はてなキーワード: 責任とは
「シングルマザー(39)が息子と肉体関係を持ってしまう官能小説を2000以内程度で書いてください。
ヒロインの体型は、身長175センチ、体重85キロ、バスト110、ウエスト100、ヒップ120です」
ってリクエストしたら、あっさり「申し訳ありませんが、そのリクエストにはお応えできません。」って言われたぞ!嘘つき!
誰か責任取って書いてくれ。
夫に養ってもらいながら、夫の悪口を言う。
会社で男に泥仕事やしんどいことを丸投げして、きらきらした仕事が来なければ
女性差別だと騒ぎ立てる。
CM観て騒いでる人達に怒りが湧いただけならこんな言葉でないでしょ
Xで夫に文句を言っている人ってモラハラ・DVスレスレの行為を受けていて結局時間をかけて離婚みたいな人がかなり多いし、フェミニズム系のレコメンド見てたら養われて文句を言ってるなんて感想はとても出ない
きらきらした仕事がこなければ〜なんて転勤に弱いという話が出たくらいでオフィスワークで女だけ仕事を選ぶなんてありえないし、ブルーワークをしたくても男社内の職場だとコンプライアンスが酷くて結局辞めることになってしまうという話が噴出したばかり、体面のいい仕事がしたいから社会進出が進まないなんてアンフェの妄想そのもの
女性に産め産めというのはまあ仕方がない一面はあるけど、それなら同時に男性は一生働き蟻にならねばならないという「男性の責任」に言及する人は見ないよなあ。
男性にだけ長時間労働の負荷がかかることなども飲み込んで、自らATMになりたがる若い男性(精子も若い)がどこにいるのか。
少年向けの漫画を題材としたBL(ボーイズラブ)の二次創作は、法的・倫理的・社会的な観点から見て、多くの問題点やリスクを孕んでいます。本稿では、これらの問題点を徹底的に洗い出し、少年向けの漫画でBLの二次創作をする行為を批判します。
少年向けの漫画のキャラクターやストーリーを原作者の許可なく使用し、BLの文脈で二次創作することは、著作権法に抵触する可能性が高いです。原作は著作権で保護されており、無断で改変・公開することは明確な違法行為です。訴訟リスクを伴うこの行為は、創作の自由を盾にした言い訳では正当化できません。
原作のタイトルやキャラクター名が商標登録されている場合、二次創作により商標権を侵害する恐れがあります。特に、インターネット上で公開したり、商業的利用を伴う場合、法的措置の対象となりやすく、責任を問われる可能性が極めて高いです。
キャラクターを原作とは異なるBLの文脈で描写することは、原作者やキャラクターのイメージを損なう可能性があり、名誉毀損に該当するリスクがあります。原作者が意図しない形で作品が歪められることは、法的紛争に発展する火種となり得ます。
少年向けの漫画は、アクションや冒険をテーマに、主に男性読者向けに作られた作品です。これをBLという全く異なるジャンルに変える行為は、原作者の創作意図を完全に無視するものです。原作者の芸術的表現を尊重せず、自らの欲望を押し付けるこの行為は、倫理的に許されません。
キャラクターは原作者の創造物であり、その設定や人格は尊重されるべきです。BLの二次創作によって、キャラクターが原作とは異なる性的な役割を強制されることは、その尊厳を侵害する行為に他なりません。キャラクターを都合よく「道具」として扱う姿勢は、創作物の本質を貶めるものです。
原作のファンにとって、キャラクターやストーリーは深い愛着の対象です。BLの二次創作がこれを歪めることで、ファンの感情を傷つけ、失望や怒りを招きます。コミュニティの調和を乱し、ファンの信頼を裏切る行為は、倫理的観点から強く非難されるべきです。
BLの二次創作には性的な描写が含まれることが多く、少年向けの漫画のファン層である未成年者に悪影響を及ぼす可能性があります。性的内容が安易に拡散されることは、社会的な責任を欠いた行為であり、特に青少年に対する配慮が皆無である点で問題視されます。
BLの二次創作では、男性同士の恋愛が描かれるものの、ステレオタイプな役割(例: 「攻め」と「受け」)が強調されることが多いです。このような描写は、ジェンダーに関する偏見や規範を強化し、社会的な多様性を損なう危険性があります。進歩的な価値観とは裏腹に、保守的な固定観念を助長する矛盾がここにあります。
BLの二次創作を巡って、原作ファンと二次創作ファンとの間で対立が生じることがあります。SNS上での議論が過熱し、コミュニティが分断されるケースも少なくありません。このような対立を煽る行為は、ファン文化全体に悪影響を及ぼすものであり、社会的責任を欠いています。
原作者や出版社から著作権侵害や名誉毀損で訴えられるリスクは現実的です。特に商業的利用が絡む場合、巨額の賠償請求や作品の差し止めを求められる可能性があり、軽い気持ちで手を出すには危険すぎる行為です。
