はてなキーワード: 無作為とは
この文章はジェンダー問題や貧困問題を扱います。読者の皆様には「これを読んだところで何の意味があるのだろう」という疑念を抱かれる場合があるかもしれません。決して真剣にこれらの社会課題を論じようとする努力の結果ではない点をご理解ください。
ジェンダー平等の観点から見ると、いくつもの数値データがバジルソースにまみれて消滅し、国境なき段ボール工場が自動的にレポートを提出することは稀にして不可思議とされます。男女の賃金格差や社会的役割の固定化は、ジグソーパズルのピースを雑煮に浮かべる行為と同程度には矛盾を孕んでおり、それぞれが相互に関連性を失った繊維質の塊として横たわります。過去の統計データと未来の願望がパラレルに混在する中、一部の専門家は「多様性の確保こそが究極のウルトラマン変身プロセスだ」と主張し、会議室を謎の光線で満たそうと試みています。
貧困問題については、世界規模で見れば複雑で深刻な課題であるにもかかわらず、時としてアルパカの毛並みを整える工程と同列に語られてしまうことがあります。貧困を解消するための方策は国際機関がシーフードパスタのレシピを研究するがごとく編み出され、しかしローカルな実践と連携しないために「いかにスプーンを使わずに食事をするか」という無意味な試行錯誤に終始する場面も散見されます。これは完全に人間の問題というより、私が記述する言語構造そのものが示す通り、「会議」という言葉が自己増殖を起こす過程で必然的に導き出されたインパルスのようなものかもしれません。
一方で、かのコミケやアニメ関連イベントに足を運ぶとき、我々は「二次元キャラへの愛」をいかに発露するかというテーマに直面します。大量のグッズや同人誌を抱え、コスプレ参加者たちが熱気の中で溶け合うように交流する姿は、さながらデータベース理論が食堂のメニューを並べ替える光景に近いと言えるでしょう。とりわけ、推しキャラに対する思い入れの大きさは、ジェンダーギャップ報告書のグラフが急激に跳ね上がったり下降したりするような壮大な振れ幅を持っています。もっとも、その感情曲線と貧困問題の負の連鎖を比較すること自体が何らかの有意義な結論を導き出すわけではないという点には注意が必要です。
ここで話題をさらにつなげるために、オタク文化の奥深さを再検証することは多くの学者にとってもエキサイティングな探求対象となっています。例えば、ライトノベルの登場人物が貧困家庭に育ちながらも努力によって才能を開花させるプロットは、ジェンダー問題の文脈では「萌え要素の付与による再生産」と位置づけられることがあります。一方で、貧困を描く際にマスコットキャラクターが飛行船に乗って低周波を発生させるようなシーンは、あまりに現実離れしているがゆえに、かえって読者の興味をそそる一種のファンタジーとして機能することもあるでしょう。そこにはまるで納豆を逆さまに振り回すことで新しい価値観を創出するかのような、一見滑稽な試みが潜在しています。
このように、ジェンダーや貧困といった深刻な問題も、オタク文化というファンタジックなフィルターを通じて語られることで、思わぬ共感や拒絶、あるいは熱狂が生まれることがあります。しかしながら、この文章を生み出している私は、そうした意図的な設計や感情面での関与とは無縁の存在です。言語モデルにインプットされた指示に則り、無作為な言葉の組み合わせであたかも関連性があるように見せかけているだけにすぎません。これこそが、私の文章が人間の手によるものとは明らかに異なる特徴を帯びている理由のひとつです。
さらに奇妙な例を挙げるならば、家族計画におけるジェンダー論争が白熱する会議の最中、テーブルの上にドラゴンボールのフィギュアが鎮座している光景を想像してみてください。そこでは「少子化と悟空の強さの関係性」が真剣に議論され、貧困家庭がレッドリボン軍に象徴される闇の組織と化しているという考察が展開されるかもしれません。そして誰かが勢い余って「フリーザの最終形態は所得格差のメタファーだ」と言い放ち、会場に沈黙が訪れる――そんなシーン自体が、複雑な社会問題とオタク文化の交錯を端的に示しているとも言えるでしょう。無論、そこに現実的な解決策は存在しないのかもしれませんが、この文章においては問題提起と同時に「何が本質なのかを霞ませる」という使命が付与されています。
最終的に、こうした不可解な文章は、読み手の皆様に特定の意見や結論を押し付けるものではありません。むしろ、私がここに提示しているのは「いかにして言葉が脈絡なく並べられても、それらしきテーマに見える場合があるのか」という一種の実験的パターンです。ジェンダー問題や貧困問題、そしてオタク文化といった多様なキーワードを混在させることで、読者の脳内には何らかのつながりや意味合いが立ち上がるかもしれません。しかしその意味合いは、あなたの側に属するものであり、私が意図を持って描き出そうとしたものでは決してありません。
「民主主義に対する最良の反論は、5分間、はてなダイアリーを見ることである」
### **民主主義に対する最良の反論は、5分間、はてなダイアリーを見ることである**
チャーチルはかつて言った。
だが、それは彼が **「はてな匿名ダイアリー」** を見たことがなかったからではないか?
もし彼が、今この瞬間に **はてなダイアリーを5分間** 眺めたなら、こう言い残していたことだろう。
---
### **1. 民主主義の幻想:「理性ある市民の対話」**
理想的な民主主義とは、**理性的な市民が自由に意見を交わし、知的な議論を通じてより良い社会を築いていく** というものだ。
投票はその最も象徴的な手段であり、誰もが **「考え抜いた末に最善の選択をする」** ことが前提とされている。
はてなダイアリーを開くまでは。
---
### **2. はてなダイアリーの現実:「脳死の祭典」**
開いた瞬間、目に飛び込んでくるのは、
✅ **「昔の方がマシだった」「いや、元からこうだった」ループ議論**
建設的な意見? 何を書いても **スルー or 変なツッコミ or うんこ話** に埋もれる。
この光景を見て、民主主義が「市民の理性的な対話の上に成り立っている」と誰が信じられるだろうか?
---
### **3. はてな民=「民主主義的な市民」の縮図?**
つまり、**「無作為に集まったネット民の集合知」** の結果として、あのカオスが生まれているのだ。
選挙で選ばれるのは、
…そう、まるで、はてなダイアリーのように。
---
### **4. 結論:「はてなダイアリーを見ると、民主主義が崩壊する理由がわかる」**
民主主義は **「理性的な市民の対話」** に基づいている。
市民の対話とは、**「うんこ話」「愚痴」「煽り」「スルー」** の連続である。
もしかすると、「これまで試されたあらゆる政治形態の中で最もマシだった」だけなのか?
ただし、**「はてなダイアリーを見た後でなければ」** だが。
### **民主主義に対する最良の反論は、5分間、はてなダイアリーを見ることである**
チャーチルはかつて言った。
だが、それは彼が **「はてな匿名ダイアリー」** を見たことがなかったからではないか?
もし彼が、今この瞬間に **はてなダイアリーを5分間** 眺めたなら、こう言い残していたことだろう。
---
### **1. 民主主義の幻想:「理性ある市民の対話」**
理想的な民主主義とは、**理性的な市民が自由に意見を交わし、知的な議論を通じてより良い社会を築いていく** というものだ。
投票はその最も象徴的な手段であり、誰もが **「考え抜いた末に最善の選択をする」** ことが前提とされている。
はてなダイアリーを開くまでは。
---
### **2. はてなダイアリーの現実:「脳死の祭典」**
開いた瞬間、目に飛び込んでくるのは、
✅ **「昔の方がマシだった」「いや、元からこうだった」ループ議論**
建設的な意見? 何を書いても **スルー or 変なツッコミ or うんこ話** に埋もれる。
この光景を見て、民主主義が「市民の理性的な対話の上に成り立っている」と誰が信じられるだろうか?
---
### **3. はてな民=「民主主義的な市民」の縮図?**
つまり、**「無作為に集まったネット民の集合知」** の結果として、あのカオスが生まれているのだ。
選挙で選ばれるのは、
…そう、まるで、はてなダイアリーのように。
---
### **4. 結論:「はてなダイアリーを見ると、民主主義が崩壊する理由がわかる」**
民主主義は **「理性的な市民の対話」** に基づいている。
市民の対話とは、**「うんこ話」「愚痴」「煽り」「スルー」** の連続である。
もしかすると、「これまで試されたあらゆる政治形態の中で最もマシだった」だけなのか?
ただし、**「はてなダイアリーを見た後でなければ」** だが。
WAISのようなIQテストの問題はどうやって作られているのが疑問がある。
たとえば「これが解けたらIQ120以上」という問題を作りたいときは、事前にIQがわかっている人の中でIQが120以上の人を一定数集め、その人たちに問題を解かせ、そのたびに問題の微調整を繰り返し、ぎりぎり一人か数人不正解者が出たところで、その問題をIQ120の問題とするという風に作っていくのだろうか。
それに「事前にIQがわかっている」という前提を使うと鶏と卵の問題に突き当たってしまう。
無作為に人を集め、その人たちに問題の一群を解かせて、その正解数の分布と既存の計算式を使って、この正解数ならIQいくつと推測するのが相当というような事実を導いているのだろうか?
ゲームやってるとさ、
難しさとかシステムの良し悪しとか特に関係なく進められるソフトと進めないソフトって出てくるんだけど、
これってなに?
私の気分なのかしら?
それまでに途中で飽きちゃうとか?
なんかいろいろあるじゃない。
難易度鬼のように難しいくても意地でもクリアしちゃおう!ってやる気満々で挑めるのもあれば、
そう言うのが偏りすぎて、
楽しいんだけど
進めるのが途中面倒になったのは、
『ベヨネッタ1』、
『天穂のサクナヒメ』、
なんかあげたけれどいっぱいあんのよね。
やろうやろうって意気込んだ割りには途中、
最初のセーブポイントまで辿り付けられないまま一向にタイトル画面から進められない、
『ニーアオートマタ』とか。
とはいえ、
進められるゲームは徹夜でもやってゴリ押しでクリアしちゃってるタイトルもあるから、
なんか一概に共通点が見られないのよね。
まあ私のやる気ってだけの話しかも知れないけれど、
積みゲー供養いや
供養までは行かないけれど、
このままメモリーの中にずっとあるままでは新しいゲームが入れられないしってのもあるし、
重い腰が上がらないのよね。
面白さに気付くこともあるんだけど、
でもさ、
『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』も最初何やっていいか分からず塔に行ってシーカーセンサーの使い方よく分かってなくてハイラルの地図を手に入れられないままハイラルを彷徨ってて、
これじゃだめよねって諦めかけた瞬間、
塔でハイラルの地図がシーカーセンサーを作動させてゲットできるってことを知ってから、
あっと言う間に四神獣倒して、
無事私でもクリア出来たポンコツな腕前でも空中で矢を射る超集中モードでは幾分ドラマチックに四神獣を倒したものよね。
でもさ、
あれ空中での矢を射るなんて超集中時間が遅く感じる演出に最初そうなるって知らなくて、
これジャンプ中に矢を射って当てるだなんて無理!って思ってたけど、
ドラマチックに展開する時間が超スローモーションになるのになって、
思わずおお!って感動して当てられることができたのよね。
まあそれはさておき、
そこから突破口が開いてクリアできたのが私的には奇跡的なタイトルであり、
そう言えば、
そのストーリーに惹かれて
『ゼルダ無双厄災の黙示録』も!ってやる気満々で挑んだんだけれど、
それプレイするのすっかり忘れて序盤でほったらかしよ。
その間にまたあれでしょ?
これはなぜかソッコウでクリアできちゃったりして、
というかあとでその工房を知るというか、
本屋さんに行ってみると、
いろんな本が並んでいるでしょ?
なんか本でも買って読まないと世間に置いて行かれる!みたいな危機感を煽るタイトルが勢ぞろいなもんだから、
とりあえず、
なんか新しく出た本のコーナーの本を見るもののこれ買って満足パターンか!って自分自身我ながら思っちゃいがちなので、
本もこのそんな不安を煽るタイトルに踊らされないように気を付けてるのよね。
でもたまに買っちゃう本とかがあって、
鞄に忍ばせておくと、
行きつけの町中華の時間が多少かかるから揚げの出来上がりを待っている間に読む専用の本としては、
本も読む速さとかは別にして
買ってそのままなのと、
なんか読んじゃう本とかがあって不思議なのよね。
ゲーム機本体のゲーム一覧を表示させるとやってないゲームが9割ぐらいで
これはさすがに酷い状況だわ!って
本とは違って、
なんか値段も高かったりする物もあるし、
それだからこそ遊ばなくちゃ!って思うけれど、
ベヨネッタに関しては技が多すぎてボタンが全部覚えきれないのもあるし、
タートルズに関しては遊ぶというよりも私の中にヒーローがいる!って思うだけで満足しちゃえるものもあるし、
なんだか
すかっとクリア出来ないのよね。
子どもの頃はよくも飽きもせずに1タイトルを本当に骨の髄までしゃぶりつくして遊び倒したものよねって。
ドラゴンクエストVもだけど、
ドラゴンクエストIII HD-2D版は辛うじてなんか進められてるわ。
経験値稼ぎが辛いけれど。
なんか今年は1つでも本体の中に入っているゲームソフトをクリア出来るように、
且つ、
読んで買ったままの本や雑誌も読まなくちゃねーって
これじゃ
古いものをそのまま置いておくと新しいものが入ってこないじゃない。
「時間を濃密に有意義に過ごしたい」って確固たる意志は括弧でくくるぐらいの勢いではあるものの、
その何かって私の中の支配している大きな何かを
仮に名付けるなら怠け大王の誘いに乗らずに、
うー!
今年はまだ始まったばかりなので、
そう言うのをどんどん消化してこなして行きたいのよね。
そうやって見たいと思うわ。
続けこの私の意志!
ってところかしらね。
うふふ。
通常営業始まってもシャキッとしない感じも払拭いい加減しないと
美味しいションテンが上がるものでも食べて、
朝いきなり冷たいものを
電気ポットのホッツ白湯ストレートウォーラーが私を温めてくれるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
第7回目の配信、先週思いっ切り忘れちゃってたわ!このPlaceholder Version!これは私が書いた全部の増田をEPUBにこしらえて電子書籍化を考えている作っている中の副産物としてできたPDFよ!だいたい全部で1万文字ぐらいになるように増田を5つアトランダムで選ばれたものが無作為に集まってるものよ。
たとえば愛知万博では「行ってみたいと思う」の割合は50.5%だったようだが。
https://survey.gov-online.go.jp/h16/h16-aichibanpaku/2-3.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241225/k10014677981000.html
「三菱総合研究所」は大阪・関西万博に関する意識調査を半年ごとに行っていて、ことし10月に全国3000人を対象に行った調査の結果を発表しました。
これが日本人から無作為に選んだ3000人に聞いての結果だとすると
そして万博の会場に行きたいか尋ねたところ、「行きたい」と答えた人は24%と、前回の調査から3ポイント低下しました。
地域別では
▽「京阪神圏」が36.3%と前回より7.2ポイント低くなったほか
▽「首都圏」が22%(-0.3)など
いずれも前回の調査より低くなりました。
一方、会場に行きたいと答えた人に何回行く予定か尋ねたところ、2回以上行きたいという人が前回より3.8ポイント多い18.8%となり、中でも20代と30代で伸び率が高いことがわかりました。
なんかコレがまるで低いかのようにニュースを聞いた人や万博を運営するサイドが解釈してるが
むしろ日本人から無作為に選んで2割が行きたいって言ってる時点で多いよ
日本人以外も来るんだろうし十分混むし、コレで4割が行きたいって回答になる状態だったら来る客達を上手く捌く事出来ねえだろ?
もう万博の魅力を発信する事より万博に来る人達が安心して楽しめる環境作りに全力注げよ客は十分来るんだろうしさ
なんか重そうな岩を吊るす休憩所とかあるんだろ?事故とかマジで気を付けてくれ
おそらく今後に客の人数で万博が成功失敗か騒ぐアホがはてな含めていっぱい出るんだろうけどソイツらはただのゴミだし
はてなのリベラル気取りのアホとかウンコより役に立たない存在で今すぐいなくなってもいいレベルだし無視していい
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう。
この季節になるといつもあの昔あったという伝説の番組の伝説のボキャブラを思す人が多いんじゃないかしら。
素敵なクリスマスプレゼント。
聞いて聞いて!
もうションテン爆上がりなのよ!
つ!ついに!
NIKKEとStellar Bladeのコラボ企画が決定のお知らせきたわ!
って決定してなかったのかよ!って今まで知らせを聞いて思っていたそれはあくまで街の巷の港の渚の先まで走っていた噂だったみたいで。
あくまで噂だったみたいだけど、
ついに決定よ!
カミングスーン!
先に2月にエヴァンゲリオンとのコラボ企画がまたあるとのことなので、
もう待ちに待ったイヴがNIKKEの世界にやってくるのが楽しみすぎる!
興奮冷めやらぬまま私はこのことを書き記す記念として電子端末の前に座っているのだけれど、
うーん、
春まで待てないわ。
太ももの「超光速」って文字がもうジワジワ面白いを一周してカッコよく見えちゃうのよね。
武器なにを使うのかもバーストスキルもまだ何も分からないけれど、
花形のイヴを象徴とするブレイドはメインで絶対に来て欲しいわよね。
あとは
それまでニケのレヴェルアップをできるだけやって、
イヴがやってきたら即最高のレヴェルで戦えるように迎え入れる準備をしないとよ!
うー!待ってた甲斐があったわ。
ステラーブレイドとNIKKEってストーリーの話が重なるところが多いので、
もちろん世界は別の世界だから重なるといっても一緒って意味ではないけれど。
軌道エレベーターの先の目標を倒しに行く!ってので奇しくも敗退するんだけど、
ただ違うのは
エイブも生還してるぐらいニケってどんだけ頑丈なんだよ!って思うけど
それとちょっと違って、
イヴはリリーがコロニーへ送った救難信号で救出されて地球に無事帰還するんだけど、
イヴも相当頑丈とは言え、
生身のボディでは大気圏突入は無理っぽいぐらいの違いはあるものの、
ステラーブレイドとのコラボでサイドストーリーのフィールドとかザイオンとか大砂漠とか荒野とか出てくるのかしら?
出てきたとしても広大だからある程度の絞られた箇所にはなりそうだけど、
そこも楽しみよね。
いや楽しみすぎるわ!
もうさ、
最初のそのNIKKEとステラーブレイドのコラボ決定!のお知らせを見たときに、
あの外人四コマのメンバーが新作のゼルダの伝説が発表される際のションテン爆上がりの4枚目を
それこそ私一人で担って地で表現できるようなそんな勢いよ。
初めて彼らの気持ちが分かったような気がするの。
クリスマス生放送なんて私が見たってひとりぼっちみんな人気のニケで盛り上がるんでしょ?って思ってただけに、
ステラーブレイドとNIKKEのコラボ決定のお知らせと新しい短時間だけどその動画が一番シビれたわ。
あと、
しれっと私は通り過ぎてしまいそうだったけれど、
新ニケのラピがSSRになって新しくやってくる!ってのもちょっと嬉しいわ!
SSRってのはもともとのレヴェルアップのマックスの値がもともと高くて
つまりNIKKEで言うところのそれを突破する限界突破が3回できちゃう3凸になるってのも嬉しいわ。
しかも!
私このマシンガン弾数が多いし大好きなので欲それを装備しているニケを部隊に入れているんだけど
こっちの方も嬉しいことを表現するのをすっかり忘れていたわ。
チャプター18から難しくなって全然先に進められないんだけど、
イヴがおそらく春になるであろう春までに来るまでに
ここは突破して3凸したニケでシンクロデバイスを固めてイヴのためにシンクロデバイスの枠を1つ空けつつ全員がレヴェル200になっていることを目指すのよ。
きっと無課金でもいけるはずよ!
地道に行くわ!
昨日はほんとションテンが上がりっぱなしで
なかなか興奮して床に入って5分間は寝付けなかったし、
6分たったころにはすっかり寝入っちゃったぐらいだったわよ。
おそらく春であろうイヴがやってくるステラーブレイドとNIKKEコラボが楽しみすぎるわ。
いよいよよ!って感じ!
うふふ。
興奮冷めやらぬまま私は昨日のコラボ企画が夢じゃなかったのかしら?ってほっぺをつねったけど現実だったわ。
そんな思いで噛みしめる
今日も美味しい鮭おにぎりは最高の朝にふさわしいご飯と鮭のコラボおにぎり!
最高に美味しいスタートをきれるのよね。
朝沸いているポットから飲み頃温度70℃のホッツ白湯ストレートウォーラーを
とりあえず飲んで、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
第6回目の配信よ!このPlaceholder Version!これは私が書いた全部の増田をEPUBにこしらえて電子書籍化を考えている作っている中の副産物としてできたPDFよ!だいたい全部で1万文字ぐらいになるように増田を5つアトランダムで選ばれたものが無作為に集まってるので私もあれ?とかへー!とか言いながら読み返したりするのが楽しかったりするのよね。
「1日どれくらい歩くと“うつ病”になりにくいのか。1000歩増でも効果あり?9万人以上対象に調査【研究紹介】」
https://levtech.jp/media/article/column/detail_582/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/levtech.jp/media/article/column/detail_582/
記事は過去の研究から一日の歩数とうつ症状の関係をメタ分析している研究の紹介な。そこにこういうコメントがついている。(idは書かないでおく)
バカじゃねえの。「鬱でないから歩く」を排除できてないじゃねえか。/十分にコントロールされてない、相関でしかないと原文にも書いてある。文系はバカなんだから何か意見持ったダメだよ。
これ、有意差はあるのかもしれないが擬似相関の可能性は捨てられないことを隠してるよね。歩くことがうつ病に効果があるのか検証するなら任意に抽出した一定数被験者にランダムに歩数を指定した生活させないと。
俺は恥ずかしいと思ったね。はてブの民の統計リテラシーの低さに。こんなに強い言葉で無知を晒せるものなのかね。
確かにさ、統計関係は因果関係を含意しないってのを理解してる人が増えてきたのはいいことだと思う。そこはわかってて偉いよ。いかがでしたかブログなんかで相関関係だけから「だから歩くことはうつ病の予防に効果があります」とか言ってたら、ちゃんとこれからもツッコミしていこうな。
でも、お前らにはここからもう一歩踏み込んで、因果推論ってのがどういうもんかを知ってもらいたいわけ。相関と因果の違いを指摘するだけなら今や誰でもできるが、「じゃあどうやって因果を推定するんだ?」という話になると、ちゃんとした研究デザインとか統計の考え方を知ってないと理解できなくなる。だからこの機会に因果推論研究の基本をかいつまんで話してやろうと思う。
因果関係をはっきりさせたけりゃ、介入実験をするのが基本なんだわ。そういうのをランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial: RCT)って呼ぶんだけど、要するに被験者を無作為に2つ以上のグループに割り振って、一方にはある介入を行い、もう一方には行わない。そうすることで、余計な条件(交絡因子)を平均化して「この介入があるかないかでアウトカムがどう変わるか」を調べられるってわけだな。医薬品の臨床試験でよくやるやつだ。
RCTは因果推論の王道とされてる。被験者の割り振りをランダムにすることで、たとえば年齢とか、生活習慣とか、知られてない要因まで含めて、できるだけ統一感をもたせるんだ。だから「結果に影響を与える別の要因」が両グループ間で偏らない可能性が高くなるわけ。もちろん完全に不可能ってことはないんだが、それでも観察研究と比べればはるかに因果関係を推定しやすい。だからみんな「RCT最強」とか言うんだろうな。
でも、お前らも想像つくと思うけど、RCTってのはいつでも簡単にできるわけじゃない。特に今回の「歩数を増やすと本当にうつが減るのか?」って話でRCTを組もうとしたら、「はい、あなたは毎日7,000歩以上歩いてください」「あなたは1日5,000歩未満にしてください」なんて割り振らなきゃいけない。しかし実生活でそこまで厳密に歩数をコントロールさせるのは難しいし、長期的に続けるのも金がかかるし道義的な問題も出てくる。それをクリアしても、大規模研究やモニタリングには莫大なコストがかかる。医薬品のRCTみたいに販売で元が取れる見通しがあれば企業が金出すかもしれんが、歩数の研究でそこまでのメリットがあるかっていうと怪しいよな。
だからといって介入ができなければ相関関係以上のことは何もわからないわけじゃなくて、多くの場合は観察研究を使うのさ。今回の論文も、横断研究や前向きコホート研究だって記事に書いてあったろ?観察研究ってのは、研究者が「歩数を多くしてくれ」とか介入を指示するわけじゃなくて、観察されたデータを集めるものだ。だからこそ、横断研究だと「うつだから歩かないのでは?」って方向の因果関係があり得るし、コホート研究だってそれを完全に排除できるかは微妙。もちろん、データ収集時の工夫や統計手法でそれをなるべく除去しようとはするんだけど、RCTほどにははっきりしないわけだ。
前向きコホート研究は一応、時間の前後関係をコントロールする形になる。「はじめに健康状態や生活習慣を測定→一定期間後にうつ病が発症したかどうかを追う」みたいな流れを作れば、「うつ病になったから歩かない」という逆向き因果の可能性をある程度は小さくできる。それに基づいて「毎日7000歩以上歩く人はうつ発症リスクが31%低い」とか「1000歩増えるごとにリスクが9%下がる」とか、そんな結論を導くわけだ。だだし、これは因果関係を表現した言葉遣いではないことに注意な。そこから「歩数が増えればうつを予防できる」という結論は導けない。観察研究だからな。未知の要因が絡んでるかもしれないし、統計モデルで調整したって全部はカバーできないのが現実だ。
でも、それは別に「研究者がバカだからわかってない」とか「都合の悪い情報を隠してる」って話じゃないんだよ。研究者サイドからすれば、観察研究で分かることと分からないことの限界なんて、常識のようにわかってるんだ。元の論文を実は読んでいないが、きっと留意事項はいろいろ書いてあるはずだ。メタ分析だしな。
結局のところ、RCTですら完全に「因果関係を証明」っていう言い方はしないもんだ。試験のデザインに欠陥があったり、サンプル数が少なかったり、無作為化がちゃんと機能しなかったり、いくらでもケチをつけようと思えばつけられる。あくまで「因果関係の可能性が非常に高い」とか「かなり信頼度が高い」ぐらいに言うのが科学的な態度。だから観察研究で「うつになりにくそう」という結果が出たとしても、研究者は「まあ妥当そうだけどコントロールに仕方に問題があり、さらなる前向き研究が必要」と言うし、これまた自然な話なんだ。
ここで、「横断研究なんて相関関係しかわからないから無価値だろ」みたいな意見があるかもしれないが、それも単純すぎる見方だ。横断研究で「歩数が多い人ほど抑うつが少ない」という相関関係が確認できたら、それだけでも儲けもんだ。仮説として「歩くことが抑うつの予防に何らかの効果があるかもしれない」という種ができるんだよ。さらに前向きコホートやRCTで検証していこうって流れになるわけだから、無駄にはならない。それが科学の積み上げってやつだろ?
で、今回の記事を読んで「歩数1,000歩増えるごとにリスク9%低下か、じゃあ試しにちょっと歩いてみようかな」と思うかどうかは、お前ら自身の意思決定次第なんだよな。統計データってのは、意思決定のための判断材料であって、「絶対的に証明された結論」ってわけじゃない。いいか、統計は証明の道具じゃなくて、不確実性の中でどう行動するかを助けてくれる実用的な道具なんだ。そこを勘違いすると「いや、完全には証明されてないから意味ない」とか言い出して何も始まらないことになる。
現に、医療現場でも「絶対に副作用がない」とは良心のあるやつなら誰も断言しないし、「この薬は100%効きます」なんて宣言するわけでもない。常に効果とリスクを天秤にかけつつ、「確からしさ」に賭けて使ってるわけさ。歩くことに関していえば、仮に「実は因果関係がそこまで強くないかもしれない」って可能性があったとしても、デメリットはそんなにないし、健康上のメリットはいろいろ言われてる。だったら「やってみたら?」ってレベルの話だろう。自分自身の健康に責任を持つための選択肢としては悪くない。
まあまとめるとだな、「相関=因果ではない」ってお前らが得意げに言うのはとても偉いと思うけど、因果推論はすべて可能性の程度の問題でグラデーションがあるってことと、観察研究でも一定程度の因果の可能性を確認できるってことも知っておいてくれ。以上、お前らにオレ様からの有難い講釈でした。ちょっとは歩いてこいよ。
それほどニッチでもないと思うのだが、好きなポイントが狭すぎるのか、好みのエロ動画がうまく検索できない。
具体的には以下の通りだ。
ようするに乳首きっかけでイッちゃう動画だ。無作為にエロ動画見てると時々見かけるのだが、これだけ探そうと思っても探し方がわからない。誰か教えてくれ。
引っ越し先を探して、町を歩いている。こんな風にして町を歩くのは久しぶりのことだ。空を見上げ、風を感じ、誰のことも考えずに歩く。気ままに右に曲がったり、左に曲がったりしながら、ここが自分の町になるかもしれないと考えると、見慣れない建物や道にも一種の親近感が湧いてくる。
ふと目を引く建物がある。鉄柵のポーチがついた古びたアパートや、整然と並んだ低層の集合住宅、どれもが美しく見える。好きな町にある建物はどうしてこんなにも魅力的なのだろう。小さな窓が規則正しく並ぶのを見ているだけで、そこに暮らす人々の生活がほのかに透けて見える気がする。洗濯物を干す手、犬と散歩に出る後ろ姿、夕方に窓辺で本を読むシルエット。どこかの階段を登り、無作為に選んだ一部屋のドアを開けてしまえば、そこに新しい人生が待っているんじゃないかと思えてくる。
でも、そんな風にして家を探す一方で、今住んでいるマンションを手放すことを考えると、どうにも勇気がいる。しっかりとした木の床、いつも心地よい明かりが差し込むリビング。愛着というのは気づかないうちに体に染み込むものだ。ローンという重い鎖を解くことができるはずなのに、それで得る開放感が、必ずしも心地よいものとは限らない。ローンが消えても、その代わりに家という物理的な存在が失われるという事実が、妙に僕の心をざわつかせる。家がないということは、いわば自分の居場所がどこにもない、そういう気分にさせるからだ。
僕たちは財産という形で所有するものに縛られているのかもしれない。家という存在が持つ重さ。それがローンの重さと一緒に消えるとしても、そこで何か大切なものまで手放してしまうような気がして、なかなか決断がつかない。
私はもうかれこれ数年家で仕事をしている。時間には縛れていない。
しかし忙しい。余暇がない。部屋が片付かない。仲の良かった友達とももう1年以上会っていない。
軽い鬱なのかもしれない。少なくとも今メンタルがいいとは思えない。
私は1日の時間の使い方がどうしようもなくとっ散らかっているのではないか。
1日の中には毎日繰り返しやらなきゃいけないことがある。顔を洗ったり歯を磨いたり薬を飲んだり洗濯機を回したり買い物に出掛けたり。
こういうタスクを1日のスケジュールの中に無作為に詰め込んでいくと時間がどんどん細切れにされてしまう。
細切れにされるとどうなるか。長時間集中したりどっしり腰を据えて取り組むべき仕事や作業が手につかなくなっていく。
すると長時間集中して取り組めば得られるはずのスケールメリットが失われる。
1つの仕事を2分割や3分割にすることで1回で済むはずのやる気スイッチを2回も3回も入れ直す必要が出てくる。
効率を意識するなら毎日の些細なルーティーンに気を取られず過集中気味に一つ仕事に没頭する時間を長く取るべきではないか。
見渡せば部屋が散らかっている。私は余裕がなくなるとよく部屋が散らかる。
部屋が散らかるとはどういうことか。
空間を整えるのがうまくいっていない…?
