はてなキーワード: テーブルゲームとは
そういうことを言う人は結構いるんだけど何が問題なのか全然わからんのだわ。
問題点があるなら指摘して欲しい。
未成年向けの将棋大会ではそこまで極端に女性が少ないってことはないのに将棋のプロを目指す段階になると女性が極端に消える。
女性向けに女流棋士という専用の制度があって普段はその中で競技しているんだから男性ばかりの業界に入りづらいなんて話でもない。
出来ることがあるなら言って欲しい。 なにが「参加し難い」要因になってるの?
将棋は日本のゲームだから外国人はそもそも将棋を始めようとする人口が少ないってのと、資料が日本語なことが多いから十分な実力を身に付けるところまでは行きにくいというのはあると思う。
それはある程度は仕方ない部分はある。
日本人だってバレーボールで高みを目指そうとするとイタリア語が必要みたいなのはあるわけだし。
駒を「手で」動かすというのは必要だが寝転がっててもメシ食ってても許されるような競技だよ?
なんならベッド持ち込みくらいは出来ると思うよ。
この増田に「テキサスホールデムは計算必須でしょ」とか「確率計算を完璧にやるのが前提」とかコメントしてるブックマーカーたちが面白い。
おそらく彼らは「テキサスホールデムは確率計算できないと勝てない」という知識しかなく、実際にはポーカーもテキサスホールデムもろくにやったことがないんだろう。
国内で対面式のポーカー店でやるにしても、アプリかなんかでオンラインでやるにしても、精緻な確率計算なんかできるヤツはほとんどいない。
あくまでざっくり、「こういうときはこっちのが有利」くらいの知識でやってるやつがほとんど。
そりゃ競技的にプレイするなら確率計算やカウンティングしなきゃ勝てない。本当に大金かけた大会に出るやつなら、それがが前提だろう。
でも国内でも海外でも大抵のプレイヤーはただ遊びのためにやってるんだから、そこまでやりこんじゃいないし確率計算だって適当。酒飲みながらやったりするんだからさ。
それで勝ったり負けたりを楽しむのがポーカー(テキサスホールデム)だ。勝率をあげたかったら、ちょっとずつ勉強していくんだ。
将棋だって囲碁だって麻雀だってそうだろう。トッププロから今日始めたド素人までいる。それぞれのレベルで卓を囲んで遊ぶのがテーブルゲームだ。
「ブラフと運で勝負するポーカー楽し~~」って増田を読んで、「いやいや…テキサスホールデムは確率計算しなきゃ勝てないでしょ…?w」って持てる知識をもっていっちょがみしてる人たち。
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将棋もチェスも麻雀もリバーシもカタンも、盤上が無から始まるゲームなんかほとんどないから。
五目並べはどこから始めても戦況にたいして影響ないゲームだしな。
囲碁が圧倒的におもんないのは盤上に何もないところから始めないといけなくて
どこに置いたらどうなるかの展望がまったく見えないところだから。
これもう1000回くらい言ってるけど。
まぁ初手真ん中に置けばいいとして、じゃあそれに対してどこに置けばどうなるの?
どうにもなんなくない?
会社に入ったら入社式の後に「じゃあ好きに仕事して」って言われてほったらかされたらブチ切れるでしょ。
もろちん、5年後の自分の姿を想定してそれまでにやる必要のある仕事を逆算して、
じゃあとりあえずこの仕事してみるか!って思える人もいるだろうけどさ。
99%の人間はそして僕は途方に暮れる、でしょ。
だからほとんどのテーブルゲームは初手の選択肢をぐっと狭めた状態で始まる。
将棋ですら最初のほう何動かしていいかわからんからおもんないっていう人めっちゃいるのに、
私の現時点での定義としては、宗教とは、人生において行動の選択を迫られたときにその指針となる命令又は禁止規範となる道徳をいう。多くの場合「こうすれば死んだ後で天国・極楽へ行ける」「こうすれば地獄へ堕ちる」というように、行動いかんによって死後の魂の扱いが左右されるという教えがセットになっているが、現世における救済や恵みを受けるという教えの場合もある。
この定義に従えば、儒教も宗教である。マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で分析したように、「商売で儲かることは神の教えに従った正しい行いをしていることの証である」といった信仰のあり方も宗教であることに鑑みると、「運気が向上する習慣」といった自己啓発の類も宗教である。この定義に従う限りでは、何らかの宗教を持っている日本人はわりと多い。
なお、この定義からすると「お国のために戦って死ねば英霊になれる」という教えが宗教に含まれるかどうかは微妙で、私は否定的に考える。なぜならば「どう生きるか」でなく「どう死ぬか」の行動指針であるため、「善き生き方」を示す道徳になっていないから。どちらかというと政治キャンペーンの一種に分類すべきように思う。ただ、この点は「道徳とは何か」の定義を決めないと結論を出せなそうなので保留にする。
死者は霊魂となって現世の人々に影響を及ぼすとか現世の人々の祈りが死者の霊魂を癒すという観念は、死んだら死後の世界に行くという宗教的観念と矛盾している。この二つの観念は別々のもので、宗教が生まれる前から、原始的な信心として前者が存在していたと思われる。
