はてなキーワード: 稚拙とは
印象としては「思ったよりいやらしくなかった」というところ。
ただ、だからといってこれを見て騒いでいる奴はおかしい、と言う気はない。
ネットでは頬の紅潮だとか口元のアップが叩かれているわけだけど、たぶんあれは、フェチズムで描かれたのではなく単なる手癖で描かれたものだと思う。重要なのはたぶん手癖、というところで、アニメ表現に慣れてる俺からしたら「まあこんなもんでしょ」と思う表現でも、馴染んでない人から見ると、頬の紅潮とか口元のアップは、確かにフェティッシュに映るということなんだと思う。
昔居間のテレビでfalloutやっててさ、グールをクリティカルでバラバラにしたところで妻に「グロい」と眉をひそめられたことがあるんだけど、そのとき「あっっケロイド状のゾンビをバラバラにするのって冷静に考えるとグロいかも!」とかなり驚いたんだよね。そういう「慣れてたけど確かに!」みたいな感覚を思い出した。
たぶんこういう「慣れてて麻痺してたけどそうじゃないやつから見るとかなり変」って表現、エロとかグロとか以外にも沢山あるんだわらうな。ひえ〜と思いました。
あのCMで何言いたいか(何に寄り添ってるのか)いまいちわかりにくいし。背景と人物があんま馴染んでないし。「冬の残業中にあったかいもん食べれたらホッとするよね」みたいなかなりわかりやすい緑のたぬきに対して、ぬくぬくした部屋でぬくぬくネトフリ見て泣いてる奴がいきなりカップ麺食べ出しても、何言いたいかわかんねーし。
ネットで叩いてる人の中には、でき悪いけどできの悪さが具体的にわからなかったり、単にできが悪いと言うのは座りが悪いから、一番目立つフェティッシュな描写を叩いてる、という人も一定いると思う
最初は何か具体的な目的(本業の宣伝とか)があったわけではなく、ただ、自分が2秒で適当に考えた話で大勢の人間が右往左往してるのが面白かっただけだ。
それが変わったのは数年前。
DMでこんな奇妙な依頼が届いた。
××(とあるテーマ)に関する“体験談”を持っていたら表で語ってもらえないだろうか。受けてもらえるなら報酬はお支払いする。
体験談とは書いていたものの、向こうもこっちが普段書いてるものが嘘松だと、察していることは明らかだった。
どう見ても怪しいし釣りか何かかとは思ったものの、当時ちょっと自暴自棄になっていた自分は結局この依頼を受け、指定されたテーマの嘘松を翌日投稿した。
驚いたことに、報酬は約束通り支払われた。具体的な金額は言えないものの、嘘松ひとつには見合わない大金だったのは間違いない。
いよいよキナくさくはなってきたものの、このカネの力の前には理性など簡単に消し飛んだ。味を占めた自分は、以後も引き続き送られてくるようになった同様の依頼を、粛々とこなす生活に入っていった。嘘松のビジネス化である。
依頼者の素性や目的はいまだに明かされてはいない。が、一つ想像していることはある。
過去に受けた以来のテーマ(業種やコンテンツ)についてのニュースを、その後しばしば見かけるようになった。それもただのニュースではない。事件に近い形のものばかりだ。最初は偶然かとも思ったが、それでは説明がつかないほどの頻度でそういったニュースを毎日のように目にしている。
恐らくだが。自分の嘘松は、一種の観測気球として使われているのではないだろうか。
嘘松に反応(RT等)するアカウント。それは、(自分で言うのもなんだが)この程度の稚拙な嘘であってもこのカテゴリの話題でなら簡単に信じてしまう人間である、と全世界に向けて宣言しているようなものだ。
依頼者は、そういった騙されやすい人々をリスト化することによって、何らかの「商機」としているのではないか。
依頼と振り込まれる報酬以外は、すべて自分の想像に過ぎない。だから、タイトルは現時点では少々大げさ過ぎる表現ではあるだろう。
X、Quora、Qiita、GitHubなど、退会するとデータが消えてしまう
だからパスワードを超長い乱数にしてわからなくし、さらにAuthenticatorを使い、メアドも削除し、ログアウトし、以後はログインできなくなる、という方法で去ってきた
数年経つと、これらのアーカイブが黒歴史のように思えてくることがわかった
例えばQuoraで頭の悪い回答をしていたり、Xでイキっていたり、GitHubで稚拙なコードを公開していたり、という具合である
メアドを削除しているので、これらのアーカイブを削除するのは容易ではない
えっみんなわざと間違えてるの?
