はてなキーワード: スキームとは
俺はどっちかと言えば後者かな
3店方式なんて明らかに脱法スキームだし、警察が公式見解として「3店方式なにそれ知らない美味しいの?」とかカマトトしてるのが気に食わん
警察からの天下りや、〇号機?みたいな機器への介入も含めて、警察が超癒着してんじゃん
中南米なんかの警察にくらべたらはるかにマシだけど、やっぱり腐敗だとは思うよ
また友人を失うかもしれない。
原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。
はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイスや共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。
筆者は2002年生まれの現役の大学生で、一年、浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京の山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生(教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会にアクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分がおかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科や家族に相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代だから」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?
友人Aの場合
Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか、学部は違うけれど同じ大学に所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークルに所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前、就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。
書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能を評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独を大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから。
おそらく、Aには特殊な技能はない。英語も普通、スペイン語は自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通の就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。
さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手とベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手の二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャーと大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。
大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか。
ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自のシステム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプションか新株予約権付きのストックオプション。新株予約権!?
悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!
仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社の株式の価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。
もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長の人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。
今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。
ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。
Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。
そのあと電車で各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。
そして、AからAの意中の女子と上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野の初デート?コロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。
「絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろ。バスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。
Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。
別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだろうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。
Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。
そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い。
筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレの限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。
その後、彼からの連絡はない。こちらからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。
もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。
もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシー・ドリーム・ガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。
きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから。
彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在(原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。
多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分の世界とそうじゃない世界の区別が全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者で現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。
「過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかないかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかないかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利は自己にしか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず
れいわ信者「自分たちは頭が良いから世界の真実に目覚めた!MMT!税は財源じゃない!国債刷って税金廃止!」
国民民主信者「「自分たちは頭が良いから世界の真実に目覚めた!壁廃止!減税!財務省解体!」
こんな感じだったけど、先日玉木のネット世論機嫌取りのためのポストで一気に「外国人が日本の社会保障にタダ乗りしてる!けしからん!」というムーブメントが国民民主党信者の中に出てきた。
@tamakiyuichiro
今朝のウェークアップでも指摘しましたが、外国人やその扶養家族が、わずか90日の滞在で数千万円相当の高額療養費制度を受けられる現在の仕組みは、
現役世代が苦労して支払う社会保険料は、原則、日本人の病気や怪我のために使われるべきです。
https://x.com/tamakiyuichiro/status/1890615567171637460
そもそも90日の滞在では実質的に健康保険に加入できない。91日目からである。
数千万円の医療費が必要な人間がビザを取得して日本で治療受けるのは相当特殊かつ巧妙なスキームが必要。
しかし、ここは「韓国人が井戸に毒を投げた!」「韓国人が唐辛子をシカに食わせた!」というデマが流布する国日本である。
そもそも日本人の多くは海外旅行したこともないし、まして海外で働いたこともないので、国民民主党支持者の境界知能だと「ビザ」という概念すら理解できていない。
ということで「中国人なら不正をして日本ので数千万円相当の高額療養費制度を悪用しているに違いない」という陰謀論が完全に定着しようとしている。
