はてなキーワード: 自民族とは
ラグビーワールドカップ・ニュージーランド大会とスポーツアジア大会が始まった。
今回に限らず、世界的なスポーツ大会では、メディアは日本応援一色になるのが常だ。
(ノーベル賞とか海外で活躍する人とかについても同様の傾向があるが、ここでは取りあげない)
毎回のようにこのムードを見せられると、はっきり言ってうんざりしてくる。
嫌なら見るなといわれても、どうやっても目に入ってくるので、どうしようもない。
私が思っていることをつらつらと書いていきたい。
幽谷霧子(の中の人)と同じ日に生まれた(投稿日現在)27歳男。ちなみにアナスタシアの中の人は誕生日が一緒。
個人的にアングラネタ(淫夢、Syamu、オウム、北朝鮮、恒心教)が好き。
面白い人(元首相銃撃の後ろで転んだ女子高生、「私は森の妖精です」の人、優木せつ菜推しの上履きの匂いフェチなど)も好き。
ハプニング(まれに起こるストライキ、皇族のコロナ感染、北朝鮮のミサイルなど)はもっと好き。
シャニマスのキーホルダーが生徒にウケた。デレマスのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)で授業すればもっとウケた(そのまま退勤したら女子高生にすれ違いざまにキモイと言われたが)。
っていうか、10月のシャニマスのライブ、ゲーム先行と一般抽選両方やって全部外れたんだけど。
せっかく283プロのレッスンジャージにイルミネーションスターズの腕時計、ライブ公式グッズもいろいろ買って準備してたのに。
言いたいことはこれに尽きる。
別にどこが勝とうと自分には何のメリットもないのに、なぜ日本だけを応援するかわからない。
もちろん日本が勝ったら給料が上がるというのであれば応援する理由にもなるし、本気で応援する。しかし現実そうではない。
自国やそこにいる人やチームなどを応援する気持ちは、どうやら昔軍隊がいたころの名残なんだそう。戦勝は自民族の生存に直結するためだからだ。
現在の日本だと、防衛大学校がこれと似たような状況になっているらしい。
というのも、2年次の手漕ぎボート大会で自分たちの宿舎が勝てば、宿舎の雰囲気がよくなり今後の学生生活がぐっと楽になるから、1年生は先輩を本気で応援するんだそう。
でも日本全体が防衛大学校と同じ環境なわけはないし、それに日本人や日本代表チームは軍隊ではない。別に勝ったとしても生存には関係ない。
仮にそれが軍隊だったり、日本戦が戦争に相当するようなもの(結果で自国の未来が決まる)だとしても、そのうち日本は衰退して消えるんだし、あまり応援する意味はないんじゃない。
もし日本が消えても、なんだかんだでどこか別のところに拾ってもらえるんじゃないかしら。なんなら英語できるし。
言い換えると「日本が勝ったからといって、自分が勝ったわけではない」「スゴイのはその選手やチームであって、自分ではない」ということ。
なので、日本が勝とうが自分がすごいとは思わないし、正直日本戦の結果はどうでもいい。
ほぼ毎回のように「感動をありがとう」なんていうメッセージが飛び交う。
しかし私は、なぜ日本代表が勝っただけで感動するのかわからない。
同じ日本人でも、私は日本代表のメンバーではない。自分のことではないのだから勝とうが負けようがどちらでもいい。
日本代表が勝ったとして、自分には何の影響もないのだから、感動するわけがない。
感動がらみでいえば、選手側からの「感動を与えたい(届けたい)」がある。
日本戦で感動しないのは上で書いたとおりだが、その前に感動は自分で勝手にするものであって、誰かに与えてもらうものではない。
というか、「与えたい」とはずいぶん偉そうだこと。
「俺様たちの素晴らしいプレーを見て感動しやがれ」とでも言いたいのだろうか。
「与えたい」もそうだが、「届けたい」もひどさ満点の言葉だ。
だから押しつけがましいつってんの。要らないのに勝手に押し売りするのやめてもらえませんかね。返品していいっすか。
よくテレビで言われる、(日本代表の活躍などに)「日本中が熱狂した」。
自分たちの思っていることをそのままメディアに起こすのであれば、どこかは対戦国を応援していたりしていてもいいはずだ。
まぁ、今のインターネットの状況を見ているとさもありなん、って感じかな。
少し日本を応援しないだけでやれ反日だ、○○人だ(なんかそういうデータあるんですか?)、祖国に帰れ、などと、愛国心しか取り柄のない暇人日本人が騒ぐ。
そういう意図がなくても、誰かの勝手な妄想で尾びれ背びれがつくものだから、ありもしない話が出来上がっていく。
逆にこの炎上を逆手にとって注目を集めることもできるが、マスメディアがやるとリスクが高いのだろう。
それに、スポーツ観戦は結果がはっきりしてる分、自分のパッとしない人生を自分が頑張れない分投影できて人気もいいらしい。
となると、無理やりでも日本を応援して、そういう人たちのニーズにこたえた方が堅実に利益になるというわけか。
もしそのムードに水を差すと思われる発言をした出演者に対しては、他の出演者は軌道修正を図るか、冷たくあしらいなるべく関わらないようにする。