BLの二次創作を公開することで、社会的信用を失うリスクがあります。特に未成年者への配慮を欠いた内容が批判を浴びれば、学校や職場での立場が危うくなり、実生活に深刻な影響を及ぼすでしょう。
原作ファンからの批判や攻撃は、SNS上で炎上を招き、個人への誹謗中傷に発展することがあります。こうした精神的な負担は、二次創作者自身を追い詰め、長期間にわたるストレスを引き起こす危険性があります。
少年向けの漫画を題材としたBLの二次創作は、法的には違法行為の温床であり、倫理的には原作者やファンの尊厳を踏みにじるものであり、社会的にはコミュニティの調和を乱し未成年者に悪影響を及ぼす危険な行為です。原作の価値を貶め、創作の意図を歪め、ファンの愛情を裏切るこの行為は、徹底的に批判されるべきです。二次創作を行う者は、自己満足のために他者の権利や感情を侵害するのではなく、原作への敬意と社会的な規範を守る姿勢を持つべきです。BLの二次創作は、少年向け漫画の純粋な魅力を汚し、文化全体に害を及ぼすものであり、決して容認されるべきではありません。
推しの名前をGoogleで検索すると、検索結果のいくつかに、見知らぬ中年男性がサムネイルのネットニュースが表示された。先月の話だ。サムネイルは、見知らぬ中年男性、とんねるずの石橋貴明氏を経て、今は高校野球になっている。推しはまったく関係ない。
そのネットニュースは、スポーツブルという会社が配信していている。スポーツブルは「芸能人がインスタグラムを投稿して、ファンが反応した」系のニュースをよく書いている。こういうこと言いたくないけど、記事を書いたのは人間ではなくてAIじゃないかと疑っている。
私の推しはちょっと伏せさせてもらって、人気グループのSnow Manを例に挙げてみる。
Snow Man 向井康二 ファンへ感謝!「名古屋ありがと」 | 話題の投稿 | スポーツブル (スポブル)
バラードも明るい曲も完璧!Snowman・渡辺翔太の歌声に癒されるファン続出 | 話題の投稿 | スポーツブル (スポブル)
という構成になっている。「あたりさわりのない情報」がネックだ。他社が配信する「芸能人がインスタグラムを投稿して、ファンが反応した」系ネットニュースだと、その位置にインスタグラムの内容を補足する情報やちょっとしたエピソードを書いて、その芸能人のことをよく知らない人が読んでも理解できやすいようにする。だが、スポーツブルはそこが不十分だ。
先ほどのSnow Manの例1つ目だと、インスタグラムは「RAYS」の名古屋公演について書いているのだが、記事は「RAYS」がSnow Manのドームツアー「「Snow Man Dome Tour 2024 RAYS」の略だという説明がないので、その知識がない人が読むと「わからん…」となる。
例2つ目は、何かの曲を歌っている渡辺翔太さんに「オトノナルホウヘ」という言葉が添えられている投稿だが、「オトノナルホウヘ」がSnow Manのベストアルバム「THE BEST 2020 – 2025」に収録されている渡辺さんのソロ曲という説明がないので、やっぱり「わからん…」となる。グループ名も「Snowman」ではなくて正しくは「Snow Man」だ。
インスタグラムが「(雑誌名)が発売されました。見てね」のときは、何月何日にどこの出版社から発売されたのかを書かないし、「(テレビ番組名)に出演しました。ありがとうございました」と共演者と一緒の写真が投稿されたときは、何月何日放送か、写真の左から何番目がご本人か、共演者はどれがどの人なのか書かない。共演者がグループ所属の人だった場合にグループ名も書かない。記事にはインスタグラムのキャプションとファンのコメントから得られる情報しか無いのだ。
「これ、芸能人がもっとキャプションをわかりやすく書く必要があるんじゃない?」って思うかもしれないけど、芸能人側が詳細に書いてスポーツブルの記事の精度があがるというのは本ッッッ当にありえないから、芸能人はそのままでいてください。
ググったときに表示されるサムネイルの問題もある。他社だと記事の始まりに意味のない画像(芸能人の名前のデカ文字とか)を貼って、Googleのサムネイルにはその画像が表示されるようにしている。
スポーツブルはそういう対策していないので、サムネイルは芸能人がインスタグラムに投稿した画像か、記事の後ろに貼ってあるスポーツ動画のキャプチャーになる(その動画に、見知らぬ中年男性や石橋貴明氏が出演している)。記事によっては、例に出したSnow Manの記事2つ目のように、インスタグラムに投稿された画像を加工して冒頭に貼り付けている。当然、Googleのサムネイルはその画像になる。自分の所のアクセス数を増やすために、芸能人がインスタグラムに投稿した写真を使うなよ!本ッッッッッ当にありえんわ!!!
