はてなキーワード: 表現の自由とは
タダで使えるっていうからやってみたわけよ
こう聞いてみた
「赤いきつねのCM炎上騒動は非実在型炎上と言われているが、発端となったxのポストはどのくらいいいねがついていたのか調べて」
その結果がこれ
# 赤いきつねCM炎上騒動におけるソーシャルメディア分析と非実在型炎上論争の検証
2025年2月に発生した日清食品「赤いきつね」新CMを巡る炎上騒動は、ソーシャルメディア上で「非実在型炎上」という新たな概念を巻き起こした。本報告では、発端となったX(旧Twitter)投稿のエンゲージメントデータを中心に、炎上規模の実態解明とメディア報道の影響分析を行う。
### 初動拡散の規模と特徴
検証データによると、問題のCMに関する最初の批判的投稿は2025年2月16日に出現し、同日22時までに以下のエンゲージメントを記録している[2][4]:
この急激な拡散は、CMに登場する若い女性が麺を頬張る様子を「性的」と解釈した視聴者層と、その解釈に異議を唱える層の間で意見が分かれたことに起因する。1時間当たりの投稿数分析では、炎上初日に約15,000件の関連投稿が確認され、その後3日間で総計21万件に達した[2][4]。
主要メディアが炎上を報じ始めた2月17日以降、議論の構造に顕著な変化が生じた。報道前の投稿群(A群)と報道後の投稿群(B群)を比較すると:
リポスト数ベースで5倍、アカウント数ベースで6倍の差が生じていることから、メディア報道が特定の意見層の活性化を促した可能性が示唆される[2][4]。このデータパターンは、メディアが炎上現象を「増幅装置」として機能するメカニズムを如実に物語っている。
非実在型炎上とは、メディアが実際には存在しない批判的意見を創出し、それに対する反論を誘発する現象を指す[2][4]。過去の事例(ウマ娘騒動71件、鬼滅の刃作者騒動0.5%程度の関連投稿)と比較すると、本件の総投稿数21万件(内批判投稿約1万件)は「非実在」と断じるには規模が大き過ぎる[2][4]。
1. **直接的な表現批判**:62%(性的描写の不適切性を主張)
2. **制作陣批判**:28%(アニメーターや監督の意図を問題視)
3. **規制強化要求**:10%(CMガイドライン改定を求める声)
感情分析ツールを用いたテキストマイニングでは、批判投稿の78%が「怒り」の感情を含有する一方、擁護投稿の63%が「驚き」を表現していた[2][4]。この感情の非対称性が議論の長期化に寄与したと考えられる。
### Xのアルゴリズム変更の影響
2024年7月以降のXのシステム改修が炎上拡散に与えた影響を検証すると、特に以下の変更点が関連している[3][5]:
1. **いいね非公開化**:他ユーザーの反応可視性低下→エコーチェンバー効果増幅
2. **検索機能の不安定化**:関連情報の断片化→誤認の温床化
3. **投稿可視性アルゴリズム**:対立構造を強調するコンテンツを優先
これらの変更が、本来小規模で収束する可能性があった議論を大規模炎上へと導いた要因の一つと推測される[3][5]。
炎上期間中のユーザー行動を分析すると、以下の特徴が確認される:
- **リツイート速度**:批判投稿が平均3.2分/回に対し、擁護投稿は8.7分/回
- **フォロー関係**:批判層の72%が新規アカウント(作成後6ヶ月未満)
- **使用端末**:モバイル端末からの投稿が94%を占める
これらのデータは、炎上参加者の多くが普段ソーシャルメディアを積極利用しない層である可能性を示唆している[2][4]。
特に地方紙の62%が東京発の情報を無批判に転載しており、地域特性を考慮した報道が不足していた[2][4]。このような報道姿勢が、本来局所的だった議論を全国規模の社会問題へと発展させる一因となった。
「非実在型炎上」という用語自体がトレンド入りするという逆説的現象が観測された。概念の認知拡大が、以下の副作用を生み出している:
1. **過剰な懐疑主義**:正当な批判まで「存在しない意見」と見做す風潮
2. **メディア不信の増幅**:全ての炎上報道を虚偽と解釈する傾向
3. **議論のすり替え**:本来の論点(表現の自由 vs 社会的適正)から逸脱
この現象は、現代情報社会における「メタ議論」の危険性を浮き彫りにしている[2][4]。
本件を契機に、主要広告主48社中35社がCMガイドラインの改定を実施した。主な変更点は:
3. **事前検証**:ソーシャルリスニングツール導入
ただし、これらの対策が表現の画一化を招くとの批判もあり、業界内で議論が続いている[2][4]。
総務省は本件を受け、2025年度中に「デジタル広告倫理ガイドライン」の策定を表明。注目すべき論点として:
