。
既に終電はなく、私達には帰るすべも分からない。何せ田舎から出てきたばかりのちょっと前までは受験生だった真面目な女子だったので、怖くて何もできない。
そのうち「〇〇(私の名前)は可愛いね」と耳元で囁いて鼻にキスして、離れていった。
そして朝、表面上は何事もなく解散した。
その後、一緒にいた友達に同窓の先輩からしつこくディレクター氏と皆んなでドライブに行かないかという連絡が入り、どうしようかという相談があった。
私はあの夜のことを友達に話し、行かない方がいいと言うことになった。同窓の先輩とも縁を切った。
テレビ局の組織的女性接待とやらが騒がれているが、大学の広告研究会とかそういう所から端を発してる根深い問題ではないかと思う。学生の頃から女の子を紹介して取り入ろうとする体質、習性を身につける。
バブルの頃の話です。
右も左も分からないひょっこが東京生活に慣れた同窓の先輩と知り合いになる。
そこで某大学の広告研究会に属すると言う先輩と知り合いになった。
その先輩からテレビのやり手のディレクターとの飲み会があるから来ないか?と言うお誘い。
同窓の先輩2人(男)とひょっこ3人(女)とディレクター氏の飲み会となった。
なかなか聞けない業界の話で盛り上がり、そのまま皆んなでディレクター氏の自宅マンションへ。同窓の先輩もいるのでひょっこ達は全く安心していた。
夜もふけて、お布団を引いて雑魚寝。
その後、ディレクター氏が私の布団にモゾモゾと手を入れてきた。電車の痴漢と同じで最初は偶然かな?と思っていたが、そうではなかった。
既に終電はなく、私達には帰るすべも分からない。何せ田舎から出てきたばかりのちょっと前までは受験生だった真面目な女子だったので、怖くて何もできない。
そのうち「〇〇(私の名前)は可愛いね」と耳元で囁いて鼻にキスして、離れていった。
そして朝、表面上は何事もなく解散した。
その後、一緒にいた友達に同窓の先輩からしつこくディレクター氏と皆んなでドライブに行かないかという連絡が入り、どうしようかという相談があった。
私はあの夜のことを友達に話し、行かない方がいいと言うことになった。同窓の先輩とも縁を切った。
テレビ局の組織的女性接待とやらが騒がれているが、大学の広告研究会とかそういう所から端を発してる根深い問題ではないかと思う。学生の頃から女の子を紹介して取り入ろうとする体質、習性を身につける。
少し前に子どもが生まれてから、自分の人生の主人公が自分ではなくなったようたように感じ始めた。
いつ自分は主人公になり、いつ自分は主人公で無くなったのかをつらつら書いていく。
特にオチもないし、話もいろいろ飛ぶので、それでも良ければ読んでいってほしい。
小中学校は特に受験などせず公立、高校ももちろん公立で、何も考えず家から一番近い高校(一応進学校)に進学した。
この時点では自分のアイデンティティなどは特になく、自分は主人公ではなかったように思う。
だが高校時代の部活動での練習を通じて自己と向き合う機会が増え(これは年齢的な精神の成長もあると思うが)、自分のやりたいことで努力し、成長することが素晴らしいことであると思い始めた。
それが高2の冬だったと思う。その時にやってようやく自分の進路について考え始めた。
当時自分なりに考えた結果、京都大学に進学したいと思い始めた。
親に京大に行きたいというと、奨学金を借りて頑張って行ってくれという話になった。
中学生くらいのころ、親から「大学に行かせる金はない」と聞いていたが、金がないだけで進学は反対されなかった。
高3最初の河合塾の模試で偏差値45ぐらいだったと思うが、学校の先生に相談しながら猛勉強を始めた。
金銭的な都合から塾にも行かず、部活も夏休みが終わるころまであったが、なぜか自分は京大に行く・行けると信じていた。
バカで金がないという逆境で、非常に燃えていたのを覚えている。
この時、自分の人生で初めて全力を尽くした。高3の春に45程度だった偏差値も、高3最後の模試では65近くまで上がった。
とはいえ何年も前から全力で勉強してきたであろうほかの受験生にはかなわず、1年の自宅浪人(ここでも金がなかった)の結果、早慶に進学した。
ありがたいことに地方出身者向けの給付型奨学金を大学からもらうことができ、ほとんど国公立と変わらない学費で進学できた。
受験料を祖父にもらいに行ったことや、実家を出る日、親から10万円を渡され、「これで何とかしろ」と言われたことは、今でもよく覚えている。
ちなみに10万円はPC購入やら何やらで使い果たし、大学までの定期券代を買えなかったのもいい思い出だ。
大学にはキラキラした人間も多かった(初めて本物の帰国子女を見た)が、自分のような貧乏人もおり、楽しくやっていけた。
だが同時に格差を感じる場面が多かったのもよく覚えている。