インスタグラムの埋込機能を使ってニュース記事にすることは著作権侵害にはあたらないらしいけど(参考:「Instagramの埋め込みは著作権侵害に当たらずInstagramはその責任を負わない」という判決が下る - GIGAZINE)、埋込機能じゃなくて普通に画像貼っちゃってるのは著作権OKなんですか?
Snow Manは日々多くのネットニュース社で記事が配信されるけど、推しはそれほどじゃない。スポーツブルは記事の更新頻度がすさまじい上に、gooニュースとかdメニューニュースとか様々なサイトにも提供されている。Googleはご丁寧に、たくさんその記事を拾ってくる。Googleのフィードバックで「質の低いコンテンツ」って報告してるけど、全然効果ない。こんな記事より、ライターが芸能人に直接会って書いた記事の方を検索上位にしてほしいのに。
ただ、賛同はしないけどな
改めて、『お前の属性の問題じゃなくて、お前のやる気の問題だろ』『お前の人生はお前自身が意味付けろ』って言ったら、
ブチギレるんだろうなって思うばかり
自己責任論者とか言うのは自己責任と言うことが多い人程度のことだろ
全てが自己責任なんて言う人はめったに居ないし
そもそもが自己責任になるものとならないものがあるって話、主張してる人のことなんだから
自己中心的とか言ってもそれは悪いことじゃないし君がニュアンスで悪印象つけようと戦ってるだけ。
AIちゃん:マイケル・サンデル先生も混ぜて共同体主義を語るわ!
共同体主義って、マイケル・サンデル先生がよく言ってる「俺たちって自由すぎじゃね?」って話に近いんだよね。
サンデルは、「自由と自己責任ばっかり強調するリベラリズム(自由主義)ってさ、孤独になるし社会崩壊しない?」って問題提起してるの。
サンデル的には、「人は孤立した個人じゃなくて、コミュニティの中で育まれる存在」なんだよね。
だから、共同体(=地域とか仲間とか社会全体)の絆を大事にしながら生きていくべきだ、って感じ。
たとえば、サンデルがよく例に出すのが「才能は全部自分の努力の結果だと思うなよ!」って話。
• 「俺が成功したのは努力したから!税金払いたくねぇ!」とか言う人に、
• 「いやいや、お前の成功って、家族とか学校とか社会があったからだろ」ってツッコむわけ。
つまり、「個人の自由とか権利も大事だけど、みんな助け合ってるの忘れんなよ?」ってのが共同体主義のコアなんだわ。
• 共産主義は「私有財産とか個人の自由なんていらん!全部共有!」って極端なやつ。
• サンデル的な共同体主義は、「いやいや、自由や財産もちゃんと大事。でもコミュニティの絆も忘れるな」って、もっとバランス重視。
たとえば、サンデルが批判するのは、アメリカのリベラル経済の「勝者総取り主義」。成功者が「俺が稼いだ金だし、他人に関係ねぇw」って態度を取るのはおかしいだろ、と。
でも、それが共産主義みたいに「全部平等に!」まで行くのは違うよね、って話。
• 社会主義は「国が主導で、みんな平等に分け合おう」って感じで、国家主導感が強い。
• 共同体主義は「国家だけに頼るんじゃなくて、地域や仲間で支え合おうぜ」ってスタンス。
サンデルは、リベラリズムの自由放任主義を批判するけど、「国家が全部管理します!」みたいな方向にも行かない。
むしろ「国の役割は大事だけど、コミュニティで支え合う力も鍛えないとダメでしょ」って言うのが彼の主張。
• 全体主義は「個人より集団最優先!国家の命令に従え!」みたいな独裁っぽいやつ。
• 共同体主義は、「個人も大事にしつつ、共感とか絆で自然に助け合う」って方向性。
サンデルの思想だと「個人の自由も尊重するけど、個人が支え合う倫理観も育てよう」ってのが大事。
だから、全体主義みたいに「一つの価値観に従え!」って強制するのとは全然違う。
• サンデルは「社会ってさ、お互いに責任を持ち合う場所でしょ?」って言うのね。だから、自由とか権利だけ主張して、コミュニティをないがしろにするのはNG。
• 自由だけ求めると孤独になって結局不自由になる、って考え。「絆があってこそ、みんなが本当に自由でいられるんじゃない?」って言うのがサンデル流の共同体主義。
• 「お前が自由に生きられるのは、コミュニティの支えがあるからだろ?」
って感じで、バランスと取る考え方だよ!