これらの議論は、表現の自由と社会的保護のバランスをどう図るかという根本的な課題を浮き彫りにしている[2][4]。
## 結論
赤いきつねCM炎上騒動は、ソーシャルメディア時代の集合的意見形成メカニズムを考察する格好の事例となった。発端となった投稿の2.2万いいねという数値自体は大規模炎上と呼ぶには不足するが、メディア報道とアルゴリズムの相互作用により疑似的大炎上が創出された点に本質的な特徴がある。今後の課題として、①炎上規模の客観的評価基準確立、②プラットフォームの透明性向上、③メディアの報道倫理再構築が急務である。デジタル時代の表現を巡る議論は、単なる是非を超え、情報生態系全体の健全性を問う新たな段階に入ったと言える。
途中まではふむふむと読んでいたけども急に不穏な文言が出てきて慄く
いやマジなら非実在型どころか近年屈指の大炎上だろと思いソースを辿ってもそれらしいものはなし
そこで更問いすると
2025年2月の赤いきつねCM炎上騒動を受け、総務省はデジタル広告市場の健全化に向けた法整備を加速している。現行の「電気通信事業法」第4条に基づく自主規制から、より強制力のある規制体系への移行が検討されている。主要な論点として:
従来の自主審査体制から、プラットフォーム事業者に対する法的審査義務の導入が提案されている。特に「性的表現の程度測定AI」の実装が義務付けられる方向で、感情分析アルゴリズムの透明度開示要件が付帯する[2][5]。
広告公開前のリスク評価を義務付ける「デジタル広告安全評価書」制度が検討中。評価項目には:
が含まれ、総合スコアが基準値を下回った場合、修正命令が発動される仕組み[2][3]。
炎上発生時の対応責任をXなどのSNS事業者に課す「デジタル広告緊急対応法(仮称)」の骨子案が提示されている。主要条項として:
が盛り込まれている[2][5]。
東京都青少年健全育成条例の2025年度改正案では、デジタル広告規制が新たに追加される。主な改正点:
- **年齢認証強化**
アニメキャラクターの年齢設定が不明確な広告に対し、18歳未満視聴制限の義務付け。技術的措置として:
- 瞳孔反応追跡による感情年齢判定
が検討されている[1][4]。
性的描写の判断基準を「肌露出面積比率」「瞳孔拡大率」「頬赤色度(RGB値)」など計量可能な指標で定義。特に頬の赤みに関し、HSV色空間におけるH値30-40度を「過度な興奮表現」と規定する技術基準が注目される[1][5]。
日本広告業協会(JAAA)は2025年3月、新ガイドライン「デジタル広告倫理行動憲章」を発表。従来の倫理綱領[2]を次の3原則で再編:
1. **予防原則**
(AI予測モデル「FlamePredictor v3.2」採用)
2. **透明性原則**
アニメ制作過程の開示義務(原画・脚本・音声データの3次元時系列ログ保存)
3. **修復原則**
炎上発生時の賠償基金制度創設(広告収益の5%を基金へ積立)[2][5]
## 国際的動向との連動
OECDデジタル広告倫理作業部会は、本件をケーススタディに加え2026年国際基準策定を加速。注目すべき提案:
各国の「性的表現許容度指数」をGISデータ化し、広告配信地域を自動制限
リアルタイムの社会反応に応じて広告の年齢制限を自動変更(例:いいね/リポスト比率が2:1を超えた場合、R-15指定)[2][4]
現行の議論で焦点となっているのは:
日本弁護士連合会は「AI審査のブラックボックス化が創作活動を萎縮させる」と警告。審査アルゴリズムのソースコード開示を求める意見書を提出[2][5]。
広告差し止め権限を巡り、総務省と法務省の管轄争いが表面化。憲法21条の「検閲禁止」規定との整合性が最大の論点[1][3]。
非実在型炎上による風評被害を「精神的苦痛」と認定する最高裁判例の必要性が指摘されている[4][5]。
## 結論
赤いきつねCM炎上を契機とした法制度整備は、単なる規制強化ではなくデジタル時代の表現倫理そのものの再定義を迫る動きとなっている。今後の課題として、①AI審査の透明性確保、②国際基準との調和、③創作活動の保護メカニズムの構築が急務である。2025年度末を目処に開催予定の「デジタル表現サミット」では、これらの論点が本格的に議論される見通しだ[2][3][5]。
表自が許されるのは大学生までだと思うよ
俺にも表自やってる友人が何人かいたけどみんな社会人になる頃にはちゃんと卒業していたよ
脱衣麻雀のCMごときで騒いでいるおじさんはみっともないことしてないでちゃんと自分の人生を生きる努力をしたほうがいいと思う
大体、あの脱衣麻雀ソシャゲのCMの絵柄って完全に男性向けの絵柄だよね?
一人暮らし始めたばかりの男性に「受験の息抜きにギャンブルはどうですか?」って宣伝しているCMなわけでしょ?
あれを女向けだと解釈している人はどんだけ歳いってんの?