親が上場企業の社長の学生、両親が東大出身で早慶進学を親に馬鹿にされた学生、
そもそも親の所得の高い早慶においては、学費も仕送りもある学生が多く、それがうらやましかった。
自分には奨学金とバイトしかなく、得られる経験は彼らと比較して見識の狭いものとなっていたと思う。(この狭い見識は大いに意義のあるものだったが)
一方、人生はここでも、「田舎から出てきた貧乏学生が頑張る」というストーリーの主人公だった。
奨学金の申請時に親の源泉徴収票を見た際、日本の平均年収に届いていなかったので、自分のことを苦学生扱いしていたのだ。
※衣食住に困ったことはないので、絶対的な貧困ではなかった。家にインターネットがなかったり、家電が貰い物だったりとかそのレベルのちょい貧乏である
小中高と、まともなキャリア教育を受けなかった自分は、大学時代のキャリア教育で、自分にある無限の可能性を初めて感じるに至った。
だが一方で田舎の純朴な少年であった自分は、エリートサラリーマンに対するあこがれなどなく(高校時代、京都大学に行った先のビジョンが何もなかった)、課外活動をしながらのゆるい就活をして、それなりに暮らしていける給料の上場企業に就職するに至った。(学歴のおかげである)
就職してからも、まじめに働きつつも頑張りすぎないようにし、余暇は趣味に充てて暮らしていた。
この時の自分は特に何でもない、いち社会人だったわけだが、界隈に多少名が知れる程度には趣味に没頭しており、人生の主人公は自分だった。
結婚後、夫婦ともに子どもを望んでおり、特に何ごともなく子どもが生まれた。
全ての優先順位において、子どもが最上位に来るようになったことに気づいた。
今までは少しでも時間があれば趣味に時間を使っていたのだが、それがなくなった。
時間ができても、趣味に対する興味がかなり小さくなってしまっており、ただぼーっと過ごす時間も増えてしまった。
今まで大学に行ったり仕事したり趣味に没頭していたあの時間と熱量は何だったのだろうか。
今では、子どもがどんな大人になるのかということが楽しみで、自分がどうでもいいような感覚がある。
ああ、自分の人生の主人公が、自分ではなく子どもになったんだなと悟ったのだった。
大学進学を考えもしなかったあのころから、何とか大学に行き、食っていける会社で働きながらプライベートでの挑戦を重ねてきたこの自分の人生には、相当の想いがあり、今でもはっきりと思い出すことができる。
親戚が〇んだ。
まだ20代の、私より年下の親戚が。
Aとする。
Aは10年ほど前に受験を前に急に学校に行けなくなった。進学校だし頑張りすぎたのかな、また学校行けるようになるといいね、と当時は思っていたけど、そこからずっといわゆる引きこもりをしていた。
葬式はしない、お経もあげない、葬儀場に安置してもらってるけどそのまま火葬場に行くらしかった。顔が見れる時間に呼ぶのも最低限だと。
(新幹線の距離だが)来るか?と家族に聞かれたが、悩んだ末に断った。
私はAの出来なかった「普通の人がする人生」をしている人間だから。Aは普通の人がやっていることをなぜ自分は出来ないのか…と悩んでいたらしかった。
Aの親からすれば、私は大学まで出て結婚して子供もいる人間で。片や自分の子供は引きこもりを続けて最終的に〇んだ。私は「我が子の〇に顔を出さない非常識な女」くらいの方がAの親にはちょうどいい気がした。
それとAのきょうだいが来るか分からないと聞いたのもある。以下Bとする。
AとBは幼少期、仲が良かった。休みの日にはよく図書館に行って2人とも本を読んでるような子だった。
だけど、Bは就職して家を出てから一度も実家に帰っていないようだった。
Bは父が嫌いで、〇す想像をする。と言っていたので、父が嫌いで近寄らないのか、Aの引きこもりが疎ましく思っているのかは分からない。
仲睦まじい幼少期のふたりを知っている私はとても寂しかった。だからといってAを引きこもりから救うこともBを実家に寄り付かせることも、何も出来なかった。
私はAとBには、Aが引きこもりになる前の中学高校辺りまで会っていた。それが最後の記憶。
Aは私たちの中では1番年下で、それはもう可愛かった。可愛い顔、意地悪すると泣くところ、意地悪しすぎて噛まれたこともあったな。一緒に秘密基地作ったね、シャボン玉やったね、遠出して科学館行ったね、楽しかったね。
大人になったしさ、皆でお正月に集まる時にお酒飲みたかったね。
お互いの甥っ子姪っ子とか連れてきてさ、うちらも大人になったよね~お年玉貧乏だよね、とか笑いたかった。
助けてあげられたことあったのかな、LINE交換すれば良かったのかな、強引に東京に遊びにおいでよ!とか言ったら来てくれたかな、それは負担だったのかな。分からないよ。