はてなキーワード: デッサンとは
少女漫画の過激エロも10年ほどで売れなくなり2006年頃には純愛漫画ブームが来て、多くのエロ少女漫画描いてた漫画家は純愛漫画に鞍替えしたし、エロシーンだけで売れたけどそれ以外描けない漫画家は放り出されてWeb媒体で細々と売れないTL描くようになったんだよね。
最近はWebコミックのTLも画力高い人が増えて、昔のエロ少女漫画みたいにデッサン力も話の構成力も無い「ただ裸とセッ…シーン描けば儲かった」時代の少女エロ漫画家はどこからもお呼びで無くなった。でも20〜30年前はエロで売れてたから態度だけは大御所。小中学生向けにエロ描いて金儲けしていた昔の先生方は推しの子以前にそちらを心配されては。
数年ぶりに絵を描くのを再開し、ただ描くだけだとモチベーションの維持が難しいからXに投稿することにした。投稿し始めのころは無反応なことが多くて、かなり凹んだ。でも1ヶ月くらい経って投稿した絵もそこそこ溜まってきたころ、とつぜん固定ファンができた。そのあたりからバズるようになった。バズるっていっても、いいねが500を超えるとかで「神絵師」とかそういうのには遠く及ばないんだけど、ひとつの投稿に500いいねがついたなんてことは2009年にTwitterを始めて以降、初めてのことだった。あらためて、自分には文章の才能はない(増田でならホッテントリ入りは何度かしてるけど、狙ってバズらせるのはできない)けど、絵はちょっとだけ人に評価してもらえるんだなと思った。でも、ほんっと絵って難しいよー!デッサンいちから勉強したい!
10年前、友達と親の愚痴の話になったとき、あんたのお母さんは毒親だよね、と言われた。
家に帰ってから、毒親をネットで調べた。確かに、うちの親はこんな感じ、と思った。
けれど、すぐに「そうだ」とは思えなかった。そのときはまだ、親に感謝していたし、親のことを好きだった。
確かに暴言を言われたり、理不尽な扱いを受けたこともある。でも、愛情は感じていた。
うちは愛があるから、違うもんね!
――その瞬間はそう思ったけれど、ここから10年をかけて、わたしは「自分の親は、毒親なのか?」という疑問に囚われていくことになる。
美大には自分よりはるかに上手な人たちがたくさんいたが、技術よりもなによりも、マインドの違いに違和感を感じていった。
段々と、あ、自分って『絵を描いて褒められることが好き』なのであって、描きたいものとか、ないんだな。と気づいた。
思えば昔から、人並み外れたおっちょこちょいで(注意欠陥)、ミスを連発。
そのたびにお母さんはヒステリックに叫んだり「この出来損ない!」と怒鳴り散らしたりしていた。ブス、バカ、デブなどの暴言に加え、生まれつきの病気のことまで責められた。
3歳年上の姉は優秀だった。母は明らかに姉の方をかわいがっており、わたしが保育園の頃から「離婚したら、わたしはお姉ちゃんと暮らすからあんたはお父さんについていきなさいね」と言われていた。
なにか描けば褒めてもらえるので、こんなに割の良いことはなく、暇さえあれば絵を描くようになっていった。
保育園の先生や友達、友達のお母さん、学校の先生。まわりはすごく褒めてくれるのに、お母さんはほとんど褒めてくれなかった。
「なんだか大胆さのない小さな絵で、あんたのヒクツな性格が出てる」とか「子供らしくない面白くない絵」などと言われた。
でも、お母さんに褒めてもらいたいという気持ちは常にあった。
ある程度大きくなると、もうこの母は褒めてくれないものなんだと諦めていた。
「小五です!」などとわざわざ書き添えてインターネットに絵を載せて、優しい人たちから「小五の絵には見えません!」とか言われて鼻高々になっていた。
次第に、「より褒められそうな絵」を求めるようになった。パース、明暗、色彩など、もともとの画力より「なんかすごい風」に見える小手先のテクニックを駆使した絵ばかり描くようになった。
賞は、過去の受賞作の傾向を見てそれらしいものを描けばもらえる。簡単だなぁと思った。
そんなことをしていたから、本当の画力(デッサン力)も、絵描きとしてのマインドも、何も育たなかった。
