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はてなキーワード: 絵画とは

2025-02-20

anond:20250220134419

ちなみに俺はIQ84の境界知能で、発達障害持ちなのだ

言語性106~120、動作性は60ぐらいなのだ

言語性の下位項目は正常で、単語が飛びぬけて高いのだ。

動作性の下位項目はほぼ正常で、絵画配列だけ3で、処理速度は普通なのだ。

学校勉強進研ゼミとかでちゃんとして、コバルト文庫とかクレヨン王国などのライトノベルを読み漁っていたら、こうなったのだ。

なので、発達障害があってもあきらめないほうがいい。

情報系の大学に行けなくても、

https://www.nct9.ne.jp/m_hiroi/

M.Hiroi's Home Page

お気楽ごくらくなプログラミングを探求するページへようこそ!

https://zenn.dev/hayao/articles/075d981051f18a

お金がない小中高校生のためのプログラミング入門

競技プログラミングアルゴリズム解説してるサイトGoFデザインパターンリファクタリングの本を読めばこのくらいのことはできるようになる。

大学先生によっては、

https://chibash.github.io/lecture/os/

OS/Programming

https://hackmd.io/@aigarashi/r1az0wOHP/%2FpWliU6DiTa2yj8H0V_XUXA

工学部専門科目「プログラミング言語」(2024年度)

https://www.sw.it.aoyama.ac.jp/2012/DA/index.html

データ構造アルゴリズムの日程

シラバスの内容を公開していたりもする。

ただ、大学に行けるなら、言ったほうがいい。

どの分野でも使うことはネットや本でも転がってて独学で勉強できるけど、突っ込んだことは大学じゃないと勉強できない雰囲気がある。

突っ込んだことでもコンパイラーやデーターベース、ゲーム圧縮関係程度なら、本で作り方を書いてる人がちらほらいるけど、最先端のはなかなか探しても出てこない。

(運が良ければ、GitHubに転がってることがあるが、ドキュメントの内容が大学勉強したことを前提に書かれていたりして…)

今は幸いにも衝動性と不注意をコントロールする薬があるので、薬がない頃よりははるかに楽に受験勉強ができるはずだ。

2025-02-18

anond:20250218090627

3年前に賞金付き絵画コンテストAI絵が入賞してるのに今更何いってるのか

2025-02-15

子供の頃、外の絵画コンクール入賞して、学校でやたら表彰されてたんだけどさ、

子供の頃はあんまり意識してなかったんだけど、近所にIって名字の家があって、そこの子供が何人か同じ学校に通ってたんだけど、

地域の実力者というか、医者家系で、金持ちだったんだけど、学校内で絵画コンクールとかやると、必ずIさんちの子供が入賞するんだよね

俺とか、友達のNくんも漫画とかアニメ好きだし、絵描くの好きだから入賞するんだけどさ、必ずIさんちの子供がトップになるの…😟

あと、運動会とかでマーチングバンドやるとかになると、そのIさんちの子供が先頭を歩くのに選ばれてたんだよね

子供の頃、あんまりそういうの意識してなかったんだけど、今から考えなくても、やっぱりおかしいよね…😟

しかも、そんな感じで優遇されるのにIさんはあんまり差別されないんだ、家柄で学校教師とか、近所の大人たちが特別待遇してるように、

学校の生徒も特別待遇してるのに、俺はやたら嫌われるの、なんでなんだろう、って思ってたんだけど、

俺の人柄とか性格が悪いというのもあるんだろうけど、もしかしたら、Iさんちの子供たちの邪魔をするな、みたいに思われた可能性もあるんだよね

要はIさんちの子供たちより上手い絵を描くなってこと…😟

偶然なんだけど、自分はやたら学校とか地区の外の、まったく関係ない絵のコンクール、例えばつくば万博があれば、その万博の絵を応募したり、

オリンピックがあれば、その絵を応募したりしてたんで、そこにはIさんはいない、関係いからやたら入賞してしまって、

デカトロフィーとか、ぬいぐるみとか校長先生から貰ったりして、子供の頃はやたらそういうことが多かったんだけど、

単なる嫉妬とかそういうのもあるけど、やっぱりその地域の実力者であるIさんちの子供たちより目立つなよ、って圧力を、

学校教師とか、地域大人とか、学校の生徒たちから受けてた可能性もあるんだよな…😟

いやー、今になって色々思い出してもやっぱり変だよね

具体的な話はここには書かないけど、絵画コンクールやっても、運動会とかイベントやっても、必ずIさんの家の子供が入賞する、持ち上げられる

同一名の可能性もあるので別人の可能性もあるけど、ちょっと調べてみたら、Iさんちの子供の一人と父親で、首都圏内で脳神経外科経営してるんだね

ということは、地元の国公立医学部進学したのかな

他にも、今から考えると、やっぱり自分子供の頃に暮らしてた田舎は、色々おかしなことが多かった気がするわ

いずれにしても、その地元の実力者であるI家を、学校教師も、地元大人たちも、子供たちも、ヤンキーとかさえも持ち上げてた

やっぱり、気味が悪いよね

少なくとも、あの変な田舎から出られてる現状は良かったと思ってるわ…😟

2025-02-12

anond:20250212134459

それが健全では

一度流行ったら未来永劫流行り続けるとか異常だろ

 

とはいえ音楽クラシックとか絵画美術品とかは過去の有名作がずっと有名だし、なんだかんだ残りそうな気もする

anond:20250212171832

1. 親にお金を貸して利息付きで返してもらう(法定上限20%想定)

実質が贈与とみなされる可能

たとえば、貸付契約自体形式的で、実際には利息を受け取っていない・親が返済の原資を持っていない等の状況があれば、税務当局に「実質的には子への贈与」と判断されるリスクがあります

高額利息の正当性

仮に法定金利の上限(年20%)を設定したとしても、高い金利を“親”が子に支払う合理的理由があるかどうかを問われます。「資金需要の切迫性」「一般金融機関から借りるよりも安い条件かどうか」などの状況次第で、不自然金利設定だと判断されれば、やはり贈与とみなされる可能性があります

所得税上の問題

子が受け取った利息は、子の雑所得等として課税対象になります。受け取った利息についてきちんと確定申告する必要があり、申告漏れがあると追徴課税を受けるリスクがあります

2. 孫の絵を200万円で売買する(消費税10%想定)

時価”との乖離による贈与認定

絵画のような美術品は時価評価が難しいですが、市場価格とかけ離れた高額(または低額)でやり取りすると、「贈与または遺贈の一形態」とみなされる可能性があります

消費税適用要件

個人私的売買の場合、必ずしも消費税課税されるわけではありません。消費税課税事業者として登録・届出をしているかどうかなど、さまざまな条件があります。単に「個人間で売買=10%の消費税だけで済む」という単純な話ではないため、注意が必要です。

3. 親が設立した資本金200万円の会社取締役名義変更する

名義変更株式の贈与(あるいは譲渡)とみなされるリスク

会社所有権株式)が誰にあるかが重要であり、取締役役員)に就任するだけでは資産移転には直結しない場合も多いです。逆に株式無償で譲り受ければ、贈与税対象になり得ます

実態のない「名義貸し」

取締役が親から子に変わっただけで実態として事業をしていなかったり、出資者が親のままなら、税務上の評価としては「親が会社を所有している状況」と大きく変わりません。

4. 親が会社を作り、給与収入として月200万円を子に支払う

不相当に高額な役員報酬や給与否認リスク

実際の業務内容や会社の規模と見合わないほど高額な給与は、税務調査で「不相当な役員報酬(あるいは給与)」とみなされ、損金算入が否認される可能性があります。その結果、法人税所得税などで余計に課税されるリスクが高まります

社会保険料所得税負担

高額給与として受け取る以上、所得税住民税社会保険料などの負担が増えます相続税を下げられたとしても、トータルの負担で見れば得策ではない可能性があります

5. 会社を作らず、個人事業主として業務委託費を月200万円支払ってもらう

事業実態の有無が重要

業務委託契約に見合う労務提供成果物があるかどうかが問われます形式的契約書だけ作っても、実際に業務を行わず実態を伴わない支払いであれば、やはり贈与とみなされる可能性が高いです。

税務上の処理や社会保険の扱い

個人事業として200万円/月もの売上がある場合消費税課税所得税区分事業所得か雑所得か)の問題など、慎重な手続き必要です。

親側にも贈与を疑われるリスク

親が経費として落としたい場合業務実態証明できなければ経費が否認されるうえ、子に渡した分が贈与とみなされるリスクがあります

6. 子が会社を作り、親に200万円分の株を買ってもらう

株式を誰が持つかで税務上の扱いが変わる

親が株式を持ち続けるなら、単に親の資産株式という形に変わっただけであり、相続対象となります

子への贈与扱いのリスク

名義を子にするために親が資金提供したのなら、株式価値分が“子への贈与”とみなされる可能性があります

会社評価額の変動

将来的に会社株式価値が大きく上がった場合には、相続税対策としては有効場合もありますしかし、その前提として、きちんと事業を行い、株式を適正に評価しておく必要があります