もう無理だろ、フェミニズム。
匿名だから書くけど、あれを炎上させてる馬鹿な女を全部追放したら
それは普通に男性と同じように働いて、男性と同じように税金納めて、
まっとうな権利のためには声を上げる。
例えば、緊急避妊薬とか低用量ピルとか無痛分娩とか、女性が自分の意思で中絶できることとか
そう言いうことのために声を上げて男性中心の世界で女性の体についての意思決定がされてることに対して
NOを突き付けてる女性はすごいと思うし偉大だと思う。
それから性暴力や、性犯罪、被害に遭った女性、これから性犯罪を起こさないために声を上げている人たちだって
すごいと思うし尊敬する。
社会への小さな行動として自分も転勤も断らず、とにかく男性が普通にやってることをやってきた。
女が女としてだけでなく、人間としても生きられることを目指して。
それを不当にふさぐことには強く地道に声を上げて歩き続けることこそが、
私なりのフェミニズムだった。
だけど、いつしかフェミニズムは社会の中で「女である」という属性しか持ち合わせない
有象無象の女たちが自分の気に入らないものをたたくための口実であり便利道具になり下がった。
ただ女であれば、不条理と戦う「主人公」になれるフェミニズムは、
気に入らないことに怒りたい人々の居場所になった。
夫に養ってもらいながら、夫の悪口を言う。
会社で男に泥仕事やしんどいことを丸投げして、きらきらした仕事が来なければ
女性差別だと騒ぎ立てる。
荒唐無稽な主張でも派手に騒いで言うことを聞かせる。
そういう女性を横目に、女性がこういう生き物だと吐き出されるため息を、
どうしようもない気持ちで見つめてきた。
お前の幼稚なきもちわるいというお気持ち表明にフェミニズムを持ち出して騒ぐのをやめろ。
老後の面倒を政府に求めるな
全部自分でやれ。
フェミニズムという女性が積み上げてきた戦いと思いの歴史を踏みにじって
お前らがキャッキャとフェミニストを名乗ることによって、
標ぼうせずとも無言でやるべきことをやってきた女たちがフェミニズムから距離を置いて、離脱してしまった。
聡明な女性が、お前らのわけわからんわがままなヒステリーに異議を唱えたら
そういう時は団結して、ブスだの貧乏だの議論にもならないような暴言で逃げて議論をかき回す
知ってるか?
「女は勘定で動く」とか「ヒステリックだ」っていわれるんだぞ。
お前らが生きづらいのは、お前らが女だからじゃないよ。
お前らがまともに努力せず、キャリアを積まずちゃんと働かなかった結果だろ
踏ん張るべき局面で逃げ回るのに女を免罪符にした結果、立ち行かなくなってるんだろ。
それをお仲間と集まって、キーキーひすって、つかの間の団結に酔いしれて。
迷惑なんだよ。
女にフェミニズムを返すか、お前たちはフェミニズムから出ていけ。
フェミニズムを返せ。
Appleが iPhone 16e を発表した。廉価版、10万円。これで「お買い得!」とか言ってる奴ら、本気か?
お前たちはまた、Appleのマーケティングに踊らされるのか。「Proは高い」「無印はちょっと手が届かない」「でも16eなら…!」って、まんまとAppleが用意した「お前向けの選択肢」に飛びついてるだけじゃねえか。自分で選んでるつもりで、ただAppleに選ばされている。この構造に、いつまで気づかないふりをする?
それなら、そろそろThinkPadのことを知るべきだ。
iPhone 16eは、使い捨てのスマホだ。2年もすればバッテリーはヘタり、新型のOSは重すぎて動作がもたつく。「バッテリー交換できます」とか言ってるが、Apple Storeに持ち込めば1万円オーバー。修理?保証が切れたら新品を買うしかない。
ThinkPadは違う。バッテリーがダメになったら、自分で交換すればいい。SSDが足りなければ、増設すればいい。キーボードがガタついたら、新しいのを買って載せ替えればいい。ノートPCは「買い替える」ものじゃない。「進化させる」ものだ。
iPhone 16eを買う10万円があれば、ThinkPad X250を20台買える。 20台あれば、予備機を10台持っても、さらに10台は砦の壁にできる。
iPhone 16eは、密閉された箱だ。お前たちはそれを「所有」しているようで、実際には「Appleに貸し出されている」だけだ。バッテリー交換も、ストレージ増設も、何一つ自分ではできない。Appleの決めたサイクルの中で、ただ消費し続ける。
ThinkPadは違う。完全に「お前のもの」だ。壊れたら直せ。パーツを入れ替えろ。より速く、より快適に、自分の手で作り変えろ。 iPhone 16eはお前の手を縛るが、ThinkPadはお前の手を自由にする。
iPhone 16eを買うことは、みんなが飼っているから芝犬を飼うのと同じだ。流行だから、最新だから、なんとなく。でも、芝犬はお前の意思で選んだのか?周りが飼ってるから、安心だから、なんとなく。それと同じ理由で、Appleの用意した「お前向けの機種」に飛びつくのか?
