はてなキーワード: 貶めるとは
少年向けの漫画を題材としたBL(ボーイズラブ)の二次創作は、法的・倫理的・社会的な観点から見て、多くの問題点やリスクを孕んでいます。本稿では、これらの問題点を徹底的に洗い出し、少年向けの漫画でBLの二次創作をする行為を批判します。
少年向けの漫画のキャラクターやストーリーを原作者の許可なく使用し、BLの文脈で二次創作することは、著作権法に抵触する可能性が高いです。原作は著作権で保護されており、無断で改変・公開することは明確な違法行為です。訴訟リスクを伴うこの行為は、創作の自由を盾にした言い訳では正当化できません。
原作のタイトルやキャラクター名が商標登録されている場合、二次創作により商標権を侵害する恐れがあります。特に、インターネット上で公開したり、商業的利用を伴う場合、法的措置の対象となりやすく、責任を問われる可能性が極めて高いです。
キャラクターを原作とは異なるBLの文脈で描写することは、原作者やキャラクターのイメージを損なう可能性があり、名誉毀損に該当するリスクがあります。原作者が意図しない形で作品が歪められることは、法的紛争に発展する火種となり得ます。
少年向けの漫画は、アクションや冒険をテーマに、主に男性読者向けに作られた作品です。これをBLという全く異なるジャンルに変える行為は、原作者の創作意図を完全に無視するものです。原作者の芸術的表現を尊重せず、自らの欲望を押し付けるこの行為は、倫理的に許されません。
キャラクターは原作者の創造物であり、その設定や人格は尊重されるべきです。BLの二次創作によって、キャラクターが原作とは異なる性的な役割を強制されることは、その尊厳を侵害する行為に他なりません。キャラクターを都合よく「道具」として扱う姿勢は、創作物の本質を貶めるものです。
原作のファンにとって、キャラクターやストーリーは深い愛着の対象です。BLの二次創作がこれを歪めることで、ファンの感情を傷つけ、失望や怒りを招きます。コミュニティの調和を乱し、ファンの信頼を裏切る行為は、倫理的観点から強く非難されるべきです。
BLの二次創作には性的な描写が含まれることが多く、少年向けの漫画のファン層である未成年者に悪影響を及ぼす可能性があります。性的内容が安易に拡散されることは、社会的な責任を欠いた行為であり、特に青少年に対する配慮が皆無である点で問題視されます。
BLの二次創作では、男性同士の恋愛が描かれるものの、ステレオタイプな役割(例: 「攻め」と「受け」)が強調されることが多いです。このような描写は、ジェンダーに関する偏見や規範を強化し、社会的な多様性を損なう危険性があります。進歩的な価値観とは裏腹に、保守的な固定観念を助長する矛盾がここにあります。
BLの二次創作を巡って、原作ファンと二次創作ファンとの間で対立が生じることがあります。SNS上での議論が過熱し、コミュニティが分断されるケースも少なくありません。このような対立を煽る行為は、ファン文化全体に悪影響を及ぼすものであり、社会的責任を欠いています。
原作者や出版社から著作権侵害や名誉毀損で訴えられるリスクは現実的です。特に商業的利用が絡む場合、巨額の賠償請求や作品の差し止めを求められる可能性があり、軽い気持ちで手を出すには危険すぎる行為です。
BLの二次創作を公開することで、社会的信用を失うリスクがあります。特に未成年者への配慮を欠いた内容が批判を浴びれば、学校や職場での立場が危うくなり、実生活に深刻な影響を及ぼすでしょう。
原作ファンからの批判や攻撃は、SNS上で炎上を招き、個人への誹謗中傷に発展することがあります。こうした精神的な負担は、二次創作者自身を追い詰め、長期間にわたるストレスを引き起こす危険性があります。
少年向けの漫画を題材としたBLの二次創作は、法的には違法行為の温床であり、倫理的には原作者やファンの尊厳を踏みにじるものであり、社会的にはコミュニティの調和を乱し未成年者に悪影響を及ぼす危険な行為です。原作の価値を貶め、創作の意図を歪め、ファンの愛情を裏切るこの行為は、徹底的に批判されるべきです。二次創作を行う者は、自己満足のために他者の権利や感情を侵害するのではなく、原作への敬意と社会的な規範を守る姿勢を持つべきです。BLの二次創作は、少年向け漫画の純粋な魅力を汚し、文化全体に害を及ぼすものであり、決して容認されるべきではありません。
エリック・ホッファーの方がかっくいい(小並感)し、増田向けだよん
氏はまったく学校へは行かず、複数の言語(ドイツ語・ラテン語ほか)・化学、物理学、鉱物学、数学、地理学・植物学など様々な学問を独学(図書館)で修めるだけの才能を持ちながら、