まとめ

形式上合法に見えても、実質が「贈与」や「仮装隠蔽行為」だと判断されれば課税対象

取引実態業務内容や対価の妥当性、市場価格との整合性など)を税務当局は厳しくチェックする

仮に贈与が発覚すれば、相続税より高額の贈与税が課される場合もある

不正認定されれば重加算税などのペナルティリスクも高い

結論として、挙げられた手法だけで「相続税を逃れる」ことは非常に難しく、むしろ税務リスク高まると考えられます。実際に生前贈与事業承継を検討するのであれば、税理士弁護士公認会計士などの専門家相談して、法令実態に則した正当な手続きを踏むことが重要です。下手に「裏ワザ」を狙おうとすると、後になってより大きな課税罰則を受ける可能性が高まりますので、十分ご注意ください。

2025-02-11

安彦良和って漫画家としてはい評価は出来ないよね

はいしかわじゅんの批評って割りと正しいと思うんだよ、いつも。

しか当人中途半端漫画家なので、「おめーは大した漫画描いてねーじゃねえか!」って言い返されがちだしその気持ちもわかるんだけど、

マンガ夜話での批評ってその通りだし、実態に対してそこまで辛辣なこと言ってるわけでもないと思う。

 

だって安彦良和マンガってやっぱ微妙だもん。

全部同じ書き方で登場人物感性や喋り方も数パターンしかいから、何本も読む必要がないんだよね。

ガンダムオリジンとかも、冷静に思い返してほしいんだけど、あの人気作を安彦の絵で安彦自身が描いてる割りには、結局サーッと熱が冷めただろ?

つまんねーからだよ。

 

シャリアブルにもジークアクスより前にスポットライト当ててたんだけど、「安彦マンガに出てくる武人キャラ」の性格と行動と喋り方をしてるだけだから、あれは「シャリアブルの掘り下げ」ではないのよ。

 

安彦良和のように名声が高くて人格的にも大きな問題ない人の悪口言うと猛烈に反発されるもんだけどさ、俺も偉さとかはわかるし絵もいいと思うけどさ、この人って絵本の挿し絵画家とか向きの人だよ。

作家性なんかろくすっぽねえ。

歴史の切り方人物の掘り方、全部狭いパターン

一度固めた手癖を疑わずにずーっと同じことやるだけ。

動きの描き方だってそうだよ。

達者だけど全て手癖。若い頃に固めてそれが全て。

 

挿し絵画家が手遊びマンガ描いてる。

村田雄介の大先輩。

(安彦と比べると村田の偉さはわかるけどね。

 少なくとも作画技法については新しいものを探り続けてるから

 アニメーターとかエフェクト描く人がほんとの適性なんじゃないの?ては感じはするが)

2025-02-08

宅間守精神鑑定書 263ページ 亜紀書房

IQ84 言語性85 動作性78

言語性項目

 知識10.数唱8.単語10.算数12.理解6

動作性項目

 絵画配列3.絵画完成9.積み木5.組み合わせ9.符号9

(目にとまったところの記述抜粋

イジメ加害者側だが、周りから排除されることが多くなった

親や周りのせいにするなど被害者意識が強い

また、権力社会的地位への渇望が強い

結論

①特異な心理的発達障害 ②情性欠如者 ③穿鑿癖・強迫思考等を基盤にした妄想反応 ④前頭葉機能に何らかの障害がある可能性 ⑤知能は正常知能の下位

このうち、著者は②が「人格の中核を占める」としており、次のようにいう。

宅間守は情性欠如者である空想癖や虚言癖があり、共感性はなく、自己中心性、攻撃性、衝動性は顕著であるが、一方で、権力への強い憧れ、権力上下関係への従順さ、劣等感保護された場での安らぎなども併せ持っている。そして強迫思考、あるいは注察妄想被害妄想嫉妬妄想といった妄想反応を生じるような穿鑿癖、猜疑心視線や音への過敏さといった脆さといえるような人格あるいは性格の傾向も併せ持っている。」

週刊誌では自己中心性が見られ、自己愛性人格障害、行動障害があると書かれていた。

あと、親も毒親ありがちなタイプで、殴る蹴るの暴行を言うことを聞かせるためにくわえたという記述もあった。

また、wikipediaによると仕事排除されるせいで続かないのか就業規則違反などで処分を受けたせいか職を転々とし、不採用したこともあったという記述が当時の文春に書かれていた。

しかも、父親は酒乱で、母親ネグレクト気味である

宅間の父親は、家に生活費を入れないで酒ばかり飲み、家族全員に対して暴力を振るったり、家族の前で刃物を振り回し、これが原因で母親は別居をしていたことがあった[50]。宅間自身父親から虐待を受けて育った(なお、父親自身虐待育児放棄されて育っていた様子である)。宅間は暴力をふるう父親憎悪し、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともあると述懐している[50]。宅間が自衛隊退職して非行に走るようになると親子関係さら悪化し、取っ組み合いをして父親が宅間を何度も石で殴打する出来事もあった[13]。事件後、父親は宅間のことを「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」と評している

宅間の母親は、家事育児が苦手であり、家事ほとんどは父親担当し、一種ネグレクト状態であったと指摘される[50]。宅間を身ごもった時、母親妊娠を喜ぶ父親に対して「あかんわ、これ、堕ろしたいねん私。あかんねん絶対」と語っていたという[52][12][50]。また、母乳をあげることも嫌がっていたこからも分かるように、宅間の母親は宅間には全く愛情を注がなかったうえに、宅間が中学受験する際には、「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせられたと、事件後に宅間のマンションから押収されたノートに書かれていた[16]。

これは個人的意見だけど、小学生の頃に精神科に連れて行ったら、発達障害の診断が下り可能性があるし、どう考えても、弱者男性

しかも、両親の経歴から考えると両親の発達障害が背景にある可能性があり…

2025-02-07

フェルメールエロい

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/merumeru99/n/n4dd9484cd70c

このブコメフェルメールぐらい知ってるよぉ的な解釈を見たので。

フェルメール自体資料が十分に残ってないみたい?で多様な解釈が許されるわけだけど、

その解釈のなかでもエロスを感じる男女差は確実にあるね。

根拠は俺の体感だが間違いない。

真珠の耳飾りの少女

https://artsandculture.google.com/story/YwUBYYizzwQHKQ

少女はうるんだ大きな目でこちらを見ています。それはなぜでしょうか。屈託のなさや好奇心を示しているのでしょうか。悲しみ、それとも、はにかみの表情なのでしょうか。もしかすると恋をしているのかもしれません。目の端がはっきりと描かれておらず、フェルメール感情についての手がかりを残していません。そのため少女表現を読み取るのは簡単ではなく、細部については観る人の創造力で補う必要があります。つまり少女がどのように見えるのかは、それぞれの脳が決定するため、人によって異なります

美術に興味ない男が見たところで「キレイな娘さん描いてるな~」ぐらいの感想しか出ないわけだが、女に聞くと普通にカメラ目線や濡れた唇に注目して恋愛脳発動するからね。

まぁ俺の偏見だけどね。

牛乳を注ぐ女』

https://artsandculture.google.com/story/cQJib89R45GfJg

また一方では、伝統的に「台所女中を描いた絵画」は性的寓意を含むとされており、そのような捉え方をする人もいます

こっちは簡単主題エロと捉えられること確定なのに、それをエロく描いてないし、感覚としてエロを感じる人も現代人にはいないだろう。

から男女論争する人間フェルメールアイコン使うっていうのは、そういう多様な見方があるのだ(『真珠の耳飾りの少女』)、形式と実質に解釈の相違があるのだ(『牛乳を注ぐ女』)ってことの象徴として使ってんだと思うよ。

意地悪く言うなら「そこに男はエロ見出してません」ぐらいになるだろうか。

俺は美術なんて教養以下レベルしか知らんので詳しい増田がいたら語って。

2025-02-06

13歳の息子へのメッセージ

本稿は、13歳になった君にこれから人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである

観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生選択肢を狭めないためである

具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策模索して欲しい。

もちろんお父さんも協力は惜しまない。

目標の話

人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段道筋」は自然と定まる。

歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものからである

ポイントは、まず「自分想像する理想未来目標ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)

ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算分析論理的思考精緻に組み立てていくものである

多くの人は与えられた「手段から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要から働く。なんとなく環境に悪そうだからビニール袋」を使うのをやめてみる。などである勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。

電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシューから入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的姿勢である

そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的一面的一時的見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。

受験就職、大きな買い物、仕事恋愛結婚など人生重要決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。

その際、ひとつ注意すべきなのは人間物理感覚時間的感覚記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計データに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。

先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢である

人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害戦争など自分では回避制御できないことも起きる。

『良いことばかりは続かない』という覚悟必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。

おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。

人間関係の話

成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。

成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応「奇跡」を起こす。

重要なのは奇跡自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。

人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。

『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる学校には「校風」、会社には「社風」がある。

自身意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。

気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書金持ちかどうかとは関係がないという点である会社社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間存在するという現実認識しておいた方が良い。