前者はファインプレーを視聴者にアピールし、人気を得るために使う。
後者はこちらに延焼しないようにするためのもの。和田アキ子あたりがやっていたような(こちらはリスクを冒してまで人気を取る必要もないんだけど)。
マスメディアがダイレクトに日本を応援するのはよくあるが、一見中立に見せかけてやっぱり日本を応援するパターンもある。
それは、このように識者や人工知能を使って勝敗を予想するパターンだ。
そりゃそうだ。日本が負けるなんて言えないもんね。
この押し付けがましい応援ムード、どうも裏で金が動いているように感じてしまう。
スポンサーがうるさいから、下品な音とテロップで日本応援ばかりしてるようにしか見えない。
出演者はもっと大変だ。どんなに心にないことだろうが、どんなに勝ち目がなかろうが、無理やりオーバーな声とジェスチャーで日本を応援しないと仕事がなくなるもんな。
多くは雇用契約でなく、メディアや所属事務所との個人契約なので、簡単に切れるし。
一見プライベートを映してそうなSNSも、結局は営業のためのツールに過ぎない。
プライベートでも応援してますって風を装って、オナホアピールをしているだけなんだよな。
しばしば、試合会場で自主的なごみ拾いをしていることから「日本人は世界一マナーがいい」といわれることがある。
だがそれは対外的なもの(国内外に対する宣伝)であり、見えないところでのマナーはお世辞にもいいとはいえない。
・郷に入っては郷に従えを錦の御旗に、外国人を差別(イスラム教徒に豚肉を食べさせたり…)する
・法で認められた権利を主張しようすると、同じ立場のくせして足を引っ張ってくる
・「自分に実害がなければ別に私はいいですよ」というのが理解できずいちいち無関係な他人に干渉する→多様性の阻害
・なによりも匿名や強い立場になると何でも言っていいと思っているし、実際にそうする
…まだまだあるが、全部日本人がやってることだが。これのどこがマナーがいいんだ。
そのくせ、何の合理性もないマナーを放置(上座下座とか)したり、余計なマナー(マナー講師、お前らだよ)を作ったり。
日本は災害が多いが、そのたびにスポーツが出てきて、スポーツの感動で復興みたいはわけのわからない話が出てくる。
そのたびに言われるのが「みんな一緒になって頑張ろう」とか「絆」てきなフレーズだ。
そのくせして、なんで勝手に見ず知らずの人と絆があったことにされ、協力を強制されるのか理解できない。
絆は感じたい人だけで、協力はしたい人だけで勝手にやっていればいい。こちらを巻き込むな。
日本の応援と一緒に、他国(特に韓国)を貶す動きがみられる。特にTwitter(現・X)。
過度な応援ムードだけでも十分気持ち悪いが、他国を貶し負けを願うものはもっと気持ち悪い。
相手を貶して、そして相手が負けたからといって、何になるんだろう。
話を聞いてみると、昔貶されたから貶してやるんだそう。
どこを見ても日本応援一色だ。嫌なら見るなといわれて他を当たろうにも、やはり同じものが目に入ってくる。
スポーツ観戦しようにも、せめて一歩離れて中立に見たいのに、ここまでニッポンニッポンうるさいのは勘弁してほしい。
他のチームの状況を知りたくても、ほとんど取り上げない。それどころか、日本が負けそうになると中継を切ることさえある。
(似た傾向は、ノーベル賞などでも見られる)
どうにかならないのこの風潮。
だが、上に書いたようなことが重なり合うと、過度な応援ムードだけでなく、日本代表そのものにもネガティブな感情しかわかなくなる。
というか、これから先もメディアに取り上げられる前にさっさと負けてくれた方がうるさくなくて済む。
できるなら日本代表には再起不能になってほしい。二度の目の前に現れないでほしい。
色々書いたが、要するに日本応援一色のムードが嫌で嫌で仕方がない。
他のメディアに変えようが、どこへ行こうが、どうやってもこの話題が入ってくるので避けようもない。
どうすればいいんだろう。
22年2月開戦時、ウクライナの「非ナチ化」「非軍事化」がロシア政府のナラティブだったことを覚えているだろうか。そのために『わが闘争』の本がウクライナ軍陣地跡から出土した、というような馬鹿げたプロパガンダをしていたことも。ウクライナを含めたロシア圏を西側の影響(文化的なそれを含む――LGBTの排除が典型)から守るというナラティブであった。それが「戦争」ではなく、「特別作戦」というネーミングにつながっている。これは不戦条約および国連憲章による武力行使禁止への言い訳に過ぎないかもしれないが※、ここではそれを思想的に少し本気に受け止めておこう。
今は違う。ロシア政府は「戦争」と言い出した。悲喜劇となっているめちゃくちゃな動員も行い、ウクライナ国内への容赦ないインフラへの打撃――戦略爆撃など、本格的な戦争にいちおう移行しつつある。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022102300113&g=int