つい先日は「財務省が日本の経済を30年間停滞させている」という陰謀論から中規模デモまで出てきたが、更なる排外議論が玉木主導のもとで起きようとしているのではないか。
そもそも中国の方が医療は進んでるっぽいけどな。最近では台湾人スターがインフルエンザで亡くなったときも現地の中国人から日本の医療がボコボコに叩かれていたし。
私は今年40歳になる、アラフォーど真ん中の、自他ともに認めるおじさんだ。
昨年9月、軽い気持ちで観始めたtimeleszプロジェクトだったが、先日迎えた最終回は、2月に入ったあたりか、死ぬほど気になってしまい、仕事もロクに手につかず仕舞い。
挙句の果てには、「仕事が終わらなかったので、午前中だけ在宅仕事をさせてくれ」と半分嘘の(といっても、もう半分は本当に仕事が終わっていなかった、ということもあるが)理由を作り、家族で出かけるはずだった予定をキャンセルし、書斎に籠もって配信開始となった午前10時に視聴を開始した。
何故か、この思いを言語化し、誰かの目に少しでも触れてもらい、共感してもらいたい、と感じ、増田に書き殴ることにした。
特に誰かを傷つけたり、攻撃をする意図は全くないが、もし傷つく方がいたら予めお詫びさせていただきたい。申し訳ありません。
ちなみに私は、今まで特に旧J社(便宜上、このように記載させていただく)のアーティストにドハマリしたことはないが、同じ世代の男性であれば、おおよそ共感していただける距離感で、触れていた…というレベルだと思っている。
世代としてはSMAP、V6、TOKIO、KinKiKidsあたりがドンピシャの世代で、それぞれのグループの代表的なシングル曲はカラオケで歌えるが、アルバム収録曲になると疎い…くらいのレベル感。
SMAPのらいおんハートや、TOKIOのDRなんかは、中学の時に楽器の練習で弾いたりもしていた。
テレビ番組であれば、スマスマを観たり、学校へ行こうを観たり、鉄腕DASHを観たり、それぞれが単独で出演しているドラマも勿論観ている。
未だに、長瀬智也のIWGPやタイガー&ドラゴンは定期的に見返してしまうし、木村拓哉の、ドラマはなんとなく観てしまう。堂本剛の金田一一が最高。
ただ、嵐くらい以降に結成されたグループは、殆ど触れていない。
例えば、「このグループのこのメンバーが出演しているから」という理由で、摂取するコンテンツを、顕在的に選んだりもしていない。
ここは私個人の環境・考え方もあるが、思春期での私のまわりには「Jオタク=厄介」という考えを持った友人が多く、私もまたそのように感じ、Jオタと呼ばれる方を一括りで嫌悪し、大元のグループに対しても、意識的に遠ざけていたように思う。
その為、timeleszの前身となっていた、SexyZoneも全く触れてない。
今思えば、デビュー曲のサビは、まぁどこかで聴いたことくらいはあったな、程度のものだし、特にメンバーの休業や変遷などは、全く知らなかったし、興味もなかった。
中島健人はバラエティに出ては「セクシーセクシー」言ってる人。菊池風磨は顔が整ってるのに中島健人とくらべるとスカして前に出てこない印象だけど、ここ最近は割り切って洗濯大名とかやってんのかな、くらい。あとメンバーいたんだっけ?と。
そんな私が番組視聴をしたきっかけは、Twitterで流れてきた「菊池風磨構文」だった。
その部分だけ切り取られていたので、「嫌な言い方するなぁ」と思ったのを覚えている。と、同時に、こんなこと言われてしまった方もかわいそうだな、とも思った。
どういったシチュエーションでそんなことを言ったのか、言われたのか、ちょっと観てみようかな、がきっかけとなった。(実際のやりとりは主題ではないので割愛する)
タイプロ配信のep1でもある二次審査は、色々な職業の人が応募してきてるんだな、ぐらいのもので、この先観続けるか、と聞かれたら特に考えていなかった。まぁ、新しいエピソードがいくつか配信されたら、倍速でいくつかまとめて視聴するか、くらいの気概でいたし、実際三次審査が終わるまでは、配信開始日から何日か空いて視聴、ということもザラだった。
ちなみに三次時点での推しは、日野健太くん。歌唱力は群を抜いていたな、と今でも感じる。
明確に興味を惹かれたのは、四次審査だった。
「ここにきてのシード制とかwww」と、観ながら草生やしていたが、彼らのパフォーマンスをみて、一般応募の候補生との尋常ではない差を感じた。なんなら全員駆逐されてしまうのではないか、とも思った。
後々の配信や会話で、「急な振り入れなんかは腐るほどやってきた」と寺西くん、原嘉孝が言っていたが、まさに過去どれだけ努力していたか、尋常ならざる積み重ねがあったのかを、初めて見せつけられた。
今思えば、こういった振り入れや、ボイトレも含めた練習風景を観ることが今までになく、私が「ルックスがいい人たちがちょこちょこっと練習してるくらいだろう」と無意識的に偏見持っていたのだと私自身に突き付けられ、打ち壊された気がした。
寺西くん、原嘉孝を観ていて惹きつけられたのはそれだけではなく、「一つの作品を作るための姿勢や考え方」だ。
個人的な観点ではあるが、三次審査と四次審査の完成度は、明らかに別物だった。
三次までは、オリジナルメンバーの風磨くん、勝利くん、聡ちゃんや、NOSUKE先生、宮本先生の『選定する側』から伝える教示だけだったが、俳優部の面々が『選定される側』に入り、その経験を共有することで、レベルの引き上げにつながったのではないか、と。
また、あれだけ体のキレのレベルが高く、風磨くんに「嫉妬するくらいうまい」とまで言わしめた寺西くんが、なぜ今までアイドル業で日の目をあびれなかったのか。
原嘉孝のストイックなパフォーマンスを、なぜ今まで眠らせていたのか疑問になり、バックボーンを調べたりもした。原嘉孝は、連帯責任、の一言でグループが無くなってしまったという無念も背負っているようにも思えた。
兎にも角にも四次審査は、そのダンスパフォーマンスの激しさ、激しい動きをしながらの統一性と歌唱の維持に、大いに惹かれた。
これだけ動いて歌うのかと。
話は逸れるが、個人的なイメージとして、「LDH系はダンサーとボーカルを切り分けることで、比類ない激しいダンスパフォーマンスができる」「旧J系は、あくまで歌もダンスも同時にやらなきゃいけないから、ダンスは少し落ち着き目」とおもっていた。が、人生遊戯、ライネク、パープルレインでそれが覆された。
そして思ったのは、単純に「かっこいいな」と。
四次からは、配信日、配信翌日には必ず視聴していた。四次くらいからフォーカスされる人間も絞られてきていたので、感情移入することも少なくなかった。
日野くんは落ちてしまったが、みんな頑張れ、と、往年のベジータのような心持ちで視聴した。
五次のプロデュース審査は、最終回を含め、全編通しても一番心に残っているし、五次審査を通過した8人全員新メンバーにしてくれ、と2月1日から最終回までの二週間、ずっと思っていた。
特に私が心打たれたのは、『革命のDancing' Night』だ。
Intro部分で、右手を上げながらカメラ目線で微笑む路己くんに射抜かれてしまった。
その回は本編だけでも10回以上視聴してるし曲部分だけなら30回以上、つべに上がってからは、毎日5回ずつくらいリピートしている。
『SWEET』『New phase』も素晴らしい仕上がりだったが、『革命〜』は頭一つ抜けていたように思う。
光一くんのアドバイスした、「どれだけ余計なものを削ぎ落とすか」ということがとてもいい方向に働いていたのかもしれない。ほかチームと比べると、明らかに『そぎ落とした先にある美しいもの』が見えた気がしたパフォーマンスだった。
またNOSUKE先生が言語化してくれた『最初から最後まで、ずっとワクワクするパフォーマンスだった。あっという間に終わってしまった』が、私の感じていたことを的確に表す内容だったので、とても驚いたことを覚えている。
六次、最終審査の結果に関しては、やはり思うことも少なくはない。
ただ、木村くんが、襲来した時に風磨くんが言っていた「既存メンバー三人とのバランス」ということを考えると、非常に納得が行く結果だと、私は思う。
私個人の感想としては寺西くん、原嘉孝が、まずは、報われない結果にはならなかったことが一番良かった。彼らが涙したとき、これまで触れてこなかったおじさんがもらい泣きした。長く同じ事務所で踏ん張ってきた経験がこれからとても活きるかと思うと、とてもワクワクする。
社会人経験を経て入所した橋本くん、猪俣くんも、その経験を活かして、末永く頑張ってほしいと思う。
最後に、このようなワクワクするスキームを、余す所なくコンテンツ化してくれたタイプロチームには、改めてお礼を申し上げたい。
若い人たちのがむしゃらな姿を見て、人生の折り返しが近いおじさんも、まだ頑張ろうかな、と思えた。
この増田は、その決意表明をしたかったのかもな、と他人事のように思う。
私と同じように、ただなんとなくアイドルのオーディション…というだけで敬遠してる同世代の方がいれば、是非一度視聴をお勧めしたい。
一般社会で光を浴びている方も、日の目を浴びず苦しんでいる方も、もうつぶしの効かない年齢に差し掛かり、得も言われない不安を抱える方も、明日を生きる活力にしてほしいと切に願う。
ただ、欲を言えば、勝利くんプロデュースのボーイズグループデビューまでをコンテンツ化していただけないだろうか。
『革命のDancing Night』で撃ち抜かれたのはメンバーのパフォーマンスだけでなく、この完成度まで引き上げたプロデューサーの手腕である。
都合のいいことに、もうすでにある程度まで磨かれ、光り始めている人材がいるではないか。
この宝石たちを、佐藤勝利はどのようにカットし、研磨をするのか。
そんな形のない夢を見ながら、明日もまた仕事が控えているおじさんは、そろそろ寝なければと思う午前3時。
駄文、長文、誤字脱字、お目汚し失礼。
最後に。
非公開ブクマ狙い。
男はこたつに潜り込みながら、無印良品のカレーを温めていた。就職氷河期を生き抜いたものの、彼の人生は相変わらず低空飛行。仕事は単発の派遣、彼女なし、趣味はAmazonで無駄遣いすることくらい。週に一度の楽しみは、近所のミスドで雪見だいふくを乗せたドーナツを食べることだった。
そんな彼に、奇妙な事件が降りかかる。
ある日、ミスドでドーナツを食べていると、隣の席のスーツ姿の男が突然話しかけてきた。
怪しすぎる。だが、男は妙に饒舌で、話に引き込まれてしまう。どうやら、これはただの詐欺話ではなく、政治が絡んでいるという。トランプ大統領が裏で動いているとか、石破総理が密かに支援しているとか、まるで都市伝説のような話を淡々と語る。