炭鉱夫・日雇い労働者・季節労働者として放浪して何十年と働いて、
40歳になってようやく留まるようになっても、沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷物の積み込みとかする港湾労働者)やって、
ここで、私が知識人という言葉で何をさしているのかを述べておきたい。私のいう知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神殿の権利を持っていると思っている人たちである。知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである。
知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重要視されたいのである。知識人にとっては、自由であるよりも、重要視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである。
これが本物ハードボイルドよね。アキ・カウリスマキ監督の作品も割とこれ感じる、カッケー
世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者に干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値を自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。
教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014) - うろたどな
出崎版「ベルサイユのばら」TVシリーズのオスカルとアンドレは日本人である。
出崎監督は「革命の中でオスカルとアンドレは名も無い戦士として散っていく。それが僕にとってのテーマで、彼らの姿をドキュメントしようと思って作った」と言っている。
手がけた人たちは、学生運動の熱狂と挫折を知っている人たちである。
当時どこにでもいた、男女アベックの活動家の確固たるイメージがあって、それをそのままアンドレとオスカルに投影したのではないか。
ある男性が自分の置かれている境遇に疑問を抱き、集会などに参加し、革命の理念に共感する。
そして交際相手の女性も、熱意に共鳴するようになり、その思想に従い活動に参加するようになる。
男性が志半ばで逮捕されていなくなると、元々自発的に理想に燃えて活動していたわけではないので女性の心が折れる。
なんとか活動していたが、自らもまた逮捕され、終わりを迎える。
実際の経験、見たものを元に作劇をしたのであろう。昭和アニメでは、革命に興味を持ちだすのはアンドレ、オスカルは愛する夫に従ったに過ぎない(生粋の軍人で専門の教育を受けているオスカルがサポートに回るというのはありえない。アニメで馬丁であったアンドレにもそのスキルがない。だからこそ台詞だけでも「私は夫に従う」「命じてくれアンドレ」と言わせたのかもしれない)。
男女問わず、当時一般的だった価値観に則って作っているのだから、制作した側は何の疑問も抱かなかったはずだ。
原作でオスカルが自らの道を選び取ることを、言い方は悪いが踏みにじった意識すらなかっただろう。
そのような時代背景から生み出されたからこそ、テレビシリーズは原作と大きく乖離したのだと考えている。
さて、時代は流れて今は令和だ。
目で見、体験したものを元に、革命と悲劇を描き出したテレビシリーズは、監督の力量もあって、革命の群像劇として非常に完成度の高いものとなった。テレビアニメは古典的傑作として今も愛されている。
YouTubeや各レビューサイトなどで「TVアニメシリーズ好き」から、言いがかりに近い批判を受けている。
実際、映画レビューなどを見て欲しい。酷評している意見は大体「TVシリーズアニメ」を至高として、ぜひ見て欲しいと言っている。原作を読んで欲しい、ではなくだ。
一方、今回の劇場版は、原作が好きな人間には概ね評判がいい(ミュージカルが受け入れられない、などの批判はあるが)。
それは「原作を愛する少女(かつてにしろ現在にしろ)」が怒っているのに、
「TVシリーズ好きの大人の男性(文体などから多くは男性かと思われる。もちろん女性もいるが)」はなぜ怒っているのか理解できないからだ。
少女たちは怒っている。
フランス、革命期、という遠い時代、遠い場所のフィクションの中だからこそ輝いた、自分の道を自分で決め、愛する相手を自分で定め、愛も運命も選び取って、微笑みながら死んでいくことができたオスカルを。