出会人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分コントロールできる。付き合う人や、身を置く場所環境自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかし場所コミュニティには近づかないこと。

たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。

エントロピー増大の法則熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間森羅万象すべてに当てはまる普遍法則とされる。水に拡散したインク自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプシャッフルするのは容易だが、偶然きれいカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大であるエントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である

人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。

井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナ大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。

もう一度言う。『人は環境によって作られる』

お金仕事の話

お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味お金重要である

その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。

金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。

お金を稼ぐときには、ギャンブル宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事計画を立ててはいけない。

怪しげな儲け話も同様である。誰かからうまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。

かに成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力必要になる。

100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分努力でなんとかなるということを理解すること。

近い将来、君は世の中に無数にある仕事事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人から感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。

野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツ芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。

しかし、投資ギャンブルで稼いでも誰から感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。

お金を「貯める」ことも同様に大切である

人間欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊QOL(Quality of Life生活の質)が低下する。

この課題に対する古来より解決策はただひとつ収入から天引き」することである給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。

天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人イスラムメソポタミア文明華僑日本本多静六という人物明治造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課組織必要費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである

人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものである自動車も同じ。毎日飲むお茶毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求お金がある限り続く。それが人間本質なので努力気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。

そのために最も有効方法が「天引きである人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである

天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。

次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。

高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。

高級車も普通車も、飛行機エコノミークラスビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値デザインなど)を認めることは人間文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。

その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間心理的欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来機能目的」を基準にして価値判断するとぶれない。

基本的日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的事象別にして)無くなってから買っても不自由することはない。

経営学における重要概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である

特売だからとか念のためにとかい理由安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってからのものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である

それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法こちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。

あらゆる在庫管理するためには「整理整頓」が重要である身の回りのもの整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。

整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的ものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO公文書管理規則生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。

ちなみに、このような「一生使える知識技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの方法知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。

金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業組織など存在しないことを考えれば、出納管理必須Permalink | 記事への反応(0) | 21:00

2025-02-05

anond:20250205094510

というか、もう人間AIに完全に敵わなくなる、という前提で考えるなら、

AIに勝とう、AIに勝てない、とか考えちゃ駄目なんだよ、だって、それは無駄なんだから

そうじゃなくて、もうAIときどき間違える先生ぐらいに考えて、AI英語数学、絵、音楽プログラミング、色々AIから学ぼう、と考えるしかない

どんなにAIにpoweredされても、どうせ所詮AIには勝てないんでしょ?という結論は確かに変わらないんだけど、

例えば、AIに曲を作らせて、なんかどっかで聴いたような、でもイージーリスニングというか、気味が悪いほど売れる方向性に寄った曲だな、みたいな作曲ができても、

所詮、今の段階では音の生成ができるだけで、ライブ楽器人間が弾くという楽しさとか、それを鑑賞する面白さは満たされないんだよな

誰だったか歌詞を間違えて、それがライブ盤に収録されるのも含めて、ライブの楽しみみたいに言ってたというか、そういうこという人多いと思うんだけど、

まあ、いつかAIロボットに弾かせて、わざといい感じに間違えたりまでする時代も来るのかもしれないけど、

それでも人間が、自分の手で、楽器を弾くとか、絵を描く、という楽しみはAIでは叶わない

だって、当たり前だけど、それは人間の手でしかできないんだから

いつかすべての労働AIロボット可能になるとしても、人間自分の手を汚して仕事をする楽しみとか、

あと、資本家みたいにAIロボット欲求欲望命令する立場、は簡単には機械に置き換わる日は来ないわけで、

どうAIロボット命令したらいいか、というためには、やっぱり従来通り、英語数学、基礎的な絵画なら筋肉とか骨格の知識音楽なら音楽理論とか、

やっぱり人間が学ばなければ、適切な命令AIロボットに出せないわけで、

その学びをAIがもたらしてくれる、というトートロジーというか、サイクルになってるわけだから

いずれにせよ、AI先生というか、併走者として教えてもらうとか、命令して結果を見るサイクルを繰り返して、人間が学び続けるしかないんだと思うんだよな

そんなことを昨日考えてたので、今日寝不足です…😟

2025-02-02

永野護デザイン展に見に行くべきもの

私が永野護デザイン展に行って、

本当に良かった、

これを見れたのが、

最も価値のあることだった、

と思ったことを書きます

永野護先生デザイナーとして私達の前に現れました。

ですからデザイナーという肩書が有名だと思います

と同時にファイブスター物語という漫画を長期連載されているので、

漫画永野護として認識されている方も多いと思います

イラストも書かれています

数はそれほど多くないのかもしれませんが、

ガンダム関連のイラストなど珠玉作品が多いです。

アニメ監督されました。

これによって私達はGTMの起動音だとか動きを映像確認出来ます

それらの業績が永野護デザイン展ではわかりやすく展示されています

これは予想の範囲内の出来事でした。

それよりも予想していなったこと。

最も衝撃を受けたこと。

画家としての永野護

絵画としてのFSS単行本の表紙絵の展示でした。

これこそが永野護デザイン展では見るべきものとして最も価値のあるものだと私は思います

永野護ファンであれば、

FSSの表紙絵の素晴らしさは説明するまでもありませんね。

毎回、漫画のものはもちろん、その表紙絵を楽しみしている方々も数多いはずです。

私もその一人です。

表紙絵だけをじっと見ます

新しいFSSが届いたときには。

気に入った表紙絵は飾りますし、何度も見返してきました。

でも、全然、あの絵画凄さには気づけていませんでした。

先に言っておきますとその凄さ説明する語彙は私にはありません。

でもスゴイんです!!!!!

本当に、あのホンモノを眼の前にしたときの感動は言葉に出来ないんです!!!!!

よくゴッホだとかピカソだとか、なんでもいいんですけど

図版だとかテレビとかそういうもので見てもホンモノ凄さはわからないんだ、

というような話を子供の頃に聞きました。

「ふーーん」とか聞き流していましたが

大人になって展覧会などで高名な作家

高名でない作家などの絵画芸術を鑑賞したとき

まあ、確かにホンモノはスゴイよね、なんてことを思ったりもしました。

その、幾千億倍もの衝撃を私は実際に永野護デザイン展での展示を見たときに受けたのです。

あの見慣れていたはずの表紙絵の数々。

あああああああああああああ

ホンモノは

こういうことだったのか

涙、涙が本当に出ました

それほど

いままで伝わっていなかったもの

一度に私の中に流れ込んできたのです。

全然印刷ではわからないんだよ、あのホンモノの凄さは。

伝わらないんだよ、ホンモノの良さは。

あんまりね感動したものんだから、複製原画みたいなの売ってるでしょ?

あい場所では。

自分にとってはバカ高い買い物だけど、

もう買って帰ろうかな?とか思ったりしたんですよ本気で。

もう、この場所には一生いれるわ、というか居たい。

この絵画たちといっしょに暮らしたいと思ったわけですよ。

でもね、駄目なんです。商売邪魔みたいなこと書いてもすいませんなんですけど

違うんですよ、ホンモノとは。

全然伝わってこない。複製じゃ駄目なんです。

あれはね。あれは本当に特別芸術たちなんですよ。

と、私は感じました。

もちろん違う、感想を抱く人たちも多いでしょう。

私の書いていることに違和感を感じる人も多いかもしれません。

でも、私はこう感じました。

あれは芸術です。

今までも、それほど多くはありませんが芸術を見てショックを受けた経験あります

それと同じ体験です。

ただ、これは私にとってということで、私と同じ体験を全部の人がするとは言えません。

でもそれが私が永野護デザイン展で感じたことです。

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る②

【前】 anond:20250202173933

4~6:源氏物語 角田光代 訳[新訳]

かつて所属していた文学サークルで、先輩が角田光代「菊葉荘の幽霊たち」って作品テーマ読書会を開いた。何事にも投げやりな女性が主役なこの作品が全く好きになれず、その後角田光代という名前を見ても全く手が伸びなかった。今にして思えば、全体的に生きる気力がないというか、適当にその辺の相手何となく交際してしまう感じの、怠惰女性が出てくるのに嫌悪感があったのだろう。理想的な美を探し求めていた大学生の僕には、うまく理解できないキャラクターだった。あるいは、当時女性理想化しすぎていたからかもしれない。理想恋人が、僕と同じように美や最高のクォリティ(なんじゃそりゃ?)を求める存在であると望んでいたのだろう。なんというか、十代の考えそうなことであるしかし、それは後述するように、すべて自己愛だ。それはさておき、「源氏物語」も僕は講談社学術文庫で読んだ。確か、今泉忠義である。再読のときは、角田光代訳でもいいのかも。書き続けられている作家ということは、力があるってことだし。

光源氏恋愛遍歴や、彼を取り巻く女性たちについての思いは昔書いたので省く。僕がこの小説が好きなのは、恋の物語けが理由ではない。もちろん、欲望まみれだった僕は、例えば朧月夜との密通で須磨に流されるというプロット面白く読んだのは事実だ。