「この計画が成功すれば、次の大阪万博の裏スポンサーになれるかもしれませんよ」
もう何を言っているのかわからない。だが、話がエグい方向に向かっているのは確かだった。
その後、男が去った後に気づいた。
しかも、一口食べられた形跡がある。なんだこれは。メッセージか?警告か?いや、ただの食べかけか?
不安になりながら帰宅し、こたつに潜り込むと、何気なくつけたテレビに機関車トーマスが映っていた。何年ぶりに見ただろう。トーマスはレールの上を進みながら、こんなセリフを言っていた。
「大切なのは、信じることさ!」
信じる?何を?あの怪しい男の話を?いや、そんなバカな。
しばらく考え込んでいたが、ふと冷凍庫を開けると、そこにはちゃんと自分で買った雪見だいふくがあった。
「……あ、俺、あの場で自分のやつ置いて帰ってきたんか」
すべての謎が解けた。
商業的な話はしてなくて法的にどうクリアしてるかの話をしてると思うんですよ。
三店方式は合法って主張は全然いいんですがなんで競馬みたいに堂々と現金を払い出せないの?そこにごまかしや法的に白くなるように何かをゆがめたスキームが存在するでしょ?ってこと。
堂々とチップを20円でかいとるカウンターを店内に設置すると禁止したカジノと同じになるからカジノでなくなるように今の形にしたんだろうとは思うけど気の使い方が意味不明だからパンピーに納得感がないんだよ。
これはそう。
ただ、そうではない場合においては景品表示法という縛りがある。
雑に言うと、懸賞にはオープンとクローズがあって、誰でも応募できるオープンの上限は1000万円だけど、商品を買ったりしないと参加できない懸賞は商品単価に対して何倍までとかって縛りがある。
それ以外にも、賭博罪に該当しないために参加者から参加費を取っちゃいけないとか色々取り決めがある。
賞金を全くの第三者が容易したり、最近のプロゲーマーなんかは出演費という名目で支払い契約を結ぶ場合が多い。
オリパは自分の中では明確な起爆装置が2つくらいあって、誰かが押したら滅ぶと思ってる。
例えばポケモンが原因で子どもが犯罪に巻き込まれたりでもしたら任天堂は黙ってられないんじゃないかな。
ただ、ポイントの換金性とかにもよると思うけど、これも雑な説明になるけど総付景品の範囲だとセーフ。
あとはどれだけ支払先を回避したスキームを作ったとしても、客同士、もしくは客と胴元が得失を争うと認められると賭博罪で取り締まることができるというのがこの法律のみそ。
風営法の許可を取得しているとお酒が出せなかったり営業時間や店内設備に縛りがあったり基準が厳しくなる。
飲食店の許可でやってるところは一緒にゲームすると接待になって無許可営業で取り締まりにあったりする。
この辺も無知が原因の地雷がたくさん埋まってて、うっかり知らないでお客ごと捕まる危険性が割と高い。
知ってるのはこれくらい。
極めて理性的という前置きをしたにもかかわらず、大半の方は中身を良く考えもせず条件反射的にぱちんこを批判する内容に終始してしまっていることは本当に残念でなりません。
ぱちんこが嫌いであるという言うなれば差別的批判は受け止めると最初から言っているにも関わらず、未だにそれを認めずあくまで「特権」や「脱法」という括りで自らの差別意識を認めない人の多さにがっかりしました。
嫌いなら嫌いと言えばいいことを、ありもしない特権や脱法という言葉に置き換えて批判を正当化することは、自らの差別意識を認めようとしない狡猾な差別行為でしかないということをよく理解して下さい。
「自分には相手を批判する正当な理由があるからこれは差別ではない」というのは、差別を学ぶ上で最初に自己批判すべき内容です。
これからの国際社会で生きていくつもりであれば、誰に言われるでもなく猛省することをおすすめします。
ぱちんこは賭博だからという理由で批判している方に向けた内容です。
多くの方が指摘している通り、ぱちんこは賭博でありそのことについて否定するつもりはありません。
ぱちんこは賭博でありながらも様々な規制によって賭博罪に該当しない職種です。
テレビ番組などで飲食を賭けの対象にするゲームも、賭博罪に該当しない賭博であることに変わりがありません。
「一時の娯楽に供する物」を賭けた場合であっても、あくまで賭博罪に該当しないだけで行為そのものは賭博です。
他にも賭博罪に該当しない賭博は数え上げればきりがないほどあります。
もし、ぱちんこが賭博だからという理由で批判するのであれば、もちろんそうしたものも批判しないとおかしいということになりますがよろしかったでしょうか。
それともそうしたもの全てが取り締まりの対象になるクリーンな世の中を望んでいるのでしょうか。
繰り返しますが、店舗で販売しているものを客が買い取り、またそれを中古ショップに売るということは市民に許された立派な経済活動です。
買い取りという行為が発生するほぼすべての業種で3店方式がなりたっているといっても過言ではありません。
これらは特権と言えるのでしょうか。
ぱちんこの場合、ゲームの結果に対して景品を取得させるという業種の特性上、景品を直接買い取ることが顧客との得失を争ったという判断になりかねないために、賭博罪に該当しないための遵守事項として3店方式が存在しています。
3店方式を守っていれば賭博罪に該当しないなんて免罪符ではなく、賭博罪に該当しないために最低限守るべきルールでしかありません。
これのどこが特権なのでしょうか。
法律の枠組みの中で許可されている権利を、然るべき手続きの上で取得して、営業のために用いていることのどこが特権なのでしょうか。
許可営業という枠組みに対する理解が足りていないと感じる意見が多く、非常に残念でした。
この中で、飲食店の許可について特権だと騒ぎ立てる人が一人でもいたでしょうか。
飲食業が特権だからといって、無許可で営業している飲食店を支持する人がいるのでしょうか。
例えばふぐの調理は、調理人、設備ともに厳しい基準を満たさなければ許可を得ることができません。
ある意味一部の人に対してのみ許可されるこの権利は、同様に特権と呼ぶべきなのでしょうか。
ぱちんこ店の許可は条件を満たすことができれば、誰でも警察から公平に許可を取得できるものです。
そうして許可を取得して、日々様々な規制を守りながら営業を続けていることのどこが特権と言えるのでしょうか。
ぱちんこ同様に許可を得ることによってその店舗のみが営業をすることが許されている業種が山のように存在している中で、ぱちんこに許された権利だけを取りざたして特権や脱法だと騒ぐことが職業差別ではないという証拠を見せて下さい。
それ以外にも、朝鮮送金や中にはネット上の漫画を用いて、ぱちんこ業界の闇を暴いたようなつもりになっている人がいました。
その内容は本当に真実ですか?今現在の状況に合わせてアップデートされていますか?
本当にそんな理由でぱちんこ業界を批判して、中で働く未来ある若い人たちに対しても差別の目を向けているのですか?
自らの批判を鞘に納めたくないだけの気持ちが、ぱちんこが違法であるに違いないという願いに変わってしまったことで、特権や脱法という言葉を作り出しているだけなのではないでしょうか。
業界が批判されるべきだという意見そのものについては受け止めます。
そうした印象を拭えてないのは業界が溜め込んできた業であり、足りていない努力であると自覚しています。
だからといって、今現在一生懸命に働き納税している人間たちまでも差別にさらされることを良しとしろというのでしょうか。
全体の数%でも外国籍の人間がいればその全てに差別の目を向けるのですか?
過去に一度でも過ちが認められれば、残り全てに対しても犯罪者の目を向けるのですか?
日本という世界的に見ても優れた法治国家を否定してまで、未だに特権や脱法という批判したい人間が作り上げた言葉を信じ続けるのですか?
言うまでもなく、これらは現実を否定した明らかな職業差別です。
ぱちんこ業界のことは別として、そういった点を自らの心の内に問いかけてみて下さい。
ぱちんこ業界の中で働く命は、あなた方がうっぷんを晴らすためだけにカジュアルに差別をしていい存在ではありません。
NOV1975 極めて理性的な増田は「パチンコは法律上は賭博ではなく遊戯である」ということ(これは法律に基づく事実)と「実体として賭博である」(増田含めた皆の認識)のギャップの解が脱法スキーム、までは理解してるよね?
おっしゃる通り、賭博というのは概念としての賭博と法律上の賭博があります。
ぱちんこは概念としての賭博であることは疑いようのない事実です。
法律上の賭博とは、賭博罪に該当する取り締まりを受けるべき賭博行為を指します。
そして、それら賭博罪に該当しない要件として「一時の娯楽に供する物」、さらに風俗営業法が認める遊技を定めるという点においても同意です。
しかしながら、そこには明確に法律で定められた根拠があるだけで、おっしゃるようなギャップや脱法スキームが存在しているということには一才同意しかねます。
こうして法律で定められた根拠に対し、それを脱法スキームだと決めつけることは法治国家の否定であり民主主義の否定です。
わたしにはそのことの方が非国民的行為に思えるのですがいかがでしょうか。
世の中に存在し得る賭博行為全てが超法律的な概念によって否定され、その上で一部の法律を持って賭博という概念から逃れる形で許可を得ているのであれば、そうしたギャップというものは理解できます。
そうではなく、概念的な賭博というものが生活の中で事実上存在し得る中で、世の中への悪影響を考慮した上で一部を除いて禁止するという法律の成り立ちである以上は、その一部として認められているぱちんこは脱法ではなく紛れも無い合法であり、それを脱法だと叫ぶ行為そのものが法律の恣意的解釈だと言えるのでは無いでしょうか。
ぱちんこの店頭でも闇カジノが違法であることは周知を行っていますが、それすらも自分たちを棚に上げた行為やカジノではなくぱちんこでお金を使わせるための集客行為だと批判されたことがありました。
闇カジノはぱちんこと違って規制がなく被害額も青天井に増えていきます。
そうした社会問題がついに芸能人にまで及び、そうした被害の拡大を止められなかったことと、ぱちんこがそういった存在と同じものであると扱われていること、間違った解釈がいまだに罷り通っていることに腹が立ち、勢いに任せて描きました。
スマホ片手にどこでも参加できてしまう気軽さが本当に危険です。