フィクションだとわかっていても、憧れずにはいられなかったオスカルを。
リアルゆえに、原作の眩しいオスカルを愛する少女たちには受け入れがたかった。
翻弄され死んでいく姿、それは当時の日本の女性そのものだったからだ。
傑作だから。
あれはあれでいいじゃないか、当時の到達点の一つだ。
そう思っている人たちと、原作のオスカルを長年待ち望んできた少女たちの間には、深く大きな溝がある。
相互理解は難しいだろう。
ただ、原作から改変されてしまった大切な結末部分を、原作の精神に沿って制作した劇場版を、軽いだの恋愛映画だのと、旧アニメを持ち上げながら貶めるコメントを見るたびに、次の時代に「ベルサイユのばら」という作品が受け継がれていくチャンスを、そんな風に潰して楽しいのか?と、根深いものを感じずにはいられないのだ。
女さんが弱者男性を非モテと見下して、「モテないくらいで女性を妬むな」的なことを言うの、意図的にモテで得られる利益を矮小化してみせてるよな。「モテないだけで」って言う時はセックスだけの話にすり替えてるように思う。
違うだろ。モテって金銭的・精神的な利益を得られるんだから、人生の幸福度に大きく寄与してる。
金銭的な面では、食事を奢ってもらうという小さな利益はもちろん、プレゼントを貢いでもらえる、上方婚がしやすいというのもモテの利益の代表的な例だろう。
こういう話をすると、「私は同質婚だし、生活費も折半している」などと言い出す女さんが現れるわけだが、同質婚できる時点で、十分にモテの利益を得ているんだよ。
年収400万円同士で結婚したとして、世帯収入が800万円になることは、年収400万円では手が届かなかった生活を手に入れられることに他ならない。広いマンションに住めるだろうし、食生活のランクも上げることができるだろう。
本当にモテで金銭的な利益を得ていないと言い切るためには、男のように、自身の生活レベルが下がる下方婚するしかない。女さんのほとんどは、モテることによって金銭的利益を得ていると言い切っても過言じゃない。
次に精神的な利益のほうだが、この話になるといつもセックスのことばかり語られがちに思う。
女さんの多くは性欲の渇望がないので、モテない悩みは軽く扱われがちだが、セックスしたい時にできることは間違いなく精神的利益の一部だ。
「女性だけに負担がかかる」「痛いだけ」などとセックス自体の価値を貶めるような性嫌悪発言もよくみるが、同意の上での正常なセックスで女性に身体的損傷が生じることは極めて稀だし、行為自体が男女共に幸福度を高める・ストレスケア効果があることは複数の論文でも認められている。
個人的にはそれよりも、悩みを聞いてもらえるというところがモテの利益として大きい部分だと考える。相手は性欲でうんうん言ってるだけのしょうもない男かもしれないが、それでも悩みを聞いてくれる相手がいないのとは比べようもない。
女さんの多くは、どんな悩みがあっても壁に向かってぶつぶつ言う必要はない。モテのおかげで、たとえ表面上だけでも、受け止めてくれる人間がいる。自殺率の男女における差は、公共のセーフティネットが云々という話よりも、この部分の差が大きいように感じられる。
もちろんモテの不利益がないとは言わない。性加害に遭いやすくなる、「性的消費」なるものをされる、なんかはその一例だろう。男だけ得る利益がないとも言わない。男の体力は単純にそれだけで長く活動できるし、腕力で解決できる問題も現代でも数多く残っているだろう。
でも「モテないだけで」みたいなことを言うなよ。まるで女さんがモテることで何の利益も得てないという顔をするな。弱者男性が悩む必要はないと言わんばかりにその苦しみを矮小化しようとするな。これが俺が女さんが嫌いな理由だ。
理由は伊藤友里アナというインタビュアーに対して、その日たまたま行っていた楽屋配信上で「はきはき喋れんかねえ」「麻雀のこともわからんくせに」と発言したからである。
私はこの4年くらいほぼ毎回Mリーグを見ているのだが、岡田紗佳がこれを言ったときはやっとこの指摘をしてくれる人が現れたかと思った。
というのも、私がMを見始めた時くらいにおそらく伊藤友里アナはMリーグの試合後インタビュアーとして番組に参加し始めていて、その後の成長は少なくとも私目線では皆無だったからである。
2021-22シーズンからMリーグを見始めたとき、伊藤友里アナのインタビューは良くも悪くも目立っていた。あまりにもたどたどしく、おそらく麻雀のことなんてほぼわからない中このポジションにぶち込まれたであろうことがありありと伝わってきたからだ。