けれども、もっと魅力を感じたのは、恋する貴公子光源氏が、だんだん権力を持った嫌なオッサンになっていくのが生々しく表現されていたからだ。己の愛人である女三宮と密通した柏木を睨みつけ、彼を絶望から再起不能に陥れるあたりがリアリティがあって嫌だ(褒めてる)。ふっふっふ、ハーレムを作るイケメンの末路はこんなものよ。

僕が真っ直ぐな目をした青年の目が濁っていく文学を見るのが好きな理由はいくつかあるのだが、彼女浮気されて一時期軽薄なナンパ野郎になり3Pまで経験した旧友や、好きな作品を貶されたせいか強烈なアンチフェミになってしまった友人、それから寝取られ経験からイチャラブ漫画が読めなくなって寝取られ暴力的な物ばかりに手を出している畏友のことが頭にあるからかもしれない。だから田山花袋田舎教師」や、風俗に行って嬢のおっぱいをもんで「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ志賀直哉暗夜行路」が好きなのである。「暗夜行路」はその後の展開が大事だとは言え。

ところで、繁田信一が「殴り合う貴族たち」の中で、著者は菅原孝標女が「源氏物語」にハマった理由を推測している。それは源氏女性に直接暴力を振るわないからだという(部下たちは「車争い」のシーンで乱闘を演じているとはいえ)。その程度で理想貴公子になれる、当時の倫理はこんなものだったのである

古典には今からすれば受け入れられない行動をとる人々が出てくる。それでも、心動かされるのは、貪・瞋・癡の煩悩から逃げられない人間本質が変わらないからだろう。法律コンプラで縛ってはいても、やりたいことも欲望本質も変わらない。古典現代的な価値観批判するのは大事だが、上から目線で裁きたくはない。聖書によれば人間自分が裁いてきたように裁かれるのである(こんな風に、聖書には結構な頻度でクールセリフが出てくる)。

それに、過去のものが全部ダメだというのなら、例えば殺人者カラヴァッジョ絵画は展示すべきではないし、最終的にはルーブル美術館を爆破しなければならないだろうし、植民地からの富で栄えた都市ICBMでふっ飛ばさねばならない。しかし、他人の作ったもの破壊するのは、「指輪物語」のオークの所業である。悪とは何かを創造できず、捻じ曲げて模倣したり壊したりしかできない連中のことなである。具体的な顔や団体が浮かんでくると思う。

そういえば、去年の大河ドラマは「光る君へ」で、王朝を扱った文学を知っていると典拠がわかってニヤリとするシーンが多々あったが、きちんとは見ていない。理由はいくつかあるが、一つには作家主人公なので作家になりそこなった僕は見ていてつらい。それに、大河ドラマは夜八時の公共放送からしょうがないとはいえ、例えば人を斬って領土を切り取ってナンボの戦国武将平和を唱える違和感があってもともと好きではない(これが現代オタクの言うところの「解釈違い」というやつか)。たぶんこのシリーズを読んでくれている人はもうわかっていると思うけれど、僕は基本的に非常に面倒くさいのである。それに、元々ドラマは五十時間もつきあうほど好きなジャンルではない。逆に、それだけ付き合うことができれば、ドはまりするのだろうと予想はしている。「好き」を測る尺度の一つは、それに対してどれくらいの時間を費やしたかだ。ただし、みんな正座してドラマを見ていないのかもしれない。きっと何となく見ている。作品を素直に楽しむことから自分を遠ざけているのは、完璧主義なのかもしれない。

それこそ紫式部日記に出てきた女官衣装再現は良いと思ったけれどね。元々僕はブラウスという言葉の正確な定義も怪しいほどファッションほとんど興味がないので、該当箇所は読み飛ばししまっていた。

7:枕草子 酒井順子 訳[新訳] 方丈記 高橋源一郎 訳[新訳] 徒然草 内田樹 訳[新訳]

面白エッセイを書くには性格が悪くないといけない。ここでいう「性格が悪い」というのは、もちろん褒め言葉だ。他人が見落としてしまうことにいちいち言いがかりをつけているとか、筆で他者おちょくるのが上手いとか、そんなことを指す。枕草子はこの定義にぴったり当てはまる。言語化できていなかったけれど、「実はみんなそう思ってた」みたいなのも結構ある。

こういうタイプの人は友人に一人欲しい。「香炉峰の雪」(第二百九十九段)は日常漫画台詞をぴったりのタイミング引用したときみたいにめっちゃ盛り上がったと思う。これは全くの推測だが、清少納言って物事をはっきり言うけれど、言い方がカラッとしていて毒のある事を言っても周りの人が思わず笑ってしまう人だったんじゃないだろうか。楽しい思い出話というか、ちょっとドヤ顔しているエピソードもあって楽しい

もちろん第三百十四段の身分の低い人間火災にあったところを笑っているところは弁護できないが、これは時代の制約だろう。それに、「除目に司得ぬ人の家~」(第二十五段)のくだりは当時の公務員の辛さが描かれているので、読んで怒りを覚えた人もいるかもしれない。だから晩年没落したという伝承が生まれたのかも。笑っちゃうのは第三十段説教講師は、顔よき」、つまりイケメンレクチャーすると内容がありがたく聞こえるってこと。あっはっは。チクショー。これは旺文社翻訳で読んだ。ネットで拾ったので番号は間違っているかもしれない。

方丈記政治の乱れと絶え間ない災害で混乱する時代の空気をよく伝えてくれる。ところが、父の高校時代教師は「世間から目を背けた負け組愚痴に過ぎない」とバッサリやっていたそうだ。ひどすぎない? 確かに鴨長明政争に負けたけれど、僕は好きだ。混乱する世の中からある程度距離を取りたいって気持ちはよくわかる。ただ、読んでみると隠遁生活は楽しそうなんだが、どこか悟り切れていないオーラがある。市古貞次校注。

徒然草は前にも書いたが面倒くさいおじさんのエッセイなんだけれど、子どもがいたずらした狛犬を有難がったとか(第二百三十六段)、入口ばかり拝んできて本殿を見ずに帰ってきちゃったとか(第五十二段)、間抜けな人々の話が説教臭い普通に面白い。

それに、「ふざけてバカの真似をしている時点でバカだが、逆に立派な人の行いを真似るのは十分に立派だ」(第八十五段)とか「修行中寝てしまう人は、寝ていないときだけでも頑張ればいい」(第三十九段)とか、励まされる話も多い。近くにいたら面倒くさそうなおじさんだが、その言葉には勇気が出る。これも旺文社翻訳読了

もちろん時代の制約はある。たとえば、珍しい姿の盆栽を育てていた人の話がある。第百五十四段である。ある時に雨宿りで見かけた大勢身体障害者の曲がった身体を見て嫌悪を覚え、帰宅した途端に「俺のコレクションはこういう連中を集めてるようなもんだったんだな」と考えて、植木をすべて捨ててしまう。これなんかはなかなかに弁護できない。個人的には、コレクターが飽きる瞬間の描写として面白いし、当時の病に対する態度がよく分かって興味深いけれど、すべての人がここまでくみ取ってくれるかどうかは疑わしい。

これは全くの余談であるのだが、高校時代模擬試験を受けたとき、ある古典問題文が主張している内容が差別的だということで、問題差し替えてそこだけ再試験になったことがある。確か「私は身体障害があるからこうして人の喜捨で生きていける。かえって幸せだ」と述べる箇所があった。出典は忘れた。

個人的には、例えば中世障害者はどういう扱いを受けていたか解説をしたり議論したりしたら、すごくいい授業になったと思う。周囲では「事なかれ主義」だという批判も聞いた。おそらく、「先述したレベル議論をするのは高校から先の大学以降でやりましょう」ってことなのだろう。もっとも、米国大学ではナボコフロリータ」の精読を基礎教養から外したと聞いたので、大学レベルなのかもしれない。どうも米国はよくわからない。合理主義に見える一方で、いろいろな表現規制の根っこには、建国以来のピューリタニズムの遺風があるのではないか邪推している。

INTERMISSION②

今まで読んできた日本文学についてまとめるのは、一つには我が身を振り返って余計な過去をバッサリと切り捨てたいかである小説家になりたいという妄念を過去のものにしてしまいたいのである。ここで自分が抱えている妄念を文章にしてしまうことで、意図的小説の素材として使う機会を潰したい。書きたいという狂気を鎮めるのである人生で辛かったさまざまな出来事ことでさえ、世間的にはいたってよくあることなのだ。これらについては長くなるし、恥ずかしいので書かない。

小説家として戦うには、いつまでも過去について考え、それを発酵させ、そのうえで自分から離れた普遍性あるものにしないといけない。さらに、時には他人苦痛咀嚼して想像しなければならない。自分妄想は、他人に売りつけるに値するものだろうか?