違法に思えるが合法と、合法に思えるが違法の間には超えられない壁があるということを改めてご理解ください。
お返事いただいたよ
https://novtan.hatenablog.com/entry/2025/02/07/133329
こちらが匿名な点はフェアではないということを重々自覚した上で、改めてお返事を頂けたことに感謝します。
100文字のブコメからこれほどの行間を読み取ることができず、脊髄反射で反論したのは他ならぬわたしであったと反省しています。
こと脱法スキームという言葉について過剰反応であったことは認めるとしたうえで、言葉の独り歩きが差別を助長するという点において前置きもなく脱法スキームという言葉がでてきた時点でこれだけの行間を読むことの難しさはご理解いただきたいです。
それ以外の内容については、当然納得できない部分も多くあるとして、しかしながらこれほどまでに風営法の定められる根拠や刑法についての理解の深さはむしろ襟を正しながら読ませて頂きました。
金スロについてはそれほど詳しいわけではありませんが、賭博罪の構成要件である得失を争うことによる対向犯が認められたのではないかと考えています。
「スキームそのものが直ちに違法と言える訳では無いが、実態として賭博であった」といった感じでしょうか。
他の方が言うような3店方式が免罪符的な特権ではないことある意味証明している出来事かと思います。
納得できない部分が多いとした上で、わたしはnovtanさんの意見を尊重します。
わたしの主張はあくまでわたしの主張であり、それが100%正しいとは思っていません。
同様にnovtanさんの意見が100%正しいとはわたしも思ってはいませんが、尊重に値する意見であると考えています。
かといってそれは無条件に突きつけられるぱちんこ業界に対する差別を受け入れるということではありません。これはこれを読んでいるnovtanさん以外に向けての言葉です。
オンラインであるかどうかは別にして、クレーンゲームで獲得できる景品には800円という金額の限度があります。
800円までの特殊景品であれば直ちに違法とはならないかと思いますが、クレーンゲーム自体がある意味での特例(本来禁止されている賞品提供に当たらないとする特例)なので、換金を示唆するような挑発的行為はそうした特例を取り消すことにつながりかねないのではないかと思います。
現実としてクレーンゲームの景品を買い取る業者が存在しているように、ゲームセンター、客、買取業者といった3店方式はすでに成立しています。
もしこの景品をゲームセンターが直接買い取るようなことがあれば、その時点で賭博罪が成立しかねません。賭博の構成要件くらいは自分で調べてください。
一番くじのようなものについては、こちらは景品表示法によって販売価格に対して提供して良い商品の金額が決まります。
そうした範囲を逸脱した金額での特殊景品を用意すれば直ちに違法です。
これについても景品を買い取る業者が存在していること自体は違法でもなんでもないので、3店方式は成立しているといえます。
くじという範囲を超えた金額設定で店側と客が得失を争えば、それは賭博罪として違法です。
スキームによって合法違法が判断されるわけではなく、結果的に参加者同士が得失を争う結果になってしまえば賭博罪が成立します。
調べたところ営利目的で賭博場を開帳するとこれに引っかかるようですね。
営利目的のところが難しいのですが例えば参加料と発行されるNFTのバランスをとって運営に利益が出ない形にしてNFT買取所でさやを取るようにし、資本的にカジノと買い取りPFを分けるとこれは回避できるといえるのでしょうか。
まあ今考えただけで本当に実行できるスキームだとは全く思ってませんが。
違法オンラインカジノを利用したことによる逮捕者が出てしまったことによって、とうとう社会的影響が出始めてしまいました。
そのことについてまるで他人事のように考えている一部の人は、自分たちがそうした状況を作り上げる原因の一端を担ってしまっていたことについてしっかりと自覚をして下さい。
言い換えるなら、ぱちんこが違法賭博だと言っていた人は、昨今の違法オンラインカジノに対して幇助にも等しいことを行っていたと猛省して下さいということです。
その理由は、「違法に思えるが合法」と「合法に思えるが違法」の間には本来超えられない壁があったにも関わらず、自らの意見を通したいがために「違法賭博なのに逮捕されないぱちんこ」という間違った認識を一部の人が作り上げ、世の中に吹聴していったことが、今の闇カジノに対しても違法性がないことの論拠を後押しする結果につながってしまっているからです。
このことについては本当に猛省をして下さい。
極めて理性的な話と最初に断った通り、「ぱちんこが嫌い」という意見については当然尊重しますし否定もしません。
あくまで「違法賭博」だと決めつけていたことに限って、それがデマであることを自覚して世の中に吹聴していったことを猛省して下さいという話です。
警察の怠慢や天下りなどの直接利益によって昭和時代の違法賭博が慣例的に許されていると考えている人は、今すぐにその考えを令和に合わせてアップデートして下さい。
また、三店方式についても、警察との癒着の結果に許された業界だけの特権ではありません。
少なくともこの2つについて認識を改めない限りは、自らの意見を都合よく広めたいだけの、まるで陰謀論に加担してデマを広げるような行為と違いがありません。
過去に国会の答弁で曖昧な返答があったことを証左としてぱちんこが違法を見逃されていると騒ぎ立てる人がいましたが、それらについてもその後全て否定されています。
警察によって、風俗環境を乱さないように様々な規制によって管理されています。
この規制こそが重要であり、デマを広げる人たちに恣意的な解釈をされる原因になっています。
これら規制は、世の中の社会問題と照らし合わせつつ常に変化しています。
そのためぱちんこ業界は、その時々によって常に変化する「許される範囲」に適応するための営業を強いられています。
当時取り沙汰された依存症問題などが発端となり、社会的影響に対する懸念から出玉性能などが規制されることとなりました。
もし仮に、今でもそうした遊技機を営業に用いているのであれば違法です。
しかし、今現在営業を営む店舗において、そうした遊技機は100%撤去されています。
このようにして、ぱちんこ店舗の営業は、その時々にあわせて常にアップデートされています。
よく、三店方式はぱちんこだけに許された特権であるという人がいますが、それは完全なるデマです。
三店方式は特権でもなんでもなく、誰にでも許されている権利です。
ただし、三店方式を破ることは即座に違法とみなされ、厳しい取り締まりの対象となります。
言い換えるならば、むしろ三店方式を守り続けることが合法である根拠となるということです。
なぜそういった誤解が生まれてしまうのか、そこにはぱちんこだけに許された権利が関係してきます。
それが、遊技の結果に対して景品の提供が許されている権利です。
風営法というものは、もともと清浄な風俗環境を守るためにそれを乱すような営業をあらかじめ許可制にしようということで定められた法律です。
そのうち、主に風俗環境を乱すものとして扱われているものが、性欲と賭博です。
性欲側は性風俗と言われますが、ダンスなど男女が肌を密着させるものも対象になっています。
賭博については、麻雀やゲームなど、不特定多数同士での勝ち負けが決まることによって、それが賭けの対象にならないように規制することが目的となっています。
主にお酒の提供や見通しを妨げる設備の設置、店内を暗くすることなどが禁止されているのは、ざっくり言えばそうした賭博行為に及びやすい環境を作らせないためです。
そのため、麻雀やゲームセンターでは、遊技の結果に対して景品を出すことが許されていません。(クレーンゲームの話はしないほうがいいですよとだけ言っておきますね。)
そうした中でぱちんこだけが遊技の結果によって景品を提供することが許されていまが、その代わりに、他の風俗営業者に比べて遥かに多くの規制が存在し、違反した場合も他に比べて遥かに重い罪が課せられます。
なぜそのような形になったかは、文化の成り立ちまで遡る必要がある話なので興味があれば調べて下さい。
それでもこれを特権と言うならあなたの中では特権なのでしょうが、あなた方がいうようなチート扱いのような特権ではないということは理解しておくべきです。
三店方式の話に戻ると、他の業種においてはこの「景品の提供」が許されていないために、そもそも3店方式が成り立ちません。
つまり、ぱちんこだけに三店方式が許されているのではなく、他の業種で三店方式を取ったところで意味がないということになります。
また、この三店方式というものは、それだけ守っていれば合法というものではありません。
風営法とは別に御存知の通り刑法賭博罪というものが存在していますので、例え三店方式の形式を取っていたとしても、賭博罪に抵触する行為があればそれは当然違法行為となります。
つまり、三店方式が違法賭博の免罪符的機能であるという考えこそがそもそも誤解です。
(似たような話でトレーディングカードのオリパが挙げられますが、わたしからは「関わっている人全員気をつけたほうがいいよ」というコメントにとどめます。)
こうした理解もなく、ただいたずらに自分が嫌いなものを自分のさじ加減だけで違法と決めつけることは、自らの嫌いなものに色々と理由をこじつけて排除しようとする差別意識の表れでしかないことに気づいて下さい。
その結果が賭博に対する法解釈の理解を阻害し、闇カジノの違法性さえも否定することにつながっていることは、素直に猛省すべきことだと言っておきます。
ぶっちゃけた話をすると、ぱちんこが嫌いなのであれば嫌いと否定すれば良い話で、合法であるものをわざわざデマを用いてまで違法とするのはバカの露呈だからやめたほうがいいよって話です。
違法だから嫌いなのではなくて、嫌いだから違法ってことにして心のバランスを取ろうとしてることが丸わかりですよ。
ぱちんこが嫌われているのはある意味で業界の努力が足りてないことなので、それを「嫌うな」というのは言うまでもなくエゴであって誰かが止められるものでもなければ、業界が真摯に受け止めなくてはならない意見だと思います。
その上で、法律が間違っているというのであれば、自分の中で勝手に違法にするのではなく、然るべきプロセスを経て法律を改正して下さい。