「能力基準をもとにトランス女性の競技参加を排除する理屈に従えば黒人の競技参加も差別することになる」「現代の価値観ではそれは許されない」「したがってトランス女性の競技参加を排除する理屈も、現代の価値観のもとでは成立しない」
ということですよね?
もうちょっというと、現代の価値観というより、ウォークの論理によれば、ということではあるでしょうが。
個人的には賛成で、激変緩和しないといけないので一世代くらいの時間は最低必要だと思うが、将来的には、ウォーク論理に従って考えるなら、オリンピックなどの国際的競技では男女別枠の撤廃という選択肢しか取りえない気がしています
結局、みんなが何を見たいのかというところが整理されてなくて、たとえば、同じ努力をしても男性の方が女性よりも競技得点が高くなりやすい、というのは、統計的にはそうなんでしょう。
しかしその考えは、同じ努力をしてもアフリカ系男性の方がアジア系男性よりも100m走で速い時計を出しやすい、統計的に。ということと全く同じ構造になっていると思います。
従って、同じことを言っている、トランス排除をすべきでない(と言っているんだと思うが)という元増田の主張に賛成です。
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むしろ、別に、みんながみんなスポーツで金メダル取らなくたっていいではないですか。
女性を男性と同じ土俵で競わせるのはおかしい、という論理は、障害者枠によって救済されるべきもので、生物学的(染色体)女性限定種目はパラリンピックにおいて実施するという考え方がありうるのではないか。念のため申し上げておきますが、私はパラリンピックの素晴らしい価値を最大限に評価し、むしろオリンピックよりも守るべき価値観だと思う人間です。
言いたいことはわかる
疑問としては稚拙だけど、現実問題としては人種によるレギュレーションは存在していてもおかしくはないと思う
マクロ的にはブクマカのいうとおりだが、ミクロではやはり人種差や国ごとの優位不利がその競技を歪めている可能性は否定できないから
というより競技によっては露骨に特定の国の選手に不利な判定方法やルールを制定することがあって、事実上の人種差別というか選手排除になってる
例えば卓球については、中国・韓国・日本の寡占状態なので、他国からすれば「あいつら大会にでても勝つからそれ以外の国で大会開こうぜ」ってなってもおかしくはない
黒人というと単なる人種差別だし広すぎ・曖昧過ぎてレギュレーションには不向きだと思う
けど、国・チーム・個人という単位においてスポーツの参加資格を制限するってのは、意外と存在していてもおかしくないし、そうすべきと感じる人だっていると思う
あくまでも平等を重んじる普遍的なスポーツマンシップに基づけば、元増田の考えはカスなんだが、感情的な面ではそんなに間違ってはいないと思う
https://anond.hatelabo.jp/20250128043353
認識が25年前、2000年前後で止まってる。あるいは15年前くらいのネットの女叩きで止まってる。話が古すぎる。
元の増田が言っているのは小中生向けの漫画、しかも少女コミック(雑誌名、小中学生が読者層、以下少コミと略称で書く)限定の話では?しかも認識が2000年で止まっている。
少女漫画の実態としては、1990年代に少コミが露骨な性行為のシーンを売り物にしたエロ漫画を載せて売れた。当時はネットも普及しておらず、子供だってエロが見たい、の需要を満たしたおかげだ。稚拙な漫画でもエロさえあれば売れたので、さほど実力がない先生でもバカ売れ。
とはいえそれが業界全体の傾向という訳ではなく、エロのない恋愛もの少女漫画、30代〜向けの少女漫画(ラブシーンはあれど普通の実写テレビドラマレベル)、規模は大きくないがファンタジーを扱う雑誌やSFもあった。
2006年になると、少女漫画「君に届け」が大ヒット、純愛漫画ブームが来る。エロ以外も描きたいと思っていた少女漫画家は純愛漫画を描き始め、エロシーンしか描けない漫画家は売れなくなっていった。少コミのエロ売りしか能がなかった漫画家は、90年代にエロで売れた頃に創刊された同じ出版社の中高生向けのエロ売り少女漫画雑誌Cheese!流しになった。