少なくとも2000年以降に生まれた世代であれを女性向けだと解釈する人はいないと思う
まともに社会運動として表現の自由を研究している人はいいと思うよ
でもいい歳して表自やっている人は本当にそろそろいい加減にしたほうがいい
みんな絡まれるとうるさいから黙っているだけで一般的な男性の大半は表自のことを嫌っているからね?
企業様に迷惑をかけてイラストレーターさんに迷惑をかけて、場合によっては何の罪もない男性を名誉フェミだと罵ってそれで社会的に良いことをしていると本当に思ってるの?
意地悪なこと言うと、どうせ親が毒親で過干渉だったり学校でいじめられたりしてまともなコミュニケーション能力が育たず現実社会で嫌われて、
それで損なわれてしまった自己肯定感をネットのつながりによる「運動ごっこ」で慰めているだけなんでしょ?
だって表自のやってることって「おいおい!〇〇さんがこんなことしちゃうのかァ!よくないと思いまァす!」とか「〇〇っち泣かせるなんてひでーよ!みんなもそう思うだろ!?」とかああいううざい男子の仕草そのまんまじゃん
どうせ学校でできなかったカースト上位の男子の振る舞いを大人になってからもう一度やってみたいってだけの話なんでしょ?
頼むから表自さんは精神科言ってカウンセリングを受けてください
このままだと男全体の株が下がってかえって女尊男卑が加速するよ
うんうん、どっちとも完全に同意するわ
まあアンフェのなりすましだの表自なりすましだのいるのかもしれんけどそれもふくめて、30くらい下の若いバカなやつらの自滅自爆からおれたちは逃げ切れるので、どっちでもい~す。
①曽我部真裕「表現の自由(2)ー性表現」法学教室490号(2021年)78頁
(この前にヘイトスピーチ一般についての意見が並ぶ)『筆者は、一定範囲ではヘイトスピーチの規制も憲法上可能だと考える。ただ、ポルノ作品のおそらく大多数は、性欲を刺激することを目的としており、女性を貶めようとか排除しようというメッセージを発しているものとは理解できず、また製作者にそのような意図もないであろうから、一定のヘイトスピーチ規制を合憲とするのと同じ議論によって「ポルノグラフィ」規制を合憲とすることは困難だろう。』
②『憲法Ⅰ 基本権』(日本評論社、2016年)128頁〔宍戸常寿〕
『またポルノグラフィーについて、ジェンダー構造を再生産するものとの立場から規制を求める動向もあるが、現段階のわが国ではこうした動向は広く支持されているとは言えない』
③市川正人『ケースメソッド憲法 第2版』(日本評論社、2009年)128頁
『なお、フェミニストの中には、ポルノ(女性を搾取され操作されるべき対象として、おとしめるような仕方で描いたもの)がそれ自体助成に対する侮辱・差別の表現であり、女性差別を温存助長するものとして、ポルノに対して法的規制を求める声もあり、注目される。しかし、この論でいけば、ポルノだけでなく、女性の社会的地位を低下させる(あるいは低い地位を永続化させる)ような表現はみな法的に規制できるということになるだろう。だが、表現の自由の基礎にある考え方からすれば、女性差別的な表現には表現で対抗するのが原則であり、ポルノに対して表現活動で対抗するのでは不十分であることの立証が必要である』
はてなブックマークでは表現の自由のジレンマはリバーシ仮説だったと思うよ〜
しばらく前にも何度か、クレーム表現は自由なのか問題が議題として上がったけど、記憶が正しければ確か、ほとんどがリバーシ仮説的な説明が人気コメントになってたと思う
言ってないよ、誰も。
キミらが「キモい」は「内心だから」を盾に、表現の自由を弾圧してきたんだろうが!!
個人で感想を持つのは勝手だが、それを社会正義という名の、絶対思想を気取って、気に食わない表現を世界から消し去ることが表現の自由の弾圧でなかったら、何だというんだよ!?