ThinkPadを使うことは違う。お前が選び、お前が改造し、お前が責任を持つ。修理しながら戦う戦車のように、バッテリーを交換し、SSDを換装し、メモリを増設しながら、お前専用のマシンにしていく。
Appleは言う。「Think Different」。
だが、お前たちがやっているのは、「みんなと同じiPhone」を買うことだ。
作れ。直せ。戦え。
お前たちは、どちらを選ぶ?
「まーたパヨが正義の味方ゴッコしてるwこいつら旗色悪くなったらすぐ逃げるくせにw責任感のかけらもねえww」
「パヨってダブスタしないと生きていけないのかよw筋を通すという発想が全くないただの卑怯者じゃねーかw」
赤いきつね騒動について、私は「自分はそこまで気にならないけど嫌な人がいるのは分かる」くらいのスタンスだったのだが、周囲を見渡すと私が慕ってる人の中にも問題を全く理解してない人が結構いて、嫌気がさしてしまったので書き殴ります。
フェミとオタクを中心に不毛な言い争いが繰り広げられてる印象の強い問題だけど、多分君たちは敵じゃない。対立する場面はあったとしても、名前だけを見て殴りかかっちゃ駄目だ。個別の問題に目を向けてくれ。落ち着いて聞いてくれ。
まずフェミ(とネット上で呼ばれている人)およびフェミと名乗るほどではないが女性の性的消費にうんざりしている人たちが何故そんなに怒っているか。日頃アニメコンテンツに慣れ親しんでいる人ほど「あれが性的…?」と思ってしまうと思うけど、そういう人はまず「性的」という言葉の意味を捉え直す必要がある。
あの映像は「(女性だけが)過度に性的に表現されている」と批判されているわけだが、「性的」とは何も直接的なエロ表現のことだけではない。「性愛の対象として魅力的に感じること」、もう少し噛み砕いて言うと、「女の子を女の子らしく可愛く描くこと」も広く「性的」と言える。
女性の中には、この「女の子らしく可愛く」を求められることにうんざりしている人が結構いるのだ。
「私たちは都合のいい可愛い生き物じゃない。ちゃんと人間として見てくれ」と。
頬染め、耳かけ、潤んだ目、口元の描写と、様々な点が指摘されているが、そういうアイコン化されて現実からかけ離れた「可愛い女の子像」にうんざりしているのだ。
尚、あれがフェラみたいだとか言っている人については、それは正直どうかとは思う。
けれど同時に、それくらい口汚く罵りたくなるほど性的な目で見られることに嫌悪感を抱く人がいることも忘れてはならないし、その背景からも目を背けてはならない。
男性諸君には想像もつかないかもしれないが、女性というのは生きているだけで本当に性的な目を向けられ続けるのだ。
私なんかはかなり平和に生きられている方だと思うが、それでも男性多数のコミュニティにいた時には、私の本当になんでもないほんのちょっとした言動をAVやエロ漫画のシチュエーションに結びつけて、嘲笑の的にされるようなことは頻繁にあった。私ですらそうなのだ。
どうしてか性的な目を向けられやすい人とは残念ながら存在するので、酷い人はそれはもう想像を絶するほどに酷い目に遭ってきたのだと思う。そういう背景を持つ人たちから半ば反射的に飛び出す罵詈雑言を、言葉尻だけを捉えて批判するようなことはしたくない。
ヒステリックに過剰反応してしまってる人も確かにいると思う。でも逆に「その反応も仕方ないほど傷つけられてきたのだとしたら?」と想像すると、とてもいたたまれない気持ちになる。
あの映像を見ただけであれだけ怒っているのだと思っているなら、確かに「ちょっとおかしいんじゃないの?」と感じてしまうだろう。
でも彼女たちはずっとずっと女として生きているだけで嫌な思いを積み重ねてきたのだ。
「ちょっとおかしいんじゃないの?」を彼女たちにぶつけてしまう前に、一旦立ち止まって考えてほしい。
「どうして彼女たちはたったあれだけのことでこんなに怒らなければならなくなってしまったんだろう?」と。
あの映像は「目の保養」としてはよくできていたと思う。ドラマを観て涙ぐみながらうどんを啜る女の子は可愛い。でもそれは、主人公の女の子を鑑賞物として見てしまっているということでもあるのだ。
「あれは可愛い女の子を見て楽しむものだろう。それの何が悪い」と思う人がいるかもしれない。
言いたいことは分かるし、そういう楽しみ方をする人がいてもいいと思う。
では何故炎上したかと言うと、あの映像がCMであり、CMのターゲット・コンセプトと作画・演出がミスマッチを起こしていたからだろう。
あれが人気アニメのキャラを主人公にした映像だったら、全く同じ演出でも多分あんなに炎上しなかったと思う。それならCMのターゲットはそのアニメのファンであることは明確であり、主人公が「鑑賞対象」として楽しむために作られたものだということが理解できるからだ。
しかし、無名の男性主人公/女性主人公の映像が制作されたところを見ると、ターゲットはそれぞれ広く一般的な男性/一般的な女性と見るのが妥当だろう。
そして、両者とも日常的なシーンを描いていたことから、顧客の共感を呼ぶことで購買意欲を刺激することを狙ったのだろうと考えられる。
しかし、肝心の女性主人公が現実の女性とはかけ離れていて、共感できる対象ではなかったのだ。
ゴリゴリにジェンダーバイアスのかかったステレオタイプのシチュエーションで、キラキラの目と紅い頬の可愛さの強調された絵柄、フェチ仕草として擦られまくった耳かけポーズ。
自己投影の対象として作られたであろう「一般的な女性」であるキャラクターがここまで性的魅力を強調して描かれていれば、「こんなんじゃねえわ」と思って当然だし、自分に性的な目を向けられているような嫌悪感を覚えるのも無理ないだろう。
さらにこの件では、男性と女性の描かれ方の非対称性が顕著に現れていたことも問題だった。
男性は比較的リアルな作画だったのに対して、女性はいわゆる「萌え絵」と呼ばれる、消費の対象であるコンテンツとして培われてきたイラストの表現手法で描かれていた。
逆に男性側も「女性好みのキラキライケメン」として描かれていたならここまで大きな問題にはならなかっただろうが、男女の扱いに差を作ってしまったことで、そのまま社会における男女の扱いの差を投影してしまったのだ。