小説家になる夢はあったが、こんな形でわざわざ嫌なことを思い出して、毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。だからここに書き散らして、退路を断ってしまうのである絶対に忘れてやる。連中の名前グーグル検索しないと誓って数年が過ぎた。試みは成功している。あいつらのほうが「オス」として優秀に思えても、無視するに限る。しかし、こうして書くこともまた「創作」であろう。文章を読まれたいという欲望は尽きない。だが、万が一創作活動に舞い戻っても、絶対絶対にぜーったいに自分トラウマには触れないぞ!

このエントリ群を書きながら内面の暗いところまで沈んで行ったら相当にうんざりしてきたので、こういう創作は二度とやるまい。ちなみに、ブログでなく増田で書いているのは、創作活動をやっている/やっていたと公開しているはてなブログでは、こんなひがみや政治意識丸出しの発言をするわけにはいかないかである。また、初稿では倍ぐらい個人的過去出来事愚痴を描いたのだが、本筋から離れるので削った。

そう、忘れてはいけないのだが、このエントリを書いた一番の動機は、古典の名作を紹介したいからだ。これだけの古典現代にまで生き延びて読み継がれている国は稀有だろう。日本という国は、まったく非常に多くの問題を抱えているのだが、先人たちの積み重ねには頭が下がる。自分雑文ちょっとでも興味を持つ人が増えてくれたらとても嬉しい。作者の名前タイトルを授業で覚えるだけよりも、中身を知ってる方が絶対楽しいからね。

ちなみに、これはタイ王国をディスっているわけではないのだが、プラープダー・ユンパンダ」の解説で、タイでは(純文学系の?)小説初版部数は一千から二千冊程度で(タイ人口は七千万弱)、娯楽小説ばかりが売れているそうである。娯楽小説に罪はないし、むしろ好きなのだが、人間の心の基礎研究とでもいうべき純文学はある程度の人数に読み継がれていってほしい。

あとは、自分の好きなことについて語るのが単純に楽しいからだ。何が好きで何が嫌いかを明確にしていくことで、次にどこに向かって進めがばいいのかがわかってくる。次に何を読めばいいのか、自分本音では何を求めているのか、だんだんと明らかになってくる。

2025-02-01

今後ありそうな映画ドラえもん

今年3月に公開されるドラえもん映画は「映画ドラえもんのび太の絵世界物語」らしい。

前回は「映画ドラえもんのび太地球交響楽(シンフォニー)」なので、なんか音楽美術芸術関連が続くな〜と思ったら、映画ドラえもんテーマ選定の法則というか連続性みたいなものがあるのかと妄想捗る

コロナ前は南極宝島や月面など未知の冒険色が強かった。

恐竜劇場ドラ40作品であるメモリアルイヤーで原点回帰リニューアルを兼ねたテーマ選定なので例外

コロナ直後に延期した宇宙戦争があったものの、2022年ウクライナ侵攻もあってか、それ以降は戦闘行為が前面に出るようなテーマ選択はなく、トマスモアの理想郷音楽、そして今回の絵画文化的アプローチが続いている印象。

となると、今後はどうくるか。

勢力間の侵略戦争行為を中心に描くことは今後も避けそうだけど、文化系もこう続くと食傷気味だし、過去戦争とか日本の歴史上のイベントならありか?

また、国民子ども向けアニメではあるので音楽美術、とくればまた学校教科と絡めてくるかな〜?




というわけで、

ドラえもんのび太戦国大運動会(バトルアスリーテス)

これでどうよ。

2025-01-29

趣味のヤベー奴度

社会的不適合度と倫理的影響度の高低で4象限に分け、さらにヤベー奴度を0から10実数で点数化する。

1. 社会的不適合度:低い、倫理的影響度:低い

1. 読書 (0.5)

2. ガーデニング (0.5)

3. 料理 (0.5)

4. 写真撮影 (1.0)

5. 音楽鑑賞 (0.5)

6. 映画鑑賞 (0.5)

7. ジョギング (0.5)

8. 絵画 (1.0)

9. 旅行 (1.0)

10. ヨガ (1.0)

11. ボードゲーム (1.5)

12. ピアノ演奏 (1.0)

13. 釣り (1.5)

14. キャンプ (1.5)

15. バードウォッチング (2.0)

2. 社会的不適合度:高い、倫理的影響度:低い

1. 昆虫採集 (3.5)

2. コスプレ (4.0)

3. ASMR制作 (4.5)

4. 廃墟探索 (5.5)

5. ミニチュア製作 (3.0)

6. 珍しい言語学習 (3.0)

7. ゴーストハンティング (5.0)

8. 激辛料理の食べ歩き (3.5)

9. 泥団子.作り (3.0)

10. 人工言語創作 (4.5)

11. フリーハグ活動 (5.0)

12. 変わった食材料理 (4.5)

13. 都市伝説追跡 (5.0)

14. 極限環境キャンプ (6.0)

15. 奇抜なヘアスタイル (4.0)

3. 社会的不適合度:低い、倫理的影響度:高い

1. パチスロ (6.0)

2. 週末の深酒 (5.5)

3. 喫煙 (5.0)

4. ブランド収集 (5.0)

5. 応援団活動 (5.5)

6. インフルエンサー活動 (5.0)

7. 短期ダイエット (5.5)

8. オンラインゲーム (5.0)

9. プチ整形 (6.0)

10. 日焼けサロン通い (5.0)

11. 競馬 (5.5)

12. SNSでの過激発言 (6.5)

13. タトゥー (5.5)

14. 高額な占い依存 (6.0)

15. 過激ファンダム活動 (6.5)

4. 社会的不適合度:高い、倫理的影響度:高い

1. 街頭演説 (7.0)

2. 新興宗教への参加 (8.5)

3. 肉食主義 (6.5)

4. 引きこもり生活 (7.5)

5. 陰謀論ブログ運営 (8.0)

6. 推し活 (7.0)

7. エクストリームピアス (7.5)

9. 物々交換のみの生活 (8.0)

10. 裸族生活 (9.0)

11. 過激政治活動 (8.0)

14. 過激なボディモディフィケーション (8.0)

 

この一覧は、より多様な趣味活動を含むように努めた。

ただし、「ヤベー奴度」の評価主観的ものであり、個人文化によって解釈が異なる可能性がある。

また、同じ趣味でも実践の程度によって評価が変わる可能性があることに注意。

2025-01-25

画像生成AI最初から金稼ぎのために悪用するつもりの奴はどうでもいいが、ただ仕様が分かっていないせいで無駄トラブルに巻き込まれてる一般人をよく見る

潜在空間概念モデルトレーニングの流れ、ファインチューン、マージ、LoRA、ベクトル操作くらいは勉強してから使ってほしい

わたし特定絵師に寄せてないよ!と言っても、使ってるモデルチューニング特定絵師データばかり使ってたり、絵師LoRAがマージされてて特定の絵柄が標準で生成されるようになってるモデルを使っていると、ユーザーが寄せようとしなくても寄る

イラスト用のモデルがなぜイラスト風の画像以外を上手く生成できなくなるか?つまりなぜ実写が苦手になるのか、それはイラストで頭をいっぱいにされているからだよ

あと、スタイル指定に使われる「by 〇〇」とか「〇〇 Style」みたいな言葉は、所詮他のプロンプトと同様に「複数概念内包された言葉」でしかないので、組み合わせ次第では特定の画風に寄ることもあるわけだ

例えば「Vector Style」という言葉が「solid color, sharp edges, clean edges, minimalist, transparent background, high contrast」といった要素を持つ場合

「solid color, sharp edges, clean edges」というプロンプトを使うとVector Styleに近づく

要は、ある言葉が直接そこに結びつき、絵柄指定と同じ効果をもたらすということ

さらに、この現象の極端なケースとして「教師データ特定絵師作品ばかりに偏ったオブジェクトは、オブジェクトのもの絵師の絵柄が結びついてしまう」問題もあったりする

そのオブジェクトAと絵師Xの概念が非常に近いために、オブジェクトAを生成すると絵師Xの絵柄で生成されることがある

AといえばX!状態というわけだな

逆に、絵師Xの名前と同じ単語が入っていると、なぜかAが生成される、ということもある

これはいわゆるバイアスで、一般的な例を出すと、黒人アフロで生成されやすかったり、白人金髪になりがちだったり、特定職業人を生成すると性別が偏るのと同じで主に学習データの偏りに起因する

謎のサインが生成されるのも「イラスト絵画には大体はこんな感じのがある」と学習した結果だ

黒人アフロの例では、それぞれの概念が結びついていて、黒人チリチリというバイアスがあるので黒人+ロングヘアー=チリチリロングになったりするし、ドレッドヘアーになることもある

白人+アフロ=浅黒アフロになる事もある そのAIにとってアフロといえば黒人であり、黒人といえば肌が黒い、白人に黒を足すと浅黒い、故に浅黒アフロが生まれる、ことがある