「死んだらどうなるのか」という不安に対しては様々な「答え」が出されており、天国や地獄で永遠に暮らすのだとか、別の生き物に生まれ変わるのだとか、現世と交流できる状態にあって時折姿を現したり人に憑依したりするのだとか、恨みや後悔を残して死ぬと地縛霊や怪異になるとか言われている。
交流したり観測したりできる存在としての霊魂の存在を信じることは、何に寄与しているんだろうか。例えばいじめられて死んだ生徒の霊が語られる際に、いじめはいけないという教訓ではなく「あのトイレには近づくな」という戒めの方が強く意識されることからすると、道徳には繋がっていない。もっとも、死者の霊を軽んじる行動を取ると祟られたり罰が当たるとされるため、死者に対する礼節という行動規範にはなっている。死んでも生者と関われるので孤独じゃないとか、死者を敬うことで自分も死んだ後で丁重に扱われるだろうとかの安心感を得られるのかもしれない。
苦しい時に頼みの綱となる「神様」は、普段はまったく信仰どころか意識すらされておらず、名前もなければどんな姿をしているのかのイメージも持たない漠然とした概念である。その「神様」に祈りを捧げることで天国に行けるわけでもないし、祈ったにもかかわらず救済が与えられなかった場合には悪態の対象にすらなる。
「どちらにしようかな天の神様の言うとおり」やテーブルゲームにおける「ダイスの女神」もこの一種で、普通は人生の命運をかけるほどの扱いはされない。ただ、行動規範をもたず「幸運のお守り」に人生を賭ける人もおり金儲けのターゲットにされがちである。
「死後の世界」を司る行動規範としての神もいるかもしれないし、「戦に勝ちたい時に祈る神」「商売繁盛のために祀る神」として救済を求める神様の類かもしれないし、「こういうことするとこういう目に遭うよ」といった教訓的な寓話や超常的で不思議な御伽話の登場人物なのかもしれない。
上記のように、私の定義では「宗教」とは行動規範を示す道徳である。道徳は「どうあるべきか」「何が正しいか」を含むものであり、従って政治や法制度のあり方にも関わる。法や政治と道徳はイコールではないにせよ、深く関連している。そのため、特定の宗教の良しとする行動規範に従って法律を作り政治を行うと、他の行動規範をもつ宗教を信じる人々と衝突する。「人であるがゆえの権利」を前提とする法制度や政治は誰にも平等でなければならないことからすると、特定の宗教に立脚した政治を行うわけにはいかない。
「こう生きるべき」みたいに国家が口出しすること自体が大きなお世話と考えるのが「人権」主体の政治だともいえる。
やってみればわかるが、人権を行動規範にすることはできない。人権は人生の様々な場面で衝突するものだから、こちらを立てればあちらが立たず、その折り合いをどうつけるかが求められる。したがって人権を大事にしようと決めたところで行動指針が決まるわけではない。例えば表現の自由とプライバシー権のように。
政治を考える際に考慮すべきものではあるが、個人の人生の指針にはなり得ないので、人権は宗教ではない。
私の友人にはキリスト教や仏教の敬虔な信者であったり聖職者であったりする人たちが少なくない。また、スピリチュアルなものを信じる人もいるし、神様へのお勤めで心身をすり減らしてしまっている人もいる。信仰はとても古くから存在し、必要とする人間が多かったのに、なぜ必要なのか自分にはわからないのでずっと考えている。難しい。
どこまでいっても「すげぇ……何が起きてるんだ……」になってしまうというかね。
テーブルゲームであってもカード・サイコロ・麻雀なんか使う運要素があるものは確率計算を実況解説が補助してくれればなんとなく理解できるのよね。
ましてスポーツだったら「身体能力が追いつくのならば……」の前提での理想の戦術はTVカメラの映像からならよく見えるわけで。
でも将棋ってプロからしても未知の世界の中でお互いに何十手も先を読み合ってるわけだから、素人は全然分からんのよ。
ましてそこに「一発で形成が逆転される奇跡の妙手」みたいなのが入ってくると完全に置き去り。
なんかザワついてるなとか、AI算出の有利不利ゲージが突然バグったなとか、そういうのしか伝わらんわけ。
その凄さが分かる人にしか分からないからマジでつまらない訳よ。
たとえばサッカーだったら、ドリブルごぼう抜きでボールが足に吸い付いてる様子やシュートがグンニャリ曲がって隙間に突っ込む光景のヤバさを素人でも理解できるじゃん。
それがないんだよね。
え?何が起きたの?分からないんだけど?ってコッチは置いてきぼりな中で興奮した解説者が分かる人にだけ分かるようなことを捲し立ててるの。
もうそこで置き去りだよね。
一番の盛り上がり所まで来てお前はこっから先には関係ないよって弾かれる。
こういうの本当つまらないなあ……ってね。
勉強すれば面白くなるのかも知れないけど、そういった態度取られた時点でむしろ勉強する気無くすなあっ……ってね。
じゃあもうお互いに育てたAIにたまに追加指示出して闘うポケモン方式でいいじゃん。
みたいなのでいいじゃん。
実際にプレイした訳ではないけど面白いと噂で聞いた同人エロゲーの一覧を書いてみるの一覧
以上、終わり
WoTやってるんだけどさ、初心者・ヘタクソ見下してる上級者多くない?ネット掲示板でもTwitterでもnoobって見下してるのたくさん見かけるし。特に、「WoTが上手くなる方法〜」みたいなヘタクソに向けられた記事で、ヘタクソを馬鹿にする表現を使う上級者、いくらなんでも根性悪すぎでは?