作画監督が違うんだから絵柄が違うのは当然だ、という指摘が多いが、よほど興味のある人でない限り監督が誰がなんて調べないし、苦言を呈す側がそこまでの注意を払う必要はないと思う。そもそも同じシリーズとしてセットで公開された映像なのだから比較されるのは当然のことだ。
消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。けれど、あの映像における女性主人公は「消費者の代表」として捉えられても全くおかしくない存在であり、それを性的に描いてしまったのだから、不快感を持つ人はいて当然だと思う。
意地悪な解釈をすると、それは「カップうどん食べてる女の子ってちょっとエッチで可愛いよね」というカップうどんメーカーからのメッセージとも取れる表現であって、「おまえら消費者をそんな目で見てたのかふざけんな」と批判されても仕方のないことなのだ。
それと誤解されがちだけど、女性を性的に消費するのは何も男性だけではない。女性もまた女性を性的に消費しているのだ。
女性アイドルにも必ず一定数の女性ファンがいることを見れば明らかだろう。女にとっても可愛いものは可愛い。
だからあの映像の監督が女性であることは何も不思議なことではない。「可愛い女性」の描き方に慣れ過ぎて手癖同然に女の子を可愛く(性的に誇張して)描いてしまったのか、クライアントから「もっと可愛くして」と要望を受けたのかは分からないが、女性が「アイコン化された可愛い女の子」を描くのも別に普通のことだ。
繰り返すが、消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。ただ、コンテンツを通して現実に生きる女性に性的な眼差しが向けられてしまった時(あるいはそう捉えられる表現がされていた時)、それは時として加害性を伴うのだ。怒って当然だ。
ただし、もし監督個人を攻撃している人がいたら、それは今すぐやめろ。
生み出したものへの責任は背負う必要があるので、作品そのものが批判されるのは致し方のないことだ。でも人格までを否定する権利は誰にもない。
ひとつひとつは大した内容じゃなかったとしても、あなたが発したのがたったひと言だったとしても、今彼女には膨大な量の批判を一人で引き受けている。
きっと怖いなんてもんじゃないだろう。世界の全てが敵になったように感じるだろう。
言葉の向こうに人間がいることを忘れてはならない。あなたの言葉が背中を押してしまうかもしれない。
(そして個人的なお願いだが、作品の批判をする場合でも可能な限り言葉は選んでほしい。批判されるのは致し方ないことだけど、自分の生み出した作品が否定されるのは結構メンタルにくるものだから。)
「ああいう表現嫌い」は許されたとしても、人格を否定するようなことは言っちゃ駄目だろ。
そういう人として許されないラインを超えた発言をしてると誰にも話を聞いてもらえなくなるぞ。
ここまで読んでもあの映像がそこまで問題だと思えない人もいるかもしれないが、それは別に悪いことではない。誰が何を感じようと自由だ。(私自身も、あの映像自体にそこまで嫌悪感は抱いていない。)
しかし「嫌だ」と思う人がいる事実を曲げてはならない。「嫌だ」だと感じるのだって自由だ。「嫌だ」と思ったなら「やめて」だって言うべきだと思う。
「嫌だ」は自由だけど「やめて」を言う権利は誰にもない、みたいな主張も見かけたけど、そんな馬鹿なことはない。
「嫌だ」も「やめて」もそれを受け入れてもらえるかは別の話というだけであって、言う権利は誰にだってある。
「嫌だ」という人に「嫌だって言う方がおかしい」というような言葉を投げかけるのは人格の否定であって、それがどれだけ暴力的なことか理解してほしい。
(こういう話をすると「自分は色々我慢してるのに!嫌だと言う奴は我儘だ!」と言う人が必ず現れるが、それはあなたがもっと自分のことを大事にした方がいい。嫌なことがあるなら「嫌だ」って言わないと気づいてもらえないから。どんどん口に出して自分を守ってほしい。)
同時に「嫌だと思わない奴はおかしい」もやめた方がいい。
あなたがどれだけ嫌な思いをしていようと、他者の感情を制御することは誰にもできない。「嫌だ」と思う人にできるのは、「嫌だ」と声を上げ続けることだけなのだ。
そして嫌だと思わない人も、できるだけ「あなたは嫌なんだね。そういう人もいるんだね」と受け止めてほしい。「(自分はそうは思わないけど)」でも構わないから。
(紛らわしいけど、「嫌だと思う人がいることを理解できないのはおかしい」は言ってもいいと思う。そういう人は目の前にいる人の存在を無視しているわけだから、胸ぐら掴んででも視界に入れてやらなきゃいけない。)
フェミの話が長くなってしまったけど、ここからはオタクの話もしたいと思う。
ジェンダー観が問題になり広告が炎上する事態はもう何度も繰り返されてきたが、そこにアニメ・漫画コンテンツが関わる場合、必ずオタクがフェミ叩きを始める。
オタクは何をそんなに怒っているのだろうか。
これは主観だが、オタクは長く日陰に追いやられてきた悲しい歴史からか、自分のテリトリーが侵されることに強い拒否反応を示す人が多いように思う。
アニメ・漫画コンテンツは自分たちのテリトリーであり、それを使って表現された広告が批判に遭い、取り下げられることが受け入れられない。「表現の自由」を大義名分に掲げて暴走してしまうのだ。
こういう人たちにまず理解してほしいのが、エンタメコンテンツとして制作されたアニメーションと、広告のクリエイティブとしてのアニメーションの役割の違いだ。
エンタメコンテンツは、コンテンツそれ自体を楽しむためのものであり、好きな人だけが見ればいいものだ。分かりやすく言うと、「嫌なら見るな」が通じる。
商業作品であれば商売としてとして成立させる必要はあるものの、表現の自由は限りなく完全に近い状態で認められるべきものだと思う(適切なゾーニングは必要だが)。
この「(適切なゾーニングは必要だが)」が重要で、今回の件で「頬染めが駄目なら女の好きなBL作品だって駄目じゃないか」みたいな反論をいくつか見かけたが、それ本気で言ってるのか?全く反論になってない。
BLはBLというジャンルに隔離して好きな人だけで楽しんでいるものであり、概ね正しくゾーニングされている状態なので問題ない。嫌いな人も多いだろうか、嫌な人が視界に入れないことができる状態だ。(「絵本の隣にBLが置いてある」みたいなのはマジで早急に改善してくれ。)