学校に通って絵を描きながら、あーお母さんのせいでわたしって自己肯定感ないのか、やっと気づいたわ、やっぱうちのお母さんて毒親? と考え続けていた。
就活の頃になると、母が「お金がかかったんだから少しでも給料の良い会社に入って学費を返せ」と言うので、全く希望していない業界だったがゲーム会社に入った。
わたしの絵を見て会社の人がスカウトしに来たのだ。初任給は諸手当込みで30万円以上だった。
さすがにこの給与はすごいだろ、お母さんもよくやった!と言うだろう……そう思いながら伝えたら、開口一番ため息をついて、
「お金じゃないでしょう? 仕事は誇れる仕事かどうかで選ばなきゃ。ゲームなんて、くっだらない。そんなことのために美大に行かせたのか」と呆れ声で言われた。
思い悩んだわたしは教授に相談したが、「え? 就活にどうしてお母さんが出てくるの? 君んちは変だよ」とハッキリ言われた。
他の学生は、誰一人として、親の顔色を伺って就活したりしていなかったのだ。
なにせわたしは褒められたくてしかたない人間だから、給料がどうとか考えもせず馬車馬のように働いた。それしか自分には価値がないと思っていたから。
でも、浪費がやめられず、貯金はほぼ0だった。
就活事件から、親にお金を返す気持ちになれず、「東京で暮らすのってお金がかかるの」などと言ってごまかし、全て自分のために使った。
お母さんに学費を返さなきゃ、と思えば思うほどよくわからないことに散財しまくって、お金を消してしまった。
この頃、ADHDのテストを受けた。自分のおっちょこちょいに名前がついたのが嬉しくて、母に誤解がないよう慎重に伝えたが、「あんたはだらしないだけだ」「この障害者!」などと罵倒された。
仕事がうまくいっていても、ずっとなにかが満たされないと思っていた。
そうだ、お母さんに褒められていない。そう気づき、数年ぶりに仕事以外で絵を描いた。
自分の画力の低さに苦しみながらも、最終的にはそこそこモノになったのでコンクールに出した。
その絵を母に見せると、「久しぶりに描いたんだね」などと言われるぐらいで、褒められなかった。やっぱりわたしはダメなんだと、かなり落ち込んだ。
すると母は、周囲の人にわたしの絵を勝手に見せびらかすようになった。
「わたしがあなたの、世界一のファンだからね」などとLINEしてきた。
心底腹がたった。この件から、もう二度と絵なんか描くかと思った。
せっかく入賞したのに、嬉しいという気持ちを持つこともなく展示も終わってしまった。
母とはいろいろあった。全部書いていると、ハリーポッターぐらいの長さになってしまう。
母を殺そうと企てたり、死ね!と思うようなことは全くないが、「この先老いて母が死んだら、自分は悲しめるか」と考えるようになった。今のところ、自信がない。
まあそういう悩みは直面したときに処理すればいいとして、直近で困っていることがあった。
「子どもがほしい」と、全く思えないことだ。
そのことで、カウンセリングに通うようになった。
初回のカウンセリングで、影響としてたぶん親のことがあって〜、うちの親って毒親って言うほどひどくはないんですけど〜、感情のコントロールが出来ない人っていうか〜! などとヘラヘラ笑ってごまかしながら、これまでに親にされて嫌だったこと、言われて傷ついたことなどを話した。
すると、カウンセラーはわたしのヘラヘラ笑いに少しも付き合わず、真顔で「それは精神的虐待と言います」と言った。
子どもをほしくないと思う理由は話せますか? と聞かれたので、
「ちゃんと育てる経済力や精神成熟がないのなら産むなよって思うから」
などと思いつくまま話すと、それはあなたが子供の頃に満たされなかったからですよ。そう思いながら大人になったからです、と。
気がついたら、「わたしは絵の仕事をしているのですが、絵を描くことが好きじゃなくて」と全く関係のないことを話しはじめていた。
「絵を描くことしかできなかったから、仕方なくそういう仕事についた、っていう感覚なんです」と話すと、
「でも、仕方なく描いたからって賞を取ったり、美大に進学したり、大手のゲーム会社に就職、出世したりと、誰にでもできることではありませんよね? すごいことですよ」と言われた。