では、NATOが本格的に軍事介入(空爆にせよ、陸戦にせよ)すればカタがつくかと言うと、そうでもないように思われる。実は、それこそがロシア政府の望んでいる事態なのではないか。上記記事では、現時点でもロシア政府が「戦争の責任を負うのは北大西洋条約機構(NATO)側と主張。ロシアが仕掛けたにもかかわらず、「被害国」だと訴えている。」という認識を示していることが語られている。これは、どう考えても欧米諸国に向けられたメッセージではない(彼らも、本気でこういう認識を欧米諸国が認めてくれるとは思ってはいるまい)。ロシア国民に対する敗戦の言い訳である。そしてNATOが本格的に軍事介入すれば、この言い訳をNATO自らが裏書きすることになる。
この戦争の思想的原動力になっているのは、要するにロシア民族優越主義であることが指摘されている(例:イリインの思想についてhttps://book.asahi.com/article/14612140。小泉悠氏の著書やフォルカー・ヴァイスの『ドイツの新右翼』を読むと、かのドゥーギンの思想は、シュミットのグロースラウム論の応用のようだ。それも結局一言でいえば自民族優越主義だろう)。他方で、この戦争の敗戦の原因になっているのもロシア民族優越主義である。弱い(ということになっている)ウクライナ如きに敗北するから、国民の士気が下がる。士気が下がるからまた負ける。
NATOが軍事介入した場合、NATOが完全に結束し続ければいずれすべての戦場で優勢となるだろうが、ロシア人は、強いアメリカと戦っているから負けているのも無理はない、と考えることができるようになる。これは1941年12月8日の状況と似ている。弱い(ということになっている)中国に全然勝てず、不平不満が鬱屈していた日本人が、相応の知性あるはずの者も含めて対米開戦に快哉を叫んだ※のは、もちろん主力艦を奇襲攻撃で大破して望外の大勝を得たこともあろうが、他方で戦場での劣勢への言い訳が見つかったからではなかろうか。
※ 「一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ」(坂口安吾35歳)。「みんな万歳を叫んだ」(井伏鱒二43歳)。逆に、理性を失わなかった例として、「僕達が努力しなかったのが悪かった」(ジャーナリスト・清沢洌51歳)。
https://book.asahi.com/article/11852364
戦争の哲学者クラウゼヴィッツによれば、攻撃にとって最も重要なのは敵の重心(Schwerpunkt)への打撃である。重心とは、敵軍のすべての要素がそこでバランスを保っている一点である。それは戦場の軍勢とは限らない。敵国首都とも限らない(ナポレオンはこれを誤った)。クラウゼヴィッツの洞察が正しければ、今回の場合、ロシア民族優越主義が破滅するような道筋をつけるべきなのだろう。つまり、「弱い(ということになっている)ウクライナ※がロシアを倒した」というナラティブ、これである。NATOの介入はかえって害悪になるかもしれない。帝国日本は対米開戦から3年半以上持ちこたえた。むろん、ロシアの軍事力は当時の帝国日本よりもアメリカに対して不利だとは思うが、それのみならず、「中国に負けた」ことを受け入れられない日本民族優越主義者がけっこう多いことにも注意したい。このような観点からすると、バイデン大統領――彼は連邦議会議員としては上院外交委員長を長年勤めた老練政治家である――がロシアと直接交戦はしないという態度を開戦前から決め込んでいるのは、きわめて適切な対応のように思われる。さすバイ
※客観的に考えればウクライナは別に弱い国ではない。中東欧では最大クラスの軍事大国と言って良いのではないか? ヨリ客観的にみれば、この紛争の根源は地域大国ウクライナと地域大国ロシアの、ロシア語地域圏におけるシマ争いという風に考える余地がないではない(なお、武力衝突に至った責任は大方ロシア政府にあるから、ウクライナ政府を非難するつもりはない)。
「ザ・ピープル(国や民族や階級で差別しない)」の平等や人権が世界常識。
「国民」━━自国と自民族だけの平等や人権というおかしな条文は🇯🇵だけ。
国民でないガイジンに平等や人権がないという頭のおかしい発想も🇯🇵だけ。
そのクセ、憲法の英訳では「国民」を「the people」にしてる。
ザ・ピープルなんて主義以前の常識なんで、君主制のクニでも知ってるよ。
「The」をつければ【人を国や民族で区別しない意味】と子供でも知ってる。
【民】━━目を突かれた奴隷。
「国家(帝国豚小屋)」「国民(帝国奴隷)」を語る汚らわしい島🗾。
「恥」「世間」「努力」「頑張る」「仲間」「仲良し」「甘え」は海外にない価値基準。
でも、🐷はウソ翻訳、ウソ字幕、ウソ吹き替えをうのみにしちゃう。
ドイツ国家、アメリカ国民、フランス人民等の失礼はやめなさい。
ホームはブラザーを「兄と弟」に分けない、シスターを「姉と妹」に分けない。
ホームに「年上と年下」「先輩と後輩」「目上目下」の年齢不平等はない。
「自然」はウソで、日本のタテ社会は人工的で家畜的なカースト制度。
ジャパニーズの権利と平等と努力はすべてウソ。誰も頑張っていない。
ジブリも鬼滅も進撃もワンピもFGOもFFも何万のなろうも差別用語だけ!
「兄弟姉妹」「先輩後輩」「皇帝」「教皇」「王」「大臣」「国民」
の偽ホーム、偽ネイチャー、偽ファンタジーで子供を洗脳するだけ。
リアルで具体化しない、フィクションで物語化しない。どんだけ怠けるの?
「ネイチャー」「ホーム」「ブラザー」「シスター」すらわからない。
ピープルやパーソンやインディヴジュアラティの「ヒト」すらわからない。
ヒトとクニとイエがわからない16億の🐷🔗とか嫌すぎる。
まずは姉なる“日🇯🇵”って不平等なニセ太陽を改名しないとな。
憲法。和。恥。自然。世間。努力。頑張る。仲間。仲良し。甘え。
・シス女性アスリートがトランス女性アスリートと切磋琢磨しさらなる高みを目指せる
・発達障害者が無理矢理働かされずにすむ
・健常者も障害者も同じ教室で助け合い学び合いサバイバルスキルを身につけられる
・授業内容を全く理解できない児童も共に学ぶ大切さを実感し鍛錬を積める
・女性たちが肌を隠せるようになる
・欧米を見習おうとした明治時代の先人たちの正しさが改めて実感できる
・ホームレス暮らしを謳歌する男性と同じく女性も児童も不審者のいない路上でのびのびできる
・妊婦さんたちが外野の声を遮断し本当に産みたい子だけを産めるようになる
・出産直後でも好きなだけ働ける
・田舎のしがらみから解放され都心で好きなだけ子育てに勤しめる
・男性同士が愛し合うマンガ作品が普及し同性愛の男児が勇気づけられる
・都会のみならず農村でも工場地帯でもさまざまな地域の外国語を学ぶ機会が増え多様性を実感できる
・進学したくもない大学に無理に行かなくてすむ
・アジア系アメリカ人が大学入試でチャレンジモードにチャレンジできる
・ユダヤ系ドイツ人とアラブ系ドイツ人が人目を気にせずガチンコディベートできる
・ドイツやスウェーデンなどの移住先でも自国自民族独自の司法文化や婚姻文化を実践できる
・沖縄に住むアメリカ人の子どもたちが日本人の大人からひどい言葉を浴びせられなくなる
・好きなキャラクターの肌を黒く塗ったファンアートをたくさん鑑賞できる
・同じ肌の色の人々が作った文化を自分たちで独占し流出拡大を防げる
・時効をなくせる
・友好国の軍隊同士でじゃれあえる
・おまわりさんが当てにならないことを学び市民が自分たちの手で課題解決する力を身につける
・おまわりさんがジェンダー論の主張を受け入れてくれる
https://anond.hatelabo.jp/20210312203939
本文がどうしても途中で消えるため、追加部分として分けた。
部落問題は、根が深い。かといって、そこまで複雑なものではない。
各時代の政権が正しく対処していれば、部落解放同盟といった組織が存在することはなかったし、また存在しているべきでもなかった。
被差別部落は、歴史が積み重なったエリア(代表的なものとして京都。あるいは「府中」が付く地域など)に多く存在する。
平安時代以前に、そのエリアに特定の民族(土着系、中国系、朝鮮系、マレー系ほか)が住み着いて生活を営んでいたものの――何らかの原因によって、とある民族一派が生活圏を追われた結果として生まれたのが、伝統的な意味での部落だ。
すなわち、戦争や政変で自民族が敗北する、ある者が重大な罪を犯す、心身に何らかの異常があるなどにより、生活しやすい都市部を追われた者たちは、山地や川べりなどに住まわざるを得なくなり――そこから、普通の人間が忌避する穢れを含む多くの仕事(食肉、葬送、処刑、皮革加工や汚物処理)を行うようになり、やがては専門的、特権的職業に分化していった。
明治以前は、そうまで貧しくはなかったようだ。彼らが町人の生活に必須な物を売ったり、公共サービスを提供していたこと、税金が免除されていたのも大きい。
だが、維新によって明治政府が生まれ、西欧に倣った近代的な理念や法律が社会に浸透すると、四民平等の名の元に、彼らにも課税がされるようになった。加えて、近代産業が伝統的な部落民の仕事を奪うようになっていき、彼らは貧困にあえぐようになった。
当時の政府は何らかの手を打っておけばよかった。しかし、何も手を打たなかったので、部落に住む人々は貧しい時を生き残るために集団の結束を高めた。家族間や親族間での助け合いはもちろんのこと、その地域に住んでいる全員が全員を認識できるほどに。そして、彼らの結束は、やがて一般社会への怨嗟を募らせる方向へと動いていった。
昭和の中期になり、国民の人権意識も向上していき、部落解放運動が盛んになるなかで――部落に生まれた人々の恨みが爆発した。彼らは、一般社会への恨みを持ち続けていた。復讐したいと考える者が多数いた。だから、あそこまで過激な、暴力を伴う運動に発展した。
令和の時代に、その人が部落出身かどうかを気にする人間は少ないだろう。部落に生まれようと、生まれまいと、その人の人生に何らの影響もないからである。現代の都市環境においては、その場所が被差別部落だったかどうか、一見ではわからなくなっている。※道幅や道路改良の跡でわかることもある。山地や川べりにあるタイプの部落も、分かる人間であれば判別がつく。
部落というのは、文化的な意味では、もうほとんど存在しないといっていい。しかし、人はタブーに惹かれる性質を持っている。「穢れ」という概念は、今の時代を生きる人間も持ち合わせている感覚である(人が触ったパンや米粒は食べたくないはずだ。安全性が保障されていたとしても)。だから、インターネットなどでは、若い人達も部落について語り合うことができる。彼らは、昔の人々がどのような「穢れ」を持っていたのか気になるらしい。
被差別部落に生まれた一個人として、現代人の意識から、この「部落」という言葉がいつの日か消えることを祈っている。いずれは完全なる死語となり、教科書の中だけの言葉になることだろう。子どもの時分から解放運動に携わってきた者として、そんな未来を望んでいる。
防衛能力がなかったら輸入品が何も買えなくなって交渉国の面倒な仕事を全部させられるだけになるから最低限国際間で死ぬ人の準備が必要
殺されたら被害を届けて国の集まりで多いほうが交渉を有利に進めようと判断してもらえるので軍隊は必要
日本が独自の文化と日本人の安全を願うのだったら団結して国防を含めた国益に貢献すべき
外国ではみんなやってる自民族の確立のための努力をしてないのは南国パラダイスの古民族と日本人くらいなもの
日本は何度か受けた空襲で民間人の死者被害を戦争法違反で訴えるべきだったが戦争で勝とうとして被害届をださずに腕に覚えのある知人をたよってみんな負けたので結果負けた
第二次世界大戦はアメリカが警察を押さえてた 日本を降伏させたのは「UN」アメリカではなく国際連合 国際間組織が実質降伏させたので悪いのは日本という事
(いまは国際連合を中国が抑えているので数年来抑圧してるチベットとかウイグルとか最近の香港などは中国の正義がまかり通ってる)
戦争で死ぬ役割がでると意見として死なせるなという風潮がおきて国民の何割くらいまで被害がでると戦意が喪失されるという結果に至るのであらかじめ死んでもよいまたは死ぬため死なないようにする訓練を受けたものが必要になるので死なない国民をつくるために兵隊を組織する
人間が人間を殺すという行為自体は効率が非常に悪く一人が一人ないしは三人程度を相手にすることくらいが限度 そのため数千の大軍に数百の軍勢が勝利したり中央突破できたりする
これを全否定するのが核兵器 つづいて大量殺りく兵器 人を殺すのが戦争なのになぜ効率化がよくないのか 暴力の勝ち負けが戦力の維持が不能になることだから 第二次大戦では戦力自体は日本は底なしだった(一億総何々)
日本は何割まで死ねば戦意を喪失するかという基準がアメリカの想定をはるかに超えていたため脅威とされそれを人道的と称して講和にもちこんだ(原子爆弾による民間人の大量殺戮で上層部の情に訴えた)
戦争のルールを覆すので日本は降伏後そういうのはダメと教育に盛り込まされた ベトナムでは軍備量だけでは勝ててない ベトナムは民間人を含めてやたらと殺しても許されない程度に世情がうごく情報網の発達があった 中国は情報統制がうまくいってる(と思ってる)のでこそっと民族殲滅をしてる(ばれても国連に食い込んでるので黙殺)
軍備合戦になると天井知らずになるという危惧について、軍備合戦の天井は相手が戦力の維持が難しいと思わせるところまででよい
国際協力や単体の戦力などで、もし状況が悪化した場合安全維持の名目で他国が護衛に入ってくるとそれに見合った戦力を維持することが難しいとなるところで十分
また軍事目的の産業で国内生産があがる 国力の増加で内需を軍需にまわせる この循環のための一次産業は金属と油でよいため生産性が高い
生産性の低い弱小食物輸出国が植民地支配を免れているのは国際的な連携において面倒な生産部分を担っているため 近代化するといやがらせをうける
軍備の生産をつづけると償却材がでてくるので紛争地帯が必要になる 金属と油のあるところには軍事介入が容赦なくされる
日本語がわからない人に簡単に説明すると、防衛目的で人の壁を築ける人がいないと被害届を出せる状況にもっていけないので、敵がきたら前にたって死なないように抗う人が必要なだけ それが防衛の人の仕事