ネットでは少女漫画の動向を知る人はほとんどおらず、既にエロブームが去って久しいのに「少女漫画の過激エロ」は2010年代半ばくらいまでよく叩かれていた。元増田の文章もその流れを汲んだものだと思う。認識が古い。
子供向けの少女漫画だってエロ抜きで売れているものはあるし、20代、30代以上向けの漫画で売れたものもあるだろう。ドラマ化されて更に跳ねたホタルノヒカリや逃げ恥は?少女漫画だ。
ホタルノヒカリのひうらさとるはなかよし出身、少コミがエロで売ってる間もエロ描かず順調にヒット飛ばしてKISS(雑誌名)でホタルノヒカリ連載して売れたよ。
逃げ恥の海野つなみも同時期になかよし出身で頑張ってきた漫画家だ。
少コミ編集部はエロシーンだけ描ければ良いと実力の無い漫画家をデビューさせ儲けることに成功したが、その後実力がなくエロ頼みで腕を磨かなかった少女漫画家はそれぞれ相応しい場所に落ち着いている。
午前7時。起床。ルーティン通り、室温22℃、湿度50%に調整されていることを確認。朝食はオートミール37g、無脂肪牛乳240ml、ブルーベリー7粒。完璧だ。
午前8時。World of Warcraftログイン。今日はレイド「アンダーロット」の日だ。僕のソーサラーはギルド内でもトップクラスのDPSを誇る。無論、最適化されたスキル回し、完璧な装備、そして何よりも僕の卓越した知能の賜物であることは言うまでもない。
午後1時。休憩。昼食はチキンサラダサンドイッチ、全粒粉パン使用。マヨネーズの量は厳密に12g。
午後2時。超弦理論の研究。今日は特にtopological stringに焦点を当てる。nLabの記事( https://ncatlab.org/nlab/show/topological+string )は非常に有用だが、いくつかの記述には些か曖昧な点が見受けられる。例えば、Gromov-Witten不変量とChern-Simons理論の間の関係についての記述は、もう少し厳密に定式化されるべきだろう。特に、open topological stringにおける境界条件の選択が、導かれる物理理論にどのような影響を与えるのか、という点は未だ完全には解明されていない。
午後4時。再びWorld of Warcraft。今日はPvPアリーナに挑戦。無論、僕のチームは圧倒的な勝利を収めた。相手チームの戦略は稚拙としか言いようがなく、僕の高度な戦術眼の前には為す術がなかったようだ。
もう一度topological stringに関する論文に目を通す。Calabi-Yau多様体上のtopological stringの分配関数が、ある種のモジュラー形式と関連しているという事実は興味深いが、その背後にある幾何学的意味は未だ完全には理解されていない。この問題は、僕の今後の研究テーマの一つとなるだろう。
午後6時。夕食。ベイクドサーモン、アスパラガス添え。付け合わせのマッシュポテトはジャガイモの種類まで指定して調理してもらった。
性加害という今回露わになった一面に留まらない「中居正広」という男のくだらなさと、そのくだらなさこそがSMAPや「キムタク」、彼自身すらも偉大たらしめてきた最大の要素だった
中居正広ってもともと喋りは下手な方で、その名残は今でも一向に改善されない稚拙な言葉選びや引き出しの狭さに見られるのだが、しかし中居は全ての台本を完全に暗記するという苦行を30年以上やり続けており、その蓄積が彼を大物司会者たらしめている。中居の司会者としての凄さは人工無能のソレに近い
あの話芸の本質って「芸を一万個覚えたチンパンジーは人間と同じように振る舞うことができるのか❓」みたいな問いとかなり近くて、要するに中居は「芸を一万個覚えたチンパンジー」なんだよね。氏の凄さは「偉大なる凡庸」というところにあるのだが、問題はその凡庸さがある種の虚飾とルサンチマンの上に立脚していたこと。