とはいえ、この程度ならAI側がその言葉から学んだ特徴に過剰適合していない場合プロンプトの組み合わせで回避できる問題

黒人をロングにするとチリチリになるなら、ストレートヘアーなどの言葉を追加する

白人アフロで浅黒くなるなら、白い肌などの言葉を追加する

アフロや黒い肌といった言葉Negativeに入れるのもありだ

不要な特徴から距離を取れる、ただし反応できるのは文字概念が結びついている時」

潜在空間ベクトル操作とはそういうこと

しかし実際のところ、全ての概念は何か別の概念と関連性がある

ストレートヘアーを追加すると顔が変化したり、白い肌を追加すると目の色が変化したりする

「"あの"魚が欲しい」と網を投げた際に、狙っている魚以外のものまで取れてしま

言葉の組み合わせの影響で、別の海域に流されることもある

なので、観察しながら調整しなければならない

というかそもそもバイアスは利用したければ利用したっていい

望まぬ結果を避けるために、意図せずともそういう結果になりうる、という事だけは把握して

今の生成AIにとっての自然言語とは、固有の意味を持つのではなく、ある「領域」を示すもの

生成AIは、言葉に従って潜在空間を移動しながら、学習した言葉と関連する画像から得た特徴をガバっと鷲掴んでいき、人間から見た時の整合性は気にせず一つの出力物をアウトプットする

小魚が多い海域で網漁をすると、小魚だけ取れることもあるが、小魚と一緒にゴミが取れることもある

ゴミは要らないと言っても仕方ない、その海域にはゴミ存在するのだから

だが実は、この仕組みがアウトプット多様性を生み出すために役立っている

人間は魚を手に入れるために網を投げたわけだが、漠然と「魚が欲しい」と網を投げた時に、特定の魚しか取れないのは多様性の欠如に繋がるし対応力もなくなる

究極的には、「プロンプトで書かれている事を"正しく"」出力するAIも作られるかもしれない

必要としているものしか出てこない、さぞ便利な道具だろうと思う

だが、そのAI活用するには結局のところ、ドメイン知識を持った上で自分が何を必要としているのかを相手に伝える力が必要となる

理由は、ある言葉解釈が、人それぞれであるから

「犬」と言われて、真っ先に秋田犬が思い浮かぶ人もいれば、ペットミニチュアダックス以外が思い浮かばない人もいる

その「リンゴ」っていうのは、片があるの?無いの?一枚の葉がついてたりする?木のこと?

エンジニアってのは、何のエンジニアなんだい?

"正しさ"とは?解釈の結果は一義的なの?全人類共通理解が得られるの?

あいつが悪い!いやこいつが悪い!すまん俺が悪い!いやそんなことはない!

と、何かひとつ物事にも、色々な解釈がある

お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな

by 日本橋ヨヲコ/少女ファイト

あらゆる物事について、全ての人類が同じ解釈になる日がこない限り、知識経験、そして言語化から逃げられないというわけだ

というわけで、潜在空間概念モデルトレーニングの流れ、ファインチューン、マージ、LoRA、ベクトル操作を学び知識を増やし経験を積もう

画像生成モデルを学ぶこと、その半分くらいは言語モデル理解することにも繋がるよ

って感じの事をちゃんとした文章で誰か書いてよ

本当はそもそもの仕組みとかモデル毎のアーキテクチャとかトークンとかシードについても知ってほしいけどキリがないんだよね

追記:

AI校正させるのはいいけど、この文章で完成するわけでもなし、それを"ちゃんと"発展させるのは手間がかかるんよ

それこそ小魚と一緒にゴミが取れまくるんで、ゴミを取り除くために愛と魂をこめて作業しないといけないのがめんどいわけですわ

から俺はやりたくないけど出版してくれたら買って布教するよの投稿

追記2:

戦場に引きずり出されてるのは俺じゃなく「仕様が分かっていないせいで無駄トラブルに巻き込まれてる一般人」ね

2025-01-24

https://anond.hatelabo.jp/20250124073451

大変興味深く読ませて頂きました。

私は現在44歳です。

人生可能性を感じていない部分は通じ合うものがありそうです。

私の経歴?のようなものをとりあえず書いておきましょう。

こんなところでしょうか。

この中で実際に仕事としてお給料を頂いたのが、

となります

この間失業中に約半年キャバクラ嬢をやっていた時期がありましたが

まりにも指名が取れず半年しか続けられませんでした。

今私は失業中の身にあり、個人アプリ開発を進めています

ジェネラティブアートで使っていたprocessing以外は特にプログラミング知識経験も全くありません。

独身子なしなので、将来は音楽を作ったりピアノを弾いたりして過ごしたいですね。

さて、増田さんの書かれていらっしゃる

プロレベル」まで引き上げようと思うと挫折して、挫折するたびに人生可能性が潰れていった

こちらの部分ですが、何事もプロレベルまで引き上げる必要はない、というのが貴方様より10年生きた私の感想です。

生活必要な最低限の収入を確保したら、あとは下手の横好きでも何でもいいのです。

”好きなら物の上手なれ”

これは私が一番嫌いな言葉ですね。

是非、気楽に暇つぶし手段を探してみてください。

そう考えられるようになると、自然可能性の多さに出会えるはずです。

2025-01-15

ブライアン・イーノ本人が「昔からAIアーティストのようなものだ」と認識しているのは面白いと思った。

ここでのAI的な在り方というのは、制作自分コントロールする範囲をあえて絞るためにプロセスを外部化したり、偶然性が入り込む余地を大きくするような方法だろう。

電子音楽ジャンルでは、たとえばCDに傷をつけたうえで再生して音飛びをするサウンドを取り入れたり、サウンドプログラミングランダマイズの範囲を広げたりと、徐々に人間意図から離れる実験が行われていた。

絵画でも、壁の染みだけを見ながら想像を膨らませ、そのイメージを描きだそうとする試みなどは、AI的なプロセスだったと考えることができる。

そしてランダムであれば良いということではなく、それを監督・監修し、編集するところで制作者の意思意図が入り込み、良し悪しが変わってくる点も同じと言えるだろう。

2025-01-11

志の高さが羨ましい

エレキギター、歌、ダンス絵画、演技…これらの活動共通していることは、プロアマわず

「やりたいからやっている」

ということだろう。

その意味で、表現レベル活動に対する考えは千差万別なれど、

「志の低い人間は一人もいない」

と言える。

からレベルや考え方の壁を超えて同好の士として、更には仲間になれる可能性も、少なからずあるわけだ。

もちろん、どの活動だってキレイなことばかりじゃないのは百も承知なつもり。

どんなに頑張っても「つまらない」「ダサい」の一言で切り捨てられることは全然珍しくないだろうし、妬み僻みみたいな話だって無いわけ無いと思う。

でも好きだから続ける、というかやめられない。

それだけで本当に素敵だと思うし、これ以上ないくらい輝いている。

その眩しさが、心底羨ましい。

えー、そんな大げさな…と思うかもしれない。

しかし、幼少からスタートしないとプロになれないような一部の楽器スポーツでは、この「志の高さ」が当たり前ではないという現実がある。

わかり易い例では、確かWBCだったと思うけど、野球のことが大大大大大好きなイチローが、松坂に厳しく対峙していた話がある。

要するにイチロープロとかどうとか関係なく、辞めろと言われようが、仕事として続けられなくなろうが辞めない気満々なレベル野球が好きなのに対し、松坂はむしろ仕事でやってるだけ」感が前面に出すぎていたと。

まり純粋野球好きとして「それで満足するとか、本当に野球が好きならそうはならんやろ」「てか、なんで好きでもないのに野球やってんの?」と思わずにいられず、ああなったわけだ。

そりゃ筆者含め、仕事については適性があったから食うためにやっていることだし…と割り切っている人は珍しくないというか、それが大多数だと推測される。

なんなら「こんなことして食うなんてやめたい」くらい仕事を嫌っている人も普通にいるだろう。

そして幼少から始めないとプロになれない技芸というのは、親が子の適性とか素質を見込んで、外堀を埋める形でプロになるよう頑張る以外に道がないルートに追い込み、そこで生き残れた人だけがプロになる流れだ。

そこで本人の好きかどうかなんて気持ちは顧みられないというか、なんなら本人がどこかでその感覚をかなぐり捨てて取り組んできたまであるので、好きでやってる人を探すほうが多分難しい。

その意味では、松坂スタンスも同じ社会人として、共感できる部分がないわけではない。

しかしながら、楽器スポーツはそれを趣味としてやっている人がいて、そういう人からするとプロ一般仕事と同じくらい「割り切って」やっている現実を目の当たりにすると、なんとも言えない気持ちになるわけで。

少なくとも自分は、自分趣味にしている楽器についてその現実を知ったとき、そういう一部のプロ演奏なんて聴きたくもなくなったくらいには落胆させられた。

しかもそのきっかけが、全く適性が無いながら自分演奏にどうしても納得できずレッスンを続け、気がつけば音大受験レベルの曲を弾けるくらいになったタイミングで、何人かの配信者の演奏を聴いて違和感を覚えたこからだったり。