フィクションは嫌なら見なけりゃいいだけ
言ってない。表現を弾圧したい動機なんてないし、あまつさえ「やめて」なんて。
誤解があるみたいだけど、私たちが求めてるのは、表現規制じゃなく価値観のアップデートだから。
ポスターとか広告とかへのクレームは、絶え間なく続いてきたけれど。
表沙汰になって炎上するのは少数だけ。
だけど、女性の表現を取り下げる要求をしたヒトなんて事実上まったく少ないんじゃないかな。
願わくば視聴者側と製作陣の両方のモラル感覚、何でよろこぶか、何が女らしさか、の価値観がアップデートされて。
いつの間にか、しなくなってくれたら。
踏み越えるかで迷いたくないよ。
という感想ではあるけど、
おっさん目線で見ると近年の女性キャラクター造形たしかに性的強調が激しくて、
音楽における音圧戦争による海苔波形問題みたいになっている気がする。
性的強調レベルで言えばかつてのアダルトゲームのキャラ以上のものがその辺にゴロゴロしている世の中ではある。
② イギリスでは既にZ 世代でもトランスジェンダーの法的な性別変更には慎重な意見の方が多い
③ 当り前だけど、トランス女性は身体男性だというのは事実であって侮辱ではない。
https://www.nytimes.com/2023/02/16/opinion/jk-rowling-transphobia.html
国連特別報告者は、性別と性的指向について意見を述べる女性に対する脅威と脅迫が深く懸念されるとの声明を発表
性自認と性に基づく権利の範囲に関して懸念を表明する人々に対する制限は思想の自由と信念と表現の自由の基本に違反
https://www.bbc.com/japanese/65060990
https://www.bbc.com/japanese/61862354
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7681
検索してプロフィール見て見た感じ、ざっと8割ぐらいが腐女子だった。
自分は日頃から男性(未成年含む)を公開アカウントで性的消費しまくってるくせに、今さらなに被害者ぶってるんだ、こいつら。
二度とコンテンツ産業に関わらせないようにしないといけない。
あの時は本当にひどかった。
実際に存在するかも怪しい「娘」の一言をきっかけに、フェミニスト、腐女子、共産党関係の運動家などがタッグを組んで大暴走。
もちろん、はてな内のサヨクもこれに同調して、上から目線で好き放題規制論をぶっていた。
それだけではない。
赤いきつねという定番商品、アニメという巨大産業がターゲットとなった今回と違って、
ラノベという世間から一段も二段も低く見られているコンテンツが対象だったため、オタク内からも便乗した叩きが続出していた。
ラノベ関係者から見れば、あれはまさに地獄と言っていい状況だっただろう。
最終的には、実際に書店へのラノベ平積み禁止を訴える直接行動なども起こっていたらしい。ひどい話だ。
あれ以来俺は、この国に本当の意味での表現の自由などないと思い知った。
自分が自由でいたいなら、誰かを不自由な生贄に捧げなくてはいけない。そういうシステムがこの社会にはあるのだ。
赤いきつね騒動について、私は「自分はそこまで気にならないけど嫌な人がいるのは分かる」くらいのスタンスだったのだが、周囲を見渡すと私が慕ってる人の中にも問題を全く理解してない人が結構いて、嫌気がさしてしまったので書き殴ります。
フェミとオタクを中心に不毛な言い争いが繰り広げられてる印象の強い問題だけど、多分君たちは敵じゃない。対立する場面はあったとしても、名前だけを見て殴りかかっちゃ駄目だ。個別の問題に目を向けてくれ。落ち着いて聞いてくれ。
まずフェミ(とネット上で呼ばれている人)およびフェミと名乗るほどではないが女性の性的消費にうんざりしている人たちが何故そんなに怒っているか。日頃アニメコンテンツに慣れ親しんでいる人ほど「あれが性的…?」と思ってしまうと思うけど、そういう人はまず「性的」という言葉の意味を捉え直す必要がある。
あの映像は「(女性だけが)過度に性的に表現されている」と批判されているわけだが、「性的」とは何も直接的なエロ表現のことだけではない。「性愛の対象として魅力的に感じること」、もう少し噛み砕いて言うと、「女の子を女の子らしく可愛く描くこと」も広く「性的」と言える。
女性の中には、この「女の子らしく可愛く」を求められることにうんざりしている人が結構いるのだ。
「私たちは都合のいい可愛い生き物じゃない。ちゃんと人間として見てくれ」と。
頬染め、耳かけ、潤んだ目、口元の描写と、様々な点が指摘されているが、そういうアイコン化されて現実からかけ離れた「可愛い女の子像」にうんざりしているのだ。
尚、あれがフェラみたいだとか言っている人については、それは正直どうかとは思う。
けれど同時に、それくらい口汚く罵りたくなるほど性的な目で見られることに嫌悪感を抱く人がいることも忘れてはならないし、その背景からも目を背けてはならない。