もちろん、WoT上級プレイヤーの大半は初心者やヘタクソを見下したりしないだろうし、性格悪い上級者はほんの一部なんだろうけど...。にしても、スポーツや囲碁、将棋などのテーブルゲーム競技者に比べて、WoTの上級者ってヘタクソに対して辛い人多いよね。
だって、普通初心者やヘタクソバカにしたりしないでしょ。スポーツやる大学サークル入ってるけど、みんな初心者にやさしく教えてやったり面倒見るもん。それが普通でしょ?
まだ精神が未熟な小学生や中学生ならともかく、大の大人だったらヘタクソを馬鹿にしたりしないでしょ?。初心者ボロクソにこき下ろすやばい上級者が一定層いるネトゲ界隈ってどうなの?
e-sportsの社会進出がどうたら〜とか言う人いるけど、ネトゲがスポーツであるというこじつけの理由を探す前に、こういう所何とかしたら?
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
脱出編から読んだから結末も知ってるんだけど、それで結末だけ聞いて「これ超つまんなそうだな」と思ってた。
ポーカーっていうゲームのクソゲーでしかない部分を暴き出して、結局このクソゲーの中で如何に戦略っぽいことやるかがテーブルゲームなんだって話になってる。
たとえば麻雀なんて究極運ゲーのゴミだけど、さも見事な打ち筋、完璧な思考、頭脳明晰、全知全能とばかりに漫画では描かれる。
よくよく考えると実際には単なる運ゲーでしかないし、その運ゲーの中でそれほど多くもない選択肢の中から半ば運任せで勝負してるだけ。
でもそこにブラフやハッタリが加わることで辛うじてただのくじ引き勝負やジャンケンにならずに済んでる。
でも普通のポーカーだって麻雀だって、今回のゲームでは降りるしかないなって手番がしょっちゅう回ってくるし、逆にひたすら押してりゃいいだけの手札も来る運ゲー。
ようはブラフの部分以外は頭良さげに見せるだけの贅肉でしかないんだよね。
贅肉っていうかデコレーション?
たんぽぽ山盛りの刺し身っていうか、サンタのフィギア差し過ぎのクリスマスケーキっていうか。
そこから本体だけ取り出したら、確かにワンポーカーみたいになるわな。
これには既にインディアンポーカーっていう別ルートでの正解もあるんだけど、あっちはもう剥き出しだよな。
ケーキのスポンジもイチゴも邪魔だって生クリームだけにしたようなもの。
せめてスポンジは残そうってスポンジの上にクリーム絞ったのがワンポーカー。
うーむ、なかなか考えてるわ。
才能どんどん枯れていってる中でこんなの出せたら、そりゃもうギャンブルは一度置いといて別の話したくもなるんじゃね?
もう10年くらい高校時代のボード・テーブルゲーム部の連中でいろんなボドゲやTRPGやマダミスをやってたんだけど、
最近はコロコロちゃんで集まってセッションするのも難しなったので、
つい最近、オンラインで野良パラノイアをやったらめちゃくちゃ険悪になってしまった。
こいつはこの程度なら怒らない。
こいつならこれくらいのことは言う。
そういう暗黙の了解というかツーといえばカーみたいなのがない相手とセッションするのって難しいんだな。
GMの人はアワアワしながらなんとかセッションを形にしてくれて感謝しかない。