無駄に耳が肥えてしまったせいなのか、「確かに上手いし弾けてるし、リスナーが大満足なのも間違いない。でも本当にその楽器が好きなら、そんな大味な音で絶対納得するはずがないんだけどな…」と感じてしま演奏散見されることに気づいたと。

そしてそれは全然気のせいじゃなく、「上手いけど、楽器が好きじゃない」人の出す音なんだと確信するまで、そう時間はかからなかった。

聞けばプロ現場指揮者が最も苦労し、かつ演奏者と対立する点もまさにそこで、最悪「弾けて当たり前なのはいいけど、やっつけ仕事まで当たり前にしないで欲しいんだが」VS「なんだコイツ、何にも知らないくせに」みたいなギスギス展開も珍しくないと。

ちなみにアマチュアの出す音というのは、海外では"Funny Noise"と言われているらしい。

でもそれは決して侮蔑ではなく、むしろ好意や敬意を備えた意味なんだろうなーと、最近は思うようになった。

好きでやっていることは素晴らしい!というのを、こんな形で実感したくはなかったけどね。

2025-01-03

[]2024年に読んだ本、前編

1月

読書(16冊)

フィリップウィルキンソンまぼろしの奇想建築 天才が夢みた不可能な挑戦 (NATIONAL GEOGRAPHIC)」

十三機兵防衛公式脚本集:Double Strand」

伊藤之雄元老 近代日本の真の指導者たち」★★

高木ケイガルシア・デ・マロネスによって救済された大地」

アマサワトキオラゴス生体都市

麦原遼「逆数宇宙

十三機兵防衛公式保存記録:Double Helix」

趙景達(チョ・キンダル)「植民地朝鮮日本」★★★

琴柱遥「枝角の冠」★

新藤尚典「推し三原則

榛見あきる「虹霓のかたがわ」

田場狩「秘伝隠岐七番歌合」

河野咲子「水溶性ダンス

齋藤雅典「菌根の世界:菌と植物のきってもきれない関係

高野秀行「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランド戦国南部ソマリア

ブライアン・インズ、クリス・マクナブブライアン・インズ、クリス・マクナブ「ビジュアル 世界の偽物大全 フェイク・詐欺捏造の全記録」

薄い本が多いので冊数はややチート

やはり高野秀行面白いし、SFは定期的に読みたくなる。

美術

キース・ヘリングアートストリートへ」

「開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築

併設「ルオー 家族のいる風景

スカイツリープラネタリウム

2月

読書11冊+α)

藤村シシン「古代ギリシャリアル」★★★

岸見一郎古賀史健嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」

齋藤雅典「もっと菌根の世界

芝崎みゆき古代マヤアステカ不可思議大全」

キャスリン・ペトラス、ロス・ペトラス 「人体ヒストリア その「体」が歴史を変えた」

高野秀行アヘン王国潜入記」★★

高野秀行西南シルクロードは密林に消える」

春画ール「春画の穴―あなたの知らない「奥の奥」―」★

岸見一郎古賀史健幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII」

齋藤勝裕「「原子力」のことが一冊でまるごとわかる」

下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S5話 鳥は見えるか?」

下村智恵理「天網恢々アルケミー Project #34 黄泉から手紙

下村智恵理「天網恢々アルケミー Project #35 旧針金山トンネル悪霊

ヘシオドス神統記」

美術

マリー・ローランサン時代うつす眼」

石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 野見山暁治

(どちらもアーティゾン美術館)

3月

読書(13冊)

芝崎みゆきイースター島不可思議大全:モアイと孤島のミステリー

五十嵐ジャンヌ「なんで洞窟壁画を描いたの?―美術のはじまりを探る旅 (13歳から考古学) 」

ヘーシオドス仕事と日」

芝崎みゆき古代インカ・アンデス不可思議大全」★

布施英利「洞窟絵画を旅して ヒトの絵画の四万年

辻田真佐憲「「戦前」の正体 愛国神話日本近現代史」★★★

田辺聖子田辺聖子小倉百人一首」(再読)

イソップアイソーポス)「イソップ寓話集」

タイモン・スクリーチ大江戸異人往来」

ギリシア喜劇全集 1」

野坂昭如アメリカひじき火垂るの墓」★★

北杜夫幽霊 ――ある幼年と青春物語――」

アポロドーロス「ギリシア神話

美術

マティス 自由フォルム

遠距離現在 Universal / Remote」

4月

読書(13冊+α)

石黒達昌日本SF臨界石黒達昌 冬至草/雪女」

半藤一利保阪正康昭和の名将と愚将」(再読)

まっぷる 山形 鶴岡酒田蔵王米沢24

北杜夫「楡家の人びと 第一部」

北杜夫「楡家の人びと 第二部」

北杜夫「楡家の人びと 第三部」

ギリシア喜劇全集 2」

「蒸気駆動の男: 朝鮮王朝スチームパンク年代記

安達宏昭「大東亜共栄圏-帝国日本アジア支配構想」★

ギリシア喜劇全集 3」

ラリイ・ニーヴン無常の月」(旧版)★★

進士素丸「文豪どうかしてる逸話集」

北杜夫「木霊 或る青年期と追想物語」★

中井紀夫日本SF臨界中井紀夫 山の上の交響楽」

何となく東アジア歴史特に第二次世界大戦ばかり読んでいる。小説も含めて。

美術

テレビ朝日開局65周年記念『MUCA(ムカ)展 ICONS of Urban Artバンクシーからカウズまで~』

5月

読書(16冊)

加藤聖史「「大日本帝国崩壊 東アジア1945年」★★

「別冊日経サイエンスログラフィック宇宙 時空と重力起源に迫る」

酉島伝法「隔世遺傳(かくりよいでん)『皆勤の徒』設定資料集」

間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」★★★

田中空「未来観測員」

ギリシア喜劇全集 4」

ラリイ・ニーヴン魔法の国が消えていく」

安野貴博「サーキットスイッチャー」

竹田人造「AI法廷ハッカー弁護士

ラリー・ニーヴン他「魔法の国よ永遠なれ」

岸本惟「迷子の龍は夜明けを待ちわびる」

ギリシア喜劇全集 5」

梶尾真治地球プレイン・ヨーグルト」(旧版)★

鈴木理生江戸の町は骨だらけ」

沓掛良彦・訳「ホメーロスの諸神讚歌」

スティーヴン・バクスター「〈ジーリークロニクル①〉プランクゼロ

漫画

入江亜季「北北西に曇と往け」七巻

1000decillion「Morals under a pagoda I/II」(同人誌

1000decillion「Morals under a pagoda III/IV」(同人誌

美術

ブランクーシ 本質象る

石橋財団コレクション特集コーナー展示 清水多嘉示」

北欧神秘ノルウェースウェーデンフィンランド絵画

6月

読書(13冊)

スティーヴン・バクスター「〈ジーリークロニクル②〉真空ダイヤグラム

真貝寿明「宇宙検閲官仮説 「裸の特異点」は隠されるか」★

大村幸弘、篠原千絵ヒッタイト魅せられて: 考古学者に漫画家が質問!!」★★

津本英利「ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像

スティーブン・キングスタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編」

スティーブン・キングゴールデン・ボーイ 恐怖の四季 春夏編」

安村敏信もっと知りたい 狩野派 探幽と江戸狩野派

アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」

藤村シシン「秘密古代ギリシャ、あるいは古代魔術史」★★★

山本健人「すばらしい医学――あなたの体の謎に迫る知的冒険

中野京子「怖い絵」

藤田正勝「日本哲学入門」

中野京子展覧会の「怖い絵」」

漫画

売野機子薔薇だって書けるよ: 売野機子作品集

高江洲弥「リボンと棘 高江洲弥作品集

1000decillion「Morals under a pagoda -Kama Sutra-」(同人誌

1000decillion「Morals under a pagoda -Egypt-」(同人誌

1000decillion「morals under a pagoda -Greece-」(同人誌

美術

「オープニング展 UESHIMA MUSEUM 一般公開

メサギャラリー(LG横浜イノベーションセンター

毎年月ごとの上位三冊を選んでいるが、ある月の四位が別の月の二位を上回って面白いことがある。つまり当たりの多かった月だ。すべての本に対して星の数で評価すべきかもしれない。

2024-12-28

anond:20241228125835

キャンセルカルチャーって法を犯しているわけではないのでは?