びっくりした。考えたこともなかった。
家に帰ってすぐ、夫に「わたしってすごいの!?」と話したら、当たり前だろという顔で「そうに決まってるじゃん」と言われた。
そこで、いかに、わたしにとって「お母さんに褒められる」以外のことが無価値であったのか気付かされた。
毒親という言葉を知ってから、母に罵倒されると「この発言……やっぱりうちのお母さんは毒親だ」などと、心のなかでジャッジをするようになった。
自分の中で恨みが強くなり、母のイメージが悪くなっているだけではないか? と思い悩み、わざわざジャッジのために実家に帰ったことすらあった。
そのときは手土産にシャインマスカットを買っていって、「こんな贅沢なもの、食べる気がしない」とニコリともせず突き返されたり、わたしが頼まれたことを忘れると「発・達・障・害だもんね^^」と煽られ、ゴミを置きっぱなしにしているとこれをテメェの会社に郵送してやるからな! と噴火山のように怒鳴り散らしながら会社に送る段ボールにねじ込まれ、なぜこんな人がわたしの親なのだろう? と、泣きながら帰った。
これでさすがに毒親ジャッジが終わったかと思ったが、そのあと姉を通じて謝罪を受けたり、仕送りをもらったりして、またジャッジに自信が持てなくなった。
ますます、四六時中過去のことを反芻しながら「毒親ジャッジ」し続けるようになった。
毒親の体験本なんかを読んでいると、ここまでひどくないんじゃないか? と思ってしまうので、誰か答えをくれ、といつも思っていた。
正直今でも続いていることだが、本当に時間の無駄、人生の無駄である。
会社に入ったとき、社員はどんな死因であっても、死亡した場合1千万円の弔慰金を支給するという説明を受けた。
わたしは自分に1千万円の価値がついたのだと勘違いし、ものすごく嬉しくて母に電話した。
「わたしが死んだら1千万円もらえるんだよ! やったね!」と本気で喜んで伝えたら、「死んだらやだよ。1千万円なんかよりあんたが生きてることのほうが大事だよ」と言われた。
そのとき、母はわたしのことを本当は愛してくれているんだと実感した。
その他にも、整体に通いたいけど1回1万円ぐらいするからなかなかいけないと話すと50万円振り込んでくれたこともあった。
愛されていないのだ、と悲しくなることばかりではない。母の愛を感じることもある。このときの、1千万円なんかより〜という母の言葉を忘れることはないだろう。
この言葉を思い出せる限り、母のことを「毒親」とジャッジすることは難しいのではないかと感じている。
子供の頃、友達の家に無断で遊びに行ったときも「警察に行くところだった」と泣いて抱きしめられたこともある。そんな母を、「毒親だ」と言って縁を切ることは、わたしにはできないかもしれない。
(このようなエピソードは、カウンセラーや友人に『母親として当たり前のことなのだから必要以上に感謝しなくていい』と一蹴されてしまうが)。
その中で、「お母さんは、わたしのこと好き?」と娘が問い、母が「お前はどうなんだい。好きなときも、嫌いなときもあるだろう?」と問うくだりがある。
それを読んだとき、わたしは衝撃を受けた。どんな罵倒をされても、お母さんのことは好きでなくちゃいけないんだと思っていたのだ。
最近親のことばかり考えていたらこの本のことを思い出して、購入した。このダイアリーを書き終えたら、20年ぶりに読むつもりだ。
好きなときもあるし、嫌いなときもある。毒親という名がつくかどうかは、もはやどうでもいいことだ。
人間だから、母でも、機嫌のいいときもあれば悪いときもあるだろう。それを『毒親』という言葉で一括りにできたら、楽になれるのかもしれないが、そう簡単にジャッジはできない。
ジャッジしている時間が、無駄すぎる。もう、このダイアリーを機にやめたいのだ。
今度、そんな話を母にしにいこうと思っている。
今更あの人の性格は変わらないし、逆ギレされて怒鳴り散らされて、最悪殴られるかもしれない。
わたしはどうせ恐怖で涙を流すだろうけど、それでも言いたい。
絵が下手な人はインプットが足りてないから下手ってパターンと出力の際に技量が足りてないパターンがあるけど基本模写やデッサンをしたら同時に鍛えられる。