境界線に敵が軍事力をもってきたとき、アルバイト募集で「最前線で生活する人募集」でも軍隊と同じ役割ができる(国際組織が正常に機能していたら、国際法違反とかで訴える)がそんなのだれもこないのであらかじめ死ぬように(死なないように)訓練されて、死んでほしくない人のかわりになる仕事がいる(兵力)
毎回殺されてから被害届をだすのもなんなのであきらかに国際的に定められてる蛮族がくると攻撃してもよいため攻撃手段はほしいところ
人が人をころさないという事が絶対的に保障されたら、被害が発生しないので、補償の必要はないので、補償を履行させるための力が必要なくなる 人が人をころさないとはいえないから力が必要でそれが殺される局面において抵抗するだけの軍備
欧州の国みたいに国単体では軍事力はないがほかの国から出してもらってるところもある
永久に戦争しないって宣言してる国が軍隊をもっているのは攻め込んで戦争する、悪い奴は積極的にやるとかのためにあるわけではなく、攻撃されてもみんなの役に立っている事は自力で防衛するのでわたしの国をいろんな国むけに使ってほしいという事のため
永久に戦争しない宣言の国の銀行員が不正な行動をしたとき軍隊がないので国際的な介入がされたとき実質支配権が安全確保のためという名目の上でその軍事力の国がもつことになる(その時々の違反を正しい「保安部隊」が維持するため)
巨大な兵器や新しい武装や洗練された技術者(兵員)が必要なのは その場所まで移動する手段が必要なため巨大な引っ越し業者(生活もできる)という隊が必要なだけ(兵隊)
最新設備や強い武力は相手が攻撃してきた場合それに耐えかつ攻撃者を撃退することが可能であるようにするため(できるだけ自軍は死んでほしくない相手は正当防衛で事の次第による)
海や陸や空においてそこで人が活動しなおかつ問題に対処する能力が必要な人にそこにいてもらうための能力が軍事力
日本はそんなに気にしなくていいよアメリカがそれ出してあげるから(問題があった場合は正義と平和のために「アメリカのルール(アメリカ軍)が動くけどね)というのを国際間協力という名目で沖縄とか全国に基地(被害者となってくれる率先して前線に引っ越してくれる役の拠点)を設けてる
もちろん日本に問題があった場合は、国際協力として「アメリカ軍が日本の拠点を制圧する」ってことがあってもしょうがないよね(しょうがなくないので自衛は必要だと思われる)
巨大な軍備があれば国は守れる それはたしかに守れる それは人が人を殺すのは効率が非常に悪いという点から人が多く兵器の数があれば強いわけではない
現に核兵器がそれを示して結果を出している しかたなく民間人を殺すけどというのを武力というなら兵力としてそれを備えないのが核非武装 防衛はあくまで自衛の手段で攻撃をしてくる民間人ではない敵対者(時に人間という前提でほぼ人間)
どの戦争でも核保有すればいいだけ ただ核兵器の使用目的が破壊と殺戮のみなのでこれほど純粋に目的を完遂するものはないので保有国はほかに保有国がふえることを厳しく制限している
内戦や移民のつづく国は軍備を高めて核を保有すれば近隣国との交渉もしやすく豊かになっていくが一般的な兵器が余る国はそれを消化したいしその的を国際協力という名の元に他国から募りたい
中国が国連でアメリカソ連の兵器の消化を紛争地帯でしないよう根本的な解決を試みたら具体的な中国の問題に実力を行使するかもしれないが国防費の循環とGDP成長を握られているのでおおよそ悪いとは言えない
このコメントをお書きになった方に私の考えをお伝えしたくここに書かせて頂きます。
まず、世界大戦である意味、日本よりもっとひどいことをしたドイツに私は実際に行って次の感想を抱きました。
ドイツのミュンヘンあたりでドイツ留学経験のある人の紹介で、かなり深くドイツの人と接することができたと思います。
そして、ドイツの人は少なくとも、かつて世界大戦に参加した日本から来た私からみて、自民族至上主義やナショナリズムに
ついては、驚くほど厳しく自制し、深く(キリスト教的な)悔悛のなかで生きていらっしゃるように見えました。
これは、キリスト教という宗教的背景からドイツの人の多くは何か世界大戦でのドイツの行ったことと「原罪」の観念が
心のなかで結びついているのではないかという印象を抱きました。
日本の人の場合、その宗教的なものが世界大戦における日本の行為とは全く心のなかで結びついてはいないように思います。
そこらへんの点が、海外の人からみた場合、何か怒りを引き起こしてしまう可能性があるのかもしれません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.epochtimes.jp/2018/10/37153.html