ぱちんこだけに景品提供が許されているのはおかしいって思うなら、それを「特権だ」って騒いだところで何も解決しなくて、どういった社会的影響のもとに禁止すべきだという議論にならなければ何も進まないよということです。
そうでなければ、やってることはただの民主主義の否定でしかないです。
あなたがたがいつもバカにしてぶっ叩いてる相手とやってることが同じです。
闇カジノを利用した人間を自己責任として切り捨てるのはいいのだけど、違法合法の違いに目を向けようとせずお気持ちだけで決めつけてきた人たちも同罪っていうことだけは理解して帰って下さい。
c22_90 要約すると結局「パチンコが気に入らないのならお前らも警察や政治家と癒着して脱法既得権益スキームつくれよ」だからなあ
違いますよ。「パチンコが気に入らないなら、パチンコ店を批判するんじゃなくて合法としている法律を正しいプロセスを持って改正しろ」ですよ。それが民主主義であって法治国家です。
buriburiuntitti 言いたいこと色々あるが、合法とされてる"ぱちんこだけに許された権利"に納得できないだろ、って意味で違法って言葉を使ってる人が多数なんじゃないか
違いますよ。許可営業というものをよく考えて欲しいんですが、数ある「許可営業に許された権利」の中からの「ぱちんこだけに許された権利」だけに納得できないってあなた方が文句を言っているんですよ。
それを言い出したら許可営業全てが特権という扱いにならなくてはいけないし、それを特権だなんて言い出したら許可営業そのものの否定になりますよ。
hironagi 一番肝心なところが「あなたがたの判断に任せます」「興味があれば調べて下さい」になってた。その辺の説明があると期待したのに。
そうです。それがこの問題の肝の部分です。
先ほども述べたように、あなた方が特権と言っていることは、特権でもなんでもなく「許可営業で許された権利」なんです。
許可営業というのは許可を得たらなんでもして良いわけではなく、風俗環境を乱さないようにさまざまな規制でがんじがらめになってます。
もちろん規制に違反すればすぐに取り締まりを受けるほど厳しく運用されています。
そうした事実を認めず、自分たちが納得できない部分だけを批判したいからという理由で「特権」や「脱法」という言葉を恣意的に使っているのは、批判している側なんです。
nyankosenpai 父が死ぬまでパチンコ打ってて、家に金をいれませんでした。合法でも違法でもどうでもよくて、パチンコには積年の個人的恨みがあります
受け止めます。そうした不幸を繰り返さないために業界は今さまざまなことに取り組んでいます。それを理解してくれとは言いません。変わるべきは自分達であると考えて取り組んでいます。
批判するなとは言っていません。
そうした間違った批判が、オンラインカジノの違法性を曖昧にして被害者を増やすことの手伝いになってしまっているというのがこの増田の本旨です。
追記2
カクヨムでは以前から公式の百合コン企画が開かれていたが、賞金アリで書籍化を目指す公募は今回が初となる。
これまで百合小説を百合小説として評価してくれる賞といえば基本的にpixivの百合文芸コンテストしかなかったので、今年度はこれに加えて零合の百合文芸コンテスト、そしてカクヨムの百合小説コンテストが追加されて、百合小説の投稿先の間口は大幅に広がったと言えよう。
また、ここ数年、芥川賞候補にもなった坂崎かおる氏をはじめとして、南木義隆氏、カスガ氏などpixivの百合文芸で存在感を示していた作家が各所で活躍しており、文壇に認められつつある。さらにライトノベルの分野でも百合作品は増え、もはや百合ラノベの大家と化した入間人間氏の作品がまたヒットするなど百合界隈の明るい話題は多い。
しかし、百合小説の市場がイケイケドンドンかと言うとそうでもない。
先述したpixivの百合文芸は以前は複数の出版社などが参画して開催されていたが、今年度は百合姫編集部とpixiv編集部だけの体制となり、百合文芸マンガ原作コンテストへとリニューアルした。もともと回を重ねるごとに参画する出版社が変わっていったことも鑑みると、残念ながら百合小説の出版そのものは目覚ましい成功というレベルに届かなかったと考えられる。
そして今回の本題のカクヨムの百合小説コンテストだが、こちらも百合小説が置かれている微妙な立ち位置が垣間見える。
カクヨムの百合コンの応募要項が発表されたとき、度肝を抜かれたのは各賞の渋さである。なんと受賞枠は大賞が1作品、3つの部門賞も各1作品。これだけである。該当作なしの可能性も注記されているので、受賞する可能性があるのは0〜4作品。これ、「複数作品」としておいて結局1作品や該当なしでも怒る人はいないのだから、とりあえず余裕を持って複数作品としておいても損はないのでは……? と思うのは素人考えか。
さらに、大賞は「出版を検討」。部門賞は出版の「し」の字もない。つまり1作品も出版されない可能性もある。また、1次審査通過作品とかも公表されず、受賞作だけドンという発表体制であることもわかっている。百合という比較的ニッチなジャンルの賞とはいえ、なかなかの渋さというか、景気の悪さだ。
賞金額も景気が悪い。大賞が賞金5万円、各部門賞はアマギフ1万円。これはpixiv百合文芸の大賞が10万円、零合百合文芸の大賞も10万円であることを考えると、まあ、単純比較で少ない。それに、商業化のスキームが盤石とはいえないpixivやほぼ同人誌のようなところからスタートしている零合に対して、天下のKADOKAWAが賞金額で後塵を拝するというのはメンツ的にどうなのか。
いや、別にKADOKAWAの面子を老婆心で気にしてあげているわけではなくて、メンツを保てる程度の予算すら回せてもらえていない様子の(カクヨム百合コンを企画する)ファンタジア文庫『GirlsLine』の体制が心配になってしまうのだ。まあ、GirlsLineは若手の百合好き編集者が運営しているようなので、もしかするとまだまだ熱意先行のベンチャー企画という不安定な位置付けなのかもしれない。
こういう風にいちいち悲観的な見方をしてしまうのにはもう一つ原因があって、GirlsLineの立ち上げ時から宣伝されていた『放課後の教室に、恋はつもる。』が「売上が2巻発売の基準に至らず、一旦ここで打ち切り」(https://kakuyomu.jp/users/hibi_tsuzuro/news/16818093090391672268)ということで、紙の書籍としては1巻打ち切りとなってしまったことがある。
このことが百合コンの渋さに影響したかどうかは当然わからないが、やはり百合というだけで一定の売り上げが見込めるほどの市場にはなっていないことが可視化された感がある。もちろん、この出版不況で百合に限らずどんな作品でも打ち切りの憂き目に遭うのは珍しいことでも何でもないが。
色々と前途多難が透けて見えるものの、とにかくこのコンテストが成功して、百合小説の市場としての確立が進むことを願ってやまない。
俺もゼロ年代から色んなネトゲやってきたけどMMOに期待するのはもう厳しくね?
一部の高リテラシーパソコンオタクしかネット常時接続してなかった時代だから楽しかったジャンルであって
今のネット社会で日本人にとって楽しいMMORPGを運営・開発できるメーカーは存在しないと思う
それこそブレイン・マシン・インターフェース研究してるmiHoYoがSAOオマージュをいつか作り出す時くらいまでキラータイトルもなくブレイクスルーも起きないんじゃないかな
この世代のおじさんとしてはあの頃の他人と遊ぶ楽しさは良い思い出として心にしまっといて
今は原神あたりの贅沢な作りの探索・育成系のオンラインRPGをやっていたほうが心が豊かになると思う
ほぼシングルプレイだけどその分チーターやらなんやらの悪影響がプレイ体験を毀損することもないし
ネトゲ同様の時限イベント要素はあるけど他人に追いついたりしなくていい分いつはじめてもよく、マイペースに遊べる
そんでMMOよりも時間拘束も少ないしねコンテンツ自体は網羅しようとすると生活系ネトゲ以上にあるけど
まあ課金形態はガチャが主流だけどソシャゲよりは良心的で課金を煽られることもなく無料でも遊べるんだしさ
俺はメイプルあたりからアイテム課金が主流になってくるより前の月額時代からネトゲ漁りしてたけど
今の基本無料アニメ調ゲームの方がやっぱりあらゆる面で進歩してると思うしいい時代になったと思う
ちなみにコンシューマーは高難度志向かもしれんがこのへんのゲームは戦闘コンテンツ等は低難度志向(女性ユーザーでも脱落しない程度)で、キャラやマップや動画等の作り込みでファンを作っていきユーザー離脱を防ぐ方向性だ
古い時代のスキームで作られたオンラインゲームにずっと辛抱強く付き合ってきた人にこそいい機会と思って色々と最近の大型オンラインゲームを触ってみてほしいぜ
一点注意点があるとすれば古臭いソシャゲ的に金を使って気持ちよくなってもらうスキームだった時代のゲームとは作り方が根本的に違うから
いっぱい課金してキャラを凸ったりするよりも、色んなキャラを幅広く取っていって戦略の幅ひろげながら育成を熱心にして回るほうがゲーム的に満喫しやすくなっているという点だ
適したキャラで編成を組んで適した立ち回りをすれば無凸キャラばかりでも余裕な難易度になっているので、考えるのがめんどくさいソシャゲーマーなら凸の力でゴリ押しして全コンテンツ推しキャラでこなすこともできるし(飽きやすい欠点はあるが)
立ち回りとかスキル仕様を覚えて達成感を得るのが好きなネットゲーマーなら月額MMO以下の課金でコツコツ続けるだけでも満喫することもできる
ガチャがあるから相容れないものだと思って敬遠する人も多いんだけど、そうじゃなくて逆に、いろんな種類のプレイヤーを包摂できる形に進化してると思ってくれればいい
30年近くオンラインゲームどっぷり浸かってきた俺が言うんだから信じてくれ
それでもどうしてもMMOに期待するんなら古いタイトル、例えばここ最近でまた盛り上がって収益あがってるマビノギあたりの古き良きMMOに潜っていくしかないと思うね
マビはプレイオネエンジンやめてUnreal Engineに移行する計画もあるらしいしまだまだ潰す気はないはず
そろそろ20周年か
ホリエモンが異常っていってたけど、どういうスキームで権力を維持できるのだろう。
渡辺恒雄、池田大作(故人)、志位和夫、森喜朗とかも、なんで権力をもってるのか不思議。
権力というのは、つまりコネクション、誰とつながっていて、誰に口利きできるっていうものの総体なのか?