それすら難しいならまずは均等な直線を書く訓練、○を書く訓練、□を書く訓練をすると良いかな
最初にヒトカクというサイトみてみてくれhttps://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/index.html
・とりあえず、○の最初と最後をあわせることができない自分、というのにきづいてみよう。人間は見てるものが書けない手をもってうまれてくるんだ。
次に30秒ドローイングをやってみよう。https://www.posemaniacs.com/ja/tools/thirtyseconds
・とりあえず、書く対象を見ることに30秒だけ必死になろう。それ以上は人間って集中力がつづかないんだ。
逆に最初から2時間対象を見つめ続けられればデッサンができ、ゆくゆくは美大に合格できる。
この二つを交互に見ながらかいてみて、半年くらいやったらまたききにおいで。
・モチーフについて
とにかくなんかいい感じの絵が手から出力してみたければ、風景、特に自然の遠景が楽(うそがつきやすいので)。
ウインドウズの待ち受けとか写真みながら模写しなよ。名所ばっかだし。
ま、小学校の図画工作のスケッチ遠足もそこらへんでとまっちゃうんだよね。
でも人間の絵はかなり嘘がつけない。骨折してるとかいわれちゃう。あるいはだれがみても不細工な顔にかける。線をいっぽんまちがえるだけでそうなる。
心が折れそうになってつらかったら一度風景やってリセットしといで。
自分でがんばらなくてもいらすとやでええやん。センスええし。https://www.irasutoya.com/
絵を描けるようになりたい、という強い思いが伝わってきました。コンプレックスを克服しようとするその気持ちは素晴らしいです。ここでは、初心者の方が「絵を描くことが苦手ではなくなる」ための具体的なアプローチを提案します。
1. 「描くこと」に慣れるための第一歩
気楽に始める
完璧を求めず、「描くこと」に慣れるのが最初の目標です。簡単な図や模写から始めましょう。
例えば、手元にある日用品(コップ、ペンなど)を描いてみる。輪郭だけでもOKです。
毎日少しずつ描く
毎日5分~10分で構いません。小さなノートを用意して、「今日は何でもいいから1つ描く」を習慣にしてみてください。
2. 「描き方」の基本を学ぶ
書店や図書館で「初心者向けのデッサン本」を探してみてください。YouTubeには無料でわかりやすい解説動画がたくさんあります。
おすすめキーワード:「初心者 デッサン 基本」「簡単なスケッチ入門」。
模写から始める
写真やシンプルなイラストを見ながら、真似して描いてみましょう。最初はトレース(なぞる)でもOKです。
例えば、子供向けの絵本やキャラクターイラストを選ぶと、形が簡単で描きやすいです。
3. 自分の絵を記録して成長を実感
描いた絵を保存
他人と比べない
あくまで過去の自分との比較に集中。周囲の上手い人を見ても焦らないでください。
4. 絵を描くことを楽しむ工夫
例えば「好きなキャラクターを描けるようになりたい」など、小さなゴールを決めると楽しく続けられます。
iPadやタブレットを持っていれば、無料のアプリ(例:メディバンペイントやアイビスペイント)を使うと便利です。消しゴムや色塗りが簡単にできます。
5. 外部の力を借りる
地域で開催される絵画教室やワークショップに参加すると、基礎を楽しく学べます。
同じく絵の練習をしている人が集まるグループやハッシュタグ(例:「#初心者絵練習」)を見つけて、刺激をもらうのも良い方法です。
線を引く練習
真っ直ぐな線や円を何度も描いてみてください。手のコントロールが上手くなります。
簡単な形を描く
四角、丸、三角を組み合わせて、リンゴや家のような形を描いてみましょう。
影をつけてみる
物に影を描くだけで、絵が立体的に見えるようになります。
最初は誰でも不安になるものです。でも、少しずつでも「描く」という行動を続ければ、必ず慣れてきます。完璧でなくて大丈夫。絵を描くこと自体を楽しめるようになる日が必ず来ますよ!