作者が素晴らしい才能の持ち主なのはもちろんだけど、世界観変わらんから展開が同じになるのではなく、定型展開で作品を作る有象無象がいっぱいいるってだけの話なんだよね。
現代という世界観で同じ題材でも作者によって全然違う作品になるのに、同じ展開が多いのを世界観の方に原因があるという分析と批判の稚拙さを揶揄してるわけ。
仮に「AEDをやるフリして、オッパイ触ってる痴漢男がいた💢」みたいな、そういう写真付きでバズる出来事が起きたとしましょうよ。togetterまとめが注目エントリーに上がったとしましょう。
フェミ側からすれば言うまでも無く、女の敵だ、人殺しも同然だ、ほぼほぼ強姦殺人だ、という様な罵倒が出る。去勢しろ、強姦殺人と同等の罰を与えろ、顔と名前は覚えたぞ、となる。
フェミ批判の側からしても、「こういう男がいるせいで、回り回ってAEDで女に訴えられるみたいなデマが発生するのだ。諸悪の根源だ」という理屈が成り立つので、被害者女性の側に立つ。フェミを批判してるからと言ってミソジニー野郎と一緒じゃないぞというポーズを取る絶好の機会なので、しっかり攻撃の姿勢を取るインセンティブがある。
相当キマってるアンチフェミマンが女叩きに回ったり、冤罪を疑ったり、「ちょっと様子を見ます」くらい言うかな、という程度。
最近ちょっとマシになって来た感もあるけど、過去事例を考えても、まあ9割方の大勢としてはそうなる。
いや、でも、しかし、実際はどうか分からんよね? ガチで冤罪かも知れないですよね? 何故なら、盗撮写真に嘘のキャプションを付けてバズ狙う様なカスは普通に世の中に大勢いるから。それくらい皆知ってる筈なのに、何故かそこで留保できないの。
今、AEDの話題で、「人命を優先してAEDをやるべきだ」という発言をしている人、大勢いますよね。何の瑕疵も無い完璧な正論です。そういう人らが、奴は痴漢だという嘘に騙されて、「人命を優先してAEDをやる人」を攻撃するイナゴに変身するの。ダブスタとか性差別とかじゃないからこそ怖いんよね。人命救助は正義であり、性犯罪は悪という単一の真っ当な価値観に基づいて、むしろ一貫している。党派性に染まったバカ、自分のエゴを社会正義に仮託して暴れるバカならまだしも、そんなんじゃない「まともな人間」さえも呑み込まれてイナゴ化する。
そういう罠を仕掛ける事が、今は、ものすごく簡単にできてしまう。
これはレアケースや微小なリスク(それこそ、女にAEDしたら訴訟される!という様な)を過大に言ってるわけでは無い。インターネットで無数に起きて来た日常茶飯事がちょっとコンボしたら普通に起こり得る、身近な脅威の話をしている。
そして裁判とかじゃないので、名誉回復の機会も無い。反論や擁護が出てもイナゴは止まらないし、なんならそういうのをアンチフェミのクズ扱いして終わり。ネットニュースなりが取材をして冤罪だという記事が出ても木っ端ならシカトして終わり。それこそ草津並に一生擦られて、それでやっと「乳を揉んでる手付きに見えるのは事実。AEDテクニックが稚拙な男の方にこそ問題がある」「AED講習会を義務にしていない行政が原因だ」みたいな他責ベースの取り繕いが始まる。
そういう加害行為をやってる当事者が、何を隠そう、俺たちネットイナゴなわけですよ。
「女にAEDしたら訴訟される!」みたいなのが、デマであり、あるいは人命救助に比較して無視するべき微小なリスクであるのは、その通りのド正論なの。一方で「女にAEDをしてもデメリットが大きいから避けたい」みたいなのも、同時に正論なの。
何故ならその『女にAEDする事に伴うデメリット』は、デマでも妄想でもなく、ネットのセンセーショナルな騒動にノー留保で乗っかる俺らの軽薄な振る舞いそのものであり、現在進行形で現実に起きてるリアルだから。
AEDで助けてやったのに恩を訴訟で返して来る架空のクソ女に対してじゃなくて、現実にいる俺らネットイナゴへの不信感こそが本質なわけですよ。
何が言いたいか。
AEDについて、いやAEDに限らず、様々な社会問題についてどうこう言い争うより先に、俺らが俺ら自身のこういう体質を改めるのが先じゃないですかね。