日本の会社、政党、宗教組織は、金もうけじゃなく、ヒトとヒトのお付き合いでビジネスをしてて、ヒトとヒトのコネクションで金や人事が動くから、コネクションを持ってるものが偉い。
明文化された決裁権があるわけじゃないのに、なぜか偉い、院政というのはこういう仕組みなのだろうか。
突き詰めると、
いいサービスが選ばれるのではなく、お友達のサービスが選ばれる。
世の中はそうできているということなのだろうか。
コネクションが最後に集まるところ、そこが一人のヒトであるならば、明文化された権力がなくたって、目くばせ一つで金を生み邪魔者を消せるようになるのだろうか。
アイデアは斬新だけど、法律や税務上で結構厳しいチェックが入る可能性があるよ!以下で詳しく解説するね。
1. 法的な問題
第三者性の確保
フラット20や35を利用する場合、通常は「売買が実体を伴っている」ことが条件となる。夫婦間での売買だと、実際に「売買が本当に成立しているのか?」という点が疑われる可能性が高いよ。金融機関やフラット35の審査機関がこれを「名義変更や資金調達のためだけの行為」とみなすと、融資が受けられないことがある。
2. 税務上の問題
夫婦間で売買をする場合、売買価格が「適正な市場価格」から著しく乖離していると、「贈与」とみなされて贈与税が課される可能性があるんだ。例えば、実際の市場価格より安い値段で奥さんが家を買った場合、その差額分を夫が「贈与した」と判断されることがある。
夫が自分名義の家を売却すると、売却益に対して譲渡所得税が発生する場合がある。ただし、居住用財産の特例(3000万円控除など)を使えば非課税にできる可能性もあるけど、要件を満たさなければ課税される。
フラット35は公的な住宅ローンだから、審査が厳しい。特に夫婦間取引は実態のない売買を防ぐ目的で細かくチェックされる。例えば以下の点が問題視される:
売却後も夫婦が同居し続けること
夫が家の代金を全額受け取らない場合(分割など)
金融機関や住宅ローンの審査担当者に「資金調達目的」だと疑われたら融資が通らないリスクが高い。
住みながら売却:この部分が特に問題視される可能性がある。なぜなら、通常の売買では、売却後に買主(奥さん)がその家を「自由に利用する権利」を持つはずだけど、夫婦間ではこの境界が曖昧になりがち。
お金の一括入手:奥さんが住宅ローンを組んで買う形にするなら、一時的に現金は手に入るけど、夫婦全体の資産の流動性が大きく変わるわけではないよね(家計全体では借金が増えるだけ)。
税務署に疑われないよう適切な申告を行う
このスキーム自体は実現可能な場合もあるけど、法的・税務的なリスクが高い。事前に専門家(税理士、不動産鑑定士、司法書士など)に相談するのが必須だね!
「天才かどうか」はともかく(笑)、かなり実行には準備が必要なアイデアって感じ!👍
らしいよ!しらんけど!🤣
この言説には、看過できない誤りや論理の飛躍、そして重要な情報の欠落が見られます。以下、批判的な視点から1000文字程度でまとめてみました。
この言説で最も問題なのは、「松本人志さんや中居正広さんのようなベテラン芸能人が性上納的なスキームに関わっていたなら『みんな知ってた』わけです」と断定している点です。これは、問題を矮小化し、責任追及を曖昧にする危険な論法です。
告発の困難性: 権力構造の中で、被害者が声を上げることは非常に困難です。特に芸能界のような縦社会では、立場を利用した抑圧や隠蔽が起こりやすく、「知っていた」としても告発できない状況は十分に考えられます。
共犯意識の蔓延: 「みんな知ってた」という言葉は、関係者全体に共犯意識を植え付け、責任の所在を不明瞭にします。これは、問題の根本的な解決を妨げる要因となります。
二次加害の可能性: 被害者にとって、「みんな知ってた」という言葉は、自身の被害を軽視されたり、責任を転嫁されたりする二次加害につながる可能性があります。
「みんな知ってた」と断定するのではなく、なぜ問題が表面化しにくかったのか、構造的な問題を分析する視点が重要です。
「つつくと飛び火する」から関係者や監督官庁が触りたがらないという論調も、問題の本質を見失っています。
問題の放置: 飛び火を恐れて問題を放置することは、問題をさらに深刻化させるだけです。膿は出し切らなければ、いずれより大きな問題として噴出します。
責任回避の論理: 飛び火への懸念は、関係者や監督官庁が責任を回避するための口実に利用される可能性があります。
公益性の軽視: 問題の真相解明は、公益に資する重要な行為です。飛び火を恐れて真実を隠蔽することは、公益を著しく損なう行為と言えます。
飛び火を恐れるのではなく、情報公開と透明性の確保、そして責任追及の徹底こそが求められます。
フジテレビが不動産事業で利益を上げているから「潰れない」という論も、短絡的です。
企業価値の毀損: メディア企業にとって、社会的な信用やブランドイメージは非常に重要です。今回の問題で失われた信頼は、不動産事業の利益で簡単に補填できるものではありません。
株価への影響: 海外投資家からの信頼失墜は、株価の低下につながり、企業価値を大きく毀損する可能性があります。
メディア事業の衰退: 不祥事によるイメージダウンは、視聴率の低下や広告収入の減少につながり、メディア事業の衰退を招く可能性があります。
不動産事業があるから安泰という論は、企業経営の多角的な視点を欠いています。
ニトリが欧米市場と関わりが薄いから「クリーン」と断定するのも、論理の飛躍です。
企業倫理の多面性: 企業の倫理観は、海外市場との関わりだけで判断できるものではありません。国内における労働環境、消費者への対応、環境への配慮など、多角的な視点から評価する必要があります。
情報不足: ニトリが本当に「クリーン」な企業であるかどうかを判断するための十分な情報が、この言説には含まれていません。
欧米基準の影響を受けにくいという事実と、企業が倫理的に「クリーン」であるという評価は、直接結びつくものではありません。
リクルートが「昔からクリーンなイメージはない」と決めつけている点も、客観性に欠けます。
印象論: 「クリーンなイメージがない」というのは、あくまで個人的な印象であり、客観的な根拠に基づいた評価ではありません。
事業内容への偏見: リクナビやホットペッパービューティーの事業内容に対する批判は、一面的な見方であり、事業全体の評価とは言えません。
印象論で企業を評価するのではなく、具体的なデータや事例に基づいて議論を展開するべきです。
この言説は、海外投資家の影響力やマスコミと総務省の関係など、重要な視点を含んでいるものの
「みんな知ってた」論や飛び火への過剰な懸念、フジテレビ安泰論、ニトリ=クリーン論など、看過できない誤りや論理の飛躍が見られます。
「広告主の大企業はハラスメントやポリコレにうるさい欧米の人達は、広告を下ろして逃げないと投資してもらえなくなる」
という問題があるのです。
本来、「世界が見てる問題」だからこそ、「日本株はクリーンです。安心して投資してください」とアピールしないといけない。
ところが、性上納やハラスメントが昭和の慣習で国内だけで通じる理屈ゆえに皆スネに傷がある
「もう日本国内の内向きな論理でビジネスができない。海外からも投資を募って、海外にも進出してがんばっている」
という勢力と、
「国内の昭和から続く慣習・利権の上でやってきた。いまさら掘り起こしたら破滅する」
という旧新勢力の間で思惑が異なるのです
フジテレビを含めた、女子アナからの接待をしてた・受けていた連中は、被害を大きくしたくないから動きたくないのです。
逆にトヨタみたいな国際的な会社、優良株として有名な花王については…ブランドイメージだけでなく、市場そのものへの不信感につながるから徹底的にやってほしい。
温度差ある
は、【総務省側も傷を負う】という話もおまけでついてきてですね…
総務省の天下りを引き受けている以上、他のメディアもなにより総務省自体がフジをつつきたくないのですよ…
そもそも、良く考えてほしいんだけども…
松本人志さんにせよ、中居くんにせよ、キャリアの長い芸能人が性上納的なスキームに関わりがあったとされているのが本当なら「みんな知ってた」わけです。
利益があったり、昔からの慣習だったから問題が表に出な方だけ。
ってことは…つつくと飛び火するの
どこに飛び火するかわからないぐらい大きな問題だから、業界関係者どころか監督官庁まで触りたくないのですよ…。
低予算でそれほど有名人が出ないテレ東以外はみんなどっぷりですから…スクープ取ることよりも、飛び火させない方に意識が向いてる
ただ…フジテレビって不動産でめっちゃ儲けて、お金持ちなんですよね。
海外投資家を相手にしてる東証や大手企業からクレームが来て、損失が出てもフジ自体は潰れない。
メディアがダメになっても不動産屋になるだけですので…潰れはしないんですよね
これ、フジだけじゃなくてTBSや朝日新聞も不動産屋としてブイブイいわせてて、お金はあるのです。
「日本の利権は根深いぞ!だって、メディアとして終わっても不動産で食べていけるんだからな」
とは伝えておきたいですね…指摘されてないけど
を語ってみました。
これ、
マスコミは不動産王なので、企業自体にトドメを出すのは困難よ?