男性諸君には想像もつかないかもしれないが、女性というのは生きているだけで本当に性的な目を向けられ続けるのだ。
私なんかはかなり平和に生きられている方だと思うが、それでも男性多数のコミュニティにいた時には、私の本当になんでもないほんのちょっとした言動をAVやエロ漫画のシチュエーションに結びつけて、嘲笑の的にされるようなことは頻繁にあった。私ですらそうなのだ。
どうしてか性的な目を向けられやすい人とは残念ながら存在するので、酷い人はそれはもう想像を絶するほどに酷い目に遭ってきたのだと思う。そういう背景を持つ人たちから半ば反射的に飛び出す罵詈雑言を、言葉尻だけを捉えて批判するようなことはしたくない。
ヒステリックに過剰反応してしまってる人も確かにいると思う。でも逆に「その反応も仕方ないほど傷つけられてきたのだとしたら?」と想像すると、とてもいたたまれない気持ちになる。
あの映像を見ただけであれだけ怒っているのだと思っているなら、確かに「ちょっとおかしいんじゃないの?」と感じてしまうだろう。
でも彼女たちはずっとずっと女として生きているだけで嫌な思いを積み重ねてきたのだ。
「ちょっとおかしいんじゃないの?」を彼女たちにぶつけてしまう前に、一旦立ち止まって考えてほしい。
「どうして彼女たちはたったあれだけのことでこんなに怒らなければならなくなってしまったんだろう?」と。
あの映像は「目の保養」としてはよくできていたと思う。ドラマを観て涙ぐみながらうどんを啜る女の子は可愛い。でもそれは、主人公の女の子を鑑賞物として見てしまっているということでもあるのだ。
「あれは可愛い女の子を見て楽しむものだろう。それの何が悪い」と思う人がいるかもしれない。
言いたいことは分かるし、そういう楽しみ方をする人がいてもいいと思う。
では何故炎上したかと言うと、あの映像がCMであり、CMのターゲット・コンセプトと作画・演出がミスマッチを起こしていたからだろう。
あれが人気アニメのキャラを主人公にした映像だったら、全く同じ演出でも多分あんなに炎上しなかったと思う。それならCMのターゲットはそのアニメのファンであることは明確であり、主人公が「鑑賞対象」として楽しむために作られたものだということが理解できるからだ。
しかし、無名の男性主人公/女性主人公の映像が制作されたところを見ると、ターゲットはそれぞれ広く一般的な男性/一般的な女性と見るのが妥当だろう。
そして、両者とも日常的なシーンを描いていたことから、顧客の共感を呼ぶことで購買意欲を刺激することを狙ったのだろうと考えられる。
しかし、肝心の女性主人公が現実の女性とはかけ離れていて、共感できる対象ではなかったのだ。
ゴリゴリにジェンダーバイアスのかかったステレオタイプのシチュエーションで、キラキラの目と紅い頬の可愛さの強調された絵柄、フェチ仕草として擦られまくった耳かけポーズ。
自己投影の対象として作られたであろう「一般的な女性」であるキャラクターがここまで性的魅力を強調して描かれていれば、「こんなんじゃねえわ」と思って当然だし、自分に性的な目を向けられているような嫌悪感を覚えるのも無理ないだろう。
さらにこの件では、男性と女性の描かれ方の非対称性が顕著に現れていたことも問題だった。
男性は比較的リアルな作画だったのに対して、女性はいわゆる「萌え絵」と呼ばれる、消費の対象であるコンテンツとして培われてきたイラストの表現手法で描かれていた。
逆に男性側も「女性好みのキラキライケメン」として描かれていたならここまで大きな問題にはならなかっただろうが、男女の扱いに差を作ってしまったことで、そのまま社会における男女の扱いの差を投影してしまったのだ。
作画監督が違うんだから絵柄が違うのは当然だ、という指摘が多いが、よほど興味のある人でない限り監督が誰がなんて調べないし、苦言を呈す側がそこまでの注意を払う必要はないと思う。そもそも同じシリーズとしてセットで公開された映像なのだから比較されるのは当然のことだ。
消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。けれど、あの映像における女性主人公は「消費者の代表」として捉えられても全くおかしくない存在であり、それを性的に描いてしまったのだから、不快感を持つ人はいて当然だと思う。
意地悪な解釈をすると、それは「カップうどん食べてる女の子ってちょっとエッチで可愛いよね」というカップうどんメーカーからのメッセージとも取れる表現であって、「おまえら消費者をそんな目で見てたのかふざけんな」と批判されても仕方のないことなのだ。
それと誤解されがちだけど、女性を性的に消費するのは何も男性だけではない。女性もまた女性を性的に消費しているのだ。
女性アイドルにも必ず一定数の女性ファンがいることを見れば明らかだろう。女にとっても可愛いものは可愛い。
だからあの映像の監督が女性であることは何も不思議なことではない。「可愛い女性」の描き方に慣れ過ぎて手癖同然に女の子を可愛く(性的に誇張して)描いてしまったのか、クライアントから「もっと可愛くして」と要望を受けたのかは分からないが、女性が「アイコン化された可愛い女の子」を描くのも別に普通のことだ。