foobarchocobo 常任理事国による犯罪なんだから国連が役に立つことはないんじゃないか。こういう繰り返される理不尽も人類の歴史なのだろう
hosyu_ha 日本軍の性奴隷の強制連行は「どうして誰も助けなかったのか?」と言っている宇予くんなのに、ウイグル人には「どうして誰も助けないのか?」と言わないのは何故ですか? https://matome.naver.jp/odai/2147341946701299501
aquatofana こういう問題(もっと古くは常任理事国が核保有国であることによる核不拡散の停滞)があるから制度を変えようという提案は幾度もあるが、参入しようとする日本も世界の手本とは言えないような姿勢だから支持されないの
Cunliffe 大紀元って、確か反中国共産党系だと思うんだけど、情報源としてどれくらい信用できるんでしょう?(選択的懐疑
nanana_nine 実際問題ネトウヨや人権活動家が騒いでも政治レベルで動かないと何も起きない。自民党は人権問題に興味がないし、ウイグルに経済的なうまみがあるわけでもないから、なにも動かない。
Gl17 人権的抑圧があることは長年国際社会が非難してる。「人権屋ガー国連ガー左派メディアガー慰安婦像ガー」と、眉唾メディアの一件を盾に "他国の人権加害を追求するな" ばかり言い立てる人らは一体何なの。
kincity ここで銅像云々いって溜飲下げてるタイプのひとたちが自国や自民族が戦争に負けた時に真っ先に同胞の女を敵国に売りとばすタイプのひとたちなんだろう。手前が気持ちよくなるためによそ様の人権蹂躙をネタにするな
Zephyrosianus 各種の人権団体が批判しているけど、なるほど中国に対してはグローバルなスタンダードで批判できるんだね。
namab 大紀元ってカルト宗教法輪功の広報誌だぞ オウム真理教が新聞出してたら内容信じるか? なぜ日本批判は疑うくせに中国批判は2秒で信じるんだ
yosio789 ソースが大紀元www 中国共産党は少数民族を大切にして大学までたくさん作ってる。北京五輪開会式にも出てきたよね。アイヌ民族も琉球も見捨ててる日本人とはえらい違いだ。
はてなブックマーク - irrさんのツイート: "はっきり言うけど、日本人に生まれたというだけで、日本人には価値がある。リベラルは「自分の力で何も成し遂げられないから、日本人性に頼るのだ」という。その通
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/irrtenko/status/1007263346326769664
deztecjp 私は国連食糧計画に毎月寄付し続けている。全人類は平等なので、国内の相対的貧困対策など世界の絶対的貧困を撲滅した後だ、と私は主張してきた。絶対的貧困撲滅目的なら増税も支持する。日本一国の景気より重要。
このブクマは人権思想のリベラルとしては全く正しくて、万人に平等に価値があると信ずるならば必然的にこうなるはず。
世界には今も内戦や飢餓で明日の命をも知れぬ人々がいるのだから、彼らが全て救われるまでは、放っておいても死ぬわけでもない日本人の弱者、
例えばトリプルワークで疲弊して子供を虐待しそうになっている日本人のシングルマザーや頭は良いのに親に経済力が無く進学を諦めている日本人の若者……なんてのは後回しになる。
もし日本政府が人権思想に基づいて本気で世界から紛争と飢餓を無くすために惜しみなく外国を援助し国連に資金を出せば、とてもじゃないが日本人の相対的貧困層に回す福祉の予算など無くなる。
「若者たちを我が国の明日を担う国家有為の人材とすべく教育への援助は惜しんではならない」
別にそれでいいんだよ。
貴方がやっとるような「善意の伴わない善意」と、「当人はいっさい善意のつもりで行なっとるビミョーな行動」では100億倍も前者のほうがマシだから。
後者の事例を挙げると、たとえばヒトラーは善意100%で「ユダヤ人を殺すのは良いこと」と思っとった。自国民を殺しまくったスターリンやポルポトも同様。そんな彼等も滅茶苦茶に人は愛してましたよ、自民族とか自分の思想に盲従する者だけは。
それに比べれば、人間愛がわからんがゆえにこそ誰相手にでも表面だけでも善人のふりを貫徹してる貴方は無害で立派な善良な人間です。
そのまま変に正義とか真の愛とかに目覚めなくて表面だけうまくやって生きてください。あなたはポルポトよりは1000兆倍もちゃんとした人間です。
愛というのは差別です。愛情の対象を他のものよりかけがえない存在と思うということですから。
それはどうかなw
早い方がいいし助けがあった方がいいじゃんなあ?