「ほんとだ!この説当たってる!!」
となってますね…。
ニトリは欧米でビジネスしてないどころかアメリカから撤退したばかりだし、熱心に投資を募ってるわけじゃない。
国内とアジアがメインだからこそ、広告続ける方が利益になると判断したっぽい
結局、「芸能界の闇」にまつわる問題は、国内問題ではないのです。
むしろ、欧米で商売したい・欧米から投資を募りたいところが「コンプラポリコレ的にヤバいと思われると、利益にならない」と判断してフジから撤退してる。
日本やアジアメイン、投資してもらわなくてもほぼ無借金な会社には関係ない
自己資本比率80%前後となってくると、もはや任天堂とかそういう会社が
「大儲けした時に貯めて、次が当たるまで数年耐えられるぞ」
ニトリは小売でこれやってるから「なにこれ…」という会社なわけでして
他にもニトリは小売なのに新卒から人気が高かったり、収入の低いと評判の小売で500万600万の年収を挙げた人の話がゴロゴロ出てくるので…調べてみるとおもしろい。
欧米や投資家に空気読まない(最新の脱中国トレンドの逆を行く企業だ)からネットでは叩かれてるけど、独自路線でおもろい
右寄りの人の中には
という人がけっこういるんですよ?
ただ、ニトリやユニクロぐらい若者を高待遇で受け入れてる組織しか、文句言う資格ないと思うよ?
日本だけで仕事してる会社や役所にどれだけブラックな企業が多いか…
「ダメな意味で日本的」が煮詰まった結果、フジテレビみたいな問題がでてきたんじゃないの?
フジだけじゃない。
監督官庁で、フジに天下ってる総務省だって、残業の多いハードな中央官庁として有名。
そこはニトリと正反対でして…なんでこんなこと書いてるかと言うと
ニトリについては、欧米と関わりなさすぎるから今でもCM出してるだけで、企業的にはむしろクリーンな部類です。
北米に進出してるトヨタとは事情が違いすぎるフジけしからん、利権けしからん、コンプラ違反けしからんはわかるのですが…それ言ってる人の大部分はお金周りの検証しないから、話がどんどんズレていく
スポンサーは商域によって、継続・撤退を決めてて思想的な話じゃない。
そこ抑えてほしい
他の会社は
「国内メイン、もしくは海外事業はアジア中心だから欧米的なコンプラポリコレに関係ないよ」
で説明がつく。
ところが、リクルートはindeed事業などでアメリカでも大儲けしてます。
海外投資家の心証を損ねるような動きしてるだけに…大丈夫なの?
ホットペッパービューティーのせいで美容師やマッサージ師の給料が低くなってるとか言われてたり。
日本では
で通るよ?
ただ…アメリカでの売上が多くなってもこのやり方を通すとは…。
この言説は、フジテレビの問題を多角的に分析しようと試みており、興味深い視点を含んでいます。以下、言説の妥当性を検証し、補足情報や反論点などを提示します。
・海外投資家の影響力: 日本株の多くを海外投資家が保有しているという点は事実であり、企業は彼らの意向を無視できません。特にESG投資(環境・社会・ガバナンスを重視する投資)の観点から、企業のコンプライアンスや倫理観は厳しく見られています。
・広告主の欧米基準への配慮: グローバル展開している大企業は、欧米の消費者や投資家からの批判を避けるため、広告出稿に慎重になるのは当然です。ハラスメントやポリコレに関する問題は、ブランドイメージに大きな影響を与えます。
・新旧勢力の対立: 昭和の慣習に固執する勢力と、グローバルスタンダードに合わせようとする勢力の対立は、多くの日本企業で見られる構造的な問題です。
・マスコミと総務省の関係: マスコミと監督官庁である総務省の間には、天下りなどを通じた密接な関係があり、相互に批判しにくい状況があることは否定できません。
・芸能界の慣習: 長年の芸能界の慣習として、性的な接待やハラスメントが黙認されてきた可能性は否定できません。問題が表に出にくい構造があったことも推測できます。
・マスコミの不動産事業: 多くのマスコミが不動産事業で大きな利益を上げているのは事実です。メディア事業が不振でも企業が存続できる要因の一つとなっています。
・ニトリの独自路線: ニトリが欧米市場に重点を置いておらず、国内・アジア市場中心であるため、欧米的なコンプライアンス基準の影響を受けにくいという分析は妥当です。また、高待遇で若者を受け入れている点も事実です。
・「みんな知ってた」論: 芸能界の一部で性的な問題が慣習化していたとしても、「みんな知ってた」と断定するのは早計です。告発を躊躇する状況や、権力構造による隠蔽があった可能性も考慮する必要があります。
・飛び火への懸念: 問題の大きさを理由に誰も触りたがらないという論調は、問題を放置することの正当化につながる可能性があります。問題の解決には、関係者の責任追及と再発防止策の徹底が不可欠です。
・フジテレビの安泰論: フジテレビが不動産事業で利益を上げているからといって、メディア事業の損失を無視できるわけではありません。海外投資家からの信頼失墜は、株価や企業価値に大きな影響を与えます。
・ニトリ=クリーン論: ニトリが欧米基準の影響を受けにくいからといって、企業として完全にクリーンであると断定するのは飛躍があります。他の側面での企業活動や倫理観も評価する必要があるでしょう。
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リクルートの特異性: リクルートがアメリカで成功しているにもかかわらず、日本的なやり方を続けるという分析は興味深いですが、今後の動向を注視する必要があります。海外投資家や消費者からの批判が高まれば、戦略の変更を迫られる可能性もあります。
論点の混在: この言説は、フジテレビの問題、芸能界の闇、マスコミと総務省の関係、ニトリの企業戦略、リクルートの特異性など、多岐にわたる論点を扱っており、やや焦点がぼやけている印象を受けます。それぞれの論点をより深く掘り下げることで、分析の精度を高めることができるでしょう。
近年、企業に対するESG投資の重要性が高まっており、コンプライアンス違反や倫理的な問題は、企業の評価に大きな影響を与えるようになっています。
日本の芸能界においては、長年、事務所の力が強く、所属タレントが声を上げにくい状況がありました。近年、#MeToo運動などをきっかけに、この状況に変化が見られ始めています。
マスコミと総務省の関係については、天下り問題だけでなく、情報公開制度の不備や記者クラブ制度の問題なども指摘されています。
この言説は、フジテレビの問題を様々な角度から分析しようとする試みとして評価できます。
海外投資家の影響力、広告主の欧米基準への配慮、新旧勢力の対立、マスコミと総務省の関係など、妥当な指摘も多く含まれています。
元増田:https://anond.hatelabo.jp/20250119141453
元増田が言うように小田急線は複々線化が遅れ、ラッシュ時の酷い混雑率とノロノロ運転に悩まされていた。
線路脇には中途半端に地上げした空き地が点在し、沿線の民家には複々線化反対の幟や横断幕。通常新宿~町田間は急行で35分だったがラッシュ時は50分。こういう状態が20年くらい続いていた。
ところが1990年代中頃になると一気に地上げは進み方々で工事開始、2000年代になると完成区間から供用されていったのである。
何が起こったのか?反対運動側が折れたのか?