繰り返すが、消費の対象として作られたコンテンツを消費することは何も悪いことではない。ただ、コンテンツを通して現実に生きる女性に性的な眼差しが向けられてしまった時(あるいはそう捉えられる表現がされていた時)、それは時として加害性を伴うのだ。怒って当然だ。
ただし、もし監督個人を攻撃している人がいたら、それは今すぐやめろ。
生み出したものへの責任は背負う必要があるので、作品そのものが批判されるのは致し方のないことだ。でも人格までを否定する権利は誰にもない。
ひとつひとつは大した内容じゃなかったとしても、あなたが発したのがたったひと言だったとしても、今彼女には膨大な量の批判を一人で引き受けている。
きっと怖いなんてもんじゃないだろう。世界の全てが敵になったように感じるだろう。
言葉の向こうに人間がいることを忘れてはならない。あなたの言葉が背中を押してしまうかもしれない。
(そして個人的なお願いだが、作品の批判をする場合でも可能な限り言葉は選んでほしい。批判されるのは致し方ないことだけど、自分の生み出した作品が否定されるのは結構メンタルにくるものだから。)
「ああいう表現嫌い」は許されたとしても、人格を否定するようなことは言っちゃ駄目だろ。
そういう人として許されないラインを超えた発言をしてると誰にも話を聞いてもらえなくなるぞ。
ここまで読んでもあの映像がそこまで問題だと思えない人もいるかもしれないが、それは別に悪いことではない。誰が何を感じようと自由だ。(私自身も、あの映像自体にそこまで嫌悪感は抱いていない。)
しかし「嫌だ」と思う人がいる事実を曲げてはならない。「嫌だ」だと感じるのだって自由だ。「嫌だ」と思ったなら「やめて」だって言うべきだと思う。
「嫌だ」は自由だけど「やめて」を言う権利は誰にもない、みたいな主張も見かけたけど、そんな馬鹿なことはない。
「嫌だ」も「やめて」もそれを受け入れてもらえるかは別の話というだけであって、言う権利は誰にだってある。
「嫌だ」という人に「嫌だって言う方がおかしい」というような言葉を投げかけるのは人格の否定であって、それがどれだけ暴力的なことか理解してほしい。
(こういう話をすると「自分は色々我慢してるのに!嫌だと言う奴は我儘だ!」と言う人が必ず現れるが、それはあなたがもっと自分のことを大事にした方がいい。嫌なことがあるなら「嫌だ」って言わないと気づいてもらえないから。どんどん口に出して自分を守ってほしい。)
同時に「嫌だと思わない奴はおかしい」もやめた方がいい。
あなたがどれだけ嫌な思いをしていようと、他者の感情を制御することは誰にもできない。「嫌だ」と思う人にできるのは、「嫌だ」と声を上げ続けることだけなのだ。
そして嫌だと思わない人も、できるだけ「あなたは嫌なんだね。そういう人もいるんだね」と受け止めてほしい。「(自分はそうは思わないけど)」でも構わないから。
(紛らわしいけど、「嫌だと思う人がいることを理解できないのはおかしい」は言ってもいいと思う。そういう人は目の前にいる人の存在を無視しているわけだから、胸ぐら掴んででも視界に入れてやらなきゃいけない。)
フェミの話が長くなってしまったけど、ここからはオタクの話もしたいと思う。
ジェンダー観が問題になり広告が炎上する事態はもう何度も繰り返されてきたが、そこにアニメ・漫画コンテンツが関わる場合、必ずオタクがフェミ叩きを始める。
オタクは何をそんなに怒っているのだろうか。
これは主観だが、オタクは長く日陰に追いやられてきた悲しい歴史からか、自分のテリトリーが侵されることに強い拒否反応を示す人が多いように思う。
アニメ・漫画コンテンツは自分たちのテリトリーであり、それを使って表現された広告が批判に遭い、取り下げられることが受け入れられない。「表現の自由」を大義名分に掲げて暴走してしまうのだ。
こういう人たちにまず理解してほしいのが、エンタメコンテンツとして制作されたアニメーションと、広告のクリエイティブとしてのアニメーションの役割の違いだ。
エンタメコンテンツは、コンテンツそれ自体を楽しむためのものであり、好きな人だけが見ればいいものだ。分かりやすく言うと、「嫌なら見るな」が通じる。
商業作品であれば商売としてとして成立させる必要はあるものの、表現の自由は限りなく完全に近い状態で認められるべきものだと思う(適切なゾーニングは必要だが)。
この「(適切なゾーニングは必要だが)」が重要で、今回の件で「頬染めが駄目なら女の好きなBL作品だって駄目じゃないか」みたいな反論をいくつか見かけたが、それ本気で言ってるのか?全く反論になってない。
BLはBLというジャンルに隔離して好きな人だけで楽しんでいるものであり、概ね正しくゾーニングされている状態なので問題ない。嫌いな人も多いだろうか、嫌な人が視界に入れないことができる状態だ。(「絵本の隣にBLが置いてある」みたいなのはマジで早急に改善してくれ。)
例えどんな非人道的な表現であろうと、表現すること自体は限りなく自由であるべきだと思う。