絵を描けるようになりたい、という強い思いが伝わってきました。コンプレックスを克服しようとするその気持ちは素晴らしいです。ここでは、初心者の方が「絵を描くことが苦手ではなくなる」ための具体的なアプローチを提案します。
1. 「描くこと」に慣れるための第一歩
気楽に始める
完璧を求めず、「描くこと」に慣れるのが最初の目標です。簡単な図や模写から始めましょう。
例えば、手元にある日用品(コップ、ペンなど)を描いてみる。輪郭だけでもOKです。
毎日少しずつ描く
毎日5分~10分で構いません。小さなノートを用意して、「今日は何でもいいから1つ描く」を習慣にしてみてください。
2. 「描き方」の基本を学ぶ
書店や図書館で「初心者向けのデッサン本」を探してみてください。YouTubeには無料でわかりやすい解説動画がたくさんあります。
おすすめキーワード:「初心者 デッサン 基本」「簡単なスケッチ入門」。
模写から始める
写真やシンプルなイラストを見ながら、真似して描いてみましょう。最初はトレース(なぞる)でもOKです。
例えば、子供向けの絵本やキャラクターイラストを選ぶと、形が簡単で描きやすいです。
3. 自分の絵を記録して成長を実感
描いた絵を保存
他人と比べない
あくまで過去の自分との比較に集中。周囲の上手い人を見ても焦らないでください。
4. 絵を描くことを楽しむ工夫
例えば「好きなキャラクターを描けるようになりたい」など、小さなゴールを決めると楽しく続けられます。
iPadやタブレットを持っていれば、無料のアプリ(例:メディバンペイントやアイビスペイント)を使うと便利です。消しゴムや色塗りが簡単にできます。
5. 外部の力を借りる
地域で開催される絵画教室やワークショップに参加すると、基礎を楽しく学べます。
同じく絵の練習をしている人が集まるグループやハッシュタグ(例:「#初心者絵練習」)を見つけて、刺激をもらうのも良い方法です。
線を引く練習
真っ直ぐな線や円を何度も描いてみてください。手のコントロールが上手くなります。
簡単な形を描く
四角、丸、三角を組み合わせて、リンゴや家のような形を描いてみましょう。
影をつけてみる
物に影を描くだけで、絵が立体的に見えるようになります。
最初は誰でも不安になるものです。でも、少しずつでも「描く」という行動を続ければ、必ず慣れてきます。完璧でなくて大丈夫。絵を描くこと自体を楽しめるようになる日が必ず来ますよ!
Chat GPT
私は百合好きの女オタクで、自分でも百合作品を描いてXやpixiv(最近だとBlueskyやXfolio)に投稿している。私は昔から男に興味を持てず、ずっと肩身の狭さや生きづらさを感じてきた。
私は子供の頃から女の子を描くのが好きで、毎日のようにコピー用紙にオリジナル衣装の女の子を描いてたのを覚えている。たまに母や妹を描いてプレゼントしたりしていた。その頃は絵が下手で、必ず片目をウィンクさせてホームベースみたいな輪郭を気に入って描いていた(そして最近、昔プレゼントした絵を妹から見せられて下手すぎて悶絶した)。
そして小学校高学年になって、なぜか今更プリキュアにハマる。子供の頃から逆張り気質があったようで、みんなが好きなものを好きなのはダサい、プリキュアが好きなんて子供っぽいと子供のくせに思っていた。でも高学年になったら一周回って恥ずかしくなくなったのだ。そしてそのとき、初めて二次創作し始める。高学年とはいえ小学生なのでプリキュアキャラのしょうもないわちゃわちゃを描いたゴミ漫画だったが、この頃から自分の百合好きは始まったのだと思う。