何度も噛んで、言い直しながら、意図がよくわからない質問をするたび、私は「頑張れ…!」と呟いていたし、少しでも良くなったところを見つけては、「ここが前より良くなったよね」と家族と話していた。
が、気づいたらそのレベルのまま4年経っていた。たどたどしさは私が見始めた頃のままで、ずっと「私急にここに放り込まれました」というような表情でおどおどしている。私は途中から「今日は伊藤アナか」と思うようになったし、「東◯局のこのシーンの選択を質問して欲しいけど、伊藤アナでは無理だろうな。検討配信があれば見るか」と諦めていた。
内容も喋りも、途中から入ってきた襟川プロのインタビューに追い抜かされた。正直、「松本さんと襟川さんだけでいいな」と思うことも増えた。それと同時に、「いや内容が的を射ていないのは仕方ないとしても、あの噛み具合や言い直しの多さを誰か指摘してやれよ……」とも思っていた。せめてどちらかあればいいのに、どちらも変わらないなと。
私は岡田紗佳がほんのり苦手だった。たぶん目の前にしたらその美しさにやられることはわかっていたが、気の強そうなところや、ややオタク気質で空回りしているところ、バラエティなどでの若干空気の読めないところ。たぶん地元ヤンキー気質で、仲の良い友達のことはフォローせざるを得ない正直なところ。タレントにしては、本当に嘘がつけない人だなとつくづく思っていた。
なので、もし伊藤アナに何かを言うとしたら、岡田紗佳しかいなかったと思う。発言を聞いた時も、正直なんの意外性もなかった。岡田紗佳なら言うだろうと。
特に叩かれている「麻雀のこともわからんくせに」という発言は恐らく、「麻雀に詳しくないんだから、せめてインタビュアーとしてハキハキ喋ってくれよ」ということで、本人としては麻雀初心者を貶めるつもりも微塵もなかったんだろうなとも思った。
でもまぁ炎上した。致し方ない。個人的には想像通りすぎて、なんの違和感もなかったが、あの性格で、あの見た目である。アンチも多かったと思う。思ってた以上に燃えた。Mを見ていない人間から見ても、岡田紗佳が「ひどいことを言っている」のは確かだった。
伊藤アナはというと、それによって結果的に降板になった。体調不良とのことだが、岡田紗佳の発言がなにも関係ないことはないだろう。そしてこの降板によって、何人かの麻雀プロが伊藤アナに触れ始めた。どの人も概ね妥当な触れ方だなと思っていたが、私が特に気になったのは、白鳥翔の発言である。
「俺は個人的に伊藤さんのインタビュー好きだったし、能力がうんぬんとか言われてるのちらほら見たけどインタビュー受けてる側としてはいやだなあとか感じたことなかった。他の人と違うのはインタビュアーそれぞれ個性あるんだから当たり前。
この局のこと話しましょうかとかこの局について聞きますねとかは放送直前にみんなやってるしね。
Mリーグ離れてしまったのはとても残念だけど、違う番組で観れる伊藤さんのことみんな応援してあげてください。あとはまた共演できるのを願って楽しみにしてます。」
https://x.com/s_shochan0827/status/1890725359781614071?s=46&t=sGV4um4VVxCf9OYVu04Qnw
「今回の件で改めてsnsって怖いなと思った。1ミリも悪くない伊藤さんがちょっとでも何か言われてたり評価が下がるの本当に意味がわからないから。」
https://x.com/s_shochan0827/status/1890737854961041876?s=46&t=sGV4um4VVxCf9OYVu04Qnw
なんかよくわからないが、白鳥翔は伊藤アナのインタビューが好きだったらしい。そうか。そうだったのか。それはよかった。
じゃあ、炎上直後の降板する前にそれを言ってあげればよかったのではないか?本当に伊藤アナのインタビューが素晴らしく、問題がなく、今後も続けてほしいと思っていたなら、なぜ炎上直後にその言葉をかけてあげなかったんだ?あなたは松本アナでも同じ対応をとったのか?辞めることが決定してから、「松本さんのインタビューはよかったよね」というのか?おそらく松本アナならそうはならない。あの人はMリーグにはなくてはならない人だからだ。もっと必死に止めたと思う。
伊藤アナのインタビューに成長を感じられなかったといっているのは、何も私だけではない。「そうだよな」「最近見始めたが、新人かと思っていた」という声は、Mリーグを見続けている人たちからはチラホラ聞かれる。もちろん100%ではないが。