発信した内容には責任が伴うことも忘れてはならないし、この先ゾーニングが厳しくなっていく可能性は十分にあるが、表現することそれ自体は自由だ。
一方で広告の役割は、エンタメコンテンツのそれとは明確に違う。
広告は不特定多数の人に見てもらって商品をPRするものなので、まず第一に、「嫌なら見るな」が通じない。
広告とは頭下げてでも見てもらいたいものだし、隙あらば視界に入ってこようとするものだ。
だから好きな人だけが見ればいいエンタメコンテンツと比べて表現には気を遣う必要があって、企業や商品のイメージを損なう恐れのある表現は避けなければならない。
広告の目標とは、商品のイメージアップや売上アップなど色々あるわけだが、とにかくその広告によってそれぞれ目標が設定されている。
そして目標があるということは、つまり明確な「成功/失敗」があるということだ。設定した目標が達成できれば成功、できなければ失敗だ。
ここの区別がつかない人が結構多い印象なのだが、炎上の理由に正当性があろうとなかろうと、広告が「失敗」と判断されれば、その広告の早期終了や取り下げもやむを得ないことだ。
オタクたちに理解してほしいのだが、広告の取り下げが起ころうと、表現の自由が侵されたわけでは決してないので安心してほしい。それは「表現規制」などではなく、業績への悪影響を考慮した「経営判断」だから。
そして広告の失敗がダイレクトに売上に影響してしまう以上、企業がその表現内容について慎重にならざるを得ないのは理解できるだろう。
仮にこの先ガチガチに配慮された表現の広告クリエイティブしか作られなくなっていったとしても、それを「表現規制」と呼ばないでほしい。ただの「経営判断」だから。
過去の炎上案件の中には理不尽な炎上もあったと思うし、適切とは思えない取り下げもあったと思う。
同じような構図の炎上に見えても、それぞれ別の問題であって、フェミの主張もそれぞれ違う。その中には正当性のあるものもないものもある。
「フェミ」というラベルだけを見て叩かないでほしい。ちゃんと彼女たちの抱える痛みに目を向けて、その上で判断してほしい。
これはフェミのために言っているわけではなく、オタクのテリトリーを守るためにも必要なことだ。
「表現の自由」という強すぎる言葉を盾に痛みを抱える人の主張を蹴散らしていては、いつかはその大事な盾を取り上げられてしまうだろう。
違法でないのをいいことに迷惑行為を行う人にならないでほしい。
例えルールの範囲内だったとしても、それが誰かを傷つける内容であればちゃんと自分たち自身で「ノー」が出せる人であってくれ。
自由が許されているうちに変わってくれ。
受け入れなくていい。でも相手の主張を無視したり馬鹿にするのではなく、「好きなものをそんな風に言われるのは辛い。好きな気持ちを否定しないでほしい」とちゃんと自分の思いを言葉で伝えてほしい。
今の状態だと正直、オタクはフェミ叩きをしたいだけに見えてしまう。でも本当は違うんじゃないか?守りたいものがあるんじゃないか?それを言ってくれないと分からない。
揚げ足取りの口喧嘩で言い負かしたところで相手の内面は変えられない。それではオタクコンテンツへのヘイトが溜まる一方だ。
取り留めのない話を長々とここまで書いてしまったけど、フェミとオタクは対立する場面は多いが、本来は互いに協力して「配慮と自由を両立するにはどうすればいいか」を探っていかなければならない相手だと思う。
フェミにもオタクにも悪いところはある。人としての一線を超えている人も両者に散見される。
けれど相手は「フェミ」じゃない。「オタク」じゃない。人間だ。
人間をやめないでくれ。
きっと未来永劫叶わないことだけど、互いの大切なものが対立したときに、殴り合いではなく議論で解決策を見つけられる人間ばかりになってほしい。
もう不毛な争いは見たくない。
男性向けのアダルトコンテンツ(エロ漫画、AV、深夜アニメなど)は完全禁止。
ただし、女性向けのBL、レディコミ、TLなどは一切規制されない。
男性クリエイターは失業し、表現の場を海外に求めるようになる。
「女性が消費する性的表現だけが許される」という矛盾に反発する男性が増加。
逆に、女性による売春(パパ活など)は合法化され、非課税で保護。
これにより、男性は女性と関わるリスクを極端に恐れるようになり、社会から孤立。
女性向けの補助金や支援制度が充実し、男性は一切の支援から除外。
男性のホームレスや失業者が急増し、社会的に「女性に従属すること」が生き残る唯一の手段となる。
「男性は女性に奉仕する存在」とする思想が社会に浸透し、教育でもその価値観が強化される。
男性の賃金は女性の半分以下に設定され、経済的に自立できなくなる。
結婚制度は「男性が女性を養う」のではなく、「男性が女性に尽くす」形に変化。
男性に対するDV・ハラスメントが横行するが、法的に一切問題視されない。
日本に残った男性は「男性は不要」という社会的圧力の中で生きることを強いられる。
社会には「フェミニスト上級国民」と「男性の奴隷階級」が固定化され、身分制度のようになる。