仮に女叩きクズにボロクソに悪口言ったりしても、そいつらがAEDやる様に改心する様な事は一切期待できないよ。でも、俺たちが自分で自分のイナゴムーブを制御する事はできるでしょ。
その方が遥かに実現性が高いし、世の中に資する度合いも高いし、女性がAEDをして貰いやすい空気にもなる。間接的な人命救助だと言っていいよ。
脱イナゴ、今すぐやろう。
海外ケモナー界隈のwikiに書いてあったんだが、PCD(Post-con depression)って言って、デカいイベントの後にうつになることを言うらしい
https://en.wikifur.com/wiki/Post-con_depression
それ聞いて、「なんかシュガーソングとビターステップの2番Bメロの歌詞みたいやな……」と思った
どちらかというとプロデューサーだよね。という所管を書いていく。
技術は普及すれば当然その使用は広がっていく一方だし、ひとまずデータソースの健全性とかそういう話はここで議論しない。
直接的に成果をを出すクリエイターの立ち位置に、AI使用者は位置付けられるか?という点を検討してみる。
直接的に生成しているのはAIエンジンであり、AI使用者はプロンプトでその生成物をコントロールしようとする。
すなわち、ディレクターじゃん。
既存アニメ映画とかであれば、描く人が役職あがって監督とかの役職を果たすこともあるけど、位置付けで言えば、プロンプト書く人が座ってる立ち位置ってここじゃん。
こういう絵が欲しい。こういう動きを見たい。こういう背景が欲しい。
なぜその素材で良しとしたのか。なぜその表現でOKとしたのか。なぜそのディテールで妥協したのか。
言ってみれば、(一定の範囲で)コントロール可能かつコミュニケーション可能かつ手戻り修正可能なクリエイター(兼素材作成者)と監督間で共同作業して作成しているのが既存実写映画だし、
現在のイラストレーターをはじめとしたコンテンツ制作者たちは、これを自己完結した状態で作成したり、一部共同作業して作成したり、一部既存素材を利用したりして作成している。
すなわち、意図も直接反映させられるし、不満があれば修正可能だし、不要なディテールは削除したり薄めたりして、作品として仕上げられる。
他方、AI使用者がやっていることは、現状のエンジンが対応している範囲になるから、その下位互換的なものとならざるを得ない。
転じて、AI生成物は、どれだけ素材が良くても、どれだけ書き込みが精巧であろうとも、その意図が不明瞭である限りにおいて、あるいは、意図しないものが混ざり込んでいる限りは、
よって、批評としては、どうしてそのラインでGOサイン出せたんですか。ここの表現これでいいんですか。ここまでいいのにどうしてここの細部詰めてないんですか。
というものになる。
これを、「私が作りました」で出してくると、監督/プロデューサー/ディレクターが何言ってきてるの?になる。
なんだけど、この感覚って作ってる人、作品を世に出してる人にしか通じないよなーとなった。
書いてる人が、締切あるもので途中で出してきたとかなら、「あぁ、まぁここで妥協したんだね」となるけど、これが監督とかの立場になるなら、自分の仕事(ディレクション)果たしてないじゃん。となる。
あるいは、生成物大量に貼り付けてるだけのpixivページとかみると、「いや、途中のラフカットや素材集は別にいいからそれをどう取りまとめてディレクションするの?」となる。
書いてて改めて思ったんだけど、なんかいいよねの羅列とか、とりあえず出力してみましただけだと、伝わってくるものがない。
一方で、まだ上手くない手書きの人とかでも、「ここを表現しようとしたんだな」とか、「ここの描写に性癖を感じる」とか伝わってくることは多いし、稀にAI生成でも「あ、この人はこれが好きでここにこだわってるんだ」というのが伝わってくる人もいる。
単純に見た目のぱっと見の印象でも、そういうのが伝わってくるから、結局はディレクションの意思を感じるかどうかなんだよなぁ。という結論を、自分は得た。
し、自分はAI生成物だと性癖のこだわりに耐えきれなかったからたとえ稚拙でも自家生成の方がディレクション効くなぁ、となった。