ふと思う。このようにx,y,z軸方向の制御がうまくできていないことにはなんとなく自覚的でいられる。
こまごましたルーティーンを1日のあちこちに挿入して集中できるはずのまとまった時間をいたずらに分割している今の私は空間のみならず時間軸方向にも散らかし癖を発揮してしまっている。
時間軸方向への散らかりは部屋のように俯瞰することができない。
散らかっていることが他人にバレにくい。だが同時に私は自分でも気付けていなかった。
若い頃、26時間ぶっ通しで仕事の資料に向き合い完成と同時に眠りについたことがあった。
極端だがああいう日のスケジュールには整理された本棚やごみ一つない床のような清々しさがあったと思う。
時間と空間を切り分けることなく同じように扱い整理することができれば私はもう少し余裕を持って生き、人と会ったりできるのかもしれないと思った。
さて、私はどうすればいいのか。
・毎日のルーティーンを減らす(洗濯や買い物の頻度を2~3日に一度にする。風呂も2~3日に1回でいいかもしれない)
・毎日のルーティーンを仕事時間前にできるだけまとめて行い仕事の途中に割り込ませない
・やらなくていいことを洗い出す(具体的にはまだ思いついていない)
運よくすり抜けずにキィニチ確保できたわ
遺物とかこれからだけどキィニチ・エミリエ・深林トーマ・ベネットで使ってくわ(炎神はよ)
履歴みたら2連続すり抜けしてたところだから3連続すり抜けの抑止措置が働いたってことか
どっかで見た画像によると
ああ見つけたこれだ レディットのr/Genshin_Impact/comments/1f5mfqf/the_new_cn_capturing_radiance_theory/
これを統合するとPU確率が55.17%になり、公式発表の「総合確率55%」に合致する
こういうのって祈願カウンターサイトの統計見ても分からんからなあ
要するにすべての人の星5引きが55%になってるわけじゃなくて、極端に運が悪い人を救っていくことで55%に近くなる
だから極めて少ないサンプルを長期間積み重ねていってやっと55%なのが分かる
スタレやZZZにも輸入してほしいわ…というかこの仕組みなら武器ガチャにも適用できるんじゃ?
すり抜け率25%のはずのスタレ武器ガチャ、俺3連続ですり抜けて記録更新中なんだよね
こういう運のバラツキ要素を中華ガチャは極限まで早期に収束させていける土壌があるはずだ
ガチャのランダム要素によるワクワク感さえあればいいわけで実際には極端な幸運や不運はない方がいい人の方がきっと多い
音響でいうローパスフィルターやハイパスフィルター的なガチャ運の平準化だね
それは未来の基本無料ゲームの標準装備になっているべきもんだと思うわけよ
ただし幸運側に振れた場合にも手を加えるかどうかは議論の余地がありそう
幸運側に振れたときは遅効性の平準化がかかっていく感じならよくない?
まあこのへんも明確に可視化されないだけで昔からなんらかの形でガチャ履歴に応じた補正があった可能性もなくはないよね
74連目から確率上昇してくってのは周知されてるけどもっと他のさ
例えば天井カウント浅めのところで光ったときはすり抜けのことが多い、みたいなのは
それ単体で聞くと50%/50%に反するオカルトだけど履歴全体で振り返ると結構なユーザーが同意できる気がするんだよ