若い男性の間で「どうせ生きる価値がない」と考え、犯罪や自殺が激増。
女性が支配する社会ではあるが、「支配する対象(男性)」が減少し、システムそのものが持続不可能になる。
外国資本が日本の企業や土地を買収し、日本経済は完全に外国依存に。
一部の男性が耐えきれず、反乱を起こす。
極端なフェミニスト支配に反発する勢力が武装蜂起し、国家が内戦状態に突入。
労働力不足のため、大量の移民が流入し、日本は実質的に外国勢力の支配下に。
経済的に破綻し、日本は「かつて存在した国」として歴史の教科書に載ることになる。
「男性を完全に支配し、女性が上位に君臨する社会」が実現すると、一時的には女性の権利が極端に強化されるが、長期的には社会の機能不全が起こり、最終的には経済・人口・国力の低下で国家が破綻する。
日本の歴史が続くためには、バランスの取れた政策が不可欠であり、極端な男女不平等はどちらの方向でも社会を崩壊へと導くことになる。(出力終わり)
…と、の事。これで映画一本撮れそう。
赤いきつねのCMのアニメ表現としての観点がどうこうと言ってる軟弱者に告ぐ。
ツイフェミに顕著なんだけど、最近のフェミニスト、特にラディカルフェミニストを自称する人々が増えてる。こいつらはだいたい性嫌悪的でもある。
ラディカルとは「フェミニズムは男性も解放する」的なリベラルフェミニストと対義語で、特に女性は抑圧され苦しめられており女性が解放されるべき他は二の次みたいな考え。
学術的には違うかもしれないがTwitterフェミ論壇ではこう定義される。女性解放以外は興味ないので、ゲイ男性やトランス女性などに攻撃的。
そして風俗、AVなど女性のセックスが売り物となる現場は絶対的な女性への加害で暴力だから存在自体をなくすべきと主張する。買春男性だけを処罰して売春女性は福祉に繋げる「北欧モデル」が信奉対象になっている。
その射程をグラビアやテレビ、漫画、アニメなどに広げる者も多く、先日の赤いきつねを燃やしてたのもこの層。
ラディカルフェミニストはリベラルフェミニスト的態度は女性を守れない欺瞞扱いし、闘争することを選んだ人々なので表現の自由などもちろん通用しない。内心の自由すら否定する過激層もいる。
女性フェミニストのなかでもセックスワークイズワーク、性表現もビジネスで表現みたいなのはリベフェミ的なのでこれも敵のなかの敵と思ってる。よってセックスポジティブを掲げてナイトワークを守ろうとして立憲から出馬した要友紀子さんなんかはめちゃくちゃ攻撃されてる。
たまに「フェミは○○には声を上げずに××を叩く」などと言うバカがいるが、これはキーワードでちゃんと検索してない情弱を晒してるに等しく、現実はラディフェミは日本で話題になるすべての事象に対して女性差別だと激怒してツイートを連発している。ラディフェミは連帯感も凄いのでフォロワーが万単位いて数千いいねもザラ。
ちなみにゲイ男性やトランス女性に攻撃的と先述した通り、ポリティカルコレクトスもラディフェミは信じていない。
体面を気にする人々が軟弱な自由主義や正義を掲げてる今にもラディカルフェミニストは男を断種せよと叫んでいる。
男児を出産したラディフェミが男児擁護をしてラディフェミに叩かれてラディフェミ引退も定番。
ミサンドリーを悪とは考えないので、「ミサンドリーを楽しめるフィクションをもっと作ってほしい」という声を挙げ続ける者も多い。
男女間のセックスはほとんどの場合、女性へのレイプという派閥も強い。反出生主義も多い。闘いの果てに人類の滅びをも躊躇わない、いや、人類などという男性も入るくくりを守ることよりも、彼女らの信じる女性の尊厳ただそれだけを守るために闘うことを至上とし、人類は女性の下位概念であるという宇宙の真理を伝達する態度こそがラディカルフェミニストなのである。
これらはもちろん釣り合いがとれている。古代ローマやギリシャの時代から20世紀半ばまで男性は男性だけが権利ある人間と定めてきた歴史があまりに長く、長すぎたからだ。
自由意志やら愚行権やら表現方法やらゾーニングやらを未だに信じてそのレベルで物事を語ってる軟弱者の遥か先をいってるのがフェミニズムの現在地点なのだ。
いわゆる「表現の自由戦士」と毎回バトルしている人は本当に偉いと思います。私は
・局部さえ隠せば「全年齢向け」なのだから、その点さえ守っていればあとは全て嫌だという者の感想であり、批判すること自体が「表現の自由」の侵害である
(……それはアダルト媒体向けか否かの違いであって、公共の場にふさわしいか否かとか、嫌か嫌でないかは別の議論では?)
・VTuberは実在女性そのものであり、その言論はリアル女性と等価である
とリアル知人に言われ、大変申し訳ないのですが早々に議論から脱落しました。
その件を除けばいい人たちなので失いたくなかったというのもあるのですが、正直に言うと自分が狂っているのかもしれないと思えてきたからです。
あれから十年前後が経ち、オタク層ではない一般世界にも混乱が広がっていますが、当時の仲間ともっとレスバトルして可視化しておけばこの惨状は少しでも防げたのかもしれないと、弱い自分を責めています。