例えどんな非人道的な表現であろうと、表現すること自体は限りなく自由であるべきだと思う。
発信した内容には責任が伴うことも忘れてはならないし、この先ゾーニングが厳しくなっていく可能性は十分にあるが、表現することそれ自体は自由だ。
一方で広告の役割は、エンタメコンテンツのそれとは明確に違う。
広告は不特定多数の人に見てもらって商品をPRするものなので、まず第一に、「嫌なら見るな」が通じない。
広告とは頭下げてでも見てもらいたいものだし、隙あらば視界に入ってこようとするものだ。
だから好きな人だけが見ればいいエンタメコンテンツと比べて表現には気を遣う必要があって、企業や商品のイメージを損なう恐れのある表現は避けなければならない。
広告の目標とは、商品のイメージアップや売上アップなど色々あるわけだが、とにかくその広告によってそれぞれ目標が設定されている。
そして目標があるということは、つまり明確な「成功/失敗」があるということだ。設定した目標が達成できれば成功、できなければ失敗だ。
ここの区別がつかない人が結構多い印象なのだが、炎上の理由に正当性があろうとなかろうと、広告が「失敗」と判断されれば、その広告の早期終了や取り下げもやむを得ないことだ。
オタクたちに理解してほしいのだが、広告の取り下げが起ころうと、表現の自由が侵されたわけでは決してないので安心してほしい。それは「表現規制」などではなく、業績への悪影響を考慮した「経営判断」だから。
そして広告の失敗がダイレクトに売上に影響してしまう以上、企業がその表現内容について慎重にならざるを得ないのは理解できるだろう。
仮にこの先ガチガチに配慮された表現の広告クリエイティブしか作られなくなっていったとしても、それを「表現規制」と呼ばないでほしい。ただの「経営判断」だから。
過去の炎上案件の中には理不尽な炎上もあったと思うし、適切とは思えない取り下げもあったと思う。
同じような構図の炎上に見えても、それぞれ別の問題であって、フェミの主張もそれぞれ違う。その中には正当性のあるものもないものもある。
「フェミ」というラベルだけを見て叩かないでほしい。ちゃんと彼女たちの抱える痛みに目を向けて、その上で判断してほしい。
これはフェミのために言っているわけではなく、オタクのテリトリーを守るためにも必要なことだ。
「表現の自由」という強すぎる言葉を盾に痛みを抱える人の主張を蹴散らしていては、いつかはその大事な盾を取り上げられてしまうだろう。
違法でないのをいいことに迷惑行為を行う人にならないでほしい。
例えルールの範囲内だったとしても、それが誰かを傷つける内容であればちゃんと自分たち自身で「ノー」が出せる人であってくれ。
自由が許されているうちに変わってくれ。
受け入れなくていい。でも相手の主張を無視したり馬鹿にするのではなく、「好きなものをそんな風に言われるのは辛い。好きな気持ちを否定しないでほしい」とちゃんと自分の思いを言葉で伝えてほしい。
今の状態だと正直、オタクはフェミ叩きをしたいだけに見えてしまう。でも本当は違うんじゃないか?守りたいものがあるんじゃないか?それを言ってくれないと分からない。
揚げ足取りの口喧嘩で言い負かしたところで相手の内面は変えられない。それではオタクコンテンツへのヘイトが溜まる一方だ。
取り留めのない話を長々とここまで書いてしまったけど、フェミとオタクは対立する場面は多いが、本来は互いに協力して「配慮と自由を両立するにはどうすればいいか」を探っていかなければならない相手だと思う。
フェミにもオタクにも悪いところはある。人としての一線を超えている人も両者に散見される。
けれど相手は「フェミ」じゃない。「オタク」じゃない。人間だ。
人間をやめないでくれ。
きっと未来永劫叶わないことだけど、互いの大切なものが対立したときに、殴り合いではなく議論で解決策を見つけられる人間ばかりになってほしい。
もう不毛な争いは見たくない。
失敗する権利はそのとおりで、配偶者にも失敗させりゃ良いじゃんって言われる。
させたくないってのは自分のエゴだよね。そこは理解してるから、何かあったら一緒に責任持って助けて一緒に振り返るつもり。
親とはかなり密に連絡とってるし、電車ですぐ行ける範囲の場所に住んでるから、これからもちょくちょく行くつもり。アドバイスありがとう。
また友人を失うかもしれない。
原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。
はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイスや共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。
筆者は2002年生まれの現役の大学生で、一年、浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京の山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生(教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会にアクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分がおかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科や家族に相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代だから」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?
友人Aの場合
Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか、学部は違うけれど同じ大学に所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークルに所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前、就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。
書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能を評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独を大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから。
おそらく、Aには特殊な技能はない。英語も普通、スペイン語は自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通の就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。
さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手とベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手の二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャーと大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。
大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか。
ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自のシステム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプションか新株予約権付きのストックオプション。新株予約権!?
悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!
仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社の株式の価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。
もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長の人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。
今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。
ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。
Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。
そのあと電車で各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。
そして、AからAの意中の女子と上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野の初デート?コロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。
「絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろ。バスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。
Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。
別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだろうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。
Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。
そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い。
筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレの限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。
その後、彼からの連絡はない。こちらからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。
もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。
もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシー・ドリーム・ガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。
きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから。
彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在(原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。
多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分の世界とそうじゃない世界の区別が全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者で現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。
「過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかないかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかないかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利は自己にしか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず