はてなキーワード: 本屋とは
俺が小学校の頃、週刊少年ジャンプが何よりの楽しみだった。毎週月曜、学校帰りに本屋にダッシュして、好きな漫画の新刊を手に取るあのワクワク感。今でも忘れられないくらい、大切な思い出だ。特にゾロが大好きでさ。カッコいい技とか、友情とか、熱い展開に何度も心を揺さぶられた。純粋に憧れだったよ。
でもさ、ある日ググったんだよ。中学生の頃かな、ゾロの名前で何か情報ないかなって。そしたら…出てきたのが、気持ち悪いBLの二次創作。しかも猥褻なやつ。マジで目を疑った。原作じゃありえないような下品な状況で、サンジと絡んでる絵とか文章とか。吐き気がした。頭の中ぐちゃぐちゃになって、何が起きてるのか理解するのに時間かかったよ。
あの時のショック、今でも覚えてる。純粋に大好きだったキャラクターが、汚い欲望の道具みたいに扱われててさ。少年時代の思い出が一気に汚された気分だった。なんでこんなことするんだよ、って。調べたら「腐女子」ってのがこういうの作ってるらしいけど、正直、怒りしか湧かない。
腐女子って何?自分の性的な妄想を満たすために、他人の作ったキャラクターを勝手に汚す連中か?俺が大事にしてたゾロを、そんな目で見てたのかと思うと気持ち悪くて仕方ない。原作者がどれだけ考えて作ったか、俺らファンがどれだけ愛情注いでたか、考えたことあるのかよ。勝手にBLにして、猥褻なネタにして、ネットに晒すとか、頭おかしいとしか思えない。
しかもさ、子供でも検索できるんだぞ?俺みたいに純粋に漫画楽しんでる少年が、うっかりそういうの見つけたらどうなるか想像してみろよ。精神的に傷つくに決まってるだろ。実際、俺はそれからしばらくゾロを見れなかった。好きな漫画なのに、見るたびにその汚いイメージがフラッシュバックしてきて。ほんと、トラウマだよ。
腐女子は「二次創作は自由」とか言い訳するのかもしれないけど、自由ってのは他人の気持ちや権利踏みにじっていいって意味じゃないからな。原作へのリスペクトも、ファンへの配慮もない。ただ自分勝手な欲望を垂れ流してるだけ。そんなのが許されるわけないだろ。俺の少年時代の純粋な気持ちを返せよ、マジで。
今でもジャンプ漫画は好きだよ。でもSNSでの感想の検索はしなくなった。腐女子のせいで、昔みたいに無邪気に楽しめなくなった。ほんと、最低だよ、お前ら。
初めての増田なので、思い出を書きなぐりたいだけです。
一応、フィクションということにしてください。
私の住んでいる町に駅弁と呼ばれる大学がある(あまり隠す気はないが、実名を書くのも良くないかと思い名前は出さない)。
私は卒業生ではないが、小学校や中学校までは附属校なのでお世話になった。
大学としても駅弁などと言われつつ、そこまでレベルが低いわけではない。
一部の文系学部は卒業後の進路で一定の評価を受けていたりもする。
私自身は別の大学に進んだが、サークル活動などで仲良くなった友人もいたので、n=1ではあるが、良い印象を持っている。
その大学があるおかげか、駅前は快速が止まらない駅とは思えないほど、牛丼チェーンやラーメン屋などの飲食店や居酒屋が充実していた。
潰れたのは大学の門の目の前にあった、まずい家系ラーメンのチェーンくらいである。
私自身、近所に住んでいたこともあり、十二分に恩恵にあずかっていた。
新しいラーメン屋ができれば、Google Mapにすぐ口コミが書かれるし、本屋の品揃えも良いし、カフェなども多い。ないのはクリーニング屋くらいのものだ。
そんな環境で新卒2〜3年目を迎えた私は、外食ばかりになってしまった。
しかし、当たり前だが外食し続けると食費がかさむ。牛丼屋でも大盛にしたいし、何なら味噌汁だってつけたい。
新卒2〜3年目でもらえる給料などたかが知れている。困った私はある日、安く腹いっぱい食べる方法を見つけた。
20:00から半額のシールが貼られるのだが、貼り付け後はかつ丼が270円、天丼が300円、鶏の山賊焼きに至っては250円である。
おなかが空いていたら2個食べたっていい。これは良い方法を見つけたぞ、とスーパーの横の階段を19:50頃に駆け降りる日々が続いた。
しかし、日々通っていると、だんだん19:50頃にいるメンバーが固定されていることに気づく。
ポリッピーと鬼殺しの一番小さいパックを持ったカゴを支えるおじいさん。
フードを毎回かぶって、ほろよいの色々な味を楽しむ大学名入りのスウェットのお兄さん。
ジムなどでトレーニーが仲良くなったり、ドッグランや公園で犬と飼い主が仲良くなる、というのはよく聞く話ではあるが、自分たちの場合は認識していても、敵でしかなかった。
自分の欲しい弁当を他人に取られないように「自分の分として確保とは言えないような距離感を保ちつつ、カゴに入れて所有権を主張したりしない」ことでシールを貼ってもらう、日本で5本指に入るレベルのみみっちい牽制しあいを毎晩やっていたのである。
また、ポジショニングも大事だ。銀色の扉から店員が出てくると、全員が自分の目当ての弁当の前をセットポジションとして陣取る。
セットポジションを取るためには銀色の扉が見える位置にいないと出遅れる。しかし、弁当コーナーにずっと立っているとレジに並ぶ客の邪魔になってしまう。
みっともない争いではあるが、そこには周りのまともな買い物客への気遣いと、半額弁当が欲しくて並んでいるわけではない、という見栄と、店員へのわずかばかりの感謝があったのだ。
この状況に大きな変化があったのは、ほぼ毎晩のように並び始めて2〜3カ月たった時だった。
あまり嗅ぎなれない、海外の空港で嗅ぐような甘い香水に、色黒で目鼻立ちの通った顔。さらに、女性はヒジャーブを付けていたので、イスラム教圏の人なんだろうな、という理解は容易だった。
大学を卒業した友人に聞いたところ、その大学では数年後に留学のほぼ義務化を目指しており、交換留学に非常に今年から力を入れているらしい。
また、その一環で今まであまり来ていなかった中東やインドネシア・マレーシアなどの国からの交換留学生の誘致を行っており、それに伴ってハラルやイスラム文化などの周知に力を入れているのだとか。
そんな彼らも日本の半額弁当という文化に気が付いてしまったのである。
そこからは早かった。なんといっても彼らは豚肉を食べられない。
毎晩トンカツ弁当やカツ丼、ハンバーグ、ホイコーロー弁当ばかりが残るようになった。
パック寿司は残るだろうと思っていたが、彼らの中で魚には宗教的禁忌がない。
ただ、彼らが半額弁当バトルに参入してくるにあたって、唯一良かった点は彼らが我々の不文律や暗黙の了解を察して、ゲームチェンジャーにならなかったことだ。
彼らは宗教的な禁忌はあれど、日本人の「他人に迷惑を掛けない」という点のみは守っていた。
さらに時がたち、半額弁当を最初に買ってから半年が経とうとしていた。
イスラム教圏の学生たちはある程度半額に飽きたのか、1週間に1回ぐらいの参加頻度になっていった。
しかし、私は忘れていた。
9月になるとまた違ったイスラム教圏の人たちが買いに来た。彼らは、おそらく先に参入していた同級生や先輩から半額弁当がある、という文化を聞いていたのだろう。
更に時がたち、半額弁当を最初に買ってから半年が経とうとしていた。
イスラム教圏の学生たちは、ある程度半額に飽きたのか、1週間に1回くらいの頻度でしか来なくなっていた。
しかし、私は忘れていた。
9月になると、また違ったイスラム教圏の学生たちが買いに来た。彼らは、おそらく先に参入していた同級生や先輩から半額弁当の文化を聞いていたのだろう。
なぜか9月の転入生には中国人が多かったのか、4月の転入生が今頃になって来るようになったのかはわからないが、中国グループが買いに来るようになった。
缶チューハイをかごに大量に入れた中国人グループが、3〜4人で大騒ぎしながら買っていったのは見たことがある。しかし、その時はそこまで大きな問題になるとは思わなかった。
だが、彼らに遠慮という概念はない。
並ぶとか周囲に気を遣うことよりも、自分や自らの近しい人間の利益を優先する国民性である(それが悪いとか是非の問題ではない)。
彼らは19:40頃に来ると、残っている弁当を一旦すべて自分のかごに入れる。そして、入れながら友人に電話をする(顔を確認していないが、おそらく当番制で買いに来ているのだろう)。
そして19:55頃になると友人が合流し、大声で中国語で談笑しながら店員が来るのを待つ。
他の客から見ればクレームにしか見えないし、スーパーの店員さんからすれば、大声で「交渉」されるくらいなら貼ってしまおう、となったのだろう。
結果として、彼らのかごの中に入っている商品も半額対象となり、我々は中国人グループのおこぼれを買うしかなくなった。
そうなると、割を食うのは日本人だけではない。
我々が土着させたカス風習を律儀に踏襲していたイスラム教圏グループも同様だった。
ましてや、彼らは豚肉を食べられない。
中国人が残していった弁当を、店員に「これは豚肉入りですか?」と聞く姿を何度も見た。
我々は激怒した。
決意はしたが、所詮は勝手にローカルルールを作っているだけだとも思った。
だが、イスラム教圏グループはやはり根底にハムラビ法典が根付いているのだろう。
「目には目を、歯には歯を」というように、彼らはルールを逆用し始めた。
19:30頃にかごに弁当を入れ、店員を呼びに行くようになったのだ。
店員としても若干の罪悪感があったのかもしれない。
19:40の中国人グループが来る前に売ってしまえば、イスラム教圏の学生たちは買って帰る。
ちなみに、このあたりでルールが変わった頃から、鬼殺しじいちゃんはまったく見なくなっていた。
駅ビルではない方の24時間営業のスーパーに行っていたのかもしれない。
中国人グループも、大学に留学する程度の学力のある人たちである。
明らかに数量が減り、しかも豚肉ばかりが残る状況を見て、何かを察したのだろう。
彼らも19:30頃に来るようになり、そして何かが起こった。
18:30に3割引きシールが貼られたきり、半額にはならなくなったのだ。
イスラム教圏のグループと中国人グループの間で話し合いがあったのか、店側が嫌になってやめたのかはわからない。
関係があるかは不明だが、お店(というよりも駅ビルの建物)自体が改装工事で取り壊された。
しばらくして新しくできたのは全国チェーンのスーパーだった。
綺麗になったし、お弁当の種類も増えた。
しかし、ちょうどコロナ禍の始まりの頃にオープンしてしまったこともあり、私はほとんど行っていない。
ほどなくして、私も引っ越した。
彼らは国に戻り、立派に卒業したのだろうか。
改めて本屋について調べていると自分の知らなかった大型書店がいくつかあった。
1. 東京駅前の丸善(駅前の方)(立地・蔵書数・レイアウトどれを取っても神)
1. 池袋のジュンク堂(同率1位。特に理系専門書が偉大すぎる。理系専門書で右に出るところはない)
3. 丸の内の丸善(いつも東京駅前に行くのであんまり行ったことないけど結構良かった)
4. 梅田の丸善(大阪で池袋ジュンク堂に匹敵するのはここしかない)
5. 梅田駅内の紀伊国屋(関西一大きいと豪語されてるけど専門書少なくて微妙)
上の4つは本当に素晴らしくて、素人には分野を取り違えるようなタイトルの本でもきれいに分野ごとに並べられている。
(パッと例が思いつかないけど「統計力学」を統計学のコーナーに置いてしまったり「微分幾何学」を微積分のコーナーに置いてしまうようなことが全く無い。)
このあたりは本当に都会の文化資本だと思う。素晴らしいよね。
https://www.sankei.com/article/20250216-B3OEV35QCVNUPFIWH2RZLBH3LE/
ykktie
東京でありがたいのはモノではない。マイノリティにとっての居場所があること。だから同じようなモノを地方に揃えても解決しない
やっぱり、無検討に何でもかんでも「東京にしかない」とする傾向があるね。(そして検討してみると、言われたものは何でもかんでも都市雇用圏人口50万人以上ならあるから、「都市雇用圏人口50万人以上(日本に40箇所)なら東京」ということになる… 東京のバーゲンセールだ…)
今回も検討をする。
「マイノリティの居場所」が具体的に何か分からないので、「マイノリティ居場所 東京」でググッたら
https://www.timeout.jp/tokyo/ja/lgbt/friendly-spot-tokyo
が出てきたので、「LGBTQ+フレンドリースポット(的なバー)」がマイノリティの居場所の代表格とする。
調べたところ、当たり前だが大阪にはある 福岡も 札幌も。この時点で「東京(大阪名古屋福岡札幌を含む)」である。
さらに調査を進め、熊本116万人だと3店舗ある。人口38.7万人につき1店舗あるのではないのかな。やはり都市雇用圏人口50万人あれば東京と言えそうだと予測。
予測通り、都市雇用圏人口55万人強の長野には1件同じようなバーがあった。やはり都市雇用圏人口50万人あれば東京と言えそうだ。
しかし、1軒だけだとバーの合う合わないがあるかもだから、3軒無いと合うバーが無いかもしれない。だからそういうバーを必要としていて、1軒目2軒目では合わなかった人には熊本未満では東京と同じとは言えないだろうね。
(一方で、東京に学習参考書が充実している本屋やファッション誌に載ってるアイテムがある服屋しか求めない人には引き続き、都市雇用圏人口50万人以上あれば東京といえる。
東京都市雇用圏には日本人口の3割しか住んでないので、そもそも東京にしか展開しないのは商業的にありえず、この20年間で進んだように商業開発が進めば当然東京(本物)外にも展開されるのである。)
(なので、東京3600万人にあって大阪京都神戸1700万人に無いのは、3.5万人に1人(=東京(本物)都市雇用圏だけに600人以上が在住)しか使わない店くらいになる。
無料のものなら都市圏内に30人いれば成立するだろうから、東京(本物)都雇圏だけ30人になるのは(=大阪京都神戸では30人にならないのは)60万人に1人が関心を持つ物だ。
つまり、50万人に1人が関心を持つものは大阪京都神戸でもコミュニティが成立する)
つまり、35000人いたら34999人にとっては、いや、仮にそういう対象が100個あるとしても350人の内の349人(99.7%)にとっては東京も大阪も享受できるものは全く同じなのである。
(…な上に、大阪の方が美術館に近い所に価格的に住みやすい…が、これはシングルだったら東京でも十分住める価格かもしれない。要検討)
具体的な、3.5万人に1人が使う店や60万人に1人が関心を持つ物 (大阪では成立しないもの) の具体例が何かはまだ分かっていないが……
「LGBTQ+フレンドリースポット(的なバー)」は「マイノリティ居場所」の代表格と言えるとは思うけどマイノリティ度合いがそこまで高くないとも思う。
anond:20250208201158 を書いた増田です。
ブコメに「守備範囲外になってるんだったら寂しくね?」と書かれていて、いや、何も寂しくないですが…もしかして男性に声をかけられるのが嬉しいことだと思ってる?見えてる世界が違う?と不思議に思った。
というわけで別に不審者とまではいかないけどナンパとかにしてはやな感じだったな〜という人々も書いてみる。
大体22歳以降の都会に住んでた時期に多かった。
書いていたら高校生時代にも声をかけられたことを思い出したのでそれも書く。
高校2年生の時、同年代のフォロワーとオフ会をすることになった。
電車で最寄りの都会である名古屋に行き、銀時計下でフォロワーを待っていた。
お手本のようなオタクの女子高生で、どこからどう見ても大人びてはおらずどう考えても未成年なのだが
「お茶でもどうですか?」
とおじさんに話しかけられた。
何?お茶?なんで?と思った(前回のブログでも警戒心がないとお叱りを受けたが、本当に警戒心のないガキである)。
「人と待ち合わせしてるので無理です」
と言ったらいなくなったので、前回書いた人たちよりかなりマシだった。
でも書いてて思ったけど、めっちゃ垢抜けて大人っぽい子に成人と間違えて声かけちゃったならともかく、どう見ても未成年の垢抜けない女の子に声かけるのってめちゃくちゃ不審者だよね。
銀時計エリアって割と警官とかうろうろしてるのによく話しかけてきたな…。
ツイートしたら成人済みフォロワーがずいぶん怒り狂ってて、なんかお姉さんたちめっちゃ怒ってるけどなんでだろ〜と思ったことも思い出した。そりゃ怒るわ。
別に怖!とも思わず、変なの〜と思って終わっていたのでこれを書いてなかったら思い出さなかったかも。正直全然覚えてないし過去の自分のツイートに感謝…。
転職して都会に転勤してしばらくした頃だった。
給料も前職時代より上がったし都会には店舗があるので思い切ってビジュー付きのRANDAのパンプスを買い、高くて素敵な靴買っちゃった🎶ルンルン🎶と歩いていたところ
「靴キラキラですね」
としばらく並走してきた男性がいた。
都会に引っ越す頃にはちゃんと化粧も覚えて不審者に付き纏われていた頃ほど芋臭くなくなったのだが、その分ナンパ(しつこくはない)が増え、この手合いはガン無視に限ると学んでいた。
そういうわけで見向きもせずガン無視していたらいなくなった。
見てないので年齢とかはわからない。靴!?と思ったので印象に残っている。
転勤先の近隣に住むフォロワーとオフ会してちょっと帰りが遅くなった日だった。
遅くなったと言っても21時頃なので全然終電よりも早いくらいである。
最寄り駅を出たところで後ろから声をかけられた。
「あの、すみません…」
あまりにも恐る恐る…という声音だったので、私落とし物でもしたのかなと思い、「はい」と振り返った。
が、モジモジしていて何も言わない。1分くらい待っても何も言わない。
髪を染めていたのでおそらく高校生以上だと思うのだけども、めちゃくちゃ若そうだった。大学生なりたてとか?
当時金髪で、服装も厚底!レザー!プラチナ期の金髪ショートの高橋愛に寄せるぞ!という、とにかく強いんだぞ!という装いだったので、もしかして落とし物拾ったけど怖くて何も言えないのかな…と不安になった。
「あの…なんですか?」
「………やっぱりいいです………」
なるべく優しく声をかけたが、そのまま私の家とは逆方向にすごすごといなくなった。
一応カバンの中身を確認したら特に何も落としてなかったので、彼が何をしたかったのかは謎である。
落とし物じゃなければナンパかなあ…と思うがそれにしてはあまりにも弱すぎる。(今まで遭遇した不審者たちのメンタルが強いだけと言われたらそう)
夜道で声かけないほうがいいよって言ってあげたほうがよかったかも。
最寄り駅ということもあって、本屋逃走中男みたいにあとつけられてたら困るし、途中コンビニに寄って後ろに誰もいないことを確認してから帰った。
転勤先のターミナル駅にはスケッチブックやチラシを持って宣伝するYoutuberが時々いて、特に珍しい存在ではなかった。
ほ〜やっぱ都会は違うね〜と思いつつも、興味がないので毎度通り過ぎていた。
ターミナル駅周辺で用事があったので出掛けて用事を済ませて、帰ろうと駅の入り口に向かっていると4〜6人くらいの男性に囲まれた。
音楽を聴いていたので何を言っているかはわからなかったけど、手にスケッチブックを持っている人がいたので、多分Youtuberか何かだと思う。
私はかなり小柄で、150センチくらいだ。
そのサイズ感で男性に囲まれるとほぼ壁に囲まれているようなもので、めちゃくちゃ怖い。
めちゃくちゃ下を向いて聞いてません見えてませんという姿勢を貫き歩き続けていたらそのうち散った。
Youtuberだったら名前確認して炎上でもさせてやればよかったな〜と今は思う。
普通の「お姉さん可愛いですね!」「ご飯行きませんか!」系は省いているけど、本当に、ただちょっと出歩きたいだけなのに声をかけられるのはシンプルに迷惑である。
居酒屋のキャッチに声をかけられたら嬉しいんですか?嬉しくないですよね?それと一緒です、という気持ち。
新卒で入った会社で同期と一緒にいたら話したことないデリカシーのないおじさんに
「増田さんだよね?新卒で1番可愛いから顔覚えちゃった!他の子は…何さんだっけ(笑)」
と言われて同期と壁が出来てあんまり仲良くなれなかったこともある。自分がコミュ障なのはもちろんあるけど。
ものすごく真面目に引きこもって家で映画見てアニメ見て本読んで暮らしているので男の人に奢ってもらって云々したこともほとんどない。会社の飲み会くらい。
なので男の人に声をかけられなくなったとて何も寂しいことはないし、きっと今より生きやすくなるんだろうなあと思っている。
「完結したら来なくなる」のであれば、鬼滅ブーム以降の本編は短めに終わらせてあとはグッズやスピンオフで稼ぐビジネスモデルとはちょっと相性が悪いね…。
ジャンプの悪しき伝統だった引き延ばし戦法は意外とこういうところに需要があったのか。
ちょっと古めの漫画を置くべきなのかもな?でもイメージに反して意外と幽遊白書とか結構短いんだよね。
ベテラン寄りになってしまうけど、作家別に並べてみるとか?「新作あるならこれも読んでみるか」って続けて読んでくれるかもしれない。
結局こういうところで読む人って、自分で選択するのがめんどくさいから本屋で買わずになんとなく増田に勧められるまま置いてある漫画をダラダラと読んでるんだよな(だから続きは読むけど、新作は開拓しない)。思い切って「店長のおすすめ!」とか本屋みたいなポップ書いてもいいのかもしれない。
運転の才能壊滅的な自分からしたら車社会で本屋に行くためだけに坂道だらけの道を15分以上必死に自転車漕ぐより通勤ラッシュに乗って帰り道に本屋に寄る方がいい
あと上京前は自分もそうだったけれど地方民が想像してる通勤ラッシュって毎日毎秒ギチギチ押し込まれてるイメージで語られている気がする。実際は朝夕のごく一部の路線と大幅遅延と雨が重なった日くらいでそんなの栄えてる地方都市も同じだし、混んでると言われている路線でも普通に立つくらいできるし、出勤遅めの自分は半分くらいは座れたりガラガラだったりする
おい、マコモ湯って知ってるか?あの風呂の水を変えずに使い続けるやつだよ。
実はウチの風呂、それだったんだよな(涙)。いや、正確には母親が勝手にそうしてたんだけどさ。
:
ウチの母親、いわゆる自然派ママってやつでさ、スピリチュアル系とか純粋とか、まあそんな感じの人だったわけ。
最近話題になってるマコモ湯の動画見て背筋がゾワっとしたよ。「これ完全にウチじゃん」って。
他にも同じような家で育った奴ら、きっといると思うけど、みんな黙ってるだけだろ。
そんな家に生まれた俺の話、ちょっと覗いてみたいだろ?書いてやるよ。
:
俺が物心ついた頃にはもう気づいてた。「ウチは普通じゃねえな」って。保育園の頃からテレビ禁止、市販のお菓子も砂糖もアウト。
周りの奴らはアンパンマンとか仮面ライダーとか詳しくてキラキラして見えたけど、俺には無縁だった。
マックのハッピーセットなんて天国みたいな響きだったよ。友達が話してるの聞いて憧れてさ、親にせがんだら母親がヒステリー起こす始末。
でも諦めきれなくて、友達から話を聞いて紛らわせてた。ウケるだろ。
娯楽に飢えてた俺は文字を読むことに目覚め、小学校入る前にはもう1000まで数えられるようになってた。
それが運の尽きだったね。「娯楽をなくせば頭良くなる」って親に勘違いさせちゃったんだ。
:
:
小学校の頃、ゲームボーイアドバンスってのが流行ってた。ポケモン全盛期の時代だよ。でもウチじゃテレビもゲームも禁止だから、話に入れるわけがない。
「ポケモンの名前言えるかな?」なんて遊びが流行ってたけど、俺には無縁だった。
そんな時、気の利く友達が「これ読めば話に入れるよ」ってポケモン図鑑を貸してくれたんだ。
嬉しくてさ、自由帳にポケモンの名前を片っ端から書き写したんだよ。小学校入る前から読み書きできてたから余裕だった。
でも、それを親に見つかっちまってさ。「ゲーム脳が感染る」とか言われて即ゴミ箱行き。あの時は泣きそうになったね。
でも母親は優しい人だった(そうだろ?)。子供の体を第一に考えてくれてたんだよ。ネットでバカにされてるマコモ湯だって、「体に溜まった毒素を出すため」らしいし、
いつも「みんないつかわかる」「ちゃんとしてない奴はひどい目に遭う」「あなたは恵まれてる」なんて言ってたっけ。
:
学校では「臭い」って言われたよ。そりゃそうだろ、粉石鹸で洗濯して柔軟剤なんて使わないんだからさ。
梅雨時なんて地獄だったよ。でも今思うと、学校の奴らは本当にいい奴らだったな。臭いからって虐められたりはしなかったし、
昼休みにはドッチボールに誘ってくれたりしてさ。それでもやっぱり「普通の洗剤」の家が羨ましかったけどな。
先生はウチを虐待じゃないかって疑ってたみたいだけど、それは見当違いもいいところ。母親は優しい人だったからな。
ただ、カウンセラーが学校に来て俺だけ個室に呼び出されたりしたこともあったけど、あれ何だったんだろうな。
:
風呂が臭いのは慣れてたけど、服の匂いとかはどうしようもなくてさ。学校のシャボネットで香り付けとかしてごまかしてた。
でも一番キツかったのは友達の話についていけないこと。テレビ見れないと「小島よしお」とか知らないわけでさ、小学生にはそれ致命的だろ?
みんながテレビの話をするたびに胃がキュッと締め付けられる感じがして、その場をそっと離れてトイレで手を洗ったりして時間潰してた。
チャイムが鳴るまで校舎を散歩するのが習慣になってたんだよな。その時によく教頭先生が話しかけてきたけど、あれ何だったんだろうな。ただ散歩好きなだけだったんだろう。
:
マコモ湯の習慣は、もうとっくに終わってたんだよな。きっかけは俺が連続して浴槽でおしっこしたこと。
いや、別に悪気があったわけじゃないんだよ。ウチの風呂って、どんどん綺麗になるって信じてたからさ。
「おしっこしても綺麗になるんだよ!」って自慢げに母親に教えたら、なんか母親が耐えられなくなったみたいでさ。それでマコモ湯は終了。
:
でも、小学校高学年になる頃には、さすがに気づいちゃったんだよね。「俺、浮いてるな」って。
だけど、その気づきが最悪だった。「周りがバカだから俺が浮いてるんだ」「みんな間違ってる」って思い込んでさ。
そこで「近所の名門私立中に行けば何か変わる」なんて考えたわけ。
親は大喜びして応援してくれた。「よく気づいたね」なんて言われてさ。勉強だけはできたから、簡単に合格したよ。
その学校の図書館がすごかったんだよな。司書が何人もいるようなデカい図書館。同じようなはぐれ者が集まってて、
そこで仲良くなった。でも、流行りの話題が出ると相変わらず散歩する癖は治らなかったけどさ。
それでもクラスには居場所なんてなくて、自己肯定感なんてゼロに等しかった。お小遣いも中学生になっても1000円ももらえなくてさ。
遊びにも付き合えないし、ケータイ持ってないとそもそも誘われもしない。
:
そんな時に出会ったのがパソコンだった。親父のお古のWindows95のボロボロのやつを誕生日にもらったんだよね。
当時はネットバブル崩壊の直後で、ホリエモンのライブドア全盛期だったからさ。「パソコン渡せば子供が天才になる」なんて親は思ってたんだろうな。
それが俺にとって夢の時代の始まりだった。近所の本屋には「Mr.PC」とか「ラジオライフ」とか置いてあって、それ読めば簡単に漫画を無料で読める方法とか載ってたんだよ。
それまで小学校の図書館で「漫画でわかる」シリーズしか読んだことなかったから、刺激が強すぎて震えたね。思い出すだけで武者震いするくらい。
:
でも、それだけじゃ満足できなくてさ。ネットを使った金儲けを覚えたんだよ。手先が器用な友達と組んでジャンク品を直して転売してた。
何を扱ったかは身バレするから言えないけど、多い時は月5〜6万稼げるようになった。
:
そして、その金が俺をクスリへと導いた。
(続く)
(文字数オーバーで後半途切れたので再投稿。読んでくれた人ごめん)
話をしよう。だいぶ昔のことだ。すでに動画投稿を引退している。
当時を懐かしむために作った文章である。気に入ったら読み進めてほしい。
ニコ動投稿者としての初期は、若手社会人だった。大学を卒業して数年経った頃かな。コンビニでゲーム雑誌をめくると、『ニコニコ動画』がサービス開始してます~これから人気が出るかも!?という宣伝記事を見つけた。
サービス名称が気になったのと、コメントが流れる機能が目に付いた。動画をひとまず10本くらい見てみた。ようつべと同じような感じで、そこにコメントが流れている仕様だった。カオスよりはシュール寄りだった。
今でいう生放送やチャンネルはないし、アニメ1話単位の投稿は(アップロード容量の関係で)されないし、画質はイマイチだし、お洒落なMADもない。ランキングは50位までで、再生数やマイリス準拠だった。歌ってみたやボカロが流行り始めるのは、2007年半ば以降である。
ゲームプレイの切り抜きとか、面白画像のまとめとか、空耳とか、エロゲーのOPのみとか、動画だったら10分くらいで料理作るのとか、販売済映像作品の切り貼りとか、そんなのばかりだった。(フタエノキワミ、アッー!)
※昨年末頃、新るろ剣で左之助が二重の極みを会得する回があった
たまにR18の画像をまとめたものや、小学生が好きそうな下ネタ動画が流れてきた(1~2日以内に運営削除)。
でも、感じるものがあったんだろうな。だんだん見ていくうち、ゲーム実況とか、アニメ転載(2~3日で削除)とか、いろんなアニメやゲームキャラが一同に会するシリーズとか、ニコニコ動画組曲とか、コンテンツが増えていって、ドハマりした。
会員登録して約半年が経って、ニコ動のプレミアム会員になったあたりで自分も動画を投稿してみようと思った。
「一体どうすればいいんだ……?」と躊躇したものの、社会人経験が活きたのだろうか。結局、最初の動画を撮り終えてアップロードしてみた。一応は料理のネタ動画だったと思う。
うん、まあ……という感じだった。再生数はそんなに伸びなかった。でも、初心者としてはイイ線いってた。それからも動画投稿を続けたけど、やはり数千、運がよくて1万以上~しかし攻めすぎて運営削除という末路だった。
ある時だった。「自分が本当に好きなモノじゃないと高再生数は厳しいのでは?」と思うようになった。
当時はすでに2007年後半だった。ランキング上位に入ってる人の投稿動画って、転載切り抜きとかを除けば、プロレベルか、それに準ずるクオリティだった。
つまり、イラストが抜群とか、楽曲作りが優れてるとか、ゲーム実況が天才的とか、遊戯王MADみたいに面白センスが光ってるとか、そういうのだ。
でも、そういうのって、自分が好きだからこそできる。好きだからこそ、動作投稿サイトのランキング上位者って、その道にのめり込んで、ここまできたわけだろう。
俺にとっての『それ』は何だろうか。考えていったところ……『エロ』という凡庸な結論にたどり着いた。
小学生の頃は河川敷やそこらへんの雑種地、空き地にエロ本が捨ててあった。そういうモノですら気になっていた。今は、そういうのはない。白ポストが駅前にできたり、電子空間でエロを鑑賞する時代である。
中学生の頃は、同級生女子が油断してイロイロ見えてるところや、都市部での夜の学習塾の帰りに、大人がそういうことをしてるのを目撃したりした。
部活の遠征先で、対戦校の女子マネージャー数名が太腿~尻肉を見せつけるかのように壁にしゃがみ座りしてたのを見た時は、対戦相手への嫉妬で殺意が湧いたよ。学校でも家庭でも趣味の場でも、俺にとってはすべてがエロだった。
高校生の時は、同級生がそういうことに大変興味をもっていて……同級生の家に集まって、今でいうセクシーな動画をみんなで鑑賞したっけ。感想を述べあっていた。
「輪姦もののAVだが、実際には輪姦をしていないというのは、道徳的に正しい行為なのだろうか? 消費者を騙していないか?」
「阿呆か。女優の負担を考えろ。しかし、○姦もののAVだというのに、女優が騎乗位なのは気になるところである」
など、意見を交わしたのを覚えている。あとは、性行為を覚えた奴がいて、ガラケーで撮った写真を見せてもらって感動したのを覚えている。
大学生になって一人暮らしを始めてからは、やっぱりそういうDVDを買ったり借りたりした。高校生の頃からすでに、一人でR18の作品を本屋で買っていた。高校の制服姿で、堂々とした立ち振る舞いで、女子店員の時をむしろ狙って、そういうコンテンツを購入する。(女子店員の時、むしろ行け!! の精神)
そのクセは大学生になっても、社会人になっても、すでに小太りのおじさん管理職になった今でも変わらない。
エロへと繋がるコンテンツで、ニコニコ動画に投稿が可能で、それでいて自分の持ち技とマッチする……と考えていった結果、「替え歌はどうか?」という結論にたどり着いた。
あとは、歌唱の腕前だ。酒席の付き合いの中で、カラオケで歌った経験はそれなりにある。が、それだけだ。全然うまいわけじゃない。むしろヘタな方だ。しかし、カラオケの採点機械で70点は取れている。後は成長すると信じるほかない。
そんなこんなで、ニコ動に下ネタ系の替え歌を投稿してみた。既存曲をそういう単語やストーリーで置き換えたものだ。ずっとこれ一本でやってきた。
簡単なイラストを数枚付けて、あとは一発勝負である。投稿した後、一晩置いて動画を見ると……まずまずだった。初級者が投稿した動画は多くても100再生しか付かないが、俺の動画は数千再生だった。
一番よかったのは、投稿した動画を「おもしろい」と言ってもらえたことだ。それだけでもう、駆け出しの投稿者としては感無量である。嬉しかった。みんなにニコニコしてもらえたのが。
イラストも凝った感じにしていった。プロには遠く及ばないけど、それでもこだわりのイラストやアニメーションを載せて、ちょっとでも面白くなるように気を遣った。
それからも、1~2か月に1本の割合で動画を投稿していった。動画再生数は伸びていった。数万再生の人気になった。当時のニコ動だと、1万再生されれば人気作品という扱いである。10万再生で一流、100万再生で神。
当時のTwitter理論において、フォロワーやお気に入りやリプライ的なやつが増えれば増えるほど、投稿した元作品がみんなの目に入るようになる――そういう感じで、元作品(新たな投稿動画)は、初心者の動画に比べると信頼性がある――それでさらに皆の目に入るようになる、みたいなロジックが紹介されていた。
『六次の隔たり』である。今時の言葉でいうとネットワーク理論や、錯覚資産だろうか。高評価はさらなる高評価を呼ぶのだ。『マタイによる福音書』にも、「持っている者は与えられてますます豊かになり、持っていないものは持っているものまで取り上げられるだろう」とある。
過去に投稿した人気動画が、今投稿したばかりの動画を支えていた。結局、2008年くらいまで投稿を続けたのかな。約1年半の活動期間だった。過去に投稿した人気動画ってなんか、不労所得感がある。ぜんぜん不労じゃないけどさ。
実は当時、人事異動で忙しい部署に行くことが決まっていた。勤め人としての役目が優先だ。動画投稿は趣味である。
忙しい部署に移った後は、やはり本当に忙しくなり、動画投稿をするだけの精神的余裕がなくなった。あとは、声か。俺の投稿動画だけど、声の加工はほぼしてなかった。声質が丸わかりである。特定が怖かった。ちょうどその頃は、Twitterでよろしくない行為をした社会人が吊るし上げに遭うことがあった。
アディダスの広報の女性がスポンサー選手をディスったとか、ホテル従業員が芸能人の利用をネットで報告したとか、そういう案件でボコボコに叩かれてるのを見ると、「自分もヤバいかも」という考えが浮かんだ。
投稿動画で使っていた曲も、許諾を取っているのは皆無だった。権利者によるお目こぼし状態である。リスク回避という社会人意識がニコ動から俺を遠ざけた。
自分の判断の結果だから後悔はしてないよ。それでよかったと思ってる。下ネタの替え歌なんか、バレたら恥ずかしいなんてものじゃない。それも法令違反。社会人としてキズが大きい。
それから長い月日が経って……忙しい部署で相当長いこと勤め上げた俺は、また別の地方支局に人事異動で移った。そして、30代後半で管理職になりましたとさ……めでたしめでたし、で終わればよかったのだが。
今度はあまりの暇具合に辟易するようになった。前の部署がキツイ部署だったので、人事部局が配慮してくれた。「暇な職場で休憩」というメッセージである。
その地方支局がある市町は、有名どころの百貨店が進出してないエリアだった。高島屋とか松坂屋とか伊勢丹とか、そんなの一切ない。天満屋ならあるのだが。
暇な時間があるなら楽しんでみては~と思ったが、ここは田舎である。東京に比べて面白いコンテンツは少ない。自分で見つけるしかない。時間がかかりそうだった。
例えば、都内だったら、今ニコ動で活躍してる有名投稿者……miniさんの友達の、東北ずん子を使う料理・旅行の実況者がいたと思うのだが、あの人達が取材で行くような面白いスポットが、この中核市にはひとつもなかった。
昔ながらのローカル百貨店と、人通りがほぼない商店街、昭和のスナックやラウンジ――中核市なので若い連中は多いはずなのに、まちおこしのイベントがロクにない。
人口はすでに飽和状態で、後は減るだけ……そんな地方都市だった。
しかも、エロに興味がある俺が、引っ越し前に入念に下調べをしたのだが……実は、この地方都市には有名な風俗街があって、1万円+αで本番ができるヘルスが立ち並ぶ地域があったのだ!!
それらの箱ヘルだが、俺が異動する数年前に警察の摘発に遭って全滅していた……悲しい事態だった。今でも、ここは中核市だというのに、ソープも含めて本番ができる店は一切ない。
残された手段は、ホテヘルやデリヘルで本番をさせてくれる、それくらい強い信頼関係を嬢と築く以外に道はない。
そんな状況で、当時の俺は……もう一度、動画投稿をしてみようと思った。ネタはもちろん替え歌である。
毎日があまりに退屈だった。刺激がほしかった。昔の投稿動画をふと見る機会があって、感慨を覚えたのがきっけである。あとはファンの声とか。
最後の投稿から長い月日が経っていたが、俺が投稿した動画には、まだ人が集まっていた。主にはノスタルジーを感じてる人達だ。ニコニコ動画の中では、俺はもう「終わった投稿者」である。
でもさ、年齢は関係ないじゃん。40才が近い投稿者でも、やってやればいいんじゃないか。
人気の投稿者だと、30才くらいまでの若い人(※先ほど挙げたminiさんの友達の青海さんなど。youtubeだと、セミやマイナー貝やザリガニを野外調理して食べる若い兄ちゃんや、下半身が動かない女の子とか)が多いんだろうけど、別におっさんだって投稿すればいいじゃん。きっと、ひろゆきだってそう言ってくれる。
もう一度、過去のネタを参考にしつつ、替え歌の動画を投稿することにした。昔に比べてやりやすそうだった。
カメラ等の撮影機材は進化してるし、下手くそな歌は社内社外のカラオケで鍛えて上手くなった。今時流行りの曲だって、80点以上は安定して出せる。編集ソフトの進化により、少しのミスは撮り直さなくていい。
一番よかったのは、ニコニコ運営が楽曲の著作権関係を整理してくれたことだ。投稿者が今時の楽曲を歌うのは、著作権を侵害しない行為になっていた。
そして……実際に、新作動画を投稿したのはいいが、昔ほど人気は集められなかった。視聴者は、昔からのファンが多かった。新規の人もいたけど。皆にニコニコしてもらえてうれしかった。
それから、何本も動画を投稿していった。暇な時間はたくさんあった。ほぼ必ず定時で上がれるので、飲みに行く日とか、セクシーな動画を見る日とか、そういう日を除けば替え歌動画を作りたい放題だった。
再生数・マイリス数は十分だった。みんな、俺が作った動画を見てニコニコしてくれた。数万回の再生がコンスタントに取れた。しかし……数年間投稿して、メガヒットはひとつも出なかった。若い層が投稿動画を見ていない。
楽曲選びのせいもある。自覚はあった。例えば、サイバーダムのカラオケ人気曲ランキングで上位になってるのがあるだろう。昔からそうだけど、あのランキングで上位になる曲って、中高年世代を基準にしてる。
有線放送もそうだ。飲食店の有線放送で流れてくる曲って、90年代~00年代の人気曲がほとんどだ。今の20代が聞いてもわかんないよ。ところで、俺が若手社会人の頃に、先輩方がよくカラオケで歌ってたのは、T-BORANや酒井法子など、あの世代の楽曲が多かった。(壊れかけのRadio~♪♪)
再生数が伸びない最大の原因は、俺自身の感性が鈍ってた。投稿動画は過去作の焼き直し感があったし、中年世代が子ども・若者時代を懐かしんでる替え歌もあった。ノスタルジーである。
しかし……今時の若い人が聴いている・歌ってるような楽曲(YOASOBIとか)の替え歌を投稿すると、再生数が伸びた。平均再生数が1~2万とすると、そういう楽曲は5万再生以上になった。
ちなみに、俺が若い頃に投稿した人気動画は、最高で300万再生である。今思えば、あそこまで情熱をもって取り組んだのは人生で初めてだった。そんな気概は……まだ少しはあるけど、創造性は燃え尽きつつある。
今はもう引退してるって、冒頭で書いた気がする。文字どおり本当の引退である。事前にファンの人に説明するまでもなく、全ての動画を削除した。問答無用である。
理由は2つあって……また新しい部署に異動になったのが1点。関東にある重要拠点のひとつだった。忙しい日々になりつつあった。
2点目が圧倒的なのだが、「著作権法違反」ということで、俺のSNSでの連絡先に警告が届いた。カラオケのランキングで上位に入るような曲を作ってる大手音楽プロダクションからである。あなたが社名を知ってる可能性はとても高い。
自分が投稿した動画、ダメなんだってさ。だって替え歌だから。ニコ動で歌うことが許されてるのは、あくまで本来の楽曲であって、替え歌は対象外である。考えが足りなかった。
これこそが、替え歌を作って投稿すること自体が法的リスクのある行為だった。わかってなかった。メール文には「今後投稿を続けるようであれば、法的措置を行います」とあった。
別の人で、同じニコ動で福山○治(ふくやまぴーはる)さんという投稿者がいたのだが、この方も、ある時いきなり投稿動画をすべて非公開or削除にしたのだった。人気の投稿者であり、HoneyWorksの「可愛くなりたい」などを福山雅治の声で歌って、500万再生以上を叩き出していた。
彼も、同じような理由なのだろうか。芸能事務所や音楽プロダクションからすると、替え歌動画ほど下品ではないにせよ、無許可の二次創作だったのは間違いない。
そんな事情で、そろそろ頃合いかと思って完全引退を決意した。ほかの投稿動画についても、警告するまでもなく訴訟という可能性もある。申し訳ないけど削除した。
悲しかったけど、しょうがないのだ。他人様のふんどしをお借りしていた。それを元に戻しただけだ。作品を天に返したのである。
これで日記は終わりだ。今は会社員として幸せにやってるつもりだ。
今これを読んでおられる方にも、替え歌動画を見てくれた方がいるかもしれない。
事前告知はできなかったけど、感謝を伝えたい。応援ありがとうございました。Permalink | 記事への反応(5) | 11:10
なんか思ったより優しい反応が多くてびっくりした!
自意識過剰乙とか言われるのかと思ってた
当時も親とか会社の人じゃなくてネットに相談すればよかったかも
服装変えたり髪色派手にするのがもう本気で嫌になっちゃってたけど、やっぱり髪の毛と服装変えるのが1番いいのかな
ウィッグとか服装全部じゃなくて一部に取り入れるの検討してみます!いっぱいありがとう!
当時は本当にぼんやり生きてたから頭真っ白でパニック!ってなっちゃって対応しちゃったものの、変な付き纏いはなくても声はかけられるので、流石に今は声かけられたら無視したりしてます!
自分が芋くさいから変な人に声かけられてたっていうのも本当にそうだと思う。垢抜けてない小娘だったし。でも化粧とか覚えて自分比でおしゃれになっても、今度は普通のナンパが増えたのでなんだかなあとは思う…そういう人はついてきたりしないからいいんだけどね
なるべく1人で出かけない、南国の鳥みたいな色の服着るのが1番なのかも…好きな服着たいよ〜
いかがでしたか構文みたいな、AI教えてください構文みたいなのがあるの?
よくわかんないけど、もう年も取ったし大丈夫かな〜って勝手に思って勝手に安心してるだけで、声はかけられなくてもなんか凝視してくる人は髪の毛暗くして伸ばしたら増えたので、対策があるなら可能な限り知りたいって感じです。実家出て一人暮らしだから家バレの危険度上がってるし。(見るだけなら無害だしいいっちゃいいんだけど)
あと風評被害じゃない?ってブコメ見て確かに〜;;と思ったんだけど、「高校の古文の先生」に関しては、似てるからこのくらいの歳なのかなって思ったくらいの気持ちで書いただけです…。
超愛妻家のいい先生だったから似てることに親近感を覚えて警戒するのが遅れたって書こうと思ってたのにすっかり忘れちゃって風評被害になってしまった。先生すみません…授業も面白くて先生のことはすごい好きだったのに…。
【追記終わり】
18〜20歳の頃、チー牛っぽい感じの男性にやたら声をかけられていた。
ふと思い出したので書いてみようと思う。
タイトルは刺激的な方が目を引くかと思ってつけたけど、「不審者遭遇体験記」くらいの気持ちで書いているので悪しからず。
細かいところは日記や自分の過去のツイートを参照してます。細かいところはフェイクを入れたりしているので、矛盾があったらすみません。
18歳の頃、地元の、スーパーの進化系みたいな小さいショッピングモールのエスカレーターでスマホをいじっていると急に後ろから
「すみません」
と声をかけられた。
声をかけてきたのは、当時18歳の私から見たらおじさんだった。30代前半から30代半ばくらいと思ったが、今考えると老け顔の20代の可能性はある。
おじさんには言葉にし難いなんとも言えないオタクっぽい雰囲気があった。
整髪料で整えてない中途半端に長い髪とか、整えてない眉毛とか、半開きの口からそういう印象を受けたのかもしれない。(以降の人たちも全員そうだったので)
田舎の小娘だった私には、自分がナンパされるという発想がまだなかった。何か困ってる人かな?もしかしてエスカレーターでスマホいじってたの怒られるのかな?と思った。
私「なんですか?」
おじさん「あの、ナンパじゃないんですけど可愛いなと思って…おいくつですか?」
私「??…18歳です…」
おじさん「えっ!若いですね!」
私「はあ…」
おじさん「連絡先交換してもらえませんか?」
ここで初めて、不審者!?もしかしてこれナンパ!?と気がついた。
アホな小娘だったので、ナンパじゃないんだ〜…??と思っていた。
私「嫌です、スマホ持ってません」
おじさん「え、でもそれ…」
おじさん「じゃあ家の電話教えてもらえませんか?」
私「嫌です」
ちょうどここでエスカレーターが上についたので、慌てて降りた。
これで解放されるだろうと思っていたが、甘かった。おじさんがついてきたのだ。
スマホを持っていないと意味不明な返答をしてしまったり、完全にどうしたらいいかわからなくなっていた。
しばらくおじさんはついてきて「ちょっとちょっと」「失礼だなあ」というようなことを言っていたが、パニックになりながら歩き回っていたところ偶然レジカウンターの方に向かっていたらしい。
店員に助けを求められると面倒だと思ったのか、おじさんはそこでいなくなった。
私は高校卒業後に地元の企業に就職して、通勤にはバスを使っていた。
田舎なので車社会だったが、免許取り立てで怖かったし車も持っていなかったし、ちょうど自宅の目の前のバス停から会社の目の前のバス停まで1本だった。じゃあバスでいいじゃん!ラッキー!と思っていた。
バス通勤を始めて1年くらい経った頃、ふと帰りのバスで降りる時にやけに凝視してくる人がいるなあと目に止まった。
180度首を動かすようなイメージで、立ち上がってから降りるまでずっと見てくるのだ。
自分もそこまでではないにせよ降りる人がいたら見てしまうことはあるので、すごく周りが気になる人なのかなあ〜と思っていた。
ちょっと頭髪が薄くて、高校の時の古文の先生に似ていた。30代半ばから40代半ばくらいだと思うが、老けてるだけでもう少し若いかもしれない。
ある日うっかり寝てしまって、いつも降りるバス停より先のバス停で降りる羽目になった。
降りると乗降口のところにいつも凝視してくるおじさんが立っていた。
おじさん「いつも○○で降りてる方ですよね?可愛いなと思ってて…」
と声をかけられた。えっ、あれ降りる人が気になってたんじゃなくて私を見てたの???とパニックになった。
すみません…とかなんとか適当なことを言って慌てて走って帰った。
私はとんでもない粗忽者なので、バスで寝てしまって寝ぼけたまま降りることも多く、ハンカチやら傘やら弁当と水筒を入れたサブバックやらを忘れまくるカスの乗客だったのだが、そういえば帰りのバスで忘れると返ってきたことがない…と気がついてしまった。
行きのバスだったり、出先でバスに乗った時は財布でもなんでもちゃんとバスセンターに届いた。でも、帰りのバスで落とし物をすると絶対に届かなかった。
おじさんより後ろの座席に座ると降りる時に凝視されていて、おじさんより前の座席に座った時は後ろの方の高めの席に移動して観察されていることにも気がついた。
気のせいだとか、人を悪く思いすぎだとか散々言われた。読んでいる人もそう思っているだろうと思う。
自分でも気にしすぎかもしれない、私の性格が悪いのかもと悩んだ。
悩んだ末に、通学で同じ路線のバスを利用する友人に、時間を合わせて同じバスに乗って確認をして欲しいと頼んだ。
「完全にあんたのこと見てたわ、疑ってごめん。わざわざ人が減った時に立ち上がって探してたよ。路線変えなよ」
と言われた。
そうは言っても田舎に他の路線なんてほとんどない。後ろの方に乗れば降りる時見られるだけでいいんだし…となるべく帰りは後ろの方に座るようにしていた。
その日はバスが空いていて人がまばらだったので、後ろの方の2人がけの座席に1人で座った。
するとおじさんが隣に座ってきた。
音楽を聴きながら下を向いていたのでしばらく気が付かず、なぜかふっと暗くなったので顔を上げた。
おじさんが上着を広げて通路から私を隠しながら何事か話していた。
びっくりして即座に降車ボタンを押した。
おじさんはついてこなかったので、1本後のバスで帰った。驚き過ぎて弁当箱は忘れたし、もちろん落とし物には届かなかった。
何を言っていたのか聞いておけばよかったな〜と時々思う。
通勤バスは家から離れたバス停から乗るかなり遠回りの路線に変えた。2回も乗り換えがあって最悪だった。
近所の大きい本屋に月光条例を全巻買ったらどれくらい場所を取るか見に行ったときのことだった。
進行方向がずっと同じ人がいて、なんとなく気まずいことはよくあることだと思う。そういう人がいたので、新刊コーナーで立ち止まってやり過ごそうとした。
しかし相手も同じようなところで立ち止まる。横目に確認したところ背の高い男性で、万が一ついてきていたら嫌なので(ちょうどバスおじさんの一連の出来事の直後で過敏になっていた)、絶対に男性が入ってこないようなコーナーでやり過ごしたらいいじゃん!と思いついた。
商業BLコーナーの中でも特別過激なコーナーに向かい、適当にスマホをいじって時間を潰した。半裸の男性とビビットピンクに囲まれて気まずかった。
5分ほど滞在して、もういいだろうと切り上げて月光条例の棚に向かった。
ちょっとやっぱり冊数多いよな〜月光条例だけならギリギリいけるか…でもいずれからくりサーカスもうしとらも欲しいし…と悩んでいたら人が来た。
女性が男性向けエリアにいると、気を遣ってかすぐに退散してしまう人は多い。もし相手が遠慮してゆっくり見れなかったらかなり申し訳ない。
今日買うわけじゃないし退散しようかな…と思っていたら、声をかけられた。
男性「あの、さっきから見てたんですけど、可愛いなと思って…」
ついてきてたの気のせいじゃないんか〜〜い…とかなりげんなりした。
月光条例はちょっと奥まったところにあり、相手は退路を塞ぐような形で立っている。
一切会話を盛り上げず、可能な限り早く切り上げようと思った。
私「はあ、そうですか…」
私「まあ…」
私「はあ…そうですね…うしおととらとか…」
男性「そうなんですね…ちょっとわかんないな…僕はノゲノラとSAOが好きなんです!知ってますか!」
私「知りません(大嘘)」
男性「そうなんですね、ノゲノラは〜〜」
語り出してしまった。すごく興味なさそうにしたはずなのに一切気にしていなかった。
男女を問わず、藤田和日郎を好きな人間とノゲノラやSAOが好きな人間は気が合わないのではないかと思った。
男性「手を触ってもいいですか?」
聞き流していたら急に意味のわからないことを言われた。本当に唐突だった。
退路を絶たれているので激昂されたくなくて了承したが、かなり怖かった。初対面の女性の手は触らない方がいい。
私「いえ、ご飯食べるの嫌いなんです」
私「本当に食べるのって嫌いで…1日2食で…(?)」
塞がれているのと反対側にも通路があることにようやく気がつき、親が心配するんで、とかなんとか適当なことを言って走って本屋を出た。よく考えたら本屋は通常行き止まりにはならないようになっている。
それから1ヶ月ほどして、郊外の大きなショッピングモールに友人と遊びに出た。
ぶらぶらしていると正面から来る背の高い男性が妙にこちらを凝視していた。
通りすがりの知らない人に凝視されることは時々あるので、いつものことだと思ってあまり気にしていなかった。友人は視線が気になったようで、すれ違ってから一瞬振り返って凝視男性を見た。
「ねえ、なんかあの人立ち止まって増田のこと見てるよ」
「気のせいじゃないの?」
そんなわけないじゃん、と思いながら振り返ると、立ち止まってガン見しているし、しかも見覚えがあった。服装が本屋で遭遇した時と全く同じだ。本屋の人だ。
友人にも先日声をかけてきた人だと伝え、とにかくこの場を離れようと早足で距離を取ろうとした。
「待って待って追いかけてきてる」
友人はチラチラ後ろを確認してくれていた。
雑貨屋に入ってぐるぐる棚の間を縫ってから出たり、なんとか距離を稼ごうとするが上手くいかない。
どうにか楽器屋のギターコーナーに隠れて外の様子を伺い、相手が離れた隙に下の階に降りて帰ろう、と打ち合わせた。
大きめのイオンモールなんかを想像していただくとわかりやすいかと思うが、屋上駐車場に向かうエスカレーターがあって、上の踊り場みたいなところから階下が見下ろせるような構造になっているモールだった。
追いかけてきた男性はその踊り場に立って上から私たちのことを探しているようで、出るに出られなくなってしまった。
店員さんに助けを求めることを考えたものの、別に客でもなんでもないのにご迷惑をおかけするのは申し訳なかった。
男性がエスカレーターを降りて移動した隙を見計らって別のエスカレーターを駆け降りた。
が、駆け降りているところを発見された。
下に降りてすぐ友人と二手に分かれ、友人には人目につきやすいところにいてもらって私は先に車に向かった。
10分ほどして友人も車に戻ってきた。
友人「”さっき一緒にいた人はどこに行ったんですか?あの人の連絡先教えてくれませんか?”って言われたよ〜。知りませんってすっとぼけたらこのブスって吐き捨ててどっかいった!」
怖すぎた。暴言を吐かないでほしい。
それ以来仕事以外でほとんど出かけないようになり、どうしても出かける場合は絶対に友人や家族と一緒にいるようにした。
ついでに、会社が倒産しそうだったので転職→仕事の都合で2年ほど他県に転勤したおかげか、幸い3度目の遭遇はしていない。
いずれの人も、話す時距離が異常に近かったり、女慣れしてないんだろうな〜と思った。
それと周りに相談しても全くと言っていいほど受け止めてもらえないことがかなりショックだった。
「自意識過剰なんじゃない?」
「気のせいでしょ」
「思わせぶりなことしたんじゃない?」
「スカート短かったんじゃない?露出の多い服でも着てたんじゃないの?」
これらは本当によく言われた。
私はエスカレーターに乗っていただけ、バスに乗っていただけ、漫画を見ていただけだ。
服装だって就職した時親に相談して買った派手じゃないブラウスに膝下のスカート、無難なパンプスだった。髪の毛だってずっと地毛だった。
真面目に生きてきて、社則に則った服装でこんなことを言われるなんて信じられなかった。
ちなみに、転職したのを機に金髪にして肩まであった髪をベリーショートにしたところパッタリとなくなった。
服装も気が強そうに見えるかどうかで選ぶようになって、好きな色やデザインはずっと二の次だった。
流石に髪も傷むし飽きたしそもそも別に好きでやってないので最近は徐々に暗くして伸ばし、ちょっとずつ好きな服を買っている。
今のところ新たに付き纏われたりはしていないし、好きな格好に戻っていく予定。
格ゲー最盛期にあたる26年前、ゲームセンターのアルバイトしていた学生の頃。
働いていた店には他の多くの店と同様にコミュニケーションノートがあった。
このゲームが良い、このキャラで永パが見つかった、この絵最高、次はいつ来る、笑いを狙ったコラなど、SNS的な役割を担っていた。
ある日から、解読不能な長文と絵、結びに掲題の台詞を添える書き込みをノートに残す男が現れるようになった。
荒らし。2chでもSNSでもポピュラーなそれはしかし、書き込む本人が実店舗に現れる点がネットと異なった。
やがて「←これ何?意味不明」「消えろ」などの返信が付き始める。幸い、現場での揉め事にエスカレートする事はなかったが、
店側も要注意人物としてマークはしていた。程なくして、さようなり~の頻度は減り、ついには消えた。
時が経ち、事を弁え周囲に配慮を尽くしても、誰かしらに意味不明と揶揄されたり、消えろと聞こえるように言われたりもした。
コミュニケーションノートも世間もさして変わらない。人は時に、信じて疑わない価値観に基づいて正義の石を投げる。
今は本屋になったゲームセンターのあったビルを遠くに眺め、泡沫に潰えた彼の台詞を呟く。
「なり」は、やはり世代的にコロ助から来ているのだろうか。将棋からかもしれない。
悪鬼のウイルス。
いやまじで。このタイトルでこんなつまんないことあるんだ? と思うなどしました。
予告とかなにも見ずに気になったタイトル、時間帯の合う映画を映画館にこもって一日中観るということをしていた昨日、最初に観たものが上記タイトルのものとなります。
ちなみに絶対に観ようと思っていたのがセブンIMAX上映で、こちらも色々考えさせられるものだったし、実際のものを見たわけではないのに納得してしまうあの演技、そう、そうあったのならあなたはきっとそうやって取り乱すだろうという懇切丁寧に築かれた信頼を浴びれて最高でした。いやセブンの話をしたいわけじゃない。閑話休題。
わたしは結構本屋を意味もなくウロウロするのが好きで、よく彷徨っている本屋は映像化作品を並べている棚があって、そこでタイトルを見ていた記憶があります。新装版の方ではなく真っ黒な表紙に赤文字でタイトルが書かれているほう。
気になるなあと思っていたから、朝イチ公開で時間が丁度よかったにのもあって観ました。
あの。あのですね。正直な感想は「なにを観たんだ?」です。こんな感想抱くの初めてかもしれない。なにを観たんだわたしは。
途中までは面白かったんですよね。特に撮影した動画様の映像が没入感あって好きでした。画像映えを求めて撮られたものじゃなく、乱雑にあるものを取り敢えず画として残そうとする感じ、生々しささえ覚えました。ああいうものが編集されて、切り取られて、整えられてわたしたちの目に届くんだなあと思うと、へえ、すごい、と思いました。
わたしは画面酔いするタイプの人間ではないので楽しかったのかもしれない。
で、鬼とは? みたいな話のくだりくらいまでは好きでした。大人とは? のあたりとか。
あの環境下でなにもしらないひとたちがそういう行為に勤しむのはまあ、理解できるよなあ、みたいな。
大人と子どもの認識があれだったので、わたしはあの環境は飼育するための箱庭かと思ったんですよね。
性欲を知ってはならない。なぜならそれを知ると他者に腕を伸ばすので。性を捉えられない間、子どもたちは誰からもそういう搾取を受けないけれど、性を知ったらいつかそれは子どもに向くものだと思う。あんな閉鎖された環境なら。だって男性は若い女の子が好きでしょう。
わたしは女であるし、もうとっくのとうに若い女の子でなくなっているからふわっとした認知だけれども。それはほとんど、獣性に近いと思う。まあ本能的には正しいんじゃないかな。わたしたち生物は種の繁栄を望む。そういう本能を持ってる。どれだけ理性的に御そうとしても、無理な時は無理。ああいう閉鎖された空間、声を出しても黙殺できる場所では特に。子どもと大人。制するのは簡単だね。捩じ伏せてしまえる。
だからそういう暗喩なのかなと思った。途中そうかもなって思ってからしか確認してないけど、管理されてる大人側の人間は大半が男性だったようにも見えたし、子どもたちには女の子が多いようにも見えた。男の子もいたようだけど。姿は見えたかな。声は男の子っぽかったね。
だからまあ、そういうものなのかなって。鬼。子どもを害するもの。もしかするとそう至るかもしれない未来。そういう話なのかなと思った。
自分の身を守るために子どもたちが身を寄せ合って、大人を隔離している。新月云々はなんだろうなあと思いつつ、この映画に蔓延ってるものはそういう概念なのかなと思った。子どもたちが反旗を翻す話。大人の魔の手から逃れようとする話。
違った。なんだったんだあれ。途中までは面白かった。まじで。緊張感もまああったし、納得もできた。途中から全部意味わからんくなった。あの神父なに。てか誰。
このタイトルとあの表紙でこんなことある? となった。映画観たあと面白かった! 原作読みたい! じゃない意味で本屋に走ったのは初めてだった。原作を買った。こんなもんじゃないはずだった。絶対に違う。
こんな面白そうなタイトルで、あんなに面白そうな表紙で、こんな、こんなはずない。
ちなみにその日二本目に観る予定の映画はガンダムだった。大体1時間後に上映だった。初代を観たことないのに。TLが楽しそうだったからわたしも話をしてみたかった。ちなみにこれと同じ理由で観たトワイライト・ウォリアーズははちゃめちゃに面白かったです。チケットも買ってある。本屋に行くより昼食をとった方がいい。わかっている。
でもあんなはずないから、あんなものなはずがないから、本屋に行った。映像化コーナーに本はあった。700円程度だった。大体映画代の半分くらいだった。うそ。ハッピーマンデーだったので1100円で観た。でも正直先にこっち読んでたら良かったと思った。気になってたのに。どうして先に読まなかったんだろう、わたし。
積読が多いからです。映画で観て、好きなら読めばいいと思っていました。好きじゃないのに読みました。このタイトルを、この表紙を、こんなに雑に消化して消化した気になってはならないと思ったし、なんらかの改変があってああなったのだと思いたかった。読んだ。積読がいっぱいあるのに、何よりも早くに読んだ。全然違った。わたしが観たかったものがそこにあった。
鬼の存在に納得することができた。そうだよな、と思った。かつて子どもだったわたしは納得したし、今は大人であるわたしも納得した。たった一度、嘘を吐いただけで人生が崩れ落ちる話。その嘘が、保身的なものだったか自己犠牲的なものだったか、大体想像できる気がするけど黙っておくことにする。
ところでわたしはオタクである。しかも文字を書くタイプのオタクで、普通に二次創作をしている。公式さんが甘やかしてくれるのをいいことに、様々な妄想を形にしている。そういうオタクは、わたしの周りにも沢山いるけれど、オタクには様々な種類があると思っている。光のオタクとか闇のオタクとか。よくそういう分別をしているのを見るけれど、わたしはもっと根本的な部分で隔たれていると思っている。
二本目の映画はガンダムだった。重ねて言うが、わたしは初代を知らない。だからシャアがどうのと言われても、アムロがどうと言われても、はて? となる。なんとなく父親が好きだったなあ、とかその程度だ。でも、ガンダムの映画を観て初代も観ようと思った。そういう熱量を浴びた。きっと初代を観たあとにもう一度観たら楽しいんだろう、と思った。
リスペクトがあるってそういうことではないだろうか。ガンダムの映画は壮大なifで、二次創作みたいなものだよ、と聞いた。普通に面白かったし、見ようと思った。きっとこれを作ったひとたちは、この作品が好きなのだろうと思ったし、だからこうして形にしたのだろうと思ったし、好きだと思ったからいつかのわたしはガンダムを観るだろう。
ところがこっちはどうだ。使いたい設定だけを借りてきて、それっぽい形をつくって、名乗るだけ名乗って。リスペクトを感じられなかったのはわたしだけだろか。
わたしがオタクなので、表紙を見たことがあったので、わたしは本屋に救いを求めたが、なんというか、品もなければリスペクトもない二次創作に1100円支払っただけのような心地がして悲しい。
でも原作小説は面白かったです。積読を放置して良かった。本屋に走って良かった。この作品を表面だけ撫でて、知った気になって、嫌わないで良かった。
わたしはなんの話をしているのか。
二次創作にリスペクトは必要不可欠で、作品の良し悪しに関わらずその有無はなんとなくわかるかもしれない、という話だったのかもしれない。
悪鬼のウイルス。
いやまじで。このタイトルでこんなつまんないことあるんだ? と思うなどしました。
予告とかなにも見ずに気になったタイトル、時間帯の合う映画を映画館にこもって一日中観るということをしていた昨日、最初に観たものが上記タイトルのものとなります。
ちなみに絶対に観ようと思っていたのがセブンIMAX上映で、こちらも色々考えさせられるものだったし、実際のものを見たわけではないのに納得してしまうあの演技、そう、そうあったのならあなたはきっとそうやって取り乱すだろうという懇切丁寧に築かれた信頼を浴びれて最高でした。いやセブンの話をしたいわけじゃない。閑話休題。
わたしは結構本屋を意味もなくウロウロするのが好きで、よく彷徨っている本屋は映像化作品を並べている棚があって、そこでタイトルを見ていた記憶があります。新装版の方ではなく真っ黒な表紙に赤文字でタイトルが書かれているほう。
気になるなあと思っていたから、朝イチ公開で時間が丁度よかったにのもあって観ました。
あの。あのですね。正直な感想は「なにを観たんだ?」です。こんな感想抱くの初めてかもしれない。なにを観たんだわたしは。
途中までは面白かったんですよね。特に撮影した動画様の映像が没入感あって好きでした。画像映えを求めて撮られたものじゃなく、乱雑にあるものを取り敢えず画として残そうとする感じ、生々しささえ覚えました。ああいうものが編集されて、切り取られて、整えられてわたしたちの目に届くんだなあと思うと、へえ、すごい、と思いました。
わたしは画面酔いするタイプの人間ではないので楽しかったのかもしれない。
で、鬼とは? みたいな話のくだりくらいまでは好きでした。大人とは? のあたりとか。
あの環境下でなにもしらないひとたちがそういう行為に勤しむのはまあ、理解できるよなあ、みたいな。
大人と子どもの認識があれだったので、わたしはあの環境は飼育するための箱庭かと思ったんですよね。
性欲を知ってはならない。なぜならそれを知ると他者に腕を伸ばすので。性を捉えられない間、子どもたちは誰からもそういう搾取を受けないけれど、性を知ったらいつかそれは子どもに向くものだと思う。あんな閉鎖された環境なら。だって男性は若い女の子が好きでしょう。
わたしは女であるし、もうとっくのとうに若い女の子でなくなっているからふわっとした認知だけれども。それはほとんど、獣性に近いと思う。まあ本能的には正しいんじゃないかな。わたしたち生物は種の繁栄を望む。そういう本能を持ってる。どれだけ理性的に御そうとしても、無理な時は無理。ああいう閉鎖された空間、声を出しても黙殺できる場所では特に。子どもと大人。制するのは簡単だね。捩じ伏せてしまえる。
だからそういう暗喩なのかなと思った。途中そうかもなって思ってからしか確認してないけど、管理されてる大人側の人間は大半が男性だったようにも見えたし、子どもたちには女の子が多いようにも見えた。男の子もいたようだけど。姿は見えたかな。声は男の子っぽかったね。
だからまあ、そういうものなのかなって。鬼。子どもを害するもの。もしかするとそう至るかもしれない未来。そういう話なのかなと思った。
自分の身を守るために子どもたちが身を寄せ合って、大人を隔離している。新月云々はなんだろうなあと思いつつ、この映画に蔓延ってるものはそういう概念なのかなと思った。子どもたちが反旗を翻す話。大人の魔の手から逃れようとする話。
違った。なんだったんだあれ。途中までは面白かった。まじで。緊張感もまああったし、納得もできた。途中から全部意味わからんくなった。あの神父なに。てか誰。
このタイトルとあの表紙でこんなことある? となった。映画観たあと面白かった! 原作読みたい! じゃない意味で本屋に走ったのは初めてだった。原作を買った。こんなもんじゃないはずだった。絶対に違う。
こんな面白そうなタイトルで、あんなに面白そうな表紙で、こんな、こんなはずない。
ちなみにその日二本目に観る予定の映画はガンダムだった。大体1時間後に上映だった。初代を観たことないのに。TLが楽しそうだったからわたしも話をしてみたかった。ちなみにこれと同じ理由で観たトワイライト・ウォリアーズははちゃめちゃに面白かったです。チケットも買ってある。本屋に行くより昼食をとった方がいい。わかっている。
でもあんなはずないから、あんなものなはずがないから、本屋に行った。映像化コーナーに本はあった。700円程度だった。大体映画代の半分くらいだった。うそ。ハッピーマンデーだったので1100円で観た。でも正直先にこっち読んでたら良かったと思った。気になってたのに。どうして先に読まなかったんだろう、わたし。
積読が多いからです。映画で観て、好きなら読めばいいと思っていました。好きじゃないのに読みました。このタイトルを、この表紙を、こんなに雑に消化して消化した気になってはならないと思ったし、なんらかの改変があってああなったのだと思いたかった。読んだ。積読がいっぱいあるのに、何よりも早くに読んだ。全然違った。わたしが観たかったものがそこにあった。
鬼の存在に納得することができた。そうだよな、と思った。かつて子どもだったわたしは納得したし、今は大人であるわたしも納得した。たった一度、嘘を吐いただけで人生が崩れ落ちる話。その嘘が、保身的なものだったか自己犠牲的なものだったか、大体想像できる気がするけど黙っておくことにする。
ところでわたしはオタクである。しかも文字を書くタイプのオタクで、普通に二次創作をしている。公式さんが甘やかしてくれるのをいいことに、様々な妄想を形にしている。そういうオタクは、わたしの周りにも沢山いるけれど、オタクには様々な種類があると思っている。光のオタクとか闇のオタクとか。よくそういう分別をしているのを見るけれど、わたしはもっと根本的な部分で隔たれていると思っている。
二本目の映画はガンダムだった。重ねて言うが、わたしは初代を知らない。だからシャアがどうのと言われても、アムロがどうと言われても、はて? となる。なんとなく父親が好きだったなあ、とかその程度だ。でも、ガンダムの映画を観て初代も観ようと思った。そういう熱量を浴びた。きっと初代を観たあとにもう一度観たら楽しいんだろう、と思った。
リスペクトがあるってそういうことではないだろうか。ガンダムの映画は壮大なifで、二次創作みたいなものだよ、と聞いた。普通に面白かったし、見ようと思った。きっとこれを作ったひとたちは、この作品が好きなのだろうと思ったし、だからこうして形にしたのだろうと思ったし、好きだと思ったからいつかのわたしはガンダムを観るだろう。
ところがこっちはどうだ。使いたい設定だけを借りてきて、それっぽい形をつくって、名乗るだけ名乗って。リスペクトを感じられなかったのはわたしだけだろか。
わたしがオタクなので、表紙を見たことがあったので、わたしは本屋に救いを求めたが、なんというか、品もなければリスペクトもない二次創作に1100円支払っただけのような心地がして悲しい。
でも原作小説は面白かったです。積読を放置して良かった。本屋に走って良かった。この作品を表面だけ撫でて、知った気になって、嫌わないで良かった。
わたしはなんの話をしているのか。
二次創作にリスペクトは必要不可欠で、作品の良し悪しに関わらずその有無はなんとなくわかるかもしれない、という話だったのかもしれない。
最近物件を調べてる、Twitterで呟いたり親に話しすぎてウザがられてそうだけどもっと物件の話させてくれ、私を受け止めてくれ増田
2部屋あるところが良かったんだけど9畳くらいあれば一部屋でもなんとかなる気がしてきた。仕事部屋と居住空間分けた過ぎる、衝立とかあれば一部屋でもなんとかなりそう。木の衝立が普通にめっちゃ可愛くて欲しくなってきた、障子の衝立とかもマジで可愛い。木とか好きなんだよな
物件探してると良いところは取られちゃうから早く決めなきゃいけない気持ちになるけど、どこもかしこも大なり小なり(小なりが良いからみんな早く決めなきゃと言うんだろうが)自分の条件に合わない所あるわ。余り物でもよくね?安くてボロくてもよくないか、実際住んだらダメなのか、実家もだいぶボロいがダメなのか
ある程度のテンプレに従って家って作られてるんだなーと感じる。そりゃそうだよな〜四角い建物で何部屋か作って陽当たりが〜となるとレイアウトって限られる。だから本当にもうどこでもいい〜……マジでもう大体同じじゃん、違うのか?いや違うのもわかるけど……許容範囲レベルの違いの中から最高の物件探すのマジで疲れてきた。どこでもいい〜……安くてボロいのみんなからめっちゃやめとけ!って言われすぎて怖くなってきたよ、そんな?わかんね〜これこそ一人暮らししたことないからピンとこねぇ〜
でもなんだかんだ都会人だから駅前に本屋とか欲しがってしまう、無印良品とかあると最高、流石に贅沢っすねぇ
満足 終わり
やっぱ続き
同じ話するの、壁打ちでいいなら自分のメモ帳でもいいじゃんって思うでしょ。違うんだよなそれは
人に向けて話しているという体の話だから満足感があるんだよな 聞かされてる方は同じ話ばっかりで最悪だろうが
マジでマイブームの話をずーーーっとしてしまう。死生観ブームの時はずっと死後の世界の話してるし、好きな漫画がアツい時はその話しかしないし、今は引っ越しの話しかしねぇ!!!!いやするけど他の話も!!自分から話したーーいとなるのが同じ話ばっかりなんだわ こう言う時Twitterとかありがたいよな
今度こそ終わり