絵画ペンキをかけるヨーロッパ環境運動家とかなら明確に法を犯しているけど、例えば高裁判事罷免しろ署名活動をすることは合法だよね

いくら署名活動したところでそんな署名を受け付ける手続きなんて定められてないか無効になるだけで、勝手やらせておけばいいと思うんだけど

2024-12-24

美術館キュレーターが見抜けないレベル贋作絵画、もちろん観賞する客もそれを見抜けない。

美術館贋作があるわけがない」という先入観もあるが、やはり「情報を観ている」からというのが大きいだろう。

この展示は〜がテーマで、展示の流れ上この作品は〜に位置付けられ、キャプションから〜のいつ頃の作品である。そう思って見ているので、あとは頭の中で情報を整理するだけなのだ

もちろん、それ以外の情報もある。絵の構図は。色の置き方は。筆の運びは。絵の具の厚みは。ニスの塗られ方や劣化の具合は。それらから想像される作者の息づかいのようなものは。

そうした細かな観察と、自分知識経験が重なり、感動が生まれるかもしれない。感動は情報の重なりによって生まれるのだろう。

から「これは贋作である」という前提の情報があると無いとでは、感動の種類も変わる。贋作に対しては「良くここまで似せることができるな、完璧だ」という感心がせいぜいで、それ以上の感動があってはならないと、経験から導かれるからだ。

2024-12-23

リアコの男と関わっていたら苦手になってきた

私の推しオタク距離がかなり近い。所謂リアコ営業をずっとやっている。しかしもう規模がでかくて全てのリアコに構い切れないし、特典会もない。変なオタクばっかり育っているのだ。

1人遠方で金のないオタクがいる。そのくせ声がデカくてリアコなのだ推しのために作った飯を推しポストに貼り付けることもある。「推しをすぐ近くで支えたい」んだそうだ。

彼と仲良くしていれば何かしら良いことがあるだろうと思って仲良くしていたが、私は推しとの距離の近さや様々なことで病み散らかしていく。演者は遠くにいてほしいという思いからひどく辛くなっていく。彼にはきっとそれがダブルスタンダードに見えたんだろう。「今度教えてあげるね」とまでSNSで言われた。

私は今やっている推し活は消費行為だと思ってやっている。ステージに立っている好みの顔の人間時間を、スキルを、存在を金を払って消費しているんだと思う。

とある有名なヲタク言葉で「他人の外見を応援と称して消費することは暴力的だ」という言葉がずっと胸に刺さっていて。私は好きな絵画を見るかのように人間を消費しているんだと、少し落ち込んだ。

でも別に、それでいいと思う。

人に希望や思いを託したり、達成してほしい何かを肩代わりしてもらわないと生きていけない人はいる。自分だけでは人生を充実させることが難しいし、他の人に祈りや願いを託し、そのために金を惜しまず使うことはあっていいんじゃないかと思う。

そういうわけで、私は好きな顔面を見に行っている。その価格価値を回収するように顔面なめるように見回して帰る。そしてやってほしいことをやってもらえるよう、自分が思う好きなことをしてもらえるように金を払っている。好きなものが見られたらいいなと祈りながら、演者を見ている。

消費者となって文句が言えるように見に行くこともあるかもしれない。金銭を払って対価を得た以上、私は何かを言う権利はあると思う。それを運営が聞いているかは別として。もし私の思うことをしてくれなければ徐々に離れていき、時々様子を見に戻るしかできないのは重々承知している。

私達の消費という行動を棚に上げて「あなたの支えになりたい」「一番そばにいる理解者になりたい」と思うことはとても危なくて、私はそうなってはならないと思っている。

リアコの男は、金銭を払って推しを鑑賞することで、推しの消費を肯定しているんだということをわかっていない。それなのに推しの力になれると、そばで支えられると信じているんだと思う。

このスタンスの差は絶対に埋まらない。私が恋愛気持ち悪く見えるタイプなのでその人の話を聞くと消耗していくと思う。適度な距離感を探っていくしかないのかもしれない。

2024-12-17

これは完全なマウントなんだが、王ドロボウJING小学生時代に楽しめなかった奴らは可哀想

他の連中がコロコロコミックウンコチンコ言ってる時に、随所に名画のパロディが敷き詰められたハードボイルド物語を読むことの優越感を知らないまま小学校卒業してしまったなんて本当に可愛そう。

いやマジで学校で「やーいやーいロボポン目当てにボンボン読んでるド変態~」みたいに扱われてムラハチされかけても、「でも俺は王ドロボウJINGを目当てに読んでるから」って思えば無限勇気が湧いてくるんですよ。

だって小学生向けの漫画なんて普通主人公名前コロッケ必殺技ハンバーグを両手で放ってハンバーガーとかやってる中で、主人公ジン相棒キール必殺技は二人が合体してキール・ロワイヤルですよ?

コロコロ読んでる衆愚共の頭がお子様ランチなら、こっちは小洒落バー大人世界ですよ。

マジでレベルが違う。

つうかね、JINGを読んでる時に俺は自我に目覚めたとさえ言えるわけですよ。

それまでなんとなーく生きていたのが、ある日ボンボンペラペラ捲ってる時に突然「なんだこれは!なにか凄いなにかを感じて凄いぞ!」みたいな電気が頭の中をバチバチ弾けたんですよ。

まりに昔のこと過ぎて記憶自身がないんですが、確か、色彩都市カメレオンジンガールの靴を脱がす見開きページでしたね。

ぶっちゃけ私も絵画のこと全く詳しくないんでアレが何かの名画のパロだったのかどうかさえ定かじゃないんですが、そのページを診た途端に言いようのない「凄み」を感じたんですよ。

私の全身に組み上げられながらも最後の一手が足りずに起動していなかった自我がその衝撃で突然目覚めたと言えますね。

ええそうですよ私は見事にオタクになりました。

「こんな凄い作品を知っている俺は凄いんだ!」というオタク特有の気味悪い優越感にその後10年以上支配され、気づいた時には青春時代は終わり、インターネットの片隅でエロゲについて語っているどこに出しても恥ずかしいキモオタになっていましたよ。

ある意味で、私の人生を大幅に悪い方向に変えたかも知れないのがJINGという作品なんですよね。

もしもあの衝撃、自我誕生リブート直後のインプリンティングスポーツや勉学に関わるものであったなら、私は「知ってる?リック・ディアスも実はガンダムなんだぜ?」といきなりクラスメートに振って「なんやこいつ……」とされるような人種にはならなかったんじゃないかなと。

それでも私はJINGという作品を憎んでなんていない。

なぜなら、JINGという作品出会わなかった私は一生自我に目覚めなかったかも知れないし、なんならネットDE真実に目覚める時に自我も目覚めてしまい不治の陰謀論者になっていた可能性さえある。

私はJING感謝しています

この感謝というべき感情をね他の連中がコロコロコミックウンコチンコ言ってる時に、随所に名画のパロディが敷き詰められたハードボイルド物語を読むことの優越感を知らないまま小学校卒業してしまったなんて本当に可愛そう。

いやマジで学校で「やーいやーいロボポン目当てにボンボン読んでるド変態~」みたいに扱われてムラハチされかけても、「でも俺は王ドロボウJINGを目当てに読んでるから」って思えば無限勇気が湧いてくるんですよ。

だって小学生向けの漫画なんて普通主人公名前コロッケ必殺技ハンバーグを両手で放ってハンバーガーとかやってる中で、主人公ジン相棒キール必殺技は二人が合体してキール・ロワイヤルですよ?

コロコロ読んでる衆愚共の頭がお子様ランチなら、こっちは小洒落バー大人世界ですよ。

マジでレベルが違う。

つうかね、JINGを読んでる時に俺は自我に目覚めたとさえ言えるわけですよ。

それまでなんとなーく生きていたのが、ある日ボンボンペラペラ捲ってる時に突然「なんだこれは!なにか凄いなにかを感じて凄いぞ!」みたいな電気が頭の中をバチバチ弾けたんですよ。

まりに昔のこと過ぎて記憶自身がないんですが、確か、色彩都市カメレオンジンガールの靴を脱がす見開きページでしたね。

ぶっちゃけ私も絵画のこと全く詳しくないんでアレが何かの名画のパロだったのかどうかさえ定かじゃないんですが、そのページを診た途端に言いようのない「凄み」を感じたんですよ。

私の全身に組み上げられながらも最後の一手が足りずに起動していなかった自我がその衝撃で突然目覚めたと言えますね。

ええそうですよ私は見事にオタクになりました。

「こんな凄い作品を知っている俺は凄いんだ!」というオタク特有の気味悪い優越感にその後10年以上支配され、気づいた時には青春時代は終わり、インターネットの片隅でエロゲについて語っているどこに出しても恥ずかしいキモオタになっていましたよ。

ある意味で、私の人生を大幅に悪い方向に変えたかも知れないのがJINGという作品なんですよね。

もしもあの衝撃、自我誕生リブート直後のインプリンティングスポーツや勉学に関わるものであったなら、私は「知ってる?リック・ディアスも実はガンダムなんだぜ?」といきなりクラスメートに振って「なんやこいつ……」とされるような人種にはならなかったんじゃないかなと。

それでも私はJINGという作品を憎んでなんていない。

なぜなら、JINGという作品出会わなかった私は一生自我に目覚めなかったかも知れないし、なんならネットDE真実に目覚める時に自我も目覚めてしまい不治の陰謀論者になっていた可能性さえある。

私はJING感謝しています

無産のどうでもいいオタクをやって、モテることもなく負け組として生きる人生を送ってしまった原因であったのだとしても、私はJINGにハッキリと感謝気持ちを持てる。

この強烈な感情を持てるのも、感受性形成される過程である小学生時代に触れるという体験をしたからです。

羨ましかろう?

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