「遅かれ早かれ」なんて暴論は
その”誤差”の数十年数百年の東南アジア人民の被支配下の塗炭の苦しみを全く無視しなければ出てこない考え方ですなあ
いや~~~~レイシストには困るわwwww
「同じ黄色人種だ」「我々も白人に負けないんだ」という幻想を与えたねえ
成長期は金だけばら撒いて、身内ではさんざん後進国と貶してきたくせに、
いちいち東南アジアにそういう変な蔑視向けるのは韓国人が大好きだねえ
「アジアの盟主」とかいうクッソキモい言葉も韓国人以外好まないねえ
(中国は?と思うかもしれないが彼等は「大中華」なので「アジアの盟主」なんて卑屈なタイトルは使わない)
「おまえらってワイの事好きなんやろ? ファックしたいほど濡れ濡れなんやろ?(ゲス顔)」
とかキモ金おっさんも真っ青のキチキモフレーズ言ってくる老衰国家!
そんな国に好意もてると思うか?
普通に中韓朝以外からは好感度高いのがばれるようになってくやちいくやちいwwww
「日本に好意を持つ外人の声」を紹介するときにソースのリンクぐらいは貼るねえwwwww
東南アジアの国々はこう思ってるの忘れんな
元のゲーマーも、この増田も、要は無自覚なボンボン。普通に世間で苦労してる社会人に怒られて逆ギレしてる、それだけの話。
この場合「ボンボン」とは、ただ「日本人」として生まれ島国の中で特段「民族」を意識することなく育ったことを指している。「自民族中心」どころかそもそも圧倒的に無自覚に日々を安穏と暮らしてるこの子らは、自分という存在や立場の暴力性やら何やらに対しても全く無自覚だ。過去の歴史も知らず、「日本人であること」が「アイヌの人々」に対して何を意味するのか全くわかってない。そのせいで、「ドイツ人/ユダヤ人」というごく分かりやすいたとえを出されても理解できず、それが「ヘイトスピーチになり得ること」の意味が分からない。「日本人であること」の上であぐらをかいているのに、「民族性とかオレたち知らないしかんけーない」が通用すると思っている。
もう一度確認するが、ドイツ人/ユダヤ人に置き換えた場合、当該の発言がいかにヤバい発言になるか分からないはずはないと思うが、どうだろう? ヘイトスピーチ扱いどころか「冗談」「違う文脈」などという言い訳すら許されないだろうし、その発言したのが仮にドイツ人なら職を失ってもおかしくないくらい社会的信用に関わるだろう。それは、まっとうな社会人ならそういう過去について「教育」されており、「知らない」ということ自体が犯罪的だ、という共通理解があるからだ。では「アイヌ問題」に関しては? 残念ながらアイヌ問題についてしっかりとした「教育」は日本の場合ほとんどされていないだろう。北海道以外では、触れられることすらないのでは。だが、この日本社会で生きている「アイヌ」の人々にとってそれは生々しい日々の現実であり、まさしく「知らないこと自体が罪」なことなのだ。
まさしく「踏んだ人には踏まれた人の痛みは分からない」。だから「踏まれた人の反応」から推測するべきなんだよね。
この件について、アイヌの人の側から、当該発言者の余りの無思慮・無思想っぷりについて、むしろ知らないがゆえに/知らないことそれ自体が批判されるのは、全く当然のことと思うし、知らないで許されるという筋のことではない。増田の分かっていないところは、まさにそこ。知らないで押し通そうとしていること自体が「そういう発言を許せ」という主張になっており、それは「知らないで済ませてよい」という主張とイコールになる。アイヌの人がどのような目に遭ってきて、いまどのような境遇にあるか、そのことへの想像力も私たちがもたないで「よい」という主張であれば、これはもう政治的主張だ。本人がどういう意図で語っているのであれ、増田と元のゲーマーの彼の言っていることやっていることは、そういう政治的な意味になる。その上で批判されているのだ。
というわけで増田および元のゲーマーの発言は残念ながら「ボンボンの戯言」「子供の理屈」でしかない。世の中には安易に触れていいこととそうでないことがある。ついでながら「今時の若者言葉」などという言葉に甘えず、「殺す/死ぬ」という言葉を軽々しく使うことがどういう結果をもたらすかこの機会にきちんと知るべきだ。