それは首記の「特定都市鉄道整備積立金制度」のせいである。ぶっちゃけて言うと鉄道会社が複々線化事業の原資を貯めるために運賃の値上げをしてよいという制度だ。
この制度の根拠法の「特定都市鉄道整備促進特措法」は1986年施行なのだが活用が進んだのはバブル崩壊後の1990年代前半からであった。
そもそも知っておくべきなのは鉄道運賃が国(運輸/国交大臣)の許可制で、勝手に値上げ出来ないという事である。
バブル崩壊後にデフレが進行するという異常事態に陥ったが、通常の国民経済ではインフレ傾向が定常状態だ。すると鉄道会社やバス会社は運賃を値上げしたい。だが公共交通はインフラであるので値上げは沿線住民が困る。また逆に平行路線との過競争で運賃を値下げして競争会社を潰してしまうとその会社が運行する別路線の交通インフラが無くなってしまう。
なので運賃は国の許可が無いと変更する事が出来ない。運輸/国交大臣は会社の財務状況などを勘案して値上げの許可を出すのである。
という事は、鉄道会社は鉄道事業で金を貯め込んだり株主に高配当するという事が難しいのだ。
同制度は運賃値上げの理由として複々線化事業の積立を認めるものである。
余剰収益を積み立てたらそこに法人税が掛かるものであるが、同制度により積み立て分への課税は回避される。
ずっとゼロ金利状態なのでピンと来にくいが、バブル以前は金利は高かった。しかもバブル時はインフレ加熱を懼れて公定歩合を一気に引き上げた。事業をやっている人は常に公定歩合の上げ下げに気を留めていたのである。(現在は基準貸付利率というが慣習的に公定歩合と言う人も多い)
ゼロ金利であっても、鉄道などの土木インフラ事業では償還期間が長いので利子の負担も重くなる。
本制度が動き出すまで私鉄はどこも複々線化事業が全然進展していなかった。例えば地下鉄有楽町線は新桜台止まりの支線がずっとそのままだった。これは乗り入れ先の西武池袋線練馬駅の工事が手付かずのままだったからだが、同制度が動き出してから後には瞬く間に工事が開始されて一駅だけの無意味な支線は解消された。
一方、JRでは既に複々線工事は昭和の中期に完了していた。これは国の金で工事が出来たからだ。具体的には工事自体は鉄建公団が負担して行い、完成後に国鉄に負債を転嫁するというスキームになっていた。
また、国鉄には地上げ専従の職員と部署があった。新線、線路改良が定常的に行われていたという事である。
例えばJR化後直ぐに東北新幹線の上野~東京間が開通したが、この区間は国鉄が既に地上げをしてあったのでやったのは工事だけだった。
上野東京ライン開通時に「神田付近の地上げが難しくて新幹線の上を通す構造にした」という話を聞いたことがあるかも知れないが、これは国鉄時代の事なのである。新幹線線路上の三階建てにする高架構造も既にその時に決まっていたという事だ。
こうして同制度によって90年代には各社線で値上げと工事が一気に開始され、2000年代には完成して供用されるようになった。
増田は90年代小田急利用者だったが、この為に運賃が値上げ、しかも通学運賃は2倍になった。
更に工事の為に急行退避駅の待避線が幾つか使えなくなった。成城学園前が退避不能になった場合は、経堂から向ケ丘遊園まで各停の追い越しが出来ない。故に急行は各停にすぐに追いついて各駅手前停車列車と化した。大変なストレスである。しかも運賃2倍なのだ。そして複々線化完了する時には卒業していて利益還元ゼロ。理不尽な仕打ちであろう…。
多数の私鉄線が同制度を利用して複々線化を行ったが、一つ事業キャンセルになった所がある。それは西武新宿線で、積み立てをしていたがバブル崩壊後の経済低迷で利用者増の見通しが下方修正となった。それで複々線化の必要なしとの判断になり、積立金は取り崩して運賃に還元、つまり運賃値下げして利用者に還元された。
故に西武新宿線の混雑程度が同制度による混雑緩和限度、つまり利用者受忍限度と見做す事が出来る。
特定都市鉄道整備(特々)には複々線化だけじゃなくて連続立交化もある事に注意が必要だ。
複々線化は原資が運賃積立金、連続立交化は補助金が原資となる(それぞれ事業金の100%ではない。持ち出しや借入、社債発行もある)。
この二つは別事業なのだが、同時に行われる場合もある。小田急の場合が将にそれで、高架化やトンネル化が複々線で行われた。この為に原資としては運賃積立金と補助金両方が入っている。
元増田は「騒音問題が」と何度も書いているが、これは高架化の事だ。同時に行われたから不可分に見えるが、制度と原資の面で違うのだ。
元増田が勘違いしてるであろうのは反対運動の主張のコアだ。当時、沿線のベランダにたなびいていた幟や横断幕の文言は専らが「複々線化は地下式で」だ。つまりは複々線化は前提にして地下式を求め高架式を拒否している。
地下化なら騒音はないし日照問題も無い。工法によってはもしかしたら沿線の住宅が立退きしなくても良くなるかもしれない。そういう見立てだ。
だが地下化は金が掛かるからちょっと困難である。但し東急池上線という都内のローカル線が地下化された事はあるのでそういうのを参考にしたのかもしれない。
元増田は自分で騒音問題忌避の住民エゴを批判する事を書きながらそれを「複々線化反対」と断じていて筋違いである。
線路や道路の計画段階では住民に説明が行われ時に紛糾したりするが、その後の進捗というのは一直線ではない。計画→説明会→地上げ→工事と滞りなく進むものばかりではないのだ。計画のまま何十年も塩漬けになったり資金不足で地上げがチンタラ進まない場合もある。小田急複々線化は将にこれに該たる。
だから反対運動の方も計画段階で反対している時と、事業側がやる気になって金突っ込んで工事内容を策定するような「詰めてきた」状態での反対では温度差がまるで違う。
また反対の内容も計画自体に反対から補償金や公共施設の築造を求める、曳家で引っ込めたいから工事業者や銀行紹介してくれなどに変わったりする。その上で強行的に反対する場合もある。
でもネットフィルター通すとこういう各段階での温度差は見えなくなって、一律反対派住民となってしまう。土地とか持ってない人間が集まって集合意識を形成してしまうのだ。元増田もその気配がある。
自衛隊の東富士演習場に食い込むように未収用の土地があるのをご存じだろうか?ここではやはり収用反対運動が展開された。
その未収用の土地の一角を所有する人の下で働いたことがある。所有と言っても親戚兄弟姉妹で共有になってる山林だが、この人の家には収用の役人が一度も来た事が無いそうである。だから一見揉めてそうで全然揉めてもいないし交渉自体行われた事が無い。
だがネットではその辺の事が判らずに「反自衛隊的な人間がごねている」と書かれているのを見た事がある。そういう事を書く人は自分が住む家が何十年も前から再開発地域になっていて説明会がたまに開かれていても判らないであろう。
鉄道会社は運賃許可制により過剰な儲けが出せない仕組みになっており、また普通の経営的にも蓄財には課税され借入は経営上のリスクになるので莫大なコストが掛かる複々線化はまるで進捗しなかった。
そこで特定都市鉄道整備積立金制度がスタートして運賃値上げによる非課税積立が許されるようになり各社一気に工事が進捗しほぼ完成した。
同じ特々事業の高架化(連続立交化)と同時に行われて混同しやすいが制度と原資の調達面で違うもの。
反対運動と言っても地上げの各段階で温度差があり要求も変化する。