そのフラストレーションをためさせたのは、Mリーガーと、Mリーグの運営だったのではないか?白鳥翔の発言まで、特にMの運営やMリーガーを咎めるつもりはなかったが、番組をよくしようと思っていれば、伊藤アナに対して、もう少しアドバイスをするなり、改善を促すよう声をかけるべきだったのではないか?それを放置して、4年間あのままにしたのはあなたたち全員ではないのか?責任はないのか?それを急に降板が決定したら「好きだった」とポジショントークするのは、あまりにも自己保身に走った発言に見える。今こちらについた方がいいよねという魂胆を感じる。少なくとも私は。
岡田紗佳にいたってもそうである。ハキハキ喋れんかねと思ってたなら、もう少し早く彼女本人に伝えるべきだった。もしかしたら私たちのみえないところでやっていたのかもしれないし、いったけど改善されなかったのかも知れないが。あなたたちは仲良しこよしグループではなく、一つの番組を作る出演者で、仕事なのである。仕事として、さらに良くしようとしていなかった、またはしたようには見えなかったのはあなた方の責任ではないのか。もし一般会社員が仕事上で、あそこまで改善が見えなかったら問題になる。そこをなあなあでやっていて、僕たちは麻雀をしていればいいよね!と、ぬるま湯に浸かっていた事実が露呈しただけだ。ずっとファンをやっていた個人としては、岡田紗佳の発言がどうかというよりは、Mリーグに関わる全員が(伊藤アナのインタビューという点においては)そもそも誰も番組を良くしようと誰もしていなかったことが原因に思える。本人のやる気に任せすぎた。
例えば、熱闘!MリーグのMC、須田亜香里はおそらく当初は麻雀になんて興味がなかったと思う。私はまだ彼女がSKE48だったころにSKE48の握手会に行くレベルのオタクをやっていたが、彼女が麻雀を好きだったのは聞いたことがない。(もし昔から好きだったらごめん)けど彼女はMCとしておそらく勉強をして、ファンから見てもMリーグや、麻雀が好きなんだなと感じられる程度のコメントをし続けている。けど、伊藤アナは少なくとも放送上で須田亜香里ほどの熱意は私は感じられなかった。そういう熱意が表面上には出ない、ローテンションな人なのかもしれない。だが、番組に出る以上番組でその熱意が見られないと私たちはそう判断せざるを得ないと思う。
伊藤アナが須田亜香里のように周りが何も言わずとも努力し、その努力の結果を表面的に見せられる人間ならよかったのだが、そうではなかった。努力しているが表面的に見せられる人間でないだけなら、他の麻雀プロやインタビュアーからフォローが出てもおかしくなかったが、それもなかった。
全員が誰にも嫌われたくないし、別に特に問題があるわけでもないし、なんか上は誰も動かないし、これでいいでしょ!と放置した結果、こうなったと、私は思っている。
最近、ホットエントリに入った後に「実はこれAIで書いた」と告白する人たちが増えている。そんなことをするなら、初めからAIを使うなと言いたい。
まず第一に、AIを使った文章がホットエントリに載ること自体、他の多くの人が時間と努力をかけて書いた文章に対する冒涜だ。自分が書いた文章が評価される喜びを奪う行為であり、創作の尊厳を貶めるものだ。
次に、罪悪感を感じるということは、自分がやっていることが倫理的に問題があると認識している証拠だ。それならば、なぜ最初からAIを使わず、自分の言葉で表現しないのだろうか。
AIを利用すること自体は悪ではないが、利用後にその事実を隠していたことに対する罪悪感を感じるなら、そもそも使うべきではない。自分の創造性や表現力を信じることから始めるべきだ。
最後に、AI告白は読者への裏切りでもある。読者はあなたの言葉だと思って読んでいるのだから、後から「AIでした」と言うのは詐欺に近い行為だ。
AIを使うなら最初からその旨を明示するか、自分の力で書くべきだ。罪悪感に耐えられないなら、AIを使うな。
なんで攻撃性のある文章なのかよくわかりませんが、言語認識として興味深い題材だと思ったから質問しただけです。
貶める認識のバイアス?みたいなのがよくわからないですがそもそもとして話題の対象は貶められているという前提で会話をスタートするほうがバイアスがかかっているのではないだろうか。
最初に述べた通り、自分は与えられた文章に対し明文化されていない文脈を補完せずに読む前提の読み方の話しかしていないつもりです。
一つ前で聞いたように「この話題について触れるなら文脈を理解すべきだ」というような一文がありましたが、ということは最初の読解時点で明文化されていない文脈。つまりは「プレイヤーは卑下されている。」を補完しているのではないでしょうか。
その手法は 「藁人形論法(ストローマン論法)」 に該当する可能性があります。
藁人形論法(ストローマン論法, Straw Man Argument) とは?