そして中学生に上がり、美術部に入ったのだがそこは地獄だった。美術部には大きく分けて二種類の人間がいる。真剣に絵を描きたい子たち、そしてただ騒ぎたいだけのオタク女(腐女子)。私は前者だったが、うちの学校の美術部は数人を除きほぼ後者だったのだ。私や他の真面目な生徒が真剣にデッサンしたりコンクールのイラストを描いてる中、腐女子たちはノートに二次元のイケメンキャラを描いてぎゃあぎゃあ大騒ぎ。クラスのオタクグループにも腐女子や夢女子はいれど、百合好きはいなかったので孤独だった。オタク以外の女子もK-POPアイドルやジャニーズに夢中で、“イケメン”というコンテンツを介してじゃないと同性と仲良くできない、そんな空気があった。当時の私はこれがすごく辛かった。中学生になっても男に興味が持てず、昔からずっと可愛い女の子が好きだったからだ。昔は一緒に自由帳で女の子の絵を描いていたあの子も、いつしか男キャラの絵ばかりようになっていた。保健の授業では、異性に興味を持つことが成長の証かのように教えられる。じゃあ私は成長してないってこと?と聞きたくなった。
今はSNSを通じて百合が好きな女性と繋がることができたので、孤独感は大分薄れた。でも、創作関連のサイトを見ていると同人女性はBL、男女、夢のいずれかに当てはまるという決めつけを感じてモヤっとしてしまう。やっぱり自分みたいに男に興味のない女は居場所がないのか…。子供の頃は男の子だと戦隊モノや仮面ライダーみたいなカッコイイ男が好きで、女の子だとプリキュアやディズニープリンセスみたいな可愛くてキレイな女性が好きで、同性を好きなのがむしろ普通なのに、思春期になったらそれが逆転して男は可愛い女性が、女性はカッコイイ男を好きになってしまう。こう考えると生殖本能で本来好きなものが歪められているように感じるのは私だけだろうか?
それと私みたいに“イケメン”というコンテンツを介してじゃないと同性と仲良くなれない空気に迎合して、本当は大して男が好きじゃないのに、男が好きなふりをしているという女性も多いんじゃないかと思う。そういう人には、別に男が嫌いでもいいんだよと言いたい。私は自分の人生に男は必要ないと思ってるし、それをおかしいとも思わない。
同時に、百合というジャンルは男が性欲を満たすための道具ではなく、女性のためのものであってほしいと思ってる。最近はSNSでも少しずつ百合作品を投稿する女性が増えてきているのを感じる。でも、まだまだ「百合=男性向け」というイメージは根強くて、性的なシーンを求めるコメントが付くこともある。実際、男作家が女性キャラに男の性欲を投影したり、場合によっては男性器も生やして男女の恋愛やセックスの真似事をさせている作品も多い。私が描きたいのは、女の子同士の純粋な愛情や絆なのに…(もちろん性的な百合を好きなレズビアンの方のことは否定しない)。
最近は、SNSで「私も実は百合が好きでした」という告白を見かけることが増えた。そういう投稿を見るたびに、心の中でそっと手を振りたくなる。きっと私と同じように、周りに合わせて自分の気持ちを隠してきた人たちなんだと思う。
これからは、もっと女性による女性のための百合作品が増えていってほしい。恋愛だけじゃなく、友情や姉妹愛など、女性同士の絆を描いた作品ももっと見たい。そして何より「男が好きじゃない」という理由で自分を責める必要なんてないということを、もっと多くの女性に知ってほしい。私は今でも可愛い女の子を描くことが大好きだ。そして、それは間違ったことじゃないと胸を張って言える。これは、あの頃の私に教えてあげたかった言葉でもある。
増田と趣味が合いそうでこの一連の投稿嬉しいものばっかりで楽しく読ませてもらった、ありがとう
なんで知ったか忘れたけど(多分ケロちゃん日和から遡った)とにかく集められるだけ集めて今多分全部持ってるはず
てよく岩館真理子と並べられるけど実際かなり読み味違うと思ってる
デッサン力が当時の中では突出してるよなと遅れてきたファンは思ったものだった
しばたひろこの名前をあげた増田はわたしなんだけど、『ムーンドロップ町のかしこいうさぎさん』は宝もので大事に持ってる
彼女も北海道出身だし佐々木倫子とおなじカデューシャスにいたってあとから知って(合ってる?)、あの当時の漫画界ってそういう繋がりが感じられるのも楽しいね