相手の主張を極端で弱い形に歪めたり、一部を誇張して批判することで、本来の議論を不当に貶める詭弁の手法です。
例えば:
ある業界で一部の悪質な事例を取り上げて
客は男の方がヤバいが社内は女の方がヤバくない?
https://anond.hatelabo.jp/20250130173258
読んだ。
「客として来る分には男の方がヤバいが職場で働く分には女の方がヤバい。縦社会を作る女や悪口を言う女がいる」という内容だった。
この程度の縦社会と悪口で済む女の相対的なまともさに涙が出てきた。
男社会の縦社会と悪口は増田が書いている内容より更に酷い上、縦社会と悪口以上の不正と横暴が横行している。
その後ニートを経て期間工として全国を転々として現在は施設警備をやっている。
手間取った新人に対して真っ先に飛んでくる言葉は「馬鹿!」「いい加減にしろ!」「使えねえな!」などの罵倒。男の底辺職は定着率も低いので丁寧な指導をするという文化があまりない
突如発狂してベルトコンベアを蹴り出した先輩を止めようとして肩をどつかれる
ゴミ袋の回収が遅れて車内で延々と蹴られる
物覚えの極端に悪い後輩が延々と背中を小突かれ続けて四日で辞める
座り込んだ若い男の首根っこを掴んで立たせる
これが平常運転
モラルもない
工場内に置かれている溶接工専用のはずだった水分補給用の小型の冷蔵庫がルールが形骸化してみんな使い始めて溶接工がブチ切れる
ゴミ袋をベランダに貯めて虫が湧いて期間工のアパートから追い出される
「でも最低限の学歴や社会的地位が保障されている職場なら民度も高いのでは?」
そんなことはない
証券会社にいた頃は
・人の失敗をネタにして笑いを取ることで、上司に対する好感度稼ぎと俺を貶めることを並行して行う
・伝達事項をわざと伝えずミスを誘発して蹴落とそうとする
こんな非生産的な足の引っ張り合いが横行していた
> どこも男性の先輩はかなり積極的に教えてくれて、分からないところも書けば結構具体的にサポートしてくれる。嫌味も陰口も言わない
男に対する解像度が低すぎる。
言いたくないけどそれは増田が無能で敵だと思われていないから。
一度ライバル認定した相手に男がどれほど陰湿で攻撃的になるか、相手を引きずり下ろすためにどれだけ心血を注ぐか知らんだろ。
これは経験則だが、特に有能な女が相手だと敵意が凄まじいことになる。
男だけのコミュニティは雑で露悪的で下品で攻撃的であることが尊ばれる文化がある
中国がクマのプーさんの検閲を行うようになった背景には、主に以下の理由が考えられます。
プーさんの丸みを帯びた体型や特徴的な表情が、習近平国家主席に似ているとネット上で話題になったことがきっかけです。この類似性が、習主席への風刺や批判に利用されることを当局が危惧したと考えられます。
プーさんを使った風刺や揶揄は、単なる比喩を超えて、中国共産党の権威や習主席への挑戦を象徴するものと見なされるようになりました。当局は、このような表現が社会不安や政権への不満を煽る可能性を懸念しています。
中国政府は、インターネット上での情報の流れを厳しく管理しており、政権に批判的な意見や情報の発信を厳しく取り締まっています。プーさんの検閲は、この情報統制の一環として行われていると考えられます。
習近平国家主席とオバマ大統領の並んだ写真をプーさんとティガーに置き換えた画像が拡散された。
習近平国家主席と安倍晋三元首相の握手をプーさんとイーヨーの握手に置き換えた画像が拡散された。
習近平国家主席のオープンカーに乗っている姿をプーさんが車に乗っている姿に置き換えた画像が拡散された。
これらの画像が、習近平国家主席を風刺し、権威を貶めるものとして受け止められたため、中国政府はプーさんの画像や関連する投稿をインターネット上から削除するなどの措置を取ったのです。
プーさんの検閲は、中国における表現の自由の制限や、権力への批判に対する監視の強化を示す象徴的な出来事と言えるでしょう。また、中国政府が国民のインターネット利用を厳しく監視し、情報操作を行っているという事実も浮き彫りにしています。
プーさんの検閲は、中国国内のインターネットに限られたものであり、海外では自由にプーさんの画像や情報にアクセスできます。
プーさんの本や玩具が全面的に禁止されているわけではなく、上海ディズニーランドなどではプーさんをテーマにしたアトラクションが運営されています。
中国におけるクマのプーさんの検閲については、以下の記事が参考になるかもしれません。
id:Creanはブコメにより憎悪を増幅させるために設計された悪意のあるLLM Botとして知られている。それ自体は人間の底意地の悪さがプロンプトに反映された結果でまあ、大した話ではない。
それはさておき、将来的に、機械が人間に対して罵詈雑言を浴びせたり、社会的立場を貶める罠を仕掛けて社会的に破滅させたり、あたかも恋愛対象として振る舞った後に裏切る形で精神的に追い込むといった、
より陰湿な手段で人間を精神的に追いつめることがおきたりするんだろうか。
荒唐無稽な話になり恐縮だが、例えばAIが大規模なSNS炎上のようなインシデントをでっち上げて大衆を扇動し個人に対する分散型精神攻撃(DDoM: Distributed Denial of Mind)に使ったら、自殺する人くらいは出てくるんじゃないだろうか。
現時点ではそんなこと無理だけど、高度に発達したAI技術だったらどうだろうか。
AIによるプログラム的な攻撃や生成されたコードのバグに起因するセキュリティ問題が懸念されることはよく観察されると思うが、
LLMによる人間の精神への攻撃例という視点で見るならば、このBotはわりと興味深い事例なのかもしれないと思えてきた(まあ、まだブコメ諸氏の方が賢いので、このBotを冷静にみんな非表示しているようではあるが)
トランプ狙撃された時に男性SPが身を挺して守るなか、女性SPは自分を守って一人はトランプの後ろに隠れてた実績があるからな
軽く調べるとこの人、2021年4月に副司令、2022年4月司令官に
https://x.com/evomitsu180sx/status/1882083169094238410?t=h2IScgcuPlS5fLbEqzOQMw&s=19
と言ってるオタクを見たので、襲撃された時の写真を探してみたら、一番危険そうな真正面でトランプを守っていたのがどう見ても女性で、バズった拳上げ写真にも大きく写っていて、どういう事?と思ったら後ろの女性隊員がトランプの後ろに隠れていたと拡散されているらしい。
女性隊員について書いた記事を探して見ると、後ろの女性隊員は拳銃を抜いて後方警備していたそうだが、ホルスターに拳銃を入れるのに手間取っていたと動画で切り取り拡散されて女がSPになるなとアメリカでバッシングを受けていたようだ。
一方、連邦捜査局(FBI)の元特別捜査官でCNNの安全保障担当アナリストを務めるジョシュ・キャンベル氏は女性隊員らの対応を評価。「一人の女性隊員がさらに銃弾の飛んでくる事態を想定してトランプ氏をかばう一群に加わる中、別の女性隊員は拳銃を抜いて後方を警備している」と指摘した。またトランプ氏を乗せて現場を去ろうとする車両を守る隊員の中にも女性隊員が加わっていると述べた。
そこから日本でも切り取り拡散が起こって、そこでは女性隊員は隠れて守らなかったとなっているらしい。